はどそんのつぶやき2007

いかり・くどき・おもにぼやき・どきり・かんどー・しったかぶり・かくしごとあり・ほらハなし

支店トップへ
つぶやき2003
つぶやき2004
つぶやき2005
つぶやき2006


6月某日 ひき肉偽装事件
生協の牛肉100%コロッケが牛肉100%ではなかった。入っていたのは賞味期限切れ肉に、ブタ、馬、うさぎ、とり、パン!?・・・とんでもないミート社の商人道だね。不正表示の違法行為なのに、安いものを買う消費者も悪いと言い逃れる社長、それはないよ。

 しかるに、同居人は、この報道の加熱が従業員の解雇を招いた、司法当局でもないマスコミが正義を振りかざして糾弾するのはおかしいとTVニュースに激怒する。鳥インフルエンザのときも、業者をかばった。このくらいのいんちきはふつうだろ、商売はもうけりゃあいいのだからと。

 マスコミはやりすぎだとは思う。けれど、こういうスケープゴートがでてはじめてお役所の検査・監査体制が整えられるのがいつものことだし、やっていたことが不正なのは承知の上なのだから仕方ないと思うけどね。

 わたしも生協の一員だが、生協が単なる共同購入宅配業者、お取り寄せ屋さんなのもばれてしまった。自前の検査なんかしないでCOOPブランドを許可していたのだねえ。そこはちやんと検証しているらしい「消費者生活センター」と違う。でも、そうなると値段も高くなる。困ったものだ。貧乏人は怪しいものを食べてりゃあいいという発想は嫌い。(怒っていると元気)
(追記:生協と取引を始める最初だけは牛肉100%を提供していたのだそうな、生協も騙されていたのだね)



6月某日 蚊 
庭で草取りをしていたら蚊に食われた。若い人だけが食われるかと油断していたら、誰でもいいらしい。年初の蚊はかゆい。ウナ・コーワを乾いたら塗り乾いたら塗りしていた。


6月某日 でも、ボケ気味
銀行で送金ミスをした。帰宅して、はっとあわてた。まだだったらキャンセルしたいと電話をした。もちろん間に合わなかった。どどどどどうしよう。けれど、送金の「くみもどし」という手続きのあるのを聞いて、また銀行に駆けつけた。
知ってた?相手が承知して取り消し承諾書を書いてくれれば戻せるって。
お騒がせ人間はドキドキ日を過ごしている。なにもなくとも夕方になるとドキドキしている。


6月某日 失せ物発見報告
ユニクロのカーディガンは 、びっしり詰めた洋服ハンガーの間で空中浮遊していた。そこに置いたはずの位置から20センチ下方だ。
ベイシアのTシャツは洋服ダンスの引き出しから見つかった。どちらも、ほぼあるべき場所だった。おっちょこちょい?
お騒がせしました。ああ、疲れた。


6月某日 行方不明のカード
遠出するからとガソリンスタンドでカード払いで給油しようとしたら、財布にクレジットカードが入っていない。とりあえず現金千円分ガソリンを入れて、あわてて帰宅した。バック、引き出しをひっくり返して探すが出てこない。本か手帳の間かなとさかさまにして、ぱらぽらめくるが出てこない。落としたか盗まれたか、冷や汗が出てくる。このところ本業でも損失が大きいからね。
待てよ、いつからないのかな、と家計簿を見たら(こういうときにはまめな記帳が役立つ=自分の記憶力の補いだ)、先々週給油して以来使っていない。じゃあ、どこかのポケットだ、と最近着ていたコートやズボンのポケットをさがす。ジーンズのブラウスの胸ポケットから発見。ほっとして出かける。三十分遅刻。でも、ホッ。


6月某日 行方不明のベイシアのTシャツ
スーパー・ベイシアが大改造のため一時閉店する。陳列ケースから商品がどんどんなくなる。がらがらの商品棚は壮観だ。最後は生鮮食料品だけになり、あとは大安売り。レジの脇の衣類のハンガー棚で、安値の付いたお徳用Tシャツを見かけて、いくたび4日ほど、うろうろ思案した。2000円なんだけどね、ユニクロより高いよ!毎日売れ残っているのでこれは神が私にといっているのだと悟って、さいごには買った。うちへ帰って試着したら、ぶかぶか。チェっと、スーパーの袋にもどして、そこらへ置いておいたら・・・・・みあたらない。ゴミだ、とこれも捨てたか?気がそぞろになっているね。

閉店になってもスーパーの駐車場は車が減らない。いかに大勢の人が改装作業にかかわっているのか、とびっくりする。


5月某日 行方不明のユニクロ
ユニクロの綿カーディガンをずいぶん前にこっそり買った。
他の人のは買わないできたし、その頃はまだウールを着ていたので、「どこか」に放り込んでいた。
春も熟してきて、もう外へは毛糸のカーディガンというわけにはいかず、さてあれを着るかと出そうとしたら、さあ、どこかがどこだかわからない。探しつくして、とうとう衣替えを完璧にしてしまった。でも、まだ出てこない。
こうなると考えられるのは、捨てちゃったってことかな。1990円だが惜しい。おばかな私。
これには続きがある。やはりこの黒のカーディガンが欲しくてユニクロヘ行った。しかし、時はすでに流れていて、もう、なかった。


5月某日 おばかなtotoとおばかな私
サッカーくじtotoが発足当時”健康なスポーツを射幸心の対象にするな”と、わめいていた私。予想が難しすぎて不人気に。そりゃあ、全試合の勝ち負けの予想なんてプロにも無理だ。それで何も考えなくていいコンピューターお任せ予想を導入したがやはり当たらない。やはり不人気。当たらなすぎて賞金が累積し一等が6億円になった!の報道でわっと庶民が飛びついた。その行列に百円玉3枚持って体験参加した私もオバカのひとり。どうどうたる自己矛盾だが、物見高い野次馬根性は本来の性格。ひっこみじあんの方針を変えた。
 私が宝くじ売り場に並んでいたとき、前の人たちは、みな宝くじを一万円札で!買っていた。それほどの冒険は気弱な私にはできない。toto人気は実はたいしたことはなさそうだ。つぶれるね、いつか。

つぎの野次馬体験学習は競馬100円かな。わが町にある競馬場へ行ってみよう。


5月某日 男
「・・・世界が夏の高校野球に浮かれているうちに、ごんと一発、五十五年目の敗戦の日、八月十五日がやって来た。当時を思い出す。−僕は兵隊だった。・・・」(團伊玖磨『パイプのけむり26』より)
こういう簡潔でパンチのある「男」の文章、最近見当たらない。開高健も文が短くてよかった。男がなよなよしているぞ。

