はどそんのつぶやき2009

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6月某日 車はレモンイエローに限る。
レモンイエローの日産マーチを見ると、あれは私の車!と思う。レモンイエローのホンダのフィットにも愛を感じる。あの、やさしそうな色合い、スーパーの駐車場で見かけると、ホッと気持ちがなごむ。なんでか、引かれるのだ。
私の今の車は黒。決めた理由は冠婚葬祭の「葬」の送迎にふさわしいから、だった。
以前はいつも黒いタートルネックセーターをキリリと着ていた私だっただから、黒い車も似合っていたとうぬぼれている。
だがしかし、寄る年波で、もう黒い服は似合わない。顔がしっかり負けている。さいきんは白めな色の服か、きれいな色の服を買うようになった。だからかなあ、このレモンイエローの車にときめくのだ。もう数年前から。
2年前の車検の時も、探したのだが、マーチもフィットも、この色の生産は、終わっていた。あの色が復活したら買い換えるわと営業の人にいいながら、また車検の時期がやってきた。わたしの愛は天に見放されて、ことしも原色系かラメ系ばかり。
つれあいに、このことを話したら、ないものを出せと無茶を言う奴だ、と怒られて、フィットの白い新車を買う話さえ流れた。
我が子にレモン色の車への愛を話したら、昔、親友がその色のかぶとむしに乗っていたからでしょ、といわれた。忘れていたけど、・・・そうかも。



6月某日 マグノリア
それが、こぶしの花のことだと、きのう知った。異国情緒のある名前には昔からあこがれていたが、こぶしだったのね。キンポウゲとかヒース名前だけ先行してまだ見ぬ花もある。まだまだ知る歓びがたくさん残っている。
「マグノリア 天にとびたつ銀の鳩」と言ったのは賢治さん。 素敵!(私のためのメモ)



6月某日 今度は膝に
腰から、股関節、今度は膝に。老化は止められない。その速度を遅くしようと、やっているリハビリの、負荷がきつい?頭痛はソラナックスで止めているが、骨の強化は卵の殻がいい?



6月某日 たのしんだあとは
 娘が小さいとき、たのしいひとときのあと、たとえば好きなアニメTVが終わると、つまらないよつまらないよと騒いで困ったものだった。遊園地に行ったり、海水浴に行ったり特別なお楽しみを企てれば企てるほど、その宴が終わった後のさびしさ、いっそうの「つまらなさ」がその後に来る。楽しいことがなければそんなに落差はないのだから、つまらない日常が続く方がいいのか。
 今日も、たのしい一日を過ごし、家に帰ってくると、その頃のことを思い出す。気晴らしよりも堪え忍ぶ訓練を続けていた方がいいのかと。
 少し遅くなって帰って来たら、ご不満な方のしっぺ返しが待っていた。



6月某日 NHK朝ドラの
「つばさ」、高畑さんと西城秀樹のおちゃらけぶりがおもしろくて観てます。
きょう、恋人のお母さん役で出ている手塚理美の来ていたTシャツはユニクロ?見覚えがある、土日690円のあれだわ、たぶん。母子家庭で食堂の店員をして息子をJリーガーに育てた、けなげなおかあさん役。そういうムードに似合うTシャツね。



6月某日 読書挫折
『海辺のカフカ』ギブアップというかタイムアップ。読み進みずらくて、ぐずぐずしていたら図書館から貸出期限が過ぎていますとお電話。
難解なわけじゃないけれど納得できない感、違和感があるのだ。村上春樹の新刊本は発売即売り切れだそうな。う〜ん、わからん。



6月1日 衣替え
セーターをクリーニングに出しにいった。穴があいていて断られた。
(犯人は虫か猫か。)
世の中、夏服にかわっているが、うちでは、まだコタツとストーブが活躍中。
外出時は綿Tシャツの重ね着をしているが、
家では毛糸のカーディガンを夫婦とも愛用中。



5月某日 今月の衣料費
ユニクロの半袖Tシャツ一枚 1000円のみ。
あーあ、残念。土日まで待てば690円だったわ。



5月某日 言葉遊び
インフルエンザとスクランブルエッグは近い



5月某日 また
「今日できることは今日してしまおう」のほうが、スッキリさ、そりゃあ。
予定どおり計画どおりにいけたら、申し分なしだけど、そうでないのが人生ですわ。


5月某日 格言ていせい
「今日できることを明日に延ばすな」 → 「明日でいい仕事は今日はしない」
まず、休もう。まず、寝よう。
そうして、やらねばならぬことじゃなくて、やりたいことを先にやろう。
旅?  いいねえ、行けるうちに行かないと。



5月某日  夢で怒る
夢の中で怒っている。さいきん毎日つづいてる。大声を上げて怒っている。誰彼かわっても怒っている。現実では肩身が狭くてできないことを夢で晴らしているのかな。
「無視しないでよ」「自分のことばっか」「ぐーたらしてるな」「どーするつもりよ」



5月某日 良寛の言葉
「人にものくれぬさきに そのことをいふ
 人にものくれてのち その事いふ」朝の新聞より
「つつしむべきものは」に書きとめられてあると。そうそう、うちの先祖とまだ生きている先祖もこういうタイプ。好意があってもいやらしい。ニンジンを目の前にぶら下げられて走らされる馬にはなりたくないから、こういう物言いをされると、あえて無視したくなる。



5月某日 どっちかにして!
実写版映画『ヤッターマン』の主役の櫻井翔くん、
ドラマ『クイズショウ』の司会者役のタレントか
ニュース番組『ZERO』のレポーターか、どっちかにしてもらいたいわ。
後者がうそくさくなる。



5月某日 マクドナルドで
ヤッターマンシールがもらいたくて、ハッピーセットをたのみました。430円でハンバーガーとコーンとジンジャーエール。温かい飲み物はないのねえ。あとでおなかをこわしました



5月某日 がんかもしれないとも後日談
 直情かつ行動派の友は推奨された表参道のトウキョウイトウ病院へ直行。有名病院の常で数時間は待たされたものの、その日のうちに、明確な説明と正確な診断を受け、(確率は低いがもし細胞診で悪結果が出ても完治しうる程度といわれ)ルンルンで帰宅したことを、お伝えしておきましょう。
 病院は選ばなくてはいけないわねえ。(説明のできない医者はやぶです!)
うちの末っ子が15年前突然足が痛くて歩けなくなったとき(あら、私みたい)、かの病院の某医師はわからないといい、X線写真を前に黙り込んでしまいました。、しかたなく自分でさがしていった病院の医師は写真をみただけで、骨の腫瘍といい、即、手術でした。その頃は、手術してみないと良性か悪性かわからない時代で(もっと、名医ならわかったのかなあ)、とても心配しましたが、さいわい良性で、今もぴんぴんしています。(してるよねえ。)



5月某日 スクワット
ちょっとだけ人生の先輩のCさん、去年は膝が痛いと言っていたのに、今年は元気。「毎日スクワットしているの、膝を前に出さないでトイレに座るときのようにお尻を落とすのがコツよ」
フムフム。見習おうっと。



5月某日 変形性股関節症
 足の付け根の痛みは、これが原因でした。
軟骨がすり減って、水がたまっているそうです。
老化なんです、シクシク。
無理はできない、良くはならないのは、持病の腰痛(腰椎椎間板症)に同じ。筋肉を鍛えながら、ぐーたら付き合っていくしかないですね。
 手術を要するほど悪くはないので、痛み止め薬と、胃薬(痛み止めのせいで荒れるであろう胃のため)がでましたが、飲まずに安静第一で過ごしています。
回復に向かってきたのは毎日足をひっぱってくれるおかかえ整体師 兼 家事主任のおかげです。感謝感謝。
 私は、いつもこんなどうしようもない、ケチな(=死に至らない)病気ばっかりですが、そんなときに、とつぜん旧友が川っぷちの病院から電話してきました、
「わたし、癌かも知れないの」と。

「まだ、決まったわけじゃないでしょ」
「ううん、ペット検査でひっかかって精密検査をしたんだけど去年はこういうのは良性だって言われたのに、今年はすぐ細胞診をしましょうっていわれた」
「医者は癌のおそれが、と言わないと、検査できないし、儲けにならないからよ赤字病院は」
「不安で誰かに言いたかったの」
「癌もいいじゃない、わたし癌で死にたいわ」
「え〜、やだあ。まだ死にたくない」
「そうぉ?骨は拾いに行ってあげるわよ」
「死にたくないわよ。」
「なあんだ、まだ若いのねえ。癌だったとしても、チョー早期なんじゃないの」
「でも、この癌、ネットで調べてみたらよくないらしいの」
「そうなの?まだ決まったわけじゃないんだからくよくよするなって
いっつも大家族の世話で忙しがってるから、体がやすめの信号送ってるのよ、
いい機会だから、亭主子どもにわーわー言って、大事にいたわってもらったらいいじゃない」
「うん、今ゴルフしているはずだから電話しよう!あとメタメタになるわ」
「ちょっと、ちょっと、ちょっと」
 無責任な励ましは効いたかな。
(ほんとはドギマギした私です。私はもうしんでもいいけど、あなたは生きててほしいわ)
念のため、我が家の顧問医にお聴ききしましたが、癌でない可能性が高い、それは行った病院が最近あんまり信用できないから。癌だったとしても良い病院で治療を受ければ快気できる類の癌だって。  (ほっ〜。)



5月某日 しょうがない
晩ご飯に、なすの油炒めを作り、薬味にショウガをすりました。薬味は字のとおり、臭みや傷みや油に対しての毒消しの働きもあるし、すがすがしさが、私は好き。でも素材の本来の味を損なうのも確か。我が家にも薬味嫌いの人が居て、冷や奴にも、納豆にも、そばにも、薬味を入れません。 「ショウガないのはあなたね」 皿を運ぶとき声をかけて、あれ?(しょうがないのは あなたね)?
 しょうがないわねえ、が口癖の友がいましたが、最近、我が家でもこの言葉が流行していたので、おかしかったです。



