直線上に配置

中   国


『上海の外灘の夜景は、すばらしかったです
五十四  上海の外灘(バンド)は、上海の観光パンフ
レットの表紙になっているように、昔、疎外地で
フランス領やイギリス領だったところのため、
ヨーロッパ風の建物が並んでいます。
 川の向には、上海のシンボルタワーと言うべき、
東方明珠塔(テレビ塔)も見えます。
 川には、明るいライトをつけた、観光船も走って
いきました。

 本当に、上海の外灘の夜景はすばらしいと
思いました。
(平成17年 1月10日)

アイコン 『中国の日本の時差は、1時間
五十三  日本と中国の時差は、1時間。
 日本が、午後9時のとき、中国が午後8時です。
広い中国が、この時差で統一させています。

 飛行機が遅れ、それから、上海の疎外地であった、
外灘のすばらしい夜景をみて、レストランで夕食を
食べ宿泊のホテルに着いたのは、中国時間で、
午後11時20分。日本時間で、0時20分。
 子供たちは、完全にグロッキーでした。
(平成17年 1月10日) 


アイコン 『上海便の出発が4時間遅れました
五十二  7日の日、午後2時5分発の定期便で、新潟から
上海へ家族で旅行をするとになってました。
 しかし、出国手続きを終わって、搭乗カウンターで
まっても、いっこうに搭乗改札が始まりません。

 アナウンスで説明があり、「機内の再点検を行って
いますので出発が遅れます」との説明のみ。
 その後のアナウンスで、「搭乗の際には、全員の
セキュリティを行います」とのこと。
 約3時間後、搭乗手続きが始まりました。ちょうど
正しくスタートしていれば、上海に着いた時間以降です。

 ものすごく厳しいセキュリティ検査で、電卓や
デジカメは電源のスイッチを入れさせられるなど、
一品一品、細部にわたるチェックでした。

 搭乗後、約4時間遅れで、飛行機が出発しました。

 今回は、初めての家族の海外旅行。初めての子供
たちは、「いつも、こんな検査をするの?」
と、質問をしていました。
(平成17年 1月10日)
 帰国後、8日付けの新聞を読むと、機内に爆弾を
しかけたとの女性の声の予告電話があったからだ
そうです。 


『天安門広場近くは、横断歩道を渡りましょう
五十一  北京の道路は、どこもラッシュです。
 道を横断するときは、「勇気」優先で渡らないと
いつまでも渡れないとの冗談もあります。
(No17で、上海の道路の話を書きました)

 天安門広場の近くを通ったとき、ガイドさんの
話しです。
 この天安門広場の通りは、横断歩道を渡って
この勇気ある横断はしては、いけません。

 国の象徴であるこの広場の前の道路は、
交通取締りが厳しくもし、警察に見つかると
厳しく罰を与えられ、罰金では済まないそうです。
罰金の替わりに、罰をあたえられこの道路で、
交通整理をやらされたりするそうです。
 刑期は、2週間とか、次の違反者が現れるまで
とかだそうです。(真偽は?です)
(平成15年 2月 2日)

北京の夜、京劇を見ました』
五十  北京の夜、ツアーで京劇を見に行きました。
 京劇は、中国を代表する舞台劇です。
ステージの上では、鋭い隈取りをした顔に、煌びやかな
衣装を着た、主人公が踊りを舞って、芝居をする進めて
いきます。

 私が、見に行った時、項羽と愚美人の最後の別れの
場面をやっていました。
 項羽は、指揮官の部屋で、敗戦せまる状況を踏まえ、
愚美人を心配し別れを告げるのですが、愚美人は
別れを拒み、お伴をすると申し出る場面でした。
 もちろん、劇は中国語ですが、俳優の演技や
中には剣や槍などのアクションの立ち回りもあり、
ドラと拍子木の音が会場に鳴り響く中、話が
進みます。

 違う話ですが、今のNHKの中国語講座で、発声を
担当する女性の方は京劇のスター。
 番組の中、秋には、京劇を紹介するということで、
実際に京劇の衣装を着て、愚美人の別れの場面を
演じていました。
(平成15年 2月 2日)

『中国の裁判は、4段階2審制
四十九  この前、中国情勢の話を聞きました。
 その際中国の裁判制度の話が出ていて、先生が答えて
いました。
 昨年南京で、毒入りの肉まん事件があったそう
ですが、犯人は、死刑になったそうですが中国は
どのような裁判制度ですか?との質問でした。

