はどそんのつぶやき2005

いかり・くどき・おもにぼやき・どきり・かんどー・しったかぶり・かくしごとあり・ほらハなし

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つぶやき2003
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1月1日 ホームページ作り
ことしも はどそんの唯一の楽しみになりそうな気配です。皆様のおこしが励みです。よろしく。

11月某日 不運続き
絨毯に足を取られて90度の角度で前にバタッと倒れた。お盆を持っていたので手をつく間がなく、ひざを打った。倒れながら「あー半月板が割れたら 入院だなあ、手術はイヤだなあ・・」なんて考えている、そのあいだの時間はすごくゆっくり進んだような気がする。幸い(絨毯の上だから)あざもなく無事だった。(しかし、歩くときや負荷がかかったときは痛む)
地元の講演会に行くつもりではいたが、申し込みはついででいいやと先延ばしにしていた。いよいよ間際になって申し込んだら、すでに満員だった。講演会があるのよ、と触れ回ったのにかっこわるい。
自動車修理工場とペットショップと軒続きのところで工場側の駐車場に車を入れたら、ここは入れないで下さいと蒼い作業着のおじさんに言われた。オウヨソレナラセンヲヒイテオケヤ!!または アーラウチハオタクトトリヒキガゴザイマースノニィ?シャチョウヲダシナサイ! とか言ってやりたかったが黙って車を入れ替えた。

11月某日 日々かわる界隈
高速道路脇にできた敷金礼金なしのアパート「レオ○レス」。こんな所に造って、入る人なんかいるのか、と散歩のたびに横目で見ていた。煌々と街灯はついているものの、ながらく室内は真っ暗だった。ところが今月に入って駐車場に車が3台も入っていた。県外ナンバーもあった。室内の灯も灯るようになった。ふむふむ、近くで道路工事もしているし、さすが全国チェーンは読みが鋭い。以前、出張でもない独り者の公務員がこの家財道具一式そろったこのレオ○パレスに入居しているのを聞いてあきれたものだが、お手軽さが今はうけるのだろう。

高速道路からまっすぐ伸びる道が今、建設中だ。荻原朔太郎の詩に新しい道ができると感嘆しているのがあったはずだが、ウーン、思い出せない。「のろまなローラー」を久しぶりで見て、なんだかうれしい。12月には開通すると町内会のおフレがあった。

巨大スーパーの巨大駐車場の片隅に小さな木造家屋の建築がはじまった。土台もずいぶん小分けしてあって、いったい何ができるのだろうね、と 向かいのガソリンスタンドのイケメンの店長とウワサしていた。建築許可の看板が立った。マク○ナルドだ。フゥー。

ついでだが、クリニング屋を変えたのは、イケメンがいるからでは決してないヨ。

11月某日 鳥インフルエンザ
ここ渡り鳥の飛来地は怖いかも。白鳥でしょ、雁でしょ、オオヒシクイでしょ。

11月某日 ?
ヨンさまは本をヨンだことがないと書いた本のなかで言っているそうだ。

11月某日 ラジオから
「お気持ちさわやかにおすごしください」という語りかけでおわる、ディスクジョッキーがある。ほっとする。こんなていねいなご挨拶はもちろんクラシック畑。前にも話したね。

11月某日 話し相手
遠くの友へ。 ありがとう。電話でながなが悩み話を聞いてくれて。

ちょっと近い友へ。 ありがとう。コンサートに誘ってくれて。いいコンサートだったねとさりげなく語りあえて。

10月某日 おろおろ
一日中おろおろしている どうしようもないことをどうしようかとおろおろ 何をしようか何からしようか おろおろ うちのなかをぐるぐる そのうち日が暮れる 5時にはとっぷり日が暮れる なんにもできなかったと泣き崩れたい だれか私の話を聞いて 

10月某日 消費税
消費税の値上げが当然のように言われている。12%だって? 法人税は上げないで、だ。
定率減税も廃止だという。我が家のように 老サラリーマン家庭にとっては大打撃だ。なんたるこっちゃ。
とはいえ、消費税の率が中途半端なのも困る。3%の時は買物に行っても計算ができなかった。外税だったし一円玉がじゃらじゃら。賢い友人は1の位だけ暗算して1円玉は支払っていた、さすが。今は5%なのでそれよりは楽だが、この先8%だの12%だのとなったら私の(国民の)計算能力はついていけるだろうか。いや無理だ。未来を担う子ども達の計算力、知力もにぶるだろうと前途に不安を持つ。

などと大げさなことを言っているが、先日、書籍販売を手伝って複数本の足し算、釣り銭勘定の引き算がとっさにできない自分に驚いたんである。老化現象!か消費税め!か。電卓持参で行ってよかった。
10月某日 モーツアルト
モーツアルトの音楽が心地よいのは一つには、音域が3500〜3800ヘルツあたりで、これは鈴虫の音色と同じ。人間の耳に心地よい高音域なのだそうだ。なるほど。いっぽうベートーベンはこれより低いそうだ。そういえば、そうだね。
またモーツアルトの音楽は「予想される展開」どおりなので安心して聞いていられる。アルペジオが多いものね。
そして9声部のコラールを一度聞いただけでも譜面が書けるような天才的な作曲家なので努力しているわけではなく泉のようにわき出てくる音楽だから聴いているほうにも苦がない。とは作曲家の青島ひろし氏がTVのクイズ番組で話していたことである。
モーツアルトの音楽は天上の、天国から来ているような音だと思う。
それゆえに、私の音楽じゃないと思うときがある。髪をかきむしって努力する人であるベートーベン(それは絵を見ての感想だが)。私はそっち派のような気がする。なぐさめてもらうのはモーツアルトでも、落ち込みから立ち上がるとき力をくれるのはベートーベン!

10月某日 批判精神
陰口は嫌いだ。その人が居ない席で文句を言っておいて顔を合わせるとおくびにも出さず話を合わせる人間にはなりたくないと思ってきた。それはフェアじゃない。いうべき辛言は本人に言わなければ。批判・批評・進言なしに前向きな展開は期待できないし建設的でない。陰口を言っているのを聞くと私が居ないところでは私の悪口を言っているのだろうと思う。女の子はとかくそうだったが、「かげでこそこそ」という井戸端女の図式が、いつまでたっても、だから女は と男社会から非難されて社会的地位も向上しないのだ。そう思ってきた。筋道を通したがる土星人だねと細木和子信者から言われている。
ところが最近気づいたのだが、なあに男社会もやっぱり「言わぬが花」を決め込んで出世(居残り出世)しているものばかりだ。大学も官僚も。いつからこんな実力軽視社会になったのだろう。ネット社会もお追従ばかりで面と向った批判をしないのがルールだという。書評でも手厳しい意見を見たことが(斎藤美奈子のほかには)ない。
ヨイショばかりでどこへ行く日本。 ま、アメリカの本も自己主張が強すぎてまともな物は少ないけれどね。
かく言う私も若い人には、ムキになって建前を押しつけるとダメだよ相手を立てなきゃあ、などと言うようになっちまった。

そんな私なので、身近にいる同年配の人は「非難ばかりされている。ダメ人間だと思わせられる」とぼやいている。いえいえ、そうではありませぬ。それは私の不徳の言葉足らず。希望のない人には、はじめっから期待できないような人には何も言いませぬ。まっとうに意見交換できる数少ないお人と尊敬しているから言えるのですが。

10月某日 あの世
『夏の庭』という本で、小学6年生の男の子たちが(きっかけはヨレヨレしてるのでいつ死ぬんだろうと見はっていたことなのだが)知り合いのおじいさんが亡くなったとき、ひとりの子が夜中にトイレに行くのがもう怖くない、だって「・・あの世に知り合いがいるんだ。それってすごく心強くないか!」って言うんです。えっ、そう思えばいいの!? それから死は力まなくていいんだって気がしてます。あとからみんな行くんだものね。
10月某日 国勢調査
居住部分は何平米ですか、という問いがあった。はて、と平面図まで書いて計算した。みんなも苦労してるのかねえ、いい加減に書いてるんじゃないかねえ、と言ってから、あれ、これは自己申告だ、と思い当たった。
職業の区分けがむずかしいので、分からないときは担当者に相談してくださいと書いてある。まてよ、フリーターが弁護士と書いても、医師が清掃作業員と書いても、封をして出してしまえばだれもチェックできないのじゃあ?この調査は信頼できるものなのだろうか?

0月某日 塞ぎの虫
鬱だなどといわずに、日本にはこういういい言葉がある。ふさぎの虫に取り付かれたと。

10月某日 推理小説
軽い推理小説もまた慰め・気晴らしになる。ジェームズ・ヤッフェの『ママ、嘘を見抜く』を読んでいる。安楽椅子探偵ものだが、なんとこの主人公は50代の元刑事で公選弁護人事務所の主任捜査官のママ、75才のおばあちゃんなのだ。息子の話をききながら親類にもこんな人がいたわ、と人生の先達の知恵で難題を解決していく。ミス・マープルのよう。なんせ、このお年なのにまっかな日本のスポーツカーに乗っている元気さとおいしい料理で息子たちを虜にしているのだから読んでる方も元気になります。
『おばちゃまはスパイ』とか、猫がタンスからみていたり、図書館が舞台だったり、ママがケータリング会社を起こしたりする家庭的な推理小説もよく気晴らしに読んでいた。題名も著書名も忘れたし本も捨ててしまったなあ。重い本ばかりがいいわけでないのは、体験済み。


10月某日 まだ幸せ
悲しみを癒すのは時間でもあるが より大きな悲しみも薬になる。こういうことを言っては渦中の人たちに申し訳ないのだが、阪神の地震の惨劇やオウム真理教のとんでもない事件は、胸がふさがる個人的な沈鬱を吹き飛ばした。
いま『ITと呼ばれた子』を読んでいる。ひどい話だ。児童虐待の話は多いが、3人兄弟の真ん中の男の子だけが母親からうとまれ、他の家族は団らんを続けている異様さは類がない。
皿洗いの制限時間が過ぎたといっては食事が与えられず、殴られ、裸で外へだされ、真冬に水浴をさせられ、アンモニアと漂白剤の入ったバケツとバスルームに入れられた体験を大人になった少年が語っている。作者が最近来日したらしく新聞で取上げていた。これととてもよく似た話に出会ってしまって苦しんでいた友人がいたので気になっていた。
母親の狂気ーほんとうの狂気にまで至れないのだが、ぽろりところがりだした憎悪は増幅して歯止めがなくなって肥大化してしまったのか。思い当たるところもある。幼い頃油の入った中華鍋を投げつけられたと娘が言っている。とうの私は忘れていた。でもそういう狂気は一瞬で、平静なときは私たちには良識の歯止めがあるのだが。この母親がなぜ、については語っていない。
少年が惨めな境遇の中でも負けてなるものかと歯を食いしばっているので、めそめそした物語にならない。元気が出る。


























10月11日 クロのこと
連休が明けて、さあ、元気なクロの顔を見ようと開店早々の9時に病院へ行く。スグに診察室に通され「肝機能数値が異様に高い(GOTが6000)。酸素室に入れています。」と言われた。クロはよりやせおとろえて、わきの壁にはめこまれた猫用の酸素室に座り込んで苦しげなかすれ声で泣き続けている。酸素をやらないともっと苦しいのだそうだが今夜が危ないという。ウイルス、エイズの可能性はないので、農薬かなにかの中毒だろうとのこと。夜間に容態が急変してもあえないのか・・。


夕方、自宅に連れ帰りました。だれにも看取られずに逝くのは不憫です。
クロが危ないと言うことを聞いた末っ子は飛行機で帰宅しました。なんとか間に合いました。
クロは自宅に帰ると、それまでグッタリしていたのが、急にむっくり起きあがって歩きだし、いつものいこいの場所のソファーに自分であがっていって座り込みました。泣き続けだったのが安らかな顔になりました。時折苦しげに顔を上げて泣きあたりを見回します。もう一人の飼い主を捜しているのだろうと思いました。その子が連れてきた猫なのです。行方知れずだった初代ホームズを捜して県下の動物収容所をまわっていたとき、薬殺処分になるのを待っている子猫をみて心動かされてもらい受けたのです。迷子のペット探しに行くと探すペットはいなくとも、保護されている犬や猫はたくさんいて この子をかわりにどうですかと聞かれるのです。いいえ、といえば長くとも二週間後にはみな殺されてしまうのが分るとなんとかその犬猫も救ってやりたくなるのが人情です。三つ子の子猫のひとりだったのですが、翌日引き取りにいったときには1匹は処分済み、残った2匹のどちらがいりますかと問われて 哀れで1匹を選べず2匹とも連れ帰ったのです。


猫の二代目ワトソンも初代同様に行方不明になる。2ヵ月後、初代ホームズも放浪の旅にでて見附まで足取りを辿ったものの行方知れずになる。我が家の子ども達は登校困難症になる・・と災難続きの中に現れて、みんなの笑顔を取り戻してくれた子猫でした。
才気煥発なメス猫モリは車にひかれて死にました。臆病でねずみも捕れないオス猫クロは鈍なだけに家にずっといつき一緒に引っ越してきました。これもその子が道ばたで拾ってきた子猫ジニーは人嫌いでなかなかなつかずこちらに転居してから飛び出したまま帰ってきません。
クロは家で看取った最初の家族です。
















    <懺悔のようなもの> 
おきざりにして旅行をしていたから後ろめたかった。長年、犬猫がいるのでうちをあけられなかった。ずっと旅行などしていなかった。うちを空けたのは一昨年の実母の傘寿祝一泊だけだ。
やっと我が家の苦労に一区切りついたのだから、留守中になにかあってももういいやとも思ってもいた。もちろん猫のための食事の手配はしていった。
 
クロをみんなは美人だ可愛いといっていたが私はそう思ったことはない。真っ黒で目がつり上がっていて口を開ければ どピンクで、悪魔の使いのようだと初めて会ったときから怖かった。なにもかもお見通しさ という顔に見えた。
それでも病んでいた娘が気に入って連れてきた猫で、家に逼塞していた娘の唯一の心の慰め役だったから、丁重にお預かりしていた気分でいた。もちろん大事にお世話していた。
慎重でおとなしい子に見えたが、ジニーを逃がしたり、町内猫のボスだったりとしたたかだった。ホームズの訓練をするとかならず出張ってきた。他がちやほやされるのはほんとはいやなのだ。
よなかの3時から朝飯をねだってふすまをガリガリさせては夫を起こしていた。ご飯がほしいときだけ甘えてひざに乗ってきた。そんなときは「ママー」と鳴いた。 
隣家のビニール引きのガレージにのっては爪で破いていたし、畑で糞尿を散らしていたらしく水入りのペットボトルがどんどんふえていた。それで猫が退散するという俗信があるがクロはお構いなしだったから、お隣りさんにはうしろめたく暮らしてきた。
 
それはそれ。苦しんでいる子を見ていれば私とて何とかしてやりたいと思う。できる限りはしたと思っている。家族が一丸になって見守って送った。ありがたかった。

もう20年以上前の義母を看取ったときのこと。病院の人はもう意識がないと無視していたが、死ぬ直前に口がきけなかったのはその力がなかっただけだ。声をかけると瞬きで返事をしてくれていた。文字盤で言葉を拾っていると、しきりに「し」をさした。死?その時はぎょっとして話題をさけたが、今になるとしっかり死出の旅へ送り出してやればよかったと後悔している。私も若くてどうしていいか分らなかった。 「さびしくないですよ、楽になるだけですよ、じきに後から行きますよ、おじいさんおばあさんが待っていてくれますよ、安心して旅立ってください」、そういってあげた方がよかったのではないだろうかとずっと煩悶していた。死を迎えるのはどんなに心細いだろう。
 
