はどそんのつぶやき2008

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6月某日 つぶれたイヤリング 

 ここ数年いちばん気に入っていたイヤリングを車でひいてしまったらしい。つぶれたイヤリングを自分の車の下に発見。 
弧を描く銅色のわくに貝の螺鈿が長方形に区切られながら入っているシンプルなデザインで、ちょっと重厚。渋く鈍く光り、スポーティな服ばかり着ている私にはよく似合う、と勝手に思っていて、どこへいくにも付けていた。

 前に住んでいた街で、ボランティアをしていたとき、お世話になったお礼にと担当の先生から頂いたもので、デパートで同じものをみかけ結構高価なものだと知って恐縮して、でも、誇りにも思って大事にしていた。

 この頃、このイヤリングの迫力に負けてきた。歳のせいもある。目尻は垂れる、口元はすぼむ。目張りを入れたメイクもしわでよれるのでできなくなってくる。覇気のある色合いの服も似合わなくなってきた。そうすると、このイヤリングのほうが強くみえ私がかすむ。
また、気力がなく背を丸くしているときは、全く合わない。元気でなくては似合わないイヤリングなのだ。最近は、エイッツと気合いを入れられるときしか付けなくなっていた。それで、いつのまに無くしていたのかも気がつかずにいた。

 十二分に使ってきた。残念、悔しいとは思わない。
あのころのご縁もそろそろ閉じてもいいよ、そんな啓示かと、ひんやり この出来事を感じた。



6月某日 残ったねじばな 

 いつも散歩で通る街道の街路樹のねかたは、雑草の天下だが、いっせい駆除の指令が出たのだろう、自転車部隊のおばちゃん達ーつまり近隣に住むシルバー人材センター登録の老女達ーがおおぜいで草刈りをしていた。
翌々日1qほどもあるケヤキ並木の根元はすっきりして土が見えていた。雑草の中に押し入って放尿するのが習慣の犬も拍子抜けのようだ。まるっぱげの土面は、なんだか悲しい。
私がその観察を楽しみにしていた雑草どうしの激しい生存競争も、人間の手で一気にチャラにされてしまった。残念な気持ちもある。

 ところが、なにもかも刈られてしまったと思っていたのに、たった一本、螺旋状にピンクの小さな可愛い花をたくさん付けるねじ花が、刈り取られずに残っていた。
見た覚えはなかった。大好きな花だから咲いていれば気がつくはずだ。もっと背の高い草が隠していたのだろう。
 鎌を持って草刈りをしていた人が、潜んで咲いていた花を見つけ、わざわざ残したのだ。この作業をしていた人の、作業指令に逆らった風流心に、私はくすっと笑ってしまった。そして とても たのしくなった。

 それから一週間、このねじ花は誰にも摘みとられず、枯れるまでそこに咲いていた。この土地の人たちのやさしさにも、また、感じ入った次第。



ナイフ、復讐、20才 (後日) 



6月某日 哲学する
「こどもはえらいえらい なんでえらい?」と絵本にある。私はいっしゅん答えに詰まる。しかし、5才の子どもは、迷わない。「けんかしても なかなおり できるから」、おお、これが正解だった。はくしゅ〜。(ますだゆうこ著『えらいえらい!』)

ウーフはおしっこをするから、ウーフはおしっこでできている?蝶一匹分とあり一匹分の命の重さはちがうのか?「オレ 犬、オマエ 人間。オレとオマエぜんぜんちがう。だけど、友達」子どもの本もけっこう、哲学してます。

平明なはずのことをむずかしく言うのが哲学書。ウィトゲンシュタインも未だにわかりません。「思考しえぬことをわれわれは思考することができない」か?
「我思うゆえに我あり。」じゃあ、思わなければ世界はないか。忘れてしまった幼少期はどうしてくれる?思っても思い出せないけれど確実にあった。ぼけてしまった老残期はどうしてくれる?なにも思わなくてもそこに居るのだし地球も確かに回ってる。(参考図書『本』6月号「思考不可能なものは考えられないか」野矢茂樹)



6月某日 交差点の花束
毎日、わくわく広場へ買い物に行くのに通る道ばたに、たくさんの花束と缶コーヒーや小さいペットボトル。ドキッツ。そんなニュースは聞いていなかったけれど、誰かがが交通事故死?



6月某日 備忘録
グッチ裕三さんと田中星児おにいさんは なかのいい従兄弟同士なんだって。へえ〜
そういえば、網野善彦と中沢新一は叔父甥なんだね。東君平と辻仁成も。甥は叔父を尊敬して、エッセイを書いているが、叔父からはどう見えていたんだろうね。父を語る本しか書けないような二世よりかは、いいけど。



6月某日 『それってどうなの主義』より リゾラバ
「駅長さん 私らて なじらね」
「やいーや、葉子さんらねっか。お帰りらかね。ばっか さぁめなったれねー。」
「おじが今度おめさんげに 勤めさしてもろてるがんらてね。お世話様らこて。」
さて、これは斉藤美奈子が新潟弁に翻訳した有名な小説の最初の会話文。おわかりかなあ。

答え:川端康成の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。・・・」の出だしで有名な『雪国』です。その中での会話は全くの標準語で書かれている。しかし、新潟県は越後湯沢駅の駅長と芸者見習いの葉子の会話は実はこうであろう、と越後語に訳しているのである。いやあ、おもっしゃいね。とたんに文学的でなくなる。
 この小説、伊藤整が「大変音楽的な美しさと厳しさを持っている」とべたぼめしているし、ノーベル賞作家の代表作なんだけど、違和感がずっとありました。出だしをパクって書いた小6のときの作文は三重丸をもらったけれど、斬新な表現はともかく何が言いたいのかわからない小説でした。(源氏もいまだにわからず)
これは「リゾラバ」よ、という解釈に出会って、氷解しましたよ。
リゾートラバー=旅先でだけの恋人。「土地のちょっといい女をナンパして疲れを癒そうとしている都会の男」のお話だから、土地言葉なんか聞いちゃいない川端さんである。島村は「よくかんがえれば ったく、ろくでもない男だぜ」と よくぞ、言ってくれました、斉藤さん。

斉藤美奈子女史は新潟市の出身。私もネイティブなので、新潟市語ではこんげなもんらろねと思います。新潟県では下越地方と呼ぶ海辺の町です。一方、小説の舞台はトンネルを越えればもう群馬県の中越地方でももっともはずれの地。ひとくちに新潟弁と言っても地域でかなり違う。同じ新潟市でさえ、新潟島と信濃川を隔てた沼垂では微妙に言いまわしが違うし、阿賀野川を越えるとさらにアクセントも山形県に近くなる(「ありがとう」は「と」にアクセントが移る)。だから厳密に言うとこの翻訳は不正確だよねえ。なんて、いちゃもんをつけたくなるが、正調 湯沢弁では、どうなるんだろうな。