 日本は、3審制ですが、中国は裁判所は4段階ですが
どこから始まっても、再審は1回だけの、4段階2審制
だそうです。

 それも、2審査は結審が早く、1審の決定後2週間で
判決がでるそうです。
 もし、死刑の判決がでると、2週間で執行になる
ようだとの話がありました。
(平成15年 2月 2日)

アイコン 『上海から西安の乗り継ぎの飛行機の中で
四十八  上海・西安のツアーで、上海から国内線で西安に
行く飛行機に乗った時の話です。

 飛行機が定刻時間になっても、出発せず、遅れるとの
アナウンスがありました。
 隣の席の中国人の男性が、アナウンスのマネを
していました。
(後でわかったのですが、この飛行機は、名古屋発の
上海経由、西安行きの飛行機)

 隣の席のオジさんが、「あなたも日本人と?」
と、いうようなしぐさで、私の方を向いてきました。
 飛行機は、まだまだ出発が遅れるようです。
 最終的には、飛行機の座席についてから、飛行機が
動き出すまで、約1時間の時間がありました。

 私はバックの中から、持って来た「指差し会話帳の
中国語」を取り出し、会話を試みました。
 この会話帳は、単語別に絵と中国語・日本語が
書いてあり、単語は使う用途別にまとめて書かれて
います。

 この会話帳で、話してわかったことですが、
隣のオジさんは、陳さんといって51歳。
 経歴としては、台湾で4年間大学生をやり、
28歳からアメリカで技術者をやっている
とのことでした。
 陳さんの隣の隣の席にいる女性が奥さんで、この
家には子供は2人いる。とのことでした。

 今回陳さんは、同級生100人と故郷に戻るために
この飛行機に乗って西安に行くとのことでした。
自分より後の席ずっとが、陳さんのグループのメンバー
とのことでした。
 飛行機の私の席は、この100人の乗客と、そうで
ない乗客の接点となる席だったわけです。

 陳さんはアメリカで仕事をしているとのことで
したが、私が英語が苦手なせいもあり、この会話の
ほとんどが、この本を指先ながらの会話でした。

 陳さんも、隣の同じグループの人とも、話をして
いましたので、私とこの指差し会話は、結局出発まで
の1時間のうち、約20分ぐらいでした。


 西安の空港に着いた時、いっしょのツアーの人が
私に聞きました。
「ツアーの中で、1人だけ飛行機の席が離れていた
けど、さびしくありませんでしたか?」
 それに答え、私が言いました。
「実は、隣の席の人とず〜と、話をしていて、
とても、大変楽しかったのです」と。
(平成15年 2月 1日) 


アイコン 『中国のニュースのスタートは、天安門広場
四十七  昨日、中国13億人の指導者が代わりました。との
ニュースが報道されました。
 中国共産党の中央委員会の総会が開かれ、新しい
中国の指導者胡錦濤(こきんとう)総書記59歳を選出。
(改革以来、第4世代に移ったと言われています。
第1世代の毛沢東・周恩来氏ら、第2世代のケ小平・
趙紫陽氏ら。そして、89年の天安門事件以後の第3
世代の江沢民氏らに続くもの。)

 このニュースを見ていて、ニュースのスタートの
画面は、毛主席の写真が掲げられいる天安門広場から
いつもスタート。
 この天安門は、中国を象徴する場所であります。
 私たち日本人が行った時も当然、名所として見学しま
した。その時回りを見ると、この天安門中国の人の
見学も大変多いでした。
 ガイドさんによると、中国国内の旅行も前より盛んに
なってきいる。地方の人も中国の象徴であるここに
来る人が増えていますとの説明。
 考えて見れば、日本人のすべての人が、東京に行った
ことがあるわけで無いように、当然13億人の人口の
すべてが、天安門を見ている訳ではないと。あたり前の
ことにきずきました。
(平成14年11月16日) 


中国の車のナンバーは?』
四十六  中国の車のナンバーについて、現地ガイドさんから
聞きました。
 中国の車のナンバーは「京B02285」とかに
なっていますが、最初の「京」は北京とか都市を表し
ます。次のアルファベットについて、Aは政府・外国の
企業、Bはレンタル会社(私たちが乗っているこの車も
そうだそうです。)、C〜は、北京の区で分けるある
そうです。
 その次の数字はアルファべットでも良いそうで、
ナンバーは自分組み合わせて申請するそうです。
 イニシャルや誕生日でも良いそうです。前に香港でも
聞いたのですが、8という数字は縁起の良い数字で
人気があるそうです。
 自分で申請するということで洒落て、CIA007と
いうナンバーの申請があったそうです。
(平成14年11月15日)

