はどそんのつぶやき2006

いかり・くどき・おもにぼやき・どきり・かんどー・しったかぶり・かくしごとあり・ほらハなし

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12月某日 えらい病気
うつとか腰痛とかの どーでもいい病気は私の専売特許ですが、胃潰瘍とか高血圧とか糖尿病とか、ちゃんとした病気の権化のかたは、今度は痛風をもって帰ってきました。ビールが悪玉と言われていますが、ストレス性でもあるそうです。すみません。太陽になれず北風でした。

12月某日 小掃除
キッチンと廊下のドアのガラスを拭く。
食堂のガラス戸の溝を掃除する。割り箸とぬれ雑巾で溝のゴミを擦り落とす。スーパーで「松居棒」(みずからお掃除上手と誇るタレント松居某がTVで披露している、隅っこ掃除用の布きれをまいた棒、)がほんとに売っていたのには驚いた。そんなもん、昔から自分で普通に作っているもんでしょうに。

12月某日 小掃除
冷蔵庫のゴムパッキンを「ぬれ雑巾をまいた割り箸」で 掃除をしてもらう。

12月某日 小掃除
冷蔵庫の中仕切り2/3を洗う。きょうはそれだけ。
テレビで、アルコール消毒は ×、 中性洗剤で洗い、酢で消毒しなさいと言っていた。洗っただけ。

12月某日 大掃除・小掃除
逃げている。(とくに換気扇は見ないようにしている)

12月某日  9.11がつづいている 関連本から
『9.11の謎 世界はだまされた!?』(鳴澤宗男 (株)金曜日)は、ベンジャミン・フルフォードのトンデモ本よりは、実証的。わかっているところまで書いている。ツインタワーについて消防隊員の内部爆発証言、鉄筋の溶解温度、市が当日にすぐ出した鉄筋残骸の売却処分のふしぎ、飛行機追突と関係ない第7ビルの崩壊、などの不可解なことが取材されている。
「米国新世紀プロジェクト」で「真珠湾攻撃のような破局的な何かを誘発するような事件」が必要と強調しているのはチェイニー副大統領だ。そういうことを繋ぎあわせると、行間からは ブッシュ政権がテロ計画を意図的に放置したか、陰で企画をあやつっていたのか、誰かが保険金・株価操作で大もうけしたか、不正を隠滅したか、戦争開始への突破口としたのではないか が窺われる。明言はしていない。
 あの日私もライブでホワイトハウス背後で白煙が上がっていたのを観ていた。これは何だったのだろう。その後、何も報じられない。大資本が牛耳っている米マスメディアは信用できるのだろうか。涙涙の追悼ばかりで、原因究明や現場検証が出てこないまま、テロ撲滅の旗を振って戦争に突っ走っていった。だから私の中の「なぜ?」が続いている。

テレビで「真珠湾攻撃・山本五十六特集」を観た。私の中ではこの二つがつながっている。”アメリカ政府はこの奇襲を本当に知らなかったのかなあ?”(山本五十六の、戦争を回避したいという平和主義と、そうはいいながら綿密に作戦を立てる軍人精神の自己矛盾は、おなじ長岡の河井継之助にも相通じるようだ。)

『ブッシュの戦争』を読んだ。書いているのはウォーターゲート事件を摘発した記者のボブ・ウッドワード。でも、えらくなっての真正面からのインタビューだから矛先は鈍ってる。「リーダース・ダイジェスト」や「セブンティーン」を愛読していた時代から思うけれど、アメリカの評論文は、本質を書かず、まわりをぐるぐるかっこよくまわってるような気がする。自分(著者)が前面に出すぎて

12月某日 強欲
ネギをくれるというので、もらいに行った。詰めるだけもらった。遠慮がないと、うちの者にあきれかえられた。だって、おいしいんだってば。

12月某日 売り家
近所の中古住宅が売れたらしい。しばらく「売り家」の看板が掛かっていたのが、いつのまにか外れている。 うれしい。
というのは、不動産屋さんは、まず、うちに話をかけてきたからだ。(我が家はその不動産屋紹介の借屋住まいをしているのである) 
150坪の敷地に、2階建て述べ50坪。床暖房の居間にはおおいに惹かれた。そろそろ家を持つのもいいかなという家人の言葉も涙が出るほどうれしかった。新建材にアレルギーのある私は新築は無理だし。答えを引き延ばしたけれど、結局、断った(金もないしね)。 その間、売りに出さないで待っていてくれたので、申し訳なく思っていた。
階段段差が高いこと(腰痛まっさい中だったからつらかった)、部屋数が多いこと(家主は管理しきれなくなった病身の老夫婦。こちらもそろそろだ)、超本格的和室二間続き(ふだんはいらない)、などなど、理由も他にいろいろあるが、今の住まいの(公園の)美しい借景は他では得難い。