5月某日 『シズコさん』をとうとう読んでしまった
 私のいちばん好きな作家佐野洋子(ただし、友だちでいたいのは工藤直子のほう)が、母シズコさんとの葛藤を書いた自叙伝。右に心臓があった兄の思い出はよく書いていたが、癌の再発を抱えあとわずかの命となって、はじめて語る母は虐待と傲慢の思い出しかなかった。
 敗戦のため優雅な外地生活から引き上げて急な貧困と田舎暮らし、水道もなく小川まで水くみに行かされ、幼い弟妹の世話を押しつけられ、オムツの洗い方が悪いと言っては叩かれののしられる。手をつないでもふりほどかれる。自分は人前ではいつも口紅を付けている。ごめんなさい、ありがとうの言葉は一度もない。嫌悪感と自虐感を重ね、親から逃げて暮らしてきた。しかし、じっと見つめて書き連ねていくと意外にも、母の人生の幸せなひととき、憤懣のつのる田舎生活、それでも夫を尊敬し続けていたこと、その夫が期待する娘への嫉妬、自尊心、社交性、有能な家事能力やりくり上手・・・が見えてくる。
しかし、ぼけてしまった母を老人ホームへ入れたのにも、自責の念に責めさいなまされつづける。けれど、ぼけてはじめて、「ごめんなさいね、あんたが悪いんじゃないのよ」の言葉が聞けた。そして、やっと、母を許して自分自身も解放された。
「静かで、懐かしいそちら側に、私も行く。ありがとう。すぐ行くからね」と結ぶ。よかった(涙)。お母さんがぼけてよかったね。先に死んでくれてよかったね
 それにしても、あの二番目の夫。母を彼の豪邸に引き取って共に食卓を囲んでも、声もかけず、高邁な言語問答を妻とたのしむ。洋子さんは淡々と事実だけを書いているが冷んやりした空気は伝わってくる。自分の母がぼけたときは「おばあちゃんは宇宙人」と絵本に書いていた人だ。世話は元妻にまかせ、自分は高所から評論をしていた。
だから彼が独り者になってから、福岡の老人たちが施設でなく民家で和気あいあいと集団暮らしをしているのを絶賛して入れ込んでいるのをテレビでなんどか映していたけれど、あれはインチキだね。
 浮気者だから別れたのかと思っていたけど、彼の知的能力の高さ聡明さの蔭の自己中、情のなさ、怜悧さに愛想が尽きたんだろうな。かわいそうな洋子ちゃん。突っ張って生きてきたけど、もういいんだね。
 私もまた、何十年にわたるこりかたまった嫌悪感を抱えて、その次の世代を道連れにして、もんもんの中にいる。私の方が先に死んだら、こりはほぐれないままだろうな。



5月某日 パソコンも不調
ときどきインターネットがつながらない。数年前、この病状を達人に治しにきてもらったときは、犬がアダプターにぶつかって接触不良になったのだろうから、コンセントを引き抜いて入れ直せばいい、といわれて、たいていはそれで治っていた。今は猫のせい?
この療法で治るときもあり、治らぬときもあり。きまぐれインターネットは体調にも連動しているのかも。



5月某日 価格破壊
ハミガキのホワイト&ホワイトがコメリ・ホームセンターで98円で特売していたので、つい2つ買いこんだ。いつもは158円の品だ。(私は生協ハミガキ派。研磨剤なしだし、お茶の味が変わらない美点を持っているのだが、家人はがんとして習慣を崩さずに40年だ)目玉商品なのだろう、ニュー・ビーズ詰め替え用も278円が228円。これで、二回も買いに来た。
Uスーパーにいったら、W&Wは128円だった。安くなっている。じゃあ、とBスーパーでも売り場を覗いてみたら96円だった。ココは味噌も醤油もどこより安い。一時、姿を消していた雪印バターは338円と、これまた安くなっている。この店では冷凍食品のオール半額セールも(あの冷凍餃子事件以来)続いていて、以前は生協で注文していた王将の餃子は今はココで買っている。あなたの近くの店ではどうでしょう。
昨今の不況で、どこも売り上げが落ちているというが、値下げ競争をして集客にがんばっているのだ。消費者としてはありがたいばかりだが、こうなると、資本力の差が安売りできるかどうかになってくるのだろう。
来月、生協が経営しているスーパーが閉店する。ここ一店舗の商売では大手スーパーには太刀打ちできないのだろう、残念だがしかたがないね。個別宅配に力を入れるそうだ。



5月某日 連休明け
きのうは猫が逃げだして、ご近所を探し回った。こんなときは足が痛いのなんの言っていられない。びっこをひきながら、走っていた。走れた。その後、また寝ている。これ、火事場のくそ力。(私のなりたい職業=消防士だったからね)

 猫のココ・シリーズ、結局ありったけの11巻読了。むさぼり読んだ。読むものがなくなって、フロスト警部やらモース警部やらに手を出した。下品なジョークをふりまく奴とブラームスとストリップショーのどちらも好きな奴。どちらも思いこみの激しいおっさん。直感で突き進んでは失敗、ふり出しにもどってはからまた突進していく。それも爽快だった。そして、サラ・バレツキーの本。(女刑事ウォーショースキーのようなスカッとしたものを期待していたのだけれど、きれいに裏切られた)シリアス小説にも手を出した。
 その『ブラッディ・カンザス』はふしぎな読後感。カンザスの田舎町のなだらかに広がる畑地にポツンと立つ古い3軒の農家が舞台。南北戦争後もくすぶっていた奴隷制廃止をめぐる地元の争いをベースに、広大な農園の経営は敬虔なクリスチャンの父と母、それと作男、農場や牛の世話をしながら高校に通うこども達、それも自分で車を運転して行く、田舎を嫌って都会に出て弁護士になった父の兄、NYから空き家の隣家に来た女性はかがり火をたいて魔女の祭典をを行う、その旧家を焼き討ちするワルガキ、それを正当化する親の保安官助手の横暴、狂信的キリスト教宗派の悪魔払い儀式、主の再臨のための犠牲の赤牛を監視するユダヤ教のラビ・・・、正義はまかり通らない。和解もない。
カンザスといえば『オズの魔法使い』しかしらない私。『エデンの東』『風と共に去りぬ』の農園風景も思い出しながら、『豚の死んだ日』(本)を頭に描き、なんとなく古きなつかしきアメリカの田園物語を読んでいたつもりだった。
 ところが、ところがだ。意地の悪い隣人の80代のばあさんはホームページで気にくわない人の悪口を書き連ねている。エッ??父は、早く帰ってこいと娘にケータイメールしている。反戦運動に憂き身をやつす母に反抗して軍隊に志願した息子は数十日で戦死し遺骨が帰ってくる、イラクから。なな、なんと2005年の話なのだ。
 いまだに、進化論を認めず、教会の交わりを生活の中心に置き、どんなニュースがテレビで報じられようと、がんとした昔からの暮らしを続けている多数の人々がいる。それがアメリカという広大な連邦国なのだという事実に、目を開けさせられたような気持ちだ。



5月3日 麗しき五月
長期の天気予報がはずれて、晴天の暖かな日が続いている。世情私情あれこれ不安心配はあっても、5月の陽気は心たのしませてくれている。庭の草花は種を蒔いたとおり、あるいは去年会ったとおなじに花咲き、木々の葉は白く赤く緑に芽吹き美しく伸び、道路の雑草たちはもう入れ替わって第二世代がたくましく育っている。 日に干した洗濯物の匂い(その日なたの匂いのために外に干している)、はじけるタネツケバナの種さえ(目にさえ入らなければ)、うれしい。
 さて、1000円乗り放題の高速道路の大混雑を尻目に、家人は友人の船で北の小島に船旅だ。お仲間は釣り三昧の計画らしいが、彼は優雅に昼寝三昧のつもりらしい。天気が荒れそうだと渋っていたが、幸いに予想は外れている。連れ出してくれてありがとう。
 こちらも留守中にデパートへ息抜きにとはりきっていたのだが、昨日の夜、コタツから立ち上がるや右足の付け根に激痛が走り、歩けなくなってしまった。今は、引きずりながらトイレに行けている。椅子には座れる。痛みは常にあるが。病院は長期の休みに入ったし、救急に行くほどのものではないので、しばし、こちらが要在宅介護の生活になりそうだ。
 腰のMRIを撮ったとき、老化のため軟骨がすり減っているといわれたが、ほかの関節の軟骨も同様らしく、動かすたびに、どこもかしこもボキボキ鳴っていた。いつかはこうなるとは覚悟はしていたが、なにもゴールデンウイークにあわせなくともねえ。
 家人は、歳だからな、とだけ言い置いて、同情や思いやりの言葉もなく(そんなもので治るなら医者は要らないというのが持論)すたこら出かけていったが、名医を捜して治ってみせるぞ。



4月某日 60になったら終わりよ
50代後半のBさんは、去年は、「あと○年しかないの、あせるわ。60になったら、もう終わりだもの」と言っていた。まだ講習会に行って学んでいることがあって(それはスゴイと思うの、えらいねえ)、なかなかうまくいかずに悩んでいた。でもね、そう話しかけた相手は「終わって」いる人なのですよ。
60才に1才近づいて、今年はそうは言わなくなった。わかってきたのかな、ものの言い方。
 ほらね、60はおわりでなく、進化の1ページ目なの。その歳になってやっと何と無礼に生きてきたかも知ることも出来ましたよ。ありがたいことに。まだまだ、学ぶことはたんと残っています。
 親しい友はみな同じ年のように年齢と関係なくつきあってきたので、ずっと若かったりずっと年長だったりを知らずにきた方もあります。失礼はごかんべんください。



