はどそんのつぶやき04

いかり・くどき・ぼやき・もんく・かんせい・ためぐち・しったかぶり・ほらハなし

支店トップへ
つぶやき2003

除夜の鐘
犬の就寝前のおしっこタイムに外へ出た しんしんと冷えていたが空は澄んでいた 思いがけず鐘の音が聞こえてきた  ほう、この近くには寺はないし、知っている寺はずいぶん遠い。耳を澄ますといや澄まさなくてもシンとして他の物音はないのだが、高い鐘の音、低い鐘の音、柔らかい音、ハモっているように倍音のある鐘、かすかな音、と5種類の音が次々にそれも四方から聞こえてくる。こんな美しい除夜の鐘の音の合奏ははじめてだ。娘も話を聞いて外に出た。ほんとだね、と感動していた。その美しさで108の煩悩を沈めてくれたでしょう。さあ、来年もがんばりましょう。


12月某日 クリスマスプレゼント
”がんばった自分へのご褒美に”というのはセールスの常套句である。万代シティで絵画即売展をやっていてラッセルだかミュッシャだかの版画を売りつけている店員が、OLさんらしき女性にいっていたのを聞いた。10万も30万もしたって、転売できるわけじゃなしホントは無価値なんじゃないかなというものを勧めるときに使うとみた。
さいきん母はベッドサイドのローチェストを探していたが、Y家具店で、斬新なカーブとステンレス取っ手のある妙なデザインの総桐のタンスを勧められた。虫が付かない、発火点が高いので火災にも強い、湿気が籠らないなど桐タンスの美点は多いがウンジュウ万円のバカ高値である。まったく人を寄せ付けない寝室用なので、東京インテリアセンターでは5万円でも高い、安物でいいと言っていた。それが、”自分へのご褒美に”と店員にささやかれたとき、ぐらっと心が動いてしまったようだ。それを聴いてて、ホントは変りすぎて売れ残ったものなんだろうと私は思った。
話は変るが、クリスマスプレゼントなんかもらえない自分へのプレゼントに「ガラスの仮面」の42巻を買ってきた。25日までとっておこうっと。
でも、サンタさん、こんなのがあまってたらうちにおいてってください。和光のうす青のカシミアカーディガンフェラガモの茶色のタートルセーター、ミキモトの大粒イヤリング、アクアスキュータムのツイードのパンツ、マーガレットハウエルのモスグリーンのバッグ、クラークスの黒のデッキシューズ、ラルフローレンの白シャツ、シャネルのアイライナー黒、とまあ、ブランド志向で夢は壮大に、なんだったら桐箪笥より高いらしいボッティガベネタの蝶々のバッグでも可。なあんてね。日々無料ウインドウショッピングをたのしんで、子どものお上がりとユニクロで済んでますです。

12月某日 天皇誕生日挨拶
素直なご挨拶だが、家族内の不調・不協和音を浮き出させてしまった。家族がかばわないでどうするね、おとうさん。もしかして奥さんの心の不調も理解していなかったとか・・・。エエッ。

12月某日 牛
きついこと言ってるが、牛47頭救助、のドキュメンタリーTVを見てると泣けてくる。鯉の死体の映像もつらいね。


12月某日 自衛隊も撤退か
長岡地震の避難所閉鎖のニュースが出る。長岡高校の体育館が最後だった。(被災者の苦労については報道を参照。)教育センターには自衛隊の基地ができていた。ここで糧食隊が飯作りをしていたらしい(by TV)。 さて迷彩服の兵士が職場をうろうろしているのはどんな感じだったろう。まるで「常在戦場」長岡の殿様牧野家家訓みたいだねえ。戦時中でも街中に迷彩服はなかったでしょう。前線基地みたいなモンだね。それが毎日となったら・・緊張がマヒするんだろうか。隊員さんご苦労様でした。それを見ていた皆さんもご苦労様でした。

12月某日  自衛隊2
新発田からもじゃんじゃん部隊が派遣されていた。一番近いからね。きのうは夜中までヘリがうるさかった。帰宅もたいへんなんだろうな。派遣された隊員の中で、一日にして帰らせて下さいといった隊員がいたそうな、軟弱ものめといいながら私もソウいいそうと共感。

12月某日 似た人 
 リチャード・ギア=川口能活(日刊イトイ新聞より) これをみて誰かと誰かも似てたよなと思っていたのを思い出したが、誰だっけ。ほらほらケビン・コスナーとあの人ー佐田啓二の遺児の目玉ギョロ夫ー
どっちも嫌いですが。
 
12月某日 村上の鮭
鮭が 豊漁で  ただでもってけ!ってほどだったんですって   村上では
。わたしも1本は欲しいけど、2本はいらないな。冷凍庫にも入らないもの。
 
12月某日 『言いまつがい』
「言いまちがい」だろ?と本の題名にまず、つっこみながら読む。抱腹絶倒とはこの本のこと。しょっぱなから「そんなことしたら、壁の上塗りだ」とか「人生谷ありミゾありだ」「三つ子の魂いつまでも」「水の苦労が泡だね」とまあよくやる言い間違い集。じつはかなり教養がないとわからないものも多い。スターバックスとオートバックスのちがいとか、それを知ってるとまた得意になれる。しょげているのもかなしいのも忘れて大笑いしてしまい涙に暮れる本です。落ち込んだ日によむ本。

12月某日 イルミネーション
いくら安い¥といっても、青色発光ダイオードのイルミネーションはいただけない。しんから寒々としないか。「雪の女王」につれさられたカイちゃんになって心も凍りそうだ。冬の、クリスマスの電飾は暖かそうな豆電球の色が好きだ。ナトリウム灯のオレンジ色の灯りも贅沢だがいいなあ。

12月某日 梅春もの
きれいな白っぽい淡い色のスーツやセーターなどを梅春ものというんだそうだ。新潟のデパートも、もう、これが主流。とうとうデパートで、黒っぽい防寒具やオーバーコート一色ということがなかった。長岡ではどんなに寒くてもコートを着ない高校生がいたが、例年だと新潟では高校生もおしゃれにダッフルなどを着ていた。ところが今年は皆無。大人もオーバーコートを着て歩いている人はまったくみかけない。せいぜいがレインコート地(サラリーマンや年配)。女性はハーフコートか、コート無しでジャケット。たまにセーターのままやダウンコート。ウールのコートは見ない。そちらの町ではいかがです?

12月某日 長岡から新潟へ移植したつばきが満開。長岡では冬囲いをはずしてから咲いたんじゃなかったっけ?
森田お天気キャスターは今年はいまのところ暖冬で、もう梅が咲いています、といっていた。そう、つばきは春の木、椿です。まだ咲くはずではない。夕べは11℃もあった。

12月某日 続・中越の国立小学校
「地震でへこんでなんかいられない明日にむかって GO」と看板に書いてあった。3本の木に電飾のイルミネーションがあかあかともっていた。暖かい。道路沿いにあるその看板の裏は職員駐車場である。夜中まで教員が残っていることもめずらしくない学校なので、まるで先生を励ますために企画されたかのようである。それならOKじゃん。震災後の過労と今も続く激務でどこの先生もばてている。がんばって、あらゆる先生!

もう、ニュースに出てこないが、まだ揺れているそうだ。


12月某日 走るアシモに 感激

12月某日 ・・語録より
「やってみせ,言ってきかせて,させてみせ,ほめてやらねば,人は動かじ」 この言葉だれのだかわかる?

これだけで私はこの先生についていきたくなる。感服

12月某日 流星雨は雨で
深夜12時オリオン座の近くの双子座で流星群がみられるはずだったのに、雨。玄関の外に立つと私がわかる唯一の冬の星座オリオンさんがいたのに、残念だワー。福島潟まで行ったら暗くてよくみえるだろうとねらってもいたのですが、下宿人と恒例になった喧嘩でまたもや気まずい夜に落ち込んでいたので、その計画は早々に消滅していました。またも車ネタで。


12月某日 新大管弦楽団定期演奏会
数十年ぶりで聞きました。聞くに充分耐える演奏でした。というかびっくりするほどうまい!プロの指揮者が付いてピロのトレーナーが付いていて、いいなあ。いい先生の元では伸びるのねえ。うらやましい。
ところで新進気鋭の若くてハンサムなピアニストがプロコフィエフで競演したんですが、トリルの乱れを別にすれば、すごく白熱したいい演奏でした。ただ演奏会の演奏というのは音をきかせるだけでなく音の出ていないときも演奏中(on stage)だと言うことを肝に銘じてほしい。ピアノが休みの間なびかしたロンゲを耳元から両手櫛でかきあげる、しょっちゅう。蝶ネクタイをいじる、指の運動をする、プールに入る前のように足を揺らす、首を回す。おしりをどすどす動かす。こんな演奏者見たことない。まるで「管がよく音をはずすような田舎の学生オケなんかとやってられねえよ、おれはそんなレベル低くないのにな」みたいな感じを受けた。そうじゃなくてほんとうは初演で緊張していたからかもしれない。でも、演奏中いくらうっとりと引かれても全部見ている観衆は、のめりこめないよ。芸大助教授なんてうそじゃないの。

2月某日 先生
先生は 生徒をほめてほしい。どうせ先生のレベルまではいかないのだから、低いハードルを越えたときもほめてほしい。はじめは生徒はそれでもやっとなのだから。泣きながらでも付いてこいというのは、優等生だった先生の陥る間違いです。
努力しているのに認めてもらえず、注意を受けて治しても全く正反対の批評を受けて・・は辛い試練でした。高いレベルへ引き上げようとしての助言であるとはわかっていても辛い。認めてくれーい。受け止めてくれーい。

12月某日 また昼のTVドラマにはまって
こんどは「温泉に行こう5」にはまってます(ひまだねぇ)。もと温泉旅館の女将だったがつぶれて今は仲居という主人公、別れたもと亭主が今の旅館の支配人で、女将は昔の恋人、美形ぶった旅館の跡取りは元医師。元のお笑い系従業員も団体でここに勤めている。なにこれ安直ねえとバカにしていたのだが、「ことぶきウォーズ」がいつのまにか終わってて暇に任せて2,3回みてしまったらのせられてしまった。私はおせっかいでお調子者のおたけび系の主人公が好きらしい。ああできたらいいなと思うのかな。「女は愛されているって感じてないと安心できないのよ」と今日は叫んでいた。それにしてもNHK朝の連ドラはつまらない。

12月某日   『♪一週間〜♪』
『一週間』というロシア民謡があるでしょ、昔はなんてばかみたいな歌だろうと思ってました。それがいま私あんな生活してます。えー、正確には覚えてないけれど、こんな風。「♪月曜日に市場へ出かけ針と糸を買ってきたトゥリャトゥリャ〜・・(買ってきてもなにもしないのだ)♪火曜日にお風呂を焚いて水曜日にお風呂に入るトゥリャトゥリャ〜・・(たいてい入るのは12時を超えてます)♪木曜日は糸巻きもせず(掃除もしないねえ)・・♪金曜日はおしゃべりばかり(そう、なんにも生産的なコトしないでパソして暮れる日もある)」。〜曜日に洗濯をして次の日に干して次の日にたたんで次の日にしまう。そんなのはなかったっけ?
うちにはあるよ。

12月某日 国立の小学校で
電飾イルミネーションだって。全国の国立のPTAからの震災見舞い募金でだって。そうかなあ。なんか違う気がする。第一、電飾が灯る頃まで生徒は学校にいるのかな。地域に向けてと言うが子どものために集まった募金じゃないのかね。(被災家族に分けるわけにはいかないかなあ)
新潟地震の時、募金が余って(?)県民会館を造った。それには私は怒ってる。1000円ずつでも被災者に分けて欲しい。募金する人はそういう気持ちでしてないかい?「米百俵」にも私は異議があるゾ。