『天津は、900万人の都市
四十五  中国の首都北京から、南東に約150kmにある
天津は、人口900万人の大都市。
 中国には、4つの中央直轄市がありますが、この天津も
直轄しです。あとの3都市は、北京・上海・重慶です。

 今回のツアーでは、仁川空港からこの天津空港に飛んで
中国に入りをしました。その後、迎えのバスで高速道路を
走り、北京に到着しました。
 現地ガイドさんによると、都市は、北京近郊の貿易港
として発展してきたし、今後も北京オリンピックを控え
飛行機の乗り入れも含め、北京だけでさばききれない
人の流れは、この天津市が担うのだそうです。
(平成14年11月15日)

『ニセ物にまでいきません。コピー商品
四十四  観光地の売店に行って、店に売っている物について
現地ガイドさんに聞きました。
 あの品物は、かなり安い値段がついていますが、
ニセ物品商品でしょうか?と聞くと

 ガイドさんが洒落て、「あのクラスだと、ブランド
商品のニセ物にまでいきません。私達は、コピー商品
と言ってます」とのことでした。
(平成14年11月 3日)

アイコン 『北京の朝、タクシーに乗りました(その2)
四十三  北京市内の車は、ラッシュのため、数車線あっても、
信号で止まるときは、空いた車線を探し、1台でも
少しでも前に行ける車線があれば、その車線に移って
1台でも前に出ようよして止めます。

 駅を少し見た後、北京駅のタクシー乗り場でタクシー
に乗りました。
 ホテルに帰る時のタクシーも、運転手の隣の席に座り
ました。
 昨日は、同じ大通りを通っても、車が混んで全然前に
進みませんでしたが、今日は、車がスムーズ。
昨日と異なり、運転手は出せるだけのスピードを
出します。
 しかし、信号で止まる時は、やはり車線の中で
空いている場所を探して、空いている1台でも前の
車線に止まります。
 スピードがかなり出ている中で、トラックやバスの
大型車の後に止まるのは、かなりのスリル。
 
 信号が青になって、走り出して、トップスピードの時
隣の運転席のスピードメーターを見ると、時速100
km近く。締めているシートベルトにさわりながら、
思ったことは、普段、車がラッシュなのはありがたい
ことだと、ふと思いました。
(平成14年11月 3日)

アイコン 『北京の朝、タクシーに乗りました(その1)
四十二  ホテルの朝食前に、少し離れたところにありますが、
昨日行けなかった、北京駅に行って見ようと思いました。
 中国は、ご存知のように車のラッシュで道がいつも
かなり混んで車が余り進みません。しかし、この時は、
朝早かったので、車はスムーズに走りました。

※その前に、北京のタクシーについて
○ 車は、日本の逆の右側通行ですので、タクシーの
 運転手は左側に乗っています。
○ 運転席は、安全の為に、柵のようなもので席が
 囲まれていました。 写真リンク
 現地ガイドさんの話では、イメージが悪いところが
 あるので、2008年の北京オリンピックまでには、
 廃止するとの話が出ているそうです。
○ 1人で乗った場合、日本人だとタクシーの後ろの
 席に乗りますが、本当は、運転手の席の右に乗るのが
 本当のようです?
○ 料金は、10元からスタート。(1元15円程度)
 市内の移動だけでしたら、距離にもよりますが、
 20元ぐらいで十分でした。
(平成14年11月 3日) 


ホテルの売店のおつりの袋』
四十一  泊まったホテルの入口の脇に、土産物を売っている
売店がありました。
 色々買い物をした後、お金を「元」でなく「円」で
出そうとすると。
 店員さんも、気を使ってくれて、買い物の際に、
日本円で払ってくれたお客に対し、普段はあまり
やらないのですが、お釣りを円のコインで戻してくれる
とので、100円とか10円が入った巾着のような
小さな袋を出して、お釣りを数えはじめました。

