直線上に配置

ロ シ ア


アイコン 『ウラジオストック、ハバロフスクどちらが極東の中心都市か』
67  ウラジオストックで聞いても、ハバロフスクで
聞いても、どちらもガイドさんからは、自分の街の
方が極東の中心都市だという言葉。

 ガイドさんが洒落で言ってましたが、ウラジオ
ストックの人がハバロフスクに来ると、
「街の中心の通りが3本しか無い街だと言うけれど、
ウラジオストックだって、メインストリートが
1本しかないじゃない」
 とのこと。

 結局、どちらも、極東の代表都市だと思いました。
(平成16年 5月16日)

アイコン 『展望台で、写真を撮っていいですか?』
66  展望台に行った時、ガイドさんに、ウラジオ
ストックは、ロシアの軍港でもあり、写真をとっても
いいのか心配で、
 「展望台から、写真をとってもいいのか?」と、
聞きました。
 そしたら、ガイドさんの答えは、
 「教会、美術館以外は、どこでも撮ってもいいヨ」
と、答えてくれました。
 それじゃ、日本と同じじゃないか?と思いました。
(平成16年 5月16日)

アイコン 『ウラジオストックの地名』
65  軍港だったウラジオストックは、ロシア人でも都市へ
の出入りが制限されていて、一般旅行客に都市が
開放されたのは、1992年1月から。
(ちなみに、1991年から新潟市と姉妹都市です。)

 ウラジオストックの意味は、「東方(ヴァストーク)を
征服(ヴラジ)せよ」という勇ましいロシア語が
由来です。
 人口は、ガイドブックによると63万人の都市。
(平成16年 5月16日)

アイコン 『ウラジオストック駅のキロポスト』
64  シベリア鉄道の夜行列車が、午前8時30分に
ウラジオストック駅に着きました。
 駅のホームには、迎えのガイドさんの
セルゲーイさんがなかなか、汽車から降りてこない
私を探していました。 写真リンク(写真バックは駅)
 私は、汽車の中なかなか眠れず、朝になって
うとうととしてしまって、結局、終点のウラジオ
ストック駅に着いたのが良くわからず、最後に列車を
降りてしまいました。

 その後、ガイドさんにお願いして時間をもらい
ホームにある有名な、シベリア鉄道のキロポストを
写真に収めました。 写真リンク
(平成16年 5月16日)

アイコン 『運転手さんとお別れ』
63  シベリア鉄道のウラジオストックに行くための
夜行に乗るため、ハバロフスク駅に行きました。
 昨日から、ずーと案内の車を運転くれた、運転手の
ジーマさんとお別れです。
 ジーマさんに「ありがとう」と握手をしながら、
日本語で挨拶を言うと、「また来てください」と
ロシア語で挨拶をしてくれました。
 もちろん、「また来てください」は、脇にいた
ガイドさんが、日本語に訳してくれたのですが
大変嬉しかったです。

 また、いつか、このハバロスクに来たいと思い
ました。
(平成16年 5月 2日)
 これで、「ハバロフスク」の話は終わりです。シベリア
鉄道の旅行記は、No31に書きました。
 次からは、半日の駆け足で見て来た「ウラジオ
ストック」の話を書きます。

アイコン 『ロシアのチョコレート美味しいです』
62  ハバロスクの市場に行った時に、脇にある
店で、チョコレートを沢山買いました。
 新潟へ帰った時のお土産は、このハバロフスクの
チョコレートにしました。
 チョコレートは、包み紙にロシア正教の関連の絵が
描いてあったりして、包みもきれいです。
 ガイドさんが、これは、美味しいチョコだよと
進めてくれた箱も、新潟に持って帰るチョコの箱の
他に、3箱買いました。

 ハバロフスクの駅に着いて、ガイドさんと旅行
会社支店長さん、運転手さんの3人に、お礼として、
このチョコレートを別れ際に渡しました。

(平成16年 5月 2日)
(後で、日本に帰って食べたら、美味しかったです。)

アイコン 『レストランのパンは、残してシベリア鉄道で』
61  汽車に乗る前の夕食のレストランは、時間が
早かったので、全部食べることができませんでした。
 夕食の時に出てきた、パンは紙に包んで、
持ち帰ることにしました。

 シベリア鉄道の中の非常食です。
 ペットボトルの水とこのパンが、シベリア鉄道の
中の唯一の食べ物です。
(平成16年 5月 2日)

アイコン 『ロシアの生ビール、美味しかったです』
60  午後5時20分ですが、シベリア鉄道の発車時間が
あるので、レストランで夕食です。

 こじんまりしたレストランのテーブルに座ると、
ガイドさんがいいました。
 「追加で、ビールのみますか?」
 お腹は、まだすいていなかったのですが、いろいろ
観光地を回ってのどが渇いていたので、ビールを頼み
ました。

 細長いグラスで、生ビールが出てきて、飲んだら
すっきりとして、美味しくて、日本のビールより
美味しいぞ!と、思いました。
(平成16年 4月24日)

アイコン 『昨日のガイドさん、韓国人でした』
59  レストランの椅子に座ると、隣の席には、日本人の
アベックの旅行客が着ました。
 その旅行客の案内をしていたのが、昨日空港で
私を迎えに来るはずのガイドさんがいなかくて、
たずねるために、声を掛けたガイドさんでした。

 ずーと日本人だと思っていたのですが、そこで
「昨日は、ありがとうございました。」と話をすると
そのガイドさんは、韓国出身で日本人の旅行客の
ガイドをしているとのことでした。
(平成16年 4月24日) 

アイコン 『路面電車に乗ってみました』
58  公園の視察が終わり、ガイドさんが「もう早いの
ですが、全部回るところは、終わりましたが、
どこか行きたいところが、ありませんか?」
と言いましたので、ハバロスク市内の道路を走っている
「路面電車に乗って見たい」と答えました。