11月某日 こんなときこんなこといえやしなーいが
なにこの皺。いつのまにか恒常的に張り付いてとれない皺。誰よこの梅干ばあさん、と毎日鏡を見ては外出拒否症になる。こんなときに化粧品買い込んだ。それもムダだった。田辺聖子、佐野洋子、工藤直子、佐藤愛子を読んで、みんなもそうサと気を紛らわす。でもそうとう上なんだわ。
愛子さん80だってネ。こちらは皺に見合っただけの英知も成熟もないのが悲しい。
ついでにいうと 友人は曾野綾子派だが私は佐藤愛子派。どちらも物言いを付ける土俵脇の親方だが微妙に違う。怒鳴り散らす方が私の好みです。

11月某日 こんなときになんですが
TVの「ことぶきウォーズ」にはまっている。忘れ果ててる日もあるが、辛い思いをした日は特に早くうちへ帰ってこのTVを見ながら昼飯にしようと急いで帰ってくる。肩こりも治る。ブスだか美人だかよくわからない主人公のまじめっぷりとすっとんきょうなバカっぷりが河原泉のマンガみたいだと最近気がついた。落差があって肩をいからせつづけないところが楽にさせてくれるのかな。


11月某日 地震のこと
(もう少し、あとで上書きします)



10月某日 長岡市職員
ハドソンのまえの居住地では 地震が6時でしたが、 9時にはもう避難所廻りをして注意をし(「ここ避難所ですが、耐震構造じゃないのでグランドか公園の方が安全です」って)、12時には毛布を配って歩いていたそうだ。役所は何してたナンテばっかり聞こえてくるけど、市にはちゃんと危機管理計画があって、職員は土曜なのにそれに則って仕事してたんだ。学芸員なのに避難所勤務してるOさん、Hさん倒れないで下さいね。避難所暮らしをしながら避難所の子ども達を見回っている小学校の先生にも頭が下がります。避難所を回って絵本の読みきかせをしていた図書館員にも拍手でしゅ。

10月某日 10・23長岡地震
ここ豊栄にいてさえ怖かったです。あれ以来、ドキドキしてテレビとネットに釘付けでなにも手が付きません。長岡にあのまま古家に住んでいたら命もなかったかもしれない。運命のいたずらで助かったよかったと思う反面、仲間はずれにされたようなさびしい気持ちもあります。ごめんなさい。

10月某日 添いとげる口紅
山本文緒の『日々是作文』のなかに「添いとげる口紅」という1章がある。彼女はいまだかって口紅を一本使い切ったことがない、季節ごとに売り出される新色の広告をみては懲りずに買ってしまう とその中で言っている。30代後半だ。そのころまでは私もソウだったな。この春の・・この秋の・・・と言われるとピンクにしたり茶色にしたり、流行に乗り遅れまいと買いそろえたものだ。当然 洗面台の引き出しには口紅がいっぱい。だが今は気に入ったらいつまでも使う。流行りは関係ない。(歳か) 使い切る。使い切って「コレと同じ物を」とデパートへ買いにいったら、「その番号の口紅はもう製造してません」と言われた。何年前のだったのだろう。コレに懲りて、気に入った色は早めに買足しておこうと思っている。

10月某日 熟睡
腰痛もあって9時前に横になった。9時には犬のプレイタイムなので、それまでほんの一眠りのつもりが熟睡してしまった。先を越されたワトソン氏(彼はいつもはソファーで9時頃から12時頃までお昼寝?をして、それからおもむろにベッドで本寝するのだが、後始末を押しつけられたことになった。)が寝る時には(怒り声だった、)目は覚めたが起きられず3時まで熟睡。不眠症のハドソンが睡眠薬の助けなしに6時間も眠ったのは何年ぶりかのことだ。その後、『虞美人草』をみながら ウトウトした。読む本がなくなるとコレに戻る。意外と会話文がおもしろい・・・3ヵ月でまだ75頁だ。

10月某日  腰痛の予感
たいてい当たる。キヲツケヨウ。


10月某日 娘と母と 気管支炎
娘も咳が止まらないといって医者通いをしている。こちらは38℃も熱が出たので抗生剤をもらって飲んで週末には点滴を打ちながら学校に通っている。まじめな医者ほど、よほどでないと点滴をしてくれない。だけど、虚弱体質の私達は点滴を受けるとすーっと身体が楽になる。さて、どうしたら点滴がしてもらえるかと作戦を練った。食べられない、飲めないと言ってみよう、と知恵を授けて、受けてきた。(そのまえにカラオケに行ったのも悪化の原因だが、気晴らしも必要) 休めばいいだろうに、平日はびっしり時間表がつまっていてサボれない娘は遊ぶ時間配分も考えて、よくやってるなと感心する。
 実家の母も 咳が出て、身体がだるい食欲がない野菜の煮しめが食べたいというので、買い出しと調理に半日かけて 里芋・人参・しいたけ・こんにゃく・れんこん・いんげんの煮しめ、ほうれんそうのひたし、冬瓜煮、浅漬け沢庵、鯛のガラ汁を持って行った。(御飯を一膳ペロリと食べておいて)やっぱり食欲がないと言って煮しめを残す。微熱があるが医者は取り合わないのを怒っている。寝ていればいいのに、気晴らしに?なのかデパートへ帽子を買いに連れて行けと言う。歳をとったらやりたいようにすればいいのよね、と言うが、それではたんなる老人のわがままだよ。こういう人に合わせていると疲れる。同じようだが娘と母はちょっと違う気がする。

10月某日  車と 気管支炎
ワトソンさん公用車は 前の運転者がヘビースモーカーだったらしく、たばこの臭いがきつい。乗ったとたんに咳が出る。それで、ハドソンは乗れない。スモーカー・ワトソンさんはまったく気がつかないという。乗り手を撰ぶ車なので、これは棲み分けができていいことかも。

10月某日  衣替えと 気管支炎
たばこの煙もダメだけれど、もっと悪いのが防虫剤、パラジクロールベンゼンは大の苦手。吸ったら最後咳が止まらない。衣装ケースを開けたくなくてギリギリまで衣替えをしないでいる。だから夏物がぶら下がり、納戸と化した子ども部屋はおおあわてで引っぱりだしたセーターが散乱している。

10月某日 庭木の剪定
雨が来るというので、その前にちょっとと、垣根の剪定をはじめた。切れた蛍光管を取替えるのに脚立を出したので、それを仕舞おうと物置へ行くついでにである。どんよりしているがなかなか降ってこない。庭に出て、半年で三メートルにもなった竹を植木ばさみでちょんぎる。簡単にぱちんと切れてしまってあっけなかった。玉つげを丸く刈り込み、つつじ、もっこく、らかんまき とおもしろがって手を出していたら 夕方になっていた。夕飯時、箸を持ったら握力がなくなっていて持てない。はさみを使うだけでもそうとう力を使っていたのだ。そういえば植木職人さんは身軽で腕っ節が強くてかっこいいよねえ。夕暮れて、やっと雨が降り出した。

10月某日 野茨
群生地を見かけていた。赤い実のなったころあいだと採りに行ったら刈られていた。近くを探して少し見つけた。茨のとげで手が傷だらけになったが、赤い実はきれいで、安くてうれしい。

10月某日 ネーベル室内楽団演奏会
ワトソン氏の同級生が主催しているアマチュアの弦楽アンサンブル。破綻がなくうまい。とぎれなくかれこれ30年続けているのはスゴイ。声楽付だが、生のやわらかな声量の乏しいソプラノもいいものだ。リュリを聴きながらよく眠れた。リコーダーの賛助出演で木管だけでなく、学校で使っているような管がでてきて驚いた。わたしも初心に帰って音楽を生活の中で楽しみたいと考え直している。

10月1日 新米の値段
9月に買った去年米の中魚沼産コシヒカリは5`4600円だった。ことしの新米は3800円だった。なにこれ?
去年は冷害で不作、ことしは高温続きで豊作だったからだが、得をした気分より、損してたなあという気分。がピカピカの新米は美味しい。

10月1日 秋→冬
秋を越して我が家は冬。おとといからこたつを出した。足の裏が冷えて。


9月某日 物忘れ
人だけでなく うちは時計も5分過ぎやら7分過ぎに時報をあわてて打つ。その後ちゃんと0分に鳴ったりするので、びっくりさせられる。

9月某日 物忘れ
やかんをガスコンロにかけっぱなしで、忘れたこと3回目。自動から炊き防止装置のおかげで家が残っている。

9月某日 秋
肌がぴりぴり乾燥しはじめて痛くなる。生え際の髪の毛がやたら抜ける。それで秋の訪れを察知する。

9月某日 カップ麺
引っ越してきたばかりの頃ここは辺地だった。店屋ははるか彼方。風邪を引いて寝込んだら食べるものがない、誰も買ってきてくれる人がいない恐怖を体験した。俺に歩いてビールを買いに行けって言うのかと怒る横暴な人はいたが、その人はとうとうビールも食料も買いに行ってはくれなかった。それからというもの、冷蔵庫を満杯にしていないと落ち着かないし、カップ麺を切らしたことはなかった。だがカップ麺は非常食。あまり食べなかった。きのう手抜きで昼飯に、と「生麺タイプのうどん」を開封してお湯をかけたが硬いままほぐれない。あれっと賞味期限をみたら半年前に切れていた。他のものも取り出してみたらカップヌードル(あぶらくさい)もみんな賞味期限を激しく過ぎていた。いさぎよくもなにも食べられたものじゃないのでコレは捨てた。(中味は生ゴミに、カップはプラスチックゴミに。)
今では、文句を言う人には、自分で車を運転して買ってきたら〜、と言い返せるはずだ。これからは(手のマヒなんかで、また)自分が動けなくなっても買い出しをしてくれる人がいると思うと気が楽になった。もうカップ麺の買い置きはいらないだろう。さいきん冷蔵庫のなかもスッキリしてきた、

9月某日 他人
他人なら きらくに誉められる。すごい!快挙!大冒険!誉めておけばすむことも多い。身内だと そうはいかない。ホントに危険なことは危険だよというしかない。それは無事でいられるよう心配してるからなのですが、そういう愛情は伝わらないものです。クスン。

9月某日 東京ジャズフェスティバル on TV
日本人のソウル歌手ががなっていたが、バックコーラスのふとっちょ黒人のお姉さんにリズムもボリュームも音楽性も負けていた。かなしい。こんなんばかりなのかいと思ってみてたら、TOTOがでてきた。ワオ、今40の元上司が学生時代コピーしていたというなつかしのロックバンドだよ。さすが音程は確かだ、声はかすれてきたけど。それからセロニアスモンクというので、エッツとみてたら・・の学校の生徒達のバンド。几帳面で一生懸命で、上手だけど、たのしくない。緊張感で疲れる。つまんない。ここで下宿人は、これは祈りだ、こんなジャズに付いてきてる人はもうないよ、人も入ってないだろうな、と寝てしまった。
ところがトリのハービーハンコック(p)ウエイン・ショーター(S)、デーブ・ホランド(b)、ブライアン・ブレイド(dr)のカルテットはすごかったぞい。とくにドラムのおっちゃんは漫才の故ヤッサンそっくりだ。太鼓をたたくのがつっこみを入れてるかのように見える。それもたのしくってしょうがないというように、ガハハと笑いながらやっている。それにつられて、5分刈りのサンタクロースって感じのベースはにこにこ。志村喬ばりのサックスはにやり、メガネをかけたドリトル先生のピアノもにっこり。未知との遭遇が音楽で異星人と交信しようとしたように、違う種族が楽器で会話しているかのように見える。たのしいアドリブの丁々発止、おしゃべり、そして瞑想。それをみてるこちらもワクワク楽しくなる。満員の会場の拍手の送り手も皆晴れ晴れとした笑顔だった。