6月某日 お天道さま
お天道さまがみてるよ、と小さい頃言われなかった?
こっそり、悪事をして、誰も見ていなくても、お天道さまがみてる。知っている。
欧米なら、神様というところかな。良心とも言い換えられるのかな。
本を読んでいて、この言葉にあって、なつかしかった。
ぐうたらな私も見られているか。



6月某日 雑草
うつむいて歩くから 雑草が目に入る。
だから雑草が友達。
私には友達があるもん。
便りをくれる同性の友達もいるもん。

アキハバラの大量殺傷事件。
犯人のネット書き込みを見ていると、泣けてくるね。さびしかったんだね。気持ちはわかるけれど、いじけて、自分を追い詰めて、むちゃやっちゃって。
どうしても人生がいやになったら、一人で静かに死ねよ。



6月某日 自己中賛歌
わがままで自己主張の強い人ほど長生きすると医者はいいますね。
人を苦しめながら、「私を苦しめないで」、と言う人は、長生きするんだろう。
じつは神様は長生きすることは「苦」だと、わかっていらっしゃるのだろう。



6月某日 『もりのなか』
エッツ作の『もりのなか』という絵本がある。定番だが、単色の、じみーな絵本だ。男の子が森へ出かけていっていろいろな動物に出会い行進遊びをして帰ってくる、行きて戻りし物語である。齋藤惇夫はおとうさんが向かえに来るところがミソという。なるほど、父親の出番は絵本では少なく貴重だった時代だ。sさんは、そのおとうさんが背広にネクタイなのがへん、というが、会社帰りなのだから違和感はないよ、と最近話題に出ていた本だった。
そのもりの風景は、ふとい木の幹だけが林立していて奥は深く暗い、下草は低い。梢や葉はみえないから高い木だ。こんな森は日本にはないな、湿潤な日本では根方には雑草が生い茂っているだろうし、と思っていたら、今日のテレビニュースで、北海道広尾町の森の木の根方に咲く白いオオバナエンレイソウを撮しだしていた。10年をかけて咲く花だという。で、その光景は『もりのなか』そっくりの木々で、びっくりした。さすが北海道。



5月31日 ガソリン
まったく日本のエネルギー政策はどうなっているんでしょうね。あすからガソリンがまた上がります。暫定税が復活!して、5月は高いガソリン代を払わせられていたのに。

この町はゴミの無料収集も今日まで。明日からは有料ゴミ袋でゴミを出さなくてはならないのです。
きょうは燃えないゴミ、大型ゴミ無料の最終日で、どこのゴミ収集場も、山のように「もの」が捨てられています。箪笥やら石油ストーブやら椅子やら、何やら・・・。
それを拾って使うのか売るのかしようとする中国系の人たちも早朝から暗躍しています。
うちも、さびた犬のゲージやら、民放の入らないパラボナアンテナやら、持ちきれない大量な重い「もの」を、歩いて35秒のゴミ置き場に、車で運びました。

さびたマウンテンバイクも、と思いましたが、パンクを直せば乗れる、ガソリン代が払えなくなったら使おうと、捨てるのを止めました。明日はど貧民かもしれませんからね




5月某日 『ティファニーで朝食を』から
「あなたが善きことをしているときだけあなたに善きことがおこる。・・善きことって正直なことっていうべきかな・・・規律を守りましょうみたいな正直のことじゃないのよ、自分の則(ノリ)に従うみたいな正直なわけ・・・」ホリー談
それって、主観的なものだよね。



5月某日 バター
まったく日本の農政はどうなっているのだろうね。ここしばらく街中からバターが消えていたでしょ。牛乳の売れ行き不振で、減産を奨励していた? 酪農家の廃業が増え、牛が減ってバター原料が不足したらしいです。これからもどうなるんでしょう。飼料の北米トウモロコシはバイオ燃料用に売られ、食用穀物、飼料穀物が減産になり、高騰。酪農経営はますます困難になるでしょう、国産品奨励の風潮なのに。
第一、バターの入らないマドレーヌはものたりないぞ。お商売のケーキ屋さん、フレンチレストランは大弱りだろうね、と、ここで、農政を批判しようというのではない(してるけどね)。その後のスーパーの話をしたいのである(これはわたしら主婦の領域ですから)。

はやばやと、ごめんなさいの張り紙を出して その後、マーガリンだけを置いている店は地元スーパー。

かたや、去年は298円の雪印バターを出していた県外資本の大型店は いっとき、森永バター400円のみを出していたが、いまは「お一人様一点」限りの札を出して、雪印バターも368円で出している らしい。
「らしい」というのは夕方私が行く頃には、陳列ケースは空になっているのだが、札があるからには、毎朝は並べられているのだろう。

スーパーのバイヤーの目利きの差なのか、資本力の差なのか、と 考えているところですが、やっぱり、品揃えのある店に行っちゃいますねえ。
お宅のご近所はどうですか。



5月某日 石井桃子
「きょう心が感じたことをあした頭が考える」という言葉をアメリカの子ども図書館員に教えられたのは石井桃子だったと記憶していたが間違いだったか、松岡享子だったか。
4月2日逝去の報を聞いてから文献を探しているがまだ見つからない。

この言葉は、私にとってとても重く、子どもを理解するためだけでなく、幼少期からの自分自身の人生を「理解」するのに、重要なキーワードになった。感じることと、それがなぜかがわかることの間には果てしない年月があった。最近になって、解読できたことがある。解決はできないが解釈ができるだけで、生きてきた意味があったと思う。「あした」がくるのに、2世代にわたる葛藤があった。

それはともかく石井桃子、瀬田貞二の文章は、安心して飛び込める飛び込ませられる世界でした。新しい子どもの文学の萌芽期に絶大な功績を残した方々です。(過去形) 



5月某日 またマック
マクドナルドでコーヒーとハンバーガーを頼んで100円玉を2個出したら、150円ですと言われた。エッ?
壁のプレートに2時からサービスタイム、セットメニュー150円と、あった。2時過ぎてました、おやつのつもりでしたが安いぃ〜。例の無料小冊子を一章読んで出る。他には女子高校生ひと組。
 別な日、繁華街に行ったら三越近くのマック、なるほど、70代のばばちゃんグループでにぎわっていた。どこより、安くて、ファッショナブルだねえ。



5月某日 『ティファニーで朝食を』
村上春樹の翻訳本を読む。トルーマン・カポーティ原作。オードリー・ヘップパーン主演の映画は何度も観ているが、小説は初めて。読んでいると、この主役からオードリーのイメージは湧いてこない。マリリン・モンローのほうがピッタリくる。



