直線上に配置

韓   国   1〜30


アイコン 『仁川国際空港の話 その2
30  今年3月29日に開港した仁川(インチョン)国際空港のことに
ついては前にも書きましたが、この空港はアジアのハブ(中核)空港
を目指して造られました。
 このハブ空港の考え方について、資料によると仁川空港は、
海岸線から約15キロ離れた海上を埋め立て造られ、騒音の被害
無しで24時間運用を可能にしている。東北アジアの中核を担う
ことを目的にしており、その視野は、飛行距離3.5時間以内の
圏内に人口百万以上の都市が、43ヵ所入るとのこと。
 仁人国際空港から日本への定期便が飛んでいる一番遠くの
都市は札幌で、飛行時間3時間とのこと。
ちなみに新潟は2時間15分。
 日本の人口百万以上の都市がすべて視野に入っているとのこと
になります。

 参考に、仁川国際空港と定期空路のある都市は、この10月に
就航を開始の秋田空港をはじめ、22空港があります。
もちろん、新潟もその中の一つです。
でも、県外の人に「韓国に週5往復の定期便があるというと」
驚くひとが多いです。
(平成13年10月21日)

アイコン 『古町どんどん祭りの韓国市場〈チャント〉
29  先週土日、新潟の古町でどんどん祭りが開催されたのに併せ、
韓国フェスティバル韓国市場〈チャント〉が開催されました。
 行って見ると、子供達20人ぐらいがテコンドーの実演を
やっていました。後でパンフレットを見てわかりましたが、
この子供達は、新潟県テコンドー協会の子供達。会は14年前に
設立したとのこと。

 このチャントに行った理由は、韓国を紹介したパンフレットが
何種類もあり、無料にもらえるためです。(ここでもらった
パンフレットを見ながら、このページを書いています。)
 もらった資料によると、2001年は‘韓国訪問の年’です。
行ける人は、是非、韓国にいきましょう。

 実は、数年前私が最初に韓国に行った年も、韓国訪問をPR
した年でした。(何年おき?)
 その時も、行く数ヶ月前に、新潟の古町で韓国のPRイベント
があり、ソウルの資料をいくつかもらって、良かった思い出が
あります。
 実際に、そのイベントで配っていた冊子を持って、ソウルに
免税店で買い物をしたら、その本にある割引カードで、品物の
値段を割引で買えた。というラッキーなことがありました。
(免税店での割引は、化粧品や鞄といった高級品ではなく、
チョコレートなどの土産でしたが・・・)

 今回もらった資料の中には、割引のカードはありませんで
したが、数種類もらった資料は、私にとって貴重な資料となり
ました。
(平成13年10月20日)

アイコン 『韓国のキムチの話 その2』
28  2回目韓国に言った時は、ツアーの最後のキムチ屋は、前回の
こともあり、丁重にキャンセルしました。

 テレビでこの前見たのですが、韓国の大衆食堂で女性の人が、
麺を食べていると、知り合いの男性と偶然に会うシーンが
ありました。男性は、女性の向かいに座ると、何も注文する前に
テーブルの上にあるキムチを、箸でつまんで食べました。
 女性の頼んだキムチを何の断りも無く食べるなんて失礼な。
と思っていたら、このシーンの解説が後でありました。
 韓国の大衆食堂では、付け出しに無料のキムチがテーブルに
置いてあって、食べてもよいことになっている。韓国の良い文化。
との説明。

 ふーんと思いました。ところで、私はまだ韓国でこのような
大衆食堂に入ったことはありません。
 いつか入って、キムチを食べて見たいと思います。
(平成13年10月14日)

アイコン 『韓国のキムチの話
27  韓国のキムチはあまりにも有名ですが、ガイドブックによると
キムチの歴史は古くなく、200年ほど前からとのこと。
 キムチといっても、伝承されているキムチは150種類にも
のぼるとのこと。
 民族資料館などをまわると、子供が入れるような大きな茶色の瓶
があり、これにキムチを漬け込む話の説明を聞くことができる。

 キムチは家庭の味であり、それぞれの家の味があるとのこと。
 説明の中で、家庭のキムチの味が変わると、家族のお母さんなど
が病気になって、漬ける人が変わったのかと聞かれることがある
ほど、それぞれの家庭の味があるとのこと。

