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企業は自己防衛のために高い煙突を立てた。その煙突はフッ素やそ の他の有毒物質を上空に拡散させ被害を少なくさせるためであった。  20世紀に入って、アメリカでは膨大な工場群と新たな工業技術が排 出するフッ素の量は増加した。高い煙突でも周辺数マイルのフッ素被 害を防ぐことはできなかった。その後の「産業発展の20世紀」として 知られる産業の爆発的な拡大の結果、産業汚染物質フッ素が強力な汚 染物質であるということが明らかになった。また産業の拡大はフッ素 汚染の増大を意味するというジレンマに追い込まれているとうことも 全く明らかになってきた。 フッ素による被害の国際的な報告は1933年以後には次々に登場する。 その年にはベルギーのミューズ バレーでは世界最初の大規模な大気 汚染被害により数千人が重い病気になり60人が死亡した。 その原因が 論争になった。 しかし世界的なフッ素被害の権威であったカイ ロー ホルムを初めとする優秀な科学者たちの調査によって、 フッ素が原因 であるという結論になった[21]。 海外そしてアメリカ国内の公衆衛生学者たちはフッ素が有毒である と認識し始めた。環境中からフッ素を除去しようとする動きは産業の 立場からは潜在的な脅威となった。 ほんの最近、 この10年でフッ素の 性質として容易ならぬ毒性があるということが理解されるようになっ たのだ」とアメリカ農務省の主席毒性学者ロイド ディーズは1933年 に書いている。さらに「フッ素の人間での慢性中毒症は、継続的また は少なくともフッ素に何年にもわたって暴露された後に初めて健康異 常が確認されるということは確立された事実である・・・ フッ素による 健康被害の出る可能性は工場の中では認められるべきものである・・・ 工場ではフッ素は明らかに不要な副産物として大気中に放出されてい るのだから」と[22]。 産業界と政府にとってはアメリカ産業の発展の素晴らしい眺めと、 それが約束する経済力、 軍事力そして巨大な利益を手に入れるために は環境へ何百万トンものフッ素を排出することが必要であるというこ とは重々承知のことであった。さらに、 フッ素を排出する二つの巨大 な新しい産業が加わった。それはフルオロカーボン化学工業(現在オ ゾン層の破壊で問題になっている噴霧器の充填剤と冷蔵庫の冷媒に使 われている)と迫り来る第二次世界大戦で経済的にも軍事的にも決定 的な役割を演じたものの一つアルミニウム産業であった。   アメリカでのその後の産業の発展は先例のない規模のフッ素の被害に よる苦情と訴訟を伴ったものとなった。中でも最も危険の予想される 側面としては住民の健康被害であった。家畜や環境の被害は耐えられ るものであり容易に決着のつくものであるかも知れない。もしそうで あっても住民の深刻な健康被害が明らかになったとしても訴訟を起こ すしか企業の与える被害を改善出来る方法は無いのである。民衆の叫 びによって企業全体に政治的規制を強いる事が出来るが、規制を受け た企業が高濃度の原料や有益な技術を変えるのにさえ、何十億ドルも の汚染低減費用がかかるのだ。   第二次大戦中には、報道管制に伴い産軍複合体の誕生を見た。それ は、同時に連邦政府が民衆にフッ素が安全で有益だということを納得 させるための電撃作戦的な運動が展開された時代でもあった。その運 動の開始は1939年にアルミニウム オブ アメリカ(ALCOA)の資金の供 給を受けた科学者であるジェラルドJ. コックスが「現在のフッ素を 飲み水と食物から完全に取り除くという動きを何とかしてひっくり返 すことが必要だ」と言い出したことに始まる[24]。

政府はフッ素の危険性に配慮しなかったし 産業のフッ素汚染を放置したばかりか、 政府は意図的にフッ素添加を推進した。 その最大のものが産業廃棄物フッ素の 再利用・・水道水へのフッ素添加だった

