2010
いかり・くどき・おもにぼやき・どきり・かんどー・しったかぶり・かくしごとあり・ほらハなし
6月某日 消防署と高速道路
「おうちを出れば空がある」は与田準一の詩だが
私の おうちを出れば消防署がある。
どっちも好きだ。詩も消防車も。
まず、詩をご紹介、小学生のころからの愛唱詩
(何度目だろう、前もUPしたね)
「
空がある
与田準一(よだじゅんいち)
お家(うち)を出れば空がある。
きっとお頭(つむ)の上にある。
屋根の上にも空がある。
いつも見あかぬ空がある。
アンテナのさき、空がある。
いつも澄んでる空がある。
電柱の上、空がある。
とてものぼれぬとこにある。
椎(しい)の林に空がある。
ハンカチのよな空がある。
椎のかげにも空がある。
冷えた泉の底にある。
街の方へも空がある。
あおく流れた空がある。
家のすきまに空がある。
切れた四角の空がある。
雲の上にも空がある。
雲によごれぬ空がある。
空の上にも空がある。
神さまの国、空がある。
遠いところに空がある。
高いところに空がある。
一度行きたい空がある。
ああ、どこにでも空がある。 」
で、消防署。
ことし出来た消防署は、さっそく散歩コースに組み入れて、犬を連れて消防車を見に行くのが楽しみになった。
(なにしろ、大好きな消防車、なんていうと子供じみているけれど、蒸気機関車や鉄道ファンの鉄っチャン・鉄子がいるなら、消防車ファンの消チャン・消子がいてもいいですよね。)
その消防車は40メートルはしご車を入れて10台もいるし、ハイパー救急車も2台いるのだ。気にならずにいられない。
うちにいても、近いので消防車や救急車が出て行くのが聞こえる。だいじなければいいが、と思いながら、たのもしく思っている。
それが、さいきん消防署前の道路が工事中で、街のほうへ出動する車は、我が家のまん前まで来て曲がっていく。火事の緊急出動には出くわしてないが、巡回の消防車がカンカンカンと鐘を鳴らしてくると、つい、窓を開けて、どの車かなと覗いてしまう。
その消防署の上を高速道路が走っているように見えるのだ、うちからは。昼間はよく見えないが、夜はライトがビューと走っていくので、しっかり見える。おもしろい光景だ。
夜10時が消防署のガレージのシャッターを下ろす時間らしい。犬を寝せる前に、おしっこのため外へ出るのだが、ちょうど閉めている消防士さんをみることもあれば、12時を過ぎてもシャッターが上がったままで煌々と明かりが見えるときもある。そんなときは救急車が一台いない。お仕事ごくろうさま。
真夜中も起きて見守っている人が近くにいるのは心強いです。
6月28日 高速道路無料化で
近くを走る高速道路が無料になった。いつも、ひっそりして通る車のない時間帯もあるのが、通行料が2.5倍になったそうで、とぎれることがなくなった。
一車線しかない道路なので、不慣れな車が増えて、制限速度70キロを守っている軽自動車がいて困ると(ふだんは100キロくらい出している)今まで通勤に使っていた人は怒っていた。誰かは言わない。通報されては困るからね。
6月某日 「ラプンツェル未遂事件」余話
どんな家に住みたいかと聞かれれば、私は、段差のない平屋(で窓から空と樹木と草原のみえる家)と答えるが、岸本佐知子は、高い塔のてっぺんに孤独に住んでみたかった。
彼女には、高い塔に幽閉されたおとぎ話のラプンツェルはあこがれで、髪を垂らして王子に助けなど求めず、そこでいつまでも幸せに暮らしただろう、なんて言っている。
その彼女が、近所に高い塔(各階に窓があり、屋上にアンテナがある)を見つけたとき、最上階を借りたいと手付け金を持って出かけていった。ただし、6畳間を十個重ねたような形状だという。 ?
電話も、来客もなく小さな机とベッドだけがあればいい、なんて、つまり日常は電話がひんぱんで、お客も多いということなのだろう。〆切りに追われる作家ならではの望みだろうね、私とは反対だ。
ただ、この話のオチは、その建物が、消防署の訓練塔だったこと。
それ、うちのすぐ近くにもある・・・。
買い物ついで犬の散歩ついでに、私も見かけるのだ、全身オレンジの人たちが威勢のいい声を掛け合いながら、ロープで、外壁を降りたり登ったりしているのを。たのもしいなあ、と眺めている。
岸本さんは、それでも「あそこに住むことはできないんでしょうか」と訊ねて、それは無理だと全身銀の人に即座に言われている。消防士でも、放水する人は銀の防火服、救助隊はオレンジの制服。その違いはあるが、なんだか、ゆかいな話だった。
友は、ラプンツェル研究の連想で推薦してくれたかな?それ以上に”現実的に”たのしめました。
6月某日 たわしはえらい
3年使っている亀の子タワシと2年使っている両面タワシ。腐らない、壊れない。減らない。
まだ、使えそう。ある日、気がついてビックリした。その間、スポンジはいくつ買い換えことか。
私の歯磨き粉は、生協の界面活性剤・保存剤無添加のチューブのもの。お茶の味が変わらないという美点で何十年来愛用している。
欠点は、マメに洗っていないと、フタと本体の間に、黒く腐敗物(カビ?)がこびりつくこと。家人の使っている大手メーカー品では、そういうことはない。何か防腐剤が入っているんだね、考えたら怖い。
そこへいくと、タワシは、抗菌剤もなにも入っていそうもないのに、カビは付かない。
タワシよ、あなたはえらい。
6月某日 「本とも」
図書館で予約していた岸本佐知子著『気になる部分』がやっと来た。「ふみ友」が、そのなかに「ラプンツェル未遂事件」があり、きっとお気に召すでしょう と教えてくれた本だ。たのしみ、うずうず・・・。
文友は本友でもある。ほんと。
6月某日 カラス
天気のいい日は、公園でカラスが騒がしい。親がエサをやっているグルルルrという音が聞こえてくる。巣から落ちてまだ飛べない子を育てたことのある私はくわしいのだ。
4匹家族だ。子どもも、もう飛べるようだ。だが、ときおり親が子どもを守るときに発する他者を威嚇するグガァーグガァーという声もする。この声を出しているとき子に近づくと頭をつつかれる。先日、目線をずいぶん下に向けて、がなっているので、誰に?と覗いてみたら、ブチ猫が悠々と公園を横切っていた。猫とカラス、どちらが強いのかな。
ちなみに、巣は例の近くの大ケヤキだろう。葉のない頃、巣が2つ見えた。新旧かな。テリトリーはうるさいはずだから。
ちなみに、かっこうも、朝に、夕に、時々台所の前の電線に来る。おしりをぴょんとあげてはカッコウ、あげてはカッコウと数度鳴いて姿を消す。おい、飯の仕度は出来たかと見張りにきているかのようだ。
とうとう、うぐいすは来ないで、春は終わった。(というか、もう夏)
6月某日 野の花の絵本
図書館の新刊書コーナーで、『イギリスの野の花えほん』を見つけて借りてきました。キンポウゲの野原とか、ハリエニシダの丘とか、イギリスの本を読んでいても、よくわからなかった花たちに会えて、うれしい。
アイルランドの国花は三つ葉のクローバーですが、ほんとうはコメツブツメクサだとも言われているんですって。それ、うちの庭にはびこっていて、おととい、苦労して刈った雑草です!なんだか、たのしい。
ミルクワート、シープズビットって、聞くだけで牧草だとわかりますね。
ジギタリスはFoxglove。イギリスの指ぬきの形の花なんですねえ。、森や土手にふつうに咲いているけど、毒は強い、よく推理小説に出てきましたっけ。
絵は私の好きなシャーロット・ヴォークさんでした。ふんわかゆるい絵で、くつろげます。
6月某日 サッカーの視聴率その後
19日の対オランダ戦のサッカーのテレビ視聴率は平均43%、終了時に瞬間55%だったと発表があった。
それだけ?と思ったが、これは地上波だけ。つまりテレビ朝日の視聴率で、NHKーBS1の放送分は計数されていないのだそうだ。
BSの入る家なら、NHKのアナウンサーが言って物議を醸したように「コマーシャルのないNHK]で見ている家も多いだろう。うちはそうだ。(あと、解説者の好き嫌いだね)それなら、テレビでサッカーを見ていた家はもっと多いと言うことだ。
BSもCSも、ケーブルも、計数されていないなら、テレビ視聴率なんていうデータは、もう無意味だったということですねえ。
付記: しかも、家庭で見なかった人も多かったのね。うちの近くの競馬場でも、入場料1800円もとって、大型スクリーン観戦のイベント(アルビレックスの選手の解説付き)があったし、あちこちの駅前や特設会場でたのしく群れて声援を送りながら大型画面を見ていた若者も多かったそうですね。
6月20日 父の日
たまたま、用があってデパートに行った。紳士用品売り場は混雑していた。生まれた日の新聞のコピーや、ミシンでネーム入れ、若い書家による即興イメージ書(さいきんの流行もの)など、この日のためのサービスイベントも行列を作っている。
「混んでいますね」「はい、でも昨日は こんなものじゃなかったんですよ」ほうほう、
日本の景気、少しは良くなっているみたい。
我が家では一週間早手回しで、先週、父の日プレゼントの贈呈があった。ニンテンドーのWii fitである。
高血圧・糖尿病・痛風の父を案じて、どうぞ運動を、という子からの計らいであるが、本人は運動療法なんてバカバカしいと思っているままなので、いただいたときに、ちょいとやっただけになっている。
しかし、この運動器具はプレゼンターには、たいそう役立っている。まず、自分からと毎日トレーニングに励み、その絶大なる効果を眼前に突きつけようと、記録更新を目指している。そう、計測値・分析・評価が、残るのだ。日々、身が引き締まっていくのが・・・見えますよ!