9月某日 なるほど
「今日まで見落としていたが今日気づいたこと」ノート(W・C・ウイリアムス)とも言えるね、 ここ。

9月某日 ♪しーずかな しーずかな里の秋〜
♪おせどに木の実の落ちる夜は〜 なんて古い童謡覚えてますか。今夜は虫の音に混じって栃の実の落ちる音がします。

9月某日 便りが2通 電話が1本 
「風来人(ふらっと)つうしん」が来る。「友達を見渡しても私よりきたない字を書く人残念乍らいません」と本人はいやがっているけれど、その手書きの不定期通信が届くとほわっとあったかくなる。ホントに字は人柄を表している。ねっから明るく優しく気取らない人なのがわかる。(いますよ、ここに。あなたよりヘタ字の人間が)
H先生からハガキが来る。久々でうれしい。こちらの「どんぐり通信」はちょっと途絶えていたのでお体をあんじていたが、ワープロが体調不良だったそうだ。ウーン、もう代替品はないのかな。
こちらも久々のTさんより電話、HPを見ててて声をかけてくれたかな、うれしい。きょうは人恋しかった。
昨夜はピーで早く寝てしまったのでメールにきづいたのは今朝。Tちゃん、Kちゃん ありがとね。

9月某日 日はまた昇る
めげようがのぼせようがそうはいっても日々は過ぎて喉元過ぎれば図々しく生きている

9月某日 夏からの課題三種 完了 ほっつ?
終わって落ち込んでます。どれも 言いたいことが言えてなかった。
というか、何を語りたいのか 言葉に、まとまりに ならなかった。誰が悪いんじゃなくて 自分の能力を超えていたから・・。

さいごはボランティアでやっている活動の報告をする会だった。不安だったので、録音していた。
こんな声だったのか私、いやなトーンだ、語幹がきつくて鼻につく、なんて聞き苦しいんだろう。
もっている語彙の少なさ、口調の悪さ、ひくつさ、時間配分もなくて尻切れトンボ、
肝心なことは話してなく、けっきょく自己PRで終わってしまっている。
穴があったら入りたい。人のことをよくまあとやかく言ってきたこと。恥ずかしい。
(ただ、やりたいようにさせてくれた家族の援助と応援にはまっこと感謝しています。)

9月某日 続・夏目漱石の長男
東京フィルハーモニーの主席バイオリニストだったそうです。私費留学生として欧州のあちこちを滞在、、30才のとき戦争が始まって仕方なしに日本に帰国。孫は漱石の孫と言われるのを重荷に青年期まですごしたそうですが、息子の方はのびのび、そういう気苦労なしに外国暮らしを楽しんでいたのですね。雅子さんも外国なら重圧を感じずにのびのび過ごせるんでしょうにね。

9月某日 TV版:長岡の害鳥くじょは有名なんだね
昼の民放テレビ 取手市の鳥の被害のニュース。全国各地の被害自治体に 長岡市の職員が作ったテープを配布と話している。
(椋鳥の大群が駅前の駐車場にたかって、フン公害がひどかったですねえ。市立博物館の前館長の、鳥の研究家渡辺先生が中心になって開発したんでしたっけ、椋鳥の危機を知らせる悲鳴のキーキー声をテープで流して撃退したんでしたよね。
これも全国放送。

9月某日 TV版:長岡なす
たまたまTVをつけたら、長岡の茄子は全国一品種が多いんですよ、昔から作っていたものを今も作っていて、種を持って嫁に行った、米所どころだから・・偶然そんな会話が飛び込んできてビックリした。NHKの「生活ホット」は全国放送だ。梨なす、四郎丸茄子などのふっくらやわらかい茄子がなつかしい。 

9月某日 仕事三つ
やっつけはじめると同時進行でやってしまう。頭が動き始めると、回転が好くなるのか次々にこなせる。それまでが、時間がかかる。二つ終わりであと一つ。でももう一週間あればなあ、と思いながら、こんなコト(パソコンいじり)に逃げている


9月某日 殺人事件が
遊びにきたお友達はいつもなら30分で来る道を、大渋滞に巻き込まれて一時間半かかった。事故かしらね、それにしても昭和橋も万代橋も警官が出て検問しているようでふしぎ。何だったのかしら。とトイレに焦りながら到着した。あとで、やや近くで殺人事件があって、そのための渋滞だったことがわかった。そんな恐ろしいことが身近で、と震え上がっていたが、そうか、橋を遮断するとあそこは孤島になるのか、なるほど新潟島というわけだ、と妙な感心をしてしまった。


9月某日 夏目漱石の長男
何してた人か知ってる?せんだって、BSマンガ夜話でおなじみのマンガ評論家夏目房之介著『不肖の孫』で知った。それが家庭内喧嘩の発端。あー、ばかばかしい。普通はヘエーで終わるのにね。終わってよ。

9月某日 家事
手抜きといっても毎日たべてる。毎回とは言わないが毎日洗い物もしている。日常ってのは、えらいなあ。


→『(終戦の歴史的な日であっても)・・・人は、いつも怨憎愛楽の人事の日々の、具体を生きる』、私が感じていたもやもやを、この言葉はスパッと表していた、さすが小説家だ。言葉が豊かな水上勉。かつて障害をもって生まれた子からのがれて(?)放浪の文学者になった人だったが、大江健三郎と別な瀬戸際を描く、一級の文章家だった。合掌。

9月1日 カップル
絵本作家『ぐりとぐら』の中川李枝子と同じく絵本画家の中川宗弥は夫婦だって。へえー。どちらもすきなので、私にとっては今月のトピックスだ。姓が同じだから何か関係があるかなとは思っていたが、そうかやっぱり。知ってる人には当然のことでも知らないとへえーと感動する。『ゲド戦記』翻訳者の清水真砂子と児童文学評論家の上祥一郎は夫婦。ドイツ児童文学翻訳の酒寄進一と遠山明子も。松居友と松居スーザンも。いっとき佐野洋子と谷川俊太郎が夫婦だったのを知らない人も多くなったね。きょうはテレビで小池真理子と藤田なんとかがおしどり作家夫婦だという番組をやってる。この辺はどうでもいいけど。

8月某日 けんかのもと
このごろの喧嘩の元は飼い犬のこと。吠えてうるさい、どうしよう。どうしようもないだろう。去勢か声帯切除しようか。そんなことはすることはない。ご近所迷惑になるわ。しかたないだろう。・・とまあ、いつものくりかえしをしていたが、ついに事件に。公園で遊ばせていてご近所の子どもが、走る犬に驚いて逃げる途中に 転んで怪我をした。リードを引いていた娘だけでなく飼い主自身も、病院沙汰になるなら知らんぷりはできない、見舞い方々お詫びに行かねばだね。何でそんなこと俺がしなきゃならないんだ。・・・・・朝晩の散歩さえしていれば、「飼い主の責任」を果たしていると思っている。世の中の常識とはズレのある方です。先日も「この人は犬に話しかけたりするんですよ」、と人に告げ口していたが、それが普通でしょ。

8月某日 転送不通
先週末からホームページのサイト転送ができなくなっていた。プロバイダーが明日からお盆休暇にはいるので、その前にと電話した。
調べてくれて、こちらでは問題ないです。パッシブモードを切り替えてみてはどうかと言われた。なんのことやらわからないので、パソの先生にパッシブモードとやらを外してもらったら即復旧した。理論も用語も分らずに、ヨーヤットルナ、ワシ。

8月某日 覆面パトカー活躍現場を目撃
いい勉強になりました。高速道路で定速で行列をつくって走っている車集団の中には、こういう奴がひそんでいるデスね。話には聞いていたけれど、ねらった獲物は逃がさないチーターのよう、始めてみました。
インターの入口で、シルバーのセダンなのに、白いヘルメットとうす青色の服の男二人ズレの車に遭遇。目が合ってしまった。おまわりだ!こちらが前になってしまったので、それからずっと105`で、運転。(5`オーバーまでは許す、と自動車学校の校長が言ってたからね) 彼らはぴったりあとから付いてくる。後ろから来て、ビューンと追い越しを掛ける車も(ちゃんと追い越す車の中ー運転手をーみてるんですね、えらいもんだ、)、ハッと気がついて、私の後ろに次々に割り込んで すまして100`ののろのろ運転に戻る。ところが、何台も続くと、事情を知らずに、なんだみんなとろとろ走りやがってなんて思っているんだろう、BMWかアウディかいい車のやからが、バビューンと追い越し車線に出て、気持ちよさそうに(ソウ、私も時々やるけど気持ちいいのよね)、アクセル全開でだして追い越していく。どうなるんだろうとウキウキとバックミラーで見ていたら、即座に赤いランプを出して覆面パトカーは正体を現して追いかける。彼女は即、わかったらしく、左車線にスグに戻った。これで、お見逃しかなあと思っていたが、ぴったり前につかれて、数`先のパーキングまで連行され、窓から手を出してパーキングに入れと合図を受ける。しずしずとパトカーに先導され、パーキングの端っこに。(物見高く、パーキングに付いていってトイレ休憩をしてきたが、違反手続きってけっこう時間がかかるものらしいよ)
教訓:急ぐときは遵法運転。

7月某日 下半身
期待をさせて悪いが、なあに「下半身の筋肉をつけないとですね」とかかりつけの接骨医に云われたのだ。ごもっとも。その節に足の指だけで歩くトレーニング法を教わった。腰痛だけでなく姿勢もよくなると云ふ。かの「声に出して読みたい日本語」で一大ブームを巻き起こしている斉藤孝氏考案の身体術、足の指を開くことにも感動しておったのだが、これに共通するものだらう。感心するばかりで、なにもしないでいるからよくなるわけもない。己自身はいつまでも腰痛持ちのままなのだ。
(「・・のだ。」にはある種の感情がともなうという見本を「我輩猫」風に作ってみたのだが、これでいいのだろうか。)


7月某日 「ズッコケ愛のプレゼント計画」を読む

あと1巻で終り(!)の「ズッコケ」7月発売の最新刊を読む。26続いたシリーズ完結は残念だけど、「ゾロリ」レベルで止まっている今の小学生には良書過ぎる。教育的すぎる。那須正幹は宅和先生が教育に絶望して退職するから物語も終わり といっていたが、そりゃあないぜ。でも、最後までみとどけてやるぜ。私ももう漱石さんは挫折。ちょっと具合が良くなると楽な方へ走る

7月某日 文豪を読む
寝こんでいて、ツンドクしていた本を読み尽くし、家人の本棚から夏目漱石全集をだしてきた。実はあまり読んでいない。猫、坊ちゃん、草枕の次の巻がこれだった。なんと、しょっぱなから会話文で始まったのには驚いた。敷居が低いじゃないか。そうだ、今ではお札の顔にしちゃってあがめているが、彼は高いところで取り澄ましているのがイヤで、教壇をすてて、新聞小説家になったんでした。よね?大衆小説なんですね。でも読み進むとけっこう難易度は高い。快癒したらたぶん中途挫折だな『虞美人草』は。

7月某日 『ジョン・ケリー』を読む
家人から馬鹿にされるようなガキの読書しかふだんしていない私だが、話題の人の正体を知りたくて、タイムリーなドキュメンタリーを手に取った。アメリカのお祭り騒ぎの選挙は、支持と援助を引き出すために、カリスマ性とフレンドリーさの権化が勝ち進むゲームだ。ブッシュは国連を無視しイラク戦争に突入したが、ケリーはベトナム戦争の英雄で国連主導で暫時撤退を唱えているなどというきれいごとしか新聞からは見えない。しかし、母方はほとんど外国の別荘で暮らす上流階級で、金持ちだけが行くイエール大学出だとか、アイルランド系だとおもっていたのがユダヤ系だったことがわかってユダヤ集団に接近したとか、自身はそう豊かでなく、前妻と離婚後は転々と人の家を渡り歩いていたとか、今も奥さんの財産で選挙に出ているとか、ベトナム参戦はたった二年未満、英雄と言うより無鉄砲。政治と選挙の話のほかも野次馬的におもしろい。出自と駆け引きと誹謗中傷合戦は児童文学の対極。すこし、大人になった。


7月某日 「ラジオ夏休み子ども電話相談」で
「なんで ちきゅうは あるの?」と言う質問をしてきたのは つばめ市のたかひろ君5才。アナウンサーはさいしょ質問の意味がとれなくて聞き返していた。「どうして そう思ったの?」・「だって・・にんげんがつくったっておもえないし・・」。なんて深遠な、なんて単純な疑問をもつんだろう幼い子は、と感心してしまった。いっしゅん地球の存在意義はなにか哲学的思索にはまってしまった。そして、解答者がどう答えるのか興味深々できいていた。地球は50億年前にできたんです。君は生まれてから5年ですねえ。50億年てわかるかなあ。それより45億年くらい前に太陽ができてね・・とおおまじめに科学的に答えていた。それにも感動。いま完全にわからなくったっても真剣に受け止めて答えてやっている姿勢はすごい。日本にまだ未来はある。
次の質問は「なまけものはほんとうになまけものなんですか」だった。ちがうんですね。一番環境に優しい生き方ですよ、って。

