はどそんのつぶやき2008ー2

いかり・くどき・おもにぼやき・どきり・かんどー・しったかぶり・かくしごとあり・ほらハなし

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12月某日 『遠野物語』を読んでいる
子ども向きの小説『デンデラノ』(これは未熟小説で、読み終わってもんもんとしていた)の流れで、図書館でたまたま返却コーナーにあって、手にとって、パラパラめくったら、この小説に出てきた猿の経立(ふったち)、デンデラノ(老人遺棄の場)の言葉に遭遇して、天啓を感じて借りてきた。寝ながらぼちぼちだらだら読んでいて返却期限を過ぎている。偶然のつながりで読書が広がって行くのはおもしろい。
もちろん、かの柳田国男の民俗学出発点の著作。昔話研究の端緒でもある。おもしろそうだが、進まないのは私の知力減退のせい。



12月某日 ガソリン価格
97円だった。今月三回の給油で毎回、料金が違っていた。下がってうれしい花いちもんめ。でも、
イスラエルがガザ地区に空爆しているから、また油が上がると新聞は言っています。よーわかりませんが、グローバルな世の中です。
180円時代は、車に乗らないように家にこもって節約していました。せっぱ詰まってはいないのですが、なんとなく乗り回すのが悪いような気になりますよね。古い自転車も数回活躍しました。でも、安くなったからと言って、往来に車が増えている感じはありませんねえ。
(追記:カード会員は95円でした。これが 最低値段になるかな)



12月某日 大掃除まだ
この数ヶ月、掃除機を手に持っていない。必ず腰にひびくからだが、週一回掃除してくださる人がいるので、それで良しとしている。体が大事、ほこりで死なないよ、といいながら咳き込んでいる私だ。
庭の落ち葉もまだ、残っている。ありがたいことに、今は雪の下に隠れている。
窓硝子も拭いていない。暖房用プチプチで汚れも隠れている。
私もそんなもんよ。



12月24日 聖夜に夏衣類整理
押し入れから透明プラスチックケースの冬物を全部出して、篭に積み重ねていた夏物を、空になったケースに入れ替えた、いまごろ。
防虫剤の匂いで咳き込むからとか、理由はあるけれど、つまりはモノグサ。



12月某日 生きる意欲がなくなる法律
ことし76才になる叔母が、歳はとったけれど余り気にならなかった、けれど、ことしは、高齢者を二分して後期高齢者といわれると、もう生きていてくれるなとお国に言われたようで、がっくりしたという。いくつになっても夢と希望はほしいよね。



12月某日 しわしわ
梅干しばばあになっちゃった。
体重はあまり減らないのに、引力にひかれてか顔はげっそりしわしわになった。そして腹回りはやっと人並みに中年太りっぽく、ぽこんと増えた。下半身げっそりの原因の下痢をしなくなったのはヤバイ食品(肉、脂、牛乳、みかん)を避けているからでもあるが、おなかに肉が付くのはありがたい、Sサイズのズボンが止まるようになった。脂肪は内蔵を守る砦だなあ中年太りは有意義なんだなあと感動する。



12月某日 薄着ふう
ユニクロの綿のTシャツを3枚重ねしている。丸首、タートル、タートル。それに薄いウールのベストを着る。けっこう暖かい。私はユニクロの株価向上に貢献しているなあ。



12月某日 バスに乗る
120円用意していたら、200円だった。何年乗っていなかったのだろう。10年?



12月某日  ♪自分のためのメモ♪ うた
Freude , schöner Göt terfunken
Tochter aus Elysium,
Wir betreten feuert runken,
Himmlishe, dein Heiligtum.
Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menscen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.


歓びよ、美しい神々の火花よ、
楽園エリュジウムの娘よ
私たちは炎に酔って
天上なるものよ、そなたの聖所に入る
ソナタの力は再び結び合わせる
世の習いが厳しく分け隔てたものを
すべての人間が兄弟となる
そなたの柔らかな翼の憩うところ
   (訳・矢羽崇ー朝日新聞による)