「クロ、ごめんね、 もう一人にしないよ。 ずっと一緒にいるからね。みんな一緒だよ。大丈夫だよ。淋しくないよ。」と本心から声をかけた。聞き終えて 安心してくれたのか恨みだったのか 断末魔の声をあげて 逝った。どちらにせよ、引き受けるつもりだ。

叔母は仏様は祟らないよ守ってくれるだけだよ と言ってくれた。 合掌

こんなことを書いていると お前は自分中心だからな とあざけられるが 書き表すことで自分の気持ちにふんぎりをつけたいのだ。かんべんしてください。




10月8日 クロ猫の入院
旅行から帰って以来クロは食欲がなかった。缶詰を半分残す。犬のホームズは魚住先生に預かってもらったが、猫のクロは、エサだけは人を頼んで毎日与えてもらうようにして家においていった。それをひがんでいるのだろうと、手に載せてエサをやっても食べさせていた。けれど、どんどん食が細くなり、エサを鼻先に出しても顔をそむける。にんべんのけずりぶしも食べなくなり数日間は水だけを飲んで、ぐったり寝ているだけの日々が続いた。のそのそと外に出ていくのはおしっこか。缶詰にお湯をくわえてゆるくし口をこじ開けて脇から突っこんだ。いやいやしながらも、のどに通ったものは吐き出さない。消化器は大丈夫そうだとみて、スプーンで流し込むようにした。けれど、自分から水も飲まなくなってやせ細ってきた。抱き上げるといつもよりずっと軽い。熱い。体温計でわきの下で測ると40度ある。元の体重・体温はわからないが、これは心身症ではなさそうだ。もう予断は許さない。アスからは連休なので急ぎ本間動物病院に連れて行った。
熱と鼻水をみて流行りの風邪かなと先生は言っていたが、血液検査をすると肝臓値が異常に高い。(GOTが1698これは平常値が35。GPTが1176平常値は53。白血球は正常。エコー検査では腫瘍は見あたらず。おわかりの方は分析してね)
帰宅時に庭に子ネズミの死骸を見つけた旨を話したら、そういう変なものを食べたせいも考えられると言われた。肝炎だそうだ。投薬して連れて帰るか入院して点滴かといわれても、とにかくこの状態では食欲は出ないそうなので入院しての点滴治療をお願いした。とりあえず連休明けまで。人間だと1〜2週間の点滴が必要と言うが猫はどうなのだろうか。
こんなになるまで放置していたのには訳もある。先日ホームズをフィラリアの予防薬を飲ませ忘れたとあわててつれていって半年経たないと分らないと笑われたこと。保険のないペットの医療費はバカにならない額なのもひとつ。もう一つ、うちにはペットが医者にかかるとその後姿をくらましてしまうジンクスがあるからだ。以前いた猫ワトソン1号は大手術をして全快したら失踪した。捨て猫ジニーは人嫌いだからムリに連れてこなくていいとシートン先生に言われていた。いじられたり閉じこめられるのがトラウマになって出て行ってしまうのか、恩には思ってくれないようだ。
クロはいくじがなさそうで実は賢い奴だから、放浪の旅に出ることはないだろうが、居着いてくれよ。ともかく回復を祈るばかり。

10月某日 下手な考え
「下手な考え休むに足りず」というが まったく私にあてはまる。ああしようかこうしようかと考えすぎるとどつぼにはまる。ろくなことはない。直感の方が当たっている。

10月某日 返信
かつてメールを読んだら返信通知を送るシステムがあったが、ちょっと失礼だと思っていた。けれど出したメールが 読まれたのに返事がないのかー忙しくて返事が書けないのか、あえて無視しているのかー、気がつかれていないのか(さいきんスパムメールが多くなったので大事なメールが紛れ込んで不明になることもある)、分らなくて対応に困ることがある。

10月某日 般若心経絵本 2種
有名な人の書いたものだからいいとは限らない。立ち読みして、美文だが何かヘンと感じて買わなかった本の著者がテレビで対談していた。生物学者と標榜しているが31才から38年間闘病生活といえば、その間は学者にあらず。やっぱりへん。自意識過剰。自己中心。自分がいなければ世界がないなんて、こんなのふつう高校生時代に済んでいるようなことだ。闘病の苦行からの救い。恍惚な自己体験を一般化しているだけ。
いっぽうの地方在住僧侶によるマンガ的表現のほうは 簡明な表現をとっているが、じつはずっと深く重層的だ。世界と自己とが同一だという「空」の理論、欲望と苦悩の「無明」の世界。そのどちらもが正しい。これでは救われない。かえって自己存在を揺すぶられる。どうやらそれが正しい経典理解らしい。つまり救済ではなく人間存在の哲学なのだな般若心経は、らしい。実はますますわけが分からない。不安な気持ちが残る。じゃあ、どうやって生きていったらいいのか・・・・
教義を勉強するほどのめり込んではいないが水上勉の本も105円で買ってきてある。

10月1日 衣替え
おまわりさんも 変った?
 
9月某日 14675歩
これだけ歩けば上等。歩けた自分にびっくりしている。

9月某日 13000歩
よしよし。ウオーキングシューズのおかげで足は痛くない。股関節がぎくしゃくするが、腰には来ていない。デパートのそぞろ歩きが無難かとおもっていたが、戸外を、町中を、荷物を持たずにシャキシャキ歩くほうが、腰にはいいようだ。

9月某日 SLファンは
今テレビのワイドショーに前原民主党新党首がでている。趣味はSL写真を取ることだって言ってます。新婚旅行先の北海道で新妻そちのけで写真を撮っていたとか、うーん、そうなるのかな、SLファンとしては。家族より仕事ともいっている、こわいね。
 
9月某日 おなじ被害でも
ハリケーン「カトリーヌ」が襲来したニューオリンズの映像は対岸の火事と観ていた。「リタ」が来襲すると大退避をしているガルベストンの映像は、なんだか胸が痛い。これはガルベストン市が新潟市と姉妹都市なので、地元紙の報道などで名前になじんでいたからだと思う。
その町が100年前に大水害に襲われていたなんて、知らなかった。

9月某日 報道のへん
選挙の報道はへんだ。テレビは当事者に言わせっぱなしで、ちゃんとした論評をできるコメンテーターがいない。キャスターも低レベル。公正なはずの新聞もヘン。政府にべったりだ。反政府的と言われていたAもMも選挙の争点をぼかしっぱなし。郵政民営化は民主党も推進派なのに何も書かなかった。消費税値上げ、イラク派兵継続、年金払い込み値上げ、医療費切り捨て・・・何も。私が眼にしなかっただけ?いや前日当日の誌面には候補者と党の言い分だけしか載ってなかった。

小泉は織田信長なんて報道関係はヨイショしているが
私は、この風潮を60数年前のさる国のちょびひげ氏に重ね合わせている。
改革の錦の御旗、旧弊な勢力の一掃、民族意識高揚、なんとなく貧乏人にも夢をくれそうな・・新勢力の台頭。  ちがうよ、ぼくちゃん。


9月某日 便りあり
友あり 遠方より(便り)来たり
それも手書き 三通。
また うれしからずや

9月某日 音信なし
 しばらくご無沙汰していると相手の事情が分らない。
遊びに来ない?と電話して、うーん、いまちょっと、と返事をしていた友は数ヶ月して、実はあのときつれあいが病気で入院してたいへんだったのと、留守電をくれていた。その頃は私は・・・。こんな便利な世の中だが、しばらくぶりで交際しようとする相手にはハガキを出すことにした。返事が来ないのは、都合が悪いんだ会いたくないのだと思うことにしている。ちょっと悲しいが。
ハガキの近況通信の方は気楽でいい。だしっぱなし。切手もハガキも、書かなかった年賀状の払い戻しで山のようにある。(字がこんなにヘタでなければじゃんじゃん出すのだが)
 娘にメールを送っても、自分が必要と思わなければスグ返信をしてこない。そう考える人も他にもいる気配だが、ぞんざいに扱われているようで おおいに悲しい。直返信をくれる人を友人と呼びたい。


9月某日 8℃低め
きのうは30度、きょうは22度、前日比8度マイナス。こう急激に下がると私の体はついて行けない。冷えが床から昇って全身を廻る。おなかの調子も悪い。冷房が止まる日を心待ちにしていたが、天然の冷房もやっぱりつらいわ。あわてて(中に隠し厚着ができるよう)大きめのコートを買う。

9月某日 ヒップパットをご存じ?
ワコールヒップパットを買う。Mデパートではふつうに箱入りで陳列されていてびっくりだ。ヒップアップ効果を期待してでなく、暖房用に、である。夜冷えてきて、腰にタオルを当てていたらとても楽だった、それなら・・、と昔Oさんが話していたのを思い出したのだ。まだ売っていた。ウレタン製。おしり型のもっこり山が2つあって伸縮性のベルトにホック付き。買ったよとOさんに話したら、「あの頃はビタッとしたタイトスカートが流行っていたけど、・・痴漢対策によ!」と言われた。え?「だって、直に触られるよりはまし!」だったんだって。
東京の女子学生は、大変な通学をしてたのね。

9月某日 選挙結果
日本人ってのりがいいよねー。そうやっていつか大政翼賛会。


9月某日 選挙
ホリエモンたのしそう。自家用ジェット機を買って、一飛びのガソリン代が300万円だとワイドショウが騒いでいた。選挙はお金を使うにはたのしい行事だ。かつて、供託金600万円を捨てて立候補をする泡沫候補がたくさんいたものなあ。趣味の立候補。宣伝のための立候補。長島さんは生活のため、なら許すが、禁じ手だよね。誰もノーがいえない。「いのちのあさがお」の種を手渡されてしまったようなものだ。

9月某日 牛乳
「牛乳は飲むより配達するほうが健康になる」 by 小朝
ある本で、牛乳が健康にいいというのは誤解だという意見がのっていた。牧畜文化を育ててきた西欧にはあるが、農耕文化を作ってきたアジア人ー日本人には牛乳成分の分解酵素がない。だから飲むと消化吸収できず下痢をすることがあるとあった。我が意を得たり!日本人の私。

9月某日 アメリカはトレビアの泉
アメリカ南部をおそったハリケーン・カテリーナの被害は、びっくりさせられた。もう10日以上たつのに、町から水も引かない。あの繁栄を誇っていたアメリカで?というのが、まずトレビアである。
そして、テレビで映し出されて目を見はるのは黒人の比率の高さ、太った人(!)の多さだ。全米の貧困層の1/2は黒人と言うが、ニューオリンズでは車のない(=逃げられなかった)太った黒人は80%以上はいるようにみえる。
そして救援にむかうべき救援隊はールイジアナ州兵の1/3はイラクへ行っていてー足りない。武器携帯が認められているから暴徒が出る。救助に向う舟にはライフル?機関銃?銃を持った兵士が3人も周囲に警戒している。被災家屋にはいるときも銃を構えている。そこは戦地かといいたいほど。
豊かな人は一部だけ。自由主義だからと落ちこぼれた人々はほおって置かれる。「世界の平和のため」といい、戦争を作りに出かけていくが、祖国は自然災害に無防備のまま。兵士は帰国しても我が家はない。アメリカ軍需産業国家は、かぶっていた自由主義の騎手の仮面がボロボロはげてきた感がある、と みんなテレビを見て気がついてくれよ。

9月某日 やや軽減の腰痛
きのうはパソコンをたたいていても腰に響かなかった。やっとよくなってきたかな。整骨院へ卒業証書をもらいに行こう。口内炎も10日かかって気にならなくなった。治りの遅いこと。でも、いつか治る!

9月某日 わけがわからない銀行名
新聞に「ナンバー銀行どんな由来?」(朝日9.3)が出て、やっと わかったよ。

「みずほ」は 第一国立銀行→第一勧業→富士+日本興業  瑞穂の国が由来
「りそな」は あさひ+大和など  ラテン語のresona(共鳴する響きわたる)から
「UFJ」は 三和+東海       Uneited Financial of Japan日本金融連合の意
           だそうな。私が知らなかっただけだろう。田舎にはどれもないから。

9月1日 冷え
30度を超える暑さだった。毎年 学校が始ると暑さがぶり返す。かわいそうな生徒と先生。
それでも秋、夜になるとぐんと冷える。床が冷たくて足の裏が痛くなるのでそれがわかる。

8月31日 ダイエー長岡店閉店
駅東口はさびしくなるなあ。

8月30日 選挙公示日 ぶつくさ
新潟4区に東京の娘の職場の人が出馬。現在1ヵ月の休職中だそうだ。おちたら戻るんだろうか。親の地盤を継いでるそうだから、帰ってこないかも。その方がいいかもと。3区はアメリカ帰りが出馬しているし、新潟は変な選挙だ。
市町村合併が終わったのに選挙区は古い町割りでやっている。ここ豊栄は新潟市に編入されたヵら1区だと思っていたらまだ新発田にくっついてて3区なんだそうな。おかしいぞ。
増次(ますつぐ)さんという人が出ているがポスターでは「まっすぐ」とPRしてる。曲がってるよ。

国民としてひとこと言わせてもらえば、小選挙区制なんて社会党つぶしにやっただけで、いいことなんかないじゃん。もっと少数意見を採り上げる中選挙区に戻してもらいたい。比例区なんか、いまだに惜敗率がようわからん。2大政党制をなんてのもまやかしだ。もともと自民・社会の2大政党があったじゃないか。民主党は庶民の味方なんていうが、ほとんど自民党出身か大企業ジャスコじゃん。そうはいっても今度の選挙はさて、どうすればよかろう。

8月某日 万歩計
東京の弟が、通勤だけで7000歩いくよ、外回りがあると10000歩、というからすごいねと感心した。さすが大都市、駅まで20分歩いて駅構内をあがったり下りたりすれば、それだけでいい運動なんだな。田舎暮らしをしていると戸口から戸口へ車を横づけして暮らしているからね。考えただけで大儀だ。
腰痛の原因は歩かないからだと長岡時代のの整骨院の先生にも言われていた私である。これではいかんとコダマで万歩計を買ってきた。健康のためには「一日一万歩」歩くといいんだそうである。
まず、犬の散歩に行く人に付けた、1000〜1500歩。いいね。
ところがである。私が一日付けてみた。家の中で家事をして、洗濯を干しに出て、ゴミを捨てに行って、スーパーに(車で)行って買物に歩くだけで7000〜10000歩いくんである。あらビックリ。わたし、けっこう働き者じゃないの。ま、腰を動かすと反応するんだろうから、サッサッサとウオーキングしてるのとはちょっと、違うかもですが。

8月某日 (ねてよう日)
この夏は腰痛か下痢か で散々だった。
一日出かければ、翌日は寝込む。それで、きょうは寝て曜日

8月某日 サーカス
この夏唯一のイベント。バカにしていたが、なんの、おもしろかった。

8月20日 ホリエモン
広島6区から 出馬。ホリエモンはワライモンとちがうか

8月15日 小泉首相の動勢
靖国神社参拝に行かなかった模様。それが良識だよな。但し、今まで言っていたことと違うけれどね。

8月某日 「用と美」展
たのしみにしていた。けれど欲しいものがない。県内陶芸作家の作品展示即売会だが、手びねりのおもしろさより手びねりの稚拙さのほうが気になる。内輪でヨイショし合ってほんとうの芸術性が育たないのか、そんなものはじめからないのか。何十年変らぬ庵地焼がかえって清々しかった。