これが連載されていたアサヒグラフ。銀行のソファーのそばにありましたな。最後のページからいつも見ていたが、それは有名人の食卓風景。
家族や友人とかこむ食卓の写真に短い文章が付いていた。いまだと「突撃となりの夕ごはん」のような感じかな。いや、これは前もって準備して、ご馳走を並べている家あり、人を呼び集めた家あり、きばっていたり、が見えておもしろかったのだ。お名前を存じ上げている方の家を覗き見しているようだった。食べ物や家具が意外と庶民的だったり、超高級だったり、たのしみだったのに、時代の流れで廃刊になったのが7年も前。團が中国で客死してからもう6年になる。時の経つのは早い。

藤原伊織が逝去。 男が減った。


5月某日 雑草がお友達
ことしは「日々、雑草と格闘」、でなく、ほんとにたのしんでいる。芽が出てすぐに引っこ抜かないで、どんな葉が開くのか、どんな花が咲くのか、ちょこっとだけ残している。


5月某日  ぐちれない
失敗や気鬱を人のせいにおっつけてばかりいましたが、いまや自己責任でどんずまりなので、ぐちれません。(いいことだね)
新商売の先行き危うし。


5月某日 郷ひろみ
みなおしちゃったわよ、英語うまい!! あのイヤったらしさがいかにもアメリカンで発音もすばらしい。LRもVFも完璧。
けれど歌になったら、あら、発音に熱中しすぎで曲に乗り切れないで・・ ネイティブには負けるわね    in NHK「英語でしゃべらナイト」


5月某日 パリ・オペラ座歌舞伎
わおー、口上がフランス語!
団十郎、海老蔵を筆頭に、舞台に並んだ役者みな老若男女(女形です)ことごとくが、カタカナで書いたかのようではあるが、ムシュウー、メルシーボークー、シルブプレと(それくらいしか私は理解できんが、フランス語らしいことはわかる)フランス語で、口上を述べる。さすがプロ、セリフを覚えるのが商売の方々だ。つっかえながらも、しゃべっている。 
若い人のはフランス語っぽく聞こえるから海老蔵などはフランス語が話せるのかもしれないな。
なにより、抜群なフランス語は市川亀治郎。あのNHK大河ドラマで信玄を演じている、わかっちいのにやたら威風堂々とした違和感丸出しの丸顔でした。えんえん喋りつづけ、団十郎のお株を盗っている。「オペラ座の怪人」が好きで、オペラ座で演じるのはうれしいがシャンデリアが落ちないか心配だと言うと客席から笑いが沸いた。フランス人が聞き取れるフランス語だったのね、すごい。

演目は歌舞伎18番の『勧進帳』だった。東洋の様式美としては美しいが、お芝居の展開としては、つまんないよね。(10歳のとき歌舞伎座で寝てしまったのはこの演目のせい。『藤十郎の恋』はドキドキして観ていたよ)
日本びいきな大統領がいなくなると、こんな国際交流もなくなるかも。


5月連休 本屋へ
 ひまな人を誘って、新潟駅裏にできたジュンク堂へ行く。4月開店の大型店舗。京都にもあったね。
今まで新潟県内でいちばんちゃんとしてた紀伊国屋書店は旧ダイエー跡のラブラ万代に移ってより広くなった。けれど配置にも品揃えにもがっかりだ。平置きは少ないし、ごちゃごちゃしてるし、ポップもない。前よりずっと居心地が悪い。
さて、ジュンク堂だが、これは、はなまるだった。配置がいい、専門書・新書がそろってる、お茶も飲める。一日居続けるつもりで、今度来ようっと。店もいいが、連休中というのに駐車場もガラガラで、ラッキー。(プラーカのほかの店は閉まったままだからね)


5月連休  ひるは草取り
晴耕雨読、晴れてるうちに草取りっと。
夜は市川昆監督・金田一耕介シリーズの連チャン映画鑑賞。


5月連休 スーパーのはしご
 家計簿を付けている。4月の決算は誤差1000円以下だった。家政担当者としては鼻が高い。しかし、支出はとても多かった、被服費ゼロなのに。これでは自慢にならない。
 原因は税金支払月だったのと、上記のとおりスーパーのはしごだ。菜っ葉、果物、肉、魚それぞれお気に入りのスーパーが違う。はしごついでについ余計な買い物をしてしまう。それと、人恋しさかな、あちこち行くのは。今月は心しよう。
 といいつつ、カワチにも顔を出すようになった。巨大スーパーが3軒(古い順にウオロク、原信、ベイシア)、ドラッグストアが2軒(コダマ、ドラッグトップス)ある駅裏地区に、最後発で登場してきた巨大ドラッグストアで当初、閑散としていて即つぶれるかと思っていた。しかし、チラシは見ない主義の私がここのは必ず見るほど、チラシの目玉品は安い。ゴールドブレンドはここで買う。クレンジングクリームも1200円が300円になる。食料品・酒類が充実してきて、客も増えてきた。商売上手だ。きょうはジフ158円が98円、を2個買いした。それで終わらせて倹約モード。
 肉の原信、魚のウオロク、果物のベイシア、そして地元野菜はやっぱりわくわく広場。どこも潰れないでほしいけどなぁ。


4月連休 スーパーの
 レジで並んでいた。前の女性がカゴに入れていたのが白いワイシャツ1900円、白いネクタイ980円、祝儀袋2枚。連休の行事は結婚式ね、ご苦労様。きょう、はすむかえの家では葬式。連休も各家いろいろだ。
 私の買い物はもやし2袋20円キーウィフルーツ98円。


4月連休 読書 きょうの料理本
 『NHKきょうの料理 決定版!家庭料理』は 自分で買おうっと。
カツ丼、豚肉のしょうが焼き、五目豆、ほうれんそうのおひたし、そのほか定番料理のレシピ集。このごろ忘れっぽくて。


4月連休 読書 まずは図書館へ
 出かける予定はないので、どっさり本を借りてくる。まず生島ヒロシの『50歳からお金の心配がなくなる本』から読み始める。預貯金だけでなくMMF(なんだそれ?)や株式投資にもまわすべきと提言する著者はアナウンサーでファイナンシャル・プランナー。少しは現実的に生きよう。
 といいながら次の本は『現代俳句歳時記 春』。かのイヌフグリがしっかり出ている。  
「空の色そのまま貰ひいぬふぐり  美好」もいい
「負の系譜それでもと思う犬ふぐり 祥督」もいい。


4月某日 おもしろかった『霞っ子クラブの裁判傍聴入門』
 青空のきれいな日や暖かな日は外にいたい。雑草を摘んだり、椿や木蓮の落花片をひろったりして、ぐずぐずと庭にいる。重厚な本はますます読まない。薄い本ばかり手にしている。