原語で歌えたらなあ、とあこがれていた歌。
その機会もなく、今は読めない訳せない。
だから、私のメモ。
元気だったら合唱団に入って歌いたい歌です。



12月某日 ガソリン価格
102円だった。今月に入ってまたまたのねさげです。 NYの原油価格、夏には140ドル近かったのが今や39ドル、はて、これからどうなるのでしょう。、安くなって私らにはありがたいですが、いつかまた大暴騰するのかという不安はみな、持っているのではないかな。
そして、あのドバイの砂上の楼閣ーオイルダラーの金持ちのための金持ちだけのタワーーは、どうなるのだろうと、よそ事ながら、気になる。



12月某日 オイル
シャンプーをした。髪がぱさついているので、風呂上がりに髪油をつけた。うん?きょうは妙にベタベタする。よくみたらそれは、いつもの十六油でなく、DHCのクレンジングオイルだった。顔のクレンジングの。
ええい、しかたない。明日までこのままでいいや。
手に残った油を、猫と犬が喜んでなめていた。



12月某日 ガソリン価格
114円だった。久しぶりに給油に行って、あまりの下落にびっくりした。夕べのテレビでは、東京地方で安くなって121円といっていたが、激しい過当競争の当地は県内一の安さではないかな。



12月1日 スノータイヤに替える
もとい、替えてもらった。
かえたとたんに、青空のぴかぴか光るいい天気になった。
人生ってこんなもん。



11月某日 KY(漢字の読めない)総理
文化教養のない人では、困る職業なんですけどね。
詳細ヨウサイ、遂行ツイコウ、有無ユウム、頻繁ハンザツ、未曾有ミゾウユウ、踏襲フシュウ・・・!?
株に満期があるといい、午前の部・前場をマエバと読んだり、これもKY(経済もよく知らない)。
 わたしも赤裸々をアカララと読んでいて赤っぱじかいた女ですが、だから人の前に立つような立場には立たないようにしております。



11月19日 雪道走行
早々と、雪。まだスノータイヤに替えていない。そこで、皆のろのろ運転。
早々に、スノータイヤを履いていた賢い家人(というか点検時に勝手に替えておく車のディラー)であったが、渋滞に巻き込まれては、やはりのろのろ運転。



11月某日 半熟干し柿
軒先に柿を干している。少しシンナリとして赤黒くなってきた。一つ摘んで食べてみた。おいしい。やわらかい。舌の上で、ふわっと甘さがとろける絶妙な味だった。売っている物では味わったことのない、はじめてのおいしさだ。生きていてよかったぁ、と思うほど。(お試しあれ。)



11月某日 筑紫哲也語録
「髪が白くなったからこの仕事ができる。小僧あつかいされなくなる」(ニュースキャスターになって)
そういう年の取り方をしたいものだ。
でも、過酷で緊張する仕事だったのだろう。日に3,4箱たばこを吸っていたという。ことし、肺ガンでご逝去。



11月某日 夢ではおいしい物は食べそこなうもの
昼寝をしていて夢を見た。あたらしくできたというパン屋へ行った。古い木造倉庫の一角に開店しているパン屋だ。
大きな食パンの耳を切り落とし、それのスライスした物をを20×10センチくらいに切って大ザルに重ねておいてある(と思っている、元の大きさはどんなに大きいか)、1個300円と札が立っている。もう一籠は丸っこいくろいパン。もう一籠は、これも大きな丸パンに切り目が入っていて、そこにこまかい網目状の四角くてパンからいはみ出している大きいチョコがはさんであるもの、白い粉砂糖がかかっていて赤と緑の何かが付いている。棚にはパンはなく、まず、その三種類だけが売り物らしい。なにを買おうかなとながめていると、裏口からそのパン屋の青年のお師匠さんが入ってくる。さいしょのパンを味見して、「よくできた、これは1000円だな」と言う。300円でも高いと思っていたが1000円の価値があるのなら安いものだ。よし、これを買おう。お師匠はチョコをはさんだ物も試食する。これにもお墨付きを出す。それを私も手にとって味見しようとする。そのときどこかでベルの音がする。なんだろう?と考えていて、夢から引き戻された。ケータイが鳴っていた。
目覚めてからも焼きたてパンのいい匂いが鼻に付いていた。鮮明な夢を見たのはひさしぶりだが、何日も経ってもはっきり覚えているのは、食べられなかった無念さか。だいたい、おいしい物は食べようとすると目が覚めることになっている?今まで、夢で食べたことは一度も記憶にない。いつも食べんとしたとたん目が覚めることに私はなっている。