5月某日 本屋で
町でいちばん大きな本屋へ行く。駅裏の喫茶コーナーのあるJ です。おめあての雑草の本も、理工系→生物→植物図鑑コーナーに、たんとあるのはうれしい。
その他に、ここへ月に一度は、誰かしらに行ってもらうのは、タダ本をもらってくるためです。『本』講談社、『本の窓』小学館、『ポツーン』幻冬舎、『asta』ポプラ社 等々。『図書』は今日はなかった、残念。

 これら出版社発行の小冊子はけっこうおもしろい。個室(トイレ)で読むにちょうど良い長さのエッセイも多いし、新刊書の手引きにもなる。
今は『本』で連載している堀井憲一郎(週刊文春の「ホリイのずんずん」でおなじみ)の「落語の向こうのニッポン」を通読している。口調は軽くウンチクは深い。
 3月号は「晦日の月」だった。落語に出てくる暦は大陰暦で、月の満ち欠け周期のとおりの「夜の明るさカレンダー」だと。だから晦日の月はない(この日が新月)、15日と言えば満月、7日の夜は上弦の月。
昔の人は何日といっただけで、月の出の刻限だの、三日月だのがわかったというのは、ここで知った。
『芝浜』は大晦日、月が出ないので星がきれい。円朝の『牡丹灯籠』の7月13日は十三夜の明るい月に幽霊がカランコロン。なるほど。昔の方は周知のことだったんですね。 
 さて、6月号は『はてなの茶碗』『愛宕山』です。
  あまりおもしろくて、有料の本を買う必要がなくなるのです。



5月某日 本屋で 2
児童書コーナーに、おかあさんと子どもふたりが立ち止まってしゃべっている。
「あ、これ、なつかしい!」とおかあさん。
「ちびくろさんぼよ、わあー」とぱらぱら。
「ほらほら、とらがね、さんぼのきているものをどんどんとっちゃうの。」
「へえ」とこども覗き込む。
「それでね、とらがね、けんかしてね、 ほら、ぐるぐる回ってバターになるの、おもしろいでしょ」
「おかあさん、行こうよ」「買えば?」と、帰りを急いでいるこども。でもおかあさんしゃべりつづける。
「でね、とらのバターでホットケーキ作るの。ほら、おかあさんは27枚、おとうさんは55枚でね、
さんぼは196枚も食べるのよ 196枚よ すごいでしょ」(この枚数は帰宅してから我が家の本で確認)
「ふうんー」
解説して満足したおかあさん 買わずに帰りました。ま、お子さんは小学校中学年でしたからね。
でも、このおかあさんは「ちびくろさんぼ」がとっても好きだったのね。

岩波少年文庫の定番だった昭和28年初版のこの本を、人種差別だと事荒げた一家族の訴えに過剰反応して(と私は思うが)、絶版にしてしまって17年、長年お蔵入りになっていたのをおととし瑞雲舎が復刊したのだ。

わたしもだあいすきです。子どもにはこの本をよく読んでやったのでボロボロになってます。もっとも、私が子どもの頃読んだのはトッパンの人形写真絵本だったような気がします。



5月某日 昼飯
一人の時は残り物を食べる。
時々はマクドナルド。
このごろ、東京都心では爺婆マックと言われているらしい。100円玉一枚でコーヒーと冷暖房完備ソファー付き。缶コーヒーより安い。すみません私も平均年齢をあげてますね。でも、この辺はまだコーコーセーやチュウボウが多いです。



5月某日 大災害
ミャンマーも四川省も大災害に見舞われて、お気の毒だ。毎日テレビを呆然と見ている。のんきにブログを書いているのが悪いように思っている。中越地震の時もそうだった。安穏としているのが、肩身が狭いように思う。
若い頃、アフリカの飢餓をテレビで見ていたときも、何もしない自分が悪人のように思えた。正義感に燃える若者だったからね。しかし、あるときテレビでフランスからボランティアで行っている若者達が写っていて、夜、彼らがギターを出してきて、歌を歌って、自分たちだけの時間を楽しんでさわいでいるのを見て驚愕した。ああ、シュバイツアーもこうだったのか、ヨーロッパ人はアフリカ人と同化はしないのだ、自分たちのレベルを維持したままで、善行をほどこしているだけだから、どこへでも行けるのだ。日本人はこういう時間を持てないから苦しくなるんだな、と気がついた。
災害救助隊の皆さん、ごくろうさまでした。(成果があげられないのは行く前からわかっていたんだろうね)
こんな派遣は無意味だという人もある。たしかに一人二人助けたとしても、このまだ進行中の非常時に、あの十何台ものバスのチャーター、隊員の寝食・通訳と受け入れ側も一騒動だ。政治・外交のパフォーマンスだろう。
関わりのあるときは手を出すが、ないときは呆然と見ている。そう割り切れるようになったのはおとなになったから。でも、胸が痛いね。どこか確実に届けてくれるところに募金する位しかないかなあ。どちらの国もそれがあやしいなあ。



5月某日 機を織る人
自然の植物染料で糸を染めて機を織っている人がいた。知り合いがその人の第一号の弟子だと、うれしそうに言っていたので、名前だけ知っていた。ある会合で同席したとき、どんな元気な人だろうと思っていたのが、なんとも寂しそうな顔をしていた。陽気な空気がない。凛としているのだが、静かな諦念というか、水のようにひんやり不思議な感じがした。後年その人の連れあいが亡くなって、職場の私物を整理していた同僚が家人には見せたくないものがあったと言っていたというのをたまたま耳にした。背を向けられていた夫婦生活に耐えて機を織っていたのだろうかと勝手に解釈して、あのふしぎな風貌を私なりに がてんしている。
昔、向田邦子のTVドラマで、杉浦直樹えんじる夫が親友の妻に心とらわれて家庭にいつかず、妻岸田今日子は毎夜ひとり、手の込んだ刺繍をしている。丸いわくを張ったフランス刺繍かなにかで、布に直角にぐさっぐさっと針を刺す、という場面を思い出す。ああ、針仕事は女のうらみつらみの表現なのかと、そのとき感じていた。



5月某日 サラリーマン川柳人気投票
「円満は 見ざる言わざる 逆らわず」 (4位)
     わかっちゃいるけど・・・・



5月某日 歯医者
風邪と腰痛で休止していた歯医者通いを再開しはじめている。抜かねばならない虫歯があるのだが、昔とまた別に、なんとなく歯医者は行きたくないモードが強い。あのガーガーやられる治療がストレスで歯医者がいやなのは昔からだが、もう一つ、めげていたことがあった。(感じることとそのわけを理解することとは時差があること、痛感する日々だ)

治療台に寝ている患者と医師の距離は数十pだ。目の前にすぐ、顔がある。ここの女医さんも若いが、職員の看護婦、技師の女性は、みな20代前半とみた。そのきめのこまやかな肌、美しい眉、おしつけられる胸のふくらみ、恋人同士でもなければ、他人とこんなに近づくシチュエーションは他にはないよねえ。男性患者の感想も聞きたいものだ。