 ガイドさんは、運転手さんに、先の駅に行って
もらうように頼んで、私とガイドさんは、路面電車に
乗ってみました。
 写真リンク
(平成16年 4月24日)

アイコン 『レシートは、手で切れ目をいれます』
57  路面電車に乗ると、中に車掌のおばさんがいました。
椅子に座ると、車掌が来て切符となるレシートを
買います。
 写真リンク
 レシートは、必ず、手でタテに切り込みを入れます。
 これは、本屋さんで本を買った時をそうでした
ので、どうもここでは、必ずレシートは、切れ目を
入れるようです。
(平成16年 4月24日)

アイコン 『公園の橋の上の花嫁』
56  路面電車に乗ってみたあと、車で公園に行きました。
噴水がきれいな、非常に大きな公園です。
 正式な公園の名前は、聞かなかったのですが、
後で、地図をみるとジナモ公園と言う名のようです。

 午前中の雨もだいぶ前から、すっかりあがり
青空でした。公園の散歩を楽しむ市民も大勢来て
いました。

 結婚式があったようで、新郎新婦を囲む大勢の
グループが向かいの橋の上にいました。
 よく見ると、ウエディングドレスの新婦は、のどが渇いた
ようで、コーラの一リットルビンをラッパ飲みを
していました。
 写真リンク
(平成16年 3月 8日) 

アイコン 『小さな遊園地の乗り物』
55  サーカスの会場のとなりに小さな遊園地がありました。
 いろんな乗り物がありましたが、私が気に入ったのが、
1人乗りの飛行機です。
 すごいシンプルな設備で、よく飛ぶ飛べるものだと
関心しました。
 写真リンク
(平成16年 3月 8日)

アイコン 『サーカスの会場がありましたが、休みでした』
54  大きなサーカスの会場の前に行ったのですが、
休みでした。
 ガイドさんの話では、8月いっぱい講演がない
との張り紙が書いてあったそうです。
 建物がすばらしかったので、見てください。
 写真リンク
(平成16年 3月 8日)

アイコン 『博物館の庭の戦車』
53  博物館の前の庭には戦車が、ずらりと並んで
いました。
 それぞれ、戦車には、看板があり、戦車の重さ、
3人乗り、時速40kmなどと書いてありました。

 旧タイプの戦車から、最近の戦車まで色々あり
ました。
 庭のはじの方には、ミサイルや、小型飛行機の
展示もありました。
(平成16年 3月 8日) 

アイコン 『スチール棚の地雷』
52  赤軍博物館の中の隅にスチールケースの棚があり、
その棚には、何気なく、地雷がいくつか並べて
ありました。

 もちろん、本物の地雷を(信管は抜いてあると
思いますが)見たのは、初めてでした。

 あっさりと、何も説明のないところに、並べて
あると逆に不気味に感じました。
(平成16年 3月 8日)

アイコン 『博物館で買った、熊の人形』
51  赤軍博物館。私は、ガイドさんからは、戦争記念館と
聞いていました。極東地域を主体に活躍した赤軍の
軍隊の関係品などが展示しています。

 この中に、戦争とは関係ない土産物を売った部屋が
あり、私は、そこで、子供の土産として、
棒に掴まった熊の木の手彫りの人形を買いました。
 掴まった棒を動かすと、熊の後にあるスコップが、
熊のお尻をたたきます。

 10ドルもするこの木彫りの玩具を買っているのを
見て、ガイドさんもあきれていたようでした。
(平成16年 3月 8日)

アイコン 『アムール川の橋』
50  ロシアに出発する前に、オプショナルツアーとして、
アムール川の遊覧船を予約していたのですが、
理由は?ですが、個人の遊覧船予約は、中止になった
とのこと。現地ガイドさんから話がありました。
 写真リンク

 代わりに、ガイドさんが、アムール川に架かる橋を
車で走るので、川を眺めにいきましょうとのことでした。

 アムール川に架かる長い橋を、車で渡ることに
なりました。その時には、午前中に降っていた雨も
上がっていました。

 
 橋の上からのアムール川の流れは、すばらしいもの
がありました。  写真リンク

 アムール川の対岸は、ロシア人のセカンドハウスである
「ダーチャ」が数多くあるとのこと。
 土日このダーチャに来て野菜づくりなどを
行うそうです。船で対岸まで行くと、1回600円ぐらい
掛かるそうです。

(平成16年 2月21日) 

アイコン 『平和慰霊公苑』
49  アムール川に架かる橋から少し戻ったところに、
平和記念公園があります。  写真リンク

 この公園は、1995年に設立されたとのこと。
広い公園の片隅には、日本人抑留者の記念碑が建って
いました。 
(平成16年 2月21日)

アイコン 『運転手は、黒海で船に乗っていた人』
48  私を案内してくれた、運転手のジーマさん
昔は、黒海で船に乗っていたとのこと。
 日本語が話せないので、詳しくは聞けませんでしたが
たぶん、軍人では、なかったかと思いました。
 
 写真リンク

 アムール川に架かる橋の上で撮った写真です。
(平成16年 2月21日)

アイコン 『レストランのイタリアン料理』
47  お昼は、石造りのレストランに入って食事でした。
料理は、イタリア料理の美味しいものでした。
 写真リンク

 写真は、その時、いっしょにだった、ガイドのユリア
さんと、現地旅行会社のオーリシアさん(カラフト出身)
です。
(平成16年 2月21日) 

アイコン 『日本人、韓国人、中国人、みんなわかります』
46  時間があったので、ハバロスクのアムール川の近くの
体育大学の近くの教会にいきました。  写真リンク

 教会の入口にいたおばさんに、2ブールを渡し中に
入りました。おばさんは、教会の脇にいて、教会に
来る人に恵みを受けているようです。

 中に入ると、ロシアの人が、聖壇に向かってお祈りを
していました。
 脇にアジア系の旅行集団が、いました。

 ガイドさんに聞くと「中国人」だそうです。
話をしていれば、言葉で私でもある程度、区別ができる
のですが、話をしていなくても、中国人とガイドさんが
言い切ったので、不思議に思ってそのことを聞くと、
「中国人、韓国人、日本人、みんな見ただけで
分かります」とのことでした。
(平成16年 2月 8日)

