1998・99年
 九八・九九年の民権研究(横山真一、『自由民権』13町田市立自由民権資料館紀要)
 一九九八年度の民権研究として、研究論文では、本間恂一氏が「高田事件以後の新潟県自由民権動」(『幕末維新と民衆社会』高志書院)をまとめた。本間氏はこれまで十分に明らかにされてこなかった明治一六年の高田事件以後の新潟の民権運動を、地域自由党の解党・自由党本部の募金計画・北陸七州懇親会に触れながら跡づけた。特に自由党本部の募金計画については自由党解党との関わりから、かつて寺崎修氏が本部の動向をまとめられており(「自由党の解党について」『明治自由党の研究』上巻)、本間氏の研究はこれに対応する地域の動向を「山際七司文書」を使い、詳細に迫ったものと言える。自由党本部から見ればもっとも期待された地域であった新潟も、こと募金については他県同様経済的に困難な状況が存在していたことがわかる。それでもなおかつ北陸七州懇親会を実施し、自由党の解党に反対した新潟の民権家は、どういう思いから運動を推進しようとしたのであろうか。本間氏の論文を読みながら持った感想である。
 自治体史では、滝沢繁氏が『与板町史』通史編下巻所収に「自由民権運動と与板」をまとめた。滝沢氏の研究は、これまで明らかにされてこなかった与板出身の民権家齋藤和内の動きを、経営していた漢学私塾「青槐書院」・佐渡の民権運動・交詢社との関係から追究したものである。また同研究は、明治一四年の馬場辰猪の演説会についても触れられている。滝沢氏は、この他に「文明開花期の村芝居の統制と展開」(『幕末維新期と民衆社会』高志書院)をまとめている。この論文は直接民権運動を扱ったものではないが、近世以来の伝統をもつ村芝居を、文明開花の立場から民権家がどのように見ていたか紹介しており、興味深い。
 九九年度の民権研究として、横山真一が「自由民権運動と新潟の青年」(『新潟県の百年と民衆』野島出版)をまとめた。横山の論文は、これまで明らかにされてこなかった一〇年代半ばから二〇年代前半の青年層の動きを、運動の始まり・高揚・連帯・弾圧まで追ったものである。さらに明治一六年の高田事件についても、弾圧によって急進化しつつあった青年民権家(その中心人物が赤井景韶)を取り締まるために捏造された事件であったと指摘した。青年民権運動と高田事件との関連については試論の段階であり、今後さらに追究する必要があるが、弾圧によって短期間で運動から去っていった青年についても追跡調査する必要があると思われる。
 最後に二千年に刊行される民権関係の出版物として、『黒埼町史』自由民権編を紹介しておこう。同町史は、黒埼町出身で新潟の代表的民権家山際七司の文書を中心に編纂されるものである。自由民権編の刊行により山際七司の生涯はもとより、新潟の民権運動見直し・『東洋自由新聞』の経営・地域の大同団結運動の形成・国民自由党の結成などが明らかになってくる。先に紹介した本間氏の研究も、自由民権編編集の一環でまとめられたものである。同書の刊行により、広く民権運動全体に問題提起できると考えられる。夏をめどに発刊の予定であり、現在編集を急ピッチで行っている状況である。



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