7月某日  腰痛その3 整骨院いきを休む
具合が悪いから昨日は休んだと、医院の待合室で話してるばあちゃん達の話を聞いて最近ふきだしたことがあったが、今日の私もその口である。新発田の某病院でも患者の待ち時間の調査をしたら、二時間待ちの人もいることがわかって、院長さんが驚いて、改善策に取り組むとか、どうぞ、そうしてくれると助かります。
そいうえば、15歳の時、トイレにも這っていった腰痛でN大学病院へいって、インターンの予診、レントゲン検査、教授の学生への講釈をしながらの診察、それから薬局で待って痛み止め薬がポンと出ただけで、一日がかり。元気な人じゃないと病院の外来患者役はつとまらない。行かない方が早く治っただろう。あれ以来、具合の悪い時は混んでいる医者に行かないようにしています。


7月某日 腰痛その2 プラスかマイナスか
スパイラルテープという、某整骨院の魔法のテーピングのおかげで腰痛は快方に向かっている。ところが、昨日の通院では待ち時間が二時間。その間のつらいこと。冷房の冷えとあいまって、待っている間に、どんどん痛みが強くなる。それでテープを張られて帰ってくるときには、プラスマイナスゼロになっている気がする。マイナスかも。家で安静にしていた方が良かったかな。

7月某日 腰痛 その1 うそからでたまこと
先週、ダンボール箱を6箱も運ぶことがあって、一緒に手伝っていた人に無理しない方がいいよといわれ、そうだよね歳だからね、と笑って答えていたのが、夜になり、翌日になったら、笑っていられなくなった。それも日に日に悪くなる。いやな予感。1週間たったら、バキッと魔女の一撃がきた。なんでいまごろ・・・。中腰が辛いので、トイレが辛い。ホームズをヨシヨシと頭をなでて誉めるのが辛い。アイロンがけが辛い。座り姿勢からまっすぐ立ちあがれない。大事を取っていても悪くなるものは悪くなる。かぜっぴきの時もそう。これも「歳」かねえ。

7月某日 さむい
35℃から24℃に急降下だ。冷える。腰が痛い。動けない。おなかが痛い。食べても出てしまう。もったいない。あの暑さが懐かしい。(と、関西人には うらやましがらせている。)まだ、大雨警報が続いている

7月13日 大洪水
長岡へ行っていた。こんな「おおごと」になるとは予測できなかった。
夕刻、長岡駅前から中之島インターまで1時間40分かかった。それもそのはず、集中豪雨で大洪水の渦中にむかっていたのだ。やっと再開した高速道路から下をみてビックリした。緑の水田があったはずなのに一面泥の海だった。道もない。

auのケータイはありがたい。被災地でも使える。ヴォーダフォンもOKらしい。ドコモには、かからなかった。ドコモからの電話もメールもできないとラジオは伝えている。こういう肝心なときに機能しないなんて、ますますドコモ離れが広がるだろう。中之島への旧国道をとろとろ渋滞しながら、メールを飛ばして眠さと戦っていて思った。

ずっと、NHK第一放送を聞きながら車を走らせていた。新潟県内だけだろうが被災地の被害情報を流している。避難場所だけでなく今開いているスーパーも知らせている。交通情報も一番あてになった。この局は、人にやさしい。


7月4日 夏が来た
きょうの空はまっさおだ。暑い、じりじりと暑い。汗をかきかき、脚立に登ってスダレを付けかえた。1枚200円ほどで、明るくさわやかになった。去年のを引っ張り出していたが、1年使うと黴黒くなって部屋が暗くなっていた。さっさと買い換えればいいのに、給料日まで買わないところは相変わらずの貧乏性。さっさと付け替えればいいものを、夏本番が来ないと動かないのはグウタラ症だ。
 そういえば、「夏が来た」のなかで「うーのはなーの匂う垣根に〜」とあるが、(歌でしか知らなかった)うの花の匂う垣根に6月はじめに豊栄図書館で出会った。自転車置き場の上はずうっと、卯の花の植え込みになっている。図書館を作った安藤忠雄もこの歌が好きなんだろう。この香りを嗅ぐと、いつも歌を思い出して口づさんでしまう。

6月某日 やりすぎ
(ごめん、wさん。)謙虚な人間になろうと日々勤めている。気がつかないように、気を回さないように、これは私には努力のいることだった。どちらかというとお節介でお調子者でお先走りだった。ソウでないもののフリをずっとしていたら、だんだんソウなった。記憶力が低下する。判断力がにぶる。年のせいもあってめげる。それでも、つとめて大人(たいじん)のフリをする。ところが、ぐぐぐと押さえているとバネが戻るように、気働きをしてしまって、やりすぎをしてしまう。
ものいえば・・、で、しまった、と思ったときはすでに遅し。また落ち込みが始まりそう。

6月28日 小泉語録  いよいよ戦争放棄・放棄?
日曜テレビ討論で 「日本を守るために一緒に戦ってくれる米軍が攻撃されたとき集団的自衛権を行使できないのはおかしい、憲法を改正して・・一緒に行動できるように・」と語った。これってスゴイこと言ってるじゃないの。なぜか新聞も小さくしか扱わないし、きょうはもうテレビでも言わない。憲法第9条の戦争放棄・放棄なんか参議院選の争点にもならないのか。吹っ飛んでいる。集団的自衛権とは「自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、自国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃を実力で阻止する権利」(朝日新聞)。小泉君は「日本防衛にあたる米軍への攻撃排除に限定」といっているが、そんなものはいずれなし崩しだろう。同盟国がやっつけられれば、はせ参じると言うことでしょ。中国出兵もそんな理由から日中戦争に突入している。今回のイラク出兵(どうみても自衛隊は軍隊にしか見えないでしょうね、何をしに行こうとも)もアメリカの同盟国だから。(このいくさはせきゆがほしいあめりかのぼーりゃくだとノンポリ・ハドソンでも思う)
日本は過去の教訓を生かし戦争を放棄して、亜細亜の国々から尊敬されていたはず。お金は出しても兵士は出さず、これは実はかっこよくない厳しい選択なんだよ、小泉君。父の亡霊は葬ってくれハムレットよ。強い国じゃなく弱い国から尊敬されたいじゃない。なんか、もう誇るものがなくなっていくよねえ。というより、立ち上がれ国民! と、すわったままどなっている私もひよっているが。

6月某日 小泉語録 子育て論議
「抱きしめてそっとおろして歩かせる」、まず抱きしめてやることが大事。たまにいいことを言う。でも空虚だねえ、家庭のないあなたが言うと。

6月某日 町内会規約
某町の町内会会則を作っている。古い町にはそういうものが何もなく不文律でこれまでやってきたそうだ。前任の不明朗会計を引き継いだ人を手伝って、市の見本を見ながらやっている。たまたま友人のご亭主が新興住宅地に移り住み新しい町内会をたちあげていた。資料をもらったり、分らないことを教えてもらったりで、ずいぶん助けてもらった。その町の規約は行政が作ったものよりずっとわかりやすく、明快だった。もつべきは友だ。ただ、依頼してきた人たちがまったく法規に不案内なので、手直ししてもさっぱり理解してもらえないのが不安である。そういえば、これは久しぶりの本業であった。

6月25日 なま田中
参議院選挙の公示の翌日に、田中なおきが豊栄はベイシア(郊外大型スーパー)に来た。駐車場に向ってマイクを手にしている。たまたまスーパーに来ていたハドソンは傘もないのに雨の中を見にいった。野次馬根性まるだし。田中真紀子は長岡のラーメン屋でもあったことがある、オーラのある人だ。が、生なおきは はじめて。動員を掛けられた風の10人くらいが聞いている。閑散としているかというと うんにゃあ、車の中で母ちゃんを待っているアッシー君の父ちゃん達はちゃんと聞いている。俺んとこの町まで候補が来てくれた、といアピールは、効いた。どこでやるより見聞きした人数は多いだろう。(数日後、市役所前で演説していた自民党候補もいたが動員数は多くてもアピール性は、田中の勝ち。)さすが人心掌握の巧みな角栄の娘の真紀子さんの夫だ。
でも、投票では、どうしぃよっかな。イラク派兵、年金めちゃくちゃの自民党だもんね。



6月某日 プロとはいえ・・年の功の方が
クリーニング店の窓口に若い男性店員が入った。パートのお姉さんか、おばさんしかいなかったのにめずらしい。始めはどぎまぎした。幹部候補生かなしっかりしているんだろうと思いきや レジの打ち込みはまちがう、暗算は間違う。そのつど、過剰に払ったクリニング代を文句を言って返金させた。こんどは信用しないようにしてる。ただのパートだったのかもしれないし、えらそうな学歴だけの現場を知らない男の子だったのかもしれない。にこやかにしていればいいのは女の子!と差別用語も吐きたくなる。
庭師でもタクシードラーバーでも、?と思うような人がいる。こちらの方が年の功で詳しいことがたくさん出てきた。娘でさえ、消毒用アルコールについてダラッグストアでひとくさり若い薬剤師にコーチしてきたという。エタノール一瓶買って怪訝な顔をされたので、冷蔵庫の消毒やレンジの清掃にも使えるのよ!っと。

6月某日 ヤマトの2重ミス
テスト前の子どもに食料品を送った。宅急便の豊栄支店で冷蔵庫が故障した。他の場所に移して保管していたら発送するのを忘れられた。もう向こうに着いているはずの翌日の夕方電話が来る。すみません、何度も電話していたんですが、どうしましょう? どうって、今荷物はどこにあるの?まだここにあります、エッツ、スグ出してよ、待ってるんだから夜着と訂正して明日の朝に着くようにして!ハイ。返事はいいが、またポカをされて、その翌日も一日待ちぼうけを食らった。(ネットで配送状況も見れるし、ドライバーにも連絡はとれる、時代は進んだ。でも人間のポカはコンピューター化が進んでも、ある)

6月某日 やかんをかけっぱなし?電子制御のありがたさ
高速道路を走行中に、あれっ、ガスコンロのやかんの火を消してきたかな?と迷い始めたら、全く自信がなくなった。手が震える。ホームズが焼け死んだらどうしようと考えれば考えるほど不安になるが。・・・つづく・

6月某日 新規開店 店
少し離れたといっても歩いて5分のところに、超新規開店の店はドコモショップとauショップ。ご時世ですね。

6月某日 新規開店 店
歩いて2分のショッピングセンター街に、ついにスポーツクラブも開店。なんでもありの一角になりました。去年引っ越してきたときはただっぴろい砂漠の真ん中にBOOK OFFがぽつんと立っていただけなのにあれよあれよという間に巨大な郊外ショッピングセンター街になりました。交差点を中心に一角が「つたや」「ひらせい」「ダイソー」にスポーツクラブ、パチンコ店、高速入口。一角が県下最大スーパー「ベイシア」、ドラッグストア「カワチ」、カーショップ「*」、セルフのガソリンスタンド。もう一角は靴屋、ガソリンスタンド、ブックオフです。残る一区画は飯場。まだこれから何かできていくのでしょう。ひなびた田園風景が、なくなってきました。いいのかわるいのか。

6月2日 洗濯機の洗濯
洗濯機の洗濯をする。テレビでアルコール消毒によるカビ対策の話をしていた。冷蔵庫の野菜庫、靴、クーラー、洗濯機の回転層の上部もカビの巣窟だそうな。ハッとする。洗濯機を清掃したことがない。犬の足ふきタオルの洗濯をしても、そのあとで、シーツを洗っていた。これは、不衛生だ。以前もチラリとそう思って生協で洗濯機クリーナーを買ってはあった。買ったままだった。
使ってみた。湯あかのような、黒いモシャモシャがいっぱい出てきてビックリした。あしたはエタノールを買ってきて吹き付けよう。