アイコン 『ロシアの義務教育は?』
45  車の中で、ロシアの教育制度について教えて
もらいました。
 ロシアの義務教育は、7歳から小学校3年、中学校
5年の計8年だそうです。
 その上に高校2年、大学5年があるそうです。
 ガイドさんは、ハバロスクの教育大学で日本語の
勉強をして日本語を覚えたそうです。

 ちなみに学校は、9月1日から新学期が始まり、
冬休みは、12月30日から1月10日まで、夏休みは
6月から8月にあり、この他に、秋休みと春休みが
1週間ずつあるそうです。

 この他、車の免許の取得年齢は、18歳から
だそうです。
(平成16年 2月 8日)

アイコン 『ロシアのコイン』
44  車の中でガイドさんから、ロシアのコインの話を
聞かせてもらいました。
 ロシアのお金の単位は、ルーブル。
私が行ったとき、1ドルが15ルーブルぐらいでした。

 ガイドさんがお金は、1000、500、100、
50、10とお札があって、コインが10、5、2、1
ルーブルとコインがあるそうです。
 1ルーブルの下は、コピという単位があって、
500、100、10、5、1コピがあるそうです。

 その時ガイドさんから、5コピと1コピのコインは
ほとんど流通していないので、珍しいので、あげると
いうことで、1枚ずつもらいました。
(平成16年 2月 8日) 

アイコン 『市場の脇のトラック』
43  市場から帰る時に、目の前を日本車の小型トラックが
横切りました。

 日本の車自体は、珍しくないのですが、
そのトラックのボディには、赤い字で「石川のとうふ」と
書いてあり、下に地元の住所が書いてあったので、
非常に、懐かしくなりました。
(平成16年 1月24日)

アイコン 『市場の隣で、チョコレートとアイスを買いました』
42  市場の隣のセンターの中のチョコレート売り場に
行きました。
 ガイドさんの話では、ハバロフスクのチョコレートは
大変有名で、美味しいとのことでした。
 
 チョコレートは、包み紙もロシアらしいといったら
変ですが、大変きれな絵が描いてあり、お土産にピッタリ。
 新潟への土産ということで、何箱かチョコレイトを
買いました。

 チョコレート屋さんを出た後、近くのアイス屋さんで
2段重ねのアイスをガイドさんと食べました。
 2段のアイスは、下が梅味、上がアプワゴという果物
でした。(でたらめに指差して、アイスを選んだの
ですが)美味しかったです。
(平成16年 1月24日)

アイコン 『ダーチャの近くの電化製品売り場』
41  市場に行く前に、市場の隣のセンターの中の電化製品の
売り場のコーナーを見て歩きました。

 洗濯機は、小さなタテのドラム式のものがありました。
ガイドさんに聞いたら、ヨーロッパから来ているものだ
そうです。
 料理のオーブンも売ってましたが、ガイドさんの話では
ガス不足があるので、そのオーブンは、ガスと電気両方が
使えるようになっているとの説明でした。
(平成16年 1月24日) 

アイコン 『ハバロスクの中央市場』
40  2日目の午後は、雨も上がって、待望のハバロスクの
中央市場へ行くことになりました。
 今回の旅行に行く際に視察地のリクエストをしたのは、
ハバロスクでもウラジオストックでも、普段のロシア人の
暮らしが分かる市場をコースにいれてくれとお願い
しました。

 市場の様子については、私の写真を見てください。

 写真リンク

体育館のようなメインの売り場には、肉・魚がずらりと、
体育館の外のような、外の売り場には、野菜や果物が
売ってました。

 ロシアの市場は、品物がないなどという言葉は、
何十年前のどこの国の話かと思いました。
(平成16年 1月18日)

アイコン 『中央市場のキムチ売り場』
39  ハバロスクの中央市場の体育館のような施設の中の
すみの方に、キムチ売り場のコーナーがありました。

 写真リンク

 ガイドさんに聞きましたら、在露韓国人の人が
ここで売っているそうです。
(平成16年 1月18日)

アイコン 『ダーチャの野菜売り場』
38  中央市場の外の方の売り場に行くと、野菜をバケツで
並べて売っているコーナーがありました。

 写真リンク

 ガイドさんに聞くと、ダーチャ(畑付の別荘)で
取れた物で、自分たちが食べる以外にあまった物を
ここで、売っているそうです。
(平成16年 1月18日) 

アイコン 『郷土史博物館の展示品』
37  博物館に入ると、いろんな展示物がありました。
 シベリアに生息するトラや狐の剥製。アムール川に
生息する魚のホルマリン漬け、マンモスの骨。等々
 写真リンク

 それとシベリアの少数民族の住まいの様子。
シベリアには、16民族16,000人の人口があり、
そのうちナナイ人は、9,000人で、三角の毛皮で
囲ったテントのような住まいを展示してました。
 ナナイ人は、シャーマン信仰があるそうです。
 写真リンク

 博物館は、何階にも分かれていて、ある階では、昔の
商人の家の部屋、農家の家の部屋、・・等を部門展示した
コーナーもありました。


 建物が繋がっていたか思い出せませんが、この郷土史
博物館といっしょに、戦争の様子赤軍・白軍の戦いの
様子を展示した会館も行きました。

(平成16年 1月12日)

アイコン 『郷土史博物館の展示品、〜ミシン〜』
36  郷土博物館の上の方に行くと、ずっと前、実家にあった
のと同じ形の、黒い足ふみミシンがありました。

 よく見ると、そのミシンは、ドイツ製と書いてあり
ました。 写真リンク

 懐かしくなり、つい写真も撮ってしまいました。
(平成16年 1月12日)