 旅の最後に、キムチの店に案内され、キムチと試食。
店の人によると、王様キムチという「ボッサムキムチ」が
美味しいョと言われ試食。
 確かに大変美味しかった。
「お土産に」といわれ、数個購入。
 棚にあるキムチの包みを、数個ビニールの袋に入れて
渡された。

 新潟に持って帰って、包みを開けプラスチックのケースに
入ったキムチを取り出し、早速食べてみた。
 ・・・、試食で食べたほど美味しくなかった。
(平成13年10月6日)

アイコン 『7年前、テレビで見た仁川国際空港のニュース
26  今年の3月29日に新たな国際空港がオープンしました。
 仁川(インチョン)は、地図ではソウルから見て左側、西に
約50kmのところにあります。 人口約250万人で韓国
第4の都市だそうです。
 仁川国際空港は、4000m級の滑走路が2本あるそうです。
成田空港が、現在1本の滑走路しかなく、今後2本目の
滑走路を2000mクラスで暫定開通することを考えると、
そのすごさがわかると思います。

 もちろん、私がソウルに行ったときは、国際空港と言えば
金浦空港(キムポ)でした。現在、金浦空港は、新空港の
開港により、国内線専用空港となりました。

 7年前、最初にソウルに行ったとき、夜部屋でテレビを
見ていると、日本語のチャンネルがありました。
 NHKのBSでした。衛星中継が入っているのか、録画
なのかはわかりませんが、番組の内容は、この新空港の
話でした。

 番組の内容は、もちろん日本人向けのテレビで、日本語。
 日本には、海を埋め立てて関西国際空港ができたが、
飛行機の空港利用料が非常に高い。
 韓国では、もっと別の方法で、海岸を埋め立て新空港を
造る。そして、この空港は、アジアのハブ空港(中核)に
なる。 国際線の乗り継ぎは、アジアではこの新空港を拠点
として、アジアのイニシャチブをとり、航空路での位置付け
を確立することを目標にしている。との内容でした。

 7年前にソウルのテレビの中で見た空港が、今年の3月から
オープンした訳です。
(平成13年9月30日)

アイコン 『ソウルの免税店、においは?
25  今日、新潟市内のデパートの1階を歩いていると、化粧品
売り場があり、その中を歩いていると、ふとソウルの免税店を
思い出しました。
 ガイドブックによるとソウルには、免税店が18箇所あります。

 たいていの免税店は、入ると化粧品売り場があり、世界の
有名なブランドの化粧品が並んでいます。
 それから、少し中に入ると、民芸品等のコーナーがあります。

 私は、ツアーで免税店に案内されると、そもそもそのような
高級品に縁が無いので、時間を余してしまいます。
 サーと店内を見た後で、時間が余るとツアーの集合時間まで、
入口付近の休憩所で休んでいます。
 たまに、ジュース等が無料のラッキーな場所もあります。
免税店では、いつも入口付近に時間をつぶしているため、
免税店のにおいは、化粧品売り場のにおいと感じるように
なったのかもしれません。
(平成13年9月25日)

アイコン 『夏に行った国は、暑い国、ソウルの夏
24  ソウルは2回とも夏に行ったので、韓国は暑い国との
イメージが自分にはあります。
 それに比べ、上海は冬に行きましたし、香港に行った時も
冬でした。 それで、勝手に中国は余り暑くない国と思って
いる節が自分にはあります。
 地図で両方の都市を見ると、ソウルは上(北)、上海は下と
いうことがすぐにわかりますが、ナカナカ自分の頭と気持ちが
イコールになりません。

 緯度でいうと、韓国は有名な38度線の下にあり、ソウルの
位置は、37度線と38度線の間。 新潟市の北、
北蒲原郡の加治川村では北緯38度線が通っています。
 上海は、31度線と32度線の間。日本でいうと鹿児島と
同じ位の緯度になります。

 とは、いってもソウルは暑いところとのイメージが自分には
あります。やはり、一度冬にも行かないといけません。
(平成13年9月22日)

アイコン ハサミで切る焼肉は、韓国が初めてでした』
23  韓国の焼肉は有名ですが、ハサミで切って食べる焼肉は
ソウルで食べたのが最初でした。
 当時は、焼肉にハサミを使うことを知らなかったので、
店員さんが、肉をハサミで切って出すのを見て、「へーえ」と
思いました。日本でも、このようにやれば、便利なのにと
思って日本に帰ってきました。