4月某日 ユダヤ教に改宗したの
Aさんはこの辺で唯一のミッション系女子高校の出身者だ。その彼女が最近こんなことをいっていた。「右の頬をぶたれたら左の頬を出しなさいと教わってきたけれど、損ばかりしてる。だからキリスト教からユダヤ教に改宗したの、右の頬をぶたれたら右の頬をぶちかえすことにしたの」
おっとっと。



4月某日 粗悪な製本
表紙背表紙が外側に湾曲してふくらんでいる。こんな粗悪な製本の絵本は、高度成長期前の書店店頭でくるくる回っている格安絵本くらいしか、お目にかかったことがなかった。それは何十年も昔のお話。それが、J堂で、それが、F書店の出版の「こどものとも普及版」の復刻版。なつかしくて手に取ったのだけれど・・びっくりだ。どこかの国に下請けにでも出しているのだろうか。



4月某日 ドラマ
「最近、ドラマみないねえ」
「最近のドラマはつまらないねえ」なんでかなあ、ドラマは人間模様を描くのだけれど、現実の人間関係は驚くほど希薄で、めぐりあいもなければ、いさかう相手すら、ないから、か。

『天地人』はおもしろいから見ているのでなく、きれいな妻夫木くんの横顔をみるためよ。あんなにめそめそ泣いて、純愛ばっかりで、しかも女が歴史を動かしてる戦国時代なんかあるわけがない、私だって嘘くさすぎると思っている。(男色家けんしんの元お稚児さんが我らがN市の基礎を築いたのが史実だからね)死んでしまった家老さん達の、歳を隠せないシワをしっかり撮しちゃう高感度カメラも残酷だなあって見てる。
『リセット』1話完結のドラマだけどおもしろかった、おわってしまったけどね。人生がやりなおしがきいたとしてもやっぱりうまくはいかない、というブラックユーモアがおもしろかった。
夜更けのNHKは、けっこうおもしろいよ。 『サラリーマンNEO』とか『カンゴロンゴ』とか『英語でシャベラナイト』とか。



4月某日 『猫は殺しをかぎつける』シリーズ
元新聞記者のダンディな中年コラムニストが飼っているシャム猫ココが、名探偵ぶりを発揮するリリアン・ブラウン著の十数編あるシリーズの新作を、もう半年も車に積んで走っていた。時間つぶしの時に読もうと思って。風邪で寝込んで他に読むもののないので取ってきて読み出したらおもしろい。この猫、誰かが来るのがわかったり電話が鳴るのがわかるのだが、それは、うちの犬も同じくできる。だが、人の死を咆哮で知らせるのはできない。ま小説の中だからね。(でも、うちの犬も、仲の良かった猫が死んだ瞬間、それまで心配そうに顔をくっつけていたのに、ブルブルふるえだして後ずさりしだしたから生死がわかったんだろう、動物の感覚はスゴイと感心したものだった。)
昔読んでいたシリーズ本なのに、それまでの事件をすっかり忘れている。また第一巻を買ってくる。最新刊を買ってくる。通読したくなってブックオフへ行って105円の見切り本も買ってくる。
事件は付け足しのようで、主人公ミスター・クィラランと猫の生活描写がおもしろいの。途中で遺産が入って大金持ちになってって、ちょっとご都合主義だけどお金があるとこんなこともできるという夢も描いている。町一つ郡一つの文化後援者になっているんです。いいねえ。



4月某日 税務署バトル そのA
 翌日、5時をだいぶまわった頃(残業だわね、ごくろうさまです)、税務署から電話がありました。「○○さんに聞いたら(領収書は)確かに預かったと言うことですので、(社会保険料を)計算し直して修正申告書を送りますから署名捺印しておくりかえしてください。 なにぶん、まだ全部の資料整理が出来ていないので、すみませんでした」とお詫びがあった。やったあ、医療費控除は受けられるのだ。しっかり相手に念を押しておいて良かったわ。○○さんが覚えていたかどうかはあやしいけれど結局、領収書はどこかに埋もれていて出てきてないって事なのね。それでもOKなわけだ。今度、こういう事があったら念書を取っておくか、写メを撮っておかなければね。ヒヤヒヤしていたけれど、まずまず、よかったわ。フゥー。



4月某日 風邪を引いた瞬間がわかる私
コンコン、コンコン、部屋のあちこちで咳をする音がしている。あ、やばい。でも、そこを退出するわけにはいかない事情があった。
部屋を出て、もらってきたなと感じる。喉がいがらっぽくなっている。今うがいをすれば間に合うのにな、と思いつつ、つきあいでまだ家に帰れない。
1時間後、のどがムズムズし始める。家に帰って手を洗って、うがいをするが間に合わなかったなあ。4時間後、喉から左胸もムズムズする。咳が出る。鼻水が出る。風邪薬を飲む。でも夜半、熱も出る。しっかり風邪をもらった。
こんな能力はまったく無駄だね。家人は信用しないし。



4月某日 税務署とバトル
 3月15日が期限の確定申告はとっくに終わっていて、しめしめ、今年も税金が帰ってくる予定。母には国税還付金の振り込みが来ているのに、うちは遅いなあ、やっぱり税務署職員はあてにならないかなあと危惧する点があって案じていたら、そのとおり。税務署から封書がきた。
中に入っていた紙には「平成20年度分所得税の確定申告書の見直し・確認について」と表題にあり、

@社会保険料控除で支払が21年のものが含まれている。
A医療費控除の領収書添付がない、

ので、見直し確認をお願いします、とある。自主的に誤りを訂正する ためには修正申告書を提出する手続きが必要と。裏面には延滞税の計算方法までご丁寧に付いている、おいおい。丁寧な物言いではあるけど、申告がインチキだと言ってるんでしょう!?

 封書をもらって翌日、担当者に電話をする(内心の動揺は隠して)。
@の点についてだが、3月になって20年度分をまとめて支払ったのでその領収書を添付した。申告の手引きにはそれがいけないとは一言も書いていない。むしろ、いぜん税務署員から、賃貸住宅の補修費控除は、請求年度でも支払った年度でもどちらでも良いと言われたと抗弁。電話口の署員は社会保険料は支払った年度で提出する事になっているという。これは見解の相違。領収書は次年度に出すよう返送するという。それなら来年度に使いますということで了解したが、そもそも提出の解説が不十分だと相手も思っているようで、提出の仕方の説明プリントを送りますという。

問題はA、これはわたしも心配していたのだ。
医療費控除を受けるには医院や薬局の領収書を添付することになっている。うちは成人病満載が高じて歯科の治療費もバカにならない人がいるのでとんでもなく多い。去年は窓口に提出したら、(じゃまなんだろうな)分厚い領収書入りの封筒は「家で保管していてください」と、ちらりとも見ずに帰された。なあんだ、じゃあださなくていいんだ、と思って今年は添付しないで確定申告書を郵送した。
そのあとで、知り合いの税理士さんからインターネットまたは窓口で申告する時は要らない(自宅保管)が郵送の時は添付しないと医療費控除は受けられないですよと忠告され、3月19日になってあわてて税務署にすっとんでいった。期限が過ぎても確定申告に来る人がいるのだろう、1階の入り口には職員が二人立っていて、用件を聞いている。そこで、医療費の領収書を添付しなかったので持参してきたと言ったら、中年の男性がああ私が預かっておきますという。一瞬不安になって、「もし、提出していないと言われたら、あなたの名前を出して確かに預けたと言いますがいいですか」と聞くと、いいですよ、と答える。「個人税 ○○」と彼のネームプレートを手帳に控えて帰った。ほーら、彼のせいだ。
そこで、電話口の人にこの経過を話した。「確かにその名前の職員は居ます。調べて明日お電話します」とのこと。さあ、どう返事が来るか、いいかげんな国税庁よ!
    (長いので またあした)



4月某日 見舞い
 病人の見舞いは誰のためか、といえば、病人を慰め、安心させるためのものだと思う。訪問者の自己満足であってはならないはずだ。が、田舎の病院では、一族郎党の見舞客が休日に寄り集まってあそびに来て、ロビーをわいわい占領している、、とぼやいていた医師がいた。そうだね、親族の自己満足の娯楽かも知れない。でも、いいじゃあないか。じいちゃんばあちゃん(患者)のところに誰も来ないよりは、それを患者が喜んでいるなら。
そういう医師なら退院後の患者が、静かにしていたい、客が来ると疲れるから見舞いに来ないでほしい、と言う気持ちはよく理解できるはずだと思うのだが。



4月某日 「ちくびをあげて」 エッ?
 「ちくびをあげて 歩きましょう」体操教室で先生が言う。エッ?皆がぎょっとする。
「ちくびって、この乳首ですか?」「そう、乳首を意識して、前に出すように歩きましょう」
2拍子のミュージックにあわせてダンスウォーキングをするときのこと。
「そうね、胸はないけど乳首はあるわ、私も」、みんなで大爆笑。たのしく歩く。なるほど、乳首を意識すると、しぜんと胸を張って首が伸びて肩が引けておなかがへこんで、らくに美しく正しい姿勢になる。これはいい。
先生に座布団一枚さしあげましょう。あなたもお試しあれ!美しく歩けること請け合いです。