アイコン 『郷土史博物館の入場料』
35  入場するときに、入口の窓口のところで、いっしょに
いったガイドさんから、聞かれまいした。

 「ここの入場料は、写真を撮ると別に料金をとられ
ますがとりますか?」

 私は、写るんですの使い捨てカメラしかなかったですが、
追加の31.5ルーブルを支払いました。
(平成16年 1月12日) 

アイコン 『コモソール広場(教会広場)の教会』
34  アムール川のすぐ近くにある公園に素敵な白い
教会が立っていました。
(コモソール広場と書きましたが、ガイドさんに
正式な広場の名前を聞かなかったので、間違って
いたらゴメンナサイ。)

 本当にきれいな教会で、この教会の前で写真を
撮りました。

 写真リンク

 ガイドさんに「教会の中は入れるのか?」
教会の中は、「まだ工事中で入れない。」とのこと。
 私が、「いつ完成するのか?」と聞いたら、
ガイドさんが、「何年かかるかわからない?」
と、ロシア的な?回答が返ってきました。

(平成15年11月16日)
 広場にあった戦争記念碑です。 写真リンク
写真は、ガイドのユーリアさんです。

アイコン 『海外旅行で雨にあったのは・・・』
33  2日目のまず最初に、アムール川を見てから、
永遠の炎を見た後、雨が降り始めました。

 昨日夜見てすばらしいと感じた、レーニン広場に
行った時には、雨は、土砂降りになりました。

 運転手のジーマさんが、私とガイドのユーリアさんの
ところに、傘を持って走ってきてくれました。

 写真リンク

 私たちは、私の希望もあり、レーニン広場の近くの
本屋さんで雨宿りをすることになりました。

 海外で雨にあうのは、一番最初に韓国に行ったときの
民族村以来。
 何回か海外に行きましたが、雨にあったのはこれが、
2回目。それも土砂降りの雨は初めてです。
(平成15年11月16日)

アイコン 『極東最大の本屋さん』
32  レーニン広場の脇にある本屋さんは、極東最大の本屋
さんとガイドブックに書いてありました。

 雨のレーニン広場をあとにして、雨宿りのように本屋に
駆け込みました。

 入口には、ハリー・ポッターの本が並んでいました。
 中に入ると左側が専門書。右側が絵本などが並んだ
コーナーでした。極東最大といいましたが、新潟の少し
大きなブックストアーの程度のでした。

 まずは、右のコーナーに行って、本を見ました。
子供の絵本は、言葉がわからなくても、絵だけ見れば
わかるので、子供のお土産として飼うことにしました。

 いろいろ見た結果、虫の本ともう一冊、計2冊の本を
買いました。
 また、この子供の本のコーナーには、シールがあった
ので見ると、ピカチューのシールでした。このシール
よく見ると中国製と書いてありましたが、やはり、
子供のお土産として買いました。

 左の専門書のコーナーに行ったとき、大学で使う
日本語の本があるだろうと見てみると、余り本は余計に
なく、一つの棚に少し、数冊だけ並んだのがあっただけ
でした。


 先ほど、子供の土産で、絵本とシールを買ったと
いいましたが、日本と支払いシステムがことなり、
お金を払うレジと、本をもらうレジはいっしょでなく、
お互いにすぐ見える場所にあるのですが、離れた場所に
あって、お金を払ってレシートを貰って、そのレシートを
見せて本を受け取るシステムでした。

(平成15年11月16日) 

アイコン 『シベリア鉄道の旅 2002 〜766kmの旅〜』
31  昨年の夏、はじめて乗ったシベリア鉄道の思い出を
綴ってみました。 リンク
(平成15年 3月24日)

アイコン 『ハバロフスクとの定期航空路。今年30年になります』
30  ハバロフスクに新潟市が姉妹都市の締結を結んだのは、
1965年(昭和40年)。
(ウラジオストックとの姉妹都市の締結は、1991年)

 ハバロフスクとの国際線の定期航空路が開設したのが、
1973年(昭和48年)6月。今年で30年になります。
このロシアのハバロフスクの定期便が出来た当時は、
ロシア極東と日本を結ぶ唯一の路線でした。

 ちなみに、ハバロフスクの名前の由来は、1649年に
この地を訪れた探検家エロフェイ・ハバロフスクの
名前にちなんで付けられたものです。
(平成15年 1月 4日)

アイコン 『いくつもの花束が添えてあった、永遠の炎』
29  ハバロフスクに旅立つ前に、新潟市が作成した
姉妹都市「ハバロフスク」を紹介したビデオを見ました。
 その中で、戦争の英霊のために造った「永遠の炎」を
見ました。
 第2次大戦犠牲者慰霊碑の脇にあるこの「永遠の炎」は、
石造りの大地に造られたモチーフ。
 1mちょっとの大きさで、こげ茶色の物で、星形を
しています。中心部には丸い穴があり、炎が吹き出して
います。

 ビデオに見たのと同じように、「永遠の炎」の脇には、
いくつか花束が沿えてありました。
(平成15年 1月 4日) 

アイコン 『土日に通います。ダーチャ』
28  ダーチャは、ロシア人の別荘です。
 ハバロフスクもアムール川を渡ったところに、この
ダーチャがあります。
 ダーチャは別荘といっても、夏場、家庭菜園や休暇を
過ごす場所です。
 アムール川の乗船場から船に乗って、ダーチャのある
対岸に行って、週末に農作業を営む人も多いそうです。
別荘というより、宿泊できる小屋といったイメージだ
そうです。

 ハバロフスクで、市場に行った時に、ガイドさんから
説明があったのですが、ダーチャで作った野菜を
この市場で売っている人もいます。とのことでした。
(平成15年 1月 4日)

アイコン 『ハバロフスク、展望台から眺める雄大なアムール川』
27  雄大な流れを見せるアムール川は、中国名では黒龍江。
流れは、下流のオホーツク海にそそぎます。
(世界8番目の長さ?)
 この川は、中国の境界線にもなっており、中国の
フョーアン?に、このハバロフスクの乗船場の船で
約1時間で着くそうです。この船を使って、日帰りで
中国に買い物行くこともあるそうです。

