関矢橘太郎家蔵(北魚沼郡並柳新田)

 北魚沼郡並柳新田(現広神村)の関矢家は、この地域の名望家として名高い。関矢孫左衛門は、明治10年代に北魚沼郡長就任・20年代に北越殖民社で移民活動を行った人物である。子供の橘太郎は自由民権運動に関わり、衆議院選挙に当選した。孫にあたる孫一も衆議院議員になっており、関矢家は3代にわたって国会議員を勤めた家でもあった。

 現在、関矢家の往時を偲ぶ遺構は広大な屋敷を囲んで積まれた石塀・庭園・蔵に残っている。蔵は上段の写真に見られるように、3棟が1つになっている。向かって左より塩蔵、真ん中が旧蔵、右が新蔵と呼ばれている。下段の写真は、屋敷から見た蔵の写真である。この他に酒蔵があったが、敗戦後取り壊された。

 蔵には近世からの膨大な関矢家文書が保管されており、今後の詳細な調査が待たれるところである。



目黒徳松家屋敷・蔵(北魚沼郡守門村)

 北魚沼郡須原村の目黒家は、並柳新田の関矢家同様、この地域の名望家であ
った。目黒家は、天正18年に北魚沼広瀬谷の地に帰農した中世武士の系譜を
ひく家柄で、初代善右衛門は慶長年間に上條郷15ヶ村の肝煎役を勤めていた
。また幕末期には、大庄屋職も勤めていた。

 目黒徳松は、この目黒家の第15代当主である。明治13年の国会開設請願
運動に関わり、15年には魚沼立憲改進党を結成した。25年の第2回衆議院
総選挙に当選し、中央政界にデビューした。子の孝平も、45年衆議院議員選
挙に当選し、親子2代代議士になった。

 現在国の重要文化財に指定されている目黒家屋敷は、寛政9年に建てられた
もので、豪雪地帯の農家の特徴を備えている。中世武士の館を思わせる屋敷構
えの内部には、藩の役人を迎え入れるための槍の間・中の間・奥座敷があり、
近世村役人層の居宅の性格も有していた。主屋の裏手に、江戸時代後期の築庭
と見られる池泉回遊式庭園がある。蔵は籾蔵・米蔵など7つほどあったが、現
在は中蔵と新蔵のみ残されている。屋敷の裏手の小山に目黒邸資料館が開館し
ており、目黒家の歴史を知ることができる。