8月某日 カメラ屋 次々につぶれる
UスーパーとHスーパーに入っていた写真の現像屋が2軒とも潰れた。スーパーの入口に花屋、クリニング屋と並んでいたのに、ぽっかりスペースがあいた。とてもめだつ。
新潟市の中心部にあった名門カメラ屋Kも、目抜き通りから3階のみに店舗を撤退した。写真が趣味の母は巨大引き延ばしをここにたのんでいたのだが、階段が急で老体には上がれない。
あちこちで写真現像屋が姿を消している。原因は私らにある。このところデジカメばかりだもの。もっと私のプリンターは古いので、きれいにプリントできない。人に差し上げるときはスーパーのDPE屋にメモリーカードを持っていく。そこはクリニング屋と兼業しているから当分つぶれまい。

8月某日 腰痛から股関節痛に
筋肉体操のおかげで、腰痛は軽減してきたものの股関節が痛い。かえって歩きづらくなってがに股で歩いている。軽症筋無力症のようだ。治るかな。

7月某日 筋肉を作ろうっと
筋肉痛は筋肉を作っている痛みなのだという。またがさけそう、いたたたた。こうかがあるのに3ヵ月は我慢だと。股割、8の字、腿上げの筋トレ。
きょうはデパートの鏡に映った己の姿にゾッとした。せなかがまるまって足を引きずっているのが わたし? せぼんこのばあさまだ。腰痛だ鬱だと自己弁護をかさねた結果がこれだ。スキーに水泳に、長くは続かないまでも何でもできてた。でもずっとやっていない。ラジオ体操も聞くだけだった。
生き生き元気に働いている友人たちとの差はどんどん開いていく。ゴルフに夢中になっている友人との差は親子のよう。自分で作るしかない筋肉。あらためて前向きに ガンバ。フレーフレーじぶん。
とりあえず、筋肉体操を始めてからは下痢になっていない。腹筋がなさすぎて腹具合もわるかったのかもしれない。

7月某日 紛失物
先週から包丁が一本足りない。どこへいったんだろう、こんなもの。捨てちゃったんだろうか。

7月某日  散歩道で
大通りの裏に、くねくね曲がった道がある。元農家だったと思える大きな庭のある家屋敷がこちらに向いているから、これが本来の村道だろう。うちは築20年の分譲地に立てられた家だそうなので、ここらは二昔前までは純農村地帯だったのだ。
このへんは広い敷地の玄関口近くに墓のある家が多い。墓と一緒に暮らすなんて気味が悪いんじゃないだろうかとはじめはビックリした。しかし、それだけ祖先を大事にして生きているわけで、古き良き日本の風習がまだ生きているのだなと思い直した。大家族観はこういう日常で養われるわけだ。小都会のごみごみした喧噪野中で暮らしてきた私には別世界にみえるが、こういう生活も年をとるとうらやましい。
一軒、道路に近いところに「陸軍伍長・・・の墓」と掘られた大きな墓のある家がある。このように個人の墓、それも「英霊」の墓ははじめてみた。この人は大事に思われていたのだろう、いつも花が途絶えることがなかった。
それが、さいきん、屋根の普請をはじめたら、花が絶えてしまっている。住む人の気持ちが変ったのか、花を供えていた人が不在になったのか、さびしい。

7月某日 散歩道で
村道沿いの空き地に 普請が始った。地面を掘り返して土台を作っているとき、青粘土が出てきたから、元は田んぼだったのが分る。かなり頑丈に鉄筋を入れて土台を作っていた。土壌がゆるいのかな。柱が立ちはじめた。屋根がなく柱だけが天にむかって突っ立っている。妙な作りだ。一階部分の柱上に横木が組まれ、また天をついて柱が立つ。
なんだか普通な作りじゃないなと施工表をみてみたら、「レオ○レス」だった。テレビで藤原紀香が宣伝してる敷金無しアパート。うちの子も利用したことがあるが家具もベッドも作りつけ。布団、鍋・茶碗、トイレットペーパーの果てまで完備されていて身ひとつで入居できる。都会だけかと思ったら、こんなところにまで進出。ご近所さんとしては、得体が知れなくてちょっと、不安だ。

7月某日 散歩道で
またクローバーが咲き始めている。つよいね。

7月某日 国立大学のテレビCM
”国立”長岡技術科学大学オープンキャンバス!というコマーシャルをやっている!!独立法人になったからだろうけど、びっくりだよね。様変わりで。  


7月某日 読了
『新聞記者夏目漱石』を読み終えた。しかし、接骨院通いはまだ未完。『ごくせん』11巻はまだ入らない。
漱石が博士を辞退したとき時同じく医学博士を授与されていたのが野口英世。同時代の人なんだねえ。そんなことがわかって おもしろがっている。
夏目は朝日新聞だが、読売新聞が危機的状態になったとき社長に付いたのが(皇太子の車狙撃の「虎ノ門事件」で警視庁警務部長を免職された)正力松太郎と書いてある。へえー。お若い方はご存じないだろうが、巨人軍並びに日本プロ野球の産みの親です。(ちなみに今年、長岡の千手観音副住職兼絵本作家の諸橋精光さんは正力松太郎大賞を受賞した。寺の境内での大型紙芝居実演や絵本・紙芝居出版をとおして仏教振興に貢献した功績でだそうな。読売は仏教系か。秋には小学館から『般若心経』絵本も出るとか)(もひとつちなみに今年、諸橋さんは韓国の出版社から「野口英世」の絵本をだした。巡り巡って輪になっている話でしょ、これ。こういうツナガリがすき)

7月某日 ブログ
便利でこんないいものはない、とはじめたが、管理が悪いのか人気がありすぎるのか、夜になると、うちとこのブログteacupは開かない。書込めない。書いても行方不明になってしまう。めんどうでも、ホームページを残しておいてよかった。
あいかわらず(とくに家族には)不人気で、ただの備忘録に終始しているけど、遠くで旧友が見ていてくれているのが分ってうれしい。チョイと書き込んでいってくれるとなおうれしいのだが。

7月某日 進む読書進まぬ読書
まだ接骨院がよい中。待合室の『ごくせん』10巻を読み終えた。うちにあるのに、またここで通読しなおしている。バッグには厚々した単行本も入っていてそれが目に入った接骨医と やあ、分厚い本を読んでいますね、おかげさまで長〜く待つので本がたくさん読めます(イヤミヲコメテイル)、僕はさいきん全然本を読んでいないなあ と読書話になった。『ごくせん』については、ほう、そうですか、11巻もいれなきゃあ、とマンガ情報は持っている。ほんとに早く入れてね、通っている間に。
『新聞記者夏目漱石』はまだ読み終わらない。枕元においてある『虞美人草』も年を越している。

『ヤンボコ』ヤンキー先生母校北西余市を去る、はスグ読めてしまう、がんばってはいるが文章力はいまいちいまに。ヒーローはいろいろ言われるし。(社会的な話題にはスグ手を出すミーハーな私) 

米原万里のエッセイ『嘘つきマーニャの真っ赤な真実』はナイトキャップのつもりがおもしろくて目が冴えてしまった。「馬の品定め」からはじまって、男の善し悪しの見極め方もまた「歯よ、色艶並び具合でわかるのよ、」と教わる。これが小学生の女の子の「男の品定め」。おきらくに展開していくが、根っこは大まじめな国際問題。戦後60年とのんきな日本と違い東欧は戦後も平穏ではなかった。プラハのソビエト学校(外国人のためのエリート校、日本のアメリカンスクールみたいなもの)で社会主義国の国際的な教育を受けてきて、ちりぢりになった旧友たちを30年後激動の東欧に訪ねた旅行記だ。ソビエト崩壊・政権転覆・アメリカの空爆と中味は重いが、肩が凝らずに東欧の動乱が分ってくる、文章もうまいのだ。新作『パンツの面目ふんどしの沽券』も読まねばなるまい。(イエスキリストはふんどし?パンツ?) 

『新解さんの読み方』なる文庫本を買ってしまった。しまった、おもしろかったんだけどね。『新解さんの謎』の編集者自ら、その後の新版を比較して書いて雑誌に「SM嬢の部屋」(本名が鈴木マキコだからだって)として連載していたものだそうだが、赤瀬川原平は文章がうまかったなあということが見えてくる。
 などと パソコンに書きつらねることジタイが腰に来るのに 引きこもっていると じこしゅちょうをしたくなるわたしだ。


7月某日
 のど自慢
このチョー長寿番組、なんとなく惹きつけられます。
歌の上手さ下手さに茶々を入れながら鐘はいくつ?と予測するのもおもしろいです。ご当地ならではの人、長寿の人、エピソードのある人が歌の下手さに目をつぶって予選を通過してくるのも 歌のコンテストとはいえ、この国民的番組ならではの人選。
なにより、老若男女、美形ぞろいでもなく、スタイル・センスさまざまで、(雑誌やテレビでおめにかかるかっこよくおしゃれなセレブが生息しているのでなく)この辺が日本人の平均値かなあと思えて田舎住まいのものとしては安心する材料でもあるんです。ドサ回りが多い番組です。そのドサこそ日本の大部分で、家族とか「老いも若きも」の美風がそこにはまだ残っていると見るたんびに思います。

7月某日 友友 馬
これで ヨーヨーマと読むんだって。友だちがたくさんたくさんできるようにと親がつけた名前だそうです。いい親だね。


7月某日 小学校教諭の犯罪
新潟県内の小学校教諭の窃盗。パチンコ屋の隣の席に置き忘れられた財布をもって外へ出たという。きっと、はじめはその気はなかったんでしょう(そう思いたい)。あとで交番にと思ったのかもしれません。パチンコ屋に届けてもネコババされると思ったかも。
小学校の先生は 人格正しく 善良な人でいてほしいです、子どもが何を信じて生きていいか分からなくなるから。この先生、常識が欠けてたんじゃないかな。
というのは似た事件があったから。
遺失物は「善良な第3者」として「自己のものに対するように注意して」管理しなければ、セッカク拾ってやっても罪に問われることがあります。家の外で拾ったものは家のなかに保管する、交番にいけなければ電話をしておく、が基本です。
勤め先の他市へ持っていって届ければいいは間違い。あとで届けよう、と車の下(外)へ置いておくのもバツ。誰かがそこから持っていったらあなたも加害者。それくらいのテキトーな善意はまちがいのもと。むしろ知らん振りして拾わなければ罪は問われないのです

7月某日 ガソリン料金
豊栄は県下で一番セルフスタンドの激戦区、三つどもえの生き残り作戦をしている。つい先月まではある店で週末はティッシュを一箱くれた。この原油高騰でやめてしまったが、レギュラー120円、ハイオク131円だ。安い方らしい。あなたの町はいくら?あまりひんぱんに変るので表示のない店も出てきた。店員のいるスタンドも122円でがんばっている。きょうスタンドで「8月から値上げになりますから7月中に給油をどうぞ」というチラシをもらった。そうはいってもね、限度がある。

(関西から114円の声あり。さすが、負けたゼ) 
(紫竹で119円、負けてるよ)

7月某日 夏休み電話子ども相談はじまる
NHK第一ラジオの夏のお楽しみ番組だ。ここから学ぶ知識も多い。惑星配列の順番も海王星と冥王星が私が小学校で学んだ時代とうちの子どもが習った時代では入れ替わっていたのだが、1999年に再び入れ替わって水金地火木土天海冥に戻ったそうだ。この2つの惑星は楕円軌道を採っているので200年のうち20年冥王星が外側を廻るのだが、平均すれば内側になる、と分ったんだそうだ。科学は日夜進歩している。
ブラックホールに吸い込まれた星はどうなるんですか?には、わかりません。これは何もないんじゃなくて見えない「星」。光が外に出る早さより強く引っぱられているから見えないだけ。まだ誰も調べに行っていないが、あなたも近づかない方がいい、帰って来れないから、と大冗談で終わった。おかしい。

7月某日 リハビリ
長らく通っている接骨院で、やっとリハビリ筋肉増強体操の指導が始った。足のストレッチ俗にいう「8の字」、「かかと」なのだが、指導員と中央高校生は楽々とやっているのに私は足がつりそう。あーあ、タプタプしている皮と肉はあるのに 筋力がないわ。あなたは少しずつやってください、くれぐれもやりすぎないように、と先生から注意。そうね、これで腰痛起こせそう。

7月某日 京極夏彦
『ウブメの夏』が映画化されたからか、テレビでインタビューされている。小学生の時 読んでいたのは『ゲゲゲの鬼太郎』と『柳田國男集4巻』 だそうな。さーすが。
井上円了(長岡出身の妖怪博士、東洋大学創始者)と江戸川乱歩と京極夏彦は似ていると思う。妖怪・怪奇をおもしろがって分析するが奇々怪々の超自然は信じていない ららら科学の子。本の巻末の写真ではニヒルでかっこよかったのに、ちょっとでぶっててショック(病後のせいか)。 本職はグラフィック・デザインのアートディレクターだったんだって。着物姿に皮の手甲はおしゃれすぎ。

7月某日 大工
新聞のコラム(森まゆみ著)で、大工・・を「55年やったってまだ一人前じゃないまあ(大工じゃなくて)第五か第六かな」といっている棟梁の話が出てきた。まだ、こんな粋な人が残ってる。

7月某日 待合室で
『ごくせん』(待合室の本棚に全巻揃っていた)と『新聞記者夏目漱石』(平凡社新書)を読んでいる。新書は3年越しのナイトキャップ『虞美人草』(読み出すとスグ寝てしまう)の顛末が書いてある。漱石は藤尾が嫌いだったそうだ。へえー。拙宅の本棚からの『漱石の思い出(夏目鏡子述 松岡謙筆録)』も平行して読んでいる。松岡謙は長岡出身、長女筆子の夫。さいきん長岡出身の画家松岡某氏が漱石の孫だといううわさを耳にした。ということは譲の子息?いや筆子さんは長岡嫌い。疎開していただけのはず。某氏は長ずるまで長岡在住。符合しないよねえ。信憑性は定かならず。

7月某日 きょうは「学校に行こう!」をみてる
ワトソンさんのいないときは、こんなテレビが大好きで笑いながら観ているはどそんです。文舞両道、ダンス甲子園?高校生6人組がV6になりきって踊る競技会があるんだって。きょうの出演者、筑波大学付属駒場高校生に、進路は?ときいたら全員東大で、すげえなあ俺たちバカだなあと、素直に感嘆するV6の岡田君たちがすてきだ。ダンス経験無しから3週間でフリを覚えた子たちにすごいなあとひたすら誉めてやっているのにも感動だ。しかも「手を挙げるだけじゃなくてこう反るんだよ」と(高校生の下手さ加減も分っていて、欠点は言わずに)コツをわかりやすく教えてやっている。演技だとしてもえらいなあ。