そんなこの頃、一気読みしたのが、この『・・裁判傍聴入門』(宝島社文庫。ブログ版もあり)。
法曹とは無縁な女の子が、事件報道から裁判というものに興味を持って傍聴に嵌っていきます。
私も実際見学したことがありますが、被告人の全生活はむきだしにされ、生々しい人間観察の場です。おもしろいけど疲れます。ブログの比ではありません。
彼女たちは傍聴デビューの緊張やら、法廷のNGファッションやお気に入り裁判長評や食堂のお勧めメニューなどもあげて、話を軽くゆかいに書いていくので裁判というものがぐっと身近になります。北尾トロの『気分はもう裁判長』も同系統。犯罪を犯してつかまって、それからどうなるかを知ると犯罪が減るかも知れない。

 『いいたかないけど数学者なのだ』(飯高茂/NHK新書)はわからないから数学部分は全部読み飛ばし、早世した数学者S君の高校からの読書ノートの素直さと熱心さを興味深く読んだ。大人になるためには読書は基礎教養という時代感があったなあ。
はたからは優秀な人材と見られていたが、本人は進路も含め、しょちゅう「勉強がすすまない」「オレハバカダ、バカニサレル、カロンゼラレル」「功名心と見栄で心焦ったり」と、悩んでいる。大変な読書家なのだが「松本清張『黒い福音』など調子のいいときは読む気がしないはずだ、」「カラマーゾフは序文で怖気づきとりやめ、」「史記、聊斎志異に時間を浪費」と読書に自己嫌悪もしている。共感をい抱きます、まったく。が、彼は繊細すぎました。鳩の糞が頭に落ちたため逝去。

 『株本・・・投資を楽しむための集中講義7コマ』(日経)はサンプラザ中野(お気に入り。早大政経中退の「爆風スランプ」のボーカル)と松本大(証券会社CEO)の対談。株をはじめる手ほどき書。中野がネット株をはじめた時20万円買うつもりが、まちがえて200万の指示を出してしまい、あわてて入金、しかも50万の損!なんと、株を勧めているのにもうからなかった株の話だった。しかし中野は原稿料で元は取っている、と見たzo。


4月22日 夕張市長選
1回目の開票速報で羽柴秀吉が100票でトップだった。映し出された選挙事務所にはびっくりした顔のおっちゃん、ばあちゃんが四人いるだけ。意外だったんだろうね。当然、(私から見ればどっちもどっちにみえる)当確候補が当選したが、いっときサプライズ効果で楽しかった。

ついでながら凶弾に倒れた長崎市長のあとは、弔い合戦の婿さんを破って、市職員が当選した。市民も賢くなったな。


4月某日 五七五
 歳時記や名句集を見ても何も浮かんでこないが、木や草をじかに見ているとふと浮かぶこともある俳句。それをこねくりまわしているのも、たのしいときがある。たいしたひまつぶしである。私の周りでも、なにげなく読む人がいる。日本人の感性に織り込まれているのか、はたまた学校教育の賜物かな。今頃だと・・・、
「山路来てなにやらゆかしすみれ草 (芭蕉)」など、なにげなく口をついて出るものね。


4月某日  時代小説にあきた
日差しが強くなったせいだと思う、時代物がちっともおもしろくなくなった。私の中では冬ごもりの本だったらしい。そうはいっても全作読破にむけて意地になっている佐藤雅義。


4月某日  「死んでしまおうなんて」
 カーラジオをつけたとたん島倉千代子が歌う「人生いろいろ」の歌が飛び込んできた。流行っているときは気にならなかったが、なんて強烈な出だしの歌詞なんだ。突然そんなことをいわれるとギクッとするね。
「♪死んでしまおうなぁんて悩んだりしたり〜」「♪バラもコスモスたちも枯れておしまいと〜」「髪を短くしたり〜強く小指をかんだり〜」「自分ばかりを責めて〜」
そうだそうだ、お千代さん、そんな日々を越してきたねえ、私らはまだジタバタしてるねえ、とじっくり聴きいってしまった。「ねえ、おかしいでしょ わぁかいころ」この歌は歳をとるほど効く歌ですね。しんみり。涙が浮かぶよ。
ところが、そのあとのフレーズで、「笑い話に涙がいっぱい 涙の中には か、さが〜いぃぱい〜」とつづきました。
ええ?なんで傘?
きゅうに、分けがわからなくなって、涙モードはくずれ、家に戻ってからネット検索。
・・・・・
・・・・・
・・・・・
「涙の中に 若さがいっぱい」でした。
・・・・・
「・・・・
いま かがやくのよ 私たち
いま 飛び立つのよ 私たち
笑いばなしに 希望がいっぱい
希望の中に 若さがいっぱい」
    老境は笑い飛ばそう!と〆てます。めでたしめでたし。



3月某日  規制緩和は安全軽視か
飛行機のパイロットが声を上げている。バスも、雨後の竹の子のように乱立した観光バス会社の劣悪過密スケジュールが、事故を引き起こしている。


3月某日  おすすめ本『おばあちゃんが、ぼけた』
老人ホーム、老人の寄り合い場所の宅老所の職員だった人が作者の若者(といっても42才)。いぜん、TVで谷川俊太郎が福岡の宅老所を訪れるドキュメンタリーをしていた、あそこだなと画像を思い浮かべて読んだ。


3月某日  大相撲(テレビ)
こんな手を横綱が使っていいのか、という技で、優勝決定戦にもちこんだが、同じ手で、敗れた。はたきこみ。いっしゅん、いい気味だと喝采した。横綱は苦笑い。相手に拍手を送っていいのか、こんな技で優勝を決めて嘆かわしいとモンゴル人たちを怒ればいいのか。


3月某日 フィギュア・スケート(テレビ)
アイススケート・フィギュアはバレエでありスポーツであり、見ているだけで楽しい。人体の美しさにもほれぼれして観てる。男子も女子も日本人が表彰台にあがってよかったね、なんだけれど、高得点過ぎ!? スポンサーがらみ、開催地のお手盛り得点では?
れいのプロ・ボクシングの試合以来、民放テレビがからんでいる試合は信用できない。


3月某日 時代小説とネット
 佐藤雅美を読みつくし、「物書同心居眠り紋蔵」をよみだすきっかけになった「居眠り磐音江戸双紙」(佐伯泰英 著)に戻って、ぬくぬく浸かっている。21巻ある。当分の癒しは確保だ。