父上もぜひ、見習ってほしいものです。
6月某日 国民的サッカー熱、ほか
夕方、図書館からでたところで、50歳代のご婦人二人が話していた「きょうは夕飯を早くしてサッカー見なくちゃ」「もう、仕度はしてあるわ」と。
今夜のワールドカップサッカーTV放送の視聴率は50%を超えるんじゃあないかしら・・・・・
でも、残念でしたねえ。強豪オランダに0−1で負けました。
うちでも、0−3で負け、0−0で引き分け、1−0で勝ち、という賭けをしていましたが、全員外れで成立しませんでした。
さて、賭けと言えば、大相撲の野球賭博、そのほか賭け事事件はどう収拾を付けるのでしょう。次の名古屋場所は自粛でしょうか。こうなりゃ、今まで噂で終わっていた八百長試合だって事実だったと思いますよ。ざっくりウミを出しましょうや。
ご近所出身の、部屋の兄弟子親方から暴行され死んだ時太山が、博打に誘われても加わらなかったのも、にらまれた原因だったのでは、ひどすぎますよね。
この博打(=暴力団)の伝統的悪癖を改善できないなら国技館なんていう勝手な自称は止めさせましょうよ。つい最近まで、私も相撲は国技なのだと思い込まされていました。ただの興業なんですよね、文科省も公益法人を取り下げさせてください。
6月某日 除草剤と消毒剤
近所の空き地が茶色くなっていた。雑草はみんな枯れていたから、除草剤をまいたのだろう。隅っこに松の木だけが青々と残っていた。草と木では、強さが違うのだなあと感心した。
先日、我が町の水族館の大水槽で魚の大量死事件があった。(お馬鹿な、としかいいようのない)飼育員が水槽内を消毒しようと「次亜塩素酸ナトリウム」を投入、800トンの水槽内の魚が全滅死した。被害総額1000万円弱。
その薬品は、つまりハイターだよね。漂白剤。
館長さんは、こんなことをしたことはなかったが、指導不足で私の責任と陳謝しているが、飼育員があさはかなのだ。
でも、その報道ニュースでビックリしたのは、体長1.8メートルのエイが死ぬほどだったのに、亀さんは悠々と泳いで生き残っていたことだ。魚類ではないのだねえ。(爬虫類だそうな)
この不始末でも、ずっと閉館するわけにも行かず、翌日から水族館は無料開放となった。そのニュースを聞いて、お客さんがどっと押し寄せ混雑したと、これもニュースになった。
アザラシ、トド、ペンギンもいるし、イルカショウもある。小さな水槽に熱帯魚もいるし、珍しい魚は別水槽にいる。大水槽だけが目玉ではないのだ。
入場料1500円は高いよ、市立なのに。家族総員で行くにはけっこうお金がかかるのだ。だから、この際に、と思うのは庶民としては当然の行動だね。
6月某日 アクセル
今日もニュースで、アクセルとブレーキを踏み間違えて、コンビニに突っ込む車の話題がでていた。そんな事件が増えている。運転手は高齢者が多い。さもなければ、出勤時の急いでいるときとか、トイレに急いでいるとか(その人どうなっただろう)、あわをくっているときだ。そういう分析が出ているが、慣れない車と言う場合もあるだろう。
愛車がいなくなって、次々に代車に乗ってきたこの一年、、頭で考えながら運転してきた。サイドブレーキの位置、ブレーキの聞き具合、みな違う。とくに外車は右左に曲がる方向指示をだすウインカーと、雨よけのワイパーの位置が逆なので、しょっちゅう間違えてやりなおしていた。これが、いつも乗りなれていた車だったら、動作が体に染み込んでいて考えるまでもなかったのになあ、と11年連れ添ったアコードをなつかしんでいる。
というか、歳をとると、臨機応変が苦手になるのだわねえ、高齢な私よ。
そして、アクセルを踏むのに大いなる力が要るなんてのも、股関節症で脚力がなくなって、やっと分かった。気が付かないでしょう?ふだん。
この街はほとんど平坦な道ばかりなので楽なのだが、線路を越える陸橋があり、その高低さはかなりのものだ。ここを渡るときは、アクセルを踏む右足を手で押してやって、スピードが落ちないようにしている。足の力だけではスピードを維持できないのだ。馬力のある大型車は楽で、軽自動車はきついというのも体感している。
信号待ちで止まっているとき、ブレーキを踏み続けるのだって、けっこう力が要るんである、よ。
6月某日 梅雨
久々のおしめり、しとしと。
水まきから解放され、ほっと一息。
近所の畑は、最近、スプリンクラーが常備されているから、からから天気でも野菜は途切れなかったのね。
6月某日 清心女子高校で
女生徒が女生徒に刺されるという事件が報道され、驚愕したが、新潟の、ではなく、神奈川の、だった。
それでも、系列校だろうし、ミッション系では、こんな事件ははじめてだろう。
娘が中学の頃も、ポケットにいつもコンパスを潜ませている男子生徒がいて、皆で用心していたものだが、
そういう、自制の効かない、言葉で表現するのが苦手な子が増えてきたのかなあ。
6月15日 勝利
1−0で勝利、日本チームおめでとう。
新潟の星 矢野君も、おめでとう
サッカーワールドカップ、第1戦、対カメルーン戦テレビ観戦。
・・・・・午前1時。やっと、寝れる。
6月某日 お帰り
お帰り はやぶさ。 2010年宇宙の旅は60億キロ。
お帰り Eさん。パリかと思えばモナコから絵はがき。
いったい 何キロの旅だったのでしょう。
6月某日 暑い
線路をまたぐ陸橋のたもとの温度計は28度を表示していた。
暑い。扇風機を出して、回している。
でも、こたつは、まだしまう気になれない。
案の定、夜はこたつを付けて布団に入っている。足下が冷えるのだ。
6月某日 新閣僚
女性が二人しか入っていないじゃないの!?
かんさーん、あなた市川房枝さんの薫陶を受けたんじゃなかったの!婦人参政権運動家の。
6月某日 車 その2
ツレの車のリコールがあった話はしていたね。その修理に日曜に二人で行ってきました。予約を入れて、どんなに混むかと思ったら、閑散(ほかの人影ナシ)。何台も売れてない車だしね。
急ぐ必要のある不具合でもなかったのサ。これまでに、問題になった実態はないそうですから。
ついでにドアの開閉がぎくしゃくするのを点検してもらいましたが、油を差してくれたら、スムーズになりました。なあんだ、シンプル!
ついでに、そのご近所のディラー(BMW、ボルボ、ジャガー)をウインドウショッピングしようと目論んでいたふうなのですが、前夜、車がらみの「事件」があって、(より)不仲になり、粛々とリコール修理に行くだけで、それは中止に。
その件は、また あとでご報告。
6月某日 かか
庭の水まきをしていたら、手にチクンと痛みが。
蚊に刺されました。きゃー、もう出現!
だから、皆さん、連休の頃に必死で草取りしていたのですね、ヤブ蚊の出る前のしなくちゃと言って。
6月某日 また 夢
夢を見ていたらしい。
朝起きると食卓にラップをかけて出していたキンピラが皿だけになっていた。流しの三角ゴミ入れに吸い殻があった。夜中に起きていたの?と家人に聞くと、寝言で起こされました、と言う。エッ、今度はなんて言ってた?
子どもの誰かに、何かを送るとか送ったとかと言っていた、そうな。
すみません、記憶にございません。
そうそう、生協で買った包丁研ぎ器をみせびらかせて、次回注文してあげるねといって届いたのに、まだ送っていないのを、わたしゃ、気にしていたのね。
現実的な夢の多い私です。
6月4日 かんさーん
株屋さんの世界では
「閑散に売りなし」という格言があるそうで
(盛り上がらない相場の時は、株価が下がらないという)
「菅さんに売りなし」なんて迷言が出てます。
たしかに菅直人首班指名でいっしゅん株価高騰。
ほんとに、景気が上向いてくれると良いけれど。
でも、菅さん「岡田ジャパンのように・・・」といって
口ごもってしまって、・・・?
その意味は?と考えてしまいましたが、夜、判明。
岡ちゃんジャパンは、またオウンゴールもあって
0−2で負けました。
そうか、敗軍の将を覚悟なんですか。
それでも がんばれ、かんさーん!
東工大出の首相ははじめてでは?
小学生の頃、市川房枝さんの街頭演説を見て、女性もこれからこうやって世の中を変革できるのだ、と将来の指針をもらった私(でも、何もできないでここまで来てます)としては、その志を継ぐ菅直人には、がんばってもらいたいんだ!
テレビばっかりみていますわ。
6月某日 車を運転する夢
家人の車のリコールのお知らせハガキが来た。ブレーキランプがつかなくなる不具合があるのだとか。
ディラーに電話をしたが、至急治さなければという危険性はないそうで、のんびり補修をしてもらうことになった。
リコールばやりだ。今の世なら、昔の私の愛車もリコール対象だっただろうな。
ウインカーの棒(?)が動かしたらポキンと折れたり、車体下の前輪から後輪に駆動を伝えるシャフト(?)が町の中で突然折れて動けなくなったり、普通の使い方をしていては、ありえない話だ。車にはまったく詳しくない一家だったので、修理費をきちんと払っていたものだ。
そんな話の夜、車を運転している夢を初めて見た。それも、ばかでかいジャガーのようなスポーツカータイプの外車に一人乗って走っている。だが、ペダルに足が届かない、探っていてもペダルがない。今動いているのに、ブレーキをかけられない。もうすぐ、交差点なのに、徐行もできない、どうしよう、ギアをNにしようか、Pにしようか、サイドブレーキを引こうか、あせって考えてハンドルを握っている。そこで目が覚めたがいやな夢だった。「リコール」のハガキのせいだね。
6月3日 鳩山さんったら鳩山さん
Yomiuri Onlineより昨日の鳩山発言
「・・・・ただ、残念なことにそのような私たち政権与党のしっかりとした仕事が必ずしも国民の心に映っていない。国民が徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった。そのことは残念でなりませんし、まさにそれは私の不徳の致すところと、そのように思っている。・・・・」
「しっかりした仕事」というところに、またチェックを入れたいですね。
それから奥さんのことも、きょうは、
「そんな吹っ切れた様子の鳩山も、幸夫人の“説得”には苦労したようだ。この日、慰労に訪れた中井国家公安委員長が「奥さんもほっとされているだろう」と声をかけると、鳩山は「理解してもらうのが大変だった」と答えた。(敬称略)」と同じくオンライン版に出ていた。私の想像力も捨てたもんじゃないね。
(ごめんなさい、鳩山さん。私は、非力で何もできない人間だからだから、でも国民様だから、影響力もない壮大な国家政治に、コメントしたくなるの)
6月2日 鳩山さんったら鳩山さん
「国民が聞く耳を持たなくなった」って、失礼な。
あなた、反対でしょ。国民があなたの言葉に耳を傾けて、引っ張り回されたのですよ。
きょう、就任から8ヶ月で、鳩山総理大臣は辞任すると発表がありました。ひまなおばちゃんはテレビをずっと見てました。
日本語の通じる日本人に、総理大臣になってもらいたいものです。この不可解な「宇宙人」総理大臣はいったい何んだったのでしょう。
普天間問題では米軍基地を県外国外へと広言。沖縄県民には、夢を実現させる正義の使者のようにみえたでしょうね。それなのに、風船はしぼんで、話は振り出しに戻り、でも「私の思いは・・・」とくる。「思い」で政治は動かん。生活はよくならん。
もしや、母親からの政治資金提供が明るみに出たとき、辞めようと思っていたのだろうか。でも、民主党が政権を取ったばかりで辞められては困ると小沢幹事長が止めていたのかな。
鳩山さんは、権力にしがみつく人にはみえない(奥さんはどうかは知らないが)。お金に困らぬおぼっちゃまだからこそ、理想論的な人だったのではないか。かたや、小沢さんは田中金権政治家を師匠とし、政治家としての利権を最大限に利用して権力に執着してきた(都心の土地だけでなく、辺野古周辺の土地も買っている)。
鳩山さんが「10年、20年先に、自分のやったことがわかってもらえる」と演説しているところから、私はこう考えてみました。
旧態依然とした政治手法の小沢一郎を引きずり下ろし、ばらまき政治を辞めさせ、理想的なクリーンな政策政治に転換させるのが、この鳩山さんの「普天間」迷走劇の、本質だったのだ!
とすれば、納得できるのですがねえ。
真相は藪の中です。
韓国滞在中には、椋鳥と言い間違えていた東京のヒヨドリに帰宅を促されたとか・・・なんなんです、それ?
昨日まで彼は「続投」と言っていたのです。
それを、昨日は辞任を三者で相談、1週間前から辞任を考えていた・・・とその後の会見で語っていましたが、じゃあ、国民は総理大臣の言うことは信用するなということでしょうか。なんとまあ、言葉の軽いことか、
そうなのです、けっきょく、政治家なのです。
すべては「腹案」でなく「腹芸」?
もう、わかりませーん。
6月某日 空き地雑草の変遷
新しい大通りは車道も歩道もきれいに舗装されている。その並木の根方の部分だけがわずかに四角く、土が顔を出している。
そこに、去年はオオイヌフグリ(別名:星の瞳)が小さい青い花をきれいに咲かせていた。それが、今年は背の高いムギクサ、ぎしぎし、カゼクサが生い茂って、オオイヌノフグリのような背の低い草は皆無になった。
できたての時のメヒシバから始まった雑草戦争。
さて、来年はどうなるか。
5月某日 「げげげの女房」を観ていて
あ、あの戸棚の上のトランジスタラジオ、うちにあったのと、まったく同じ!皮のケース付きのソニーの!ドラマは今、昭和37年といっている。
その数年前、広尾の日赤病院に入院して退屈していた私に、新しもの好きな父が、新発売だとかのを買ってきてくれた。高価なのによくまあ、と思いながら、うれしくて、ひとり、じっくり聴いていた小学生向け第2放送、浪曲、落語・・・・。このドラマは、そんな回想を誘うおもしろさがある。
「・・・・ いっぽう小学生のころから貸し本屋通い。渡辺まさこの少女漫画やさいとうたかおや水木しげるの劇画、寺田ヒロオや手塚治虫の漫画が中心でしたが、中学からは、松本清張、柴田錬三郎、SFマガジン、ミステリマガジン、女性自身、映画の友にも、むさぼりついていました。
今でも本は寝ころんで読んでます。そんな読書歴なので おおまじめな児童文学愛好家ではありません。「読書は玉石混淆でなければいけない」とか。石の方はまだ実行してます。」とは、ずいぶん前に書いた読書歴の文だけど、私いまでもだわ。
5月某日 クランボンて誰?