4月某日 介護保険
介護保険はありがたい。母は、病院から自宅にもどって、ヘルパー(週に3回1時間ずつ)、昼夜の配食サービスのおかげで一人暮らしを続けられている。
少しは歩けるので寝室隣のトイレには自分で行ける。食事も自分で食べられる。しかし、肺が弱っていて労働はできない体になっている。(本人は病気の理解がなく、いつか元気になると思っている。)とにかく安静第一。調理、掃除もできないし、させるわけにはいかない。だから、この制度がなければ自立できず、引き取るか、施設にいるしかなかっただろう。電動ベッドをレンタルし、背もたれ付き風呂椅子を買い、今週には手すり取り付け工事が始まる。9割の補助がでるのだそうだ。ありがたい。ケア・マネージャーもヘルパーさんもいい人に当たっったようで、これもありがたい。
そうはいっても、手続きやら打ち合わせやら、ゴミ出しやら、買い物やら、結局誰かいなくてはならないので、ほぼ毎日片道25qの道を走っている。案外、気が張っているせいか私の体は持っている。先のことは考えないように、まず今日がすぎたことをよしとしよう。



4月某日 うそ
うちの前の公園には桜ないですよ。といってしまったが、あったのだ、山桜が。
なんで、そういってしまったのだろう私は。
満開のソメイヨシノ、しだれ桜、八重桜を見ながらの話だったからか、聞かれて即答したときには、桜はないと思っていた。翌日、公園を見たら、ほの白い花と薄緑の葉が同時にでていた。ピンクのたわわな桜花ではない山桜だけれど、去年も咲いていたはず。そう、咲いていた。なんなんだろう。
はっとする。老化だ。
記憶がすっかり抜けていたのだ。年寄りの話は眉唾が多いとか、うそつきだとかいうが、本人はウソを言っているわけでなく、いい加減な記憶から確信を込めた返答をしているのだ、私のように。記憶、知識は抜け落ちていくものなのか・・・・そうらしい。



4月某日 障子貼り
猫に引っかかれて破れた障子を一枚、張り替える。気にかかってから数ヶ月。気分がいい。なんでさっさとしなかったんだろう。



4月某日 ほかのことに集中する
悩みが尽きないときは、ほかのことに一生懸命になって、とりあえず、その問題から離れる。
きょうは一日、パソコンで内職をしていた。これがいちばん気持ちを問題から離せる。
内職もうまくいかなくて情けなくなると庭に出て雑草を抜く。雑草のたくましさ美しさは私を元気づける。雑草の写真を撮る。ブログを書く。そのままネットサーフィンしている。
元気があれば図書館に行って本を捜す。それはすごく前向きの時だけ。図書館員に知り合いが多くなると図書館は憩いの場とは言えなくなる。気鬱なときはジムに行ってプールを歩く少し泳ぐいっぱい大浴場風呂に入る。スーパーを歩く。オフハウスを歩く。そこでは知り人には会わないから。
腰も腹も悪い日は、こたつにもぐって大和屋の和菓子を食べる。ゴディバのチョコ1個でもいい。美味しいものは心も癒やす。テレビのミヤネヤを見る。水戸黄門を見る、理不尽の多い世の中でもテレビの中は勧善懲悪が通用しているから人気があるのだなとおもう。
 楽しみの引き出しは多ければ多いほどいい。どれかの引き出しがいやしてくれる。
心配な子どもらのことも、もう、親がどうにかしてやれることは何もなく、人生を達観できない私ははらはらしながら、はらはらなんかしていないよ、ってふりをしている。
話しかけて無視されつづけていても、フン平気ですわ、って顔をしている。ケロケロおばかでいよう。



4月某日 おとなじゃない
ずっと我慢していると、怒りが腹にたまってくる。あるとき暴発する。相手にぶつけて喧嘩になる。相手も爆発する。それもいいじゃないか。感情はどうせ、もれている。
怒った奴めは、原因となった怪しげなメールが来るケータイを、こんなものがあるからだ、と二つに引きちぎって壁に投げつけた。ちゃんちゃん。



4月某日 おとなでしょ
感情的に我慢できなくなると言ったら、大人でしょ、と精神科医に諭された私。
感情に流されずに、冷静にいられる人になろう。
商売をしている人なら、あたりまえで、お客さまに腹が立とうが、儲けのためには頭を下げ我慢する。その経験が浅い私もまだまだ未熟もの。
夜の接待華やかなりし頃で、傲慢な顧客がバーでコップに放尿したのを飲めと言われて、(私なら蹴飛ばして帰ってくるだろうが)飲んだ営業部員。そこまで出来る人はあきれるほどえらい。のちに会社社長になって2億の豪邸を建てた。客はスキルスガンで早世した。世の中帳尻は合っている。
彼は模型飛行機に凝っていたっけ。好きな映画を見たり、体を動かしたり、読書したり、気持ちは他で発散させればいいのよね。



4月某日 青白き街灯
キッチンの窓の外に青い光が映っていて、何だろうと開けてみると、街灯の蛍光菅が、例の青いのに変わっていた。ついに我が家にも押し寄せていたか、寒々と不気味な感じだ。
ただ、この光で犯罪が減るのだという。犯罪者さえ、この街灯の下に立っていたくないと思うのだって。さもありなん。一時も早く立ち去りたいね。



4月某日 総選挙はいつ
町外れの交差点に民主党のポスターが出た。地元議員と並んで写っているのは長妻昭。小沢一郎ではなかった。
自民党のは、麻生太郎が「まずは景気だ 麻生はやりぬく」とさけんで、すでに日に焼けている。



4月某日 ころぶ
 先月、久々に行った体操教室でのこと。2拍子の曲にあわせて歩く練習をしているとき、くるりと後ろを向きしなに、つるんとすべって、ころんで尻餅をついた。今日は床が滑りやすいのよ、大丈夫?と心配されたが、なんとか起き上がって・・・歩けた。ホッ。
 翌日、家でこたつに入っているとき、玄関でチャイムが鳴り、はあい、と答えて立ち上がり、急いで出ようとしたそのとき、座布団に足半分がかかった、と、ぐらりすてん、また、ころんだ。
あれあれ、二日続けて、ころんで、こりゃさすがに老化現象ですな。
 東京の友人は買い物に行くのに15分歩くという。東京の人は元気だね。練馬に住む弟の以前の家も電車の駅まで15分だった。駅の階段の上がり下り、乗り換えを考えると、また行く気になれなかった。田舎では車で戸口から戸口の生活ですからね。足腰も弱るわけです。
というわけで、数日経ってから、膝も痛くなっています。歳だねえ。
老々介護がはじまりました。



4月1日 告白
「ママ、わたしほんとは 男なの」
父親が寝てしまった深夜、コタツで、お茶を飲みながら、娘がボソッと言った。
「エッ!?」
私の頭の中の大型コンピュータはぐるぐるまわって考えている。生まれてきてからオムツを替えていて、ちんちんはないし、半陰陽でもないけれど、いつもズボンをはいているのは、もしや、性同一障害なの?大型コンピューターはカッカッカッとまわるが、なんと答えていいのか、・・・・・その日ちょうどテレビで、イギリスで、こどもが二人ある父親が性同一障害を告白し、家族で話し合い、女性に性転換した番組を見ていたのだ・・・・。う〜ん。しばし間をおいてから
「エイプリーッルフールだよ〜」だって。   やられた。



3月31日 疲れた
約3ヶ月、母が入院していて、13キロ離れた病院へ、ほぼ毎日、見舞いに行っていた。洗濯物の運搬、おやつのつきあい、おしゃべり、やっていることはそんなもので、それが病気を治すことには何も関係ないのだが、ほおっておくこともできず、通っていた。家人も、そのくらいの距離を仕事で毎日往復しているので、私ばかりがたいへんとはおくびもだせない。こちらはお茶飲みしてるだけ。入浴介助は腰痛で早々にギブアップ。介護士さんにおまかせになった。家人は真剣勝負のお仕事。頭が下がる。  が疲れた。
 明日退院の予定。もっと遠距離の自宅での一人住まいに戻る。長男は帰郷しようかというが、母はそれはむしろ迷惑だと返事する気丈さは残るものの、どこまで、元の生活に復活できるかは未知数。介護保険の段取りは全部わたしの仕事になっている。介護申請、ケア・マネージャーさんとの交渉、ヘルパーさん、入浴介助椅子、電動ベッドレンタル、配食サービスの手配。そして、留守宅の大掃除。お見舞いの返礼品の買いだし。病院にいれば、らくらくお任せなことが、医療の手を離れると、雑事はふえるばかり。退院できて良かったなあ、と思っていたつもりが、ここ数日不眠症なのは、これからの日々を気に病んでいるのだわね。



3月某日 新聞を読みながらクスッ
「あなたたちにはトキめかないわ」「今春の繁殖は困難に」と見出しに。佐渡で放鳥された朱鷺の雌4羽(現在生存が確認されているもの)全員が本土に飛来してしまった。佐渡には雄ばかり4羽取り残されている。元気な女たち。もう連れ戻すなんて話は出ないだろうね。

歌人佐々木幸綱が早稲田を定年退職するの一文が掲載されている。
そのなかで、成蹊高校時代の恩師中村草田男のことが書かれているが、「刑事コロンボのようなコートを着ておられた」とある。まだコロンボなどないその頃から、ひどくヨレヨレのコートを着ているなあと印象深かったのだろう。おかしい。
中村草田男の歌では、歌は忘れたが、真昼の麦畑を新婚の彼は「妻抱かな」といって急いで歩いているという解釈の方だけをうろ覚えしているのがある。その高揚感があまりにすなおで。

小池光が万葉集には蝶の歌は一つもないと書いている。意外だ。万葉の歌びとはちょうやとんぼのような 「無音のかそかな生命体」ではなくメリハリのはっきりしたものへ心を寄せる。鳥獣にせよ、昆虫にせよ、あざやかな音声を発するものを歌っているとある。
奥ゆかしいとかつつましいとかの日本美意識は後付けなのかな。



三月某日 インチキに生きている
とりあえず 生きている
寒いときは暖かくありさえすればと思い
空腹なときこそ美味しい物がちょーっとあればと思い
運転中に眠気が来れば、寝れたらなにもいらないのにと思う
世のため人のためになることもなく
稼いでくる人には働かされすぎと辛辣で
病気の人には優しい言葉がかけられず
その日一日が終わるのを 毎日待って
とりあえず 生きている