6月1日 時は春
日はあした、と口ずさみたくなるような陽気です。ウウ、後が出てこいない。

5月某日 老人会
老人会なんて年寄り臭くてイヤね。と言ってる人は80才。服を買いにいっても年寄り臭く見えるからこれはイヤとよく言う。見かけは十分年寄りなんですが、自覚がない。同級会旅行であの人はのろのろ歩くので迷惑だ、といっている本人も一世代若い側からするとのろのろ歩きで歩調を合わせてもらっているのだが、気がつかない。
人のふり見て我がふり直せ。 たぶん、私も年相応の自覚に欠けている。そう言い聞かせて暮らしているつもりですが、どうでしょ。ジーパンを履く世代じゃないだろうといわれても・・。

5月某日 間違いやすいのは 
きゅうりを電子レンジにしまっていたのは私ですが、歯磨き粉と洗顔料のダブと間違って、ウッと吐きだした人もいる。これはよく似ている。間違いやすい。先日も麦茶がなかなかできないね、と冷蔵庫のポットをみると、中に入っているのは麦茶パックではなく、生協だしパックだった。みためはソックリさん。

5月某日 お風呂で水没
お風呂に入って良い気持ちで寝てしまった。ぶくぶくと水没して目が覚めた。覚めてよかった。

5月某日 金田一名探偵
金田一春彦が逝去して特集番組をテレビで見た。会ったことはないが、いい人なんだろうなというふんいきをずっと感じていた人だ。おとうさんには中学で会っている。校長が友人で、で全校生徒を集めて講演会をしてくれた。啄木の話だった。その頃はふーんと聞き流していたが、大人になってから金田一京助は言語学とくにアイヌ語研究の第一人者で石川啄木の学友・援助者だったことを知った。いいお話を聞く機会を作ってくれたんだなと校長に感心した。
そんなことで、テレビによく出るようになってから親しみを持ってみていた。
誘拐事件などでは、横溝正史もまっさおな、名探偵ぶりだったんですね。知らなかった。
きょう図書館で著書を借りてきた。『わが青春の記』と『金田一先生に教わった敬語のこころ』。後者は秘書の井上明美さんの書かれたもの。

5月某日 アルカイダと私
ご近所の街道ー国道113声線や県道3号線ーには中古車屋がたくさんあって、自転車でめぐっているロシア人や車で来て商談しているアラブ系やインド系の外国人をよく見る。そのなかにアルカイダさんもいたらしい。接近遭遇だ。

5月某日 プツプツ
顔(あごの部分)にぶつぶつができた。かゆい。全市一斉えんぞ掃除からである。あり合わせの薬で我慢していたけど、夕方になるとジンジンしてきてかきむしりたくなる。親友のえごのきさんも、こんな状態から顔中ひろがって美貌が半年も崩れていた。たまらなくなって皮膚科に行った。近所の病院は一日おきに大学から派遣されてくる医師がみてくれる。かぶれですね、とチラッと見てカルテを書く。弱い薬を出しましょう。(えええ、それでいいのかね)それでよかったんです。一日で治りました。新しい薬を知っている若い医者で良かったのかな。

5月某日 ぐわんばれ皇太子
雅子を守ります、と結婚するとき言ってはった。いまだ、妻を守れ、がんばれ皇太子。美智子さんの二の舞をさせるな。もう、させてるか。うちにも帯状疱疹から心身症に移行した人が居た。救ってやってください。夫が味方になってやらなければ、誰も味方はいないのよね!

5月某日  「フジマキに聞け」のファンです
朝日新聞の土曜版のフジマキ兄弟のコラムのファンです。おもしろい。お兄さんは元伝説のカリスマディーラーで、経済問題、とくに私が全然分らない株と為替の話をわかりやすくしてくれる。弟は元伊勢丹のカリスマディラーで今は福助の社長、中高年のファッションリーダーで、参考になる。過日、テレビでも福助の立て直しの現場を映していた。がんばれ福助。これはさておき新潟の伊勢丹のヘンリー****の店員はこの人そっくりだ。


5月某日 北勝力
ホクトウリキは金丸信に似ている。

5月某日 子は鎹(かすがい)
子はカスガイという。いつまでも脛をかじってくれる子がいて、幸せだ。

我が家では犬もまた、カスガイである。戻ってきてくれてよかった。これで、つれあいが多少はめをはずしても大目に見てやってもいいかと寛容になっている。

5月19日 初鳴き
かっこうが鳴いている。公園の電線に来る。のどかだ。
夕方は こうもりも飛んでいた。鳴き声には 気がつかなかったが。
いっぱい羽虫を食べて下さい。でも、家の中には入ってこないでね。


5月某日 失せもの
いつも、何かを捜索している。先々週は買ってきたばかりのヤマハの包み。これは出てこない。先週はパンツ。これは出てきた。今週は金のイヤリングを探している。子ども達が誕生日プレゼントにくれた丸い小さな金の玉のイヤリング。おおかた1000円台のハドソンのアクセサリーの中では高価な貴金属である。、なにしろ金、18金だからね。いつも置くべき場所にアルはずと思っていたら、ない。ズボンのポケット、コートのポケット、あらゆるバック、鉛筆立て、風呂場、洗面所、探してもない。車を掃除したときに吸い込んだのかもしれないが、落ち着かない。パソコンの中のファイルも行くえしれずのものがある。

5月某日 国民年金?ひさびさ怒ってます
稼ぎの少ないパートのおばばさんだったハドソンは、強制加入になってから亭主の厚生年金にくっついた国民年金3号になっていると思うが、よくわからない。どうせ、たいしてもらえるわけないから、当てにしていないからだ。そのへんは塩爺ら自民党国会議員に同じくだ。でも、他に当てになる財産があるわけではないところは違う。美人薄命で老後を考えたことがなかったのに、まずいことに、ここまで生きているから美人ではなかったコトが証明されてしまった。どちらも困る、老後も、不美人も。
子ども達は大学在学中は猶予願いを出している。しかし、その分後払いしないと年金受給が減るという。でも、払えないよね。これも、担当の人が家まで押しかけてきて「加入してないと事故にあっても障害年金がもらえませんよ。」と脅すので、シブシブ入った。うちでも苦しい13300円。二人いれば26600円。3人ならば、・・・これを増額するってえのがこの国会の改正案。庶民に払えるわけないだろう、健康保険だってあるんだぜ。なに考えてるんだろ政府は、民主党は。
ところで、小泉君の年金問題で、えっと驚いたのは20才で予備校生だったこと。2浪かあ。

5月某日 宇多田の新曲はハ長調?
通奏低音はハ長調の「ドミドファミド ドファミド」のくりかえし?安定感のなさ・はかなさと覚えやすさは、ここがひみつだったのね。「ミソラソミソドド」のようなもの。

5月某日 説教
子が親に説教をしているのを見ていると どうもこれは見苦しい。しかたないよね、物覚えは子の方がいいんだものね。と口ではとりなすけれど、気持ちのいいものではない。と他人事では思いつつ、わたしも親に説教を垂れてきた。後味は悪い。

5月某日 宇多田の新曲はつらいね
「・・わたしの涙がかわくころ あの子が泣いてるよ
・・・誰かの願いがかなうころ あの子が泣いてるよ
みんなの願いは同時にはかなわない・・・」
Dreams come trueなんて 言ってられた時代は よかった  恋もイラクも誰かしらの願いしかかなわない

5月某日 事故
新々バイパスの対向車線で車2台の事故があった。AMラジオでしばらく前に言っていたので、予想はしていた。人身事故にはならなかったらしい。よかった。とはいえ、夕方のラッシュ時なので後続の車は大渋
滞。「パトカーが向っています」と放送で言うけれど、たしかに向っては いる。かなり後方で、車にはさまれて身動きできないパトカーを見た。

5月某日 事故
子どもが帰京しようと駅に向った。小さな駅前なのにやけの人が多い。さすが連休だね、と言っていたら、踏切事故で列車が立ち往生していたそうな。信越線も、北陸線も連動して遅れたそうな。3500人に影響があった、と翌日の新聞に書かれていた。3500分の1の子とメールで話した。今回はワゴン車の夫婦は逃げていて怪我もなかったようだが、都会のJRでは人身事故=自殺が後を絶たなくて、電車の遅れは日常茶飯事とか。迷惑な話だよね。死にたい方は人の邪魔にならないところで死んでね。

 5月1日 「ただ耳を傾けて」  35歳主婦の新聞の投書から
バスの中の親子連れの会話から自分自身の反省を込めて、こどもは部活の苦労を母に話して「解決方法を教えてほしいのではなく、ただ愚痴を聞いてもらいたかったのだ。」と気がついたと書いている。そうだそうだ。話は聞いてもらうだけでいいのだ。どんなにいい解決法をアドバイスしても本人ができなければ、その気にならなければ無駄、無意味、おせっかい。でもカノジョは、こどもにはこうしなさいと決めてかかり、夫には、「やるのかやらないのかという二者選択で物事を迫っていたのだろう」と反省している。まだいい。私なぞは選択の余地なしで責めている。わかっていてもなかなかどうして性癖はとめられない。

4月金曜日 ものわすれポカ2連発
生協の配達日だったのを忘れていた。3回に2回はこんな調子でFAXで注文書を送っている。
図書館は週1回の12時開館の日だった。暖かいので外で開くのを待っていた。お昼を食べに行ったんだもの。

4月某日 A線
田中楽器で弦のA線を買う。両腕に交互に来た神経マヒ以来休業していた。線が切れてもそのままだった。今でも1時間は続かない。手が固まって動かなくなる。歳をとると全快ということはないのだ。でも、創造性のあることに再挑戦したくなった。おひさしぶりですね、ええ、もう引越ししちゃったんですけど・・と店員さんと会話。先生はお元気の模様。

4月某日 生きていく力
「考えないこと」。さらにけっこう「惰性」だったりして。しかも、それが常道なのかもしれない。? 好きじゃない生き方だけど。

4月15日 イラク人質3人一週間ぶりに開放
まずはよかった。無事でよかった。が、今日また誘拐されたらしい2人が他にいるので大喜びとならない。もうみんな帰国しようよ。民間人も、軍人も。

4月某日 あまのじゃく
子にいわれるとおり、私もあまのじゃくだと認める。昔からそういう性癖はあるのだ。子どもの頃も、親に勉強しなさいと言われると したくなくなると怒っていたそうだ(言われなければ しないくせに)。反論することが知的であると誤解して育ったふしもある。 そのうえ「いやいやちがいますよ・・・」が接頭語になっている「ああいえばこういう」人と暮らしているから加速している。気がつくと同じ言葉を返している。すみません。{コーユーHPヲ キバラシニ ヤッテイルコトジタイガ  アマノジャク ナラデハ デスナ}

4月某日 肩こり
首を曲げると、コキンコキンと音がする。姿勢を正しているのが疲れる。骨がずれたか。

4月某日 脳が砂に
頭を振るとシャリシャリと砂をこぼしたような音がする。物忘れが激しいのは脳が萎縮して頭蓋の中がスカスカになっているからか。前にもこんなことをぼやいていたような。

4月某日 小泉批判
小泉首相は「自衛隊を撤退させることはない」とはじめから断言した。それは人質が焼き殺されてもかまわないということなのだろうか。アメリカに追従することで将来の石油利権と安全保障を考えていたにしても、あの発言は外交であって、国民を向いてはいない。裏金で解決するにしても、アメリカ軍のスクワットをあてにするにしても、あの発言はへん。非軍人の3人にも問題は多いが、国民を守るのが公務員のお仕事だろうに、おまえさんはそのトップだろうに、それはないゾ。3日間の猶予期間が過ぎ、開放するというニュースがあったが、いまだ開放されず、膠着状態が続いている。それにしても、これまでのイラクの対日感情は、ほんとうに良かったのだなあと、アルジャジーラTVの討論会で知った。平和国家日本の評判が自衛隊派兵でこわれて、もったいなかった、と思う。