 重いテーマがあるわけでない痛快大衆小説。スペイン闘牛小説が売れなくて時代小説(愛読者層が確実なんだとサ)に転換したという作者。
 父は豊前のある藩の家老職なれど、悪の一味の姦計で浪人となった磐音は日々の糧は鰻割き職人として日当100文で深川六間掘の貧乏長屋暮らし。とはいえ江戸一番の両替屋の用心棒兼後見でもあり、財政窮乏の旧藩を影で助け、あるときは町奉行所の手助けをし、将軍にもその名を知られている、春風駘蕩人格高潔無私無欲悪を切り弱気を助けるさっそうとした若き剣の達人。元許婚は転々流転し吉原の1200両の太夫に。
お楽しみてんこ盛りの西村京太郎推理小説のような本だが、350万部のたいへんな売れ筋だそうな。さもあらん、私もその鴨のひとり。

 図書館で「江戸切絵図の世界」という本をみかけて、借りてきた。ちゃんばら場面と町や道は、気にしないで読み飛ばしていたが、あれ、時代小説の地形は実在物なのか。そういえば、鬼平の地図というのもあったっけ。
これは尾張屋と近江屋が江戸時代にだした区域ごとの切絵図なので、つながり具合がまったく不案内の私には探しきれない。堀、川の名は当然ということで省かれているのでわかりにくい。

 もしや、とネット検索したらyahoo!にちゃんと、「古地図で東京めぐり」という楽しいサイトがあって、磐音のすむ深川六間掘がみつかった。
なるほど、スクロールしながら実際の古地図をみて、主人公の歩いた道をたどると、よく歩いているなあ昔の人は、と感心する。深川から日暮里に鰻の出前に、吉原へ行きは舟で帰りは歩いて、上京の七つ立ち(午前4時)を見送りに品川へ、と道筋を見ていくとおもしろい。江戸時代の主な幹線道路は実ははりめぐらされた水路だとある。東洋のベニスか。今はほぼ高速道路になっている。なるほど。ネットを開きながらの読書。寝ながら読書ができないから、いつまでつづくかな。


3月某日 タミフル
飲んだことがあります。10代にはとうに縁を切っていた歳だったので、副作用はなかった。インフルエンザの特効薬として一社が独占している薬剤によるこの騒ぎ、裏があるのだろうか、血液製剤のときのように。


3月某日 鍋磨き
 鍋が汚いことに気がついて磨いた。流しの上の水きり棚にあげてある。急に気になったのは、春めいた日差しのせいだろうか。
やりだすと、きれいになっていってうれしい。何かをしてうれしいことは少ないのでうれしい。ジフをつけてスコッチブライトで磨く。物足りなくなって、スチールウールたわしで磨く。こびりついたコゲはマイナスドライバーでこそげとる。みるみるきれいになる。最後にステンレス磨き剤で磨く。ひとつ終わってもうひとつ。棚に上げてながめて、やり残しに気が付いて、また磨く。
 そうだ、洗い物もしんどい腰痛のせいで、鍋磨きは封印していたのだったな。何年ぶりだろう。力を入れて磨いているのに腰は大丈夫。腰痛達人は重心の取り方がうまくなっていた。
しかし夢中でやっていたら、手に力が入らなくなって3個目であきらめた。神経麻痺いらい握力もなくなっていたんだったっけ。いまだにチェロの弓は引けないし、パソコンも運転も1時間が限度。(ほんとはわたしゃあ働き者だったんだよねえといいわけをしてみる「のめしこき」=なまけものという新潟弁)
 そうそう怒ると鍋を磨いていたんでした。怒っていればいるほど鍋は美しくなる。マイナスエネルギーの有効活用だ。今もたぶん、怒っているんだ。磨いていると気が静まる。本に逃げ込むよりは自分に価値をもてる。
 2日かけて鍋をみがいて、きょうは鍋のふたを磨く。溝の中をほじくると積年の垢がぼろぼろ出る。黒かったのが銀色に戻った。ピカピカの鍋が並んだ棚は気持ちがよい。誰に見せるではないが、
さあ、春の日差しよ、来い!てなもんだ。


3月某日 へこみ脱出法
善い人になってみる。


3月某日 へこみ活用法
へこむ=街へ出かけられない=お金を使わない=倹約できた
ただし、たまに出ると このときを逃すとと、がばっと買ってしまう。


3月某日  へこみ脱出法
とことんへこむと笑い出すか歌いだしたくなる。
ひとりで、しらふで、♪小皿たたいてちゃんちきお〜け〜さ〜♪。むずかしかったよ、箸で小皿をたたくの、両手別々のリズムが刻めない、つまりドラムだね。
落語をならうかな。(言ってみるだけだよ)


3月某日 テレビドラマ・本
なんでか「ハケンの品格」が観れない。「演歌の女王」は観られる。
「OL進化論」をアマゾンで取り寄せたが、たのしめなくなっていてびっくりした。現実の生々しさがこたえて、笑えない部分が多くなった。
「白洲正子自伝」が読めない。さいきん読んでいるのは時代ものばかり。佐藤雅美、いまは佐伯泰英の「居眠り磐音」シリーズに はまりはじめた。
はたと気が付く、現実逃避。


3月某日 料理
今夜は3℃。寒いので、ぎゅっと握って丸めただけのひき肉だんご入りポトフを作り、ひと塩にしんの焼魚、ほたるいかのすみそあえの夕食。
 我が家は、肉類や油料理は(好きなのだが)にがてで、あっさりした和食中心なので、たいていは煮魚か焼き魚。それと野菜の煮しめかおひたし。毎日じゃぶじゃぶ醤油を使う。今日のように醤油を調理に使わない日はめずらしい。とはいえ、魚の付け合せの大根おろしには醤油。
まえはブログで食事ネタをやっていたが、毎年(おなじ皿で)おなじものばかり食べているのに自分であきれて、やめた。マンネリだ。
 でも、たまに、こんな料理したよと言いたくなることがある。それくらいしか考えることのない日は。


3月某日 また雪
風花が舞う。なんてこった今週ずっと雪マーク!
♪春なのに〜!!だから黄砂も舞っている。


3月某日 国会中継を聞きながら
車の運転には、むかつく話しっぷりで、眠くならないでいいよ。サントウアキコくん

3月某日 締め切りのないレポート
気力がわかない。やっても意味もないし、調べて自分がわかってそれで気が済んでしまった。その先のレポート能力は消えていた。学生時代は試験があってよかったよ。とにかく、けりが付いた。


3月某日 もらった本
ちょっと寝込んで、借りてきた本はみんな読んでしまったので、つんどく本に手を出す。と、かつて読んでいたことに気が付く。三国シェフが、長岡に来たことがあったからだ。村上信夫『帝国ホテル厨房物語』をもう一度、味わう。おいしい。