3月某日 『草庵に暮らす』
榊莫山 著。大正15年生まれの書家、文人。すごく好きだ。昔、片岡鶴太郎の描くものを絵じゃないと言っていたことがある、ほんに。今さんの信楽焼をまだまだといっていた羽賀善蔵に通じるね。
文章は、本質を突いているが、かたぐるしくない。  たとえば
「太平洋戦争に、日本は負けそうになって、学徒動員という、へんな兵隊を作った。/ 学生を、すぐ兵隊にする、というのだ。したって、一人前の兵隊になれないことは、誰でもわかっていた。わからないのは、東条英機という戦争病にかかった陸軍の軍人たちだった。」(「赤目四十八滝」冒頭)とあるなかの、「したって」という、接続の仕方。八十五才にしてこの軽妙な口語。いいなあ。

「伊賀おりおり」のなかでは、彼がせっかく撒いた大根の葉を食べに来る、にっくきヒヨドリの鵯という字は、いやしいという意味で鳥仲間のギャングである、と書いてから「烏という字は鳥の字からヨコ棒一つぬいてある。これまた、いかにもふさわしく、烏は鳥から、なにかぬけおちているのである。小鳥の巣を襲いにきたり、ゴミ箱をあさりにきたり、烏は一人前の鳥ではない。」と続く。ほう、そうなのか、烏は、漢字を当てはめる頃からそんなに昔から嫌われていたのか。個人的な恨みが普遍的に高められているのがおかしい。
そういう世間の風潮に負けてか、烏を主人公にした絵本を出そうとして出版を断られた人をふたり知っている。でも『からすのぱんやさん』は名著だねえ。



3月某日 『おくりびと』異聞
母の入院中の病院でのこと。霊安室の脇に職員玄関がある。ご遺体もそこからお帰りいただくようだ。出くわしたことはないけれど。
ある日、お亡くなりになった方がいて院長先生が見送りにでようとすると、玄関の職員掲示板に映画『おくりびと』のポスターが。ぎょっとした先生は、即、はがさせたそうな。
いくらアカデミー賞をとったからといって、いくら映画館のない町の特別試写会だからといって、やっぱりね、病院ではねえ、このポスターは見たくないよね。無神経な職員もいらっしゃるようです。



3月某日 彼岸過ぎの雪
山沿いでは道路がシャーベット状になったそうだが、平地では、朝、庭先が白くなっただけ、それも昼には融けてしまった。もうスノータイヤを普通のに換えてあるので、ホッ。



3月某日 『食べ物日記』
愛読中。池波正太郎著。昭和43年の1年間の毎日食べたものの記録。この年、鬼平の連載が始まっている。鬼平はおいしい。だから毎日の食べるものにも凝っているだろう、と期待。えーと、ちなみに今日は?

昼・・五目炒飯
夕・・ビール(小2)、ロールキャベツ、マカロニサラダ
夜・・お茶づけ一杯
     
45才、脂がのっている頃だ、食事がわかいわい。



3月某日 まちがいに乗じて
 母の入院している病院の前にポストがあります。収集は一日一回、午後4時。便利なので、見舞いに行った帰りに、ここに手紙を投函していくこともあります。
 5時頃(のはずが)、玄関から出たら、ポストの前に郵便局の車が止まっているではありませんか。「アッ!」と、声を出したら、運転席にもどりかけていた女性の局員さんが「いいですよ」と袋を開けて声をかけてきました。私が手紙を出そうと外へ出てきたと思ったようなのですが、声を上げたのは、いっしゅん時間を錯覚してビックリしたからなのです。電車と違って時間通りではないのですね。
 文通相手へ、いつでも出せるように用意している絵はがきを、持ちあるいてはいるのですが、まだ何も書いていません。でも、でも、

せっかくの郵便屋さんの好意に、いいえ違うんですとも言いづらく、「ちょっと待って、」と言って、とっさに思いついたひとことを殴り書きして、「おねがいします、ありがとう」と、持っていってもらいました。
もらった人はなんのことやらビックリしているでしょうね。「まにあった」なんて書いてあって。



3月某日 死刑論
 二人以上殺すと死刑で、一人の時は無期懲役という、へんな判例がまかり通っている。つまり、以前どういう判決が出ていたかに、それも最高裁判決に縛られて、自由な裁定はなかったのだ。今日はめずらしく、複数犯人が一人を殺害しても悪質であるから死刑という判決が出た。快哉。(正確には1988年に一例出ている)

 私が若かった頃は、刑法に尊属殺という項目があって、子が親を殺すと罪刑が重かった。これは理不尽で旧弊な儒教的法律だと憤りを持っていた。親が子を殺す方が重くなくてはおかしい。そのうち、時代が変わって刑法改正があって削除され、誰が誰を殺しても平等の「殺人」になった。アメリカでは計画性のある一級殺人と衝動的な二級殺人がキチンと別れている。日本では、これも判例にまかせられている。何人殺すとどうのということも、前述のように判例によって、縛りがあったのだ。
 
 今日の判決は、名古屋の「闇サイト殺人事件」。ネットの闇サイトを通じて強盗殺人目的で集まった三人が、行きずりに女性をおそって、金を奪い殺して、山中に捨てた事件である。現代的な事件だ。ネットを通じての犯罪として注目を集めていた。安易に金儲けをたくらみ、感情の希薄なまま冷酷な殺人を犯している。この判決はネット社会への警鐘でもある。悪質なサイトや書き込みに対して法規制、または自主規制が行われるようになるだろう。
 犯人のうち二人に死刑判決、自首してきた犯人の一人には無期懲役の判決が降りた。これはこれでいい、と思う。被告家族の心情は察して余りあるものがあるが、心からの悔いが無ければ、自ら出頭などしないだろうし、あまり情に流れては法も守れない。(私は裁判員制度には反対である。)(えらそうに、なんて、いわないでよ。誰だって、事件を聞いたり見たりすれば、自分なりの感想はもつものなのよ、あなただって、そうでしょ)



3月某日 嫉妬
「しっとは きつね色に焼くといいんや」 
              松下幸之助
適度な嫉妬は向上心になっていく、と。 まったく。



3月某日 死刑論
昔は死刑廃止論者だった。今はちがう。
人権とか、えん罪とかいう前に、あきらかにどうしようもないクズで、ズルで、自己本位の殺人犯はいる。そして、そういう人間を、死刑は非人道的だとして無期懲役にして、何十年間えんえんと三食ベッド付き医療付きで養っていくのは、私たちの税金で、なのだ。毎年確定申告の時期になると、考えてしまう。まして、ことしのように、派遣を切られて寒空に放り出されたホームレスたちをテレビで見ていると、牢獄は天国なんじゃないかとさえ、思う。知的障害をいいわけにしては、障害があっても不器用なほどまっとうに働いている人に申し訳ないことだ。(香川坂出殺人事件の死刑求刑によせて)

ついでだが、食うに困って野宿したり派遣村のテントにいる人はなぜ、求職活動をしなかったのか。(500人のうち派遣村に臨時開設されたハローワークに並んだのは100名だったそうだ)
そこまでいっても職種にこだわり、人手不足の介護はイヤ、養豚はイヤ、農業はイヤ、ときては、それは、ほんとうに食い詰めたとは言えないんじゃないか、わたしは疑問を感じる。それとも失業→弱気→自信喪失→萎縮の 鬱状態なんだろうか。



3月某日 リハビリ
 母はまだ、入院中である。肺炎の重症期を過ぎ高熱も出なくなった。抗生剤の点滴も終わり、やっと酸素ボンベもはずれ、回復期に入った。(主治医の先生ありがとう)
そして日がな一日の寝たきり生活から、理学療法士の先生によるベッドサイドのリハビリが始まった。このプログラムはありがたい。主治医は、やっても病気は良くならんとおっしゃるが、とにかく何もすることのない患者にとって一日のメリハリ、意義、目的ができ、メンタルなプラス効果は大きい。病気は治ったが筋力が衰えて歩けなくなる老人も多い。だから寝たきり予防にはなるはずだ。
 母が、若い男性の先生の支えを受けながら(それも気のハリになっている)、すわったまま、足の曲げ伸ばしや、もも上げをしてもらっているので、私もそばで見ながら同じ事をしているときがある。なぜって、その体操は腰痛体操そのものでもあるからだ。
 もともとが元気で活動派の母は、先生が大丈夫ですか、と心配するほど苦もなくこなしているが、私は翌日、筋肉痛になる。負けています。



3月某日 ラジオ
テレビのニュースを見ていても、なにが真実がわからない。ラジオの丁寧な解説の方が、ずっと真実に近いように思う。朝のラジオ体操の後の「ビジネス展望」や、「私もひとこと夕方ニュース」が、お気に入りです。
テレビの九時のニュースと同じ局が作っていると思えないほど、良質。



3月某日 ラジオ
「おりこみどどいつ」なんて投稿番組があったのねえ。折り込み都々逸なんて、なつかしいな。知ってる?五七五が川柳だけど、都々逸は七七七五で、本来は三味線をつま弾きながら、唄うもの。たとえば「おまえ百まで、わしゃ九十九まで、ともに白髪が はえるまで」みたいなやつ。
今日のお題は「おそまつ」、句の頭にこの字をいれて、風刺のあるあるいはペーソスのある唄を作る。ふ〜んと聞きながら、みんな忘れてしまった。選者が90才で、酸素ボンベを付けながら放送しているというのに気がいっていた。すごい。