4月某日 武者小路実篤
仲よきことは美しきかな だったっけ

4月某日 友あり・・
友あり遠方より来たるまた楽しからずや・・・の日
ただし、おしゃべりに興じてしまうと手が止まってしまい、あとから「あれあれ」と思うこと多し。はっさくの山を出ししておきながら一つしか むかなかったとか、昼ご飯が間に合わないとか、段取りの悪さに、あとから冷や汗。ごめんね。

4月某日 木は森に隠す
家人はご紹介の通り成人病の持ち主なので、アルコールは原則的には不可(と、先の主治医はおっしゃっていた)。例外的にビールを少々たしなんでおられる。本来はお好きなのであればあるだけ飲んでしまう。そこで、しかたなく毎日ちびちび買いに出る(ことになっている)。あれば日本酒だろうとワインだろうと飲む。いちばん好きなのはスコッチウイスキー。買ってくればスグ、空になる。空いた瓶を棚に並べているのだが、「木は森に隠す」で、来客に備えての予備は そのなかに隠してある。全く気づかれていない。人にふれまわるくせに、当人はこのHPは見ないので、とうぶんそれもばれないだろう。気がついたなら、見ていないと言いながら見ていることになる。さあ、どうでしょう。・・・家人からは いじわるで、やさしくないと言われております、ほんとだね。

4月某日 歩いて買物に
車がなかったので、歩いて買物に行った。この町に来てはじめてのこと。コンビニで週刊文春を買って、K薬局で院外処方の睡眠薬を貰い、Uスーパーで苺と牛乳を買った。いい運動になった。デパートの中をぶらぶら歩き回ることはあっても、車の通る道を10分も歩いたのは、ひさしぶり。道ばたに土筆が出ていた。車に乗って動いていると、気がつかなかった。たんぼの脇には除草剤の効果か生えていない。もっとふだんも歩かなくっちゃあと思う。それにしても、風の強い町だなあと 家に帰ってきたら、この風はただごとじゃない。家のドアはガタガタかってに開閉しているし、隣の板金屋サンの板かバタバタ鳴っている。高圧電線もうなっている。風速15メートル以上ありそう。と ラジオをつけたら 農業用黒ビニールが飛び交って新幹線を止めたと言っていた。
 

3月某日 『ブックオフの真実』(日経BP社)
という本で社長の坂本孝氏が言っている。内容には全く関係なく、きれいな本でも仕入れは元値の10%、売値は半額、3ヶ月過ぎた本は100円で売っているんだそうな。今日105円の本を買ってきた。かびくさかったがきれいだった。

3月某日 これもラジオで
女流チャンバラ評論家という人がゲストだった。じいちゃんがチャンバラ好きだったので、いっしょに見ていて好きになったという30代の人。あなたがいちばん印象に残ったチャンバラ映画またはテレビはなんですかと会った人に聞いている、と言っていた。カノジョのお気に入りは林隆三と山口崇の出ていたテレビ。題名は聞き漏らしたが、たしかNHKでやっていた平賀源内の時代劇ドラマ(見た見た)、それと「8時だよ全員集合」の裏番組だって、これは知らない。私が聞かれたら映画は笛吹童子、テレビは三匹の侍と答えるかな。はいはい、歳がばれるんですね、この質問は。うちの子は水戸黄門くらいしか知らないだろうな。ワトソンさんは黒澤か初代の鬼平かな。あなたは?

3月某日 カーラジオで歌を聴いていて
はからずも涙がこぼれた。シオンという がらがら声のおにいさんがささやく「がんばれがんばれ」という歌だった。いつでも帰ってくればいいんだから もうちょっと 
がんばれがんばれ (ここのところを小声で詰めて歌う)、という歌。田舎の母さんが語りかけているような歌だ。こんな風にいってくれる母さんがほしかったなあ。こんなふうにこどもにいってやれる母さんになりたかったのになあ・・・。もう一度聴きたいと、ツタヤに行ったけれどなかった。


3月某日 合唱コンクール課題曲
”笑うときには おおぐちをあけて 笑う
怒るときには ほんきに 怒る
ウソをつけない自分を信じる
信じることに理由はいらない
信じることに理由はいらない・・・”
今年の中学の課題曲は谷川俊太郎の詩。いいなあ。いい歌だなあ。怒るときにはほんきで怒るっていいフレーズだなあ。これができないし、したってあとでめげる。それを、ウソをつけない自分を信じるって受け止めてくれて勇気づけられる。
でも歌うのはむずかしそう。”わ・・”から始まるんだもの、見本の合唱をラジオで流していたけれど出だしが ”うわ・・”と聞こえる。

3月某日 対談と対論
網野善彦と森浩一のかけあいで進む『この国のすがたを歴史に読む』(大巧社)を読んでいると、この二人はお互いに認め合ってなごやかに対談しているなあとやすらぐ。ふたりとも異色の学者だ。
一方、佐原真と小林タッツアンの『世界史のなかの縄文 対論』を読むと、のっけから「縄文」か「縄紋」かで互いに譲らない、譲れない。弥生の大家対縄文の大家の丁々発止。最後まで緊張感が続く「対論」であった。どちらもおもしろかった。追悼 網野善彦&佐原真。

3月某日 タートルネック性肩こり
タートルネックのセーターを着ていると肩がこる。

3月某日 どうでもいいこと
どうでもいいことしか書いていない。のっぴきならない事件は書かない。

3月某日 夜の手紙
夜書く手紙は感情過多に書きすぎて、失敗することが多い。メールはなお。失言失言。

3月某日 ニュースステーション終わる
久米宏がビールを飲むのに合わせて、番茶で乾杯した。シクシク。久米の軽妙なアドリブと政治家におもねらないつっこみが好きだった。たしかに芸能人的で博識ではなかった。政治にもはっきり物を言ってにらまれていた。一般人の視点でするコメントがTAやTIやTOのニュース番組より好感を持てた。それなのにそばで、それはバックに朝日新聞が付いていたからだ、何を言うかは事前に決まっていた別に久米が偉いわけでない、と興をそぐような発言をする輩が、ブツクサ・・・。
別室に逃げてオールナイトニッポンを聴く。しみじみさせてよ。

3月某日 週間文春
やっと買った。先週の長島記事も載せてほしかったなあ。

3月某日 イスラエルという国
イスラエルはハマスのヤシン師を暗殺。復讐にアラブ人がたちあがるだろうに。これまでの和平工作はすべて無に帰するだろうに。敵対する相手は抹殺すればよいのか。
だからユダヤは嫌われる。キリストはその排他性・攻撃性を嫌って許しと慈愛の新しい神を作った。アメリカはキリスト教徒が作った国だったはずだが
 
3月某日 頭の霧
たまに晴れる。今週は好調。

3月某日 バタ足
しばらくぶりでプールに出かけ、ビート板を借りた。バタ足25メートルでねを上げた。はあはあはー。病弱なSさんは週1で400メートルだというし、元気なKさんは700メートルだという。かの吉永小百合さんは1キロときく。美しい人は努力をしているんですね。

3月某日 困り眉
骨格にそって 弓なり眉にしていたが、目はだんだん垂れてきたのでギャップがおおきくなった。もともとゲジゲジ眉だったのが、歳をとるとともにまばらにはなるがゲジには変わりはない。そこで、誰かさんみたいな困り眉にしてみた。困っているのでちょうどいい。

3月某日 日本書紀
浦島太郎を理解するのに古代史をよみはじめて、バンダイの社長山科誠が書いた『日本書紀は独立宣言書だった』という、おもしろい本にあたった。学生時代、浦島以上に日本神話や古代史の中の天皇はよくわからなかった、謎だった。が、これは私の頭が悪いのではなく、スサノオから始まる日本の王は朝鮮の王族なのを隠蔽して書かれたからだ、という驚きの謎解きだった。「天武天皇が日本書紀の作者達に命じて隠そうとしたいちばんの秘密は、日本の王朝が実際は何度も交代し、その征服者たちが朝鮮半島から来た民族であったということ」だそうな。
そういえば、『日本書紀』は出だししか読んだことがないなあと山田宗睦訳を借りてきた。(図書館が近いのはうれしいナ。)まったく百済だの新羅だの朝鮮の記述が多いよ・・・。後書きを読むと、日本書紀は倭国史の盗用(古田武彦)だ、と書かれている。日本書紀を書いた筑紫史益は「もと倭国の史官」「白村江の敗戦で倭国が滅んだとき、日本国に付属がえして・・・書き替えを職務と」したんだって?「倭国」ってどこの国??日本じゃないの?私の知らない歴史があったのか


3月某日 こだわりの浦島太郎 その4
(『よみがえる浦島伝説ー恋人達のゆくえー』坂田千鶴子・東邦学園短大教授著より
「浦島太郎の物語の起源は、古代、海を舞台とした日本の皇子と中国の皇女の美しいラヴ・ストーリーだった!」
エエッツ、でしょ?
浦島事件(478年)が起こったのは雄略天皇時代(457〜479)。このころ日本は中国の冊封体制を離れて自立の道を歩みはじめた。新たに生まれた国家の正統性を主張するために これまで中国に隷属していた事実は隠蔽した。ゆえに、記紀には(卑弥呼の時代から朝献して密接な交流があった)中国についての記述はあえてふれられていない。トナ

3月某日 いじわるはどそん
今週もいじわるをしています。最近の人は皆やさしいからか、いい子でいたいからなのか「あなたはダメ」と言わない。だめなものはだめといわなければ良くはならない、と声をあげてしまう。傷つけない物言いをしようとすると、かんじんな相手には伝わらない。身近な人にはハッキリ言っては嫌われている。言ってしまって心がひりひり痛む。意地悪は疲れる。言わなきゃ良かったと後悔します。
木の芽時は、ささいなことなのに感情のたかぶりでそばにいる人にあたって激怒することもあります。これもいじわるはどそんです。
どのみち・・・ものいえばくちびるさむしはるかぜも。


3月某日 投書
3月6日の朝日新聞の投書欄で「”金帰日出”の夫 家族に存在感」という一文を書いていたのは いとこです。夫君が単身赴任する前も 趣味は畑つくりで家の中のことはなんにもしないの、と言っていた。単身赴任してからも毎週帰ってくるが何しに帰ってくるんだかというぐちをきいていた。どちらかというと、じゃまにされぎみな彼であったが 「どうってことのない私たちなのだが、夫がこんなにも帰ってきてくれることで、私たちは自信と安らぎを与えられた。夫が帰ってきたいと思ってくれるのだから」と書かれるに至った。伝書鳩の彼は偉い。そのように考えられる細君も偉い。
毎日にょうぼに悪態をつかれながらも 家と職場を往復する我が夫君はもっと偉いかも。

3月某日 小林よしのりも
マンガ『ゴーマニズム宣言』のよしりんもイラク派兵反対を本にした。南京事件、従軍慰安婦では日本を正当化していた人だ。浅田次郎も反対している。自衛隊員だった人だ。チョットこの人おかしいんじゃないのと思っていた人たちまでも反対に回っている。

3月某日 スペインのテロ
次は日本、と普通は思うよね。
ポーランドも反論。韓国も派兵縮小。  小泉、どうする。
スペインのように国民が戦争反対を叫びたいとき、はて、イラク派兵に反対していたのはどの政党誰?