 ハバロフスクの市街地からつながる展望台から
眺めるアムール川の雄大さは、すばらしいの一言に
尽きます。

 このアムール川も、冬場は凍り、歩いて対岸に行ける
そうです。
(平成15年 1月 4日)
 新潟を出発する前に、このアムール川の遊覧船乗車を
予約しておいたのですが、私が乗船予定の船が故障で、
乗れませんでした。
 その替わりに、ここから離れた場所ですが、
アムール川に架かる橋を、車で案内してもらいました。

アイコン 『すばらしかった、ハバフスクのレーニン広場』
26  今回の旅行で1番すばらしい夜景と思ったのが、
ハバロフスクのレーニン広場。
 到着の日、日本語の迎えのガイドさんが帰った後、
現地の旅行者の支店長さんが、車はあるので英語で
よければ、サービス案内しますので、夜の街の様子を
見ますか?と聞かれ、(英語はほとんど話せない私ですが)
外の街並みを見れるということで、2つ返事でOKで
お願いしました。
 車で、少し行ったところにある「レーニン広場」に
行きました。ハバロフスクの街を象徴する公園です。
 ガイドブックなどにも、ハバロフスクを象徴する写真
として、この広場の大きな茶色の造りの噴水が写っている
ことがよくあります。
 広い広場の回りには、政府機関、銀行、大学、大学病院
等が4方を囲んで建てられています。
 この時、私の心の中では、「あ〜、ロシアに来た」と、
感動がこみ上げて来ました。

 金曜日の夜、現地時間で9時半でした。
 噴水の回りがライトアップされ、非常に綺麗でした。
 噴水を中心に広場には、子供を連れた親子や、遊びに
来た若者達など多くいて、俗にいうお祭りの夜のようで
した。
 また、もし来ることが、あったら絶対夜、またこの
広場を見たいと思いました。

 噴水をしばらく眺めた後、支店長さんと広場の脇にある
出店に行き、缶ビールを買いました。(初めて、ルーブル
を使ったわけですが、ビール大2本。60ルーブルでした)
 この後、広場からアムール川に向かって、歩いて夜の
ハバロフスクの街を眺めることにしました。
(平成14年11月19日) 

アイコン 『大通りに面した店、カラオケをやってました』
25  レーニン広場から、アムール川に向かって、
ムラブィヨフ・アムールスキー通りを歩いて行くと、
金曜日の夜ということで、街はにぎわっていました。
 少し小雨も降ってましたが、傘もささず街を歩きました。
初めてだったこともあり、時間を忘れてこの美しい
メインストリートを川に向かって進んで行きました。
(後で地図を見ると、約2kmぐらい歩いていました。)

 通りの脇には、多くの人が集まってお酒を飲んでました。
建物の前のオープンカフェというような様子です。脇の
ところに、端に幅3mぐらいの飲み物を売った場所が
あります。イメージとしては、海辺の店に丸テーブル
の席と飲み物の売店のような感じです。
 席の中央にはカラオケの機械があり、順番にマイクを
持って歌ってました。もう一度例えるなら、室内の
カラオケを屋外にそのまま出したような感じでした。

 このようなカラオケを通りを歩いている間、数ヵ所で
見ることができました。多くの人が集まって非常に
楽しそうでした。
(平成14年11月19日)

アイコン 『ハバロフスクのインツーリストホテル』
24  日本にコースの説明を受ける段階で、今回のハバロスク
の宿は、インツーリストホテルでなくて、別の新しい
ホテルだと説明がありました。
 この時、インツーリストホテルの意味が実はよくわかり
ませんでした。
 
 アムール川の近くにあって12階建てで、ハバロフスク
で1番有名なホテルだとは、この時知りました。
 友人が数年前、来たときに泊まったホテルも、この
インツーリストホテルだったそうです。
(平成14年11月19日)
 ガイドブックを読むと、イルクーツクにも、インツー
リストホテルがあります。

アイコン 『ハバロフスクの夏、気温新潟と同じくらいでした』
23  ハバロフスク、1月は平均気温がマイナス22℃にも
なりますが、8月の平均気温は19℃。
 天気予報で、新潟は当日の最高気温28℃最低が25℃
でした。
 新潟日報の1面では、ウラジオストックとハバロフスク
の3日間の天気が載っていましたが、今日は雨マーク
でした。
 行って見ると雨は降っていませんでしたが、気温の
方は、新潟と同じでした。
 夏の気温は、あんまり新潟と変わらないと思いました。
(平成14年10月21日) 

アイコン 『部屋のテレビ、ゲストを囲んで討論会をやってました』
22  夜中は、部屋のテレビを見ていました。
 もちろん、ロシア語はわからないので、画面を見ていた
だけですが。

 いくつか、チャンネルを代えていると、真中に美人3人
いて、参加者がその人を囲んで討論会をやっているような
番組をやっています。
 真中のゲストの女性3人は、バーのママさんのような
イメージ。
 明るい楽しい討論会のイメージでした。
(平成14年10月21日)

アイコン 『ホテルの夕食のアイス、美味しかったです』
21  チェックインすると、早速ホテルで夕食とのこと、
フロントの前に3人掛けの丸テーブルが6か7テーブル。
 奥に、ボトルを並べたカウンターがありました。

 お客がいない状態でしたので、一番端のテーブルに
座りました。
 夕食は、黒パンとサラダと野菜仕立てのもう一品。
続いて、メインとして、一つの皿にチキンとご飯がのった
皿が出てきました。
 ごはんは、少し残してしまいました。

 その後、デザートとして、出てきたアイスは大変
美味しかったです。
 透明な大きなグラスに、長方形の3pぐらいの
バニラアイスがいくつも入っていました。オレンジも
少し入っていました。
 以前テレビでロシアのアイスは、美味しいというのを
やっていましたが、ホントにそう思いました。
(平成14年10月21日)