7月某日  「沖縄戦最後の33日」をみて
おちゃらけ番組ガキドラマの嫌いなワトソンさんに付き合って夜のテレビは、白黒映画やクローズアップ現代とか戦後60年の思い出などばかり見ています。きのうは「地獄(ヂグク)沖縄戦の最後の33日語り継ぐ悲劇」を見ていました。当時を語る人々は、淡々と出来事だけを話しているので、かえって、見ているものにはその時の悲惨さが想像され、言葉になっていない分まで伝わってきました。はじめて見聞きした事実が多くて驚きでした。最後の洞窟のひどいこと。さっさと降伏すればいいのに。一般人を巻き込まなくてもいいのに。南へ南へ無策に逃げる軍は人々を道連れにしていたのです。軍隊に翻弄され殺されたも同然です。ワトソンさんは、どうしてこんなことになったか、なんで自分たちがこんな目にあったかと追求しないのはヘンだと言いながら観ていますが、町史や本では言っていると思いますよ。インタビューでも言っているかもしれません。取材を受けても編集でカットされる部分の方が多いのです。でも、それを言わないで見ている人に考えさせる方がいいと思っているのかもしれません。だって、あなた、それを言い出したら戦争責任の問題から、靖国や天皇にまで話は行っちゃうよ。
それと、戦争の語り部を称する老人たちには子ども達へ淡々と事実を語って欲しいです。青学入試問題でもめたけれど「だから、あなた達若い人は戦争が二度とおきないように・・」なんて言う説教は、うんざりして当然だと思う(おおやけにいっちゃあ確かにマズイだろうけどね)。そういうひとことふたことみことよことが多すぎるからイヤになる。だって、責任はその当時の人たちにあって、たとえば軍病院の手伝いをしていて、死んでない負傷者を死体置き場に捨てたそうするように命令されていたから、という元女学生に、そんな説教ができるんだろうか、私には疑問だ。これからどうするかは若い人たち自身が判断することなのだから(私は自分で考えその考えをキチンと言える人間を育てるのが教育だと思っている)、生き証人の老人のできることは、材料の提供だ老と思う。判断したものの押しつけは結局、同じ間違い(言われたとおり動く人間を作ってしまうこと)になるのではないか。

ーなんていうと、えらそうだねえ。ーすみません、晩酌のつまみです。

7月某日 『明解物語』を読む 
『新解さんの謎』のようなちゃらかし本かと手に取ったのだが、語釈のおもしろさを書き出している本ではなく、出版社が編纂の経過、編纂者の<確執>を世に残そうと、書かれたものと見た。
金田一京助の辞書(表紙には金田一京助監修とある)だとばかり思っていた明解国語辞典(昭和18年初版)は見坊豪紀が金田一京助から推薦があって中心にまとめたとある。監修者というのは直接に文章を書いていなかったのか。そういうものなのか。へえ。
新明解国語辞典(昭和47年初版、私はこれを持っている!それで気を引かれた。)は山田忠雄が主幹とある。後者の序文に「見坊に事故あり 山田が主幹を代行」と書かれている。(こんなところ見ないので今回初めて知った) 事故?これが大問題であった。私が読み取ったところでは主たる見坊豪紀が語彙の収集、カードの編集、同時進行していた『三省堂国語辞典』の改訂版に腐心して、明解の進行が遅れたので、出版社が業を煮やして山田に委託したらしい。見坊にしてみたら失礼な話だということで、共著の金田一春彦や柴田武にくどいている。本にはあまり出てこないが、大衆的辞書なので印税が大きいだろうから金銭的な損得の確執もあっただろう。上品といえばいえるが、下のものはおかしいと思っても先輩格には決して文句を言わない見て見ぬふりの学会体質もみえて、部外者にはおかしい。
関係者の談話には食い違いも多い。そもそも見坊は金田一京助先生から辞書作成の話があったと語るが、金田一春彦は自分が話をもちかけた、と言っている。見坊の他の辞書の原稿が山田がかってに新明解に使った、中に入っていた編集者もわるい云々、編集者の意見では云々。編者はあえて そのまま出している。『藪の中』のようで、どの世界も同じなのだな。

白川静も然り。辞書編纂者は一筋縄では行かぬ一徹物でないとできないんだろうな。そうはいっても山田新明解は、とてつもなく変なところがある。
新明解初版から、本書の序文がらみにこんな例もあり、

いも(芋)・・ー辞書B〔大学院の学生などに下請けさせ、先行書の切り貼りででっち上げた、ちゃちな辞書〕

おやがめ(親亀)親に当たる大きなカメ。〔早口ことばで〕−の背中に子ガメを乗せて、子ガメの背中に孫ガメ乗せて、孫ガメの背中にひい孫ガメ乗せて、親ガメこけたら子ガメ、孫ガメ、ひい孫ガメはこけた〔右の成句にたとえを取って、国語辞書の安易な編集ぶりを痛烈に批判した某誌の記事から、他社の辞書生産の際、そのまま採られる先行辞書にもたとえられる。ただし、某誌の批評がことごとく当たっているかどうかは別問題〕
こんなこと辞書に書くかふつう?我田引水と言うか在野精神と言うか戦闘的でかなしい。
金田一から苦情があっても自説を曲げない山田、柴田から批判があって次回にそっとさしかえる山田。それがこの「マンション」。これが原因で金田一は引いたとある山田は自分はこう感じたと主張していた。

マンション スラムの感じが比較的少ないように作った高級アパート、〔賃貸のものと分譲する方式のものとが有る〕

ひまーーなとき、(つまり今のように寝込んでいるとき)新解さんをぱらぱらめくっているとおもしろい。用例にも こんなのがある。
なんだって   なんだって、あいつが死んだ?
なんて     彼が医者だなんて!!(はどそん注 !は辞書のママ)
なんの     詩人だと聞いていたが、なんのただの俗人だっ
 たいそうなひがみやというか皮肉屋だ。やはり新刊を買わなくては。
 
7月某日  筋肉不足
こうして、ずっと座っていると背中が痛くなる。気を抜くと丸くなっている。それでいて、背に肉がだぶついている。腹筋がないからおなかをこわす?背筋がないから腰痛?

7月某日 無知の知
知らなかったことを知った喜びと驚き、これが人生の醍醐味で、いまだにそういう巡り会いがあるから、生きているかいがあると思う。
大きなフリできめてみたが、テーブルの上の一輪挿しの話。毎年かざっている紫陽花の花なのだが、えっ、花の一塊のなかに雌花と雄花がある?ハッとした。花びらのまん中でパッと開いているのと開いていないのとがある。みんなこうかと思いきや、庭のアジサイやガクアジサイはそれぞれめしべおしべの形が違う。ただの開花時期の差かもしれないが、見過ごしていた。こんなに好きな花なのに今まで気がつかなかったことに驚いた。
「無知の知」と田中美知太郎は呼んでいた。ソクラテスは原語ではなんと言っていたのだろう。(私はへたくそですが、「文化人」のエッセイは 身近な事に端を発して先人警句・故事出典を披露するよね )

7月某日 寿司屋
家人が新潟で会議の後に寿司屋へ寄ってくる、と言うので、ではおみやげを期待しておりまする、夕食は茶漬けなど軽く食べて待っておりまする、と返事をし、食卓に茶道具、醤油など、準備をし、味噌汁掛け飯などを台所でかけこんで、うきうきと待っておりました。いつのまにか うとうとしてしまい、おなかがグウとなって目が覚めたのが1時。ほどなく、お帰りになりましたが手ぶらでした。
家人曰く、行きつけの寿司屋が『健康管理のため休みます。』と休業していた。病気とは書いてないが、弟も早死にしているからなあ。健康管理だと言うが大丈夫かな。代わりに行った寿司屋で折りを作ってくれといったらしゃりが切れてますと言われた、そうな。
おなかをおとなしくさせるために、熱々の茶漬け一袋を分け合って、ひたすら薄味のを食べて寝ました。
食事の仕度を一回パスしたわけですし、まあ健康第一のお寿司屋さんに免じて、大目に見てしんぜましょう。と ここでおおいにグチっておりまする。

7月某日 テノール
サルバトーレ・リチートラ。いいね。


7月某日 生きる気になれないときは
「人のために生きてみる」のがいい、と「夜回り先生」がラジオで言っていた。(このごろまともなのはラジオだけだ。経済時評を聞いてはじめて郵政民営化の問題点が分った)
お父さんの靴を磨いてみる。施設でお年寄りの世話をしてみる、とね。リストカットする子に 「先生は悲しいよ」という。親に無視されるから子ども達は繰り返す、子どもを抱いて寝てやって下さいという。真正面から向きあって受け止めてやる大人がいて子どもは救われるんだな、と聞いていた。ただ、この先生、口調がどこか芝居がかっていて話をまとめすぎているところが違和感を感じる。助けてやれなかった子どももいるという。善行をわかってもらえなかったごんぎつねもか。

7月某日 いま畑の畦で元気な草は
犬と夕方の散歩で通る畑の脇の道は、雑草の花たちの闘いを見ることができる。これも散歩の楽しみだ。春はハルジョオン、ヒメジョオンからはじまって、しろつめぐさ、たんぽぽが咲いていた。つづいて背高雑草の影でハハコグサが黄色い楚々とした花を付けている。歩道を葛が伸びていく、刈られてしまうか紫の花を付けるのとどちらが先だろう。今ちょうど、日に日に伸びていく広葉雑草がいて、みるみる大きく枝をはりだし、すっくと立っている。植物は動かないというが、どうしてどうしてこの成長はすごい。伸びきらないうちに下の葉から紅葉してきて茎もあかくなってきた。もう枯れるのかと思ったら花を付けてきた。うす黄色いエンドウ豆型の花は、おおー「おおまつよいぐさ」ではないか!月見草だ。もうすぐここは月見草街道になる。たのしみだなあ。

6月某日 無心道
「無心になったときこそ欲しいものは手に入る」と山田詠美先生はおっしゃる。これって、私たちが「成り行きまかせ」といってたことみたいね。こういうと深淵に聞こえていい。「不幸から自分を救うものはユーモアである」ともお言いだ。ホリエモンもこれからのねらい目は「お笑い」だって言ってた。本人も不幸なのかな。

6月某日 二者択一
接骨院にしようかプールにしようか。迷った。迷えるほど回復したとも言えるかな。筋肉がほしいのでプールに行って歩いた。まだるっこしくてちょっぴり泳いだ。腰はいいけど動悸がした。あれま。

6月某日 ほろり
「どうだ?」と相棒が声をかけてきた。腹痛でうなっていたのに、あやつは知らん顔で席を外していた。ずいぶん経って こちとらも痛みを忘れた頃、ねぼけながらそう言った。あれっ。ほろりだぜぇ。今まで熱を出して寝込んでいるときでも無言。「帰ってきたら具合を聞いてくれてもいいんじゃないの?」と文句をいうと、「それで、病気が治るわけじゃないだろ」と言い放つような奴だった。きょうはジーンと来ちゃったぜ。(かまきりりゅうじ風)

6月某日 蚊
今の季節のは痛い。すごく痒い。初心者だから むやみやたらの無鉄砲?

6月某日 うどん派そば派

映画監督の小栗康平がテレビで「昔はうどん派だったが、年を取っていくとだんだんそば派になる」と言っていた。私もだ。うどんを食べるとあとでおなかがふくれてくる気がするのです。

6月某日 図書館再開
 こんなにいい季節に,この町の図書館は曝書(ばくしょ)をしていた。曝書ってなに?と聞いてきた知り合いがいたが、元々は本の虫干しの意味です。図書館ではほんとに虫干しするわけではなく、蔵書点検をするだけ。だから前に住んでいた町では「お客さまのご利用の少ない時期」を撰んで、1月から2月にやっていた。新学期も始って、さあお勉強というときに曝書かねえ。2週間はさびしかったぞ。
 けなげな喫茶部はほそぼそと営業していたので、売り上げ協力に2度ほどおじゃまして、おしゃべりしてきた。最初は知らずに行ったのさ。せっかく寝込んでいくらでも本が読める環境だったのに惜しかった。
 再開したら大入りである。この町の文化度の高さはすばらしい。紙芝居を抱えた老夫婦は孫の子守かな。子連れママ、学生の勉強風景、サラリーマンの休憩、元文学少女の群れと教養あふるる初老の紳士たち、といつもどおりのにぎわいだ。
 さて、村上龍の新作かと借りたのに、ゲッ、うちへ帰ってよく見たら村上春樹だった。『日出る国の工場』なんて探訪記はまぎらわしい。ぽかしました。『ノルウエィの森』以来にがてな作家です。
山田詠美の新作も探したが、なかったので熱血ポンちゃんシリーズを借りる。西荻かいわいの日常風景のエッセイです。詠美のさばさばした文章と筋金いりの奔放さが私は大好き。こんな風に生きてみたかったな。もちろん、そんな才能も美貌もないけどね。
島田雅彦とか高橋源ちゃんも小説よりは本人が、つまりエッセイがおもしろくて、気にしている。
江國滋より江國香織のほうが多くなって、悲しい。父より娘のファンが多いのか。どんどん、新しい作家と本に取って代わられるなあ。
今一番読みたい中脇初枝はないので、隣町というか今は同じ市になった新潟の図書館に予約。市政便りはペラペラだし、図書館ネットワークが市町村合併の魅力だったのにまだできてません。なんにもいいことないぞ。(あ、あったあった。デパートの送料が市内無料になりました。)

6月某日 醤油いれ
口が壊れて、ダイエーまで「江戸前醤油注ぎ」を買いに行く。十年来のお気に入りの醤油入れのガラス容器はダイエーにしかない。ダイエーがなくなったらどうしよう。撤退すると発表になっているが、いつまで営業してるんだろう。地下はけっこう混んでいるのに。

6月某日 手洗い
洗濯機が故障して数日間、くつしたもシーツも洗面所で手洗いしていた。なつかしかった。新婚の、貧乏でまだ洗濯機が買えなかった数年間は、おおきな洗面器と洗濯板(!)で洗っていたのだ。シーツはお風呂場で足洗い。もちろん実家には洗濯機があって、それまで生理中のパンツ以外は手で洗っていたことはない。若いときは苦労も苦労と思わないで、糟糠の妻をたのしんでいた。そのときも何がしんどいといって、大きな洗濯物を絞るのが大変だった。これがけっこう力がいるのだ。今はより腕力が衰えて、ねをあげている。
生誕200年のアンデルセンの母は洗濯女だったという。一時代前までは洗濯機も、温水器も、脱水機もなく、その前は水道に洗剤すらなく、井戸か川辺に行っての重労働だったので最下層の女の仕事だったようだ。そうでなくても家事の中でもいちばんの大仕事だったろう。
私はいまだに「あんたのおむつは私が井戸で洗ってやったのよ」と言う母の妹に頭があがらない。(そんなこといわれてもねえ、ありがとうございましたっていうしかないわ)
(ハンドル式の脱水機でも良かったようだけど)文明のありがたさを痛感しています。

6月某日 あわや大惨事
洗濯機が煙を噴いて、危ないところだった。
いつものように全自動洗濯機をオンにして出かけたのだが、帰ってもまだ終わっていない。水が残っている。オイオなにしてんやと どついて(?以前はこれで治ったのだが)、もういちど脱水スイッチを押して台所で洗い物をしていた。そのうち異臭がしてきて薄ねずみ色の煙が充満してきた。どこから?とさがすと、洗濯機からだ。とにかくスイッチを消して、プラグを抜いて窓を全開にして煙を出す。硬い木をいぶしたような、消毒薬のようなツンツンした臭いが中からする。水は真っ黒に濁っている。まだ火は吹いていないもよう。靴下か犬猫の毛玉でも詰まったんだろうか。
こういうとき、たよりになる結婚前から知り合いだった電気屋さんにSOSの電話.たぶん排水を制御する電磁石がいかれたんだろうからコンセントを抜いておいて、と即、診断してくれる。ほかのメーカーでこういう事故があったそうだ。在宅中で良かった良かった。丸焼けになるところだったのだ。部品があるかなあ、85年製だけど、といったら絶句された。はや20年。大事に使って もたせていたが電化製品も賞味期限を書いてほしい。電子レンジも火を噴くまで使っていたが、あれも危険だった。
焼けずに良かったのだからと奮発して最新式の洗濯機に替えることにした。古いのを運び出すとき、その電磁石はちょこんと下に落ちていた。しかってたたいちゃイケナイのですな。

ところで、N社の最新鋭機。あまり人には勧めません。やってるんだかやってないんだか分らないほど、静かなのは◎。マンションにはいいね。でも洗濯だけで2時間!水少なすぎで繊維は傷まないかい?脱水は甘い。乾燥させると5時間もかかり、しかもタオルはごわごわ(これはマニュアルにまで書いてある、柔軟剤を使えって。)あと1年、待った方がよいかも。