3月某日 だめ親のグリンピース事件
姪っ子が、実はカレーライスが嫌いだったと、学業を終え家を巣立つときはじめて、その親は知った。家には何人か子どもがいたし、子どもというものはカレーが好きな物と、どこの親も思うようにその親も信じて疑わなかったのかな、従順で親思いで子は親にそれは嫌いと言えなかったのかな。それを聞いたとき、そのことに気づかなかった母親を、あらま、と思ったのだったが、今回のグリンピース事件では、私はそれを上回る、ダメ親だった事が露見してしまった。
鹿児島産の生のグリンピースが店先に出ると、飛びついて買う私。春だ春だ、ウ〜ン、春の香りと。お子様ランチにはグリンピースはつきものだし、桃の節句にはグリンピースの豆ご飯が我が家のおご馳走だった。ただし、上の子は嫌いだと言って全部よけて食べ残していた。他の子は、食べていたので、この上の子だけがかわりものね、と思ってきた。ところがろころがこころが、ことし、一番下の子が「私もできればないほうが・・」という。ええっ?そうだったの?とびっくりした話をもう一人にしたら、その子も、「私もできればないほうが・・」という。ええっ!!??子どもの心を知らずに何十年、とりかえしのつかない月日・・・・。
ひとりがてんの だめ親って私の事じゃないの。あーあ、子どもたちが生きにくく苦労するわけですわ。なんて、親思いの子達だったのでしょうねえ。すみませんでした。



3月某日 希望
希望は絶望から生まれる。とおもう。おもおう。おもうとき、おもえば・・・
あきらめ、諦念のときを経て、・・・・思えば叶うかも。



3月某日 変わりなし
寒い寒いと、言いながら 
もう、三月になっている。
目標があるでなし、夢があるでなし、
週末のレジャープランもなく、
変わりのない日々がすぎていく。
ありがたきかな。また、かなしかりけり。



2月某日 処世訓
「今日できることでも今日はしないで寝よう」
「明日でもできることは明日にまわそう」
「まずは休め」・・・・・・自作自演

えらそうに理屈をこねて「脳が欲することだけをしよう」なんて言ってる人もいるが、好きなことをやっていると、苦を苦としないでたのしめる、ってことで、できれば誰もがそうしたいのサ。



2月某日 児童文学作家の「わたしが子どもだったころ」
上條さなえのドキュメンタリー番組を深夜テレビで見ている。作品すべてハッピーエンドなのは、私が幸せになりたいから、10才の頃に戻ってやりなおしたいから、と語る。(そうか、そういう幸せになる方法があったか)
日雇い労働者の父とふたりドヤに暮らす、10円玉1個の昼飯代、パチンコ玉を拾って生活していたこと・・・・。父を捜しているとウソを言って映画館に潜り込んだこと・・・。そして養護施設の先生との信頼感から教師をめざして今日に。(あの戦後の厳しい時代をすり抜けてきた辛さが、かえって柔らかさに変換されているのが感動です)



2月某日 ノン読書
寝込んでいないときは本を読んでいない。寝るときのナイトキャップは、はまりすぎると目が冴えて、夜更かししてしまう。(と誰かも言っていました。)だから、おもしろくなさそうな本か、無料の小冊子か、最近はケータイ。
ケータイだと、電気スタンドを付けなくていいので、近くで寝ている人に迷惑がかからなくていいかな、と。何を見ているかというと、EZから最新ニュースやお気に入りのブログやサイトをみたり、アメリカのケーザイ情報を確認したり。PCサイトビューアーでgoogleの検索もできるので、パソコンと同じようにも使える。ゲームは根気がないのでできない。ケータイ小説は寂聴ので、もう飽きた。
難点は、つい、そのまま寝入ってしまうこと。そこで、定額のコースに変更してらくらく、「そのまま寝」をしています。



2月某日 横転した軽自動車
 夕方のスーパーの駐車場に消防自動車が集まっている。救急車も、化学消防車もしくは救助工作車も来ている。パトカーも。ぴかぴか点滅する赤色灯がはなやかだ。買い物に来たのだが、元来が野次馬根性の持ち主なので何事か見に行った。
 すると、駐車場の通路の交差点の真ん中に、白い軽自動車が横転している。私が近寄ったときは、それを4人の消防士が「一・二のさ〜ん」、とかけ声をかけて、元に戻しているところだった。(え?、軽自動車ってそんなに軽いの?)
がしゃーん、と大きな音がして元に戻った。車には誰も乗っていなかった。よかった、もう脱出していたのだね。消防士はいそぎ、折れているフロントのエンジンルームを開けてなにか工作している、爆発予防かな。
 近くで女の人が警官と話していた、別なところでも男の人が警官と話をしている。よくわからないが、車の衝突なのかな。救急車は動かない。けが人がないといいな。搬送先がないから、なんてことじゃないといいな。・・・と思いながら、夕飯の買い出しに戻った。それにしても、軽自動車は事故に遭うと被害を一心にあびるから怖いなあ。



2月某日 カレンダーまた
二つある個室のもう一つには、堀口大学カレンダーがかけてある。
良寛は、この県では地元の名士だからか謙虚げな人柄だからか、人気が高いが、嫌いだという者も少なくない。(うちの母なんかもあのくねくね字が好きじゃないといっていたが)わたしも、どちらかというと、生意気な(?)会津八一や、知的ですました(?)堀口大学のほうが好きだ。
2月は「小学生」という詩。

「先生
植物学はうそですね
樹木もやはり笑うのです
梅が一輪さきました」

絵はない。そこがまたいい。赤木かんこが、今の本はビジュアルが進化して活字がきれい、旧版は読めなくなる、といっていたが、このカレンダーの活字も美しい。じゅうぶん「絵」だ。
今日は九州には春一番がきていて、東京は20度、こちらも10度を越えた。夜半、戸外に立っていても寒くない。そんな日、庭の梅の木に花はまだ咲いていないが、この詩も口ずさむと、もう咲いたかのような心持ちになる。暖かい。



2月某日 「ガリバー旅行記」
「只今では小児だけが読む書物に成り下がったようで、『かちかち山』の長いのだと心得て居る人が大分ある。スイフトには甚だ気の毒である」「こんな種類の書は殆ど無いがー古今の傑作である」「暇があるなら読んで御置きになるがよい・・・此所に居る諸君も定めし目を通された事はなからうと思ふから、厭でも我慢して御聞きなさい。」なんて前口上をして、すっぱすっぱと講義する。これは痛快でおもしろい。この風刺家をべた褒めしているが、「見識がなければ風刺は書けない」というから、『猫』は見識を持った人の風刺の書なのだね。18世紀英文学史講義をまとめた『文学評論』(15巻)より。18世紀の英国の背景説明に「珈琲店、酒し及び倶楽部」なんて項目もあって珈琲店はいかなるところかの解説があっておかし。
(声はかすれてしまったが風邪は退散の方向へ。コホコホ)



2月某日 『それから』『門』
ふう〜、高等遊民だねえ、この代助(いらいら)、平岡(こらこら)宗助(ふにゃふにゃ)。男ども、しゃんとせーやとどなりたくなるね。ゴホゴホ
と、ここでタイミング良くテレビで漱石ドキュメント(ちょっとおふざけ系の)。
そうか、出産後間もなく子どもを亡くして入水自殺を図っていたのか鏡子夫人は。いろいろな実体験が反映されているのですね小説に。しみじみ。
つけたし:『門』の情景描写は美しいなあ。



2月某日 『心』なんかを読む
赤木かん子の読書ガイドを読み、笹生陽子の『ぼくは悪党になりたい』を読んでしまったら、もう、図書館本もなくなってしまった。仕方ないので、本棚から漱石を引っ張り出す。まじめつながりで、まず『心』。
推理小説的に、先生の死の秘密に読者の興味を引きつけていて、ハラハラドキドキだったのだろう、発表当時は。いまも、それはあるので、読んでしまう。
純粋・潔癖なおかつ(いっとき)自己中・狡猾な、恥じ入りたい先生の心は、私の中にもある。たぶん誰にもある感情で、共感を持つゆえに、読みつがれているのかな。
それにしても、こんな次々死んじまう話、よく教科書に載せてるねえ。(源氏物語然り)心理学的には、これで作者・読者はよみがえるんだけどね。
また、明治時代すら金の世で、経済生活が後ろにしっかり描かれていて、高等遊民の絵空事になっていなかったことには、若いときは気づかないでいた。再読の効果ありだ。
女性の心にまで分け入って描かなかった漱石先生が、現代に生きていたらどうだろうー先生の奥さんがKの事実を知って、それでもとともに生きていったのだとしたら・・先生が息が詰まってそれから女狂いに走ったとしたら・・・ーそれは現代の別なおはなし。  ゴホゴホ。



2月某日 風邪かな
熱が出て、咳が出て、痰が出て、
咳き込みはじめるととめどなくなり、屁も出て、しっこも漏れる、やれやれ。
 三日目ともなると、頭が臭くてかゆい。入院中の母が頭をかゆがるわけだ。
 


2月某日 チャルメラの音がする
今は夜の9時45分。どこかでチャルメラの音がする。この音はときどき聴く。12時頃に聞こえることもある。こんな田舎の住宅街で、意外だ。正体はわからねども、チャラリーララ、チャラリラリラーリラの音を聴くと、やっぱり熱々のラーメンが目に浮かんでくる。食べたい。



2月某日 近所の交差点の花束
 うちを出て、三つ目の交差点に、この半年、花束がとぎれない。交通事故死があったのだろうなあ。それにしても、えんえんと花が飾られているのは?
 その経過がやっとわかった。うちの学区の中学生の事故だったそうだ。
土曜日、隣の中学へ部活の練習試合で自転車で仲間と出かけた帰りに、トラックに接触、しばらく入院治療していたが、とうとう帰らぬ人に。
 ふだんは、まったく人通りのない田んぼのそばで、通勤時間以外は車もこないところ。それで、トラック運転手も自転車隊の出現は思いがけなかったのだろう。気をつけなければ。事故を目撃していた少年達も、まだ生々しい悲しい思い出を抱えているのだろうな。合掌。