図書館に行ったら遠山繁年の絵で『やまなし』の絵本が展示してあった。なんてすてきな絵だろう。画家は宮沢賢治の絵本を描きたがって、たくさん出ているけれど、いいなあと思えるものは少ない。
でも、クランボンって誰? これ、長年の謎です。お日様? わからない。
宮沢賢治の物語はわかりすぎるくらい教条的なものとわけがわからんくらい宗教的哲学的なものと極端だ。もてはやされ過ぎている気もするけどね。
5月某日 読書
病院へ行った。整形外科へ。予約を取って時間を決めてあるが、その通りになんか行くはずはないと、はなから思っているので本を持って行く。周りを見ると、そんな人は誰も居ない。ぼーっと前を見ているだけだ。30分も?
となりに耳にイヤホーンをつけて i podでも胸にしまっているらしき男性(50代)一人発見した。
何の本を持っていたかというと、『心にしまっておきたい日本語』金田一春彦著。新書だから軽いのが良い。
童謡から、秀句、漢詩、詩などのピカイチを紹介しながら感想や連想、思い出を書いている。
そのなかで「鶏さん」野口雨情の唄を紹介していた箇所。私は知らない童謡だがレコードになっっていて、近所の女の子の家で聞かせてもらっている。学者先生の家は蓄音機を持つほど裕福ではなかったようだ。
「その子は本郷では名門といわれるな誠之小学校に通っていて、私は・・・隣の真砂小学校だった。」と書かれている。おお、その「名門」へ私は1年後半から3年生夏まで通っていたのだ。思いがけず母校の名前に出あってなつかしかった。
誠之小学校は東大正門前が学区だから大学の関係者が住んでいたりして名門だったのだろうか。遊び友達は、古本屋だったり、阪神タイガースの定宿の旅館だった子もいた。アセチレンランプ屋だったり。うちは一杯飲み屋の二階の間借り人で、父はチンチン電車に乗って丸の内に通勤していたサラリーマンだった。母は三越マークの入ったビロードの子どもワンピースを内職で作っていた。まだ、傷痍軍人や進駐軍の居た時代だった。貧しいという思いはなく、三四郎池で遊んだりたのしい思い出だけが残っている。もちろん、春彦先生の子ども時代とは一時代ずれているが。
その父の金田一京助先生の講演を新潟の中学校時代聴いたことがある。同郷の啄木を高く評価していて、たかが中学生相手なのに誠実に話してくれたのを覚えている。
しかし、息子の目から見ると、啄木はいつも借金に来るへんな人で、母は彼を仇敵のように恨んでいて、自分も若い頃は好きになれなかった。借りた金は酒や女に使っていた啄木だったのである。芝居がかった歌も好きではなかったと。
それが、年を経て、「よごれたる煉瓦の壁に降り融け降りては融くる春の雪かな」は良い、と紹介している。
春彦先生は「よごれたる煉瓦」は啄木自身の心のことだろうか」とも書いて、現実から逃げても逃げ切れなかった啄木の人生も抱擁するように歌の価値も認めているようだ。
その春彦先生も鬼籍に入り、いまは瑞穂先生か。
金田一家の歴史にちょこっとつきあった気になっている。
整形外科で、MRI検査は7月といわれた。そんなものだと、あきらめている。待ち時間もつらいし、痛みがひどいときは、行かないことにしている。行こうと思ったのは一年も前のことだ。
5月某日 NHK9時のニュースの
キャスターが四月から変わった。前の人は、なんでも上から目線で話す。絶対に専門外のことでも、鼻の穴を上に向けて、偉そうな言い方をするので、スキじゃなかった。
新しく変わった大越さんは、口調が柔らかで、表情もにこやかで、話を聞いていて、ほっとする人だ。前職はワシントン支局長だったそうだから英語は堪能なんだろうね。東大の野球部だったそうで、草野球の飛び入りをする紹介もあった。きさくで、学識だけのインテリじゃないところもいいなあ。
先日、新潟日報で、この人が新潟駅の立ち食いそば(ラーメンだったかな?)が好きだった、という記事があって、新潟出身(生まれは違うらしいが小中高は新潟)とわかった。それも、一部、同窓生。野球部だった、それで一浪したというが、当然ですな。ますます、応援したくなった。
5月某日 「人」という字は
「人と人がささえあって人となる」と金八先生が言っていたが、それは間違いで、通説だとTV番組で学者先生が言っていた。
甲骨文字では人の字は「入」。右が長い。人間が左に手を伸ばして横向きに立っている姿、なんだそうな。で、
「人は昔からひとりぼっちだったのです」だって。そうか。
支えあう、助けあう、分かりあうというのは、人の願望なんですね。
5月某日 わたしも『誤読日記』
わたしも『誤読日記』を借りてきたよ。斉藤美奈子の。
わたしらの毒舌は、この人を読み過ぎているからか・・・な?
なに、歯に衣着せぬ正論なだけよね。
5月某日 なあんだ
宮崎県で口蹄疫が広がって、殺処分になる牛や豚が8万頭を超えるそうだ。牛も豚もかわいそうだし、酪農農家も、なんとも気の毒なことだ。イギリスでは01年に650万頭の処分をした恐ろしい伝染力のある疫病で、やっと政府も重い腰をあげた。防疫とともに農家の支援を滞りなくやってもらいたいものだ。
そのニュースの中で、優良な種牛の殺処分の話が出て、宮崎県にその牛たちがほとんど集中していることも報道していた。なんと、松阪牛といって、販売されている牛肉も宮崎県から、子牛を買って、松坂で育てたもの。三重県松坂では牛舎から牛が居なくなる事態を懸念しているとのこと。なあんだ。宮崎生まれ松坂育ちなのか。
5月某日 大脇幸栄校長先生のピアノ
ずいぶん以前に書いたので、その記述がどこへ行ったかわからない私なのだが、中学の何年のときだったか、学校にはじめてグランドピアノが入ったとき、校長先生が全校生徒の前で「月光の曲」を記念演奏してくださった。
音楽にはしろうとだが、この曲が好きで自学自習で弾き覚えたと話してくれた。曲の美しさとともに、その話は心に残り、音楽が好きならいつからでもできる、という思いを私に植えてくださった先生なのだ。
そして、それを励みに、50でチェロをはじめ、60の誕生日プレゼントにはフルートを(強制的に)贈ってもらった私である。だが、手の神経麻痺が完治せず、力が入らない。かなしいことに今は、志半ばで中断しているところである。
先日、その先生のゆかりの方から、このホームページを見てなつかしかったと、思いがけないメールがあった。 1993年にご逝去されたとのことだが、ご自宅でも練習なさっていたピアノがまだ残っているとのお便りだった。ホームページで人とつながれたのも、とてもうれしい。
お便りありがとうございました。
5月14日 霜鳳がすごい
大相撲。日本人力士で6日目に全勝は新潟県出身力士、霜鳳ただひとり。
横綱と大関にも全勝の強豪外人力士がいるし、なにしろ前頭15枚目、だれも優勝を期待していないようだが(本人もまずは勝ち越しとひかえめである)、県内ニュースではトピックス。
うちの近所の少年力士の、いびり殺人事件があった部屋の先輩力士だ。元親方は有罪になって当然だ。その黒雲を吹き飛ばして活躍してほしいね。
5月某日 ときどき投稿魔
☆鳩山さんのへ
(5/11 鳩山首相、普天間全面県外移転は困難と沖縄県知事に表明、の記事に)
ほんに そなた(の言葉)は へのような。
腹案があるというから、
今までの鳩山さんの日本語の文脈からすれば、当然行き着くのは、沖縄米軍基地全面返還となるべく、オバマさんと秘密裏の交渉をしているのかも、と誠意と理想を期待したのは、バカでしたか。
今はテレビがネタモトのただのおばさん(傍から見たらおばあちゃん)です。
若い世代は、北朝鮮中国の侵略の驚異うんぬん、といいますが、進駐軍の居残りを認めてしまったのが、今の基地問題の発端でした。沖縄の方たちの心情を逆撫でするのは、もう止めましょう。
それにしても、小沢さんも鳩山さんも、マスコミも、へんですね。
henokoに海上くい打ち基地を作れば、予算は倍、施工は地元企業には無理でゼネコンへ。
徳之島には久間元防衛大臣がらみの土地がありで、そこへ小沢さんが行っているなんていうのは、ここ(!)で知ったのですが、
環境・平和の美辞麗句の影に、自民党と同じ利権のにおいがするような・・・。
黙っていられない今日この頃。
☆だから参議院なんかいらない
(5/10 女子柔道の谷亮子を民主参議院選挙比例区に、の記事に、)
ネームバリューさえあれば、誰でもいいのか。
だから参議院なんかいらないと、また言われますね。
ほんとに、いらないのでは?
ほんとに、民主党に投票するのやめようかしら。
<余談> 2チャンネルではなくて、成熟した大人向けのコミュニティに、です。それが、いくら書いてもUPしてくれないのです。何でだろうと考えてやっと判明しました。最初は表題を「鳩山さんの屁」と書いていたのです。「屁」をひらがなの「へ」に換えたら、すぐ取り上げてもらえた。「屁」は、公序良俗に反する淫らな言葉なのだわね。へへへ。
5月某日 嘆かわしー
銀行のATM。新しい機種では、私の指に反応してくれないときがある。
(生体反応がでない?)
自動ドアにも、反応してもらえないときのある私。
(人間的重量がない?)
くすん。
5月某日 返却期日がすぎた図書館の本
夜、または朝10時前、閉館中に返却ポストに、そうっと返しに行く。この町の図書館は厳しい。一日でも返却が遅れるとカウンターで注意される(人によっては厳しい言い方をするんだわ)。だから、年増な私でも、こんなこそくな手段をこうじる。
ところが、そんなときに限って、「まだ返していない本がありますよ!」と次回借りに行くときに言われ、返しましたよ!と、カウンターで、問答をすることになる。
結局、書棚を見に行って「すみません、返っていました」と図書館員に謝らせるってわけだけど、ま、こっちも悪いんだわ。
”私は、返却したのにしてないことになっていることが、しょちゅうあるのよ”と言っていた人がいたが、おぬしもこっそりポストに入れていた派だね。(カウンターで返せば、こういう変事は起こらないのだよ、Aさん。)
5月某日 POLICEの文字に
びっくりしました。上海万博の会場を写すテレビで、警察官の背中にPOLICEの文字が!!
反米反帝の旗手だった中華人民共和国も、今や英語を第一外国語にしたのね。まあ〜。
沖縄の米軍基地が抑止力だなんて言っている人たちよ、中国はアメリカの敵じゃないでしょ、もう。
5月某日 元気?
ええ、外出できるからきょうは元気ですわ。
腰痛も、股関節痛も暖かい日が続けば楽になる。そうはいっても、ゲツバタ歩いている。1時間もスコップをにぎると手の力がなくなる。微熱はおさまってもタンは残る。油物を食べては下痢を起こす。その後は胃痛がつづく。気鬱になると外へ出られない。
でも死に至るような、えらそうな名の付いた病気はない。へ、どうせ、私はたいしたことのない女ですよ!