12月某日 追突
自宅駐車場内で車をバックさせていて後ろの車にガツン。すごい音がした。でもナンバープレートがちょびっと曲がっただけですんだ。ホッツ。
過日、自分の車を自宅コンクリート塀にこすって、脇腹にしっかり、その刻印は残している。ケチって治してない。どうせ13万キロ車サ。

12月某日  教育基本法の改正
これは改悪だと思います。大事なニュースなのに、NHKの取り上げ方は小さい。だいたい愛国心を持ちたくなるような国作りをしているだろうか、いや、小泉ー阿部内閣のやっていることは、やらせ教育タウンミ−ティングを筆頭におかしなことが多い。右翼の鈴木なにがしが「心の中まで干渉するのは間違っている」と述べているが同感だ。子どもたちの自主性と自由をうばうものでもある。
実は、中味がわからない。知っているのはその「愛国心」の件だけ。新聞を見てもテレビを観ててもわからない・・・・。

最近読んだ『バカを作る学校ー義務教育には秘密がある』(ジタン・テイラー・カット著)は衝撃的だった。アメリカで始まった義務教育というものは、家庭から子弟をかり出して一カ所に集め、一日中(国語の次は体育というように)一貫性のないことをさせ、能力別クラス分けで昇進競争をさせ、チャイムで細切れの教科をすることで集中力を奪い無関心にさせ、教師の評価を気にさせ課題に忠実にするよう、感情的依存、知的依存体質にさせ、こどもを監視するために作られたと分析している。(著者は現役の全米優秀教師表彰された人)。そして「自由」と「個性」という物は支配階級だけが享受するもので、一般大衆は従順な労働力として管理され、コントロール可能な人間に作られていった、と分析している。日本の義務教育は兵士の基本素養の習得を第一としたという説もある。そうだとしたら、教育は間違った方に進んでいるのではなく、正しく機能しているわけだ。それでいいのかーよくないよね、私らは一般大衆だから。

12月某日 祈り
神様今日も生かせてくださってありがとう。 どの宗教もこの敬虔な気持ちが基だろう。

12月某日 不調いろいろ
車のエンジン不始動(バッテリー上がりでした、みぞれのなかを他車からコードで送電して自力救済)、
壁こすりの自損事故(ほったらかし、いつも自宅内でだ)、
デジカメの故障(今日の写真は人のケータイから)、  このところろくなことはありません。
AかBかの選択はたいてい外れて後悔(そのかんドキドキ)(スーパーの食材売り場でもオロオロ)。
言おうか言わないほうがいいか迷ったすえ言ってしまえば、唇寒し。   頭を抱えてストーブの前にうずくまる。

12月某日 雪
冬が始まった。「冬よ僕に来い」なあんて元気はもうない。ただただ、寒いのはイヤだ。
白銀の世界を美しいと感嘆している余裕は、痛みもない頃のお話。冷えは大敵なのだ。いざ。

12月某日 『片桐且元』(鈴木輝一郎)をよむ
豊臣秀吉の家臣、秀頼の守り役。賤ヶ岳七本やりの一人だが地味でふつうは端役である。徳川家康と大阪方の間に立って、方広寺梵鐘銘について徳川呪詛云々の難癖をひとり釈明するくだりは新鮮、こういうことは詳しくは歴史では習わないから。忠信者・不忠義者と解釈の分かれる人だが、作者が主人公に愛着を持っているところがいい、司馬遼と、そこがちがうな、スケールではまけるが。

苦悶していたが、最後は徳川方につき、奈良に所領をもらっている。(ネット検索はこういうとき便利だ)
「桐一葉おちて天下の秋を知る」は逍遙の『桐一葉』から。この話も片桐且元を描いているそうだ。
直系「竜田片桐家」は病弱のため6代で消滅したが、弟貞隆の「小泉片桐家」は次代に片桐石州斉をだし、茶道の祖として名を残している。そういえば学校の茶道部は石州流だった。お手前の挨拶は時代劇で武士が挨拶するように手のひらを畳に付けなかったっけ。大名茶といわれていたな。