11月某日 失せ物いづる
腕時計が出てきた。あるべき場所から。
読書ノートも紛失して、家中捜したあげく、いつも置いてある場所から出てきた。ちょっと上にチラシが乗っかっていて目に入らなかったのだ。そうだ、やっぱり「あるべき場所」だと、もう一度、いつもおいてあるべきその場所ーキッチンのハッチの、イヤリングや髪留めを一緒に入れておく小箱ーをみると、なんとそこに、あった。神隠しにあった娘がひょっこり帰ってきたかのような、ふしぎさだけど、とってもとっても単純な見落としなんだろうな。



11月6日 友人の母の逝去
99才を間近にした十分なお年だから、と慰め合う。前日までご飯を食べて好物のラ・フランスを食べさせてやれたのがよかったと友人はいう。ご苦労様。ずっと介護してきて、実の親子ならではの葛藤もあったのに、恩讐は彼方だ。親がいれば何才になっても子どもでいられる。もう、子どもでいられなくなった。口では言わなくても・・・悲しいね。
あわてて、ヨレヨレ歩いている母を鰻屋へ連れて行く。



11月5日 アメリカの大統領選挙
オバマの勝利演説に聞き惚れる。弁論が人の心を打つ政治がまだ生きていた。それに感動。



10月某日 巨人軍優勝希望
セリーグで巨人が優勝したとき、三越デパートで優勝感謝セールがあった。あれっ、いつから、三越と巨人とが連携しているんだろう、前はこんな事なかったのに?と思って、正面玄関近くに立っていた男性社員に尋ねた。なんで?と。答えは、以前そごうが持っていた優勝セールをする権利を買ったから、だそうです。へえ~ですね。新潟には西武系のデパートはない。日本シリーズでも優勝したら、また三越でセールやるんだろうな。それたのしそうと、おもしろがっているだけで、だからといって、やっぱりなにも買わないだろうけどね。



10月某日 お寺の梵鐘
鐘をついていないときでも、梵鐘の中に集音マイクをおくと、音がするんですよ、とラジオで南禅寺の鐘、六角堂の鐘の音を聴かせていた。へえ~。パラボナアンテナのようなものなのだそうな。
「私の耳は貝のから 海のひびきを なつかしむ」(ジャン・コクトー)の詩は、そのとおり、海鳴りのような音が聞こえるのだという。試してみたいな。



10月某日 スーパーの衣料品
近くの大きなスーパーには衣装品コーナーがあって、肌着から礼服まで、品質に文句を言わなければ、なんでも間に合う。夕方、香典袋と1000円の黒ネクタイと白Yシャツを買っている人を見た。便利だ。
サンキやしまむらなど、大型の衣料チェーン店も、中国製が多く、とんでもなく安い。不景気になると、こういう店は流行る。高級品を扱うデパートは売り上げが落ちているという。でも、思うのだ、安い高いだけではないと。
ある時、新聞の投書欄にデパートの接客に文句を言っている人の文が載っていた。デパートの店員はくっついてきてじゃま、ほおっておいてほしいと。なるほどだ。デパート、とくに服の売り場では、店員が寄ってきて、話しかけ、説明をはじめる。買わずに逃げるには、なにかしらいいわけをしなくてはならない。私も元気なときしかそれには対応できない。その昔、衣料品も小売店売りがふつうで、店員がそばへ寄ってくるのは当たり前と、私らの世代では思っているが、気力がなえているときはおっくうだ。
スーパー系では、レジに店員がいるだけで、売り場はお客が勝手に探し回って試着できる。まったく、自由に動き回れるので、さんざんあれこれみても買わずにプイッと出てこられる。オフハウスなどのリユースショップもこのたぐいで、とても気が楽なのだ。
自分に自信がなくなって高い買い物ができないときや、対人関係で疲れたとき、私はひとりで、スーパー系をぶらぶらする。デパートのブティックへ行くとなると、ばっちりメイクしてヒールを履いて出かけなければならないが、ここなら、普段着でぶらりと入れる。きょうは髪型が決まらないと、めげている日でもうろつける。めったに掘り出し物には出会わないので、たんなる時間つぶしでしかないことが多いが、時間の損にはならない。それで心が安まる。そんな効用もありだ。たまさか、掘り出し物でもあれば、心は浮き立つってわけだ。  と、前にも書いたっけ。