ほんとに美しくうっとりするのですよ。うっすらと丁寧に化粧されて、皺ひとつなく毛穴も見えないトロリとした肌。化粧品売り場の厚化粧の店員さんよりきれいだ。肌美人を採用条件に入れているのだろうか。よく手入れされた柳の眉。マスクをして口元は見えなくても目元メイクの涼しいこと、白目さえ澄み切って美しい。若さはすばらしいなあと、思わせられる。そして、その全部が自分には、もうないことも突きつけられるのだ。



5月某日 ケータイ術
「「12345」」と入れる場合、「漢字・かな」の画面で12345と打って、アドレスキーを押すと、12345の全角、半角が即座に出る。簡単だ。」

へ〜。私も知らなんだ。そう教えてくれたのは遠野の「まだ74歳じゃん日記」さんのブログ。
歳にめげず(ときどきめげているところも共感してるが)、ちゃんと生きていってる先達



5月 母の日
私も母だが、私の母も生きている。もういいだろう(つまり敬老の日だけでたくさんだと)と心では思っているが、止めるきっかけがなくて、母の日にプレゼントを贈るのを続けている。
まずは真っ赤なカーネーションの花束。母はもらった花の半分を近くに住む同級生に持っていく。毎年待たれているので止められなくなってしまった。
ことしは靴を贈った。靴屋の奥さんはまだ靴を贈れるなんてスゴイですねえ、と言った。なるほど、年寄りが寝たきりになれば靴もいらないわけだ。足が悪いのなんのと言いながら北海道旅行はするし、乳ガンの手術はしてもケロケロしていて、どうも私より長生きしそうだ。いいのかわるいのか。

義母は、結婚後数年してなくなった。母の日に何かした記憶はない。夫に誕生日を祝ってもらったことのない私であるから、そういう習慣のない家だった。
大腸癌だった義母が最後を迎えたときは病院でつきっきりで看病していた。2才の誕生日を迎える娘は実家に預けっぱなしだった。歓迎されない嫁で結婚式にも来てもらえなかった。それでも、大恋愛の末結ばれた(と思いこんでいた)夫の母だから、愛する夫を産んでくれた人だから大切にしなければと、なんの苦もなくつとめられた。末期になりウトウトする日が続いて口がきけなくなると、医師も看護婦も親戚も義父も、この母の意思というものがないかのように扱っていた。が私にはそうは思えなかった。話しかけて目のまばたきで返事を促したり、50音図を作って目で追ってもらって会話をした。その頃、国粋主義的な新興宗教の支部長をしていてお説教の好きな人だったが、教団の人が見舞いに来ても会いたくないと意思表示をする。誰に会いたいのですかと聞くと「あね」、をさす。あんなもの本当に信仰していたわけではなかったのだ。何かして欲しいことは、と聞くと 「し」を指す。なんどもなんども。答えられなかった。死をおそれていると気づいて怖くなった私はそれ以上会話を続けられなくなってみんなと同じようになでたりさすたっりだけしていた。いまなら、大丈夫、みんな待ってますよ、先に行ってください後から行きますよと勇気づけて送り出せるけれど。息が途絶えても、医師を呼べばもどると言われていたので迷いもなく心臓マッサージをしていた、しろうとなのだが。
今はあの頃のように純粋に誠実に看護はできない。今、寝たきりの義母を世話していたとしたら、かなり残酷な扱いをするんじゃなかろうか。早くなくなってくれて良かったと思っている。その歳もとっくに過ぎてしまった。母の日になると毎年考えてしまう。



5月某日 この人も
朝、テレビをつけたら、安野光雅がでていた。『三国志』の絵本を描いているという。美しいなあ。しばらく見ないと思っていたら、今82才で、癌だったという。放射線治療などをして、お元気に。1968年の『ふしぎなえ』に出会ってからのファンで、数学への造詣に驚かされながら、こどもといっしょに楽しんできた。老いてますます深く、ますます盛ん。かくありたし。



5月某日 需要が値段を決める
冬物衣類をしまおうと、衣装ケースを買いにスーパーへ行った。今まで使っていたものが、京都新潟間を何往復もして割れてしまったのだ。これは、狭い1DK暮らしの娘が、端境期の衣類を実家に保管してもらうためにキャッチボールするとき用のもの。私はといえば、まだ寒い時はストーブを焚いてるので冬物半分着用中です。まあ、オーバーコートとよそゆき(古い言葉です)はクリーニングに出しましたけれどね。
30pのものが498円と大きな札が出ていた。安い。10年前には2000円はしたし、もっとがっしりしていた。ペラペラと薄っぺらになって心もとないが他に選択肢はない。これ一種類しかないのだ。どこのスーパーもこういうふうに、売れ筋商品一種類だけ置くようになってきましたね。
ついでに、20pの浅いものも買った。これは598円で、びっくりした。小さいのに高いのぉ〜? 店員さんは私の驚きに「需要の多いものは安いんですよ」と申し開きをしていた。



5月某日 ぼやき
ぼやいて、うさをはらして、すっきりする。
ぼやき聞いてもらって ありがとう、



5月某日 佐野洋子さん
私がいちばん好きな作家だ。工藤直子さんも好きだが、こちらは心は書いても軽やかで、命がけでない気がする。二度もお会いして生身の人間としては大好きだが。
ずっしり重いいつも命がけの洋子さんは、6月に70才になる。癌が転移して余命2年と言われて1年が過ぎたと新聞に書かれていた。ドキッツ。「・・昔から死ぬことがぜんっぜん怖くない。・・」とけろけろと語っている。
私は、20才過ぎは余生と思っていた。50才からはなお、生き続けることに希望が持てなかった。だが、持病は腰痛だけで、なかなか死ねない。  いいな、ちゃんと死ねて。
せめて今の洋子さんを見習って、ごろ寝読書し、ゴロ寝テレビでくだらない番組を見、びっくりするおもしろいことを見つけながらすごそう。



5月5日 こどもの日
祭日としての「こどもの日」制定の趣旨には子どもの成長を願い人格を尊重し・・という文言とともに「母へ感謝」の日であるとも書かれているんですって。(by ビタミンラジオ)



5月3日 憲法記念日
アメリカから押しつけられたから悪いと改憲論者は言っていますが、軍隊を持たず戦争放棄を明記した平和憲法は比類なきすばらしい憲法だと思います。参戦するばかりが国際貢献ではないと思うのです。日野原重明先生と同意見です。96才の先生がおっしゃるように、18才の若者達にも参政権を持ってもらい、未来を自分たちが選択できるようにすれば、投げやりな今の風潮も変わるのでは。