2月某日 近所の殺人事件
 車で5分ほどの公園駐車場の車の中にパキスタン人の中古車販売業者の男性の死体が発見され、新聞を賑わせている。
ロシア人相手の両替商もしていたので、常に現金1000万〜1500万円を持ち歩いていたという。なんとワイルドな商いだろうね。
 近くに貿易港に国際空港があるので、この辺はインド人、パキスタン人、ロシア人の中古車業者が多く、スーパーで、裕福そうな外国人家族を目にすることも普通になっている。数年前も空き地のコンテナにロシア人の死体が発見された。事件が国際的なのだ。
 近々のニュースで、ロシア経済の悪化から、日本車の輸入に対して大幅に関税が引き上げられて、日本の中古車がまったく売れなくなり業者のデモが行われたと報道していた。こういう世界情勢と無縁ではないような気がする。



2月某日 犬の散歩
(犬の飼い主さんに)「散歩の時間ですよ、(たまには自分で散歩に連れて行ったらどうかねえ)」
(犬の飼い主さんは)「寒いから・・・(行かないよ)」
(犬の飼い主さんに)「ええ?スキーに行こうって人が寒いだって!?(あらら、飲み会で若い女の子に、スキー、ゴルフはやったことがないけれどどうですかと聞かれ、おもしろいからやるといいよと答え、スキーに行こうかななんて気になったと夕べのたまわれた方がいましたね。痛風だの、血圧が高いの、朝は足が痛いのどうのと、まったく犬の散歩をさぼっていたのにねえ。寒いのがイヤな人がスキーにいけるかしらん???)

(犬の飼い主さんは)黙って、犬を散歩に連れて行く。



2月某日 読書
 『シャバヌ ハベリの窓辺にて』を、前に読んだのを忘れていて、又借りてしまった。スザンネ・フィッシャーステープルズ作のポプラ社刊。
第一巻の『シャバヌー砂漠の風の娘』の印象が強かったので、お、次の新刊が出たのかと勘違いし、しばらく読んでから、あ、読んでると、やっと気がついたお粗末な次第。

 だから、前に書いているかも知れないが、これはアメリカ人のアジア特派員経験のある女性による現代の田舎のパキスタンを描いた小説。古い古い因習が残り、12才で贈答品として60才の有力者に、第4夫人として父親によって差し出されるシャバヌ。砂漠でのびのび自由に暮らしていた少女は、使用人をたくさん使い衣装と宝石とお茶会だけが話題の富裕層の妻たちとは、なじめない。身分制度、嫉妬、迫害、気に入らないものは撃ち殺すこともまかり通るむちゃくちゃな権力者の横暴の中で生き抜く少女シャバヌの物語。
 夫は若い第4夫人をかわいがるが対等になど見ていない、ひそかな恋をしてもそのアメリカ帰りの青年は特権階級を捨てるわけではなく感傷だけ、自分は自分で守っていくのだと、賢く生き抜く、とにかく生き抜くのが先決、という明快なメッセージが爽快。
いらいらしながら読んでいくが、夫とわかりあえることは期待しない、たよるな、自分を守れ、と生きる知恵をいただいた。
 読み終わって、昔読んだパール・バックの『大地』を思い出した。当時、中国ではまだ「てんそく」が普通、それを奇異に思うアメリカ人女性が書いた。そういう本かな、これは。
日本の昔の児童文学も、理解のない大人達の中で、めげず生き抜く少年が主人公だったなあ。そういうほんとうの冷たい社会を書いた児童文学が今はない。甘ったるい、子どもに迎合したものばかりだ。これでは、生きていく力がつかないよね。



1月末日 カレンダー
 のんびり構えていて、年の暮れにカレンダー(冷蔵庫にはる予定表)を買い忘れた。1月中旬過ぎ、紀伊国屋へ行ったら「申し訳ございません、カレンダーはもうおいてありません」と言われた。
その帰りに、つたやへ寄ったら、まだだいぶある。よしよし、そのうちバーゲンをして安くなるだろう、と買わずに帰る。
本日、出かけていったら、目星を付けていた季語付きは売切れで、キャラクターものと事務用品の「能率」の数点しかなかった。しかも、安くなっていない!
まあ、いいか。能率の能率的なもので、まにあわせた。

 90センチ四方の個室用も今年は買い損ね、間に合わせていたものがふんいきがあわず、ハタッと気づいたのは去年のカレンダーの活用。
はい、去年の4,5月はことしの1,2月と同じなんですね。カッターで、切り取って、セロテープで貼り付けて、はい、できあがり、2年使えるカレンダー!!



1月某日 読書
さいきんのナイトキャップは『星の王子さま』
ざらついた心にはじーん染みいるおとぎ話です。純粋に生きていた頃の思い出の本。
なつかしい岩波の内藤濯訳でよんでいますが、昔は感じなかったけれど、「そのぼっちゃんは、」とか「ウワバミってとてもけんのんだろう、」「きみ だれだい?とてもきれいなふうしてるじゃないか・・・  」とか、古色蒼然とした表現が気になる。なるほど、新訳が出るわけです。



1月某日 読書
マンガ本に逃げてるね、そもじは。
『ガラスの仮面』の最新刊43巻は、おもしろかったけどね。某総理大臣じゃないけれど、こちとらも30年読み続けておる。
『美味しんぼ』を食事中に目の前で読むのはやめてくれないか。それは粗食孤食の友。



1月某日の次の日 またわすれたあ〜
昨日の失敗をなぜに、今日も。今度は後部左座席の窓が開いてました。雪が積もってましたあああ・・・・。



1月某日 わすれたあ〜
久々の大雪。夕方、車の(運転席)の窓を開けて後ろを確認しながらきっちり車庫入れ。車庫と言っても露天です。そのまま、家に入ったらしく(それは覚えていないのですよ)、翌朝、「おい、窓が開いてるよ」と家人。車内に雪が積もってる〜。
よくあるよくある。
ATM脇に、買ってきたユンケル忘れて深夜に取りに行った(セコムさんありがとうの)キミコロさんのお母様のやることは、・・・・にたかよったか遺伝子つながりです。



1月某日 読書
本に逃げてるよね。そなたは。



1月某日 食欲
美味しいものさえ食べられれば、それで 満足。きょうは地元の米希屋の大粒の苺入りの苺大福に愛。じゅわーっと苺水がたれてくるのを急いですする、こんなとき生きていてよかったあ、と思う。
バイトをしているときは、お金はいらないから眠らせて〜と睡魔と戦っていたこともある。なんて低レベルな欲望。
(高邁な政治論の後にこれだよ、この人は。)



1月某日 オバマ大統領就任演説
一日経つと、政治評論家は厳しい評価を出している。総花的だの、実行不可能とか。
そうであったとしても、生の中継を聴いていると、涙が出た。
高潔な政治をめざすこと、建国の精神、父の世代の黒人迫害の歴史、そのさまざまな困難を乗り越えてきたように「希望と美徳をもって冷たい川の流れにたちむかいましょう」とよびかける姿は、じーんと来た。
かつて米国は戦後の私たちの民主主義の手本であった。しかし昨今は、富裕層だけが自由主義を謳歌し低所得者層は放置され、戦争すら利益のため、利権と詐欺の横行するのがアメリカだとあきらめていたのだが、今、歴史の大きな転換点を目にしているのだろうと思った。
こうスピーチできる政治家は、日本にはいない。いつか出てくるのだろうか。



1月某日 レンゴーという会社
あなたはレンゴーという名の会社をご存じですか。
この町の近くに、このカタカナの名前の看板のある大きな工場があった。レンゴーといえば、労働組合の連合?そんなわけないけれど、何の会社か、ずっとわからなかった。
あるとき、新聞に、段ボール紙を日本で(世界で?)初めて作った老舗の製紙会社だ、と載っていた。へえー、すてきだな。ここに工場があるのは、国際貿易港が近くて、高速道路も近くて、物流に利便性のある土地柄だからなのかな。
 ところで、今日、注目しているのは、昨今の派遣労働者の首切りニュース関連でである。
レンゴーは派遣労働者の首を切らないで、正規雇用に切り替えるというのである。会社経営としては損失を大きくすることになるのだろうが。
これは快挙で、うれしいニュースだ。いまどき、なんて素晴らしい経営者がいたのだろう。
 派遣切りは、景気減退で生産活動を縮小するためにという名目で、大分キャノンからはじまって、トヨタ、日産、ロームなど大手の企業が続々おこなって、毎日ニュースになっている。
 雇用を突然打ち切られた労働者が職員宿舎を追い出され、路頭に迷い、東京は日比谷の派遣村などで夜露をしのいでいる悲惨さは日々のTVニュースでなじんだものになってしまった。
 キャノンの御手洗社長は今の経団連会長、トヨタの奥田前社長は前会長だというのに、この日本企業のもうけ頭のやることといったら、結局、自社の利益追求だけで、それが日本を代表する企業というのはお粗末な話だ。
 レンゴーのすてきなニュースの翌日、大分キャノンでも、派遣労働者の首切りを見直す旨のニュースが出た。社会のパッシングの効果だろう。一般庶民を敵に回したら、商品が売れなくなるぞ
、とやっと気がついてくれたのか。こうでなくちゃあね。

去年『蟹工船』が、一大ブームだったが、抑圧された労働者に、現代を生きる人たちが共感を持つなんて、変な社会になっていたのだな。斉藤美奈子は『蟹工船』とならべて、鎌田彗『自動車絶望工場』がより現代的な搾取、非人間的扱いの労働者を書いているという。作者がトヨタの季節工として働いた自動車生産ラインの工場の日常を書いたものだ(「中古典のススメ」より)。時間刻みの派遣労働者は、これよりもっと下層の身分だとも言っている。これがつい先日までの日本の繁栄の裏側だったのだね。