10月某日 救急車の売り物
貿易港が近いので、その周辺に外人相手の中古車屋がいくつかある。ロシア語やイスラム系の看板も出ているから、それとわかる。その一つに、救急車が3台並んでいて、ぎょっとした。けっこう最新型だったが、どこから出て、誰が買うのだろう。日本国内で個人が乗ってても良いのかな。それだと、おもしろいね。



10月某日 博物館へいく
車で五分の、地元の博物館へ行く(もちろん入場無料)
散歩コースに遺跡があった。今年の夏に発掘していたそうなのだが、知らなんだ、残念。
(後日、子細)



10月某日 ガスつけっぱなし
寝る前にガスストーブを切るのを忘れていた。温度調節がついているので、温風が出ていなくて気がつかなかった。いや、ただ、ぼーっとしてたのだ。老化現象?はたまた、ねむいねむい現象。
朝おきて、ガスコンロを使おうとして火が付かなくて気がついた。うちのガスは、プロパンガスで、連続6時間使い続けていると、こんなことだろうと察して自動的にブレーカーがきくのだ。
ありがとう自動装置。



10月某日 山野草の店
山野草の店に行っては果物ばかり買っている。
マルグリッド・マリーラ、
ゼネラル・レイクラークは洋梨。
きょうはりんごの千秋。



10月某日 朱鷺
現在122羽 今年生まれた子ども28羽。ずいぶん増えたものだ。
9月25日 10羽の朱鷺、放鳥。二羽連れだって飛んでいたときょうのニュースが告げる。
ただしこれは、みんな中国から譲られた朱鷺とその子孫。
日本原種は2003年10月10日、キンちゃんの死去で途絶えている。
自殺、と、いもとようこは考えている。(絵本『トキのキンちゃん』より)



10月某日 貯蓄率
アメリカ国民の貯蓄率は0%だそうだ。株や投信や相場で資産運用していたのか。
日本は何十兆円。健全な国民性か。



10月某日 麻生さんの口癖
「なんとなく」「なんか」「なんてえの」だとニュースで検証している。
わたしも「なんか」と、よく言ってしまうけれど、あまり品はよろしくないね。
大人に成りきっていないように見える。自分のくせは気がつかなかった。人のふり見て我がふり直せ、だ。



10月某日 秋深まる今日この頃
虫の音がかしましくなる。セイタカアワダチソウが咲きはじめる。
新米をもらう。サツマイモをもらう。コスモスの写真をもらう。
朝起きるとシワが痛くて、化粧水を三回すり込む。
抜け毛が多くなって、あわてて養毛剤をすり込む。  効き目やいかん。



10月某日 「会いたくない」
親友だと思っていた人がそう言った。だって、私なんか(世の中に役立つことは)なんにもしていないし、こんな顔で、シワがでて、しみだらけで、白髪で、・・・と言って。それは嫌っていての方便だと、思っていたが、真実らしい。感情に素直な人だからきっぱり言えたのだ。わたしも同じ理由で、昔の知人には会いたくない。同級会も行きたくない。会いたいのにジレンマ。



9月某日 『ジャガイモのきた道ー文明・飢饉・戦争』
  山本紀夫 著 岩波新書 2008年5月初版
図書館の新刊コーナーで見つけた今年のピカイチ本。
ジャガイモは大好きです。メークインも好きだけど、地元のキタアカリも もっと好き、ほんのりとした甘みがあるんです。サツマイモほどへは出ないし、万能で、煮たり、揚げたり、炒めたり。常備している野菜です。
この夏に読んだ『ノリー・ライアンの歌』(パトリシア・ライリー・ギフ著)もジャガイモの話でした。これはたぶん、ことしいちばん感銘を受けた児童文学になるでしょう、アイルランドのジャガイモ飢饉が舞台です。アイルランドの抑圧の歴史と、J・F・ケネディの祖父らがアメリカに移民していった経緯がわかる本です。物語も感情的にならず抑制がきいていて・・。というところへ、この本を見つけて手に取った次第。