 当然のことかもしれませんが、その後、日本の焼肉やで
ハサミを使っているのを見ました。
(平成13年9月16日)
 その時は、ツアーで行った焼肉やさんでしたが、添乗員の人は、
一人2人前でますからといってましたが、食べて見ると少々
少なかったので、やはり追加を注文しました。

アイコン 初めて、韓国の大地に立ったとき』
22  初めて、金浦(キムポ)国際空港にはじめて降り立った時に、
思ったことは、海外は、ハワイに次いで2回目。
日本も島国、ハワイも島ばかり、やっと大陸、ユーラシア大陸、
ヨーロッパに続く大地に降り立ったと思い感動しました。
 この大陸が、学校の歴史教科書に習ったアメリカ以外のすべて
世界に続くのだな〜と感動しました。
(その時の世界感は、この程度でした)

 視察では、国立中央博物館に行きました。4階建の立派な建物
で、年代別に1階の石器時代から、階が上がる度に時代が上がる
というものでした。
 しかし、この建物は、朝鮮総督府の建物を戦後、博物館として
利用してきたものでした。
 地元にすれば、植民地時代を引きずるこの建物は、
1996年に撤去され、現在に至っております。
(平成13年9月9日)

アイコン 『今日テレビで、セマウル号をみました
21  セマウル号は、ソウルとプサンを結ぶ特急で1日25便も
運行しているそうです。
 セマウル号には、日本の新幹線では無くなった食堂車もあり
食事が楽しめます。

 初めて、ソウル駅に行ったとき、駅で思ったことは、
ここから汽車に乗っていけば、ずーと遠くまで行けるのだな
と思いました。
 しかし、現実は、セマウル号が地図の下の方、朝鮮半島を
南下するように、鉄道の各線は、韓国の国内の移動には、
便利ですが、遠く(地図の上の方に)行くには限界があります。

 しかし各種報道で、シベリア鉄道を延長し、韓国から
モスクワに至る鉄道をつくろうという話が、ささやかれ
はじめたことは、すごいことと思います。
(平成13年9月8日)

 テレビで、南北アメリカ大陸横断ヒッチハイクの旅は
ありましたが、こちらの南北横断の旅はありませんでした。

アイコン ハングル語は、世界で一番進んだ言葉』
20  名所の視察の途中で、ハングル語の看板を指差し、ガイドが
言いました。「ハングル語は、世界で1番進んだ言葉です。
話している言葉と書いた文字が同じ用に工夫されており、
これは、国民がより使いやすいように作られた言葉です。
 意味は、わからなくても読むだけなら、日本語のひらがなを
読むのと同じですから、半日で読むことができように
なります。」

 事実ハングル語は、1446年に李朝第4代の世宗大王が、
創設した文字です。
 外国語をカタカナ等の日本語で、発音を書くとき表現
しきれない言葉が多くありますが、
 ガイドブックによると韓国語の表記は完璧で、世界中の
ほとんどの言葉が、この韓国語で正確に表記できるそうです。
(平成13年9月2日)

アイコン 目上の人の前、タバコをすってもいいですか?』
19  昨日のテレビで、お酒を飲む時、そのテーブルの目上の人に
了解をもらってから、横を向き、目上の人に見えないように
してお酒を飲むシーンがありました。

 韓国では、儒教の精神を大切にしており、私達が焼肉の
テーブルを囲んだ時、現地のガイドさんは、テーブルに
目上の人がいたので、その人に断ってから、横を向いて
タバコを吸っていました。
(平成13年9月2日)

アイコン 『ガイドの一言、韓国、男は、20歳で一度死ぬ
18  ソウルのガイドの話です。
 国の説明の中で、「韓国には、男は、20歳で一度死んで、
一人前になるという言葉がある」
 私達は「それはどういうことですか?」と聞き返すと

 「韓国には、徴兵制があるので、3年間軍隊に行かなければ
ならない。行くことによって男は鍛えられて、一人前と認め
られる」「私も軍隊に入って落下傘部隊の隊長だった」

 日本を出るとき、旅行会社の人に言われたのは、現地の
ガイドは、日本でいう国立大学のトップの学校を出ている人が
ガイドで説明してくれる。との話でした。たしかにどんな質問も
歯切れヨク丁寧に説明してくれました。