5月1日 ガソリンスタンド
30円もの値上げ。開店休業の様子。



4月30日 給油
自民党・公明党が、道路特定財源暫定法案を参議院で否決したものを見なし衆議院に差し戻し、再度可決した。明日また上がる。そこで、きょうは給油に行く。行列してでも給油。家計のためというより、国の政策に対する反旗。



4月28日 恐れていたことが
秋田で白鳥からH5型の鳥インフルエンザ菌が発見された。ついに渡り鳥がインフルエンザを運んできたのか、この町も白鳥はじめ渡り鳥の宝庫だ。養鶏場も多い。危険だ。自然との共生も無邪気に喜べなくなる。
でも、あれ?何で今頃、本土に白鳥がまだいるの?続報を待とう。



四月某日 今月の読書:古典
『古事記』
『日本書紀』
朝鮮との関わりを探して、拾い読み。
スサノオは高天原を追い出されてその子、五十猛神をひきいて新羅国に下りソウルをひらき、そこから日本の出雲へ、という説が載っている。
これは『江戸の町は骨ばかり』に、新羅の牛頭山のスサノオを祀る牛頭神社の、牛頭はソウルと同義という解説からの原典の確認。江戸には牛頭天王をまつる寺社が家康以前からあった。ちなみに祇園も牛頭神社。
子どもの宿題に「東アジアと日本のつながりを調べる」というのがあって、これは文書的には最古かなと思う。おもしろいね。    最古の文書ということから
『日本の偽書』という本にも出会う。
藤村氏の旧石器偽造事件はまだ生々しいが、あれに準じるような周囲の期待に応えるように創作していく偽書の成立過程を実証している。『先代旧事本紀』『上記(うえつふみ)』『竹内文献』『秀真伝(ほつまつたえ)』などなど。神代文字というものを初見。ハングルのよう。
ただし、著者がはじめに、縄文時代に500人も住む都市があったとする説を虚偽としている前提には反論あり。
だから、この本も疑いの目をすてずに読んだ。



4月某日 今月の読書: あいかわらず保阪正康
『皇后四代』
『特攻と日本人』
『昭和史入門』
『一期一会』
@するどいこの作者にしてもさすが菊のカーテンの対しては筆が緩い。それでも明治天皇が多飲多色で政務がおろそかになっていて皇后を女帝にたてる画策が政府にあったことを書いている。女帝論は今に始まったことではなかったのだ。
明治天皇の正室美子に子がなかったので大正天皇は側室柳原愛子の子。その皇后節子もまた公家の側室の子、農家に育つ。健康で聡明と言うところを美子皇后に目を掛けられた。しかしお二方とも側室制度は苦々しく思われたのでは。大正天皇も昭和天皇も側室をもたなかった。昭和天皇にながらく男子が産まれなかったときも節子皇后は側室について反対され、天皇も「人倫にもとる」と排除された由。



4月某日 今月の読書: 江戸本また
『家康はなぜ江戸を選んだか』岡野友彦 著
『江戸の町は骨だらけ』鈴木 理生 著
『仮面をぬいだ家康』小林久三 著
  博物館員のレポートから推理小説までいろいろ。江戸は奥深くおもしろい。
@浅草寺は推古三六(628)年の創建。古代から東国の中心地であったし、平安時代は伊勢神宮の荘園が各地にあって、海運・物流の拠点であった。中世には・・・と家康の江戸開幕以前も江戸はただの芦原ではなかったとか。
A 江戸の町が拡大するにしたがって寺社は郊外に移転、しかし墓地・死体放置所の地下施設は放置されたまま。その地はほこら(稲荷など)、寺社としていたものが近年の大規模開発では無視されている。あながち「学校の怪談」は荒唐無稽ではないとか。
お江戸に多いものとして「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」というのが どちらにもでてきて、ゆかい。
B徳川家は秦氏の末裔で、秦氏は大陸からの帰化人それもシルクロードはるかイスラエルからの流出民、つまり江戸幕府はユダヤ政権というのはご愛嬌。


4月某日 『星新一 1001話つくった人』読了。
600ページ。おもしろくてなつかしくて一気読み。感想はのちほど。



4月某日 一般財源化
車に乗っているときのこと。前を行く郵便局のトラックに「ガソリン税の一般財源化 反対!」のステッカーが。あれ? ガソリン税は特定財源化はやめるけれど一般財源化して今まで通り徴収すると言うことだったの?道路建設費は一般財源から出すということではないのか?それじゃあ、安くはならないということじゃないですか。道路族は反対しているけれど政府としては名目が変わるだけで徴収できる税金は減らないわけだ。また騙されそうだね。 民主党はそれでいいの? 安くしてよ。



4月某日 漂白
クリスタルガラスの皿を漂白剤に付けた。うすぎたなく茶色になっていた花のもようが透きとおって元通りきれいになった。3人家族で2枚よけいだからと友人からもらった重い高級な皿。あっちでも漂白してるかな。家族の人間関係にも効く漂白剤が欲しい。
人間はなぜか回復していくと言ったのは大江健三郎だったっけ。大丈夫だよね。



4月某日 刑務所行き
図書館でのこと。小学校や保育園など、あちこちに貸し出す本の入った箱が重ねてあった。「刑務所行き」と書いてある箱もあった。ちょっとドキッとした。



4月某日 スーパーの駐車場で
私の車はどこだっけ、と今日もウロウロ。1000台収容のパーキングだから、は言いのがれ。



4月某日 スーパーで
ロシア人の自転車部隊が買い出しに来ていた。港はチャリで30分以上かかるはずだけど。タフだなあ。これはたいてい船員さん。レクサスに乗っている人や、スポーツジムに親子で来る白系ロシア人も見かけるたりする。これは車のバイヤーかな。ここは貿易港はあるが片田舎。ロシアに富裕層がでてきたのを実感している。



4月某日 スーパーのレジ袋
を作っていた業者さんは廃業?大赤字?
私もマイバックを持っていくようにしているが(これは買いすぎ防止効果が高い)、人ごとながら、ちょっと心配。
昔も今も、合理化というと人員整理だ。今まで安泰だった人が首になる。レジ袋問題もどこかが倒産するのでは。

今、ペットボトルはゴミ収集では持っていってくれない。スーパーの収集箱に入れに行く。リサイクルにご協力だから面倒でもしかたない。夜のニュースで、この古い容器を集めた自治体は中国に売っているという。国内の業者はこのリサイクル運動をみこして大規模な設備投資をしたのに稼働させられず大損しているという。なにかへん。