3月某日 古伊万里?
某骨董市で古伊万里の欠陥商品だという小さな一輪挿を買った。砂粒が付着したもの、他の磁器にくっついたもの、穴の開いたもの、欠けたものが山になっていた。唐津はかけらでも価値があるとか、江戸時代のものだとか、こちらの人たちは目が肥えてるだとか、同業者も買っていったとか、店の親父さんの口上がおもしろくて足を止めていた。老齢の紳士が「これを20も持っている、いいものです」と立ち寄ると「旦那さんはお目が高い」と受けてほめる。香具師の口上もかくや、商売は気持ちを良くして金を出させるもの。古伊万里というのはウソだと思う。なぜなら腹に穴が開いている物も首が欠けている物も割れ口が新しい。中は土が付いているのに割れ口、欠けグチはきれいで汚れがない。これは不自然である。かって弥生の壺だというものを8万円のところ3万円でほくほく買ってきて「(バカだなあ、)弥生にこんな様式はないでしょ、」と博物館のH先生に笑われたのは私。旧石器・縄文から中世の遺跡発掘の遺物整理で目も肥えた。いつごろの欠けか見分けは付く。今回は親父さんのおしゃべりに1000円。

3月某日 連日の小津
眠くなる。

3月某日 週刊文春
買い損ねました。売れたんだろうな。

3月某日 ウソツキは嫌いです
裏表のある言動も嫌いです。武士ではないけれども、言ったことには責任を持ちたい。結果的に窮地に追い込まれようと、私は正々堂々と生きていたい。人に強要はできないけれど、そうでない人は嫌いです。いさぎよくても、いいこぶりっこも嫌いです。まっすぐな人、一生懸命な人、が好き。でも、いっしょにいたいのは寛容な人、ほめてくれる人、暖かい言葉をかけてくれる人、気持ちが通じる人。
こんなことをわあわあいう日は、自己嫌悪の穴にに落ちてる日ですナ。(あなたは正々堂々と生きてるの?との、つっこみあり。正々堂々と生きたいの。生きているのではないのです。気を抜くと、いいこぶりっこをやっている。自己正当化、ズル、楽をする。だから、みんなもそうなんだろうと類推するわけ。根性ワルですな私は)

3月某日 話されないことに真実が
よくしゃべる人の職場話をよく聴いているとなぜか名前の出てこない人がいる。意識的にさけている。問題点かも。

3月某日 高校の教科書に
會津八一の歌がのっていたはずなのだが、思い出せない。しゃ超空や河東碧梧桐とならんでひらがなだけの短歌が斬新だったとしか思い出せない。歌集をめくってみるのだが、わからない。覚えている人教えてください。


3月某日 ドキドキ
パンとコーヒー(または紅茶)で、昼食なあんて こじゃれたことをすると、心臓がドキドキしてきます。昔からですが、最近はいつまでも。全力疾走したあとみたいに。そういう人、他にも いますか。 

3月某日 故障
 車のキーレスエントリーが 故障して効かなくなった。なくてもなんとかなるさと がまんしていた。けっこう、惨めな気分。くらやみで鍵穴を探せないで手間取る。雨の日はなお。トランクだけ開けることもできない。
えい、買い換えようか、とカーディーラーにとびこんだら、何のことはない、電池切れ。ボタン電池一個¥450で一件落着なあんだ。
 
3月某日 美容院つながり。
偶然3人は同じ美容院だった。共通の話題があるっていい。
 
3月某日 人疲れ 
おしゃべりは好きなんだけど。後遺症で2日寝込む。
 
3月某日 放春花
和名では ぼけ と言う。名前が悪い

3月某日 工藤美代子著『野の人 會津八一』をおおいそぎに読了
「野の人」ならんと欲して「野の人」になったのではなかろう。「文化勲章もうけず、芸術院会員にも推されず・・・野の端に身を置いてその一生を終えた」が、文化勲章も芸術院会員ももらえていたら喜んでいたのではなかろうか。思いこみが激しく、青雲の志も自己主張もプライドも高かったようなのだから。(叙勲を受けて喜んでいる年寄りを見てくると、そういう気持ちを持っているほうが本来で、若いときは粋がっているかまたは偉ぶった気持ちをひた隠しているだけだと思う)
八一の歌と書は現国の教科書でカナばかりの歌にあって以来、修学旅行の奈良で歌碑を見て以来、私も好きだった。
工藤美代子も、子ども時代に骨董屋で色紙を見つけて引きつけられたそうだ。しかし描く伝記は緻密で真実にせまる迫力があるが、どこかで冷たく突き放していて、乾燥した空気を感じる。なぜだろう。

「佐藤亜紀」氏のエッセイで気づかされたが、新潟人にとって「国のまほろば大和」は、我らが国ではなく全くの異国であると私も思う。八一が「南京新唱」以来、奈良を逍遙するのはそこに日本の神髄、深遠なるギリシャへの道を見いだしただけでなく、貧窮かつ逼迫した不如意な現実からの逃避でもあるかもしれない。芸術性は別として。

後日 歌人・山田富士郎氏のこの本についての講義を聴いた。(そのために読んでいたのだ。義理で。)いい話だった。短歌は何も分らない私でもわかる話だった。
この工藤美代子著の功績は、八一の恋愛模様の反転にある。弟子達の伝記では相思相愛であったが障害があって泣く泣く別れ、八一は生涯独身を通したとされる。それを、八一の思いこみの激しさからの、尋常では考えられないような一方的な片恋だったと立証し、神話を崩したと話す。(それより前に渡辺秀英こと我らが団長先生も反論していたと、さすがだ。)
 「會津八一の上のほこりやちりを一気にはらった本である。」「これで、八一が小さくなったのではなく、偉大な教育者で、手の届かないところにいた人の、生き生きとした人間像がてらしだされてくる。」「ぶざまな片思いの顛末を知ったからと云って八一への尊敬の念がそがれたことはない、逆にしたしみを持った。」と解説する。
ただし、この本の難点は「芸術・学問に言及していない」ところで、これ一冊で八一の伝記はヨシとは言えないこと。八一が世評を気にしていた、社会の評価の低さに苛立つと本ではいっているが、「私は気にしていないと思う」。「世俗的名声より自分自身の納得が大事で、すこし矮小化されている」と語った。工藤氏に対する反論には納得。ただし、この論にも同意できない。
この方は『岩波現代短歌事典』の會津八一の項を担当されたそうで、ああ、第一人者だったのかと話の分りやすさに感服。昭和25年生まれで聴講生の誰よりも若かった。
八一の芸術性。新潟の文人の代表八一、安吾、順三郎の3人が何故か戦争に対してあざやかな距離をおいていた共通点の意味。「辺境」というキーワード、について語り尽くす時間がなくて終わった。続編が聴きたくなった。

3月某日  テレビで
鶏インフルエンザのニュースを見ていた。ワトソン氏は「京都のA養鶏場は悪者にされているが、商売なんだからもうけを考えて当たり前だ」と、おっしゃるので「悪いわよ、取引先にもめいわくをかけて。商売にも社会道徳があるはず」と申上げると「この人はいつも俺の言うことに反対する」と、・・けんかになる。

3月某日  テレビで
DVDでミュージカル『シカゴ』を見ていた。きっぷのいいダンスと女の悪態ブリが胸がすく。男から見たらこれはストリップに見えるのかな、おすぎは推薦しているけれど。ダンサーの女囚が腕利き弁護士を5000ドル出して雇い無罪を勝ち取る。いっしょに見ていたワトソン氏が、「5000ドルは5万円ですな」と言うので、「ええ?、それは違うでしょ」と返したら「この人はいつも俺の言うことに反対する」と、・・けんかになる。

2月某日  浦島太郎 その3 
長田ふみと『浦島太郎の謎』から
浦島説話のルーツをたどって中国から沖縄、東欧、アイルランド、ギリシア、メソポタミア、北欧、まで追い求めている。その執念はすごい。ケルト民話の「年をとらない国のアシーン」に共通性をみている。(女性がこれはと思う男性を迎えにきて時間の経過しない世界に連れてゆき、そして最後にこの世にもどってきたその男性が一瞬にして300歳の老人となってしまうという特異な構成はこの二つー『風土記』とこれだけだそうだ)しかし伝播のルートはわからない。(かれはケルトの民が日本に流れ着いたのではと推測している!エエッツ。
この本では「謎」を哲学的に受け止めている(ように思う)。
で、彼が提起した謎ですが「寂しい竜宮城」については(もっとも古い『風土記』では家族から近隣の村人まで登場するので、後世の書き足しだが)永遠の楽園に美しい姫と二人だけで暮らし、現実の人間関係のわずらわしさからのがれられる願望が語られているという。
「釈然としない結末」「奇妙なみやげもの」については、結果的には「これほどよくできた話はない」と。私たちは不老不死の永遠の肉体・命を手に入れては幸せになりたいと願う。しかしわたしたちの心は永遠の世界に生きるようにはインプットされていない。望郷の念、肉親愛は心に織り込み済み。「私たちの心は何のためにあるか。それはわたしたちの肉体が限定された時間と土地に適応するよう取り計らうためであると、・・・いわんとしている」。「人生は有限であるからこそ有意義なのだ」  そうか浦島は哲学書だったのか 

長田ふみと」さん、経歴なし、学会に属さない市井の人とみた。自由闊達に論破しているが、かんじんな基盤がわからない。歴史的検討と哲学的思索的考察が入り交じってしまった。
 
結びに「浦島太郎が竜宮城から故郷に帰ってきたとき、・・・ある恐ろしい動物が彼を待っていました。さて、それは何だったのでしょう?」と書かれているので、数日悩んでいた。小学校唱歌を歌ったときに、なあんだジョークだったんだとわかった。わかる?「♪むかしむかし浦島は助けた亀に連れられて・・・帰ってみればkowaikani・・・

2月某日 水中歩行
生暖かい陽気が続いています。家庭の事情でスキーに行くにいけないので、代わりに近くのプールに行きました。静脈瘤だらけで裸に自信がないので半年躊躇していましたが、「肩こりのリハビリよ」と自分に声をかけて出かけました。1回600円ですからスキーよりは安上がり。(ロッカー代20円もいります!)ふしぎと全く疲れた気がしないのは、スキーのように、いいかげんにやっているからでしょう。どこもいたくはないのですが、25bも一気に泳ぐと、心臓がパクパクします。ジャグジーの42℃くらいのお湯でぬくぬく休憩しながら、しばらく動悸が修まるのを待ちます。無理はできないので、こんどは腕を振りながら水中ウオークです。周りを見ると歩いている人の方が多い!(近眼でよく見えないのですが、)もっと年配の笹団子おばさんと筋肉質おいちゃんが多いようで、町民プールだなあと安心しました。(男の人で腹が出ている人はいなかったですよ)肩こりの全快にはまだ道は遠いようですが、おなかをこわした一因(体力消耗)ではありました。

2月某日 浦島太郎 その2 
浦島太郎研究(『よみがえる浦島伝説ー恋人達のゆくえー』坂田千鶴子・東邦学園短大教授著より)
私たちが知っている「いじめっ子から亀を助けてお礼に竜宮城へ招待される・・・」という話は明治時代からなのだって。
えー!
資料でさかのぼれる最も古い浦島話は『丹後国風土記』。姿容秀美な青年・浦の嶋子をみそめた神仙界に住む姫が自ら向えに来て、求婚。承諾。自分の国へ連れて行って結婚する。姫よりも故郷が恋しくなった嶋子に玉手箱をもたせて返してやる。故郷に着くと何百年も経っていて、我を忘れた嶋子は開けてはいけないと言われていた玉手箱を開ける。すると「かぐわしきすがた、風雲にしたがひて蒼天にとびけりき」(箱に潜んでいた姫が仙界に去ってしまったことと解す)天と地と分かれてしまったがふたりの愛は永遠と歌いかわす。
ええ?え!
浦島太郎さんは古事記・日本書紀・万葉集と、古代文芸のおおどころに全部登場、時代の流れに制約されながらも男女の愛をおおらかに歌いあげている。平安時代になって古事談ではポルノ文学に。『群書類従』では道教的。鎌倉・室町時代の『御伽草子』では主人公も庶民になって仏教的な「他生の縁」に。江戸時代には近松の浄瑠璃にも。明治に入って、かの巌谷小波が子ども向きでない部分をそぎ落とし乙姫と太郎は結婚しなくなる。
国定教科書にも報恩譚として取りあげられる。森鴎外は乙姫のもとを去る理由が男は仕事が第一、女の愛は二の次という脚本『玉くしげ両浦嶋』を書いている。現代の絵本では『まんが日本昔ばなし』がダントツ良くて、松谷さんのはうがちすぎとか。 
ふう。
おもしろすぎてもったいないからこれ以上教えない。本を読んでみて!ここから、今日の新聞の箸塚は邪馬台国?にもつながっていくんです。末尾の学生の作った現代版「浦島太郎」は、めっちゃおもしろかった。