 現地ガイドに聞くと、大学も出ている(在学中?)ので、
軍隊の時も中隊長クラスだった。そのまま軍隊に残っても
よかったが、退役したとのことでした。

 また、街の中を指先ながら、ここにある会社それぞれも
社員がいざという時には、一つの小隊として動く体制もある
と説明してくれました。
(平成13年8月25日)

 この話を聞いてから、数年が経ちました。
 徴兵制については、徐々に3年という期間が数ヶ月ずつ短縮
されるようになったことと。金持ちの徴兵のがれも出てきている
とのこと。
 しかし、テレビで見ましたが、男性が居酒屋で友人と
話すネタの一番は、軍隊時代の思い出だそうです。

アイコン 『景福宮、ソウルのセミはメンメンと鳴いています
17  ソウルに行った時も大変暑い日でした。
 視察地をまわっていても、暑くて汗が出てきます。

 京福宮(キョンボックン)。ソウルに最初に建てられた最も
大きい、李朝時代の宮殿とガイドブックに書いてあります。

 宮殿の左右を木に囲まれた石畳の通路を歩いていると、
セミの鳴く声がたくさん聞こえます。
 現地ガイドの人に「セミの鳴き声は、韓国ではどう言う
のですか?」と聞くと。
 セミは「メンメンと鳴きます」とのことでした。

 それを聞いて、ソウルのセミはメンメンと鳴くのかと思い
耳をすましましたが、やはり私には、「ミンミン」と鳴いて
いるように聞こえました。
(平成13年8月15日)

アイコン 母なる川、漢江の脇でお昼寝』
16  ソウル市内を大きなアルファベットのUの字を広げたように
流れるのが、漢江(ハンガン)と言う大きな川です。
ガイドブックによると漢江とは、大いなる川と意味だそうです。

 この川のUの字の中には、ソウルの街の中心部があり、南山
タワーこの中心部の南山の頂上に建っております。

 この漢江は川幅が広く、1kmを超える大橋がソウル市内だけ
で10本以上掛かっています。川の脇には、1千万都市に
ふさわしく超高層ビルや、マンションが並んだりしています。
 また、この漢江の川辺には緑や公園も多く、市民の憩いの場
にもなっています。

 私が行った時も、日曜日であったせいもあるかもしれ
ませんが、多くの市民が、川の広い堤防のコンクリートの
上で遊んでいる人や、大橋の下の日陰のところで、
持って来た四角のシートを敷き、その上で昼寝をして、くつろ
いでいる人がいました。
 玩具や飲み物を販売するための屋台も数台出ていました。
ハトにえさを与えている人もいます。

 昼寝をしている人をよく見ると、自分の履いて来た黒い靴を
枕にして寝ている人も数人いました。
(平成13年8月12日)

アイコン 『ソウル市内には、10車線の道路があります
15  タクシーの話などを今まで書きましたが、
韓国は、車は日本と逆の右側通行です。中国も確か右側通行です。

 ソウルでは、ホテルはソウル市庁の向かいのホテルに泊まり
ました。
 道路を鋏んで向かいのソウル市庁には、デジタルの大きな時計
があり、時間を表示しています。
 このソウル市庁から、よくソウルのテレビ中継やソウルの
マークとして写真に使われる南大門まで、地図でみると
700mぐらいです。この間の道路も非常に広い道路が
走っています。
 この道路を、夜中ホテルの窓から見ながら、ソウルの都市
(まち)は、東京と同じ1千万都市なんだと実感しました。

 その後、何で私がこんな一等地のホテルに泊まれるのだろう?
と考えてしまいました。

(注)タイトルにある10車線の道路がソウルの中心部にある
のは確かです。
 しかし、先ほど書いたソウル市庁から南大門までの道路は、
確か8車線のような記憶があります。(正確に覚えてなく
ゴメンナサイ)(平成13年8月12日)

 韓国語では、南大門を「ナムデムン」といいます。

アイコン 『ソウル駅の食堂とハンバーガーショップ
14  どこでも駅は、地域の窓口。
地方から着た人にも便利なように、出来てます。
 必要なちょっとした品物を買うにも、地方から着た人が
土産を買って帰るにも便利に出来てます。