4月某日 民主主義
日銀の総裁がやっと決まった。総裁の不在がつづいて日本の金融はストップしたか、 しない。
国際会議(G7)にカッコつかないから急いで副総裁を繰り上げた。それで、困らない。
欠員になった副総裁は、野党のゴネでまた空席になる。このへんは協調してもいいのにとも思う。
 こういうことをいうと田舎のおばさんが何を偉そうにと言われるが私は一国民様である、この国は国民主権の国じゃ。税金を払っていなくても男でなくても参政権がある。その一国民様が国政に「自分なりの」見解を持たなくてどうする。この国は人権を大切にするし、人命を軽視しない。どこかの国のように大統領の命令で暗殺されたり粛正されたり、はたまた15万人も戦争にかり出されることはない。
民主主義がこれほど機能している国はない、と松藤民輔も言っていたが同感。



4月第1水曜日 給油
4月からガソリンの暫定税が失効になった。税金分は25円。安くなるのは何でもありがたい。すでに買い取ったガソリン代は税金分を含んでいるからすぐに25円安くはならない。けれど、競争の激しいこの界隈は即日20円下がってレギュラーガソリンは127円になった。あと5円安くなるまで待つつもりだったが、今日は水曜特売日で4円安くなる日。ええい、ガス欠になっても困る。1円あきらめて、満タンにしてきた。

1円2円にもケチケチ倹約しないではいられない倹約妻です。旦那様の給料で喰わせていただいている身ですからせめてこれくらいはと。かおり醤油はBスーパーが40円安い、明治ブルガリアヨーグルトはUスーパーが20円安い、と日々健闘しております。(で、貯金が貯まったという話にはならないのは、どこかに漏水があるわけですが、まあ、それは内緒)
味噌も醤油も小麦粉も値上がりなんですよね。報道には出ないけれど当然「食用油」もかしら。また値段調べをし直さなくちゃ。



4月1日 エイプリールフール
「4月バカ」で誰かを引っかけてやろうとウキウキしていたのはいつ頃(歳?)までだろうね。今日からガソリンの値段が下がったけれど、だからこのままずっと、なんて冗談も通用しない世の中になってしまった。つまらない。

外国のテレビニュースではペンギンが空を飛んだという4月1日ニュースがあった。氷山の上を跳んでいるところまではエッとおもうけれど、熱帯雨林の上を跳んでいるのを見るとああ、エイプリールフールね、CGねと合点します。それにしても、ペンギンが群れなして空を飛ぶシーンは胸のすく、すてきな映像でした。



3月某日 春めいて
外を歩く人は、綿コートやTシャツ、トレーナーなので、私もいちおう、季節に合わせ(年寄りっぽくみえぬよう)薄いウインドブレーカーを着て、スーパーに出て行くが、中にはしっかりウールのセーターを着込むこの頃である。うちだけ冷えるのかなあ。歳だからかなあ。
ともかく日ざしは日に日に明るくなって、冬中締め切っていた窓硝子が曇っているのが目立ってきた。水を掛けて洗わねば。庭にはりついた落ち葉も集めて捨てねば。天井際のほこりも取らねば。オーバーコートもクリーニングに出さねば。今の家は以前の家のように桜(お花見の宴の準備で泣いていた)がないだけ、のんびりしていられてマシだけど、気ぜわしい。腰も治さねば。・・・・まず、プールに行こう。



3月某日 中国製食品
 野菜の産地に住んでいる利点もあって、地産地消の美味しい野菜にめぐまれている。それで以前から、スーパーの売り場に並んでいる中国産野菜は買わないですんでいた。外国産野菜・果物はどうも信用できないのもある。果物は、虫が付かないようにと(アメリカから来るグレープフルーツでさえ)、白い粉を吹くほど防虫剤が掛けられている。野菜は、国産のキャベツでさえ、収穫前2週間は農薬禁止といわれていても守っていない苦い葉っぱもあるくらいだから、外国産はなおさら中国産はなおさら信用ならないと思っている。

 先日まで中国産野菜は売り場にあふれていた。何しろ安い。国産の半値以下である。倹約せねばならない人(ほとんどの国民が含まれるだろう)、外食産業、病院・学校給食では、当然これらを使っていただろう。とてつもなく安い青々とした絹さや、ショウガ、竹の子に、私も心動かされたが、うまさ第一健康第二と、意地で買わないでいた。(そのため、うちのエンゲル係数はとても高い)
冷凍加工食品もほとんど使わない。素材を自分で冷凍するくらいである。
だから、生協で農薬入り餃子が見つかっても、うちには関係ないね、と笑っていた。しか〜し

加入している生協から、中国製造食品の取り扱い中止案内といっしょに、中国産原材料商品リストが届いて驚いた。
牧場産直の山形県産ウインナーの羊腸は中国製とある。三重県産のレトルトミートソースの玉ねぎ、人参、トマトは中国製。タイ製の野菜と果実のミートソース缶の玉ねぎ、人参、にんにく、これも中国製。愛知県産のミックス豆の缶詰のレッドキドニー?も中国製とある。あれれ、わたしも中国産とは無縁ではなかったのである。

 私は使っていなかったが、新潟県産シーフードミックスのたこ、新潟県産笹団子のあずき、兵庫県産ふき土佐煮のふき、香川県産の純正ごま油のごまも、中国産であった。
日本の食品産業はどうなっていくのだろう。食品の国産自給率は飼料も入れると30%以下と言われている。やっぱりこのままではいけない、なんとかしなくちゃね、福田君。安全と自立これが課題ですが〜よ。



3月某日 マイバック
百均で、ナイロンのマイバックを買いました。けっこうおしゃれな袋です。ルンルン。なのに買って一週間、車に積んだまま忘れててスーパーで袋をもらっていましたわ。さらに一週間バックに入れているのにぼーっとレジに並んでいてレジ袋をもらっていました。♪老化はすすむーよどこまでも〜♪のぼけなすな私です。で、やっと今週から、使い出しました。20ポイント溜めると100円引き。スーパーのはしごも倹約の手になりました。節約節約。

ある日、「レジ袋入りません」の札を篭に入れて精算してから気がついた、マイバックが入っていない!しかたない、その日は少ない買い物だったので、ハンドバックにぎゅーぎゅー詰め込みました。汗汗!