5月7日 雨
やっと雨。ほっとしています。連休中はずっと晴れ。それも窓を開け放して過ごせるほどの暖かさでした。半病人ばかりの一家で、遠出もせずにゴロゴロ過ごしました。
連休前には、図書館へ行って、どどんと本を借りてきました。仕事もないし休み中にならじっくり読めるかなと。というのは浅はかでした。だって、家族もゴロゴロいるのだもの。花に水をやったり、洗濯物を干したり、冬服をやっとしまったり、毎食のご飯作りやらなんやらで、気ぜわしく終わってしまいました。
分厚い平野啓一郎は全く読めず(また読まずに返すかな)、幸田文、幸田真音をちょっと(この2冊は図書館で隣どおしだからです)、あと、娘が送ってくれたかるーい推理小説、高級老人ホーム暮らしの元気なおばあちゃん探偵の『老人たちの生活と推理』の新作を楽しんだだけ。
かたわらの無口なツレは592頁の『伊藤博文』757頁の『勝海舟』を読了のもよう、すごいな。(ちょと悔しいぞ。)
5月5日 端午の節句
菖蒲湯にする。スーパーで一束198円で売っていたから。
「どう、いい匂いだったでしょ」
「匂わん」
そうかな、 どれ、
風呂場の戸をあける。 あ、かすかな香り。
湯船の蓋をあける。 ああ、かすかな匂い。
浴槽にしずまって、菖蒲の茎を折って鼻先につける
やっと、青臭い、鮮烈な匂いがした。
5月某日 たのもしい灯り
我が家の玄関から道路に出ると高速道路が見えたものだった。引っ越してきた当時は、夜になると通る車もなく静まりかえっていた。最近は料金が安くなったせいか、車は多くなっていた。
ことし、その手前に消防署ができた。昼はガレージのシャッターが上がっていて、救急車が2台、おさまっているのが、ちょうど見える。見えないけれどその脇には赤い消防自動車が10台も鎮座している。
白い車は毎日忙しい。出て行くときはサイレンを鳴らし、「右へ曲がります〜ご注意ください」という声が家の中にいても聞こえる。ああ、働きにでるんだなあ。まにあうといいなあ、でも2台ともは出て行かないで欲しいなあ。こちらも急用で頼みたいこともあるかもだよ〜なんて思う。たのんだら30秒で来るだろう。心強い。心臓が止まっても大丈夫だ。
新築見学会に行ったときに、救急でもないのにタクシーがわりに呼びつけるトンチキさんがこの辺にも居ると署員さんが話していた。困ったものだね。
夜になると、シャッターは閉まるのだが、窓があって、一晩中あかりが灯っているのがみえる。屈強の消防士(50人が交代で、女性も2人)が、近くで寝ずの番をしていてくれるのは、たのもしい限りだ。
いままで、赤い車が出動する機会はあまりなく、私の知る範囲では2度ほど大勢にぎやかに出かけていったが、ボヤ程度だったようだ。ホッ。
それでも、毎日、訓練は積み重ねていて、元気な号令が聞こえてきたりする。いいな。
私は消防自動車が好きだから、足の具合のいいときは、犬の散歩にここまで行くことにしている。人生に楽しいものがふえて、うれしい。
5月某日 文章修行
「 あるいは、ものといえるものを積んだことのない故かなあ、とも思う。積んであるのは歳月年齢ばかり、これは自分の意志で積んできたものではない侘びしさ。交換屋さんに古新聞しばりをほめられたまではいいけれど、・・・・・」
の「かなあ、」に感激。いいのかなあ、と思いながら使っている私。尊敬するプロも使っていらっしゃるからOKですね、幸田文さん。(『木』より)歯切れが良くて、女々しくなくて、見習いたい日本語使いです。
5月某日 浦島さん
玉手箱を開けると
「・・・若かりし肌も しわみぬ
黒かりし髪も 白らけぬ
ゆなゆなは 息さへ絶えて
後つひに 命死にける 」
しみじみ。この世にずっといる私たちも、日々の暮らしにあくせく過ごし
、はっと気づいてみれば、・・・おなじですね。
5月某日 かえるのうたが
か え る の う た が きこえてくるよ〜♪
夜になると。
田んぼに水が入ったからだね。
5月某日 『ゲゲゲの女房』みてる?
NHK朝の連ドラです。女房役の役者さんは、あんまり好きではないけれど、水木しげるマンガは貸本屋マンガ時代から見ている私ですから、見てますよ。さいとうたかおが『影』に描いていた頃です。
私は小学5年、当時通っていた新潟の小学校の真ん前で叔母が貸本屋をしていたのです、内職で。ですから学校帰りに立ち寄っては、マンガというマンガ(貸本マンガも月刊誌も単行本も)、それから大衆小説もこっそり、夢中で読破していたのです。水木しげるのマンガそのものは、まだ「ゲゲゲの鬼太郎」以前で、気味悪く好きではなかったけれど、強烈な印象があって記憶に残っています。
そして、ドラマの中で、ゲゲゲの女房が、はじめて上京したのが東京タワーができた翌年と言ってましたが、私が東京から都落ちしたのは、東京タワー建設中のこと。父が亡くなって母の実家へ身を寄せることになったのです。ですから、2年の差はありますが、ドラマの時代背景が、私にとっての子どもらしい子ども時代の思い出の東京そのもので、とてもなつかしく観ています。
その頃、同級生で、お父さんが小説家という人がいて、おうちの障子も畳も茶色でぼろぼろだったのを、水木家とオーバーラップして思い出しました(でもとっても明るくすてきな子だったのですよ、小説家娘は)。
うちは借家住まいのただのサラリーマン家庭でしたが、東京はいろんな人がいておもしろかったわ。町内に女優の新珠美千代が妹と住んでいるプール付きのお屋敷があって、子供会の廃品回収にいくと、空き缶をいっぱい出してくれた、もちろん女中さんが、だけど、その頃缶詰なんて高級品だったのよ、なんてね。
4月某日 田植え
田んぼが乾くのも待たないで、田おこしがはじまっていた。産直市場へ買い出しに行くときは田んぼの中を通っていくのだ。
今週の初めからは、水を張って、田植えもはじまっていたようだ。農家の人は働き者だ。天候が不順で、などと嘆いている暇はない。連休こそ、兼業農家の仕事どき。専業農家は平日も田植えをしていた。
わたしは、暇で、やることがない。スーパーへ行っても、買うもの、買わなければならないもの、買いたいものがなくて、茫然とすることがある。そして、出かけなくなる。引きこもりだねこれは。たまに出ると、田んぼの変わりようにはっと、する。
遠くの子孫が、米野菜を送ってくれと言うと、俄然元気が出てスーパー3軒、産直市場を2軒、はしごして回る元気が出た。農家の働きぶりを見て、よしっと、キャベツの苗を買ったりした。
4月某日 ぼけ
「風呂!」「え?きのう、入らなかったっけ?」「・・・」
う〜ん、入らなかったのかねえ。一日おきに風呂を焚いている我が家である。
4月某日 ぼけ
シャンプーして、リンスして、トリートメントをつけたままタオルで髪をくるんで、体を洗い、湯船にゆっくり浸かる。風呂から上がって、ブローしながら、トリートメントを洗い流していなかったのに気づく。これ、何回目?めんどうだから、そのまま乾かした。
4月某日 ぼけ
こたつからよいしょと立ち上がって、台所へ行く。
あれ、何しに来たんだっけ? 振り出しに戻って、こたつに入る。思い出す。まあ、いまのところは思い出せている。そのうち・・・・
4月某日 ハイ アンド ロー
「東京カワイイTV」をよく見ている私。
ことしの流行りは、花柄だって。
そしてハイアンドロー・ファッションだって。30万円のシャネルのバックに950円のワンピースという具合に、高いものと安いものをうまく組み合わせて・・・いいね。
10年前の1万円のブラウスと、今年ユニクロバーゲンで690円で手に入れたTシャツの重ね着をしてる私は、先取り?ちがうかな。
4月某日 障子の張り替え
ずーとずーっと、気になっていた破れ障子たち。なにせ、玄関の脇の窓。隣のうちの玄関の真ん前の窓。どちらも猫の爪で、ピーッと破かれていた。あばら屋なのが歴然で、恥ずかしい限り。
当然、飼い主に厳重注意をした。猫の爪は切ること、障子は治すこと、と。
はいはい、と返事はよいが、そのまま秋が過ぎ、年を越し、雪がとけ、桜が咲き・・・・、イライラ待つ。(犬のシャンプーだって、頼んでからもう三ヶ月も待っている。辛抱づよくなった私だ。)
今日はできる?と聞いたら、う〜んダメ、とつれない返事。そう、しょがないわね。こたつで、ながまっているところをみると毎月の腰痛らしい。夕方、エイッと、自分でちゃっちゃと張り替えた。
あら、きょうは暖かかったのだわ、こんなに体が動くなんて。
4月某日 だって私は「一国民」さまだもの
身の回りがにっちもさっちもいかなくなったら
大言壮語、大向こうの政治を話題にしていると、心が楽になる。
というわけで、あるサイトのニュース欄に投稿。
4月某日 わたしもひとこと・・・< 高速道路の無料化はどこへ>
「ごめんなさい」がまず先に
「ごめんなさい。
財政悪化のため、無料化できません。
とりあえずオール半額にします」 でしょう?
高速道路はいずれ無料化といって造ったんですよ。
それが自民党はなんのかんのと延び延びにしていました。
民主党が無料に、というマニフェスト(かっこつけないで、公約にもどしてほしい)で投票した国民も多いはず。
なら、国民に「ごめんなさい」でしょ、最初に言うのは。
それが、思いの外、埋蔵金も出てこないので、
当初のとおりできない。しかたないなら、公平に!
「オール半額おいおい無料化」へ、
でいいのじゃないでしょうか。
個人的には物流営業車(トラック、バス)を優遇してもいいのじゃないかと思います。景気浮揚のため。
こんなにしどろもどろ政府にしたのは
やっぱり小沢さんの院政のせいじゃ、ありません?
朝三暮四と朝令暮改の区別がつかなかった
総理大臣は心細いです。
4月某日 私もひとこと・・・<普天間問題に>
米軍撤退もあり?
沖縄県民は米軍基地反対。
他県の住民も米軍基地が来るのには当然反対。
では、どこにも行き場はないでしょう。
ならば、経費を全部お持ちする(ここが重要?)から
本国またはアメリカ領土へお帰りいただく!
という大英断を鳩山さんは考えていらっしゃる?
影の上皇の意のままの政権で、
ありえないようには思うのですが
じつは、これがほんとうの日本の独立なのでは・・・
4月某日 寒さの感じ方
トイレの暖房便座がうれしい
腹にはるオンパックスをはる。
おーい、はるよ〜
4月某日 寒さの感じ方
トイレが近い
おしりが冷たい
頭がスースーする
(はげは帽子をかぶるわけだ、髪が薄くなった)
4月某日 暖かさの感じ方
庭に洗濯物を干しに行く
そのまましゃがんで雑草を抜いていたりする
外にいたいのだ
4月某日 佐野洋子を好きなわけ
佐野洋子は、
「でっかいテレビ」を買いに行く。どれくらい大きいのがいいかわからなくて最近買い換えた友に何インチを買ったかと電話で尋ねる。37インチ、これでいいと思うよ、うんありがとう、と云って、「私は何くそと40インチを買った。」(『役に立たない日々』より)
というところが好き。
負けず嫌いで、辛辣で、友達にしたらケンカになりそうな人。
友達にするには工藤直子がいい。彼女のハープに合わせて、フルートの合奏を河合隼雄はしてたっけ。お目にかかって話したことがあるが、とってもあったかでいい人。でも、書く物は佐野洋子が好き。自分の中の目をつぶりたいいやーなところも、真っ正直に、がばっと書くから。そういう自分を好きでないと言っているところにも共感できるから。まさに悪人正機説。
4月某日 田んぼが濡れている
雪はとっくに溶けている。けれど、雨が続いていたせいか、晴れ日が少ないせいか、この辺の田んぼには水たまりが残っている。
テレビで、農家の人が話していた、いったん乾かないと田おこしができない、畦の修理ができないので困る、と。ここもそうなのか。
どうか、はやく日が照って、田んぼも乾きますように。そして、ことしも、美味しいお米が食べられますように。
アイスランドの火山の噴火も早く収まりますように。
ああ、言い出したらきりがない。
地震だ、噴火だ、天候不順だ、は止めようがないのだもの。
4月某日 桜が咲いている
寒い日が続いていて、東京には雪が降った。それでも、気温は少しずつ上がっていたのだろう、いつのまにか、図書館前の桜並木の花が開き始めていた。まだ、梅も散っていない。梅に桜にユキヤナギに、まだまだしぶとく咲き残っている椿にと、爛漫たるあでやかな花の春が来ていたのに、冷え冷えした曇天が、それをたのしむ気分にしてくれない。青空がほしい。
4月某日 佐野洋子のエッセー
佐野洋子はことし死ぬはずである。『役に立たない日々』(2008年刊)で、ガンが骨転移してあと2年と宣告されたと言うから。
そう言われて、彼女はイングリッシュ・グリーンのジャガーを買った、最後に乗る車として。そして、こういう男を捜していたけど間に合わなかったと、しっかり自分を受け止めてくれるシートに座って思うのである。70で死ぬのが理想だった、神は居る、ソラナックスを飲みつづけて苦しんできた鬱病も消えた、人生が急に充実したなんて言う。なんて、すっきりした人だろう。もっと、生きて、ぐたぐた年老いたぐちを言っててもらいたいが。
物忘れがひどい、打ち合わせの約束を忘れていたりする、痴呆がはじまったなら、やるべきことを片付けておかなければ、と老人病院へ検査にいく。きっぱりしているなあ。MRIも撮って、なんとすべてが20歳の能力を上回っているといわれて、うきうきしながら帰るのだが、道を間違えて同じところに2回も突き当たる。呆けているに決まっているじゃないか、これは、あの検査は医学はなんだと怒る。この人の正直さに、また感銘を受ける。
2004年のオペのあと、息子の友人が「冬のソナタ」全巻を見舞いに持ってきて以来、韓流ドラマにはまっている。いままで味わったことのない幸せ感だったといっている。日本ではダサイと言われている愛を韓国の人は信じて、情が深いのだという。分析なんぞしないと言いながらちゃんと分析しているね。わたしもガンになったら韓流ドラマを見て情に溺れて夢を見よう。
4月某日 NHKのど自慢予選
深夜、テレビを付けっぱなしにしていたら(いつもそうなのだが)、のど自慢の予選を放映していた。アナウンサーの案内はなし。出だし少し歌うと、「ありがとうございました」と女性の声できっぱり言われ、次の人に交代する。
こんなにうまくない人たちも大勢居るんだと驚く。上がってうわずるおばさん、声が震えるおじさん、歌が遅れるおじいさん、高い音だけいい気持ちで朗々と伸ばすおばあさん、つっかえる若者(拍手ではげます会場)、これがほんとうだよねと、ほっとする。(と言うか、私はおばさん?おばあさん?)