 フッ素の安全性に関する新たな証拠は巨大企業の研究センターから 次々と現れて来た。これらの研究の中でも特筆すべきものはシンシナ ティ総合大学のケタリング研究所からのものであった。この研究所の 専門は化学物質の被害の調査研究であった。アルコアのような最大の フッ素排出企業の資金が研究所運営費用の大半を占めるケタリング研 究所はフッ素の安全性の研究を支配するようになった。例えば、ケタ リング研究所の科学者でレイノルド金属の顧問でもあったE.J.ラージ ェントが書いた本の中の「フッ素被害の訴訟を起こされた企業の手引 き」は国際的にも手本となった研究である[25]。  コックスが言い出したビッグニュースはこの「明らかに価値のない 産業廃棄物」が安全である(低濃度では)と証明されたばかりか、実 際に有益である・・子供の虫歯を減少させるかも知れないということ だった。フッ素を水道水に添加しようという提案は広がった。各家庭 に供給される水道水のフッ素濃度は低濃度である、しかし国家的規模 での「フッ素化」は年間では何百、何千トンものフッ素を水道水に添 加することになる。  政府と企業は、中でも特にアルコアは強力に人工的水道水フッ素化 を後押しした。当時、ほとんどの提案者は何の疑いもなくその処置が 安全で有益だと信じていた。同時にこのようないきさつでのフッ素化 であったため、その後、フッ素に反対する科学者や市民が続けて来た 長年にわたる宣伝運動でとりあげる「フッ素化は産業廃棄物の処理と して企業の科学者が言い出した事だ」という主張はフッ素推進に打撃 を与える主要な問題点の一つとなったことは特筆すべきであろう。 つまり、もし歯科医師や医学者や公衆衛生学者のリーダーが国民にフ ッ素化は「安全性の幅は広い」とフッ素化を支持するように説得でき たとしても、彼らはその後、説得の方向を転換して企業に向かってフ ッ素汚染は危険だとどうして言えるのだろう。民衆にとってフッ素が 健康を増進する化学物質として導入されるのであれば子供たちのため に環境に増加させるべきものだ。フッ素の環境汚染に反対するのはニ セ医者か精神異常者のように見える。民衆はフッ素の毒性とフッ素と 企業との関係のいかがわしさを指摘して疑問を持つ。

アルコア・責任の裏をかく

 このような強力なだましの操作で、フッ素は後にエリーズ ジェラ ルドが名付けたように実質的に「保護された汚染物質」となった[26]。 フッ素を安全なものだとすることに金を使った企業の名前はアルコア だったということだけは確かである。アルコアの名前は水道水フッ素 化の初期の歴史全体にわたって刻みこまれている。  産業の「勃興する20世紀」を通じてアメリカ厚生省はアルコアの創 設者であり最大の株主であったアンドゥリューW.メロン財務長官の支 配下にあった。メロンが辞職した、 1931年に. トレェンドレイ デーン という名前のアメリカ厚生省の歯科医師は西部のある僻地の町に派遣 された。 その町では地殻から自然のフッ素濃度の高い地下水が涌き出 ていてそれを飲料水にしていた。 デーンの任務はどの位の量のフッ素 ならば歯に明らかな傷害が生じないでフッ素に耐えられるかを決定す ることであった。 このフッ素はアルコアにとっての問題でもあったの であるが。 デーンは高濃度フッ素の町では歯は多くの場合変色し変形 しているのを見た。 しかし同時に彼は 住人の虫歯が平均と比べ少ないということを報告した。 彼は、 フッ素を摂取している人間や動物の住んでいる地域で骨や歯に 傷害を与えることなく虫歯を減らせるかも知れない低濃度のフッ素の レベルを決定するためのさらなる研究が必要なことを推奨した。  メロン協会後援のアルコアピッツバーグ工業研究実験所ではこのデ ーンのニュースは衝撃的だった。アルコアが後援していた生化学者ジ ェラルドJ.コックスは直ちに実験動物ラットにフッ素を与え研究を して、フッ素は虫歯を減少させると結論してこう言った「この問題は 解決されたと確認されるであろう」と[28]。 歴史的に重要な1939年、この年、 アメリカで最初の水道水フッ素化 の大衆向けの提案がなされた年である。 しかもその提案者は医者でも 歯医者でもなくフッ素被害の訴えに脅かされていた企業に勤務してい た企業の科学者コックスによって提案されたということである[29]。 コックスはフッ素化を提唱して全国遊説をするための旅を始めた。 最初、 多くの医者や歯医者そして科学者たちは慎重で懐疑的だった。 しかしそのとき第二次世界大戦が始まり、 戦時中は航空機製造に広範 囲に使われるアルコアのアルミニウムの製造は増強され産業のフッ素 汚染は極端に増大した。 戦後、予想されたように、アルミニウム、 鉄、鉄鋼、リン酸、化学製品、そして他の大規模な汚染を引き起こし た企業に対して何百というフッ素被害の訴訟が起こされた[30]。 これらの事件で裁判所は家畜と植物の被害にだけしかその訴えを認め なかった。