3月某日 スーパーで 3
これもレジに並んでいるときのこと。前の人の篭の色が違う。そして「レジ袋いりません」のカードを入れている。レジ係はこの篭に買ったものを戻し、「精算済み」と書かれている10p幅のシールを篭に貼りわたす。ああ、マイ篭なんだ。30代の兼業主婦とみた。かっこいい。



3月某日 スーパーで 2
これもレジで並んでいるときのこと。前にいたのはサラリーマン風な好青年。手には何も持っていないのにレジ前に置いてある「レジ袋いりません」のカードを篭にポンと放り込む。サービスカード(20ポイントたまると100円引きになる)にハンコを押してもらっている。何に入れて帰るんだろう、いろいろ買っているのにと、ふしぎに見ていた。とうとう、ポケットから袋を出すこともなく台のところへ篭を持って行く。そして、そばに置いてある「お持ち帰りご自由に」のつぶした段ボール箱を出してきて、ガムテープで元の形に戻し、買ったものを入れて颯爽と帰って行った。かっこいい。

エコは義務とか運動とかでなく、かっこよさを広めれば、身につくんだろうな、若い人も。それとも、若い人の方がケチケチ精神が徹底しているのかな。うちもかっこいいエコを考えよう。



3月某日  スーパーで
レジで並んでいるときのこと。私の前で、精算していた年の頃は70くらいのおじいさん、がま口を出したのだが硬貨しか入っていなかった、足りなかったらしい。それを台に置いて、急にズボンの前をあけ!肌着をまくり上げ、腹巻きに手を突っ込んで、そこから布袋を引っ張り出す。股旅の木枯らし紋次郎が持っているような紐付きの細長い布の財布だ。あれをくるくるっと開けて、そこから、4つに折り畳んだお札を出し、伸ばしてレジのお金皿に置いた。私はあっけにとられ何が始まるのかと見ていた。レジ係は平然と待っていた。平均年齢の高いお客が多いスーパーだから、慣れているのかな。
みっともないんだけど、なんだか、かっこいい。こうやって暮らしてきたんだ何がわるいという頑固な日本人をみた。



3月某日  宮本常一:著
去年読んでいちばん感銘を受けた本は『忘れられた日本人』(岩波文庫)。
民俗学を高所から文献的に語るのではなく、伝承者達=老人たち自身が語るにまかせた聞き書きに徹している。しかも名もなき常民たち。日本を司る人々を描く歴史書には出てこない、ほんとうの庶民の暮らしの歴史がわかったように思う。



3月某日 凛とした生き方
ニューヨーク州知事は おやめになるしかないだろう。売春組織を摘発して名声を得ていた人が、自分もそこで遊んでいたとは、子ども達に申し開きができない。清濁あわせて飲みこむのが大物政治家というけれど、首長になる人には高潔でいて欲しいと私は思う。たとえば作文の表彰状をもらう子どもがその人から喜んで受け取れるかどうか、その辺が基準じゃないだろうか。
 どこかの高校長のように卒業式で、人とのつながりが大事と立派な訓辞を述べながら教え子と不倫(?)していたとは(脅迫メール云々はおまけだ)、子ども達のおとな不信感を加速させてしまっただろう。
 女性問題で2か月で解任された首相がいた。これも子どもに説明をしかねる事態で、みっともなかった。
同じく首相で、奥さんが義父に不純異性交遊を迫られて夫に訴えたのに聞き入れてもらえず自殺した過去を持っていても首相になった人もいたが、そういう毅然としていない人は嫌いだ。
 不適切な異性関係がばれて世間の物笑いになった夫と離婚しないで、その地位を利用し出世をもくろんだ某大統領候補もどうも好かない。国民皆保険制度を作りたいというのは評価するのだけれど。

そうはいっても、恥もなく綻びもなく生きている人は少ないでしょう。我が身は、毅然としているか・・凛として生きているか・・・いえいえそうではありませんので、人の上には立たないようにしております。



3月某日 いじけ虫
物覚えが日に日に悪い。文章を覚えられない。数字を覚えられない。本を読んでも中味も題も作者も忘れる。絵画鑑賞したってどうせ忘れる、美術館へ行ったって無駄だ。音楽を聴いてもどうせ忘れる。コンサートに行ったっ無駄だ。.ゲームに挑戦しても、クリアできればいいがさっぱり進展しないし逆戻りもする、羊水だけでなく脳も腐っている。編み物・手芸をしたってろくなものはできないし使いやしないし、あーあ、無意味だ。化粧をしたって美しくならないし、服を買ったって貧弱な体に合わないで服に着られてしまうし、みっともない。私なんか何の価値もない・・・と思い始めると何もする気にならないのであります。
ときたま、人のためになることを見つけては、えいっと動く。励まそうなんて思うとえいっと動ける。人にためになぁんていったって、それは自分へのいいわけでありますな。



3月某日 選手交代
さしもの大風邪もようやく治まってきた、というより引き続き家人が風邪っけになったので、選手交代、犬のお散歩係になる。足もなんとか動くようになっていた。これも家事をさぼっている療養生活のおかげでよくなっていた。歩いていて驚いた、空気が暖かい。おまけに空が黄色くかすんでいる。杉花粉か黄砂かどちらだろう、確実に季節が変わっている。そうだ、3月だもの。ずいぶん長いこと甘えさえてもらっていたね。ありがとう。



3月某日 マラソンまた
名古屋女子マラソンで入賞できなかったQは北京オリンピック代表選手になれなくて残念だというニュースが流れている。一位だった中村友梨香より扱いが大きい。試合前も記者会見に大勢集まっているのにQだけを撮していたが、これも公平でないと思う。ブランドものに身を包んでスター気取りなのも、歯茎をむき出してニッと笑うのも私は好かん。プロ第一号とはいえアマチュアと土俵は同じ。扱い方は卓球のI もしかり。次から次に出てくる若い選手をもっと取り上げてやって欲しい。(虚弱なくせに、マラソンランナーががんばっている姿を見ているのは好きな私である)



2月某日 ふじわらあらた
東京国際マラソンで2位(日本人1位)になったのは一般参加選手。2時間8分40秒、去年のタイムを30分短縮なんだとか、快挙!!こういうのさわやかだね。東京は青空の気持ちのいいマラソン日和。こちらも青空は出ているが道路がガリガリ凍っている、マラソンは辞めておきましょう。(テレビ観戦中)



2月某日 『私がひきこもった理由』
ヒッキーにすすめられて読んだ。何もできないでいる人たちの苦しさが、はじめてわかった気がする。ヒッキーたちの生の声を集めたインタビュー集。編者田辺裕はひたすら聞き役にまわっていてやさしい。さわやかな読後感がある。あとがきで「この時間はせっかく得られた貴重な時間」「・・・楽しいことのないという人は、何か探してみればいいし、自分を好きじゃないから何をしても楽しくないと言う人は、自分を変えてみればいい」という。そうだね。そういう気持ちが湧く日まで待てばいいのだね、自分もまわりも。



2月某日 保阪正康に凝っている
『真説光クラブ事件ー東大生はなぜヤミ金融屋になったのか』で、夢中になって以来。(キーワード 人間不信は信じたいの裏返し 東大 三島由紀夫事件) 
次は『あの戦争は何だったのかー大人のための歴史教科書』(新潮新書) 日本史を受験科目にしていたがこの辺の微妙なところはわからなかった。日中事変から大東亜戦争、そして日米戦争、対ロシア戦争の流れがやっとわかった。昭和天皇の立場と思考が、ちょうど『太陽ー天皇ヒロヒト』のDVD(主演:尾形イッセー)をみた直後だったので、生々しく感じて感慨深かった。