いつも本番だけを見ていたから、最高年齢や特殊職業などの話題性のある人以外は、みな上手く、日本中が歌のうまい人ばかりになってきて、音痴はわたしだけかと思ってしまっていた。歌わせてもらう長さが、実力の差かな。
「千の風になって」や「津軽海峡冬景色」などは、5人も7人も同じ歌を次々に歌う。上手さ下手さの差が歴然だ。たまに金襴緞子の背広の人も居るが、ほとんど衣装は普段着。30分聞いているが金3つあげたい人はまだいないな。でも、たのしい。・・あ、若い人が出てきたらうまい人が増えてきたぞ。・・・・
新潟県加茂市文化会館からの第2部と新聞に書いてあった。ほんとは何人応募したのだろう、歌ったのだろう、今178番。あと1時間もある。がんばれ新潟県民。つきあいきれないわ、おやすみ。
4月某日 ぬるい番茶
冷たくなったのはいいのに、ぬるくなったのはダメ。
生ぬるいお茶を飲んで、きょうはゲリピー。なんでだろうね。朝は晴れていたのに、どんどん気温が下がったせいかな?夕方は6度。寒い。
4月某日 待機児童ゼロ
保育園待機児童ゼロ・・・・これは当市の昨年度の話である。東京や神奈川では、大問題になっているのに、これはびっくりだったが、現役の市立保育園の園長先生の言葉だから間違いはないだろう。
ただし、ゼロ歳児から、園児の定員は満員で、3歳、4歳からの入園などは、(引越して)空きができない限り、無理で、断っている。今でもやや定員オーバーで受け入れているんだそうである。ということは、そこで断られた人は保育園をあきらめて幼稚園に入れるのでしょう。都会の母親のように、自己主張をして待機している、ということがないだけに思える。
では、保育園に入れようと思えば、何が何でもゼロ歳から入園させねばならないのか。赤ちゃんの時は、母乳でしっかり母親が育て、3歳になったら保育園に預けて仕事に復帰するなんてことは、当市でも、できないということか。
4月某日 「鮮魚ボックス」の終焉
生協の鮮魚ボックスというのは、新潟漁協の佐藤さんが、当日、浜にあがったばかりの魚から3,4種類を選んで数匹ずつ、発泡スチロール箱に氷入りで詰めて1500円で提供している“おまかせ魚”である。とにかく、魚のぬめりが残っているほど活きがいい。ほとんど刺身になる。長岡にいた頃はよく注文していた。
ただ、欠点もある。値段が安い分、だいたい魚が小さい。魚屋では売り物にならないような大きさのもあった。それが3匹、5,6匹と入っていると、唐揚げならいいが料理に困るものもあった。
新潟へ来てからは、いい魚屋さんがあったので、あまり利用しなかった。それが、今回で最後、のお知らせが入っていたので、なつかしくて注文した。
配達してきた我が家2年目のNさんは、このボックスを配達するのははじめてです、という。
どうして不人気だったんだろう・・・小魚だからか、骨のある魚じたいが不人気なのか。魚をさばけない人が増えているのもたしかね。原信の前社長のいうように包丁のない家もあるのだろうしね。
もう少し大きい魚が入っていれば、高くても私は買い続けていたのだけれどなあ・・・。さあて、その最終ボックスに入っていたのは、南蛮エビ11匹、柳ガレイ中1枚小4枚、さごし1本。(あいかわらず中途半端な数と大きさです)
さごし?細長い魚
だが、聞いたことないねえ、ね? はい、そこでネットで調べました。60センチ以下のサワラをそういうのですって。ここらでは、それもサワラと呼んでますけどね。漢字で書くと鰆、おお、春の魚です。旬なんですね。刺身にどうぞ、と書いてあるので、初めてお刺身にしてみました。活きが良くって透き通っていて美味しかったです。
4月某日 花屋さん
スーパーの入り口の脇の花屋さん、行けばながめながら通るが、そうそう買いはしない。けれど、たまに花を買うといつも、「いつもありがとうございます」と言う。最初はだれかと間違えているかと思った。でも、いつも、そういう。
これ、あんがい感じがいいね。
4月3日 晴れのち・・・
四月の声を聞いてから、やっと暖かな日差しがさしました。玄関口の写真のように。それで、それっとばかり、洗濯をしてシーツを庭に干しました。何日ぶりでしょう。青空に洗濯物を広げるのは、気持ちがいいですね。
しばらくして、猫が足に絡まってきてニャーニャー泣くので何かな(こんな時は何かしらワケがあるのです)、と外を見ると雨、あらま、と慌てて、洗濯物を取り込みました。にわかに激しい風も吹いてきて、この前突風で割れた裏のガラス戸を直しておかなくてよかった、と思ったほど。新潟大学のヨット部のヨットが転覆して遭難、幸い部員は救助された由、よかったですね。
また昼には晴れ間、も一度、ソファーの真っ赤なカバーを庭に干しました。
それが、日暮れ頃、またもや雨。その後、あられも降って、いっときは、庭が真っ白に。
いそがしい天気でした。秋が女心なら、春の気の変わりようは男心?
3月某日 「漱石は柿だった」
という表題で坪内稔典が図書12月号に書いている。正岡子規が付けたあだ名が柿。その意は「ウマミ沢山 マダ渋ノヌケヌモノマジリ」なんだって。ははは。なるほどね。漱石には『柿』という短編があるらしい。こんど読んでみよう。
ちなみに高浜虚子はさつまいも。「甘み十分ナリ 屁ヲ慎ムベシ」と。人前で平然と屁をひる人だったそうな虚子は。ははは。
3月某日 本ばっか
寝ているからしていることといったら本を読んでいるだけ。本ばっかり。
★『普通がいいという病』(泉谷閑示・講談社現代新書)
精神科医による鬱や精神疾患の解説書かつ生き方書。「自分で感じ、自分で考える」ことを認め、葛藤を持ちこたえられる力を養成しようと書いている。かつて、心を病んだとき、普通にしていろと言われた私には、ああ、これでいいんだよね、と読んでいて、安堵感が広がった。
話の中で、漱石の「自己本位」を引用していた。「私はこの自己本位と言う言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなりました。」「いままで茫然と自失していた私・・・」(『私の個人主義』より)
今まで、英文学を研究していた漱石のしていたことは、言ってみれば「他人本位」で、外国の真似、尻馬、盲従でしかなかった、しかし、英国に行ってみれば、かれらはみごとに自己本位であった。それまでの自分は借り着、うきぐさ、であったと。それに気がついて、借り着をかなぐり捨て「自我本意」に徹したのか、と漱石文学の芯がみえた。こういう偶然の読書の輪はたのしい。
★『次郎物語』第5巻
結末が気になって、図書館へ借りに行ってもらった。そしたら文庫本コーナーには5巻は入ってなく、検索してもらったら、書庫に偕成社のジュニア版日本文学名作選にならあるという。あれあれ、ここまで読む大人はいないのか、撰書に唖然だ。
借りてきてもらって読んだ。ふりがながあって読みやすかった。旧制中学卒後の次郎は、恩師の青年塾を手伝う。開戦前夜の世相がわかって、その中で良心的な人間がどう生きていたか興味深い。では戦中は、と読み進めたかったが作者が亡くなってここで途切れている。残念。
★『OL進化論 30』(秋月りす著)
な〜に、4コママンガです。出版されたてです。見舞いに買ってきてくれるやさしい子がいて、幸せな私です。初版でOLになりたてだった主人公じゅんちゃんの周囲にも、「35歳で独身」なんて身につまされるテーマが多くなってきました。でも、幸せはいろいろだよね。
★『冥途・旅順入場式』(内田百閨E岩波文庫)
短編集。死と狂気とをせおって、書くことで癒しているような幻想曲。不安のなかの安定。ダダイズムのダリののり。小川未明の『金の輪』の少年を思い出す。おちつかない。
『山高帽子』に出てくる同僚への手紙で、「長」の字を使って書いていく駄洒落文は有名だ、とあとがきにある。
「光陰が矢の如く長れて・・・
あいにく何にも用字長(この字が逆立ちしていてガナとよませる)いのです・・
窓の外を長めていると・・・
へん長らの着物を着た若いおん長たっていた・・・」などなど
あら、おもしろい人なんじゃないの。へんくつなドイツ語の先生かとおもったら。この路線を行けばよかったのに。昔はそうもいかなかったのかな。
この本の中では『旅順入場式』が実態感があって、しみじみとした。戦争に行く兵士、凱旋する兵士が、華々しいどころか悲哀に満ち、ヨレヨレなのをドイツ将校が撮っていたの映画上映会という形で書いている。けれど、あとからこれも幻想なんだな、やられたわ、と思った。
★『じゃあ、北大の先生に聞いてみようーカフェで語る日本の未来』(中島岳志編・北海道新聞社)
くすみ書房の市民講座「大学カフェ」を編集したもの。この本屋さん、かつて、つぶれかけた頃どうせならと「なぜだ!?売れない文庫本フェア」を企画。これがマスコミに取り上げられて評判に。そして売れないはずの『次郎物語』がベストセラーになったんだって。偶然ですが読書の輪を感じるなあ。
表紙絵の和田誠ふうな、かろやかな絵に誘われて図書館の新刊書コーナーから借りてきた本。
政治学系の先生たち(といっても皆私より若いのよ、中島先生は35才)が、なぜ、こんなに生きにくい時代になってしまったのだろう、なぜ、小泉構造改革が支持されたか、政権交代でどうなるだろうと、保守ー革新、左翼ー右翼、大きい政府ー小さい政府、構造改革の言葉の意味からわかりやすく説明。1000円払ったお客さんは50〜60代が多かったという。先生からすればおじさんおばさんだ。あら、私らだね。
民主党の思想的支柱と私が思い込んでいた(必ずしもそうではないらしい)山口二郎先生は、20年前には今日の格差社会、規制緩和の弊害を予測できなかったと素直に反省している。(それを予見したのは内橋克人だけだったという)目から鱗。ということは、今の民主党も考えていなかったということか。竹中平蔵もこうなるとは思わず、国家財政縮小を第一義に律儀に政策を立てていたのかな。私たちは改革だあ〜という活きのいい声に踊らされて、自分の首を絞めていたらしいよ。怖いね。
私ら世代は、岸内閣といえば安保反対運動の相手と反射的に思い出すが、国民年金制度を作った内閣で、社会保障を充実させ福祉国家をめざしていた、というのは(無教養のため)知らなんだ。孫の阿部内閣が目指したものは、その反対の小さな政府、あれ?岸さんは大きな政府派だねえ?