6月某日 悪者です
いい人になりたくて ボランティアをしたりしますが、いい人ではないです。
車の運転を始めてから、どんどん人間が悪くなります。駐車違反・スピード違反は日常です。こんなあからさまに意識的に法律を破るのは車に乗り始めてからです。家の前に止めておいて駐車違反札を貼られたり、警察署の前でシートベルト違反で止められたりしても、そのときは、悪かったというより、しまった見つかった残念という思いが強いです。あちらも感情抜きのお仕事で、人格云々までは問わない。けれど、これは別な話。

ある日曜日、立体駐車場に車を入れていて、まず見えなかった車止めのコンクリートにガシャ。まずいっと入れ直そうとして隣の車に接触。別のコーナーに入れるも手間取って3,4分。相手にへこみはつかなかった、とホッとして行きすぎようとした。そのとき、ミテタゾ、ブツケタダロ、アテニゲスルキカ、イイオトナガソレデイイノカ、ジブンノクルマバカリキニシテタダロと突如出てきたお兄さんは茶髪に金のネックレス。コワッ、ヤバイ。言っていることは正しいのだが。マズイ。でも、と口論の最中に帰ってきた車の持ち主は優しげな女の人だった。彼女に接触面に微妙な筋を指摘されたが、子どもが自転車をぶつけるからボコボコの車なので、と修理費を取らず、これから気をつけて下さい、で済んだ。スイマセン。
だけど、傷が付いていても誰もいなければ逃げたんだろうなたぶん、と思う。自己嫌悪に落ちる。こわもてのお兄さんは善意の第三者だった。後から交わした会話を思い出すとガシャ音を大激突と勘違いしていて正義感で言っていたようだ。いいだしてから引っ込みもつかなかったんだろう。こちらに非があるので説明がしきれなかった。と、またいいわけをしている。はじめからあやまればいいのに、いいわけしてたもんなあ。ひでえやつと思われ続けるんだろうな。事故ると、相手に謝ることより自分の陥った災難におろおろするというが、全くそのとおり。
 今回の苦境で、正論はかならずしも相手の心に届くものではないと学んだ。自分がワルのほうに身を置いて、はじめて悟った。逃げ道なく図星をされると、まいりましたと素直になれない。私は誰にでもお兄さん的態度だったなあ。正論は糾弾に通じてしまう。
時を同じくして和歌山カレー殺人事件の容疑者の夫が妻をかばっているのをテレビで見た、この人は真実はどうでもよくて立場でものを言っているんだな。
時を同じくして新聞に「犬を散歩させている人がフンをほったらかしに行きすぎるので「おわすれものですよ」と声をかけたのに早足で行ってしまった」と憤慨している子連れの主婦の投書があった。自分の犬がフンをしたのを知らぬわけはない。何と答えるのを期待しているんだろう投書主は。ソフトに言ったつもりだろうが、正論すぎて痛い。

人に忠告やら説教をしようと思っていた矢先のこと。とてもできません。ずっと滅入ってます。

6月某日 幸せを感じる日
まんまるなおっきい夕日が海岸の松林に沈んでいく日。
空ががんがん晴れてまっさおな日。 
庭でことし初めて会う花をみつけた日。
公園の栃の木に子ども達がぶらさがっている日。


6月某日 不幸せな日
前日より5度以上気温が下がった日 かくじつに腰が痛い。
エイッと掃除機を出して掃除を始めたのに やっぱり腰が痛くなった日。

6月某日 トキ
ことし42の卵から 22羽のトキが生まれた。一組は自然孵化(親が卵を温めて孵化したもの)だって。よかったね。これで、佐渡のトキは80羽になった。ホー。

6月某日 腰痛再び
業務用の軟らかい丸太ん棒(背筋を伸ばす体操用具)を、接骨院から、6000円を4800円で分けてもらう話にまでたどり着いて、ホクホクしていた。わーい、卒業だ。それは朝のこと。夕方、調子に乗って段ボール箱をひょい、と持ち上げたら、またバキッツといやな音がして、腰痛が戻ってきた。振り出しにかえった。
風呂掃除ができなーいと甘えようとしたら、デスクワークで家人も腰痛。もんでやろうかと言ったら(マッサージは)キモチワルイ、と断られた。そういう人だから(モンでもらいたい私は)モンでもらったことがない。

ついでに
いたいとき、新潟弁では「腰がやみますて」とか「腰がやんで やんで」というが、由緒正しい「病む」から来ている。知らない人は、やすむ、とか いやだとかの意味かと思うらしい。
「なんぎですて」とも言う。「難儀」が語源?

6月某日 らくなことしか
パソコンにむかうのが 一番しんどい。いまは楽な作業しかしていない。メールもあまり考えなくていい物しか出していない。ちと難しいものはみな後回しにしている。Eさんと違って、メールもファックスも遅筆なのだ。

6月某日 好きなひとつだけに絞って
希求していけばいい。折り返し点を過ぎたら いやなことはやらなくていい。人生80年だっけ? 手を広げすぎてバテないこと。やりすぎて人をやりこめないこと。NOというのも大事。 

5月某日 告白ごっこ
小学5年生とおぼしき女の子の二人連れが、目の前を歩いていた。ランドセルを背負っている。「好きな人 いっしょに言おう!」車に乗っているおばさんに気づかない二人は「せーのー」とかけ声を駆ける。え?え?これ告白ごっこしてるんじゃないのかな、とドキドキして聞き耳をたてた。「かぞく!!」二人が声を合わせていった。まあ、好きな男の子の名前じゃないのお。なんてまともなの。「じゃあ嫌いな人 いおう」なになに。「だんし」一人の声しか聞こえなかった。もう一人はなんて言ったんだろう。そうねえ、あの年頃の女の子は本気で男子が嫌いでした。臭くて、汚くて、バカで、いやだと娘は言っていましたね。


5月某日 図書館司書資格
資格があれば手伝いに来てほしい、と図書館職員からたのまれたことがあったが、無資格だったので、このおいしい話はボツになった。通信教育で勉強してみようか、ある人が子どもの通っている大学に学士入学して教職の勉強をしていたとき、ちらっと思った。そんなん取ってもいまさら何の役にもたたんやろ、とあきらめたのも今は昔。たまに正規に嘱託扱いの司書を募集していたことがあったが、たいてい年齢制限が40才だった。資格を取ったところで役立てようがない。ところがことしの新潟市のお知らせには「学校勤務・臨時司書60名募集年齢60才まで」と職員採用の公示があった。大型合併で新・新潟市の各学校にも旧・新潟市並みに学校司書を置くことになったらしい。正規職員にはならないようだが、世の中は変るんだね。学べるうちにまなんでおくものだわ。残念。

5月某日 着るもの
今の季節は着るものに困る。暦の上では春真っ盛りなのに、寒い。街では木綿の季節。けれど寒くて寒くて。うちの中では、しっかり毛糸のセーターとフリースとストーブに守られているが、外出時はたいへん。なかに肌着やらスパッツやらを詰め込んでやっとこ、ごまかしている。しかも季節にあったちょうどいい服がない。(夏冬のバーゲンはあるが、春秋物バーゲンはあまりないからだ)
なにか買わなくては、と出かけても、何を買ったらいいのか、何が似合うのか、分らない。試着してもいても、思っているより寄る年波が邪魔をしてフィットしない。迷いに迷って、ええい、ままよ、なんか買わずに帰られるかと、手を出す物は安物買いか、ふだん着られないような斬新なものか、たいていは組み合わせがきかない半端物単品。。。去年からまともなワードロープがふえない。
 いっぽう家人はひとシーズンのオフタイムファッションをいちどきに一組だけトータルで揃え、それで事足りている。そちらが利口なようだ。

5月某日 念じればかなう
会いたいと思いながら遠慮していた長岡の友人に交差点でばったり出会った。ほっそりして、化粧をしていたので見違えるほど美しかったが、通院の途中であった。でも嬉しい。
よく人に会うねと連れに言われた。この春、3人も古くからの友人にばったり出会った。広いようで狭い うちの町の繁華街だ。
 いっぽう、会いたくない人にもあった。彼女はいつものように<有料>作品展の出口から入ってきた。といえば私の仲間では知らぬ人のいない奇人伝中の有名人である。運転免許証を5回なくして6回目は警察も頭に来たのか免停になったと新聞をにぎわせた人だ。

5月某日 ケンカせず
ゴールデンウイークにもかかわらず、ここ1週間ケンカもせずに過ごしているのは、めずらしい。これもひとえに 早寝早起き(飲酒量低下)のおかげである。

4月某日 「青春」
「真の青春とは 若き肉体の中にあるのではなく 若き精神のなかにある」「心のアンテナ 青空高くそびえ立ち 受信し続ける限り あなたはいつまでも青年」
              サミュエル・ウルマの詩「青年」より
と、新井満がラジオで言っていた次の週に、日野原重明が新聞でも書いていた。マッカーサーが愛唱していた詩だそうな。私はじーんと来ちゃうよ。いいんだけど これは老人のための応援歌。青年期の人のためには、他をあたってね。

4月某日 Shall we dance?
リチャード・ギアのリメイク版を見に行く。考えたらアメリカ人は高校卒業のパーティ(プロム)でみんな踊っているんだわ。リズム感もあるから、まったくダンスができない、ダンスをするのは変人という感覚の日本人とは、土台が違う。で、おもしろくない。オリジナルの方がずっとよかった。
だいいちリチャード・ギアは立っているだけでほれぼれする王子様だし(「シカゴ」では華麗なタップダンスを披露しているプロだ)、ジェニファー・ロペスは容姿とも美しくないし、踊りも素敵ではない、品がない。竹中直人役はほんとにダンスがうまくて困る。
帰ってきて口直しに「Shall we ダンス?」を借りてきて鑑賞。

4月某日 たんぽぽ街道作成中
公園前の道路、路肩はアスファルトが禿げて土が出ている。そこに雑草がビッシリ生えるのだが、毎年タンポポだけ残して草を抜いている。もう少しすると黄色いタンポポが連なる街道ができる。春の黄色い花は元気が出るでしょ。庭はらっぱ水仙がさかり。

4月某日 萱草色(かんぞういろ)は喪の色 
 黄味のつよい橙色 源氏物語り絵巻・柏木の修復をテレビでドキュメントしてて、暗い薄墨色の中にひときわ明るいオレンジ色が目立つのだが、これは 喪に服するとき纏う装束の色だと解説があった。 野かんぞうは、佐渡の二つ亀に群生する橙色のゆりに似た花で、一度は見に行きたいと思っている。ちかくに賽の河原があって、その夕焼け色はたしかに淋しいi色だ。

4月某日 あすなひろし
 1970年代から夢中になっていたマンガ家だが、ずっと見かけなくなっていた。  そうだ、ネットで検索すればなにかわかるかも、と調べたら、2001年死去 とあった。BSマンガ夜話でもとりあげられたことがあって、プロからも注目されていたマンガ家だったのがわかった。
 『嵐が丘』の大木の美しさはみごとで こんな樹が描きたいと模写していたことがある。 『青い空を白い雲がかけていった』3巻をもっていたはずだが、どへいっただろう。
シリアスな絵の正確な描写と、あっちょんぷりけのギャグとの間合いが絶妙だった。『マカロニほうれん荘』や川原泉まんがは影響を受けているのではないかと思う。
高橋源一郎の『 読むそばから忘れていってもー1983〜2004マンガ、ゲーム、ときどき小説ー』を読んでいたら、(ココには出てこないのだが)すきなまんが家を思い出した。

4月某日 ウグイス 初音の練習中?
ホーホケとかホーケェキョケキョとか みょうな鳴き声が聞こえて気になるが、がんばれ。

4月某日 「僕 がんばる」
のむぞうさんの日記に 口癖にしようかな、なんて書いてありましたが、「元気だしていこう新潟」とか「がんばろう新潟」なんかの うさんくささより、ずっといいですよ、軽やかで。
「私 がんばる」ことがなくて 人の顔を伺ってはウロウロしていましたが、きょう会った友人は誰にも寄りかからず自分のために「がんばってる」
ちょっと、背筋がのびました。

4月某日 ダメなだけなんです。
父はピースを吸っていました。私はかっこよくケントを吸いたかった。(むせて吸い込めなくて断念)。恋亭主も昔はピースでした。その頃はこの紫煙に恋をしていたのかもしれまっせん。
タバコが嫌いだったわけじゃないんです。
ある時突然体質が変って (花粉症のようなアレルギーかな)タバコを吸っている人のそばにいると胸がかゆくなる、むせる、息が詰まる、痰が出る、となってしまったのです。ダメなだけなんです。
外でたばこを吸ってきた人も感知できます。タバコ臭は閉めきった部屋のモノにも移り香が残ります。バッグや服や、なんと「ツタヤの青い袋」にも!
吸っている人はわからないんだろうな、こういう病気もあることが。肺ガン防止のためだけじゃなくて、皆さんタバコは止めましょう。

4月某日 もくろみと反対に
イベントが終わると、気持ちがバラバラになる。仲よくならずに、ひびが深まる。がまんのしずぎ?

4月某日 バッグ購入
オフハウスにて、布コーテイング製の軽くて使いやすくて、肩にもかけられるコムサデモードのバッグを\2500で買いました。うむうむ我ながら、目利きじゃのう、と悦に入っていたんですが、大失敗。買うときに、革製品は本物かどうか嗅ぎまくっていたのに、これは 見るからに布なので見過ごしー嗅ぎすごしました。・・・・たばこくさい!煙アレルギーのハドソンは、タバコ臭が大のにがて。いま物干しに吊してあります。安物買いの・・・。

4月某日 ウインドウ・ショッピング
ボッティガ・ベネタ ロエペ  エトロ フェンディ
 フェラガモときて なんのことだかわかったあなたは ブランド通。 アルマーニ コーチ シャネル ルイ・ヴィトン グッチ プラダと 新潟にあるバッグの店を、この春みんな!見て歩いたのは 若いKちゃんのおかげでした
(おっとエルメスとカルチェだけはおそれおおくてパスしました)  
昔はどれも大金持ちの奥様御用達で、ユニクロおばちゃんはちょっと入れなかったのですが、いまではOLさんがあるいは学生さんがアルバイトをして手に入れるものに変ってました。だから若い子がふらり入って行っても、違和感がない。その付き添いにおばちゃんが付いていってもまあ、ありか。そんな時代になってしまってます。
いいものはいいね。キライじゃないですいいものは。でもね、いいなと思うものはウンジュウ万円!親が買えないものを娘に買ってやるほどの親バカではない。
それにしても8万も10万もするルイ・ヴィトンのモノグラムバッグに紅いサクランボやパンダが付いているのにはあきれました。
どうなっちゃってるの世の中は?