 よく見ると、その小さな袋の中には、ウォンのコイン
も混ざって入っていて、店員さんは、間違って韓国の
ウォンの100コインを渡そうとしていました。

 間違っているというと、円でお釣りを出してましたが、
もし、100ウォンだったら、使う場所があっても、
10円の価値です。
(平成14年11月 3日)

『黄砂。モンゴルの砂、ロシアの風
四十  この前中国に行った時のガイドさんの話です。
 日本にも、黄砂が降るかもしれないが、
この砂ぼこり、砂は、モンゴル。風は、ロシアの北風で
飛んでくる。
 中国も、困っている。と言ってました。

 日本では、黄砂は中国からと報道されているのに?
(平成14年10月12日)

『ガソリンスタンドの排気ガス測定
三十九  北京市内は、車のラッシュ。
市内の交通規制も、車の増加台数に追いつかない状況。

 市内に入る高速道路のパーキングにあるガソリン
スタンドでは、市内に入る車の排気ガス測定を出来る
設備がありました。
 ガイドさんによると、市内の排気ガスを減らすため、
測定して、排気ガス水準以上の車を入れないことをする
為だそうです。
 全部の車を測定している訳では無いのですが、
ガソリンスタンドに、そんな設備がありビックリ
しました。
(平成14年10月9日)

アイコン 北京のマックのハッピーセット』
三十八  北京にも、マクドナルドがあります。
ケンターキーの次に出来たファーストフード店だそうです。
 街の数ヵ所に赤い看板にMのマークがありました。

 入ってみると、ハッピーセットの週替わりのポスターが
貼ってありました。
 ポスターは、日本のハッピーセットの玩具と同じ
物でした。

 確かに、日本で買っても、包みのビニールには、
日本語、英語、中国語、韓国語といろんな国の言葉が
書いてあったことを思い出しました。
(平成14年10月9日)

アイコン 『子供料金は、身長で
三十七  昨日、NHKの中国語講座で話してましたが、
汽車の料金等について、日本では、年齢で子供料金が
決まりますが、中国では年齢でなく、身長で決まる
そうです。

 110cmまでが無料。110cmから140cmが
大人料金の半分の子供料金だそうです。
 駅でよくみると、身長を測る横線があるそうです。
(平成14年8月31日)


『黄砂が17日、新潟に降りました
三十六  黄砂を聞くと中国に行ったことを思い出します。
 西安についた時は、空港でまさに黄砂の都市と思い
ました。
 都市全体が、黄色い空気に包まれたような雰囲気で
した。

 黄砂は、春の使者と呼ばれ、中国北部やモンゴル
砂漠の砂が、偏西風に乗って日本に運ばれて来るもので、
3月〜5月に多く見られるものです。
 この黄砂が新潟で、今年は3月17日に観測され
ました。
 この黄砂の記事を新聞で読みながら、中国のことを
思い出しました。
(平成14年3月31日)

『知り合いに似た顔の人がやってました。
               上海雑技団
三十五  上海雑技団とは、上海で有名なサーカスです。
実際に見に行って本当にすばらしいと思いました。
日本のサーカスのように大掛かりな道具を使って
やるものは無く、ステージの上で、鍛えられた人の
技を披露するものがほとんどです。

 ツァーの中で上海の夜は1晩だけ、事前に新潟の予約
段階からこの有名な上海雑技団を頼んでおきました。
 ショーの時間は、正味約1時間半ぐらいでしたが、
いくつものショーが組み合わされて、アットいうまに
終わった感じでした。

 10ケぐらいのショーの中で、いくつかおもしろ
かったものを紹介すると、
 ・ やはり1番すごかったのは、ショーの最後を飾った
 ショーで、順番に椅子を重ねていき、その重ねた
 椅子の上で、女性6人が一度に逆立ちをするという
 ものです。
 ・ 男性が長さ1m幅50cmぐらいの穴のあいたの筒に
 体をすっぽりと入れるというものもありました。
 ・  ショーとショーの間にピエロ的な男女のぺァーが
  ギャグを入れながら、3回ほどショーをしたのですが、
 最後は、横に並べた24枚もの皿をいっしょに
 テーブルの上で棒で回していました。
 ・ 小柄で筋肉質の男性が、大きな瓶を持って回したり
 上へ投げてキャッチするなどすごい技をやって
 見せました。

 終わってから、そう言えば、大きな瓶を回していた
人は、仕事でよく合う課長に似ていたと思いました。
あの課長も中国に生まれたら、トップの技を持った
このような、エンターテーメントになっていたの
だろうかと思いました。(ちなみにその課長は学校は
東大を出ているそうです)