11月某日 くいちがい
読み出したのりで、浅田次郎ものが続く。読みやすいから。『歩兵の本領』は自衛隊体験を短編小説にまとめたもの。塀の中は阿部穣治だったが、市ヶ谷ものは初めて。図書館に返すついでにエッセイ『勇気凛々ルリの色』(19996年)を借りる。この題を、浅田は昭和30年代なかば超人気テレビドラマ江戸川乱歩原作『少年探偵団』の主題歌だと書いているが、ちがう。ラジオドラマが先行しているのだ。ここで世代の差を感じてしまった。はげているがあちらが若い。週刊現代に連載していたからへの話や金玉の話宝くじ、やくざまがいの商売話など、他の小説家のおつにすました「品格」?をおとしめていておもしろい。
この本の中では、自衛隊に入ったのは「三島由紀夫の死とはいっけん関係があるようだが、実は全然ない」、2度の大学受験に失敗して食い詰めたからと書いている。同じ作者が『ひとは情熱がなければ生きていけない』 では、三島の死を理解したくてと書いていた。どっちがほんとやねん。

同じくこの本の中では、年間自殺者が2万人とある。ことしは3万人だ。時代が進んでいる。
浅田は危ない仕事をしてきた人なので、まわりに自殺者は多いらしい。そこでひとこと「どんな悪逆非道の。あるいはくすぶった人間でも、自分で思いつめるほど他人の迷惑になってはいない。しかし死なれれば周囲の人間は一生迷惑する。」と言う。ああ、これが自殺を思いとどめるための呼びかけだなあ。

11月某日 腰痛とのつきあい
この椎間板のすり減りは治らない、悪化の速度をゆるめるだけ、と整形外科で言われて、落ち込んでいたんだろうと思う。ごろごろ寝ているだけで、家事も満足にできなかった。箒は禁忌、掃除機も、布団干しも、衣替えも。ちゃんとやろうとすると悪化する。手抜きだけが薬。それだから人に説教もできない。自分が一番情けないのだから。パソコンに向かうのも禁忌に近かった。
それでも、そこからはじめたリハビリや牽引を卒業し、週に2回のジムと週1回の体操教室が続けられるようになり、ふと一日痛みを意識しないで過ぎる日がたまにあるようになった。 なにかやる、よくなることへ努力することがあるのが、気持ちも強くしてくれる。

11月某日 『9.11テロ捏造』ベンジャミン・フルフォード
トンデモ本だ。同じページの中ですでに、数字がずれがある。アメリカ政府あるいは諜報機関の陰謀説は荒唐無稽だが小さなエピソードはなるほどと思うこともある。マスメディアは大財閥の寡占状態でそれが政府と結びついて報道しないことは多々あるのは納得できる。新聞や政治家の発表を鵜呑みにはできないね。ロシア政府のスパイの放射能殺人陰謀もいま話題だ。現実は小説より恐ろしい。

11月某日 司馬遼太郎
好きな作家ではないが、読みやすく知識がつく。教養小説。

11月某日 『ひとは情熱がなければ生きていけない』 浅田次郎
まあ、好きな作家。柴田練三郎的に。その彼の好きな作家は三島由紀夫(谷崎、川端、三島という流れはうなずける)、それだから自衛隊に入ったというエピソードが興味深かった。軽やかだが、芯がある。それとも芯があるけど軽いといったほうがいいのかな。

11月某日  『邪魅の雫』やっとこ読了
期待している魑魅魍魎はでてこないし、ぐだぐだ大勢で鬱してて各自が独白で紙面をくうし、余計な会話が多いし、800ページは書きすぎ。半分に校正してほしかった。自主的に半分ふっとばして読んだ。

11月某日 『よりかからず』
という詩がある。昔は好きだった。でも、寄りかかってもいいじゃない、そんな人がそばにいたらいいじゃない と今は思う。人という字は人間と人間が支え合っている姿だ、と金八先生は言っていた。『私が美しかったとき』という詩も残している。谷川俊太郎が、本当に美しい凛とした人だった若いときはもっとだったのだろう、と同人誌時代を語っていた。詩に美貌の自信があふれている。自分自身を比較の対象としていっているのか。20歳だった過去の自分は今よりも美しいと、私もいえるけど。

11月某日 老醜
年を取ることを、受け入れるのはむずかしい。

11月某日 拉致
松本京子さんの拉致認定。何でこのタイミングででてくるのだろう。それも一つのネタを何日にも分けて発表している。こんな話はもう何年も前にわかっていたことだろうし、自宅付近で拉致されて、どうも北朝鮮の貿易会社の電話口にでるひとがそうらしい、という話とその貿易会社が横田めぐみさんの夫が勤めていた会社だという話は、どう考えても同時にわかる話だ。
政府のおもわく、たとえば、ライブドアの摘発は重要法案のめくらましとか、と奸計あるだろうか。APECへの印象づけ?
長岡の中村三奈子さんの失踪事件もまだ拉致と認定されていないが、こういう人がまだ何百人もいるのだ。判明するといいね。