4月某日 「千の風・・」また
アマゾンにCDを注文したら翌日に届いた。
死んだ人からのメッセージ。お墓の中には眠っていない 死んでいない 今も「 私は・・千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています・・・・」
天国も地獄もなく、死んだら自然に帰って愛する人を見守っている。誰かを追悼するのでなくても心やすらかになる。
それを聴いていた日、図書館の返本ボランティアで、たまたま新井満の小説を書架に戻すことがあった。ついでに書架を物色していたらエッセイ『死んだら星に生まれかわる』(2004年12月刊)のなかでもK君が実名で登場していた。『死んだら風に生まれかわる』(2004年9月刊)にも同じ話が載っている。(この二つの本はずいぶん話が重複している。ちょっと荒稼ぎだ。)
 『死んだら・・』のなかで、清酒「千の風」の誕生も、酒造元の奥さんがK君同窓生つながりだとでていた。アレ、聞いたことがある酒だけど、と台所を探したらでてきた「千の風」。この町が廃市になるのを記念?して、なんとか協議会代表者の市長さん名で届いた酒の中にこれが入っていた。偶然が重なって、これもナニカの引き合わせなのだろうと一杯いただいた。叔父と、叔父の葬式で見かけたK君の亡きつれあいを想って。

4月某日 タイミング
 友情もタイミング。どうしても間の悪い巡り合わせになる人がいる。夫婦のおりあいの悪いときに限ってたまたま電話してくる生命保険業の友人、悪気はないのはわかっていても、仕事がらみの話をするので、つきあいきれなくなった。(亭主が死んだらいくら入るなんて話はしたくない。と仲が悪いときに思う私は亭主を心底嫌っているわけではないのだな。)
夕御飯の仕度をはじめる頃にのんびり尋ねてくるこどもの幼稚園仲間のママさんがいた、これも生活リズムが合わなすぎてつきあえなくなった。家人の留守をねらって電話をしていると帰宅、飯酒の用意と相手ができず機嫌が悪くなるパターンがなぜか続く友人には、ジンクスを考えて電話ができなくなる。
 こちらもひまなときに絶妙なタイミングで寄り道していってくれる友人がいた。気が合うというのはこういう事だね、と大事にしていた友人だった。遠く離れたら、そういうことがなくなって淋しい。音信も途切れていたので、気になっていたら、家庭の事情でお気楽な便りができる心境ではなかったらしい。どこかでホッとしている私は非情だね。

4月某日 反日運動
竹島問題を契機に韓国でまず、反日運動が起こった。これはまだ理解可能なのだが、中国での反日運動が、なぜか唐突に盛り上がっている。教科書問題というが今年急浮上しているのは、安保理の常任理事国入りに反対しているからなのだろうか。国家的には なあなあで済ませていたが、民衆の敵意は根深いと思う。いらぬ反感は起こさせないように、小泉君よーお。

4月9日 「千の風になって」
 ボーッとカーラジオを聞いていた。新井満がゲストだった。「千の風になって」が話題になっていた。9.11の頃に朝日新聞の天声人語が取上げて話題になっていた英詩がもとで、新井満がCDやら絵本やら小説やらを作っていたのは知っていた。なんだかイヤだった。(地元出身と言うが新井満の小説は一つも読んでいなかった)
 それが、ラジオで1946年生まれだという新井満が、「K君という友人がいまして・・・」と突然、私の高校の同級生のフルネームをあげたのだ。どこでつながっているのだろう。不思議に思いながら聞きいった。 
K君の奥さんが(彼女も高校の同級生でその頃は近所に住んでいたのだが)、幼い3人の子どもを残して癌で亡くなったと風の便りで私も聞いてはいた。一年後に追悼文集がでたとき、新井はその文集の中で、この英語の詩ーたった12行の詩ーに出会って、衝撃を受けて訳詞したというのだ。K君は頭もいいが人柄もいい青年だった。すんなり人生を進んでいたら、今頃は父親を継いで市長にでもなっていただろう。
ラジオでその歌を聴いた。彼女の清楚な面影が浮かんでしまった。そしてK君のいまも淋しげな様子も思い出してしまった。
 新井はこの歌を涙なしには歌えないという。ファッショナブルさを嫌っていたが、その抵抗感が破れてしまったいまは素直に泣きながら聞ける。K君は私の人生を変えた人でもある、ここでまた出会うとは。(誤解がないよう言っておくが、恋愛沙汰ではなく、いっしょに勉強していて彼のあまりの頭の良さに私は志望を変えたのだ )


4月某日 児童文学者になりたかった大沢在昌
へえー、とビックリした。『名探偵カッレ君』が大好きだったとか。ケストナー(そういえば『エミールと探偵たち』も推理ものだ)やリンドグレーンのような作家になりたかったそうだ、なんとなく純粋性に共通項がある。これはどこかのコラムで読んだのだが、宝島社の『ALL ABOUT 大沢在昌』では中2で眠狂四郎シリーズを読破、中3で同人誌にハードボイルド短編を発表とある。うーん、非凡だ。


4月某日 野中ともよ サンヨー電気会長就任
業績悪化でー中越地震で小千谷の工場も打撃が大きかったらしいー、「なり手がいないんだろう」、と口の悪いW氏は言う。だが私はサンヨーがすきだ。軽い小さいかわいいマイ・ケータイはサンヨー製なんである! 開発力の強い一流会社ではないかもしれないが、使い勝手のいい消費者サイドにたった商品を出してくれてきた。消費者感覚の野中ともよ氏の就任でこの傾向を強めてくれたら立て直しが効くんじゃないかと期待している。がんばっていこう中越!ガンバレサンヨー!


4月某日 『佐藤さん』を読む
へんな題名で引かれていた本だが、内容もよかった。『カラフル』に出会ったときのようにうれしい。高校生が主人公の児童文学ですが、小学生から薦められそう。幽霊が見えてしまう男の子と幽霊が肩に取り憑いてしまう女の子が主人公、と聞いただけではライトノベルのようだが、いじめや虐待にあう今どきの子ども達もみんながみんな異常行動に出るのでなく、純情でまっすぐに生きているのだよー、と17歳の作家は書いている。求めていた直球を受けた感じだ。

3月某日 ああはなりたくない
と若いときから思っていたものに妙に近づいてしまう。特にイヤだと思うのは自分の中にひそんだそういう傾向を嫌悪していたからかもしれない。語幹にアクセントが来る話し方。謙虚ごっこ。ほめられ待ち。おしゃべり屋。中学時代に近所に住んでいた女子大出の狂女。猪首。ねこぜ。がにまた。どたどた歩き。尻のたれ。口元の梅干皺。まあ そのへんはとしのせい。

3月某日 春か
ハドソンはこたつとストーブから離れられないけれど、世の中は春。白梅の花が銅屋川通りで咲いていた。子ども達はトレーナー姿で自転車を乗り回して遊んでいる。(はどそんも中学の春休みには仲間と連隊を組んで、越後平野に鎮座する弥彦山めざして、菜の花畑を見ながらチャリを漕ぎましたっけ。でも挫折しましたよ。ぽつんと立ってる山だから近くに見えたのだが、どうしてどうしておよそ33`も先だったのだ。寒くなかったんだろうか、覚えていない) スーパーでも もうオーバー姿はいない。高年齢者以外は毛糸のセーターも着ていない。そこでハドソンは内側にタイツ、ワコールの純毛肌着を着て、表面はコッパン、綿セーターで若者ぶっている。一番上には白い半コート(ユニクロの綿入り)で、春らしく見せている。けれど暗くなって犬の散歩に行くときは、毛糸の帽子にベンチコート、手袋、マフラーと完全防備で出ている。みんなほんとに寒くないのかなあ。


3月某日 『となり町戦争』を読む
三崎亜記 作。佐藤亜紀の『戦争の法』と井上ひさしの『キリキリ国・・』を思い出した。もっとシンプルなんだけど、役人気質の風刺と戦争に巻き込まれていく心理がひりひり感じられた。さいきんのヒットだ。

3月某日 うれしいこと
若い男性集団に こんにちはって声をかけられた。
公園に集まってくる小学生たち。ホームズ元気ですかって。

3月某日 うれしいこと
クロッカスが 庭の隅で ひっそり咲いていた。


3月某日 うれしいこと
水仙の芽が日に日に伸びている


3月某日 はぐるま
かけ合わさった歯車が、まちがってまわりはじめるとどんどん悪い方へ動いていく。そンな日もあるサ。

3月某日 鬱のAさんへ
児童文学はいい治療薬だよ。なにしろ、あと数年どころか、これからずっと生きて行かなきゃなんない子どもたちへの生きぬくためのエールだからね。歳を取った人にも効くわけです。「生きているって楽しいよ。生きていればいいこともある(かも)よ。あなたをまるごと愛しているよ。愛されないとしんどいよね。でも辛いのはあなただけじゃないからね」、というのが児童文学の基本だから。これ私の勝手な解釈ですが。
大人の文学は新基軸や新発想、新文体が注目を集める世界。生きていくはげましにならないものが多い。『蛇にピアス』は、あなたも読み通せないと思う。私はヘドが出て中途放棄。これに癒される世代もあるんだろうけどね。


3月某日 おしゃべり
頭のいい人の話し方は早い。臨機応変に言葉が出る。(たったひとりとてもゆっくり話し始めるが頭脳明晰の数学科教授が居たがこれは例外だ。古館一郎は別ですよ。しゃべりが早くても中味がないと空々しい。彼はプロレス中継だけにしてほしい。)葬式で身内が集まったとき、話がにぎやかに飛び交い、この一族はおしゃべりだったなあと思い出した。頭の回転はいいのだ。先日久しぶりに友人たちと会って話をしたが、話すスピードは早いし、どんな話題でも即答が帰ってくる。この友人たちも頭がいい。そういえばみんな対話が商売のキャリアウーマン様だ。
最近、会話を交わすとき頭の中で、コンピューターが(ウン十年前の大型IBMのマザーコンピューターが)ギシギシ動いているのを感じている。なめらかには回っていない。回転がスムーズなときは感じなかったことだ。今は回転の遅さ、ずれが気になっている。このごろしゃべりも遅いし、当を得ないこともある。思案のすえ出てきた言葉が不適切で相手を傷つけている。これも老化だろうか。元々だよとも言われそうだが。
言葉が錆びついている。おしゃべりは聞いてくれる相手が必要だ。


3月21日 ここも新・新潟市
この下宿屋は豊栄支店だったのだが、今日で豊栄市は なくなってしまった。困った。名前を変えなきゃなんないかな。新潟市へ大合併である。日本海側随一の農地と人口78万?の市になるのだそうな。近々原発の町も編入される。あんまり広すぎて 一つの町という意識はもてないね。
いいことあるんだろうか。関係ないけど地価が上がるかと思ってたら全国的下落は続いているようだ。高校の学区が変るかな、これもうちは関係ない。新市域の図書館が共通になってどこへでも返せるようになるかと思ったら、それはまだのようだ。結局 関係ないか。
まったいらで、のんびり素敵な市だったのに、惜しいねえ。

3月某日 蒸気機関車?
夕方、ボーッという汽車の汽笛を聞いた。ビックリした。ビックリしたから夜になって家人に話した。ウソだろうと言われた。SLばんえつ号は新津から會津にいくのだから豊栄は通らない、と言うのだ。でも私聞いたモン。なつかしいあの音は「まちがいない!」 ねぇ、Kちゃんもいっしょに聞いたよね。

3月某日 葬儀のこと
亡くなった叔父は母の実家の12代目当主だった。業績もあり叙勲も受け、子ども達はみな成人して一家を為していて向後の憂いを残してはいなかったから、悲しみはあるが遺族が笑顔を浮かべることもできる会になった。通夜・葬儀に集まった私のいとこは11名(欠席した子・甥の2名はアメリカで、結局国内にいるものはみんな集った。つれあいも7名集まった)、久方ぶりの葬式でもあったので、なごやかな交流会になった。こういうときしか会わないいとこも多い。中高大学生の親族にとっては初めての 人の死、火葬、熱い骨拾いと印象的な体験に言葉少なだったが、私ら世代はもう、死を忌避するのでなく自然なものと受け入れられる歳になってきたのだと思った。


3月某日 叔父逝去
朝ごはんを食べさせようと体を起こしたら、かくっと息絶えたそうだ。心臓マッサージをしていると連絡があって駆けつけたが、その時点で心臓は止まっていたのだ。いろいろな病気を併発し、人工呼吸器も使い、腎臓透析もはじめ、少し回復にむかったかと、家族が自宅に病人用ベットなどの看護の仕度をはじめた矢先であった。猛暑の夏も、この大雪の冬も、叔母は片道1時間もかけてバスを乗り継ぎ毎日看病に行っていた。充分尽くしていた。心残りとこれからの寂しさはあるが、不自由な体で生きながらうのもせつない。苦しまず旅立てて安堵するところもある。そういう私は非人情で一度しか見舞いにいっていなかった。
このたった一人の叔父は、私の青年期の人生の目標で眉目秀麗聡明な闘士であった。


3月某日 寒暖
昨日までの寒さと雪がウソのような陽気だった。ガソリンスタンドには洗車待ちの車が連なり、公園に子ども達の声がとびかい、窓下で日光浴ができた。ホームセンターもユニクロも朝から駐車場が満員だった。季節替えと衣替えだ。けれど夜も更けてきて、急に腹が渋くなってきた。テレビのニュースで明日の朝は放射冷却現象で、新潟はマイナス3度、湯沢はマイナス10度だと言っている。空気の変化を感じていたんだ腹さんは。


3月某日 春の雪
朝は大雪だった。路面も凍結していた。けれど、春の雪は降ってもすぐ解ける。雪は昼にはあがり、道路からは湯気が立ち上っていた。しかし久々のスカート姿には寒さはこたえた。
数年前から気管支喘息気味で煙アレルギーがでてきたハドソンは葬式が苦手だ。ある葬式に行ってせきがとまらなくなり死にそうになったことがある。人の葬式に行って死んでどうする、だ。そこで代役を立てるはずがそちらが急病になった。急遽本葬にでることになり、花粉症マスクを準備。長女の卒園時の黒服で間に合わそうとしたが、なぜかパツパツ。今どき膝丈スカートもほかにいない。26年ぶりにあわてて新調したぶかぶかのままの喪服を着てヒールを履いて行ってきた。五分パンツ、タイツでごまかしても寒かった。
やっぱり葬儀は苦手だった。入口の(かつては好きだった奥ゆかしい優雅な)お香の香りで、まず生体活動が低下。だるくなる。線香にはマスクで対抗するが、焼香はいちばんの苦痛もの。息を止めて列に並ぶ。気管支がかゆい。かきむしりたくなって咳が出てくる。私の葬式は線香なしでね、と遺言。(まあ、死んでいれば苦ではないかな)

喪服は女の人を美しく見せると言うが、親に作ってもらって今日はじめて着たのよという和装の先輩は素敵だった。しなやかで上品で、着慣れているかのように見えた。ずうっと畳んだままだったから皺だらけよ、と言うので、そうね袂に皺があるわね、なんて返事してしまって、ほめ言葉を声に出すのをまた忘れている。着物姿の美しい人というのはウエストがくびれすぎない人と巷説ではいうが、姿勢のいい人だと気づいた。気をつけよう。

3月某日 トイレまた
厚地のタオルエプロンを掛けていると、洋式トイレにすわってもむき出しになる表面積が少なくて暖かい。鍵をかけずにいてパッと戸をあけられても、あわてなくて済む。済んだ。

3月某日 才気煥発
才気煥発 洗練 洞察力 判断力 そういうものにあこがれてきたが
ない方がいいのかなと思うこの頃である。円満、寛容、協調、 と相容れない。
または、もう一皮むけて、円熟までいけばいいのかも。まだ未熟ものか。

3月某日 国会中継
議員、総理大臣の自慢しあいっこじゃない、これ。

3月某日 国会中継
予算審議の国会中継をきいていた。また小泉君は知識を引けひらかそうとしたんだが、「タチバナノアケミという人の歌に・・・・」と言ったまま、つまってしまった。覚えて来いよ。「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」 なんて、どうでもいいではないか。政治家が国家をどういう方向に向かわせようか云々のときに引き合いに出す歌ではなかろう。おまけに「たのしみは・・・」たまに子どもらと大ごちそうの魚(ウオ)をくううときだ、なんて、家族を大事にしていたとは思えない、おまえさんには言われたくない。(ついでに、ホリエモンもオムツを替えたことがあるといっていばるな、)

3月某日 冷たさ
わあー、と・と・と、このー!」と、つい叫び声を上げてしまった。
便座を戻しといてよ!