 上海雑技団を見て、ホテルに向かう車の中で考えた
ことは、「日本でも上海雑技団がやって来て、上演
されるが、日本に来る人達は実は二流で、私が見た
一流の人を目指して、日本に修行に行く人がやって
いるんだ」と、かってな事を思っていました。
(平成14年1月27日) 写真リンク

『マンションの竹竿
三十四  新聞で上海で、窓から洗濯物を干した場合、景観を守る
観点から罰金を取ると言う話が載っていました。
 
 確かに表通りは余り見ないのですが、小路に入ると
マンションの窓から、縦に突き出た感じで竹棒が出され、
部屋毎に竹棒が出され並んでいます。
 その竹棒に洗濯物を掛けておいて、乾かします。
当然のことながら、その竹棒は洗濯物が飛ばないように
水平より、少し上向きになっています。
(平成13年12月1日)

アイコン 中国のパトカーと白バイ』
三十三  中国で見たパトカーと白バイの写真を掲載しました。
 パトカーは、蘇州の虎丘斜塔で見たものです。
白バイは、上海の豫園に行く途中で見たものです。
 中国語で警察は、やはり『警察』(ジンチャー)と
書きます。
 写真を見るとパトカーには『検察』。白バイには、
『公安』と書いてあります。 写真リンク
(平成13年11月29日)
 「二十七」のコンビの話。写真リンクするように
しました。

アイコン 呉のシルク、目を守るためテレビを見ません』
三十二  蘇州は、シルクが有名ですが、現地のガイドはバスの
中で、「昔ここは、「呉」の国といわれ、日本の着物の
ことを呉服(ごふく)と言うのは、呉の服から来た言葉
だ」と教えてくれました。
 昼食の後、刺繍博物館に行きました。
博物館では、古代から現在に至るまでの刺繍の歴史や、
蚕の繭から絹造る工程等を説明してあり、大きな機織り
機械も展示してありました。

 刺繍博物館では、刺繍の実演もやっていました。
白い布に絵を刺繍して行くものでしたが、それがすごい
物でした。
 たとえば、白い布に猫の刺繍をするにも1枚の布の
裏表に違う猫の絵を、針を通しながら同時に刺繍して
いきます。
 ガイドの説明では、刺繍をする糸は、その刺繍をする
ため通常の糸を半分にしたものを使い、その刺繍を
している女性は、何年も修行するのはもちろん、
非常に細かい仕事をするため、目を大切にし、そのため
ある意味では、この仕事をしている限り、一生テレビを
見ることができないそうです。
(平成13年11月25日)


ポケットには、小銭がいっぱい』
三十一  1元(ユアン)は14円程度。中国の紙幣は100元が
一番大きく、50元・10元・5元から更に小額なもの
まで12種類あるそうです。私が行ったときにはあまり
小額のお札には会いませんでしたが?
 硬貨の方は、1元、その10の1の角で、5角・1角。
その下の分が、5分・2分・1分で、計6種類があるそう
です。実際、中国で角以下のお金は見ることはできません
でした。
 1万円札を両替すると700元以上になり、100元
札が来ます。しかし、私は、すぐにホテルのフロントで
再両替をして小銭にします。

 町を歩くときも、小銭を入れたポケットから財布を
出すようにして買い物をするようにしています。大きな
買い物をするときに初めて、100元札を入れた財布を
出すようにしています。

 いくら、日本円を両替すると100元札が来るとして
も、それを細かい買い物をする時に出すのは、関心しま
せん。日本で外国人がたとえば、缶ジュースを買うのに
1万円札並んだ財布から、お金を出して買い物をして
買ったら、それを見ていた日本人は、面白くないと
思いますし、実際、中国に限らず、それによって
スリ等の犯罪にあったら、もっと面白くないですから。
(平成13年11月25日)


箸は、縦に置きます』
三十  テレビを見ていたら、中国の箸は、テーブルに縦に
備えるとの話をしていました。
 日本人は、食卓に箸を横に備えるのですが、中国では
これを縦に備えるそうです。
 一説には、前に円卓の皿の料理を取りやすいように
縦だという説もあると解説をしていました。
 実際、日本の箸より少し長く、やはり縦に置いた方が
便利だそうです。
(平成13年11月24日)
 でも、自分の前の箸が縦か横かを思い出すと?です。