 ソウル駅は、東京駅(上野駅?)に近い形で造ってあり、
(事実現地のガイドは東京の駅を模倣し建設と説明。)
駅に入ると、左側に時刻表と改札が並び、右側には食堂街が
並んでいました。
 食堂街では、ハンバーガーショップもあり、日本で
ハンバーガーを買うのと同様に買えます。
 言葉が話せなくても、メニューを指差せば同じように買えます。

 駅の食堂も便利です。
 当然駅の食堂ですので、頼んだメニューの出てくるのも早い
ですし、値段もリースナブルです。
 多少、品物を間違っても、頼んで出てきた物を食べてみる
というのも面白いです。

 海外に行ったら、有名なレストランに行くのも良いかも
しれませんが、駅の料理は、まさに地元の人が普段食べている
物ですので、食べてみるのも良い体験と思っています。
(平成13年8月7日)

 韓国語では、ソウル駅を「ソウルヨク(リョク)」といいます。

アイコン 『海も韓国につながっています。
           海岸のハングル語のキャップ
13  今日は、海の日。朝6時からの海岸清掃に参加しました。
今年で、3年目です。
 集合場所で、最初に開会を兼ねた説明がありました。
私たちの地区は、200人ぐらいの参加でしょうか。シルバー
人材センターのハッピを着けた人も多いです。
 その後、ビニール袋とゴミを挟む30cmぐらいの挟みを
もって、海岸を歩きました。
 まあ、何と言うか、空き缶、ビニール等々・・・
渡された、ビニール袋などすぐにゴミで一杯になります。
 しばらく、拾うと、ハングル語の書かれた3cmぐらいの
緑のキャップを見つけました。

 いつも、空は海外につながっている書いていましたが、
海も世界につながっています。

 それと、外国に行くと、SONYと書かれた電化製品、
軽トラックの後に大きくTOYOTA書かれた文字。
日本の会社の製品は、多く出まわっているのだが、日本と
言う文字がなく、現地の人は、それを日本の会社が作って
いることを知らない。ということを思い出しました。
(平成13年7月20日)

 韓国語では、日本を「イルボン」といいます。

アイコン 『子供だと、ハングル語が話せなくても遊べます
12  2泊3日のツアーの帰りです。ソウルの空港で、出国
審査を終えて、飛行機の出発時間を待っていた時です。
 新潟県内の小学校のグループに合いました。

 引率の先生に話を聞くと、学校で日韓交流をしていて、
先般、韓国の小学生の代表が来日したので、そのお返しに
今度は、5・6年生の代表15人ほどを数人の先生で
引率して、韓国に連れて来たとのこと。

 さらに話を聞くと、事前に学校でハングル語の勉強を
してから、この交流に子供たちは参加しているのだが、実は
ほとんど言葉を覚えないまま来ている。
 同行の先生も同じようなものだが、さすがに子供は違うと
いうことがわかった。

 子供たちは、韓国の小学生と交流するのに、1日目は子供
同志、初めてというのと言葉が通じないということで、
どぎまぎして、ぎこちなかったが、
 2日目からは、子供は言葉が通じないのなどまったく
関係無し、子供同志、手を取り合っていっしょに楽しく
遊んでいた。キャンプもやったが、非常に楽しそうだった。
 それに比べ、大人の方は、最後までだめだった。
との、先生の話。

 「うん」、先生の話を聞いてうなずいてしまいました。
(平成13年7月15日)

 その後、先生から子供のお小遣いは、1人一万円以内と
聞きましたが、見ていると小学生は、空港の免税店で
帰りのお土産と言って、一万円札を出し、親に頼まれた
タバコの包を買ってました。
(一万円札?、子供タバコ免税になるの?)

 ※ 現在、教科書問題で、いくつか日韓の小中学生の交流が
 中止になったことが話題になっておりますが、その新聞記事
 を読みながら、当時のことを思い出して書きました。

アイコン 『日本の成人式の着物と観光地の韓服(チマ・チョゴリ)
11  観光地に行くと韓国の民族衣装(チマ・チョゴリ)を着た
女性に合いますが、一般の街角で韓国の民族衣装を着た人には、
ほとんど合いません。

 これは、日本でも同じことが言えるのではないでしょうか?
日本人の女性は着物を着ている。との認識を持っている外国の
人もある程度いると思います。
 さすがに、日本人の男性は「チョンマゲに刀」というのは
少ないと思いますが。(でも、相撲の優勝のニュースなどが、
流れると、ああ日本人はチョンマゲなのだ。と思うかも
しれません。)