3月某日 佐藤雅美の本
『大君の通貨』を読了。敬遠していたが、とてもおもしろかった。幕末、ペリーの来航で、いやいや開国した日本とアメリカ、イギリスとの為替レートが主題。

 一両が4朱(銀)。では、当時アジアでの貿易決済通貨であったメキシコドル銀貨1ドルは1朱か3朱か。ハリス・アメリカ公使、オールコット・イギリス公使を相手に、その意味するところがわかり、交渉に奮闘するは日本側は水野筑後守忠徳 ただ一人。
 井伊直弼ら幕府首脳の無能ぶりと、イギリス・アメリカの公使の不理解がもとで、等価交換にならず金貨・物資は国外流出、相場は高騰、そのため幕末の物価は3倍にもなり、しわ寄せをまともにくらったのは武士。
そのため疲弊した武士は、開国した幕府に対し不満を募らせ、倒幕勢力となった。幕府自身も実質収益が半減し政危機となり、自らの崩壊を招いた。と、はじめて幕末の貨幣経済面からの(小説の体裁だが歴史認識の手ごろな)「解説」で、社会の様相がやっと理解できた。日ごろから腑に落ちなかったこところが氷解し、推理小説を読むよりたのしかった。(それでも為替や株は、ようわからんので、現実には君子あやうきに近寄らずを旨としている)
 ずるがしこく不正蓄財していたハリス、それをみならったイギリス公使オールコット。それを叩いたのは新聞の投書。本国の調査によって糾弾されるも、国益を考え不問に。という現代的な展開もおもしろかった。
ハリスは、本来なら、日米通商条約を無艦隊で勝ち取った英雄になったはずだった。
 日本人使節がアメリカで大歓迎を受けたのも、アメリカが独立以来まともに条約をかわした第一号だったからなのだ、とたぶん史実なのだろうから資料としての興味が深い。

とネタばれをしていますが、手に入らないでしょうから。
 ここで、佐藤雅美を推薦したため、図書館で誰も借りていかない『江戸繁盛記』『信長』『幽斎幻旨』を手に取った方、ごめんなさい。つまらないです、資料が勝ちすぎで。


3月某日 図書館の本
 無料でたくさんの本を読むことができるのは ありがたい。ときどき困るのは、たばこ臭のきつい本があることだ。読んでいて胸苦しくなって気が付く。
 私は中年になって煙アレルギーがでた。線香やタバコの煙が苦手になり、咳き込んでしまうのだ。図書館の本なのになぜタバコで燻されているのかふしぎなのだが、そういえば、最近は、今まで手を出したことのない分野の本を読んでいる。ヘビースモーカーに愛読者が多いのか、股旅物や捕り物帳などの時代小説は。この間は司馬遼太郎も臭かった。
ブックオフの本が芳香剤臭がきついわけがわかった。


3月某日 関川夏央の本
関川夏央は長岡出身、だからというわけではないが、ひいきである。彼の文は読みやすい。頭が低い。そして、かなりの「テッチャン」(鉄道マニア)だ。
『「坂の上の雲」と日本人』でも鉄道にはことに詳しい。あらすじもついているのでこれで『坂之上の雲』(司馬遼太郎)を読んだこととする。日露戦争の戦記ものになっている後半4〜8巻は読破できなかった。映像化はしないでほしいね。
関川は司馬の小説に対して「小説としての完成度が低い」「あえて小説として破綻するような書き方」と評している。同感する。「坂之上の雲」を読む以前は、この人の小説は知識・資料をひけひらかしているようで、またそれを伝えるのを己の使命としているようでつまらなかった。
司馬自身も気が散って雑談してしまうという。それも関川は好きらしい。三派の学生運動華やかなりし時代に産経新聞の連載していたというから、反骨的である。彼らの誤りも正したかったのだろう。
近代小説が人間の情、心の動き、情愛に絡んだ話・お金にまつわる話題をえがき、現代小説がアイデンテティふらふら小説の和事(上方の芝居)とすれば、司馬の小説は荒事(江戸のけれんみのある芝居)、事をなすに重きを置いた小説だろう。内面描写・ナルシズムを排除した写生小説でもある。と、思う。そのよさがちょっとわかってきた。


3月某日 「中村勘三郎襲名公演」の
テレビを、ぼうっと見ていた。みごとだ。観客を楽しませる芸が光っている。役者の中ではいちばん好きだ。花がある。見ているだけで元気が出る。


3月8日 雪が積もる
ことしは晴天が続き、足が地に着かない冬だった。雪のない越後なんて、ウソをこいているようなもんだった。これで、やっと春を迎えられる。


3月3日 雛を出す
さぞ、にぎやかしいになるだろうと思っていたが、雛壇を並べても かえってさびしい。


3月某日 メール制限
ウイルス系ではないが、出会い系やエロサイト案内の迷惑メールがあまりに多いので無料メールアドレスから来るメールを禁止・削除するルールを設定した。たとえば、innfoseek,livedoor,yahooなどである。それらから送ろうと思ってる方ごめんなさい。有料プロバイダーから送信しなおしてください。docomoは禁止するわけには行かないので残してあるが、とたんにメールが激減した。 それはそれで、なんだかさびしい。


2月某日 北斗七星
 一日快晴の日だった。夜も空はなおも澄み切っている。はんかけの月と赤や青や白の星々が、壮大に輝いている。ふと、頭を上げると、そこになつかしい北斗七星がいた。いつもオリオン座の三ツ星しか判別できないのだが、探して喜んでいたのは小学生の頃か、何年ぶりのめぐりあいだろう。いろいろな惨劇や不幸があっても、こういうひとときは、幸せだなあと感じる。くよくよと過ごしている自分の悩みも ちっぽけだなあと、この夜空は吹き飛ばす。


2月某日 ブリーダーの火事
 街に出るとき、いつも通る街道沿いに、犬屋がある。たくさん犬を飼っているらしいが、鉄骨の工場みたいな建物で、こぎれいではなし、駐車場があるわけでもないので、ちらちらと気にしながら素通りしていた。
けさ、テレビニュースで、ブリーダーが火事になり、犬が多数死亡とアナウンサーが話していた。いやなニュースだと見ないようにしていた。
夕方、その街道をとおって、そこがまさに火事現場だったことを知った。鉄骨を残して、すっからかんに焼け果てていたのだ。家財は黒く散乱している。犬たちは檻に入ったまま出られなかったのだろう。痛ましい。新聞で確かめたら、25頭も亡くなっている。人間についての報道はないこと、数匹は助かったらしいこと、それだけでも救い。
(数日後よくよくみれば、奥は鉄筋コンクリートビルでコンクリート部分も残っていた。表道路に面している部分の焼けがひどかったから、誤解していた)