認識を新たにすることの多い本でしたが、なかでも中島先生の話で、ホームレスをアパートに収容しても再び路上に出てしまうケースがあって、それは仲間が路上にいるからだ。これまでの生活から切り離されて孤独に生きるのは生きているという実感が持てない。「人間にとって非常に重要なのは、他者からの承認です。自分が特定の社会の中で存在として生きている実感こそが、人間の生を支える重要な要素です。」と語っているのには、共感したわ。
3月某日 咳
パソコンを長くしていると咳き込む。有害化学物質が出ているのかしら、とつぶやいたら、乾燥するからでしょ、と言われた。とにかく、体調の悪いときは過敏になっている。削り節の粉が散っても咳き込んでいる。
そんななのでパソコンから遠ざかり、更新もサボりがち。
3月27日 汽笛
真昼、うとうとしていると、なつかしい汽車の汽笛が聞こえた。夢を見ているなあとおもっていたが、ほんとうの蒸気機関車が通ったようだ。「村上ひな街道号」そうそう、毎年村上市の「人形さま巡り」の行事にあわせて新潟から走るんでした。なんだか、去年もこんなことを言っていたかな。
3月某日 『次郎物語』
図書館へ中島敦の本を借りに行くと、一般書のところにはない。ちょっと古い名作はみな文庫本コーナーにしかない。それもお手軽でいいかな。横にずれて下村湖人を借りてみた。
また、借りっぱなしで読まずに返却かな(そういう本も多いのサ)と思っていたけど、また風邪を引いて寝込んでいたので一気に読んだ。
はじめ、親に愛されない次郎にうるうる。子供には甘ったるい児童文学なんか読ませないで『にんじん』と『次郎物語』だけでいい。そのほうが、実社会を生き抜くたくましさを持てるんじゃないかな。
かんたんにはわかりあえない、親子でも良かれと考えていることは違う、大人は子供のためにを第一義にしていない人もいるという現実を早くに知らせたほうがいい。今の子供は繊細でうちにこもってしまうが、昔の子供もつらかったのだ。
下村湖人は、食物の飢餓と愛の飢餓が健全な生き方を阻害するのだといって、この次郎を数多くの親に引き合わせたい、児童相手の教育者、児童心理の研究者にも読んでもらいたい とあとがきで書いている。
子供を愛してやってほしいということなんだろうね。
松井直は親に「子供を愛しているだけでは足りない。子供が愛されていることをわかるようにしてやらなければいけない」と講演会で話していた。同じだね。(むずかしい)
続いて4巻まで読んでしまった。次郎のように、自分の子供期のイライラして物や人に当たり散らしていた思い出がフラッシュオーバーしてくる。恥ずかしい。
そして、次郎が、自分の惨めさと悔しさだけで凝り固まっていた、かたくなな少年期から、愛されることから愛することに目覚めていく青年期にたどりつくと、実はどう生きればよいのかの指針を示してくれる大人が周囲にいたことに気づく。いいなあ。
そういう人が、現代にはいるのかなあ。正しく生きること、慈悲の心を持つこと、そういう核を教える導きが・・・・ないように思う。私自身がいい加減な大人として生きているし。
3月某日 失せ物
相変わらず、今日も、なくし物をさがして、一日オロオロしていた。図書館から借りていた本がないのだ。
二つの図書館へ出入りしているので、また間違えて別の館へ返したのかなあ、と電話を入れてみる。”ありません。そういうときは正しい方の館へ連絡します”、と言われた。恥をかいた。担当者がチェックし忘れているかと、すぐ人のせいにしている私の方に、自己嫌悪。
捨てるような物ではないし、ではいったいどこにある?
2日間、心に重くのしかかって、うち中をウロウロ捜索していた。
どこで読んだか、思い出せない。・・・まだ読んでいないのだ。
では、どこで読もうと思ったのか、鈍い頭を働かせて考えて・・・ハッとひらめいた。そうだ、スポーツジムへ行って高級マッサージ器に身をゆだねて読もうと思っていたのではなかったか。ずっと行っていないが。・・・はたして、裏口のジム用のバッグに、その文庫本はあった。表紙に土方久功のみょうな絵のついた『中島敦全集1』。
3月某日 ケイチョウボランティア
知人が、ケイチョウボランティアをしているという。ケイチョウ?
慶弔?と聞くと「「傾聴、お年寄りの話を聞くだけよ」と言う。給食ボランティアや児童託児ボランティアなど、いろいろ活躍していた人だが、さいきん、肩の靭帯を切って静養していた。「傾聴ならできるから」とそのボランティアだけ、やっていると言う。
すごく簡単そうにいうが、相槌をうって相手の話を聞くだけ、というのは、とてもむずかしいことだ。えらいねえと感服した。私はできそうもない。
「親の話なんか同じことの繰り返しで、それはもう聞いたと怒らずにいられなくなるし聞きたくもないわ」、ともう一人のこの話の聞き手もうなずいていた。ああ、他人ならでは、のこともあるのだ。
親身にならず、いったん突き放すのが、親子夫婦の間でも必要なのかもしれない。
3月某日 ブックオフにて
北森鴻をさがしにいって『屋上物語』を105円で買う。
ついでに『氷河ねずみの毛皮』も買う。これは宮沢賢治の童話に木内達郎の絵が付いている絵本。図書館で借りて、古めいた話に古めいた絵で、いいなあと思っていた本。105円で買えてラッキー。
こんな風に105円で手に入れたポール・ガルトンの絵本『ルンペルシュティルツヘン』は、今では絶版のため、アマゾンの中古本では12469円ですって!(ふふふ)
3月21日 黄砂
朝からのどが痛い。甲子園の開会式をTVで観ていたら、黄砂でスコアボードが霞んでいますが、と言っていた。黄砂のせいだ。
外に出たら車に縞模様ができている。黄砂だ。
風も強い。また裏口の戸が、風にあおられて給湯器にぶつかりガラスがばらばらわれた。
のどの痛みは、どんどん増して、熱まで出てきた。風邪か。
小林達雄先生は長岡の縄文中期の繁栄の急激な消滅は、インフルエンザのせいかもしれないと仮説を立てていたが、黄砂とともに襲来したのかなあ。
3月19日 卒業式のうた
隣の学区の小学校の卒業式に出席した人が、卒業生全員が「3月9日」を歌って、とてもよかった感激したと言っていた。知らない。後で調べたらレミオロメンの歌だった。知ってる?「粉雪」(紅白で歌っていた)より前の曲だけど知らない。最近の歌は全然わからない。
その卒業生は13人、こじんまりした学校。
3月某日 大人の会話
質問しない。
追究しない。
相手が話すことを聞くだけに留める。
勉強会とは名ばかり、誰も勉強してこないので雑談会になってしまっている集いがあって、私はそのメンバーである。
月に一度の出会いなので、各自の近況報告からはじまる。
長男が事故にあって半身不随になった、留守中にご主人がトイレの前で倒れてなくなっていた、などなど。かなりの大事件でも、たいへんでしたね、とさらり受けておしまいだ。渦中の間は欠席して、一段落したから出てきているわけだ。
ある人は、東京で派遣仕事をしていた大卒の娘が帰って来て職探しをしてるがいい職がない、近くの蒲鉾工場に仕事が見つかって明日から行く、と話した。
蒲鉾工場の募集チラシはよく入る。仕事がきつくて居着かないそうだががんばってねと話す人もいた。
次にあったとき心配して、どうでした?と聞いたら、ひとのうちのことは詮索しないでよと激しくキレた、自分から話していたのに。
だいぶ経ってから、娘は一日で辞めてきたわ、作業着のクリーニング代のほうが高かったと話す。自分も動揺していて突っ込まれたくなかったと。でもねー。
私は、近況は?と問われると、まだ足が痛くて遠出ができないとか、雑草の花や読んだ本のことを話す。話したくないことは断固として口にしない、それは自己責任だ。
たしかに解決も批評も求めていない。
相槌をうって聞いてもらうだけでいいのだ。
突っ込まれたくないことは言わないほうがいい。
それが大人の会話なのだと、私はこの会で学んだ。
蒲鉾さんは、その後、娘の見合い相手を紹介してよと何度も話しかけてくる、写真入りの年賀状まで送ってきた。もちろん意に沿うような知り合いもないので、丁重にお断りしているが親なら当然することとへこたれていない。分かりあえない人はいるというのも勉強になっている。
3月15日 わたしの美容師
今日の地元紙夕刊の一面トップで取り上げられていた美容師は私のお気に入りの美容師である。連載記事で、この人の父親(県内の業界重鎮らしい)がずっと取り上げられていた。いつか、彼も登場するかなとみていたら、案の定、後継者として登場。(写真はいささかボーッとした2代目に写っているが、実物はもっと凛々しくイケメンで感じもいい人だ)
引っ越した当時、友達がこの店を紹介してくれた。ケヤキ並木が窓の外に広がり、四季折々の眺めが美しく、それも気に入って通っていた。いつからか、ご指名の美容師がいなくなって、彼が担当することになった。
彼は髪も洗う。どこの店でも洗髪は助手にさせるのに、彼ははじめは自分で洗う、そして頭の形のいびつさ髪質を調べている。私は左頭がへこんでいるんだそうである。
カットはすこぶるうまい。前の町の、鈴木京香のフェイスマッサージをしていたという東京帰りの美容師より、数段うまい。なにしろ、美容院を出るとき、この私が美人になったなあと思えるのだから。
手早いし、物腰は柔らかで、よけいな雑談もしない。あくまで技術で勝負しているから、肩もみマッサージのサービスもない。下手くそに肩をもまれるのは気持ちが悪いものなのだ。
腰が痛くても通っていたので、膝掛けを持ってこさせたり腰当てにもう一枚追加させたりすると、ちゃんとそれを申し送りしているカルテがあるらしく、違う助手がついても、如何ですかと気遣ってくれる。マネジメントはしっかりしているのだ。
久しく行っていない。母の入院、私の股関節痛で、髪は伸び放題、毛染めもコダマ薬局で買って自前で済ませている。近くの美容師はへた。できれば、彼に切ってもらいたいと我慢をしてもう、一年・・。
こんなばばあになっても彼なら美しくしてくれるかと、かすかな望みを抱いて今日も生きている私・・・・。
と取り上げられた美容師に対してはなんの文句もないのだが、新潟日報のこの紙面の作り方には、もういいかげん、あきれている。
一面トップに地元出身の名士の半生記を綿々と掲載するのはやめましょうや。まずは小林幸子からはじまって、なんじゃこりゃとびっくりしました。それで終わるかと思いきや延々と続いている。そりゃあ、東京芸大の学長は郷土の誉れなのだろうが、トピックスではない。あるときなど、親が危篤の電報が、なんて何十年も前の話が、一面トップに大見出しで出るのは如何に!
生のニュースを伝えるのが本来の使命たる日刊新聞にあるまじきと私はもう2年も怒っている。貴之さんには何の罪もない。
3月某日 新潟のばか2題
新潟市美術館に、奈良中宮寺の弥勒菩薩像が来ることになっていたのだ、来月。会津八一のつながりで、はじめての地方貸し出しとやらなので、人気は上々。前売り券も売れていて、新潟市中心街古町では、これにタイアップし「まちなか活性策」もねられていた。
遠方へ行けない私も、ここへなら見に行ける、再びお会いできる、と楽しみにしていた。それなのに・・・・、
それなのに・・・・、
この美術館で、去年はかびが発生したり、今月は蜘蛛や虫が出たりの騒動があって、文化庁は貸し出さないと宣言。市長は館長の首を切ったり、消毒したりあたふたして、再考をおん願いたてまつったがダメ。
結局、長岡市にある新潟県近代美術館に場所を移して、この企画展を開催することになった。(長岡市民ラッキ〜!)