アイコン 『ウラジオ・ハバロフスク、夏は時差2時間』
20  ウラジオストックも、ハバロフスクも日本との時差は、
2時間です。(サマータイム、冬場は1時間)
 日本が10時の時、ロシアの両市では12時です。

 今回の旅で、ウラジオストックから帰る時、
出発が、現地時刻で14時50分で飛行機が飛んで、
新潟到着時刻が、14時15分予定の旅行行程表でした。


 なお、広いロシアですから、地域毎でいくつもの(11)
標準時があります。ちなみに、シベリア鉄道の時刻表は、
原則としてモスクワの時間で示すそうです。
(平成14年10月18日) 

アイコン 『ロシア、ホテルのジェジュールナヤ?』
19  ロシアの古いタイプのホテルには、ジェジュールナヤ
というカギ番の女性がいるそうです。
 この人は、各フロアーの担当で、フロントで宿泊
カードをもらって、自分の部屋のフロアーについたら、
この女性がいる所(部屋?)からカギをもらって、
部屋に入ります。
この女性は、お湯とかクリーニングの注文とか、
いろいろとお客の世話をしてくれるそうです。
(前にフロアー担当が、男性でしたが、中国の西安でも
このタイプでキーを渡すホテルに、宿泊しました。)

 今回ハバロフスクで泊まったホテルは、
こじんまり?とした3階建てのホテルで、私が行く
2ヶ月前の6月にオープンしたばかり新しい綺麗な
ホテルでした。
 ホテルのフロントではがきをもらい、2階のところで
部屋のキーをもらうとの指示がありました。
 階段を上って2階に行くと、階段のすぐ前に
ドアーがオープンになった部屋があり、そこには、
女性(50歳?)が数人いました。
 確かに、各部屋をお世話するために、そこにいる
ジェジュールナヤようです。
 そこで、キーをもらって廊下の突き当たりの部屋に
いきました。
 この人達が、部屋掃除やお客のお世話をしていたので
ジェジュールナヤだったと思います。?

 ちなみに、この女性達の部屋の真下の階。フロントの
階は、カード等をやる部屋でした。
 いつも前を通りすぎていましたが、デェーラー?の
ような担当の女性もいたようです。
(平成14年10月18日)

アイコン 『ロシア、到着したらパスポートをホテルに預けます』
18  ロシアでは、外国のお客がホテルに宿泊する時の
チェックイン時、フロントではパスポートを預けます。
 これは、ホテルに泊まる人のリストをホテルが、
警察に届ける義務があるためだそうです。(?)

 それと、ガイドブックによると、街を歩くときには、
常にパスポートを携帯しなければいけないそうで、
(実際みんなが携帯しているかは?)

 まあ、パスポートがあるにしろ無いにしろ、私の場合、
ガイドさん無しでは、どこもあるけませんでしたが。
(平成14年10月18日)

アイコン 『ハバロフスク、9割が日本車です』
17  ロシアの道路は、日本と逆で車が右側通行です。

 ガイドさんの説明では、9割が日本車とのこと。
確かに、よく見ると、日本の中古の車がほとんどで、
日本で走っていたペイントのままです。
 ハバロスクでみた、軽トラックで、脇に「石川のとうふ」
と書かれた車も走っていました。
(平成14年10月14日)

アイコン 『ハバロフスク、空港の出迎えは?』
16  空港到着後、入国審査や税関を抜けて、現地ガイドさん
がいる予定の空港の出迎えに来ました。
 手荷物も、機内預けが無く、肩のバック一つだったので、
比較的早く、出迎え所に出ることができました。
 現地では、日本人の観光客を迎えに、15人くらいの
現地ガイドさんが、名前を書いた紙などを持って集まって
いました。
 空港の出迎えの場所もそんなに広くなく、奥行き5m
幅20mぐらいで、いる人がみんな見渡せます。

 私の名前を持ったガイドさんを探すと、→いません!

 まあ、ソウルでもガイドさんとしばらく会えなかった
こともあったし、まあいいかと思ってもみましたが、
やはり、ソウルとは違い、初めての土地。段々不安に
なりました。
 もしかしたら、ハバロスクで日本語の話せる人が、
ここに全部集まっていて、このガイドさんも、荷物を
もったお客さんのグループがここに出てくれば、
その人達を案内するので、しばらくするとここには、
日本語を話せる人が誰もいなくなる・・・と、かってな
ことを思いました。

 現地ガイドの女性の1人に、私のツアーのスケジュール
ブックを見せると、そのガイドさんが言うことには、
「数年ガイドをやっているが、その旅行会社は知らない」
その人が、回りの女性ガイドに、そのガイドブックを
見せてもやはり知らない。とのこと。
 15メートル先ぐらいに、無料の電話があるので、
そこで、聞いてみたらとのアドバイス。
 電話の脇に行くと、電話は1台しかなく、男性が
ず〜と話し中。(あいてたとしても、電話で本当に
話ができるか不安でした。)

 戻って来ると、ガイドさんグループの1人の男性が
ガイドブックを見ると、「この旅行社は、知っている」
といって、すぐ脇の空港のアナウンスコーナーに行って
アナウンスを頼んでくれました。

 アナウンスの後で、迎えのガイドさんが掛けつけて
来てくれてやっと会うことが出来ました。

 この間、15分ぐらいですが、やっとホット。
 まだ、お客のグループを待っているガイドさん達に
お礼をいって、迎えのガイドさんとともに車に乗り込み
ました。
(平成14年10月14日)

アイコン 『シベリア航路、飛行機の隣の席は旅のベテラン』
15  ハバロスク空港行きの飛行機に乗ると、飛行機の
中は、ほとんど満員でした。
 飛行機は、ダリアビア航空のツポレフ214で
164席。
 乗っているお客を見渡すと、旅のベテランや仕事で
乗っている人が多いことがわかります。この他、石川県
など都市交流の中学生グループが2組乗っていました。
 考えると「あま、一番先の海外旅行で、ロシアに来る
人は、ほとんどいない?」とかってなことを思って
しまいました。