『真説・・』の主人公の山崎晃嗣(あきつぐ)は東大生。医者であった木更津市長の息子で、東大医学部教授になることを期待されて育てられたが挫折。学徒動員で入れられた軍隊では理不尽さに遭う(私的制裁やもみ消し、責任転嫁などで人間不信に)。法科で全優をとって教授をめざすが、挫折。ヤミ金融に騙されたことでこの世界を知り、欲に駆られた人間の浅ましさをを逆手にとって同じ手法で、契約第一主義の投資会社をひらき暴利を得る。しかし、秘書の愛人の裏切り(税務署員の恋人のスパイだった)で、資金繰りが付かなくなり官憲に摘発され自殺した。当時アプレゲールの典型としてマスコミに取り上げられ、時代の先端を走り、冷徹で金と女に不自由しなかったようにいわれているところは、近々のホリエモンを思い出させる。で、実像はどうなのか、はとても興味を引かれた。

ノンフィクション作家の保阪は地道な取材・インタビューを通して、その疑問を解きあかしていく。そして山崎の素顔がもっとナイーヴなことを知る。家族の過度な期待につぶれ、天才的な自我をもてあまし、軍隊の非人間性に、深く傷ついていたことを明らかにしていく。

偽悪的で人間不信の塊りのようにみえるが、実は、人を信じて生きたい思いの裏返し言行だったと論じているのは感動的だ。母へも裏切られた思いと憧憬の両極面をもっていた。だからこそ女性に対して処女性と純真さを求めていたのだがそれも裏切られている。そして、同期生だった三島由紀夫とは交流があったのではなかったか、山崎をモデルに書いた小説『青の時代』はかなり核心を突いていると著者はみる。山崎が自殺した11月25日に、奇しくも三島も自決している。

摘発されたのも、東大卒が多くを占める官僚組織から、東大生がこういうことをされては困ると、GHQのヤミ金取り締まりのスケープゴートにされたのではないかと。
では、ホリエモンもスケープゴートか。エリートコース出身でなかった田中角栄もやはりスケープゴートだったのではないだろうか、と思った。



2月某日 冠婚葬祭
今週は結婚式と葬式があった。同じ服を着て出かけた。
親戚の結婚式は行きたくなかった。体調の理由だけでなく、ひがみとねたみのマイナス感情を克服するのに時間がかかった。今は、やっと乗りこえた。行ってみればたのしく過ごせた。いい人たちだから。

亡くなったのは、中学の同級生。突然の訃報だったが 死因は癌。
10年ほど前にご近所に住んでいた高校の同期生が癌で亡くなっていて、そこから今をときめく「千の風になって」が誕生したのだが、当時は地元を離れていたので、知らないでいた。それで、同年配の葬式は初めてだ。もうそういう年になりましたか、と粛々と受け入れている自分がいる。
彼女はこれもご近所で仲のいい友だった。九ちゃんでなくヤッチンのファンクラブに入っていてニュースを供給してくれたり、絵が好きで一緒に自分の左手のスケッチをしたり、私は彼女の家に入り浸っていた。彼女は美大に行った。好きなことを貫けてうらやましかった。何年あわなくてもふっと元に戻れて、結婚後も行き来していた。中学の同級生どおしの結婚だったので、葬儀は男子も女子も出席する同級会になった。45年ぶりの再会に、誰が誰やら顔はわからなかった。
彼女は、日だまりのような明るいオープンな人で、街なかに食器や小物のしゃれた店をひらいていて、そこはみんなのたまり場になっていた。この数年、私は自分の不調から距離を置いていながら、いつか談笑する日を夢見ていたが、かなわぬまま逝かれてしまった。
弱音を吐かず、家族が和やかにささえてくれ感謝感謝でみまかったそうだ。かくありたし。  ただ、最終医療現場は疑問符のつく土佐清水病院。しあわせ感でよしとするか、私にはできない。通夜だけ列席した。



2月某日 北畠(経済産業省次官)さんへ
バカで浮気で無責任なわたしですが、この不景気、どうにかしてください。



1月某日 『妖怪大談義』をよむ
京極夏彦の対談集、水木しげる、夢枕爆、中沢新一などのほか、民俗学者、歴史学者との対談がおもしろい。遠野物語、柳田民俗学の話はとくに興味深い。


1月某日 持病
げっぷはOK せきはダメ。
おならはOK くしゃみは敵。

えらく気張って年頭の辞を申し上げましたが、腰痛がぶりかえし、志はみじんに砕かれました。

「最悪を10とすると今いくつ?」と整骨院へ行くといつも聞かれていましたが
私の10はトイレに這っていった15才の夏。あれを思えば、
寝返りが打てないの、まっすぐ立てないのと言っても今回は4程度です。
将来的に少しずつ悪化するのも覚悟はできているし、経過がどうなるかもわかっているので、あきらめも待ちもすんなり、引き受けていますだ。3日間の安静の後、やや、痛みは軽減し、水泳に通うはずのスポーツジムに高級マッサージ器を使いにだけ通い始めています。

「幸せ」は一本棒を抜かれてはじめて気がつく後追いの感覚。



1月某日 幸せの一歩手前
「辛いは幸せの一歩手前です」とラジオで、(あの鑑定団の)北原さんが言っていた。ああいい言葉ね、と言ったら家の者に昔からそう言われているよ、と言われた。「人という字は人と人が助け合っている字だよ」と言い返したら「一人で立っているとも言われているよ」とまた言い換えされた。負けないよ。「大丈夫という字は人が三人いればだいじょうぶと言う字」だとも北原さん言っていたよ。あなたのまわりには3人はいるよ。



1月某日 遅々と
えらくきばって年頭の辞を申し上げましたが、直後にゲリピーで、水泳どころではありませなんだ。大言壮語。赤面赤恥。体力・脂肪力のない骨身はかなしいです。なんせ、プールに通う方は、やせたいという豊満な笹団子体型のおばちゃんおばあちゃんが多いので、その反対の願望をもつ当方は、ふだんから隅っこで小さくなっていますが。



1月某日 着々と
きょうは500メートル泳ぎ歩きをする。途中で疲れて水を飲んでむせた。無理は禁物。
なにしろ、体力作りをしようと思い立ったときはいつも、体力気力がもっともレベルダウンしているときなのだ。「♪わか〜ものよ〜体を鍛えておけ〜美しい心がたくましい体にからくも支えられる日がいつかは来る、その日のために〜♪」もうわかものではないけれど、あの歌を思い出しては力を振り絞る。
誰も助けちゃくれないさ、自分で自分を助けなくちゃあ、「天は自ら助くるのを助く」のだ。もうだめだと泣き寝入りはしないと決めた。あと何十年かはこの中古品の体とつきあって生きていかねばならない。神社に初詣に行ったら、こう祈ろう「私が私の力を出してがんばれるように八百万の神様、見守ってください」と。