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パール・ハーバーの

思い出  


アイコン  集まった40人ぐらいの人達の中に、他に日本人がいる
のかと見渡すと、日本人と思える人が数人いた。
 少しホットしてよく見ると、その人はSONYと書いた
ハンディのビデオを持っていた。
 よく見ると、その人も含めて、日本人と思われた数人は、
入口で説明用にもらったパンフレットは、中国語のパン
フレットを持っている。
 どうも、40人の中、日本人は私と連れの2人だけの
ようだ。

 ここは、パール・ハーバーにある「アリゾナ記念館」。
 第二次世界大戦の日本の真珠湾攻撃を受けて沈んだ
戦艦アリゾナを祈念して建てられたもの。
 観光ガイドブックにによると、戦艦アリゾナとともに、
1100人を超える乗員が海底に沈んでしまったとのこと。
1941年(昭和16年)12月7日のできごと。

 当時、ハワイの観光名所というとワイキキビーチと
パール・ハーバーしかしらなかった私。
 ハワイへ来た以上は、必ず立ち寄りたいと思っていま
した。 
 ワイキキビーチから、直線で15キロくらいのところに
あります。 私は、タクシーで行きました。

アイコン  視察の流れとしては、まず映画を20分ほど、見たあと
米海軍のシャトルボートに乗り、真珠湾の水面に作られ
た長方形の白いドーム状の記念館(記念碑)に行きま
す。
 この下、水面の下には、海底に沈む戦艦アリゾナの
姿が見えます。 

 時間になって待っていた40人は、シアタールームに
入りました。
 映画の内容は、第2次世界大戦の映像フィルム。
内容は、日本軍が米国を攻撃した様子をまとめた
フィルム。
 私は、ここではさらに不安になり、他に日本人がいな
いか再度見まわしましたが、やはり同じこと。

 映画が終ると、戦艦アリゾナが沈む水面につくられた
白い記念館に行きます。
 シャトルボートに乗る際、15分おきに行き帰りの
ボートが出ているので、しばらくいて何本か後の
シャトルボートでもどって来てよいとのこと。
 私の乗ったシャトルボートは、アリゾナの上の記念館
に向かいました。

アイコン  記念館に着くと、先のボートの視察者が数十人
いました。
 白い記念館は、畳何条分もある四角い壁をくり抜いた
場所が連なってあり、外を眺めたり、それこそ水面の
下を見ることができました。

 15分後。私にとってはやっと15分後といったところ
でした。
 迎えにきた、シャトルボートに乗り、海を渡り、始めの
映画を上映した記念館へ。
私たちは、急いで帰りのボートに乗りましたが、
いっしょに行ったメンバーの多くは、このボートに
乗らず、次回以降の迎えのボートで帰るようでした。

 ボートが着き、最初に映画が上映された記念館に
戻ると無人の受付に、日本語の張り紙がありました。
ドーナツ状の受付で、この日本語の張り紙は、入った
時から貼ってあったのですが、入った際の方向からは、
見えない位置にありました。

 その張り紙には、日本語で「日本人の人は是非
感想を書いてくれ」という内容が書いてありました。
それを見て、私は、ペンと紙を取り、「ここへ、
来たくはなかったが、来なければならなかった。」
と、書いて提出の箱に入れました。

 その後、その記念館にある売店に行き、この記念館
のことを書いてあるパンフレット等を数冊買ってから、
タクシーで、アリゾナ記念館を後にしました。
(平成13年7月18日)

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