ジャガイモが南米原産だということは知っていましたが、インカ帝国など、アンデス文明を築いたのはジャガイモ栽培だったという新説が展開されています。文明は穀物栽培からしか起こりえない、トウモロコシ栽培が文明の基礎だったというのが学界の定説でしたが、それを覆す説得力のある文章で、へえーと感動しました。(詳しくは読んでみてくださいね)
毒のある野生種から毒のない栽培種へ。保存のための知恵。ヨーロッパへの波及。「悪魔の植物」という偏見。アイルランドでジャガイモ栽培が盛んになったのは唯一イギリス人領主に地代を取られない作物だったからという話、連作による疫病の蔓延。ヒマラヤへの伝播。日本への伝来と普及と話は広がります。著者は長年、地道なフィールドワークを行ってきた農学者・人類学者で、自分の目で確かめたことをまず書いています、なおかつ一般向けに史実によるエピソードも交えているので、とても読みやすい本になっています。

去年、マチュピチに行ってきた友人に、現地のジャガイモ料理はどうだったかと聞きたくなりました。



9月某日 テレビ
「人は自分のためにはそうがんばれないものです。誰かのためだからがんばれるんです・・・」by<きっぱり> 昼のテレビのソープドラマです。原作のマンガも好きです。
あーあ、私の腕時計、まだ出てきません。探し当てた人には千円!の懸賞金が毎日つり上がっているのですが。



9月某日 テレビ
アインシュタインが出てきて黒板に
 E=mc2 と書いて   「イーね、マジ カンタン!」 と、さけぶ。

おかしくてあっけにとられて何のコマーシャルだか、わからなかった。なんだろう?



9月某日 交通事故を未然に防いだ話
 きのう、近くの大きな交差点で、車対車の事故があった。そこを車で通りかかっているとき、ドンという音がしたので、ながめると軽自動車が中央分離帯に乗り上げている。その車の助手席のドアが道ばたに落ちている。部品もバラバラと。もう一台、普通車が路肩に来て止まった。あらら、と行き過ぎて、しばらくして帰りにまた通りかかるとパトカーのライトが見えた。救急車は来ていないから、人身事故にはならなかったようだ。不幸中の幸い。よかったぁ。
 その後、ガソリンスタンドで、この話をしたら、つたやの入り口でもこの前事故ってましたよ、と店員は言った。気をつけねば、と家に帰って家族に話した。どちらかの車の信号無視かな。このへんは高齢者マークの車も多いからねえ。
 それで、今日は、いつもよりは慎重に周りを見ながら運転していた。スーパーの駐車場に車を止めて歩いていると、頭から駐車スペースにつっこんでいた軽がバックで通路に出ようとしていた。その後ろを、止める場所をさがしている車が、出ようとしている車に全く気づかずに、入ってきた。
「あっぶなあい!」私は大声で叫んでしまった。その声に気がついて、バックする軽は止まった。入ってきた車も気がついた。軽の運転手は若い女の子で、助手席の男の子に小言を言われたらしいが「見たんだけどな」といい、私の方にはありがとうと会釈した。よかったね。じつはドキドキの私でしたよ。
右見て左見て右見てバックしてね。



9月某日 緩和と緊張
芝雀の話。一生懸命にやりすぎると聞いている人が疲れると。そうだね。



9月某日 月♪~
たで たで 
がきつ
いるま いるま 
いるまんま
のんぼ 
なうよ
がきつ ♪~

十七夜まで、いいお月さまが見られました。
月を見ていたら こんな歌が頭を離れません。
あと、♪チンタレンラジルンナあおいおつきさっま~、とか。



9月某日 失せもの
腕時計がない。いつからないのか思い出せない。出かけるときもたまにしか付けない。こんなとき、たいていは「あるべき場所」から出てくるとたかをくくって、数日、そこを徹底的に片付けたが・・ない。
と、書いたら出てくるかと期待してぼやきを書く。うつうつ。



9月14日 十五夜晴れ
雨になあれと言ったら、雨になって
お月見の夜は晴れてほしいわと言ったら、快晴に満月煌煌と。
あら、わたし予言者みたい。(そうなりそうなことをいうのよ占い師は)



9月某日 かなり疲れる晴天続き
天気予報が連日、快晴だ。一日目、洗濯日和だとテレビに言われて、せっせと洗濯機を回すこと4回。布団も干す。二日目、座布団を干す。三日目、干すものがなにもない。四日目、洗濯をする。夜、雨が降ってくれて水まきから一回解放されてホッツ。五日目、洗濯をする。疲れた。十三夜の月がうるんでる。そろそろ雨でもいいかな。