2月某日 ともだち
 私みたいな人間がいたら、友達にしたくないね。ぐちばっかり。人のせいにしてばっかり。マイナス思考ばっかり。三日坊主どころか一日も持たず。 「反省」


2月某日  足がすくむこと
 心ここにあらず人とふつうに暮らすこと。ふつうがたいへん。


2月某日 社説盗用
 新潟日報もまた。朝日の社説をだそうな。情けないね。私のように文才のない者、語彙力がお粗末な者は、いい文章・いい語句をみてしまうと、影響されずにいるのは難しい。すぐまねしてしまう。そうなりそうな自分を抑える力を持っている人がプロの文章家なのだろう。低きに流れる傾向はふつうのこと。
 両文を比較対照してある紙面をよむと、後から書かれた新潟日報のほうが、まとまって優れてみえるのは、当然か。

2月某日 百円均一店
久しぶりで、ダイソーに行ったら、200円均一に300円均一もあった。進化しているよ、百均。いちばん高価な、ドイツ産ぶなの木製ブラシ立て315円を買った。ほかに、櫛にタオルに鏡など、あれこれ10点 買った。すごく散財した気になって、爽快、大満足だ。


2月某日 まだ 佐藤雅美
 楽しい捕り物ものを読みつくし、しかたなく分厚い本も手に取るしかない。いまは『青雲遥かにー大内俊介の生涯ー』(2段組の 529p)。
幕末、仙台伊達藩士の子が 学問で身を立てようと青雲の志に燃えて 江戸に出て昌平坂学問所に入る。田舎出の純真無垢生意気な少年は現実の世界にぶつかって挫折、方向転換していくのだが、陰々滅々にならず明るく書かれている。
学問所は楽しいところではなかった。まわりはすべて競争相手、講義は陳腐、教官は意地悪で嫌われるし、慕っている先輩は、隠密だったり、家柄ゆえの差別があったり、女にしくじって脱落していったり、順調に学問で立身出世していくものは少ない。
俊介自身、なんのために学問をするのか、学問とは何か、の答えが出ない。自分の力量はたいしたことはないのもみえてくる。色香にも迷う。人生は紆余曲折、思うようには運ばない。そうだよなあ、と親近感を感じながら読める本。くよくよと悩み惑うところはあまり書かない。淡々と、でも、まなざしは暖かい。司馬さんに比べてね。


2月某日 幸せは
 「幸せは適度な鈍感にあり」(門田勲) 
ほんとうに、日々肝に銘じているのですが。


2月某日 国会中継
 ラジオをつけたら、だみ声のおじさんがずっと、しゃべっている。しばらく聞いていて、やっと、国会中継だとわかった。議長が大臣の答弁をさせようとしても、いいです、と断って独演を続けること30分以上。選挙のとき刺客をむけられ妨害された恨み節、自民党候補を応援せず公明党候補を応援した苦情、宗教団体名をずらずら、さりげなく実践倫理研究会の宣伝、建設的意見はまったくなし、言いたい放題しゃべっては、ねぇ? ねぇ、と自分で自分に相槌を打っている。これはなに?選挙民へのスタンドプレーにもならない、情けないぞ、亀井しずか君。
あとで知ったが、制限時間50分中40分の独演だったと、ある報道関係者もあきれていた。


2月某日 裁判員制度
 反対に一票。裁判官は本当は、ばかばかしくて、つきあってられないと思っているのでは。人を人が裁くというのは、感情論になってはいけないのだけれど、最近、おかしいね。


2月某日 デジカメ故障
 今週、デジカメが使えなかった。オン・オフのボタンがあがらなくなったのだ。家人に、通勤ついでにカメラのキタムラに修理に出してきて、と頼んだら、もう5年もたっているから買い換えだな、という。5年で寿命!?プリンターの故障の時も、販売員がそんなことを言っていた。あーあ。
それをTさんにぼやいたら、この前こうやったね、とバッテリーをいったん出してまた入れた。 治った。  ほら、昔のラジオも、敲くと治ったって言うじゃない、って。そうそう、パソコンもそういうときがあった。


2月某日 柳沢発言また
 厚生大臣の「若い人たちは結婚したい、子どもを二人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる」発言がまた問題になっているが、「健全」云々が議会でもめているが、「状況に」いないのが問題点だろう。
結婚したくても相手がいない、経済的に成り立たない、扶養すべき老人を抱えている、子どもを持っては仕事ができない、ほしくても子どもができない、あるいは、結婚しないという選択、子どもを持たない生き方、今の時代はさまざまな様相があるのに、彼は昔流の正当派すぎて、時流に合う表現力に欠けているのではないか。少子化政策を進める大臣としてはいかがかと思う。
<結婚して子どもを二人産む>=人口は減らない。考え方はまっとうなんだけどね。


2月某日 本を買わない
 本屋を覗いても本を買わなくなった。置き場に困る。場所を取る。それほど、手元に置いておきたい本がない。紙魚がイヤ。いや、しみったれ。たんなるケチ。 理由はいろいろあるのだが、そんなことがいえるのも図書館のおかげ。あちこちはしごすると、なんと週に45冊は借りられる。それで十分まに合ってしまうし、そんなにに借りない。読み切れないし重い。話題の本も予約をかければ(最大半年待ったことがある)手に入る。(本屋さんごめんなさい)
それでも、つい買ってしまうのは、図書館では購入しないようなくだらない新刊本とマンガ本。
姉弟間でも回し読みしているけど、そんなわけで、こちらからはなくて、すまん。小三治、文珍、村上信夫の本、ありがと。


2月某日 厚生大臣の「女性は産む機械」発言
 つい本音がぼろりと出てしまった、というところが、なお、いけない。阿部さんちの奥さんは怒ってないのかな。


2月某日  A新聞中年記者、Y新聞のHP文を盗用
 以前、このA新聞社のある中年記者(長岡支局)は、地元作家の講演会中、突然ドアをぱっと開けてはいってきて、うろうろ歩き回って、写真を撮りまくってかえった。かがんで遠慮するでなし、なにごとかと唖然とさせられた。傍若無人なふるまいだった。A社なら、許されるのか、一個人の人間性の問題か、話に水を差されて気分は悪かった。

まめで、まじめな長岡新聞がまず、取材に来て紙面に載ると、それをみてだろう、しばらくして大手新聞の支局の記者が取材にくる。田舎ではそういう構図だった。
 今回の記事を見ても、やっぱりね、と思う。大手ほど、驕慢になる率は高いとみた。
ずうっとA社を取っていたが、もう地方紙だけでも、いいかな。


