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中   国   1〜15

『中国から、海外旅行に行ける人は』
十五  上海のガイドさんは、27歳の美人ガイドさん。
半年ほど前に結婚したばかり。

 このガイドさんから聞いたお話。
「皆さんは、
海外旅行で中国に来ましたが、逆になか
なか中国から外国へは行けません。
 行けるところは、東南アジアではシンガポール・
マカオ。それと、オーストラリア、ニュージーランド。
など。ヨーロッパにも行けますが、1万元の保証金が
必要」
「平成12年11月から日本へも、一般の人も旅行に
行けるようになった。日本円で25万円ぐらい?」


「日本に行けるようになったが、日本に行くには、
保証金を10万元(140万円)預けないといけない。
保証金は、旅行の途中でいなくならないためのもの」
「だから、日本に行けるのは、金持ちだけ。
行って来たら、周りの人にいっぱい土産も配らないと
いけない。」

「しかし、中国の人口13億人。金持ちが人口の1%と
いっても、1千万人以上の人になる。
中国にはいっぱい、日本に行ける人がいる」

※ この話の真偽の詳細は確かめてないが、中国を表し
た貴重な話だと思いました。
(平成13年8月12日)

『道路の脇の自転車パンク修理屋
十四  ツアーの途中で寄った日本人のための買物のお店。
 その店は、大きな道路から少し入ったところにあり
店の前が広い駐車場になっています。

 その駐車場の道路に面した端には、小さな小屋のような
ものが建っていて、小屋の入口脇には、自転車のパンクを
直す道具と空気入れがありました。

 別に買物する物も無かったので、バスの出発時間まで
ずーと駐車場から道路を眺めてました。

 大きな道路でしたので、車が次々とホコリをあげて、
走って行きます。バスも走って行きます。
 そして、自転車に乗った人達も、
乗っている自転車も、日本の用に銀ピカの自転車では
ありません。
 まさに、となりにパンクの修理屋があるように、
皆が、直し直しそして使っている大切な自転車です。

 ここだけでなく、道の脇にパンク修理の人は、
ところどころにあります。
 そんな、ことも気付かずに、大型バスの中からバスの
外風景を、ボーと眺めていた自分に気付きました。
(平成13年8月11日) 

アイコン 『憧れの中国大陸。世界で話す人口が多い言葉は?』
十三  二十年前に先輩から、世界で一番話す人口の多い言葉は
「英語?」と答えると。答え「中国語。世界60億の
5分の1の12億人の人が話します」と教えてもらった。

 でも、今考えるとはやり英語が一番多いと思います。
だってインドだって中国を追いぬく人口といわれている
中、公用語の一つに英語があります。(インドの英語は
なまりがあるので、しゃれて、なまりのもとのヒンズー
語とあわせてヒングリッシュという人もいます。
注:ホピラーな話ではありません。一部の人がしゃれで
言った話です)

 話が飛びますが、数年前に新潟空港からのチャーター
便で返還前の香港に行きました。
現地のガイドさんの話によると、当時香港では、返還に
向けて、中国語の勉強をしているとのことでした。
中国語?と思われる人がいるかもしれませんが、一般に
中国語といわれるのは、首都の北京語。香港は広東語。
返還されると中国本土からの情報は、北京語でくるとの
ことでした。北京語と広東語では、同じ中国語でも
余り通じないとのことでした。

 余談が多くなりましたが、その香港に行った時、
視察のバスに乗りながら、汽車の九龍駅を見て思った
ことは、「ここをスタートしたレールが、中国に
つながっているんだ。汽車は中国までに行くんだ」
でした。
 香港といっしょに行ったマカオでは、入国の検問所が
あり中国とつながっています。
 そこで中国側をみながら、ああ中国の人がいる!
と感動したりしました。(あたり前のことですが)

 そんな思いを胸にいだきながら、昨年の暮れに
憧れの中国旅行で、上海の空港に降り立ちました。
(平成13年7月21日)

アイコン 『切符の購入、
   語学講座のような会話はしていません』
十二  前に、上海の駅から地下鉄に一人で乗った話を
書きましたが、一般的に駅で切符を買うのは、長距離
を除いてたいして難しくないです。
 結論だけ言うと、上海駅に帰って来る時も、駅名だけ
伝えて切符を買いました。
 まあ、汽車で遠くにいく為に切符も買うのでなければ
駅名だけで十分です。

 なぜかと言うと、これを新潟に当てはめるとわかり
やすいです。
 新潟駅のとなりの白山駅から新潟駅までの切符を
窓口で買う時、あなたならどんな会話をしますか?