『中国の獅子と蛙のごみ箱
二十九  中国最初の視察地ととして、蘇州にある除夜の鐘で
有名な寒山寺に行きました。
 現地のガイドに連れられて行ったのですが、ツアーの
人数が多すぎてガイドの話が聞こえません。
しかたなく回りを見渡すと、足元に瀬戸物でできた
獅子の形のごみ箱がありました。
 おもしろかったので、写真にとりました。

 この獅子の形のごみ箱が、上海に行ったときには、
蛙に、西安に行ったときにはまた獅子の形をしていま
した。(私の見たのがたまたま、そうだったのかもしれ
ません。)
 後で、ごみはどうやって取り出すのかを別の場所で
見ていたら、後ろにごみ箱の口より小さい穴があり、
先が5cmぐらい曲がった針金の棒で、ごみを引っ
かいて出していました。
(平成13年10月27日) 
写真リンク

アイコン 『上海のラウンドマークタワー テレビ塔
二十八  朝、テレビの中国語講座を見ると、語学のための
シリーズでやっているドラマが、ときめきの上海。
このドラマのスタートの場面は、黄浦江東岸に建つ
東方明珠テレビ塔。今や上海の顔となっている。
 ガイドブックによると、出来たのは1994年。
高さは、460m。塔の中心部と下の方に大きな円形の
ドーム(球状)があり展望できるようになっています。

 ここの近くの店で、ツアーのショッピングを兼ねた
休憩時間があったので、歩いてテレビ塔に行って
みました。
 入場券を買って、テレビ塔の中へ。入ると持っている
荷物のセキュリュティーチェックを受けて展望の
エレベーターに乗り込んで上に。
 休憩時間にかってに来たので時間がかからないように
展望は、下のドームの方だけにしました。
 眺めは、さすがにすばらしかったです。
(平成13年10月7日) 
写真リンク

 行くときは、テレビ塔を目印に行くので絶対に
迷わないのですが、帰りはこの迷子にならないように
気をつけて帰りました。

アイコン 『ツアーの間、1軒だけコンビニを上海で見ました
二十七  ツアーの中で、日本で有名なコンビニを一軒だけ
見ました。他にもあるのかもしれませんが、
私が見たのは、上海の観光の名所である玉仏寺に
バスを降りて歩いて行くまでの道の角にありました。
 ツアーの皆と歩いている中で見たので、コンビニの
中には入りませんでした。

 このコンビニを見ながら、数年前、香港に行った時
ホテルの周りにあったコンビニを思い出しました。
香港の宿泊ホテルの周りには、100mぐらいの間に
3件のコンビにがありました。
 それぞれ、違う系統のコンビにでしたが、入って
缶ビールの値段を見ると、同じ缶ビールでもすべて
値段が異なったことに驚きました。
 当然、1番安い店に戻って買いました。

 上海、蘇州、西安を周る中で、コンビニを見たのは、
この時だけでした。
(平成13年10月7日)写真リンク

『シルクロードのスタート西安の西門
                 なぜ日本側にあるの?』
二十六  上海から西安に着いたのは、夜中でした。夜中に
西安の空港から、50kmぐらいのところにあります。
夜中に着いたので、周りが全然見えませんでした。
 翌日も、ホテルから離れた兵馬俑抗とか始皇帝陵とか
見た後で、西安の都に戻って着ました。

 戻って来て、西安の都を囲む城壁にある西門を視察
しました。
 西安の都を囲む四角の城壁には、4つの門があり、
この西門は、シルクロードのスタートとして、有名です。
 城壁の上は、4mぐらい(私の目測)の幅があって
昔は、この四角の城壁の上を回るマラソンも行われた
そうです。今は、城壁が傷むという理由から、限られた
部分に上がれるという状態です。
 私も、西門の城壁に階段で登って、西安の町を見渡し
ました。ここからシルクロードがスタートしたのか、と
感慨深いものがありました。

 しかし、最後まで不思議だったのは、(新潟に戻って
もしばらく?でした)なぜ、西門が新潟の方を向いて
いるのだろうということでした。
 私の頭の中では、西安の空港に着いてから、新潟側
とは、反対に西に50km進んだイメージでしたが、
実は、西安の都を追い越し、西安空港に着いて、逆に
50km戻ったのが実態でした。

 この事を今、ゆっくりと考えると、西安にいる間は、
ずーと頭の中の地図が180度逆のまま、すごしたこと
が判ります。 
(平成13年9月24日)

 子供の頃、新潟駅発の列車は、山形に行く列車も
富山に行く列車も、同じ方向にスタートするのが
不思議だったことはありませんか? 