9月某日 『金より大事なものがあるー金融モラル崩壊』
                 東谷暁 著(文春新書)
 毎日の新聞の経済欄や株価の変化を見ているとわからなくなる。
どこへ行こうとしているのだ、日本の経済は。そんなときにこの本に出会って、謎がほどけたような気がした。
 アメリカには金融モラルがなくなって、儲ければ何をしても良い風潮になっている。それを日本に押しつけてきているのが金融規制緩和、三角解禁である。株価を高く見せるためのエンロンの会計不正、AOLの買収劇、家電メーカーだったGEのノンバンク化・・・(私には)わからないままだった数々の経済事件の謎が解説されている。
巨大化した企業の高給取りの雇われトップは、不採算部門は売り払い、社員の士気をなくし、他社を買収しては高く売りはらい、株価を上げたことを功績にしている。実はアメリカの生産業は衰退しているのだ。なるほど、IBMも中国のレノボにパソコン部門をを身売りしているなあ。良いのはコングロマリット化した農業だけか。
 福井日銀総裁はなにが悪かったか・・・公人の自覚に欠けていた、結局は儲かればよい、に通じる。
村上ファンドとライブドアがめざしたのは・・・錬金術でしかなかった。
王子製紙の北越製紙敵対的買収劇の失敗、これは新潟の地場産業だったのでよかったなと見ていたが、なに、裏にいた野村證券とクレディ・スイスの闘争だったそうな。
 日本は今でも小さな政府で、公務員比率は英国、ドイツよりも少なく、アメリカ・フランスの半分以下。日本的「うちの会社」意識で、産業を大事に育ててきた。それでいいのでは、という声が本の影から聞こえてくる。
タクシー業界の規制緩和は業界全体の売り上げ低下、タクシー運転手の収入減、交通渋滞の負の効果も大きいと言う、全く同感だ。
小学生の英語教育・金融教育などはいらない、読み書きそろばんをしっかり身につけさせることが基本で、信頼と信用の大切さを教えたいという論にも大賛成で、胸のつかえが落ちました。

株の世界も、アメリカの証券会社、投資銀行が儲かればなにをやってもよいという手法で、無茶をやってきた結果がこのサブプライムローン大暴落。しかもそのツケを、他者に押しつけ生き残りを図って(ダメなら身売りしようとして)いるのがゴールドマン・サックス、クレディ・スイス、リーマン・ブラザーズなどの外資証券なのだ。彼らが巨額の資金で、先物を動かし、格付けし、株価操作して日本の株式をいいようにしている、ということが、1年間授業料を払いながら学んできた成果です。
裏表がぴったり一致した感じです。



9月某日 自民党総裁選挙
麻生で決まりとの下馬評からいってん、7名も立候補か。
民主党の影が薄くなった。話題もテレビ放映時間も自民党に取られっぱなし。
すきな党ではないが、情けない。参謀はいないのか。



9月某日 ある合評会で
良いことしか言い合わない。まあ、はじめはそのほうが育つのだろうけれど、馴れ合いにならないか。
実はあなたは不向きですよ、うわっつらしか理解していないよ、と言いたい人も出てきて、ニコニコしているのがつらい。でも、それができるのが大人なんだろうと、この頃やっとわかってきた。
褒めたりない人もいて、これはあとで伝えようと思う。褒め下手な性格も直そう。



9月某日 相撲界の不祥事
ロシアの力士が麻薬ドーピング検査で黒と出た。力士達は検査結果がおかしいと真っ向から否定して、親方の北の湖は沈黙している。みなが保身を考えている、みぐるしい相撲協会。471億円のストックがあるから多少の不入りも気にならないと、テレビで言っている。どうしようもない。



9月1日 総理の辞任
まさかのまたか。国民をバカにしている話だ。
アメリカ人は強いなあ。クリントン夫人は最後の最後まであきらめず、ダメとなったら大人になって大同団結。
日本の民主党にも見習わせたいものだ。



8月某日 私の体内時計
もう秋である。朝起きると口元のしわが引きつっている。足の筋に腱もつっていて、柔軟運動をしてからでないと動けない。あ、秋だ秋だ、すぐ冬だ。



8月某日 残暑お見舞い
ホタルブクロが咲いて、あわてて残暑見舞い状を出す。朝顔が咲かないので、まだ夏の真っ盛りに来ていないような気がしていて、のんびりしてしまった。ホタルブクロの苗をくれた人は「お盆頃咲きますよ」といったが、ほんとに盆の入りに咲いた。植物の体内時計か。すごいね。