フッ素は子供たちの「ともだち」

 フッ素による健康被害を訴える人々は判例となることを避けて示談 で解決されたのである。ある事件、ポールマーティンとベラマーティ ンがレイノルズ金属を訴えた裁判でオレゴン州立裁判所は初めてこの 夫婦の訴えを認める判決を出した。これは「農場の近くのレイノルド 金属のアルミニウム工場が排出する煙りの中のフッ素が農作物を汚染 し」それを食べたことで「肝臓と腎臓と消化機能が重大な傷害を受け た」ということを認める判決であった[31]。その後直ちに、アルコア と同様に 6つのその他の金属と化学企業はレイノルズ金属と「法廷の 戦友」としてその判決をひっくり返すために手をつないだ。地方新聞 によれば、レイノルズ金属の代理人は「判決に甘んじれば、それが判 例となり全部のアルミニウムと化学工場は、ただ操業するだけで訴え に責任を負うことになる」とアンダーライン部分を強調して言い添え た[32]。レイノルズの証人としてのケタリング研究所からの科学者の 詳細な医学的な証言にもかかわらずマーティン夫妻は裁判に勝ち続け た。最終的に由緒ある法人組織レイノルズ金属の提出した解決方法と は、レイノルズ金属はマーティン夫妻の農場を高額で買い取るという ことであった。  戦後も企業のフッ素汚染による災害は森林から家畜や農民そして都 市の住民のスモッグによる病気と数多く続いている。しかし彼らはこ れを局地的な警告に過ぎないと受けとめている。国民はフッ素の強力 に宣伝された新しいイメージへと注意をそらされてきた。