 私の両隣の席の女性も、旅のベテラン。
 右隣の人は50歳くらい。聞くと「東京から、もう
数年に渡りこの路線でロシアに来ている」とのこと。
 「仕事は?」と聞くと「輸入関係?」
よく聞くと、「結婚相談所の職員で、ロシアの女性に
会いに来た」とのこと?。

 左隣の女性は、65歳くらい。
 アフリカの全部の国も廻ったし、ほとんどの国に
行ったとのこと。
 アフリカなど、計10万円ぐらいの経費で宿も
現地調達で、3月ぐらい行ってくる。飛行機は、この
路線は初めてだが、いつも、アフリカに行くときは、
価格が安いのでロシアの飛行機で行くとのこと。
 今回は、ツアー参加で1週間ぐらいハバロスクに
いるとのこと。アムール川の川下りの遊覧もするが、
この体験は、あとで○○新聞(中央紙)の夕刊に、
シリーズで掲載する契約で来ているとのこと。

 この2人にはさまれ、あなたは?と
聞かれ「単なる新潟空港のファンです」と答えました。
(平成14年10月14日)

アイコン 『シベリア鉄道。グリーン寝台を貸切』
14  シベリア鉄道を1人で乗るということで、旅行社での
事前予約の時の話です。

 シベリア鉄道はの寝台車は、
 普通は、2等のハードクラスで、ベットが下2つ
上2人つの2段ベット。4人部屋です。
 日本で言うグリーン車が、1等がソフトクラス。
2人部屋で、ベットが1段です。

 汽車に10数時間も乗るので、危ないと行けないので、
1等席を2人分貸し切れば、自分だけで部屋にカギを
掛けられるということで、シベリア鉄道は、ソフトクラスを
2席予約して、カギを掛けるように予約をしました。

 ちなみにガイドブックによると、99年の料金表が
乗っていましたが、
 ウラジオスットク〜ハバロスク間が、ソフトクラスで
53USドル。ハードクラスで41USドルでした。
(平成14年9月24日)

アイコン 『ロシアの犬は、カフガフ』
13  路上で、犬が鳴いていたので、犬がどんな鳴く声に
ロシア人は聞こえているのだろう?と思いました。

 そこで、犬の鳴き声をガイドさんに聞きました。
日本ではワンワンですが、犬の声はどう聞こえますか?
 ロシアでは、大きな犬がホーイホーイ。
小さな犬がカフガフです。
 大きな犬と、小さな犬で泣き声が違うそうです。

(注)私の聞き違えで、大きな犬と小さな犬、鳴き声が
  逆ででしたらゴメンナサイ。
(平成14年9月24日)

アイコン 『ロシアに入るには、バウチャーが必要です』
12  ロシアに入国するには、ビザの他にバウチャーが
必要です。
 旅行会社に頼んでバウチャーを手配しますが、
バウチャーとは、ロシア旅行の日程と滞在ルートの
予約証明です。並びに、これに伴う費用について、
出発前に事前に全部支払ったという支払い証明です。

 バウチャーは、予約・支払い証明書です。

 今回も、ハバロスクとウラジオストックで計3人の
ガイドさんにお世話になりましたが、ガイドさんが
替わるたびに、バウチャーは?と言われ
バウチャーのコピーを見せていました。
(平成14年9月24日)

アイコン 『お金は、ドルの方が便利?』
11  ロシアのお金の単位は、ルーブル。
 ルブールは、原則として国外持ち出し禁止です。
ドルや円を持って行って、現地で両替し、出国する際に
再両替をします。
 私の場合現地で、50ドルをホテルでルーブルに両替して
もらいましたが、1500ルーブルでした。

 入国の際に、持ち込むドルや円を申告し、出国する際に
持ち出すドルや円を再度申告します。
 この際、金額が減っているのが当たり前ですが、金額の
書きミス等でお金が増えていると大変です。ロシアで仕事を
したのではないか?と疑われるようです。

 出国する際に教えてもらいましたが、お金を再度両替する
時には、原則としては最初の両替証明が必要とのこと。 
 再両替は札の単位しかしてくれませんので、
円は、千円単位。ドルは概ね100円単位です。
この点でドルが便利とのことでした。
(平成14年8月28日)

 ロシアでの外貨通用度で円よりドルが上ということを
聞いたことがあります。
 なお、円⇒ルーブル⇒ドルの両替については?

アイコン 『シベリア鉄道、ハバ〜ウラジオは、766km』
10  シベリア鉄道のスタートは、ご存知モスクワ。
モスクワスタートのシベリア鉄道の終点は、ご存知
ウラジオストック。ホーム中央に大理石のキロポストが
建っていて、9288kmと書かれている。

 時刻表では距離数が、モスクワからウラジオストックが
9297kmと書かれてあるそうで、若干距離が異なる
そうです。時刻表では、ハバロフスクが8531km
ですので、差し引き766kmのシベリア鉄道の旅です。
(平成14年8月26日)

アイコン 『大統領が来るので、道路工事?』
 今日の新聞にも載っていましたが、ハバロフスクで日本
ガイドさんから真っ先に聞いた説明が、
 「ハバロフスク、道路工事多いでしょ。8月に大統領が
来るから、道路工事が多いのです」
 私「いつ来るのですか?」
 ガイドさん「それは、秘密なので誰もわかりません」

 地元で、このうわさが広がっていたのは確かなようですが
結果的には、今日の新聞にあったように、朝鮮民主主義人民
共和国(北朝鮮)の金正日総書記のハバロフスクの工場
視察が8月ありましたが、プーチン大統領と金総書記との
懇談が行われたのは、ウラジオストックでした。
(平成14年8月26日)

アイコン 『ヨーロッパの香り、ロシア』
 ロシアに行く前に、旅行会社の方から、極東は住んでいる
人も建物もヨーロッパ風で、近くなのにヨーロッパの雰囲気
が味わえますよとアドバイスをもらいました。