2月某日 うそはないが
言いたい放題に見えるだろうが、腹が立ったり、ぼやきたいところを、飲み込んでいること、これでもずいぶんある。小泉批判やタレント話はいいが、あまり身近な人やイベントについてだと、当たり障りも出てくるか
ら書かない。HPはいちおう、オープンな空間だから誰が見ているかわからない。
HP作りはけっこうめんどうなので、プログを使おうかと、このところ研究していた。(何、あちこちのプログを見て遊んでいただけだが、)結局やらない方がいいと判断して断念した。中越の公務員某さんのように、プログで地震の感想を書いていて、地区民から、あんたなんか大した被害もないくせに仕事に精を出してろ、と文句をつけられ、辞めちゃった人もいる。いちゃもんつける人が悪いのだが、へんな人は世の中にあふれている。仕事とプライベートは分けた方がいい。公には匿名がベターだ。(子どもの名前もそろそろはずした方がいいよ。N君。)はじめても止めてしまっている人も多かった。なまじ、書き込みやご意見が来ると、返事だけでも大変そう。人気のプログは、やっている人が文か絵がプロかセミプロだ。実録鬼嫁日記フクダカヨ絵日記は本になっている。話題の「電車男」はゴーストライターの仕掛けだという話もある。手を出すまい。
コレは内輪のヒトへのぼやき。パソコンの打ち込みは直前に頼むな。コンピューター打ってるくせに手書きで計算するな。電話したかと電話するな。ケータイメールに返事しろ。うちのHPにも書き込んでいきなさい。

2月某日 違和感
チニアシガツイテイナイヨウナカンジガスル。
ヤッテイルコトガインチキクサイ。
ミンナウソンコノセカイカモシレナイ。
違和感ト浮遊感ノナカデ イキヲシテイル。

2月某日 『SAMURAI7』  原作ー7人の侍ー
ノブセリが機械で攻めてくる。BS-hiのアニメでやっていて見とれてしまった。菊千代も機械人間だ。なんだか風変わりでおもしろかい。3Dとかいてあったので、アレッと見ていたら制作はゴンゾでした。あの「雪風」の!!

2月某日 げきとつ
ブックオフで、探していた本のシリーズが1〜9巻目まで揃ってあった。うれしい!毎日の励みにしよう。一日の予定の仕事をちゃんとできたら1冊買って読むことにしよう。自分にご褒美ご褒美。自分に甘いわたしである。とりあえず1・2巻を買って帰った。そういいながら仕事の前に読書におぼれた。ふう、たのしかった。さて掃除をするか、と重い腰を上げる。先が気になって仕事が手につかなくなって(ウソいつもやる気はないが)翌日いってみると3巻目がない!きゃー、誰かとぶつかってしまった。しかたがない、とばして4・5巻を買う。まあ、抜けていても話はわかる。数日おいて買いに行くと、あれれ、6・7と2冊ない!くやしーい。敵もさるもの、2冊買いをしたな。そうだ、今評判の本だった。ええい全部買っちゃえ、と8・9巻を買う。さすが2冊抜けると物語がすっ飛んでいる。まあ小ネタと絵をたのしめばいい。そう、これは『研修医ななこ』で好きだった森本梢子の『ごくせん』です。テレビのドラマの原作マンガ。10巻目はテレビでプレゼント、と言っている。これは書店へ行かなきゃだね。

2月某日 400グラムの壁
あとプラス400グラム、長年付き合ってきた体重まで。コレが、なかなかむずかしい。1週間かかってもクリアできない。減らすのに苦労している人は多いが、増やすのも苦労だ。運動を始めたのも、この目的。
ただし、それで元の体型に戻るか というとソウではないのはわかっている。引力の影響は大きい。残っている肉は地球に魅せられて寄り添いたがっている。顔のも、尻のも。胸のは腹に落下している。

2月某日 母が痴呆?
一人暮らしの母から、電気炊飯器を壊してしまった、と電話があった。内釜を入れないで、米を入れてしまったのだという。とりあえずは冷凍の御飯とスパゲッティがあるし、じゃあ来週、新しいのを買いに行こうねと言って電話を切った。ギクッとした。友人の父の病気は炊飯失敗事件からはじまっていたっけ。80過ぎても気と声は私より若い母は、町内の世話役を引き受けてはじけているが、いよいよ来たかと頭の中で観念した。後日、他の用事できていた設備屋さんが裏蓋のねじを開けて、詰まっていた米を出して治してくれた。スイッチを入れたわけではなく水も入れる前に気がついたようであった。今回はまだ大丈夫だったとホッとした。だが、いつかは来る道で、行く道だ。その時が来たらその時、と覚悟している。

2月某日 あいさつ禁止か
挨拶をしたら殴られた?その子はチョーよい子ではないか。へんなおとなが多くて怖いね。小学生には 「やたらとあいさつするな」という指導になるんだろうか。
前の学区の子どもは学校で挨拶運動をしてもさっぱり来校者に挨拶をしなかった。時代の先取りか、違うって。外部のおとなの目が多くなれば、子どもも仕込まれてちゃんと挨拶します。長岡でいうと付属小の子どもはハキハキ挨拶するよ。研究会が本業の学校だから先生も生徒も緊張感がある。今では坂之上も、だろうね。山古志の子ども目当ての取材・慰問・プレゼントが多いからね。そうでなくても、めげずに、このおばさんは声をかけている。(目を見て大きな声でオハヨーというと子どもは素直に声を返してくれますよ。ひとりでもがんばるんだ、EMIちゃん!)
ちなみに この町の安藤忠雄設計の中学の生徒の挨拶も○です。見学者が多いんだろうなと思う。(福島での事件に)

2月某日 小学校の安全
(また大阪で小学校乱入殺傷事件。犯人は17歳引きこもり少年)生きてきてえらかったね。でもどうしようもなくなったら自分だけで死ねよ。人を巻き添えにするな。人を殺すな。君のは逆恨みだ。(といいながら何年も前のことを恨みに思っている私もここにいる)
小学校も、読書運動より安全対策が先です。生命あっての、です。金はここにかけてください。昔からヘンだと思っていたけれど、事務室・職員室が玄関の脇にない小学校が多い。あたりまえの訪問者にも不親切だ。門扉とか監視カメラだと言う前に、入口に人の目がなくちゃ、へんですよね。私の行っていた高校は正面玄関のわきに事務室・校長室・職員室が並んでいたもんだった。(いまはどうかわからん、当時だってどこからも出ていけたがそれは別問題)
だいたい名門大学は昔からちゃんと門番がいたぞ。私立女子大は当然。級友のお父さんは東大の門番だった。構内に住んでいた。玉川大学なんかバッチを付けないと学生以外は敷地にも入れてもらえない。変な人は入りにくいようにしてあった。小学校は、今までは安全地帯だった。そうはいかなくなってしまったから、渋谷区では、導入するらしいね。

2月某日 99.9%
「99.9%の人は考えていない」と新聞に。何のことだったかは忘れた。数字だけ印象に残った。私もその絶対多数に入りそうだ。そうとう前のことだが、幼稚園の役員会で全員保険に加入するやいなやの検討会議をしていて、正直者のSさんが、私わからない全然考えていない、と発言してビックリしたことがある。小学校の学級会以来ずっと、どうすればいいのかわからなくても、ない知恵を絞って考えるものだと思ってきた。でも全く考えていない人もいるとは驚愕だった。たしかに、どうでもいいことなのだ。下手な考え休むに・・・。目から鱗だったが、さいきんは私も考えていない。考えなくても、毎日を暮らしていけちゃう。むしろ明日のことは思い煩わないようにしている。99.9%の人のように。ただときどき、こういうようにどうでもいいことに、ひっかかっているのはもともとの性分。

2月某日 帽子
犬の散歩に行くときは毛糸の帽子が必須アイテムだ。家を出たとたん、日本海からの風をまともに受けるので、耳を隠していないと痛い。去年から愛用している毛100%の帽子は少しゆるくなって耳が寒い。今は100円ショップの帽子を使っている。バカにしていたが、なんと頭にぴったりで暖かいのだ。(すごいぞ100円ショップ)プレゼントしてくれたKちゃん、ありがとね。

2月某日 ○○屋の牛丼
今日はなかよく民放もNHKも朝日新聞もこぞって「一日だけの牛丼復活」とニュースを流している。社会現象なのかなあ。私には、一企業の催しを何億円分かのコマーシャルに協力しているようにみえる。ほかにも牛丼屋はあるゾ。それともアメリカの牛肉輸入解禁運動の一環なのか。

2月某日 裁判員制度
私は賛成しない。むちゃくちゃ厳しい司法試験の門戸を広げて、裁判官を増やすほうが有効ではないか。(もっと早く広げていればなあ・・・) 一般人に資料を提供するのは裁判所の誰が行うのだろう。そこに恣意的な思想が入らないと言えるのだろうか。人種問題でアメリカの陪審制度が曲がり角に来ているのに、なんで日本は今頃まねをするのだろう。桐蔭大学の模擬裁判をテレビを見ていて思った。(桐蔭高校へ師弟をやる親が裁判員になっていたが、彼らは高学歴高収入の、理解力が高い人々。一般的ではない。それでも判断はあやうい)

 2月某日 落ち込み追加
「なんでタンスに替えの靴下が入ってないのだ。2日も便所の電球が切れていて気がつかなかったのか。何をしているんだ一日。夕飯のテレビをみながら居眠りしているのはどういうわけだ。(俺は)どうでもいいんだな。」殿が怒っている。おっと、いけねえ。やらんばと思ってはいたんだが。金にならんことでまた頭はいっぱいでいそがしかったんで。そうでなくとも冬はあっしには鬱の季節で、やる気が出ないんでやんす。「なんでだ、どうして・・できないんだ」といわれると「だってえ・・」「気がついた人がやればあ・・」ほんとはわけを聞いてる訳じゃあないんだろうになあ。理由を聞かれれば原因(わけ)を話す。「(便所の電球替えなんて)そんなゴミのようなこと俺ができるか」と言われると、エスカレートして喧嘩になる。あっしのやっていることは全部ゴミじゃん。・・・というか、わざと喧嘩を売って、うちへ帰らない理由付けをもくろんでいるかい。

2月某日 落ち込み日
会があって、アレも話そうコレも聞こうと思っていたのに、なんにもできなかった。その場では頭が固まって出てこなくなる。ろくでもないことばかり聞いて恥はかく。

2月某日 感動
いい話を聞いてすごく感動するとその感動を誰かに伝えたくなる。分かちあいたくなる。 聞いて聞いてと、話してしまう。シマッタ!この人は自分以外のことに興味を持たない人だった。自分の知らないことにはみなケチをつける。ウソだという。ケチを付けられると がっかりするよ。聞いてもらいたいだけだよ。(我が身にも 反省)

2月某日 ジーン・アウルの本
『大地の子エイラ』の完訳本が出た。読みはじめたら止まらない。2部までしかでていないので、そこから先は旧訳に戻った。これぞ人類の愛と性の基本書ではないか、と10年来お気に入りベスト3に入ってた本。ここから考古学の趣味にはまって仕事にも精を出していたんである。時は原始時代。地震で親をなくしネアンデルタール人に育てられたクロマニヨン人の女の子の話。旧人から新人にかわる人類史を底流に、種族間の偏見と友愛も考えさせられるし、具体的な生活描写がまず目からウロコ、新鮮だった。
期待して読んだが、なんのことはない大人向けに性描写が詳細に(原作に忠実に)入っただけである。前の訳本でも充分だったけどな。『性生活の知恵』より詳しく思索的。ちまたに蔓延している扇情的なビニ本・性年マンガ・アダルトサイトなんかから学べない「愛情のあるセックス」とはどういうものか、しいては人を愛すると言うことはどういうコトなのか、体と心を丸ごと書いてあります。相手を如何に思いやるか。高校生にお勧めですが、もてあますかな。だけど生きるってこういうコトやないか、と村上春樹や吉本ばななばかり読んでる子に、月つけたい。
新訳の宇野亜喜良の表紙絵はハッキリ言って嫌いです。東郷青児みたいにいつも同じ顔。甘ったるい幼い女の子の絵は、昨今の幼女強姦殺人事件を思い出させるような雰囲気でいやーーーだ。

2月某日 『趣味は読書』
斎藤美奈子の読書案内は、毒舌の限り、寄らば切るぞと胸のすくようなメッタ切りである。村上春樹(何がいいたいのかぜんっぜんわかんねえ)も宮部みゆき(コバルトだ)も乙武くん(美形、聡明で健常者に好都合な障害者)も。作者は高校の後輩だ(ナンテ言ってももちろん向こうはこちらを知らない)。新潟では杉と男の子は育たないと古来言われてきたが、そのとおり。佐藤亜紀といい、斎藤美奈子といい、新潟は強いいい女が育っている。
2月某日 肩こり
寒いとついタートルネックのセーターを着てしまう。そのせいで肩こり・頭痛を起こすのを忘れていても、夕方には体が思い出す。
2月某日 節分の恵方巻
節分の日に恵方(ことしは西南西)を向いて、太巻きを一本、まるごと黙って一気に食べる風習があるというのを、はどそんは2000年に知った。志賀の寿司屋は店先に売り場を作っていた。京都のデパチカも満員御礼だった。びっくりしたなあ、もう。そのころ、関東甲信越にはこんな風習はなかったのだ。セブンイレブンとイトーヨーカドーが仕掛けていまや全国展開してテレビをにぎわせている。メリーチョコによるバレンタインチョコのでっち上げのような物だ。安上がりで、たのしめるから、みんな乗っかってるのサ。
2月某日 新券
新しくなったお札好きですか?わたし嫌いです。なんだかごわごわかさばって、和紙のしなやかさがない。贋作防止というけれど、きらびやかでチマチマ絵が入ってて色柄のいやったらしいこと。趣味が悪い。新渡戸さんじゃまずいか郵政省。夏目漱石もしんけー衰弱の人だったけど、野口英世は借金魔、樋口一葉は自己中。あーあ、なんで聖徳太子じゃいけなかったんだろうね。史実はともかく「10人の人の言うことをいちどきに聞く」すごい人だっただけでもいいのに。


2月某日 悪人はどそん
敵は働きすぎである。責任感があるらしい。人に頼られるとがんばるらしい。困難なら困難なほど燃えるらしい。人に言わずに最善を尽くす(らしい)。代ってくれる人が居ないから休みがない(らしい、あくまで伝聞)。夜クタクタになって帰ってくる。犬の散歩にも間に合わない。せっかくのあつあつの夕飯は一口箸を付けただけで飲みながらテレビをみてるか、ハドソンにからむか、寝くずれてしまうかで、毎日が終わる。仕事熱心なのはいいが、息抜きなしでは、いつか心も体も切れてしまうだろうと心配になる。運動でリフレッシュをとスポーツクラブの案内を用意していたが、めんどうくさいと(申し込むのを)止めてしまった。なにかお楽しみごとをしたら?楽器でもする?消音の楽器を職場に持って行くかなあでもする暇ないな、とこれも却下。合唱に参加しませんかと声をかけられたがイヤアと断った。乗馬に誘われたが落ちて骨を折っては仕事に差し支えると乗らないじつは馬は怖い。こうしてみたらと助言をすれば素人が何がわかると気を悪くするだけ。(ハドソンは、すでにひまつぶし人生なのに)お忙しくてお気の毒、すまないなあ と思うのだが、顔を見ているとむらむらと、なにさ、自分で人生をつまんなくしてんじゃねえよ、仕事のほか楽しみがないのって○○バカじゃないの、と戦闘態勢になってしまう。誕生日プレゼントはまだもらっていない。
1月某日 親父ギャル・ゆっこ死す
中善寺ゆっこが 癌で死んだ。42歳なのに。ナンシー関のときくらい驚いた。