11月某日 そろそろシャンプー
犬のこと。かゆがって自分で掻いている。でもシャンプーやさんが迎えに来ると、いやがって、逃げる。しゃがみ込む。にこやかな店員さんなのだが、店の中ではどんな目に遭っているのか想像すると出せない。  ・・・(それで、一年ぶりに うちで洗った。)

11月某日 夫婦の会話
仲が良さそうにみえる友人夫婦、 二人の会話は5分くらいよ、という。
ならば、うちも仲がいい方。

11月某日 冴え
冴えている日は 言葉も文も、あふれてくる
冴えてない日は その引き出しが開かない。
なんにも でない日ほうが 多い。

11月某日 津波警報
千島列島でマグニチュード8.1の地震があって、テレビの画面が急に変わり緊急信号が入った。ずっと、あちこちの港の様子を報道している。さしたる変化は見えない。が、一大事が起こりそうなのを、わくわくして待っているような変な気がする。

11月某日 ホラー小説とSF小説
『紗央里ちゃんの家』(矢部嵩 著)という本を児童文学だと思って手に取った、子どもっぽい絵の表紙、小5の主人公の一人称なので。ところがホラー小説大賞長編賞の本だった。よくみれば、絵も怖い。読み出してしまったらやめられず終わりまで行ってしまった。ネタバレですみませんが、いとこの家で、祖母が死んで、その体をバラして家のあちこちに隠しているのを「僕」が探して歩く不気味な味わいの話。怖いことは怖いのだが、現実の事件のドキュメンタリー(宮崎勤事件や柏崎少女監禁事件や福岡少女もろもろ)の方がもっと怖い。
鹿児島県で、ゲリラが上陸してきたことを想定した模擬訓練があった、順次各県でも行う予定、というニュースを聞いた。福岡が占領されるのは村上龍の、新潟県が北朝鮮に占領されるのは佐藤亜紀のSF小説だった。現実がSFに近くなってきた。

11月某日 いじめ自殺
マスコミが輪をかけて拡大させている。いじめだの自殺だの首をつっただのと。こんなに毎日自殺報道がくりかえされると、わたしなら意地でも首はつらないぞ、と思うが、ふつうは誘い水になるのだろう。後を絶たない。    ・・・(そんな葬式が二つ続いた)

11月某日 直球
ずばり核心を突いた直球を投げすぎるのが欠点と 自分でもおもう。たいてい後の祭り。
それでも ほんとに言いたいことは こらえているのだが。

10月某日 某高校長の自殺
ちがうだろ、生徒を助けてからだろう。義憤にかられたときは、力がわく。
そうでないときは、死を押しとどめる力ある言葉がでてこない。先が見えていても。

10月某日 読書
『女教皇ヨハンナ』(ドナ・W・クロス)は久しぶりにわくわくして読んだ本。どうなるんだろどうなるんだろと先が知りたくて、ふと手にしたまま立ち読みしてしまった。女の教皇ですからね、そんなのあり?とまず題名からひきつけられるでしょ。帯に映画化決定とある。時は9世紀、舞台はローマ。きっと絢爛豪華な映画だろう、ぜひ観たい。日本で言うと浅田次郎かな。文学ではなく歴史的エンターテインメント。
反対に読みすすまない本はル・グインの新作『ギフト』。 映画に「?」で、原作の『ゲド戦記』も読み返してみたけど、もう感動できない自分にびっくりした。青春時代から遠く離れたからか。昔は好戦的な『指輪物語』より哲学的・内省的で好きだったのに。

10月某日 並木の枝打ち
すっかり紅葉して欅並木も美しくなった、殺風景だった通りが明るくなった、と感動しながら「しまむら」の前を通りかかると、枝を伐採している車がいた。電話線工事をするような上下するクレーンボックスのついた車である。思いっきりよく切り落としているので、そこから先の木々に残った葉はわずかになった。落ち葉の掃除の手間を省こうというのか。こんなにきれいな風景を、もったいないなあ。

10月某日 日曜日 公園で
こどもの声が砂場で遊んでいる。そばのベンチでは父親らしき男が仰向けに寝てホッチキスで止められた数枚の紙をめくりながら読んでいる。怠惰な親だなあ。母親に言い付かって子守をしているのか。一緒に遊んでやればいいものを、と思いながら、時折見ていた。そのうちにこどもも男の腹の上に仰向けになり空を見ていた。それを見て、なんだこれでいいんだなと、思い直した。
9月23日 ホームページ作り再開
ながらくご無沙汰しました。やっと新しいパソコンを手にして、FTPサーバーに再登録してもらって再開しました。
ホームページ作りで一日が終わるなんてことにならないように。ぼちぼちと。