 逆の立場で考えるとわかりやすいかもしれません。
 日本に短い日数で来日した外国人が、たまたま正月や成人式
若しくは卒業式に、来た日が当たったとき、
 街角に着物を着た女性が数多く歩いていて、それを見て、
「ほうら、日本の女性は、着物を普段から着ているんだ」と
思うかもしれません。

 海外に行くと、いかに限られた情報しかその国の事を知ら
ないことを痛感させられることがあります。
(平成13年7月15日)

アイコン 『銀の箸とスプーン』(ソウルの食堂で)
10  韓国のレストランに初めて行った時、銀の箸が出て
きました。

 事前にガイドブックを読んでいましたが、その中で、
韓国では、ご飯を普通はスプーンで食べ、箸はおかずを摘む
時に使う。ご飯やお汁のお椀を手に持って食べることは
しない。お椀をテーブルに置いたまま食べる。という
ようなことを書いてあったのを思い出した。

 しばらく、どうしたら良いのか考えていました。
 レストランで、まわりを見渡すと日本人ばかり、銀の箸で
日本と同じように食べて食事をしている。
 そうか、ここはソウルでも、日本人が多いレストランか
と思いました。
 そうして考えているうちに、お腹が空いて、銀の箸の事
など忘れ、食事を食べてしまいました。

 後で、日本に帰って来てから考えると、ツアーで案内された
レストランなので、店のお客は日本人が多く、店の店員
の人も、日本人への対応がなれているんだ。
 ここは、箸の使い方など考えず、旅の恥の掻き捨てで
よかったのだ、とかってに思いました。

 思い出すと確かに、食堂を出てくる時、女性の店員さんは、
お客に「ありがとうございました」と、日本語で声を掛け
送り出していました?
(平成13年7月15日)

アイコン 『実は、ソウルの地下鉄はわかりやすいです
 前に、地下鉄に乗った体験を書きましたが、実はソウル
市内の駅の案内図は、わかりやすいです。

 この前見たテレビでもやっていましたが、ソウルの地下鉄は、
1号線・2号線、〜4号線が色別に区分され、この点は東京
など同じですが、各1号線、2号線といった駅に、順番に
1番からの番号が付いていて、テレビの番組でも、
南大門市場の場所を駅員に聞くシーンがあり、場所を駅員に
聞くと、駅員は、「4号線の25番駅」と答えていました。

 たしかに、私がソウルに行った時も、現地のガイドさんは、
「ソウルの地下鉄は、東京より後に出来たため、わかりやすく
できてますよ」と話していました。
(平成13年7月7日)

 参考に、ガイドブックによると、1号線が出来たのが、
1974年、2号線が84年、3・4号線が85年に出来た
そうです。 

アイコン 『ソウル駅の近くで、絵本を買いました
 地下鉄に乗ってソウル駅に行きました。
 駅に着いた後、駅の近くにある本屋さんに入りました。
探し方が悪いと思いますが、日本のように駅の周りに必ず
本屋があるという状況ではなく、やっと1軒あったという
感じでした。

 本屋では、当たり前ですが、ハングル語の本が並んでいました。
 どうせ、まともに本を見てもわからないと思って、
日本のことが載った観光ガイドブックと、子供の絵本を探して
みました。

 観光ガイドブックの方は、だいぶ厚い本に、挿し絵として
小さな白黒の日本の観光地の写真が載ったものしか、
見つけられませんでした。

 子供の絵本は、何種類もあったのでが、子供が好きな
乗り物の小さな絵本をお土産に買うことにしました。
 これなら、ハングル語が読めなくても、絵を見ることが
できると思ったからです。

 絵本を見ると、自動車、バイク、船、飛行機・・・といった
乗り物の絵が書いてあり、その脇にそれを説明した言葉
(単語)が書いてありました。
 10頁ぐらいの乗り物の絵の中には、戦車、戦艦・・・の絵も
ありました。
 これについて、日本の子供の絵本には、まず(絶対に)
戦艦の類いは載っていません。
(韓国は、戦争が終ったのではなく、休戦中なのです。)

 単に、子供の絵本を買っただけと思ったのに、
ここは外国なんだ。日本とは、異なるのだ。
これを実感させらました。
(平成13年6月23日)

アイコン 『東大門市場で、布を5m買いました
 ソウル市庁のそばにある大きな市場は、南大門市場。
 歩いていると、日本人の宿泊するホテルが回りに多い
せいか、市場を歩いていると、男性は「社長・社長・・・」
と、声を掛けられる場合があります。

 どこの国でも、日本語で声を掛けられる時は、
あまり良いことは無いので、足早に通りすぎること
にしています。
(自分が、その国が初めてであっても、声を掛ける人は、
毎日のように、日本人の旅行者に会っている?)