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産軍複合体 military-industrial complex (一般的には軍産複合体と言う) 軍事産業の維持・発展を積極的に推進 することを目的にした一種の利益追求 集団の総体。 軍事産業の維持・発展を積極的に推進 することを目的にした一種の利益追求集 団の総体。日本では産軍複合体というこ ともある。 政府や宮僚機構、軍部、議会、財界や労 働組合、政党や圧力団体、あるいは軍事 技術の急速な進歩に伴って学界や研究機 関などで構成され、これらが相亙補完的 に影響カを行使して軍事支出の拡大や兵 器調達の増大をはかる強力な結合関係を 構築している。現在では軍産官学複合体 という言葉で表現されている。 (中略) 軍産複合体という言葉は、アイゼンハ ワーアメリカ大統領が1961年1月 17日の辞任演説のなかで最初に指摘し たと一般に解されている。 アイゼンハワーは、アメリカでは巨大な 軍事機構と兵器産業が連結し社会・産業 システム全般に軍産複合体を形成し、有 害な影響を与えていると国民に向かって 警告した。 軍産複合体の歴史は19世紀にその起源 をるさかのぼることができるが、 20世紀初頭にはイギリス、アメリカ、 ドイツ、フランスなどの列強の国内に現 代的な意味での軍産複合体の萌芽がすで に構築されていた。(中略) 第2次大戦後・軍事技術の進歩は急速、 とくに1960年代以降。 米ソ間では核軍備競争が質・量ともに激 化し、非核レベルでも高性能兵器の研究 開発競争が休止することなく展開されて いる。とくに航空宇宙産業、ミサイル部 門、エレクトロニクス産業、核技術関連 産業などの先端技術を駆使した軍事産業 分野では、研究開発費を民間企業で負担 することは困難で。 巨額の政府予算の継続的な支出が不可欠 となる。政府予算の獲得と生産した兵器 の大量調達のために、官僚や軍部は積極 的に影響カを行使し、その結果、官僚機 構や軍事機構をいっそう強化・発屋させ ることになる。一方、兵器生産企業は、 強い影響力を発揮するために高級官僚や 軍人を多数再雇用し、また、企業の所在 する選挙区に依存度の高い政治家や有力 な防衛関連議員と深い相互依存関係を形 成し、あるいは労働組合や圧力団体との 連係によって議会工作を展開する。議員 に対する政治資金の提供も日常化するよ うになる。 軍産複合体の社会に及ぼす有害な影響 は、先進工業諸国で最近深刻になりつつ ある。 その第1は、政府の軍事支出の肥 大化と軍事産業の政府予算への過度の依 存が国内経済・産業の軍事化を促進(略) 第2は、軍産複合体が影響カを行使して、 仮想敵国との軍事バランスの極端な変化 や脅威の増大を強調することによって、 軍事予算の増大と国家資源の巨大な投資 をもたらし、軍事産業に利益誘導するな どの不公正が常態化されることである。 増大する。 第3に、軍産複合体の肥大化の結果、 海外市場を求めて武器輸出が 盛んになる。(略) 志鳥学修 (平凡社 1995年版平凡社 世界大百科事典p378)より 引用 本文に戻る フッ素の歴史:斑状歯と虫歯について 中国の資料によれば、「地方性フッ素中毒症は地球上で最古の疾病の一つ である。1976年中国科学院古代脊椎動物、古代人類研究所は、山西省陽高県 古城公社許家…で旧石器時代の人類の化石を発掘した、その中の五体の歯に 黄褐色の色素の沈着と点状の凹陥欠損があった、これは典型的な歯のフッ素 症である。…この地質学的年代は10万年前・・。1977年…4000年前夏時代の 人骨に骨のフッ素症に類似した病変を見ている。魏晋時代のjikangの著書 「養生論」のなかに 「歯居晋而黄」の記載があるが、その原因は解明されて いない」。「地方性フッ素中毒」内蒙古人民出版社 p1.1985 ブライアン・マーチン氏によれば「1800年代にヨーロッパで様々な人が、 フッ素を使った虫歯予防を試みた」とある。Brian Martin SCIENTIFIC KNOWLEDGE IN CONTROVERSY The Social Dynamics of the Fluoridation Debate P2 1991 従って合衆国での、 1931年に.トレェンドレイ・デーンという名前のアメリカ 厚生省の歯科医師は西部のある僻地の町に派遣された。 その町では地殻から自 然のフッ素濃度の高い地下水が涌きでていてそれを飲料水にしていた。 デーンは高濃度フッ素の町では歯は多くの場合変色し変形しているのを見た。 しかし同時に彼は住人の虫歯が平均と比べ少ないということを報告した。 メロン協会後援のアルコアピッツバーグ工業研究実験所ではこのデーンのニュ ースは衝撃的だった。アルコアが後援していた生化学者ジェラルドJ.コック スは直ちに実験動物ラットにフッ素を与え研究をして、フッ素は虫歯を減少さ せると結論した[28]。[というフッ素の虫歯予防効果の科学史的発見の物語も 「再発見」と呼ぶべきであろう。