1月某日 メッシュ
意を決して新潟の美容院へ出かけた。さいきんは寄る年波のせいで、額ははげ上がるし、カットをしてもカラーリングしても、冴えないばあちゃんにしかならないので自分にウンザリしていた。ここはパアッと、髪をメッシュにしてリキをいれようと、はるばる町へ出かけたんである。引っ越してスグ、おしゃれなTさんに紹介された某一流ホテルにも入っている店だが、ファッショナブルさに圧倒されて、一度行ったきり遠慮していた。1年以上経っているので店長も替わっていてどぎまぎした。初めてのメッシュだが、なにごともプロ中のプロはいるんだなと感心する髪への気配りのすごさを見せてもらった。計5時間がかりだったが、結果は・・・これが私?と思うほど美しく若返ったのよ、オッホッホッホ。(まあ、読者は誰もわかんないから言いたい放題ね) しかーし、もちろん敵は気がつかなかったサ。

1月某日 結婚記念日
ウンジュウウン回目の結婚記念日であるが、当然、敵は忘れている。いつだったかも覚えていない。昨年は、結婚する相手を間違えた、慚愧にたえないと酔っては わめいていた。いまさら、そういわれてもこちらも困るんである。私の人生返せと言いたい。ともかく、いやいやながらも家族(ニョーボとコドモとイヌとネコと)を扶養していらっしゃるのには感謝している。けとばしたいが感謝はしているので、喜びそうなプレゼントを用意した。もちろん、あちらからなんてない。クリスマス・誕生日・結婚記念日と冬のイベントはつづくのだが、例年通り無視されている。プンプン。毎年しょうこりもなく言ってるね、と子どもにあきれられている。


1月某日  自分のことは棚に上げて
”夫が家へ帰ってきて、仕事の話をするのは、ただただ自分のことを「話したい、聞いてもらいたい、言わせてもらいたい」(マイフェアレディのイライザのおとっつあん)からなのよ。その話の 常識的に正しい解釈、悩みの回答、忠告なんてものはどうでもいいの。解決してやる必要はない。言えばおまえになにがわかるっと、けんかになるでしょ。”  ”そうなんです。”  ”相手は聞いていてほしいだけなの。ふうん、ふうんと相槌だけ打っていればいいの。”と娘ほどの若い友人に話していて、”人に言えても自分はできないことだけどね”と大笑い。

1月某日 いちご
苺をもらった。それも大箱ごとたくさん。困った。おなかの弱いハドソンは柑橘類は大好きだけど少ししか食べられない(いちどきにビタミンCをたくさんとると下痢するんです。錠剤もです。だから朝のグレープフルーツもダメ。オレンジジュースもダメ。苺もおなかの反応から類推するとビタミンは多いですよ)さて、誰かにおわけしようと思って はたと困った。近くに ともだちがいない。うっ。
1月某日 アガサ
ブックオフで105円の文庫を買ってきた。ミス・マープルの短編集。「青いゼラニウム」は犯人を忘れていた。呆けたと思わず もう一度たのしめると思うことにしよう。アガサ・クリスティはみんな手放していたのだ。また買い直しかな。友人から 私もアガサ・クリスティのミステリはみんな読んだとメールがあって、うれしかった。


1月某日 プール再開
9月からずっと休んでいた。地震があって気が乗らなかった。その後風邪をひいて足が遠くなっていた。あんまりにもだらけた生活に自分で活を入れるべくプール再開。でも一人でいくのってけっこう勇気がいるんである。人の少なそうな時間、6時から30分ほどは どうだ。ちょうど、幼児を連れたヤンママたちのお帰り時間だった。娘が週2回御飯をしてくれるからと世間話をしていたおばちゃんたち、飯ができるまでじゃまにされていそうなオッちゃん、ジッちゃん。わかーい夫婦が一組。仕事帰りのOLさん。予想通りすいていた。毎日この時間というわけにはいかないが、美容のためにすこし続けてみよう。


1月某日 『パディントン発4時50分』
何十年ぶりかでアガサ・クリスティを読む。 『カーテン』に失望して以来かも。NHKのアニメが発端。 日曜7時のニュースのすぐ後に、ミス・マープルとポアロを主人公にしたアニメを放映している。 八千草かおる・杉良太郎(里見浩太朗でしょ、と間違いを指摘されました、そうです)のしっとりした声と あまり動かない絵に、いごこちの良さを感じて、チャンネルを動かすのもおっくうで見ている。 アニメ化で若いキャラクターが参加しているが、全部読んだはずのアガサ・クリスティ。 そんなんで、最近見ている唯一のアニメだ(中高年齢層に受けていそうだナ)。 今回は4回シリーズに引き伸ばされて、イライラ。なんとなく直感で「この人が犯人よ!」と言ったものの、そうなる過程もなぜかも全然覚えていない。言ってはみたものの自信はゼロ。気になる。本屋に走ったけれどーない。図書館に行ったが、そこにはなかったので取り寄せをたのむ。翌々日、予約の本が来ていますよと電話で云われて、30分後に取りに行って、帰ってきて、一気に読む。感が当たっていたかどうかは日曜までひ・み・つ。
 ミス・マープル曰く「まあ、ほんのちょっと人間の本性を知っているだけです・・・人を見てほかの誰かを思いだすというのが・・・人のタイプというのはどこでも同じでしょう・・・観察することーそして、その人たちがだれを思い出させるか考えてみるの・・」若い頃はびっくりしたけれど今はこの意味がすごく分かる。この人はあの人のような人、と無意識に分類して、はずれない。読み返して、アガサ・クリスティのおもしろさを再認識した。

1月某日 地震の音
ゴーという音がして揺れたぞ、と寝ていたワトソンさんが飛び起きた。はどそんは茶碗洗いをしていて気が付かなかった。すぐテレビをつける。長岡駅前定点観測テレビでも、ゴーっという音が入ってる。豊栄は震度2。中越地震の余震か魚沼で震度4、新幹線は(安全点検のために)マタ止まった。雪の重みによる倒壊がないといいのだけれど・・。テロップがまだ流れているとき、釧路でも震度5の地震があった。きのうの阪神大震災記念か。

1月某日 請求書
銀行の預金残高が足りなくて引き落とせませんでした、と請求書が2通も来た。夫の生命保険会社とここのプロバイダーから。はらいますはらいます。ええかっこしいのお年玉貧乏です。


1月某日 獅童
東京の若い友人が獅童の歌舞伎にいったそうな。いいな。彼は、役にあわせて演じ分けられる、すごい役者。去年、教育テレビで染五郎と『泣いた赤鬼』を演じていた。獅童のうまさは相方を食っていた。「新撰組!」のぐーたら役も「ピンポン」のど迫力も同じ人には思えない。父親が歌舞伎役者を廃業して後ろ盾がなく不遇で役にもありつけなかったころの苦労話を、きのう、たけしのテレビ番組で話していた。なるほど、梨園のあほぼっちゃんと少し違うね。ロックもやってて今の若者の感覚もある。勘九郎にうまく演じようとするのでなくて「・・の気持ちになって」といわれて迷いがとれたそうだが、勘九郎もすき。


1月某日 まだマヒはつづいていた
手の神経マヒから数年。忘れ果てて、ひさしぶりにチェロを出してみたが、5分も弓を引いていると 手が開かなくなってくる。完全に治ったわけではないらしい。パソコンの打ち込みも2時間以上になると手が重くなって指があがらない。右手はまだだるい。 運転がけだるいのも、字がきたないのはこのせいだ、きっと。(半分は いいわけかな)
若者よ、五体無事なうちに学んでおきたまえ。

1月某日 年賀状
お年玉抽選会まであとわずか、年賀状をくださった方にのみですが、一日中書きまくりました。大雪のおかげもあります。出かけるに出かけられず、で。風邪もひいて、アイデアも湧かず、あきらめていたのですが、ワトソンさんが買い込んだ年賀状300枚が放置されているので、ケチなハドソンはむらむらと意欲を燃やしました。廃物利用です。かたや、年末年始は無休で働いた上、風邪を引き込んで「ええい、ことしは年賀状を出さないことにする」と捨て鉢になっていた氏は、ハドソンの横取りをみて「寒中見舞いにするかな」と発想の転換はしたものの さて間に合うだろうか。

1月某日 誕生日
誕生日には生クリームに苺ののったケーキが出てろうそくをふっと消して、ビーフステーキかローストチキンでも食べて、プレゼントをひもとくと わあこれほしかったのと歓声を上げる、というのが私の半世紀もの夢である。夢さ。何で正月なのさワテの誕生日。と懲りずに毎年ぼやいてる。
ぼやきもうひとつ。長年お願いしてることが、夫に名前を呼んで欲しいこと(これは無料なのですがねえ)。はるか昔、ちゃん付けで呼ばれていたのだが、子供が生まれてから(照れてなのか、その名の人がイヤになったからなのか)まったく呼ばなくなった。用件のみを言う。人格を無視されているようで すごくいやだ。そう明言して、名前を呼ばなければビールは持て来てやらない抵抗運動をしていた。敵はそれが イヤだったそうだ。いつのまにか もう呼ばずに済ませて澄ましている。


1月某日 腕時計が行方不明
いついなくなったのだか、どこかのポケットに入っているはずだと思うから、本気でさがしてやっていない。年を越したけれど そう困ってもいないのはケータイがあるから。どこかで泣いているかな。

1月某日 出しておいたけれど
年末に家族マージャンをした。 百人一首は今年もやり忘れていた。

1月某日 高級ティッシュ 
セルフガソリンスタンドの景品が高級ティッシュなのだ。 ここ豊栄では新規開店の3軒がしのぎを削っている(ちなみにケータイ屋もスーパー、ドラッグストアも数件競合していて、県内一物価が安い)
われながら強欲だと思うのだが その景品がもらえる金土日に給油に行く。おかげでティッシュボックスがうちじゅうに山になっていた。その日に行かないと損した気になるのだ。始末に困っていたが、正月の風邪でいっきに消費して、さらに1年ぶりで買いに走った。

1月某日 自民党幹事長というのは
いつから政府の公職になったんでしょう? なんで一政党の金庫番がインドネシアに何十億ドルもの支援を約束しに行くんだろう?

1月某日 NHKの義経
三谷びいきの私らとしては「新撰組!」が題材として失策だったとしても見てあげていた。でも大衆的には付いていけないだろうな、だって主人公はもしもここで書かれたような「いい人」だったとしてもだ、歴史上の偉大なことをなした人物ではないし、思想的大局的には価値は低い。破滅に向かう男の美学だよね。で 次回作は国民的悲劇の英雄「義経」とくれば、ちょっと期待するわけですよ。なにを、といえば こどもたちに語れる歴史の正史がそこにあると。なのに なんなの、これ?のっけから色目づかいの常盤御前とみだらな情欲の清盛ですか。昔は一夫多妻・多婚OK・英雄色を好むとはいえ、色ボケ風な渡哲也が主人公なのか。全国の小学生の親は来週から見なくていいと子どもに言うぞ。マーケットリサーチをちゃんとしてほしいよNHK。

1月某日 掃除
腹を立てたときにすること。できること。

1月某日 読
寝込んだときにすること。できること

1月某日 わくわく広場の正月休みは
10日までといわれ、キャベツだのほうれん草だのとかなり買い込んでしまった。しまった。さっさと子達が帰ってしまったので、人口の多かった昔のクセで買いすぎたと後悔した。けれど風邪で寝込んだときに助かった。まだ買い物に行かずにすんでいる。災いは転じて福となるときもある。

 1月某日  ライブなのに
 けさの朝日の読書欄で桂米朝が「「マイク禍」と題した小文を40年前に書いていると紹介していた。20人ほどに落語を語っているときの話らしいマイクがあるせいで「いつまでたっても客席が落ち着かず、しっとりとした雰囲気がもりあがってこない」と言っている。(「桂米朝集成」)

 こんな話を前置きしたのは落語でさえそうなのに音楽それもジャズでマイク集音スピーカー使用が当たり前になった というのをへんに思うからだ。

年末に、新潟でMJO(マンハッタン・ジャズ・オーケストラ)のコンサートがあった。寛大なお心の方からチケットをいただいてS席で観れることになってわくわくして行った。デューク・エリントン以来だからウン十年ぶり。なのに、舞台の両翼に巨大なスピーカーがでんとしていて左奥にドラマーがいるのに右手にいる私には右スピーカーからドラムが聞こえてくる。こんなの変だと言ったら、今のジャズコンサートはこんなものだよと言われた。
 そりゃあ斑尾や富士の野外コンサートや幕張なんかじゃ仕方ないだろうけど、この程度(1900席)の中ホールで?そりゃあベースやチューバの音はアンプで拾ったほうが聴ける。でも生でも十分いけるんじゃないだろうか。ペットもトロンボーンも音が割れている。生の音がききたかった。
ジャズ職人集団とでもいえるような「わざ」師だ。うまい! トランペットが信じられない高音や低音をだす。管楽器の掛け合いの妙はまるでしゃべりあっているかのよう。ベースの指使いの速さは、けたずれ。トロンボーンの4重奏、チューバ、ホルンがかなでるジャズ音階、うーん、聴いたことのない「たくみ」たちの技。
脳梗塞(?)で右手不動になった指揮者の左手だけでひくピアノの間の絶妙さ(音楽も絵も大事なのは間だなと再認識)、すごかった
だが、編曲のダサさがクリスマスメドレーで、ぼろっとこぼれた。各人のソロは巧みなのだが、テュッティでやたら大きな音でがなるのはすごく昔のビックジャズの手法じゃないかな、日本で言えば演歌的。もったいないなあと思う。ドラムスは硬すぎ。これでは、あきられるよねえ。入りも半分くらいだった。
 せめて生の音を聞きたかった。帰りにカーステレオで聴いたMJOのほうが心地よかった。

1月某日 天災つづき
インド洋大津波は中越地震をけとばし、中越地震は兵庫豊岡の台風をとばし、台風は中之島見附の水害を飛ばし、その前はイラク人質殺害だの開放だのなんとかかんとか・・マスコミは非情な世界だ。私も。

1月某日 たばこ臭
気になるときは体調が悪くなりつつあるとき マスクをするも手遅れ

1月4日 羽田便
 新潟の空港に、帰京する家族を見送りに行った。 NHKのテレビカメラがいて これから搭乗しようとしているカシミアのコートを着た年配の男性にインタビューしている。 だれ?有名人?カメラは展望デッキにまで上がっていく。やじうまハドソンは付いていった。 テレビだけでなく地元新聞のカメラマンまで取材に来ている。 見送り客の話では 今日が最後の羽田便の取材だったらしい。なあんだ。中越地震で上越新幹線が途切れていて常にない新潟ー羽田の空路が開いていた。新幹線が開通したとたん乗客が一人という便があったそうだ。5000円高いから敬遠される。家族は羽田から最寄りの駅にリムジンバスが直行するので便利と喜んでいたのだが。 テレビは見忘れた。N日報はとっていない。

1月某日 S氏邸の正月 
季節季節のしつらいのみごとなこと さりげない正統派生け花 掛け物 置物 囲炉裏の火の暖かさ いつものことすぎて誉めるのを忘れていた。
 

1月某日 働き者の私
大所帯 元気 ごきげん こんなに働き者だったかしら私 たのしいおしゃべりがカギ。