この不始末は、館長の企画した「土と水の芸術祭」という名の(ちょーどんくさいものの混じっている)キッチュな美術展からはじまっている。土状の展示物からはかび、今月開催中だった「新潟への旅」という名の展示会では「エコ電動カート」から蜘蛛に甲虫40匹が発生。そんなものがゲージツか、というような中古実用品を館内に展示していたのだ。
それで、館長が(はじめは年度末に解任といっていたが、議会で追及され即日)首になっているが、そもそも、その館長を連れてきて、莫大な予算を使って、みょうなゲージツ展を開かせた市長にだって責任はあるんじゃなかろうか。ともかく、新潟市民はみんながっかりしてますて。
佐渡では、朱鷺の放鳥までの順化センターに、なにものかが侵入して朱鷺9羽がかみ殺された。野生動物のテンだというのは監視カメラのモニターでわかった。どこから進入したのかは数日わからなかった。
何日も調べて、やっとテンの入りこめそうな隙間が何箇所も(!)見つかった。粘着テープを使って進入箇所も特定できた。つまり、その後もお出入りなさっていたのだ。若い環境庁の係官は泣いていた。悔しいよね。私は悔しいぞ。
今まで、誰も気が付かなかったの?こんな馬鹿でかい施設、費用も馬鹿でかそうな施設の製作責任者は誰?建築屋?設計者?これって、欠陥建築じゃないの!こういう小動物が付近に住んでいると知っていた地元民の意見は取り入れていたの?あやしい。
3月某日 最寄り駅の時刻表
13日、JRのダイヤ改正があった。この日、たまたまアルビレックスのサッカー試合を見に行った人を迎えに、駅へ行こうとして、時刻表をさがした。去年から冷蔵庫に貼り付けてあった新聞折込チラシの時刻表には、乗ったという電車が出ていない。そうだそうだ、きょうから替わったのだ。
それで、新聞置き場をさがして、遡って数日分のチラシを探してみたが、ない。折込チラシはふだん、土曜のユニクロのほかは見ていない。捨ててしまったらしい。それで、新聞販売店に電話をした。余りがあったら一枚もらおうと思ったのだ。
それが、「こういう電話はたくさんあるのですが、実は、毎年注文のあるスポンサーがおりて、ことしは折込チラシは出していないのです。」とのお答え。
まあ、そんなに不景気になっていたのですか、この町は!
「でも、お客さんの要望があるので、近いうちに、うちが作ります」との追加のお返事。おねがいします新聞屋さん、がんばってください。
3月某日 テレビで『吾輩は猫である』
つけっぱなしにしていた教育テレビで、とつぜん、こどもが「わがはいはねこであるなまえはまだない」と言ったから、びっくりしてみていた。『にほんごであそぼ』の時間である。ここでは野村萬斎や市川染五郎が子どもと一緒に、狂言や歌舞伎の名文句を言ったりしておもしろいのだが、おや漱石先生ですね、きょうは。
黒がでてきてねずみをとったかと聞き、ミケをおっしょさんが可愛がるところまで、かいつまんで物語を再構築していた。おもしろい。
昔の漢学の素読とおなじ。よくわからなくても、言葉が頭に入るだけでも幼児教育はじゅうぶんだね。
3月某日 それから『山月記』
某友人からお勧めがあって中島敦の『山月記』を読む。
泣けてくる、わがことのようで。(いやいや、臆病な自尊心と尊大な羞恥心を飼いふとらせたというところだけですよ)
それから、『弟子』『李陵』に挑戦中。
漢文を高校で無理やり学習させられていてよかった。それでも、読み進みが遅々。教養のなさがじゃまをしている。思索的で言葉がとぎすまされている、そして、情におぼれないし、ハッピーな結末でないのに、読後がほのぼのとする。優れた作家なのですねえ、う〜ん、学ぶべきことの多き老後じゃ。
漢学の素養の深かった漱石も、こういう、中国の故事をネタに書いているのだろうか。
3月某日 漱石本から鴎外へ
(これも、寝込んでいた2月末のはなしだが)
漱石さんにも、疲れて、鴎外の『雁』を読む。ああ、清涼飲料、なんて読みやすい。感情の機微に論理性の破綻がない。どこか、自分を投影しているのかもしれないが、客観性がある。あれこれ短編をよんで、すっきり。
ただ、どっちが心に残るかというと、イヤーな気分を引きずりながらも、漱石。
3月某日 漱石本より 『道草』つづき
この物語が漱石の自伝的小説と知ると、主人公・健三の親類縁者はなんて人たちばかりなのかというイライラから、憐憫の情にかわった。気の毒な漱石。
食いぶちべらしに養子に出され、外面だけよく浮気がもとで崩壊する養親家、そして、もどっても身の置き所のない実家、学才が認められて洋行するも、その間に高級官僚だった妻の実家は没落、身内はみな貧窮、そして、金をせびりに来る養親たち。なんたる悲惨、薄幸。
本来なら悠々学問に浸りきっていられる生活が保障されてしかるべき高教育高教養の御身分が、金に汲々しなくてはならぬ。そして親たちの愛情の薄さよ。
夫は精神衰弱やら胃潰瘍やら、妻はヒステリーになっているが、さもありなん。
実体験をぶちまけているのだろうな。少なくともイギリスの個人主義をみてきた漱石には、前世紀の異物がまとわってむしゃぶりついてくるようにみえたのではないだろうか。
これで(小説を書き上げて)少しは気が晴れたかなあ。
ふんだりけったり、俺が悪いわけではないのに、いやな連中に囲まれた人生だったなあ、だけど、しゃあないなあと総括できたのだろうな。・・・則天去私。
うーん、これはわが夫もおんなじだ。親は、長男の出世は飯の種、実家の面倒をみて当然と、卒後給料を取ると同時に当てにされた。弟妹も困ったら兄が面倒を見て当然と思っている。わずかな相続財産を等分に分けていたにもかかわらずだ。
私にはあの頃、想像もつかなかったのだが、明治の昔の倫理観を昭和後期になっても、田舎はまだ、ひきずっていて、これも当然だったのだろう。親は子の幸せをいちばんに考えて育てているのではないというのは驚きだった。
私の父も、これは戦前の話だが、上海事変で実家が苦境になり、養子に出された。田舎の豊かな家にもらわれたほうがこの子の幸せと、子だくさんの祖父は考えたらしい。祖母はとりみだして連れ戻そうとしたが、他の子の重態があって、かなわぬまま、縁組されてしまったらしい。
養親は、子のない自分たちの老後を養ってもらうために養子をもらったのだ。だから商家に学問はいらぬと商業学校に行かされ、首席をとっても大学進学はさせてもらえなかった。そういう世の中だったらしい。
しかし、豊かだったはずのゲタ問屋の養親は相場の失敗か時代のせいかで没落し、父はただの高卒サラリーマンになった、それも養親をかかえて。(国民年金のない時代、親の老後の生活はすべて子が背負っていたのだ)
長じて本当の兄弟の消息を聞いて、みな苦学しながらも大学進学して、貿易会社を起こしたり、東京銀行のミラノ支店長になったりしたのを知って、悔しがったらしい。(早世したその父の思いは母に引き継がれ、なにがなんでも子どもは大学へ、と母は貧しくても息子の進学費用は惜しまなかった)
私は民主主義個人主義の時代に生きてきたと思っていた。けれど、弥生時代に入っても東北にはしっかり後期縄文文化が残っていたように、時代は少しずつ重なり合っていたようだ。
封建色。
そう、漱石の夫婦観も、封建色がつよくて、びっくりしている。それは平成時代に生きているはずのわが夫もで、これもびっくらしているところだ。(つづく)
3月某日 閑話休題 今の政治は
なんの希望もないですねえ。
まずは腐りきった政権を交代すれば、明るい明日があるかと嫌いな人に投票した衆議院選挙。
それなのにそれなのに、その政党のトップ二人は・・・・・。
不動産を買いあさったのは、信濃川河川敷でもうけようとした師匠の角さんそっくりの幹事長。
友愛の政治をとなえてクリーンに登場した首相は、なんのことはない賄賂なんかいらない資産家。それも母の財産で支えられていたというおそまつがばれても、知りませんでした、ですませ、みな秘書に責任を押し付けている。もう、言葉になんの重みもない。
北海道の教職員組合からの政治献金で選対秘書が逮捕で小林議員辞職というなら、幹事長・首相も同罪ではないか。米軍基地問題うんぬんの前に、すでに人望はない。
だから、私は、今まで認めていた経費もまったく認めなくなったほど、必死で税金をかき集めているまじめな税務署へ、確定申告に行く意欲も納税の意欲も・・・出ない!!それなのに、あやつらは・・!!
うちは、払うほうなんです。税務署に税金を払いに行く人は、みな私と同意見だと思うよ。
2月某日 漱石本から 『道草』
なんだか漱石みたい。ああ、自伝的小説だと解説がある。私はもの知らずだから、この歳になるまで、こういう古典的名作を読んでこなかった、おはずかしいしだい。(続く)
2月某日 漱石本から 『彼岸過ぎまで』
大学は出たものの・・・なんて今の時代も、同じだ。その職探しをしている敬太郎が主人公かと思いきや、さにあらず、その友人で、親類に口利きしてくれる裕福な高等遊民の市蔵のほうが主人公だった。敬太郎、市蔵、その叔父松本、と章ごとに、語り手が次々に変わる。「私」の視点だけでなく、小説の視点が、動いていって、おおっと、ビックリした。当時は斬新な小説だったのだろうな。こんな書き方、今江祥智がしてたっけ、こっちがもちろん後。
市蔵の叔父で裕福な資産家田口は、酔狂にも探偵の真似事で敬太郎の資質を試す。そして採用する。このへんもおもしろい。
その娘千代子に、市蔵は恋をしているのだろうが、なにしろフラフラしているので結婚したいでもなく、でも他に立派な経歴と容姿の男が出現すると、対抗心を燃やしたり、いじけたり、この市蔵の心もフラフラしている。「嫉妬心はあっても競争心を持たない僕にも相応の自惚は陰気な暗い胸の何処かで目先ちらちら陽炎ったのである」のだ。そして、行きづまって崩壊しそうになった精神は、なんのことはない、旅行に出てリフレッシュするのだ。頭の中だけで、こねくり返して考えるな、行動しろ、といっているのかなあ。
2月某日 漱石本から『門』
主人公宗助は京都帝大の学生のとき、友人の囲い者の愛人(と私は読んだのだが諸説あるね)、御米と駆け落ちした。それ以来、社会の片隅にひっそり暮らしている。あちこち地方を流れて、今は東京、大家の崖下の借家住まいながら、ちゃんと下女「清」をおいているのだから、明治時代の庶民、平民も、ずいぶん上下の格差があったのだな、なんて感心しながら読んでいた。子供に恵まれないのも、実家の財産をおじに掠め取られて貧困な生活になってしまったのも、自らの罪の意識を持って、あきらめて、ひっそり寄り添って暮らしえいる。このつつましい生活の細部が良く書けていて、空中歩行している高等遊民の話ばかり続いていたので、やっと、私はほっとする。
でも、やっぱり、宗助の心の問題が中心。三角関係の友人の出現情報を聞くと心が動揺し不安になって、禅寺に救いを求めて修行に行く。けれども、悟りは開けない。そして、また、元の暮らしにもどっていく。これでもいいか、という諦念だろうか。これでもいいよ、という一つの悟りだろうか。こっちかな。
それにしても、恋は書けていない。どのように慕いあって駆け落ちしたか、その恋愛は何もかけていない。漱石の女の恋は書かれていない。男だけが、恋をしているとただ書いているだけだ。
2月某日 漱石本から『それから』
主人公代助は大学を卒業しても裕福な親から月々、金をもらって、書生下女をおいた一軒家に、何もしないで暮らしている。たぶん東京帝大出。書生からは先生とよばれ、兄嫁と芝居見物に行ったり、親のかかわりのパーティに出たり、書物を読んだりしてフラフラ暮らしている。職探しに窮々している友人平岡に対しては、冷ややかな目線で見ている。
なんなんだろうな、この人は。文中にも、「黙然として、自己は何のために此の世の中に生まれてきたのかを考える・・・・哲学上の好奇心・・・アンニュイの結果・・・人間の自由な活動・・・自己存在の目的自己存在の経過・・・無目的な行為を目的として活動していた・・・・」とあって、意図的に、世俗にまみれず生きているのを誇っている。高等遊民め。
こんな人を新聞読者はおもしろがっていたの?背伸びして、学士さまはかくあり、とあこがれて見ていたのかしらん。これも漱石じゃないの。ところが読み進むと(ここに来る人は、もう読んでいる人ばかりと決めてかかって、ネタバレしますが)、実は、職探しをしている平岡の妻になった三千代を愛していたが、友人もまた恋しているのを知って、譲ったという三角関係・身を引くバージョンの過去が、現実的生活を拒んでいた遠因だったのがあきらかにされていく。(三角関係強奪バージョンが『こころ』ですね)このへんは推理小説的な種明かしのしかけだねえ。
