phase of religion01
宗教の位相
吉田宗俊
1951年生 (歌僧論)
例えば文芸批評ならば、その近現代を象徴する三人の論点を要約すれば次
のようになるだろうまず最初の一人である小林秀雄ならばその『無常といふ
こと』で表現されたものは「社会化された私」と云われる日本近代の「苦悩
するインテリゲンチャ」というエスタブリッシュな像であったことはすでに
多々論じられて来たはずである。次の一人である吉本隆明ならばその『最後
の親鸞』で提出された、〈知〉の究極は本質的必然的に〈非知〉へと着地す
ることの像であっただろう。最後の一人である柄谷行人ならばその『マルク
スその可能性の中心』で提出されたものは、世界的〈交通〉によって「形而
上学」が、つまり国家や自我や主体性という言語で統辞されるアイデンティ
ティーが無化され、そこに自由が存在するという像の提出であったはずだ。
以上、近現代を象徴する三人の文芸批評家は近代的知識人の確立から始まり、
その崩壊から無化へと向う明晰な軌跡を示すと思われる。そうした思想状況
の中で、ポストモダンな在り様とは、「人間とは社会的諸関係の総体である」
ことによって事物の実体化批判を本質とするものであり、それは「縁起の法」
による〈無自性空〉をその本質とする仏教思想と相似、あるいはほとんど問
題意識を同じくするものと云えるだろう己れを空しくするときそこに「永遠」
が顕ち現われること、「末期の目」たったそれだけのことがどんなに難しい
ことであっただろうかと、自身の生涯を省みてつくづくと思い到る。その
「永遠」は存在論から神話論への形で現れたように思う。