 この南大門市場より、大きな市場街?が東大門市場です。
 ソウル市庁の前から、地下鉄に乗って、3つ目のところに
あります。
 南大門と違い、あまり日本語が通じません。(たぶん)

 市場の周りに、品物の別の問屋街の建物が広がっている
といった感じでしょうか。
 本屋の建物ビル群、衣類の入った建物ビル群、
陶磁器等のビル群・・・と、それぞれ問屋とも言うべき
大きなビルが並んでいます。
 当時、現地のガイドの人は、ロシアの人が、まとめて
品物を買いに来るといっていましたが、真相は?です。

 その中で、家具にからんだ布製品が売ってる
6〜7階建のビルに入りました。
4階ぐらいで、そこで、カーテンの布地を売って
いました。
 見ていると、綺麗な布地だったので、5mほど買って
帰りたいと思いました。

 いっしょに行った人が、観光ガイドブックに
「これはいくらですか」とハングル語があるので、
これを店の人に話せばいいといいました。
 私は「それでは、ダメだ!」と、言いました。

 ハングルで値段を聞けば、答えが、ハングル語で
返ってくる。 それでは、わかるはずがない。

 私は、持っていた紙に『@__×5m』『ウォン
(ハングル語)』と書いて、店の人に見せました。
 店の人は、内容を了解し、電卓を持って来て、
金額を提示しました。
 こうやって、カーテンの布地を手に入れました。
(平成13年6月17日)

アイコン ソウル、コンビのマンガ本
 数日前の新聞で、ソウルの町は、W杯のマークの入った
無許可のコピー商品が多く出まわっているとありましたが、
 私が、ソウルの町に言った時も、かなりの日本のコピーが
商品がありました。

 その一例の話です。 ソウル市庁の近くのコンビに
行くと、店の中では本が売っている棚がありましたが、
そこには、日本の週間マンガ雑誌をコピーしたマンガ本が、
ありました。

 コピー元の日本のマンガ本の連載が、20本あるとすると、
そのうちの10本ぐらいを載せて、言葉の吹き出しが、
ハングル語になったものでした。
 マンガの内容の進行は、日本のマンガの進行より、
半年遅れのものでした。
 サッカーのマンガも、あったような気がします。

 当時は、違法コピーなどと言う話は、露知らず。単に、
日本のマンガが、ソウルでも流行っていると思いました。

 韓国は、今の大統領になって、日本の歌とか芸術をかなり
解禁するということが話題になりました。
 但し、この報道といっしょに、「すでに大量の日本の商品の
コピーが出まわっている」ということも、マスコミで
報道させていました。

 このコンビにでの出来事は、コピー商品というものを
現地で体験したものでした。
(平成13年6月17日)

アイコン 『お土産のチョコレートは、1000ウォンでした』
5   新潟市の西堀にも韓国の物産を売っている専門店が
何店かあります。
 ご存知のとおり、韓国の通貨はウォン。
100ウォンが9.5円程度。まあ、1桁落として
金額をみるとほぼ間違いがありません。

 ソウルの中心部であるソウル市庁の周りのホテルに
宿泊したのですが、少し歩いたところにいくつか、
コンビニがあります。

 まあ、コンビニの物の買い方は、日本とまったく
同じ。解説するまでもなく、欲しいものを籠に入れ、
(モチロン手で持ってでも結構ですが)レジに出すだけ。
あとはハングル語が話せなくても、店員が品物を数え、
レジには、必要な金額が表示されます。


 このコンビニで、家族はモチロン友人のお土産を
いくつか買いました。
 板チョコ一枚でも、1,000W(ウォン)と書いて
あるので、非常に高い物を安く買った気分。
 友人が、10,000Wの品物にエラク感謝!