8月某日 『RURIKO』を買う
林真理子著の浅丘ルリ子半生記。もったいなくてまだ読んでいない。
デビュー作「緑はるかに」が強烈な少女期のインパクトです。とはいえ、よい子は日活の活劇(裕次郎や旭とからんだもの)は見ていない。やせ細って、でも目がでかくて人を引きつけてやまない、最後の大女優。
さいきん、NHKのドキュメントで、故郷、中国の長春へ旅をする話があったが、手に血管浮張の老醜をさらしながらも大女優の美貌と威厳は往年のままだった。いつまでも美しくメイクアップしててください。

ちなみに、外国の女優ではオードリィ・ヘップパーン、同じく細身清純という理由で好きだった。けれど、こっそり、あこがれていたのはB・B(ブリジット・バルドー)。理由=ないものねだりの 肉体美。天然。バカっぽさ。



8月某日 蒼井夏海
この作家の推理小説本に、はまっている。(すぐ、抜けると思うが)
元探偵事務所勤務の主人公のおじさん(素行調査や浮気の現場写真撮りなどが業務の、現実的な探偵さん)が、宅配便屋の配達人になって、届ける先とのやりとりから、事件といえないような事件を解決していく。学校のウサギが行方不明になるとかね、殺人もなく情痴もなく、あっさりと軽やかに進む。そこが楽でいい。
せんだっては、掃除婦が探偵役になる話に夢中だった。そういう新しい視点がうれしいのだ。
この作家、老助産婦が謎解きをする話『赤ちゃんがいっぱい』なども書いていて、それもおもしろかった。



8月8日 北京オリンピック開会式
かなわないね中国には。世界の中心だったのだ、かつては。今も13億人の人間と広大な領土。一党支配の乱れがそろそろ出てきてはいるものの 団結したときの力(人口)は日本人の13倍。
チャン・イー・モウ監督は素晴らしい演出のショウを見せてくれた。人海戦術とハイテクの壮大な冗長な絵巻だった。美しいだけでなく歴史的な深い意味が込められていて欧米の開会式とひと味違った。日本では、これだけの演出のできるアーティストはいないだろう。そして、元来、日本は辺境の東夷国だったなあ、と卑弥呼の時代にさかのぼって思いをはせる。文字、紙、羅針盤は中国の発明、さて、日本独自の発明品はなんだろう。かなかな?



8月某日 「田辺さん渡辺さん」
思い出した。
図書館の感じのいい司書さんの名前だ。
感じの悪い司書さんの話で盛り上がって、話していた人と別れてから、車の中で、じゃあ「いい人」はだれだろうと、メモった。・・・らしい。
親しいわけではないが、顔見知りになっているから、行くとニコッとされる。それがアットホームで、すごくうれしい。
感じの悪い司書というのは、どこの館にもいるね。ぶすっとしている。返却が遅れるとしかる、話し声が大きいととんできて怒る。そりゃあ、こちらにも落ち度があるにはあるのだが、でもね、優しく言ってほしいわけですよ。図書館は憩いの場なのだから、くつろがしてくれなくちゃ。問題は、高飛車で、えらそうな態度かな。そういう人は権威には弱いが、弱い人には強いような気がする。
前の街の(もう退職した)Hさん、私の仲間内で感じ悪い司書ナンバーワンで、その人がカウンターにいるとまわれ右して帰ったという逸話があった。(共稼ぎなのでスーパーの買い出しをしたりする家庭的な人♂で、司書資格もあって運営では能力を発揮していたらしいけれどもねえ。)
 


7月某日 しゃもじ
このところ、台所用品の買い換えをよくしている。春にゴミが有料化され、タダで捨てられるうちに、と、古びて汚いものを買い換えてきた。そうすると、ふだん、気にならなかったものも目に入ってくる。
毎日使うものなので、気がついかずにいたが、ご飯をよそう「しゃもじ」も黄ばんで薄汚くなっていた。今使っているのは「米粒の付かない魔法のしゃもじ」と、一世を風靡していたブツブツ凹凸のあるしゃもじだ。しかし、凹凸があっても釜に入れっぱなしにしておくと、やっぱりこびりつく。それなら、のっぺり平らなほうが、洗いやすいではないか、と、何年かブツブツしゃもじを使って気がついた。
普通の白いブラスチックのに新調しようと、スーパーに行った。あれっ?、「ふつうの」のっぺりしたのがない。ホームセンター、デパートと、はしごをするが・・・ない。「米粒の付かない魔法のしゃもじ」だけだ。百円均一店さえも。