『城壁の上の老人ダンス
二十五  西安の都は、正方形の周囲14キロの城壁に囲まれて
います。
 これは、西安の都を周囲の敵から守るために囲まれて
います。高さは10mぐらい(私の目測です)
 朝、視察に行くときに、城壁の脇で太極拳を踊って
いる人が数人いました。

 現地のガイドによると、中国は老後の福祉対策が良く
定年になった人は、朝健康のために、太極拳をやって
いるとのこと。(ガイド談)
 ガイドは、しゃれてその人達を指差し、「老人ダンス
をやっています」と説明していました。
(平成13年9月24日) 

『お土産の千円、千円という掛け声
二十四  観光地の入口の土産の売る手は、どうも日本人の
お客に慣れているようで、お土産千円・千円と声を
掛けられることが、何回もありました。

 西安の視察をした後、ホテルに向かう途中で
レストランによって昼食だったのですが、食事が
終った後、バスに乗るためレストランの前にある
バスの駐車場に向かうと、レストランを囲む柵の間から
お土産千円千円と声を掛かられました。
見ると20人くらいの売り子の人がいました。

 レストランの廻りは、柵があると書きましたが、
柵は、日本の保育園の柵のように簡単な柵で、
駐車場の車が出入りするところは、10メートルぐらい
柵の間が開いています。

 簡単に中に入って来れるのに、入ってこないで、
柵の外から声を掛けるのは、やはり中で売るのには
ショバ代を払ったとか、条件が必要なのかな?と
思いました。
(平成13年9月16日) 

アイコン 蘇州、ハトの玩具、ロシア村と同じものでした』
二十三  中国最初の観光地で蘇州に行った時です。
 視察先の廻りの道には、土産の売り子の人が大勢
いました。
 事前にバスを降りる前に、ガイドからいらない場合は、
「プヨプヨ」と言って断ってください。と教えられて
いました。

 バスから降りると、いろんな土産を持って売って
よって売りに寄って来ます。
 土産を見ていると、20cmぐらいの木掘りの鯉が、
いくつかのパーツで出来ていて、泳ぐように動くもの
もありました。
 それと、私が半年前子供のために買った新潟ロシア村
と同じ玩具が、色違いで売ってました。
 丸い木の輪に5匹のハトがついていて、輪の真中には
木の振り子が糸でつながっています。その振り子を
回すと、ハトが順番にお辞儀するものです。
急に、新潟を思い出しました。
(平成13年9月16日) 

アイコン 『中国の料理は、大皿料理』
二十二  最初の食事の際に話がありました。中国では、大皿で
料理が出てきて、これを各自の箸でとって小皿に持って
来て食べます。皆さんもこれからは、食事の際にこれを
体験し食べてください。

 丸テーブルにいくつもの大皿料理が並びます。
これを、自分の前にある2〜3枚の小皿に取って
食べます。
 中国料理は、中国のもてなしするという考えから、
お客の食べられる量以上の物を出すそうです。

 でも、初めての時の食事は、一番最初に誰が最初の
一箸を出すのか、丸テーブルを挟んでお互いにじっと
見つめてました。
(平成
13年9月8日) 写真リンク

『汽車・火車の意味は?
二十一  中国語の漢字の意味の話です。
 中国語は、漢字なので見ると意味がわかると思って
いる人いるかもしれませんが、日本の漢字とちがう
意味を表す漢字も多いです。
 たとえば、「火車」は中国で汽車の意味を表します。

 このことは、中国に行く前からわかっていました。
 なぜかというと、中国の汽車の写真が乗っていた新聞で
見出しが「火車」と書いてあったからです。
 西安の駅に行った時も、駅には火車があると思い
ました。

 逆に、中国語で「汽車」は、ガイドブックにも書いて
ありましたが、日本語の自動車を表します。
(平成13年9月8日)
 なお、中国語の愛人は、日本語の配偶者を表すそうです。

『パンフレットの写真の上海の街はどこ?』
二十  上海の街に着くとある意味では、私が予想した通り
の中国の街並み?
 上海の海外旅行のパンフレットに載った洋風の
建物の群れはどこにあるのだろうと?と思った。