1月某日 新聞の一面に
「ジェンキンスさん大けがヘリ搬送」なんて記事は地元紙だけだろうね。拉致被害者曽我ひとみさん夫が自宅内でつまずいて転びテレビの台の角で胸を打った。新聞に出すほどの 事件かいな。

娘さんが交通事故死したタレントKSの舞台風景も、テレビニュースで取り上げるほどのことかなあ。かわいそうだけど、個人的なことを宣伝に使ってるように見える。なにしろあのスタンドプレー好きの欽ちゃん劇団だからねえ。

納豆に始まった「あるある」騒動でも思うけど、テレビも新聞も どうでもいいこといいすぎてないか。なにかしらで時間埋め紙面埋めしなけりゃいけないのだろう。さいきんのテレビはつまんないね。芸人いじりや芸能人相手のクイズ番組・食べ歩き番組が多い。民放の医療・食べ物もあやしげ。報道番組にまともなキャスターは少ないし、民放BSに観たい物はないし。だからあんまり、観ていない。


1月某日 まだ佐藤雅美
冬休み読書で、熱中した佐藤雅美に、まだ、はまっている。
南町奉行所の居眠り病の同心・藤木紋蔵シリーズを読み尽くした。吟味方(刑事事件)と公事方(民事事件)の説明や御家人の生活金銭感覚など、たんなる捕物帖でおわらず、おもしろい。
つづいて『町医 北村宗哲』は漢方の知識がおもしろい。

半次捕物控シリーズでは、岡っ引きの実態を知る。同心の手足となって探索をするのだが公務員ではない。給料はない。泥棒が捕まるとどこどこから盗んだかを岡っ引きが一軒一軒尋ねて回る、これを「引合」をつけるといい、そうすると商家は町奉行所に町役人を同道してもらって出向かなければならずまる一日かかる。帰りには付き添いの町役人に幾ばくかの謝礼を包みもてなしをした。それがわずらわしく岡っ引きに相応の対価を払いなにも盗まれなかったことにしてもらった。これを引合をぬくといい、岡っ引きは引合茶屋で店側、取り締まり側にわかれその金額の交渉をしていた。それが主たる収入源だった、いうのを初めて知った。へえ、の世界だ。昔の捕物帖には(ちなみに銭形平次捕り物控も読んでみたが、)こういう経済構造はもちろん書かれていないので、今読むとかっこよさだけで平板だ。

縮尻鏡三郎シリーズは出世をしくじった御家人、未決囚を収容している大番屋の所長。
八州廻り桑山十兵衛シリーズは関東地方一円の関八州を見廻る刑事。現場の担当者はたった8人、高崎へも銚子へも歩いて回っているようでびっくりだ。そういう江戸のお役人の職種や治安機構もわかっておもしろい。

雑誌掲載なので一話完結、それと、主人公の推理で、一直線に話が進むのはシンプルで読みやすい。恋を書いてもドロドロしていなくてあまりにアッサリしているので、あっけにとられたのも一興。これらは家斉の治世らしい。

単筆で『恵比寿屋喜兵衛手控え』は近郷の民衆の公事訴訟事を代筆世話をする宿屋、そんな商売があるのか。これで直木賞を取っている。『泥棒家業』は戦後すぐの現代物。つんどくは『大君の通貨』、幕末の円ドル戦争だそうで、これはハードルが高い。


1月某日 まず、
本質よりも形式、心よりも体。何もできないときはまず休む寝る食う。「♪わかものよ〜からだをきたえておけ〜美しいこころが たくましいからだに からくも、ささえられる日がいつか・・・♪」
で、まずは体操教室へ。


1月某日 
何をしたいかより、何をしてやれるかを考えていた。何もできなくて、なにもしないでいる。それでうじうじしている。とりあえず、考えなくてもできる行動をまずすると、それは、みため自分本位のわがままで終わる。
「心配事を横に並べず、縦に並べると目の前の心配は一つ。」と鬱の先輩、倉島厚がいってるから、ま、いいか。時が解決してくれる?


1月某日 そのまんま東宮崎県知事
大丈夫だろうか、おもしろすぎる。東大ー官庁ー県知事のまじめコースも昨今あやしいけど、たけしにおべっか軍団出身のこちらは、施政も私生活も大丈夫かな。今売っているマスコミへのこび、マスコミからのこび、いやだねえ、これはお互いにいつまで続くのかな。不祥事があれば、いっぺんに瓦解するだろうね。


1月某日 納豆さわぎ
先週、スーパーで納豆コーナーから納豆がまったく消えたことがあった。すわ、食中毒で撤去かと思ったら、テレビの番組でダイエットに有効と特集されて爆発的な人気が出たからだった。その後、欠品のおわびがデカデカと書かれていた。うちは週に1度くらいしか食べないから、いっとき我慢していればそのうちブームもさるだろう、と待っていた。
それが、実験データの捏造だなんて、オチで、あっけなく幕閉め。 ブームは去った、か?
今朝、スーパーで納豆コーナーにぎっしり、納豆が並んでいるのを見て、納豆やさん、ひっしで増産しただろうに、かわいそうだな、と思った。ところが、消費者はえらい。夕方、買い足す物があってまたスーパーに出かけたのだが、残りわずか、というほど売れていた。乗せられただけでなく、納豆の良さ(良質のタンパク質だもの)に、気づきなおしたんだね。ホッツ。

1月某日 不二家
不二家と言えば、懐かしい思い出はある。ミルキー、これは子どもの頃の。代々木駅前の不二家のアップルパイ、これはつわりで何も食べられないとき、夫が帰りに買ってきてくれた。おいしかった。あのときは、ありがとう。そんなこと、あまりにないからまだ覚えている。本人は忘れているだろうね。
不二家は森永傘下に入るのかなあ。この町の不二家も閉まっている。かわいそう。

1月某日 大相撲 また
八百長試合は「ある」と思う。はなから、やる気のない仕切りをしていることがある、四つに組んでからささやきかわしていることがある、途中から力が抜けることがある。解説者は緊張して、とか言うけれど、テレビの大写しは力士の感情の変化、気も撮していると私は思っている。
最近のプロボクシングの世界選手権試合をみて、こんなのがまかり通っちゃう世の中なら、相撲だってと理由をつけたす。

1月某日 堺屋太一また
オーケストラの財政難について、ゲスト出演していたが、なんの解決策もなかった。札幌のオケが地域に密着した活動を、なんていってるけど、何十年も前に群馬交響楽団はそれをちゃんとやっていた。「ここに泉あり」と、映画になったんじゃなかったっけ。
問題点は小泉政策で、地方自治体の支援が減ってしまったことだろうが!!