 恐縮してます。
(平成13年6月10日)

アイコン 『時差はなく、ソウルは夜8時でも明るいです』
 現地ガイドから夕方になって、ソウルの町は8時過ぎても
明るいですと言われた。(夏の話しです。)
   
 たしかに、8時になっても、新潟と違い明るかった。
どうしてだろう? 韓国と日本には時差が無いのに。
結果として、韓国にいる間、わからなかった。

 たぶん、緯度経度の問題だな?
有名な北緯38度線の下に、当然ソウルはあります。
 新潟でも、北蒲原の加治川村が、北緯38度線のある村
といっていたことを思い出しました。

 答えは簡単。経度です。

 経度にすれば、ソウルは127度ぐらい。
九州本土の少し左、沖縄の那覇からみれば右となります。
 北海道で日本の朝日が一番早く、九州で新潟より
日が沈むのが遅い、これだけのことでした。
(平成13年6月2日)

 ◎『ほぼ新潟の人口が、毎年韓国にいってます。』

 先般新聞の報道をみると、昨年1年間に韓国に
行った日本人は240万人。逆に着た韓国の人は、
110万人とあった。

 ほぼ新潟の人口が、韓国に行っていると思いました。
(平成13年6月2日)

アイコン 『ソウルの地下鉄は、入口を間違えないように
3 
  ソウルに地下鉄ができたのは、資料によると74年から、
1号線2号線…と区分され、ソウルの市内を移動するのに、
便利です。
      
 現地ガイドから、「ソウルの地下鉄は、日本の
地下鉄より後にできて、路線がわかりやすいですよ」
「ただ、日本の地下鉄と違い、地下鉄への降り口によって
地下鉄の上り下りが決まっていることが多いですよ。
 日本のように、必ず両方に行けるということは
ありませんから注意してください」とのことだった。

 「ただ間違っても乗っても、駅3コぐらい行くと、
両方に行ける駅がありますので、そこで乗り換えて
戻ってこれますよ」
 案の定乗ってみると、上り下りの一方しか走ってなく、
地下鉄を乗った後、説明のとおり、3つ目
ぐらいの駅でで乗り換えてみた。

 それと、切符の自動販売機は、ガイドブックによると

日本と逆で、@行き先を押す、Aお金を入れる、
とあったが、やはりそのとおりであった。
(平成13年5月26日)

アイコン 『ソウルのタクシーには、模範と一般があります』
 ソウル市内のタクシーは、黒のボディに、黄色のマークを
付けた「DELUXE」タクシー(=模範タクシー)と、
一般タクシーがあります。

 ガイドブックによると、タクシーは日本に比べ、一般的に
接客マナーが悪いので、92年にこの模範タクシーが
導入されたとのこと。

 お金が高い分、接客が良く運転も安心なので(らんぼうな
運転がない)、そして、一番問題のボラレル心配も無いので、
現地ガイドからは、タクシーに乗るなら、「模範タクシー」
乗れと勧められます。

 しかし、私たちを垢すりに案内した時、現地ガイドが、
使ったのは、やはり安い方の「一般タクシー」でした。

(平成13年5月20日)

アイコン 『1千万都市ソウル』
1 
 定期便に乗ってソウルにつくと、現地ガイドの第一声は
ガイド「ソウルは、何回きましたか?」「どこから、来ましたか?」…
「3年ぶりの2回目です。」と答えると
ガイド「ソウルは、3年経つと都市の様子が大きく変わってますよ。」
次に、「新潟から来ました。」と胸を張って答えると
ガイド「にいがたですか?」と答え。

 はじめこれには、戸惑いを感じたが、考えてみれば当たり前のこと。
ソウルは、人口1,200万人を超える大都市。
かたや「にいがた」は、50万都市。
 いくら、新潟から週5往復の定期航路があるといっても、現在、
韓国に定期航空路を持つ日本の飛行場は15以上ある。
九州からは、「釜山(プサン)」へ定期の高速船も就航している。

 この感じを、逆に考えて見ると分かりやすい。
いくら新潟が、ワールドカップが開かれる都市といっても、
韓国でのワールドカップの開催地10ヶ所のうち、
自分たちが、開会式の開かれるソウル以外の都市をどれだけ
知っているのか?である。

 まあ、田舎から1千万都市へ着いたというのが、ホントだろうか?
(平成13年5月14日)

トップ アイコンもどる

直線上に配置