 実際、ロシアは世界最大の面積を誇る国で、
ウラル山脈を鋏んで、ヨーロッパロシアとアジアロシアに
分かれるといわれています。
 でも教えてもらったように、ハバロスクもウラジオ
ストックとも、アジアというよりも、ヨーロッパの雰囲気
でした。
(平成14年8月20日)

アイコン 『一番近い外国は、ロシアです』
 ウラジオストックから飛行機に乗って新潟に帰って
着ましたが、帰りの飛行機の飛行時間は、キッカリ1時間
20分。
 時差の2時間を調整して、新潟空港に着くと、出発時間
より前の時間になりました。
(注)時差は1時間ですが、夏場はサマータイムで、2時間
の時差になっています。

 日本から一番近い外国は、よく韓国と言いますが、
新潟から一番近い外国は、実はロシアでした。
(平成14年8月20日)

アイコン 『ロシアのツアーは、2人以上の申し込みで』
 ウラジオストック3泊4日もハバロフスク3泊4日の
ツアーもいずれも催行2人以上。
 昨年から、誰か行く人がいたら、いっしょのツアーで
お願いしたいと旅行社にお願いしていたのですが、
自分の日程と催行日と合いませんでした。

 今年の夏もダメかな〜と思っていると、旅行社の方から
「少し割高ですが、オリジナルで組みましょうか?」
との話があり、2つ返事でOKをしました。
 木曜日出発−日曜日帰りのウラジオストック3泊4日
 金曜日出発−月曜日帰りのハバロフスク3泊4日
 木曜日出発−月曜日帰りのウラジオストック、シベリア
鉄道、ハバロフスク4泊5日間
 どれにするか迷いましたが、仕事で日程がそれほど取れ
ないことに気づき、ウラジオストックかハバロフスクかで
迷いました。

 結局、旅行社にお願いし、
 金曜日出発−日曜日帰りのハバロフスク、シベリア鉄道
ウラジオストックの2泊3日(1泊は車中)を申し込む
ことにしました。
(平成14年8月20日)

アイコン 『定期便で、ロシアへ行った人数は?』
 新潟市役所からもらったパンフレットの統計を見ると
平成11年にロシア行きの国際定期便に乗った人は、
 ハバロフスク便   行き7028人 帰路6962人
 ウラジオストック便 行き8374人 帰路8517人
 イルクーツク便   行き 349人 帰路 357人
    計       15741人  15836人
と書いてありました。
 年間約1万6千人の人が、ロシアに新潟空港から行って
います。
(平成14年3月31日)

アイコン 『ダリアビア航空のパンフレットをもらいました』
 このまえ、県庁に行ったときに、パスポートの発行所の
となりで、1枚だけですがダリアビア航空のパンフレットが
ありましたのでもらって来ました。

 このパンフレットによると、冬場、ハバロフスク空港に
到着する国際線は、新潟・青森の他は、ソウル週3往復便と
中国の広州・ハルビンから計週3往復便ということが
わかりました。
 ちなみに、ハバロフスクからの国内線は、モスクワには
毎日定期便が往復しています。この他、ユジノサハリンスク
もほぼ毎日飛んでおり、この他、イルクーツク、
カムチャツカ、ノボシビルスク、ペテルスブルグの
4ヵ所に週数便定期便が飛んでいることがわかりました。

 これで、旅行社の人の話ですが(もちろん新潟の)、
新潟からハバロフスクに行く人は、他の地域に経由のため
行く人も多い。という話がなんとなくわかった気が
しました。
(平成13年12月22日)

アイコン 『日本から、ロシアに行く航空路は少ないです』
 新潟から、ウラジオストクとハバロフスクには、週2便の
定期便が新潟から飛んでいます。
 この前、富山へ行ったときに観光パンフレットを見たら
富山から週2便ウラジオストクに定期便が飛んでいるのを
見て、結構ロシアへは、日本の各都市から定期便が飛んで
いるんだろうと思ってました。

 しかし、ロシアの観光ガイドブックを見てみると、
ロシアへの直行便は、成田―モスクワ便が日に1往復で、
曜日によっては2往復で、週10便未満。この他には、
函館―ユジノ・サハリンスク便が週2便が飛んでいるだけ。
関空―モスクワが週1便(運休?)。
 ホームページで検索すると、夏場は青森―ハバロフスク
便が週2便飛んでいます。
 新潟・富山で週6往復も飛んでいるので、各都市から
定期便が飛んでいるものと勝手に思っていましたが、
季節便を除き、日本から直接行く定期便がこんなに少ない
とは思いませんでした。
(平成13年10月20日)

アイコン 『毎日、新聞の1面ではロシアの天気が載っています』
 新聞ですが、新潟日報の1面にある天気予報です。
ウラジオストック、ハバフスク、ハルビン、ソウル、
上海の順に、今日、明日、明後日の3日間の天気予報が、
毎日載っているのをご存知でしょうか?

 何度か、海外旅行をしている人に聞いても、
知らなかったという人が多いです。
(平成13年7月7日)

 この前、ロシアの国内線の墜落事故がありましたが、
飛行機は、新潟からウラジオストックに飛んでいる機種と
同じものだそうです。

アイコン 『昭和48年からの国際航空路、ハバロフスク』
  1   新潟空港が、国際空港になったのは、このハバロフスク線が
できてから。
 
現在、定期便が極東の3都市に就航している。
 〇 ハバロフスク便 ― 毎週月・金出発
 〇 ウラジオストク便 ― 毎週木・日出発
 〇 イルクーツク便 ― 毎週金出発(春から秋) (現在運休中?)

 ツアーの旅行も、ハバロフスク3泊4日、ウラジオストック3泊4日
どちらとも15万円ぐらい〜 の物が出ています。
 この2都市を結ぶ、シベリア鉄道利用の4泊5日のツアーも
あります。
(平成13年5月16日)

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