時すでに遅し、か。売り場にいろいろな会社の製品を並べることなく売れ筋の一社一品種しか置かなくなっている。収益第一主義、画一化、寡占化がすすみ、多様性のあった消費者は王さまの時代は、台所用品の世界では終わっていた。選択肢がない・・・。
・・・・鍋も然り、おたま然り、みそこし然り、風呂の湯オケ然り。生ゴミ用ゴミ箱然り。(これが春から買ったもの)。
そういえば、お気に入りの包丁を作っていた地場産業の会社も閉店するという。しばらく家庭用品なんて買い換えていなかったら、いつのまにか、様子が変わっていてビックリした。



7月某日 「田辺さん渡辺さん」
気になったことはメモしておく。ところが、どんな意味があったのか忘れることもある。車の中にあった、このメモ。身近にいる人の名ではないし、誰だろう。何があったのだろう。書いた本人がわからない。たぶん数日経ったら思い出すだろうと・・・一月経った。まだだ。



7月某日 「牛から出る牛乳」
ラジオを聞いていたら現地レポートのアナウンサーが「たのはた村の牛からでる牛乳・・」と言った。その言い方、なにかへんだなあ。とっさの言葉はむずかしいね。これも、メモにあっただいぶ前のことだけど。



7月某日 パソコン
いそがしいふりしてパソコン避暑に打つ
    なにかしていないと稼いでくる人に悪い気がする。外は暑いし出たくないし、ほんとはひまなんだ。



7月某日 ままごとで人気の役

ままごとの人気役といったら、昔はおとうさん、おかあさん、
ちょっとさがって、赤ちゃん という時代があった。

ところがなんと、今、一番人気は猫役、
二番人気は犬役だというのだ。
エッ、人間じゃないの?ウッソー!

でも、保育園の先生が言っていたのだから、信用しないわけにはいかない。
研究者の間でも、これは注目のできごとらしい。
先生曰く、
お父さんは疲れている、おかあさんは苦労を認められなくて辛がっている。
子どももしなければならないことに追われている。
核家族の中で「無償の愛」を受けられるのは<猫>しかいませんからね。と。

話には驚いたが、すごく納得した。
子どもの感性はなんと鋭いのだろうね。



7月某日 はないかだ
「はないかだ」の枝をもらった。コップに入れていたら髭根がいっぱいになった。鉢に挿し木する。根付くかな、根付くといいな。おもしろい木らしいから。



7月某日 庭師のまねごと
椿の木を透く。銀杏のてっぺんをのこぎりで切る。柘植の木を丸く刈り込む。松の木を、そのうち引っこ抜く気で居るから、びしばし枝落としをする。図に乗って、名前のわからない伸び放題の木を、長い枝きりばさみで、整髪しはじめた。手を思い切り伸ばして高く飛び出した枝を切る。ぐらっときて脚立から体が離れる。あああ。背中から落ちていく。どうしよう、ああー。切り落としていた松の枝の山の上にふわりと落ちた。けがもなく痛くもなかった。その間、スローモーション映画の中にいるようだった。



7月1日 半夏生に たこを食す
今日は半夏生なんだそうです。
半夏生(はんげしょう)とは草の名前と知ったばかりなのに、節季の呼び名でもあるそうな。夏至から数えて11日目の。
しかも、「関西地方では、田に植えた稲の苗が”たこの足”のようにだいちにしっかり根付き、豊作になるようにと願って」この日にたこを食べる習慣がある、とのこと。
関西がえりの娘に聞いても知らぬと言う。とにかく、スーパーのチラシで初めて知りました。さいきんの食習慣はスーパーが作る!(恵方巻き然り)
そんなこととも知らずに出かけたバーゲン初日のデパ地下で、常になく、おいしそうな蛸がたくさん出ていて、つい帽子(たこの頭のこと)を買ってきてしまった私です。美味しかったわ!