 蘇州を旅した後、上海の街へ戻ってきて、その時
ガイドさんが、上海の街の東南地区は、洋風の建物が
並んでいます。
 これは、上海がイギリス・フランス・アメリカ・
日本の支配下に置かれ、それぞれの国が自分の国の
スタイルで建物を建設のしたからです。
 これが、上海の一つ街(地区)になっています。

 確かに、この「黄浦江」沿いのこの地区は、
パンフレットの写真どおりの街並みでした。
(平成13年9月2日)

 ガイドブックによると、上海はアヘン戦争(1839〜
1842年)の後、100年余りの間、外国の支配下に
なって、上海が開放されたのが、1949年とのこと。

番外編『ホームページを読んでも
    行っていない人から見るとどこの国も同じ』
番外  このホームページの感想を直接機会がありました。
 結論として、「書いてある国に行ってない人からみると
どこの国の話も同じに見える」
 あまりにも、正しい意見なのでどうしようと悩んでました?
 しかし、まあ、ホームページの1番最初に書いてあるとおり
たいしたホームページではないので、このまま続けよう
ということにしました。

 但し、現地のガイドさんが話してくれた、その国を象徴する
言葉などを少し続けて紹介したいと思っています。

『中国、一人っ子政策、子供は小皇帝
十九  上海のガイドさん、結婚して約半年の新婚。
かわいい感じの女性ガイドさん。
まだ、子供はつくらない。1人しか生めないので、もう
少ししてから子供を生みたいとのこと。

 そのガイドさんから、中国の一人っ子政策の話を
聞きました。
 中国では人口抑制政策をとっていることは、知って
いましたが、ガイドさんの話では、まず一人っ子政策
でも、双子は子供を2人もってもいいそうです。
 もし、2人目をもつと@10万元の罰金、A会社は首、
B子供の戸籍はもってないとのこと。
 上海の人達はこれを守っているが、いなかの人は農作業
に人手がいるので、子供をいっぱい生んでこれを守って
いない。

 中国13億人の戸籍があり、結婚しても名前(姓)は
変わらない。子供は父親の姓を名乗る。とのこと。

 一人っ子、家の跡取として勉強させられるが、子供は
家で1人しかいないので、わがまま。
家の小皇帝と呼ばれている。とのことでした。
(平成13年8月25日) 

アイコン 『西安の漢字、日本人には読みやすいです』
十八  中国の漢字。他の都市にいくと形が変わって読み難い
かもしれませんが、古都西安では、昔からの漢字が多く
残っているので、街の中の看板をはじめ読みやすいです。
とのガイドの説明。

 西安には、碑林博物館もあり、そこでは、何百もの
石碑が残って保存されており、黒い縦2mもあるような
石碑には、過去の有名人の言葉が刻まれています。
日本の書道の手本になった文字が、刻まれた石碑もあり
ます。

 ガイドの話を聞いた後、街の店の看板等をながめると
確かに他の都市より、使ってある漢字がいくぶんわかり
やすい漢字を使っている気がしてきました。
(平成13年8月25日)

アイコン 『上海、勇気ある人が横断できます』
十七  夜ツアーの希望者で、上海雑技団を見に行った時です。
 道路は、大きな道で車がひっきり無しに来ます。
 これを渡らないの雑技団を見にはいけません。

 現地のガイドさんが言いました。
「バスの中で話したように、道路は勇気ある人が渡れ
ます。今はその時です」
「皆で、車が来ない時にいっしょに急いで渡りましょう」

 私達は、車が少なくなった時を見計らって、ほとんど
皆で手をつないでの状態で、道を渡りました。
(平成
13年8月15日)

『西安のタクシー、黄色信号は進め?
十六  上海のタクシーでは、高架橋の上の道路も走った
のですが、あまり運転の方は気になりませんでした。

 しかし、西安に乗ったタクシー少し荒っぽいでした。
信号などが特に不安でした。信号の黄色など関係なく
進みます。

 乗りながら、こんなことを思っていました。
「この運転は、青信号は、進め。
       黄色は、いそいで進め。
       赤の替わり始めは、注意して進め。
       数台渡ったら、赤信号は、止まれ。」

 でも、特別このタクシーだけがこんな運転をしている
訳でもなかったので、なぜだか安心して乗って
いられました。
(平成13年8月15日)


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