1月某日 谷川俊太郎の詞

   ともだちあはは
ひとりでくすん
ふたりでごろん
さんにんよにん
ともだちあはは

くるくるぬって
ぺたぺたつける
いろいろきれい
できたよほらね

きらきらこのは
そよそよゆれる
たからはどこだ
あしたがくるよ
  『ひとりひとりすっくと立って』谷川俊太郎校歌詞集より

「ゆきげのあとの春の野に
すくすくのびるみどりぐさ
あれなのみんなもあれなのね・・・・」という、
斬新な校歌(堀口大学作)があった、うちの子が通っていた小学校のとなりの幼稚園の園歌です。
 この詩を作っていた頃、谷川俊太郎は佐野洋子と蜜月の新婚時代で、真っ赤なスポーツカーに乗って二人で幼稚園に来ていたのよ、と聞かせてくれた人がいた。・・・真っ赤なスポーツカー!
今は別れてしまった二人にそんな頃、(再々婚と再婚の50〜60才の頃?共著の『はだか』で、なまめかしい官能を描いていたころだろうか)があったのねえ、という身近な感傷もあって、図書館でふと手に取った本の一番目に出てきたときはおどろいた。それがこれなのね。傑作なのか。
 谷川に『わたし』という絵本がある。主人公は私=みちこちゃん、お父さんから見たら「むすめのみちこ」、隣のおじさんからみたら「となりのみちこちゃん」、犬からみたら、宇宙人からみたら・・と「わたし」という存在を相対化してゆく視点が斬新で、定番絵本となっているが、佐野は、みちこからの視点がない、みちこの心がかけていないというようなあるいは客観はあるが主観がないというような(記憶があやういので表現はちがうかもしれないが、これを話してくれたのは工藤直子である)ことを指摘、佐野はすごいなあと感動した。谷川の甘さ、グローバルな高さ。佐野のするどさ、一点にふみとどまった深さ。それも破局の原因かも知れない。  それはさておき、
 子どもには未来があって、あかるくあすをめざすという詩は谷川の本領。
じーんと来る校歌がたくさんありました。なかでも

「かんじる ゆめみる といかける
・・・・

かんじる つたえる おもいやる
・・・・

えらいひとに なるよりも
よいにんげんに なりたいな
どうししゃしょうの わたしたち」  と歌う校歌が好きです。 

よいにんげんになりたいなあ。



1月某日 抗菌グッズ
斉藤美奈子は「こんなものいらない」というが、抗菌グッズはすごいよ。
風呂の洗面器と石けん入れと椅子を買い直した。使い始めて半年たつが、そうじはお湯洗いだけですんでいる。カビも生えなければ黒ずみもしない。たいしたものだ。
文芸評論では一目も二目も置く方だが、生活者としては、やはり後輩だな。



1月某日 街灯の灯り
電柱に付いている街灯の蛍光灯が、この頃、ぽつぽつ青いのに変わっている。蛍光灯でさえ白々していて暖かみがなくてあまり好きではなかった。昔の電球はほっとするなごみがあった。暖かそうでよかった。それなのにこの色はなんだ。青白く照らされたまわりは冬はとりわけ寒々としてみえる。ひんやりした熱のない光はその下に幽霊でもいるかのようだ。
イヤな流行りの一つの、(住宅街の)クリスマスイルミネーションも、この青白い光がふえている。エコだかLEDだか知らないが、わたしは好かない。



1月某日 「北風と太陽」
なかなかなれない太陽。
太陽になろう、不満があっても飲み込んで、いい人になろう、と心がけているが、肝心なところでは、感情的になって冷たい風をふかせてしまう。それはまだ大人になりきれていないからか。いったい、いくつになったら大人になれるのだろう。
日暮れて道遠し。



1月某日 誤字
「御歳暮」と書くべき上のし紙に「御盛暮」と書いていた。何の迷いもなく書いていて、後になってハッと気づいた。
そしてまた「定年」を「停年」と書いてしまった。気分的には、どちらも書いたとおりで、抵抗感はない。これでもいいじゃないかと思う。しかし、大人としては情けない。どこかのソーリ大臣みたいだ。今後はケータイでいちいち確認せねば。
頭の中で、ひらがなで想起する字を漢字に変換出来ないことも多いのだが、これは老化ですな。



1月某日 友
日常のなにげない会話がない、気持ちを受けとめてくれないので絶望的になる、とアメリカの主婦がその振り向いてくれない夫と集団カウンセリングを受ける話をテレビでやっていた。分析するのでなく、聴くだけでいいのだと、夫はアドバイスを受けていた。最後は手を取り合ってキスをして歩いていく。アメリカだなあ。
診断も判断も解決策もいらない、ただ、話を聞いてもらえればそれで満足感をもてるということが、いっけん聡明にみえる博識の人には理解がむずかしいようだ。そういいながら、自分もできていない。博識ではないが中途半端な知識がじゃまをしている。
話を聞いてくれる友がいれば鬱病の精神科医は要らない、と言った精神科医がいたが、「つまらん話」を受けとめてくれる友のサインがあると、ホッとする。ありがたい。



1月某日 母の入院
一人暮らししていた老母を入院させる。人は老いて死ぬ。幸福な人生を送れれば誰もがその道をたどる。しかし、あの年代は老いる覚悟もなければ、老いているという自覚もない。なかなか風邪が治らなくてねえ、と言っているが、肺に機能低下があって、年齢的に、もう回復するものではないことを説明されているのだが、理解していない。それは、幸福なことでもある。いつ死んでもおかしくはないのだけれど。
ごうつくばりで、わがままな年寄りが長生きするのだと家人は言う。この肺炎を治すとまた長らえるだろう。
 今、我が家には、死には耐性のあるものばかりだ。週に何人もの死を見送っている人に、不審死体の監察医の手伝いをしていた人に、これから死にに行く人を10才で見送った人しかいないので、こういう事態には動じていないが、疲れる。



1月某日 駐車場
巨大スーパーの駐車場は千台収容。その、入り口に一番近いいい場所に、はじめて車を止めることが出来た。ラッキー。ことしはいいことありそう、という気になる。



1月某日 家財保険
家財保険を掛け替えることになって元警察官の保険屋さんに来てもらった。保険屋さんは、50代以上の普通の庶民の二人家庭だと1500万円くらい家財があるんですけどというが、うちは1000万円で充分です。(注:うちは借家なので火災保険はかけられません)

初めてきいたのだが、80万円以上の高額商品、とくに美術品骨董品宝飾品は領収書や鑑定書を添えて前もって申告してくださいという。ふーん。

骨董品はどのくらいありますか?というが、・・・そんな高いものはない。
そのとき、床の間にあった良寛の掛け軸はコピー商品5万、ツケの貯まってる本屋への義理買い。
おなじく床の間の絵皿は15000円、うちでは最高値。
壁の額装した書は?田舎の近所のじいちゃんの書いたものです。
桐の箪笥は?ばあちゃんのお古です。
ケヤキの座卓は新婚時代の1万円だったものだし。他の掛け軸も拓本かコピーもの。
ないんです。骨董市も好きだけど高いものは買ったことがない。たいてい何百円の世界。(そりゃあ、買えたら買いたかったわねえ、いろいろ)

絵は?そこのは15万。夫が田舎に法事に帰ったとき、一宿一飯の義理で親類の画家の絵を(半値でいいよといわれて!)いただいてきたもの。それもお金を出して絵を買ったのはこれだけです。

該当するものはありませんというと、女の方だと宝石は?ときた。
ないです。あるのは母のお古の真珠くらいで、それも、サイズ直しに出した宝石屋さんで、そんな小さいものは娘さんにやってこちら(30万円)のをお母さんがお買いになったらと言われた(がもちろん断った)しろもの。25000円以上のものは買ってもらったことないですと答えると怪訝な顔して、信用されない。そうだろうな。

毛皮、時計、バック?ないない、服はユニクロだし時計は生協だし、(あ、我が家はクジャク一家なので、夫はダンヒル、バーバリね。でもさすが80万を超えるものはない)。
本は?といわれても、1点でそんなに高いものはないですよね。日本古典や漱石やら龍之介やらの全集ものはあっても、燃えたらラッキーです。老後は身軽が一番。重くてじゃまなものがなくなるし、シミの大量発生を悩まなくて良くなる。

考えに考えてーあったあったーチョー初期のDOSV以前のヒューレットパッカード社のパーソナルコンピューター、150万円。えんえんローンを払ってた。しかぁし、今は使えない代物。そういうのはカウントしないそうです。パソコン家電は安くなるばかりです、トホホですね。

あった、ぎりぎり価格でヤマハのピアノ、ただし25年もの。領収書なんか取っておいてないわねえ。話したけれど無視されました。

ほんとに、信用されなかったですよ。奥様方は宝石を買ってもらうものなの?高価な美術品を集めているの?うちって実は貧乏家なんですかあ、これでいいほうだと思っていましたのに。ショーック。



1月某日 いやな女
自分は善人で人にすかれるたちでいいことをしていてロマンチックで純情だと思ってる。だから、こそこそ隠れてばれなければ何をやってもかまわないと思っている。だいっきらい。いつか報いが来るぞと呪ってやっているが効果はない。六条御息所はえらい。



1月3日 あけおめ
あけましておめでとうございました。
本年こそは良い年になりますように、と願ったところで
そうはならないでしょうねえ。
景気は悪そうだし、歳がふえればシワもふえるし。
相変わらず楽天的にはなれないで、また一年暮らしそうですなあ。
というわけで、どうぞ、ぼやきにお付き合いください。