阿部恒久(『自由民権運動研究文献目録」三省堂、1984年)


 
自由民権運動の活発な地域であった。山際七司・鈴木昌司ら全国的指導者の輩出、高田事件の発生にそれは象徴される。

 戦前の研究は高田事件の研究から出発したが、1935年には警察官僚の立場からとはいえ、原史料を豊富に用いた永木千代治『新潟県政党
史』が刊行され、県下の運動のアウト・ラインが明らかになっている。

 戦後、田中惣五郎『自由民権家とその系譜』(1947年)が原史料を用いて山際七司の活動を描いたのをはじめとして、民権家の資料が少しずつ発掘されるようになったが、それを精力的におこない新段階を画したのは江村栄一氏らであった。その成果は、高田事件などに関する氏の論文で一部が公になったほか、立教大学により小柳卯三郎関係文書が整理・保管され、西潟為蔵の回顧録『雪月花』が本間恂一・溝口敏麿氏によって公刊されたものの、まだ一部分にとどまっている。とはいえ、江村氏の研究(稿本)を利用して書かれた『新潟県百年史』上巻が、現在のところ、県下の運動についてのもっとも詳しい包括的記述である。

 現在は、それを超える努力が後発の研究者を中心におこなわれている。特に、近年盛行の自治体史編纂の過程で多くの資料が発掘され、斉藤捨蔵・桑原重正ら個々の民権家の軌跡がしだいに明らかになり、地域的には魚沼地方・佐渡地方の運動がより明らかになってきたことなどは注目に値する。

 しかし、それらは相互に関連づけられることなく、バラバラな状態におかれている。この辺で、全県的な視野から史料を集成、刊行したり、研究を中間的にまとめてみることが望まれるが、そのためには、民権運動の研究組織の結成が不可欠のように思われる。

 従来の研究は
運動過程ないし組織動向の解明が中心で、しかも国会開設運動期が主であった。思想分析に及ぶ場合でも、いかに西洋的民権思想を体得したかという点に意が払われた。これからは、地域の抱える課題との関連の究明に意を注ぎつつ、新潟県の特徴である豪農民権思想の特質を明らかにし、いわゆる学習結社・産業結社・宗教結社のたぐいをも発掘して研究の枠を広げ、かつ明治前期の歴史全体のなかで運動を位置づけるような作業が望まれよう。もちろん、部分的には着手されているが。




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