1月某日 オーケストラ
マンガ「のだめカンタービレ」を読み切ってしまった。16巻まで。おもしろかった。のりでCDも買った。ベルリン・フィルやウイーン・フィルはやっぱりうまいんだなあと思い知らされながら、東京都交響楽団+オーディションから参加の若手による、稚拙、でも遊び心たっぷりの斬新、軽やか、たのしい、澄んだ音(これは若さのたまものだ) を楽しんでいる。
「のだめ」ブームで、オーケストラの演奏会がにぎわっているという。ありがたい。あまりガラガラの入りで演奏者に気の毒だと思ってしまい、疲れてしまうコンサートも最近はあって、出不精になっていた。
けれど、このクラシック人気は、マンガのおかげであっても、そのねっこをたどれば、クラシック音楽が「若い国民(=マンガ世代)」に基礎教養として身についているからじゃないだろうか。小中学校の音楽教育はクラシックが基礎だ。それは60才以下の一般教養でもあるが、それに、もっと音楽素養のある人間の数もこの数十年、ヤマハ幼児教室からはじまって、ピアノ教室などの生徒、合唱部・器楽部・ブラスバンド出身者、音大出身者(これもすごい人数になっているはず)を足していったら、今やかなり膨大な人数に、ならないか。うちの子ですら、親の読めない串団子の音符を読めている。底辺は広いのだ、肩の凝らないコンサートが増えるといいね。

1月某日 大相撲中継
過日、悪魔・デーモン小暮閣下がゲストで出演していた。去年初めて出たときも見ていて、閣下が大相撲大好き人間なのに驚かされたし、番組も盛り上がっておもしろかった。こうこなくっちゃあ。だけど今年はねえ、アナウンサーがやたらウンチクのあるおじさんで、ゲストが昔の取り組みを話すでしょ、ふつう、そこはゲストのウンチクに感心して相づちを打ちところなのに打たない。こんな勝負もありましたよと自分の知識をひけらかして、決して負けない。俺の方が・・といっているように聞こえる。悪魔の「閣下」と持ち上げず、「デーモンさん」とよぶ。つまんねえ。
朝青龍の親方の元2代目朝潮はいい人で現役時代を彼らにかまわれてもさらりとかわしている。科学的な分析やどうすればよいかをきちんと話す。ほう。こういう人の弟子だから朝青龍は強いのだねえ、と今回はそっちに感心した。なんのかんのと言って相撲を観てる。(男の裸を見るなんて悪趣味〜といってたことがあるのに、誰の筋肉はきれいだとか誰の肌きたないとかいいながら)。
先日の中継の屋外風景にかぶって、東京はこの冬いちばんの寒さで7度ですと言っていた。こちら7度もあれば、今日は暖かかったねーなんだけど。

1月某日 晴れ
青空が出ているので、庭に洗濯物を干した。おいおい、一月だよね。一月の新潟で、、こんなに太陽をみたことがあったっけ、と不審に思うほど、天気がよい。と思っていたら雨になった。あわてて取り込んだ。それにしても、 地球温暖化?夕暮れても 7度もある。腰痛の身にはありがたい。

1月某日 「団塊の世代」特集
NHKで毎晩のように団塊の世代を特集している。堺屋太一が命名したそうだが、この発想は統計を取る側の(通産官僚の)発想だと思う。ひとくくりにまとめられたくないというのが、その構成員の一意見です。
さらに、「これからは自分の好きなように生きたらいい」とは堺屋太一、大きなお世話で、そういうふうに楽々生きていける層は何パーセントか。そうできないように介護制度も健康保険制度を改悪しているじゃないか。

1月某日 冬休みの時代物読書
 ラジオを付けたら、ついさっきまで児玉清がゲストだったらしく、本の話題が続いていた。「児玉さんが推薦した時代物で「いねむりい・・」は読みたい」・・・、というのを聞き止めた。週間ブックレビューでおなじみ、読書家の児玉清の推薦ならおもしろかろうと、図書館の検索で「いねむり」と入れたら、『物書同心居眠り紋蔵』(佐藤雅美・著)がヒットした。図書館へ駆けつけ、このシリーズを三冊借りてきた。おもしろい。
 主人公藤木紋蔵は、ところかまわず居眠りを始めてしまう奇病の持ち主で、出世もできない子持ちの貧乏な南町奉行所の物書き同心、今で言う書記官。華やかな捕り方の「定廻り」や「臨時廻り」はご存じ八丁堀スタイルの着流しだが、内勤の書記は羽織袴で、田舎侍と区別ができないかっこわるさ。
 しかし、世事に興味津々でかってに首をつっこんでは、難問解決をしてしまう。いろいろな人間関係の糸が最後にはからみあうという、ちょっとご都合主義ではあるが、軽やかで、江戸情緒があって、推理物で、外食産業がいかに盛んか(住まいが貧しいから。)もわかり、おもしろい。正月休館の前日に、また、駆けつけ2冊借りてくる。
 ところが、正月の新聞広告で、『居眠り磐音 江戸双紙』(佐伯泰英・著)というシリーズの大宣伝を見つけ、児玉清が推薦していたのは、こちらだったのが判明。あれあれ。どんなにおもしろいのだろう、図書館は休みだし、と、あきらめていたら、カレンダーを買いに行った「つたや」に平積みでたくさん置いてあった。そこで第1巻『陽炎の辻』を購入(\648)。
 ふむふむ、こちらは直心影流の免許皆伝の独身剣士。浪人になりたての坂崎磐根が主人公。豊後の小藩の内輪もめから江戸で浪々の身となった剣の達人が両替商の用心棒になり、大陰謀をさっそうと「切る」。ほんとに切る。強くて若くて頭脳明晰。かっこいいが、『居眠り紋蔵』をみた後では、なんだか、長ったらしく途中で飽きが来た。でも、延々続いていて、以後もたのしみ。(去年は江戸文化がマイブームだった。)
 紋蔵さんの方は底流では父殺しの犯人探求が続くが、各章が一話完結で、読みやすいのだ。
山本周五郎の情緒や池波正太郎の食い物のうまさ(ここではごちそうといえば鰻なのだから。)を期待しなければ、たのしい。夢中になって過ごせた。つい、立ったまま読んでいる。西村京太郎が一番人気なのもわかるような気がする。(平易、明朗、推理がキーワードかな)休み明けに、また借りる。
 と長々書いているのも、現実逃避の一端。かつ、読んだ先から内容も忘れるだろうな、と思うからだ。「研究」も投げて、気散じをしている。
1月某日 あけましておめでとうございます。ことしも ブツブツにお付き合いください。