1994年 | 『吉川町史』と『黒埼町史』の刊行(横山真一、『自由民権』8町田市立自由民権資料館紀要) 一九九四年の三月、新潟県内で二つの町史が刊行された。一つは西蒲原郡黒埼町の町史で、もう一つは中頸城郡吉川町の町史である。幸い私は二つの町史に関わることができ、多くの貴重な民権史料を目にすることができた。ここでは二つの町史から得られた成果と今後の課題について私見を交えながら述べてみたいと思う。 新潟県出身を代表する民権家として山際七司をあげることができる。山際の約四000点にのぼる史料と小柳卯三郎文書などの県内の基本的な民権関係史料を中心に編集したのが『黒埼町史』資料編三近代である。本書の第一の特徴は、県内で民権運動が起こった明治一三年から日清戦争が起きた二七年までの県内の基本的な民権史料を一覧できることである。第二の特徴として、これまで紹介されたことのなかった民権家の重要な書翰類を掲載したことである。動きのある書翰類を紹介することによって、その時々の民権家の動きや考えを知ることができるようになっている。 『黒埼町史』が県内の市町村史と違う最大の特徴は、一九九八年三月発行予定の民権編であろう。現在約四000点にものぼる山際七司文書を五人の研究者が時代に別に解読しており、この中には明治八年から亡くなる前年の二三年までの山際の日記、県内や県外の民権家から寄せられた膨大な書翰類が含まれている。これらの史料は、本編の『黒埼町史』にほとんど掲載されていない。この史料をもとにした新しい民権像の提起が、今後の課題になってくる。 さて山際と並んで新潟県を代表する民権家として、鈴木昌司がいる。この鈴木の史料を中心に小柳卯三郎文書、山際七司文書、木村秋雨収集史料をもとに編集したのが、『吉川町史資料集―自由民権運動―』第四集である。掲載史料は明治初年の鈴木の大久保利通への建議書から明治二七年の日英条約反対運動までで、『黒埼町史』と同様に二七年までが掲載範囲になっている。また民権家の書翰も多く掲載されており、この点も『黒埼町史』と同じ体裁になっている。この『吉川町史』の収穫の一つは、木村秋雨収集史料から鈴木の晩年の国権的な動きが明らかになったことであろう。一方、課題としては史料調査を行わなければならない地域がまだあり、特に吉川町と同様に政治活動の盛んだった柿崎町の史料調査が待たれるところである。なお善長寺に所蔵されている鈴木昌司の文書の重要な史料は『吉川町史』に掲載したが、町史発行後の再調査でさらに貴重な史料が確認できた。これらの史料については、今後発表していきたいと思う。 |