 「私は、となりの新潟駅まで行きたいです。」
「新潟駅まで普通列車で、大人1枚の切符をください」
 一般的には、こんな長い会話はしていません。
 駅の窓口に来た時点で、駅員さんは切符を買いに来た
とほぼわかっていますから、せいぜい会話としては、
「新潟まで、大人1枚」。もっと短いと『新潟』これ
だけかもしれません。それでもほとんど切符を買える
と思います。
 駅員も買う人も、これで十分と思っていますし、
お互いに、新潟駅まで、特急列車も急行列車も無く、
指定席とか特別の会話もしなくても良いことがわかって
います。

 上海でも地下鉄なら、特急も急行もありません。
発車時間も列車がすぐ来るので関係ありません。
それで、駅名だけで十分切符を買えたのです。
 それと、これを応用すれば、大きな汽車の駅でも
なんとか切符が買えると思っています。
(たぶん買えると思います。買えなくても私のセイ
ではありません。)(平成13年7月21日) 

『団体ビザ、入国審査は順番に』
十一  中国に入るのに、始めてビザを申請しました。
といっても、ツアーの団体ビザ。

 まだ、私のパスポートには、ビザが記載されたことは、
ありません。
 今回も、団体ビザのため、同行の添乗員さんが、
ビザ(参加者の一括許可書)を持参し、入国審査を
受けました。

 入国審査を受ける際は、まず、ビザの順。というか、
日本からの添乗員がビザの順に、人を読み上げますので
その順に並んでから、順に入国審査でした。

 どうも、ビザには個人の写真はなく、名簿だけなよう
です。
 帰りも、同行の添乗員さんの声に合わせ、順に並んで
から、出国審査を受けました。
(平成13年7月7日)

『手帳の話つづき、
   あなたの手帳には、お椀と書いてあります』
   蘇洲に行った時の話です。
 ツアーのバスが夜、蘇洲について、ホテルの部屋に
荷物を置いた後、夜の街を散策することにしました。

 初めての街でしたので、細かい通りは入らず、
大通りを歩きました。
 午後10時近くになっていたので、小路はすでに暗く、
ぽっつんぽっつんと明かりがある状態。明かりの元の
多くは床屋のよう。
 まだ、この時間でもやっているんだなーと思った。
(かってに、床屋は若者の集会の場?と思って
しまった。)

 歩いている途中、飲み物を売った売店がったので、
缶のサイダー2本を5元で買いました。

 また、少し歩いて行くと、道の左側にラーメンや
らしき店を発見。
 店の前で、麺とそれに入れる6種類ぐらいの具を
お椀に入れでならべてあった。
 店の番をしているのは、20歳ぐらいに見える
女性3人。

 これは、いくらと聞くと「6元」とのこと。
(いつものとおり、手帳に「  元」と書いて、
6という数字を書き込んでもらいました。)

 中は、テーブルと向かい合った椅子の組み合わせで、
4テーブルほどの小さなもの。何時閉店かと聞くと
「10時20分」とのこと。
あと10分ぐらい。

 席に着くと終りの時間が少ないのか、店の美人の
女将(おかみ)を除いて、あとの2人は帰って
しまった。
 隣の厨房で麺をつくっている主人と夫婦で
経営しているようだった。
 食べた麺は白く、わりと美味しかった。
生レバーを刻んだものも、トッピングしてありました。
 食べた物が、結局何なのかワカラナイので、
メーニューの名前が知りたくて、手帳にお椀の絵を
書き絵の脇に、中国語の説明を書いてもらいました。

 翌日、現地ガイドの人に手帳に書いてあるメニューの
名前を読んでもらいたくて、手帳を見せると、
 ガイドは、「絵の脇には、『お椀』という中国語が
書いてあります」
 と読んでくれました。(平成13年6月24日) 

西安ガイド、屋台の物、食べると
              200%お腹コワシマス
   西安の兵馬俑抗を見たあと、ツアーのバスの中で、
現地ガイドさんの話を聞いていました。

 その話の中で、バスの窓から屋台の食べ物屋を指差し、
多少ふざけて
「屋台の食べ物おいしそうに見えるかもしれませんが、
もし、あの屋台の物を日本人が食べると、200%
お腹をこわします。」と説明していた。

 まあ、これから食堂に入って昼食を食べるので、
ツアーのお客がそのような場所で、間違って物を食べない
ようにという意味と
 指差した、その屋台の評判が特に悪いということを
含んでいるのだろうが、
 200%とは極端だなと思った。