2月某日 浦島太郎
へんな昔話だと子どもの頃から思っていた。助けた亀に竜宮に連れて行かれて歓待されるのはわかるが、みやげにもらった玉手箱から煙が出て太郎はおじいさんになってしまう。なんで、恩を返すのに不幸話でおわるのか?そう思った人は他にもいた。『浦島太郎の謎』を書いた長田ふみと氏は昭和26年生まれの新潟県中越在住とあるが、正体は不明。この人も 
謎1:釈然としない結末
謎2:奇妙なみやげもの
謎3:寂しい竜宮城  とふしぎがっていたんだ。

2月某日 星座どくせん
家の上にオリオンが乗っかっている。昴も見える。なんだかうれしい。

2月某日 雁木がほしいゾ
建築家は利用者の便宜を考えていないか図書館を利用したことないような奴かと思う。新潟県立図書館の駐車場はなんだ。美観が優先。本館のはるか手前で車を降りさせられ、鳥屋野潟湖畔の遊歩道を歩かされる。歩道は雪でグチャグチャ。アプローチは鳥屋野潟を渡る風と雨、雪のふきっさらし。トラック半周以上の距離がある。本を抱えて立ち往生した。
豊栄図書館も関西の建築家の「作品」のせいか、配慮がない。安藤、冬に来いといってやりたい。


2月某日 図書館で
何十年ぶりで調べ物をした。あっという間に時間が過ぎた。たどっていくと謎が解ける、自分の無知を知って、無知を知に変える、勉強・学問というのは愉悦なのねえ。私には暇つぶしだったが、たのしかった。残念だ、今頃気づいて。

2月某日 小銭貯金
話変わってせこい話。買物に行くと小銭ばかりがふえるのを みなさんは どうしてますか。スーパー原信でも釣り銭が自動的に出るレジスターになって小銭が出しにくくなった。小銭を出すと手間をかける。便利すぎて小銭ばかりが財布に残る。小銭貯金箱もいっぱいだ。以前は年に1回、貯金箱を開けて金種別にし、子ども達がじゃんけんで分けた。500円硬貨の山を手に入れた子は大喜び。1円玉にあたった子はがっかり。銀行窓口に持込んで通帳に入れてもらっていた。最近、多いと入金も有料になると言われて辞めた。ATMの入金も都市銀以外では札しか入らない。家中に小銭があふれていた。
先日、郵便局のATMは硬貨入金ができることを発見。小分けにして通りがかりの時に入金し始めた。そのための通帳を作った。はじめてのへそくり!

2月某日 がんばりやの友へ
私も同じく有神論者である。神様が空から見ているから正しいことをしたいだ。大きな声で愛を叫べるし。根本は愛。それも愛されていたい。せめて神からは。
司馬遼太郎の言っているように「清廉にして自己に誇りと志を持って」生きていきたいね。がんば。

2月某日 パソ休眠
プロバイダーからの連絡を見落としていてネームサーバーアドレスの変更を忘れていたらインターネット接続ができなくなった。あわててあれこれいじっているうちに停電になって邸内の設定も落ちてしまった。ハドソンはもちろん、ワトソン氏にもお手上げで、プロを呼ぶまで休眠状態になった。前にも言っているが、インターネットとメールがとぎれると世界から切り離されたようで寂しかった。

1月某日 人間ばなれ
身も心もどんどん「人間」でなくなる。
愛情をもって思いやりをかけあうのが人間なのに、非人情のいじわるになってくる。他人のわがままが許せなくなる。
体は類人猿から進化して毛がなくなってつやつやとした「人」でなく、しわしわとしなびれて前屈し、首が前に突き出て、がにまた歩きの「老い人」(=類人猿にもどる?)に。人間のうちにしんでしまえばよかったねえ。大人(たいじん)とか老成するとか耳順とかは 縁がなさそうだ。


1月某日 あかっぱじ続き メルアド
メールの署名を作った。メールアドレスを間違えて書いていて気がつかなかった。それを送ってるんだから返事は来ないわけだ。みなさまご迷惑をおかけしました。・・・夕食時にそれを話した。なんと、ワトソンさんも転居通知にメルアドを間違えて書いて同僚に指摘されるまでわからなかったと、ぽそりと告白。とんだ似たものハドソン一家である。今夜は「若年性アルツハイマー症の対応」のTVを真剣に見ていた。

1月某日 猿年の恩師を囲む同級会顔わからぬまま話は弾む
100才まで あと数年の恩師の前では、私たちは禿げても白髪でも、いつまでも子ども。元気カクシャクの本田百合子先生の姿には励まされました。ウン十年ぶりなのでクラスメートの顔は大半わからない。太っていたり白くなっていたり。でも話しているうちに声でわかりました。「アレッ あなたハッサンなの?」 声は歳をとらないのだ!

1月某日 はどそん語録
話は聞くだけでいい。
相手は聴いてくれる人がほしいのだ。解決策は自分で考えるしかないし、話しているうちに自分の考えもまとまるもの。とはいうものの これはむずかしい。

1月某日 はどそん語録
いただき物はスグあけよう
食べ物も せっかくの珍味だからみんなで食べようと大事にとっておくと食べ損ねる。賞味期限がすぎてしまうこともある。痛まない物も相手は気を遣って選んでくれているのだから、その場で開いてお礼を言おう。言おうね。あとで と思っているとたいてい忘れる。 忘れた。

1月某日 はどそん語録
明日できることは明日しよう
疲れて無理をしても大した成果はあがらない。眠いときはねよう。で、たいてい予定の半分しか日常の家事が進まない。

1月某日 あかっぱじその4 ドリル
新聞広告で「大人のためのドリル」本の1ページが出ていた。書かれているひらがな3文字の言葉を分間でどれだけ覚えられるか、という問題。このごろ記憶力が・・と書いていたらレンジにやかんをかけていたのを思いだして、 いますっ飛んでいったら空だきしていましたわ。 というのが しょっちゅう。
で、その問題を我が子といっしょにやったのですが、私は子の半分のでき。声にしても絵にしても頭に残っていないのです。”ごろごろしてんと勉強せんかい!”と叱れなくなりました。やぶへび。
まあ、それから数日悩みに悩んでー本屋のコーナーでもウロウロしーついに買ってきましたヨ、くもん式大人のための計算ドリル。これ以上痴呆化しないように。  でもまだ怖くて開けられません。


1月某日 あかっぱじその3 洗濯干し
たまさかの天気で そとに洗濯物を干した。シーツが青空にひるがえるのは気持ちいい。けれど、そのまま 忘れ果てている。寒いので外に出ない。雪が降ってきても 夜がきても・・・。
とにかく毎日 赤っ恥の日々です。人の心に「忘却」の2字があるのは ありがたいことでもある。

1月某日 あかっぱじその2 生協の申し込み
注文書を出し忘れたので、ファックスで手書きにして注文を出した。良かった、時間ギリギリに間に合った。でも何か違和感が・・・。そうだ、これは来週提出する注文書で、今日出す分は、棚の上。あわてて訂正のファックスを送ったが、〆切時間は過ぎていた。あきゃ! どうなるでしょうね。

1月某日 あかっぱじ 
Hp宣伝のために パソコンで名刺を作った。これも 自己顕示欲。名刺を持つのはフェリシモのおまけ以来です。パートのおばさんだったハドソンには名刺がなくて、正規の職業人の名刺交換はうらやましく眺めていたものゾ。テンプレートの使い勝手がいまいちで思うようなレイアウトにならないのよねえ。
しかも持ち慣れていないので、肝心なときにはない。肝心なときというのもない。やっとその機会があったときには、バックを引っかき回したのに見つからない。あまりのごぶさたで、ほんとにどこにもない。刷り直そうっと。

1月休日 バトル2
高校サッカーを見ていた。国見と滝川第2が戦っていた。「これは決勝だな」とバトラー。「でも、アナウンサーが準決勝と言ってたよ」と私。フツウはココで話は終わるのだが、バトラーは私が見聞きした物は信じない。「じゃあ いつ決勝をするんだ」。「昔は15日だったよね」。「だから これが決勝なんだ」「でもアナウンサーが・・」 日中なのでアルコールが入っていない。それ故バトラーは寡黙である。そこでにらみ合いになる。  
朝日新聞のTV欄にはただ準決勝と書いてあったが「録画じゃないの」とトマト君。調べ直すと新潟日報のTV欄には(録画)、スポーツ欄には12日の国見と筑陽との決勝戦の予想が出ていた。

1月某日 バトル再開
BSを見ていた。BS民放は新聞のテレビ欄もへんぴな場所にあるからいつ何の番組をやってるのか誰もわからない。ゆきずりに見ることはあっても どの局なのか違いがわからない。あえて見たい番組もまったくない。これはたまたまのこと。「さんまの恋の空騒ぎ」に出ていた素人美女の新潟県出身小林(妹)が番組進行をしていた。「民放はどこがどこだかわからないね、この局はどこだろう」と言ったら、「TBSだからBSー i でしょ」と即答した子がいた。でもそのとき私は画面右上にちらっとFujiの文字を見た。「ふじって書いてあるよ。」 チャンネルを変えてまた戻ると右上にBSーi と表示が出た。「あれ、私 ふじって書いてあるの見たんだけどな。エフユウジェイアイって」すると、バトラーはにらみつけながら「うるさいおんなだな」「このひとはこうやっていつもうそをいうんですよ」と吐き捨てる。一瞬 私の目か記憶がおかしいのかなと平衡感覚を失う (わたし、みたのよねえ?)。 この会話をシャットアウトする言い方で、これまでどれほど正常心をくじかれたか・・。
後日、この番組が BS-i、日テレ、フジなど4社共同制作で、どの局でも見られることが判明した。(どうでもいいことでバトル再開)

1月10日 年賀状
2日がかり、睡眠3時間で、日が落ちそうになってやっと、近くのポストへ。予告は守れたゾヨ。字がめちゃくちゃ下手なうえに、ボキャブラリイもない。コメントをひねり出すのに、むちゃくちゃ時間がかかった。そんな雇い主に合わせてかパソコンもなんどもエンストを起こした。ポストに入れてから集配時間を見たら、エッツ、今日はもう来ないの!日付は明日の朝だよ、トホホ。 (ただし、返信のみ!)

1月9日 年賀状
お待たせしました。書きますわよ!!チョーダサイ賀状をお楽しみに。

1月8日 年賀状
うーーん、その気にならない。2004年手帳を買いに紀伊国屋に逃げた。さすが年賀状はもう売っていない。鶴太郎の絵葉書が幅をきかせている。福島潟もだけどね。

1月7日 年賀状
郵便局へ行ったら まだ売っていた。買ってきた。いつ書くんだろう。

1月6日 年賀状
まだ 書けない。 元気が出ない。どうしよう。

1月5日 年賀状
図案をおこにたのんで、保存してもらった。去年は自分で写真の加工をしたのに、今年はできない。痴呆だ。5日の日付で作ったのにまだ書いていない。 いつまで松の内だっけ?


1月4日 年賀状
インクジェットの官製年賀ハガキに家人がださい図柄をプリントアウトしてくれはった。まったく気が萎えて、暮れはやり過ごした。もっとも今までも年末に年賀ハガキを出しおえたことは実はほとんどない。子供らの正月休みが終わってからほっと一息つきながら書いていた。最近はややまめに仕事関係には出していた というか家人がパソコンで打ち出すのお、まかせしていた。絵にはこだわりがあったのに、ココまで落ちた自分にもあきれる。そういう自分をさらけ出したくはない。まよって自分流の図案を考えて年を越してしまった。図案は決まった

1月3日 思うにまかせず
ビール2本以上はあかん。飲んでくだくだ子どもに説教するな→家人
可愛がって優しく撫でていたいのに 吠えるな引きずるな →犬
当たれ はずれるな →ことしもハズレのたからくじ
出てこい →気力  えいえい!

1月2日 誕生日でした
忘れられて 早くも暗雲。

1月1日
ことしは 仲よく やっていきましょう。
ことしは 少しは がまんしましょう。