 その時、昔、海外によく行く人の話を思いだした。
 その人は、「まあ、海外で屋台を見たら水の確保の
状況を見た方が良い」
 なぜかと言うと、「日本の屋台は、脇に必ず水道の
蛇口や水道からのホースで、水を供給していますが、
 外国では、そうで無いケースも多い。」
 「とすると、持ってきたバケツの水の範囲(+途中に
汲み足した範囲)で、屋台の必要な水関係が
まかなわれることになります」
とのことだった。
(平成13年6月24日)

 一応、蘇洲のラーメン屋は、店の入口の台でも
料理してましたが、店の中に調理場あることを
確認してから入りました。
(まあこれは、ツアーの初日でもありましたので)

アイコン 『ひまわりの種は、1袋2元』
   夜、蘇洲の町を散策しました。といっても、ホテルの
脇を歩いただけですが。
 途中、夜10時すぎにかかわらず、大きなスパー
というか雑貨やが開いていました。

 これは、ラッキーと、中でチョコレートとかお菓子の
土産を買いました。

 子供が、マンガのハムスターが好きなのを思いだし、
よくマンガの中で、ひまわりの種を食べているのを
思い出しました。

 いくつか並んだ棚の中には、日本の飴の袋大の
ひまわりの種が売ってました。モチロン食用です。

 2元で、子供の土産が買えた、ラッキーと思いました。
(1元約14円)

 人にやるときには、日本円に換算し、安い物だと
申し訳けないと思うのですが。
 自分の身内だと、この2元のお土産には、交通費が
何万円もかかっていると思って、強気で渡しています。

 帰って来て、子供にひまわりの種を食べさせましたが、
子供は、ハムスターは好きだが、ハムスターが
食べているひまわりの種は、好きではないと
わかりました。 私は、結構おいしいと思いました。
(平成13年6月17日)

アイコン 『蘇洲のホテルで、年賀状を出しました。1枚5元』
 七  上海から1時間ほどツアーのバスに乗って、蘇洲の
ホテルに来ました。
 年末だったので、日本で書いた年賀状を持って来て
友人に出そうと思いました。

 ホテルのフロントで国際便を頼むと、6枚で30元
でした。

 日本に戻ってから、友人が「元旦に中国から
年賀状が届いたよ」と教えてくれました。

 少しうれしくなっていると、数日して、
知り合いから、家に年賀状が届きました。

 その年賀状には、「今年の正月は、パリにいます」
と書いてありました。
(平成13月6月10日)

『西安のタクシー(つづき)』
 六  西安のタクシーの運転手が、途中のデラックス
ホテルで道を聞き聞き、西安の駅に向かった話は、
先般書きましたが、その続きです。

 海外にいったとき、少しでもその国の様子を見たく、
よく駅に行きます。
 まあ、昔風にいうと、東京で田舎の「なまり」が
聞きたくて、上野駅に行ったと言うような話です。

 西安の駅に行ったのは、夕食後の時間のフリータイム。
 あまり時間がなかったので、駅に着いてもすぐに
帰らなければいけませんでした。
(戻るのに車で20分ほどかかります。)

 駅に着いたあと、20分ぐらい駅の周りを散策して、
駅前からタクシーを拾って帰る予定でした。
 駅前でタクシーを拾って、ホテルのパンフレットを
見せれば、中国語が話せなくても、ホテルに帰れる
と思ってました。

 しかし、下手なタクシーに乗ってトラブルより、
このおじさんのタクシーの方が安全だし、
第一おじさんは、来たホテルを知っている。
と思って、おじさんに、ここに15分待ってくれと
筆談をしました。
(筆談といっても、時計を指差してから、手帳に時間を
22:30〜22:45と書いて、車を指差しただけです。)

 今度は、おじさん、すぐに理解をしてくれました。

 駅前の果物などの並んだ店を見て歩いていると、
運転手のおじさんが来ました。

 見ている店の人の全員が知り合いのなのか、
おじさんは、
 「オレは、この人達を連れてここにきたのだ」と
得意げに店の人全員に話しているようでした。

 私は、心の中で、ここに知り合いがそんなに
いるのなら、なぜ、
「まっすぐ駅に来れないだよ」と思いました。
(平成13年6月10日)

『上海の地下鉄では、駅名をメモしてました』
 五  先回、上海の地下鉄で、切符のカードを買った
話しを書きましたが、
 私は、中国語が、まったく話せないので、
最初に乗った上海駅のホームでは、ホームに書いて
あった『上海站』をメモしておきました。
 着いた次の駅では、そのメモを切符売り場で見せ、
切符を買いました。

 駅名とかホテル名とか、名前をメモっておくと
結構便利です。
 メモをとっておいて、現地の人に、
手帳に書いた字を指差すと、なんとかなる場合も
多いです。(相手にとっては、迷惑でしょうが)

 しかし、失敗もありました。
 西安の兵馬俑抗(へいばいようこう)博物館に
行った時です。

 兵馬俑抗の発見は、井戸を掘っていた農家の青年が、
偶然、地下に埋もれた、陶器の兵士や馬車を発見した
ことに始まります。1974年の話しです。
 これにより、死後の秦の始皇帝をまもる大軍団が
発見されたのです。

 この兵馬俑抗のわきの博物館では、当時兵馬俑を
掘り当てた青年が、(現在は、おじいさん)おられ、
記念の本を買うと、マジックでサインしてくれる
とのこと。
 現地ガイドは、「有名人のサインですから… 」

 博物館入ると、入口付近に机とともにその有名人が
椅子にすわっておられた。
 座っている机の左端には、下敷きの大きさの金看板が
置かれており、黒い文字が書かれていた。

 私は、この人の名前だと思い、いつものパターンで
時間が無い中、その文字を必死に写しました。

 後で、現地ガイドがわきに着たので、「この名前は、
どう読むのですか?」と聞いたら、

 現地ガイドは、笑いながら、「あなたの手帳には、
勝手に写真を撮らないでくださいと、書いてあります」
と説明してくれました。
(平成13年6月2日)

『出来たて、綺麗な上海の地下鉄』
 四  上海の駅前から、地下鉄の入口を探し、地下鉄に乗車。

 95年にできたというこの地下鉄駅、地下鉄の列車は
ものすごく綺麗。まあ、世界で一番綺麗ではないか?
と思った。
 現在は、私の乗った1号線の他、2号線の工事が進んで
随時路線が伸びている。

 符は、行きが自動販売機、帰りは小銭がなくなった
ので、おばさんのいる窓口で買ったが、2元だった。
(1元が約14円)

 乗ったのは、時間がなかったので、1駅だけの往復。

 切符は、テレホンカード(JRオレンジカード)の
ようなもの。降りるとき自動改札で回収されます。

 回収されたので、地下鉄から出るときに、記念に
もう1枚買ってきました。
(平成13年5月26日)

アイコン 『西安、道がわからなければ、
         デラックスホテルで聞け』
 三   夜時間があったので、少し離れているが、宿泊ホテル
から西安のステーションへ行こうと思った。

 ホテルの玄関のタクシー乗り場で、西安の駅を
地図に鉛筆で丸を付け、ホテルの案内の人にここに
行きたいと説明した。

 ホテルの人は、駅なのですぐにわかって、ドライバー
に説明してくれた。
 普段は、これでまっすぐ目的地にいくのだが、
今回のドライバーは違った。

 少し太った、とぼけた親父風のドライバーは、何度も
首を傾げている。ホテルの人が説明すると、
しぶしぶとスタート。

 その後、7分くらいタクシーが走った後で、
止まったところは、私達が泊まっているホテルより、
高級なホテルの前。

 ドライバーの叔父さんは、そこのホテルのボーイに
行き先の住所を聞いている。     
 私はオイオイと思って車から降り、そのホテルの人に
地図を見せ、駅に行きたいだけなんだと、指で示した。

 そのホテルの人も私も笑いながら、ドライバーの
叔父さんに行き先を説明した。

 しばらくして、ドライバーの叔父さん「ニコリ」
やっと駅を理解してくれた。
(平成13年5月20日)

アイコン 『フードで囲まれた、上海の運転席』
 二  海外でタクシーに乗るのは、多少勇気が要るものだが、
多少ドキドキして乗ってみると。
 日本ならば、タクシーの運転席は、ドライバーの
首のあたりに、下敷き大のプラッスチックの板があるの
だけだが、上海のそのタクシーは、全然異なった。
 しっかりと一人分の席が、プラスッチックのフードに
覆われていた。

 ホテルから、目的の上海ステーションに着いた時
支払はどうすればいいのかと思っていたら、
覆われたフードの上、1センチぐらいの隙間から
お金を渡した。

 運転手もお客を、勇気を持って乗せているのだ。
(平成13年5月20日)

アイコン 『黄土の大地、西安』
兵馬俑坑がある古都、西安に着くと、まさにそこは、
黄土の大地。

 空港に迎えのバスに乗り込んだ後、現地ガイドの
最初の説明。
 「広い大地。ここの人達は、一生「海」というものを
見ないで死ぬ人も多い…  。」

 周囲が海に囲まれた日本列島…
 新潟の説明で、新潟の海岸線の長さは?
答えは、「約600km。半分は、佐渡ですが…  。」

 後で、中国の地図をみたら、海岸線から黄河を上って
西安まで、約1,000km。
 中国は、広い。
(平成13年5月16日)

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