そして、友人が家庭を顧みず酒色におぼれ金に窮し、元恋人が不幸になっていると知ると、告白してしまう。その後、三千代の病状は悪化して会えなくなるわ、平岡は事の次第を親にばらすわで、親の進める縁談もけってしまった代助、経済援助を断ち切られ、働かなければ〜!というところで終わる。(発狂したという説もあるが)わたしゃ、これを「現実に戻っていく」、と読んだけどね。
イライラさせられる小説でした。虞美人草も途中で放り投げたし、三四郎もダメ。三四郎池では遊んだけど。
漱石文学をなんで、みんな持ち上げるんでしょう。
2月某日 漱石本から 「清」
『坊ちゃん』の東京にいる乳母が清というのは、知っていた。笹飴をくれるから越後の人。
それが、『門』にでてくる下女も「清」。
途中でおわっちまう『明暗』の主人公津田の元恋人は「清子」
同じ名前、多すぎじゃない?なにかこだわりがあるのかなあ。
全部読破していないから、まだ出てくるかも。
2月某日 漱石本から 『こころ』
そもそも、寝込んでいて、枕元に置きっぱなしだった大岡信の『拝啓漱石先生』を読みかけたことから始まる。ここで、『こころ』の話が出てきて、あれ、私は違う風に思ったぞ、と思ったことが分厚い全集に手を出したはじめだった。腰痛の痛みを忘れるには評論は向いていない。考えなくちゃいけないし、ひたるべき空想世界がないからだ。
『こころ』ちゅうのは、恋愛の三角関係で親友を出し抜いて下宿の娘を娶ったのはいいが、悲観して死んでしまった親友のことを悶々と悩み、彼を先生と慕う若者に長文の手紙でそのいきさつをくどくど書き連ね、ついに自殺してしまう人のお話。
これが高校の教科書に載っているのもどうかと思うね。どう、講義していくんだろう。
まあ、この先生、えんえんと自分だけの世界に浸っていて、当の妻がどう思っているか、こんご一人取り残された妻はどうなるか、こんな手紙を突きつけられて読んだときには私は死んでいると告げられる若者の心中やいかに、はて何をして暮らしをたてていたか、なんてことは、どうでもいい話なのだ。自分のことしか考えない自虐的自閉的自己中の高等遊民のお話なのだ。
どこかで漱石は「僕のはいつも心理現象の解剖であります」(書簡集より)といっている。なるほど、自分自身の心理の深部をたどっているだけなのだね。若者の心は、こうも揺れ動き迷うものなのだ、君たちもそうだろう、それでいいんだよ、というならそれもよかろう。
そして、この陰々滅滅、厭世主義の物語が新聞小説だというからおどろきだ。ただ、漱石の話はだいたいが推理小説じみていて、終盤になって、やっと事の次第がわかるという筋立てになっているから、その興味で読まされてもいくのだろう。
もとい。『こころ』は心理小説だとすれば、ここで、主人公を殺すことによって、著者は、それまで引きずってきたものを切り捨てて再生、新生したってことだよなあ。「鳥は卵の殻を破る」デミアンの如く。『誰が君を殺したか』の如く。そして読者にもその浄化作用が伝わるということなのかな、と私は思ったのですが、たぶん、誰かがどこかで言っているのだろうけどね。
というわけで、それにしても漱石ってこんなに青臭いの?と、あれこれ、手を出していたのです。寝込まないと読めない、計1963ページ。
私は感じる人間であって、考える人間であって、お前の考えなんかどうでもいい、価値がないといわれても、考えることを止められないたちの人間なのです。だから、ここで自分につぶやいているだけ。
2月某日 漱石本から 『明暗』
田舎から都会に出てきた男は大学在学中は仕送りをしてもらっていて、それは当たり前と思っていた。卒後、結婚して物入りだからと、送金してもらってボーナスが出たら返すという。親はそのつもりで出し、ボーナスが出ても返さないからその後、送金を止める。息子ははなから返す気はなかったのであわてる。親を吝嗇家と内心ののしる。妻には親が資産家であるように言っていた。
(なんや、昔から男ってこういうもんなんや。)
2月某日 風邪でふせっているときは読書
高熱でウンウン言っているときはどうもしようがないが、そのあと、寝ているしかない微熱のあいだは、こんどは腰が痛くなってくるのは毎度のこと。それをしのぐために、本を読んで気を紛らわしていた。
北森鴻の初期作品をよみきって(このへんは冗長でつまらなかった)、
図書館が課題図書に推薦していた、ふだんは読まない児童文学に手を出し(エヴァ・イボットソン作『夢の彼方への旅』。これは1910年ころ、孤児になったイギリスの少女がアマゾンの奥地に住む遠い親類に引き取られていく話。金目当ての親類、アマゾンのすてきさ、小公女小公子のムードもあり、おもしろく読んだ。けれど読み終わって2001年の作とわかって、こんな世界観でいいの?と疑問が出た)
手持ちの読むものが絶えて、家人の本棚から「漱石全集」をひっぱりだしていた。
2月某日 風邪ッピキ
熱が下がって、動けるようになったら、痰が詰まって声が出ない。
まえにも、こんなことがあって、1週間も声が出なかったから、まただと悠長に構えていた。今回は2日ほどでかすれ声がでた。ホッ。
私は命にかかわるような病気とは縁がないが、生活上困ったへんな病気にはたいそう縁が深い。
手の指がまったく動かなくなったことがある。病院にいくと、サタデーナイトなんとか症といわれ、欧米の殿方が週末に彼女を手枕させて寝るためにおこる二の腕の神経の麻痺だという。二三日で直るといわれたが、数週間続いて補助器具をつけて暮らした。もちろん手枕うんぬんとは縁がないのに。その病気は一年に右、左両方おこった。その後、握力が弱って、チェロもフルートもできなくなった。
椎間板性腰痛も股関節症もこれで死ぬということはないが不便だ。スキーも旅行も昔語りになった。
過敏性大腸炎に胃弱も、ただ緊張や冷えや暴飲暴食とか油もの肉ものがダメなだけで、それをさけていれば、まあまあ暮らせる。好きなものが食べられなくても。
「せんき性暗点」という視野に稲妻が輝く病気もしょっちゅう起こるが、視神経そばの毛細血管が切れたときの一時的なもの、と放置されている。ああ、また脳が少しずつくずれていくんだと情けなくなるし、ぼけてくるわけだと自覚させられている。
そして、予防・療法がいちおうある致命的結果になる病気を抱えている家人を、ほんとはうらやましい。傾向と対策がねれるではないか。そして又、ぱっと散れるではないか。
2月某日 『アバター』鑑賞記
3D映画はおもしろかったです。期待していたような、こちらに矢が迫ってくるような感覚はなかったですが、奥行きの深さが、禍々しいくらいはっきりしていて、立体感が見事です。そして、雪のようなふわふわした妖精(?)が映画館内に降ってる感覚もあって、楽しめました。これぞ、これからの新しい娯楽になるでしょうね。斜陽映画界の起死回生に。
(どちらかというと、予告編でやっていたジョニー・ディップがきちがい帽子屋を演じる3D『不思議な国のアリス』のほうがおもしろそうだけど。)
ただ、いちじ流行った3D絵本が一点凝視で立体感をうみだすように、この映画も知らぬ間に視神経を極度に疲労させているようです。あとから頭痛に悩まされました。それも、高速で車を走らせているときや、広々とした田園の中の一本道を走行しているとき、テレビでバスケやスキー競技など激しく場面が変わるようなものを見ているとき、頭痛や吐き気が起きました。年齢制限が要りそうです。高齢者禁止とね。
ストーリーは、(誰も見に行かないでしょうからネタバレしますね)
西暦2154年、車椅子生活を送る元海兵隊員のジェイクが主人公(そんな未来にも海兵隊があるの?アメリカ映画だねえ)。
遠く離れた宇宙の、とある衛星パンドラに、次世代燃料となる希少価値鉱石の「アンオブタニウム」をもとめて、資源開発会社が進出する。(国じゃなく、国連じゃなく、利潤追求がまず第一の「会社」が、なのよ)
その星の、鉱物がある地域には人間型原住民ナヴィの一族が住んでいる。地球人には有毒な大気のなか、地球ではすでに失われた美しい豊かな自然があり、巨木の上に住み、狩をする原始的な生活をしている。身長は地球人の1.5倍、すらりと敏捷で、全身青くてしっぽがある(はじめはぶきみ、慣れると平気。でも、宇宙人を野獣的に不気味に書きたがるのはアメリカ的ね、日本だとメーテルになるね。そのしっぽは植物・動物と感情の交信ができる感覚器官だ。)彼らは開発にも物々交換にもまったく興味を示さず、自分たちの文化を守って開発を拒んでいる。
会社は生物学者を使って、地球人とナヴィのDNAを合成させ、ハイブリッドの肉体を作り出し地球人の意識を遠隔操作で転送する生命体を作り出す。それがアバター。そしてアバターを潜入させ、友好的に原住民を懐柔しようとしている。しかし、それがかなわないときは武力でナヴィを制圧し、資源開発をしようとも画策している。保安部隊の名目で重装備の傭兵もしっかり雇っているのだ。
ジェイクは、生物学者だった亡き兄のあとを補充するべく、アバターの頭脳としてよびよせられたのだが、傭兵隊の一員でもあった。現実世界では車椅子の不自由な生活だが、アバターとして動いているときは自由にはねまわれ、喜んでいる。
彼は、ナヴィの暮らしの中に入れば入るほど、そのゆったりとした自然と調和した生き方が良いものに思われ、族長の娘ナヴィと愛を交わすようにもなり、その人々の暮らしをめちゃめちゃにする会社の方針からは、気持ちが離れていく。そこで、早く成果を挙げたい会社の責任者と傭兵隊長は武力行使に出る。ここではなばなしい戦闘、というのがあらすじ。
もちろん、結末は自然派、アンチ植民地派の勝ち。ジェイクら数人を残し、地球人は地球へ追放されるのだ。そして、太古からの自然は保たれる。めでたしめでたしの終わり方。
でもねえ、利潤追求の「会社」なら、すごすご尻尾を巻いて逃げていって終わりだろうか、より重装備で再度、原住民撲滅にもどって来そうな気がするなあ。それに、ハイテクがまったくなくなって、地球人は生き延びれるのか。「聖なる木の精」という病をも癒す生命の源に依存していて、医学も科学も進歩しないままで、いいのだろうか。宇宙の辺地で、ユートピア、桃源郷にこもることで、最初の目的、地球の枯渇した燃料資源はどうするのだろう。と、まあ、見終わってから考えてしまったのですが。
という、めんどうくさいことは置いて、映画の楽しさは、映像ですよ、まず。
で、なにがおもしろいか。まず、始まりの場面。
暗黒の宇宙に浮かぶ、宇宙船。きれいだなあ。今、地球の上に建設中の宇宙ステーションをもっと大きくしたような宇宙船。そのメカニックな美しさ。私が小学4年のころ、渋谷の東急映画館で、はじめてみたSF映画。ストーリーも題名も忘れたが大スクリーンの黒い宇宙を飛ぶ宇宙船、45度の線路が空に向かって引かれ、その上を走って宇宙船が飛び出す、あのときの感激を思い出しました。なにせ、その建物には五島プラネタリウムもあって、昭和中期、子供たちは未来は宇宙にありとほんとに夢見ていましたからね。私はSFが好きなんです。その後見た『2001年宇宙の旅』は、アーサー・C・クラークの原作も含め、マイベスト1です。
それから、衛星基地のメカの素敵なこと。戦闘機やヘリやモビルスーツの「AMPスーツ」。ガンダムや未来少年コナンやパトレイバーを思い出しました。監督もこういうメカニカルな細部が好きなんだろうなと思わずにいられない。
深い太古の森や巨大なシダなどの植物、きれいだなあ、「もののけ姫」の世界だ。宙に浮かぶ山、どこかでみたような、これは「ラピュタ」だ。聖なる木の精は「ガラスの仮面」の梅ノ木だ、と勝手に連想してたのしんでいました。
原始爬虫類や恐竜が変化したような動物、原住民たち、これらはみんなアニメーションでCGだと思っていたのに、ナヴィは人間がモデルだったのだそうです、わお。
でてきた俳優の中では保安部隊の大佐がよかったね。使命感の塊、かつ武器を使って華々しくドンパチやりたいという元兵士らしいアンチ平和主義が徹底していて、爽快で、悲しみさえ誘います。よく描かれていたと思います。
それに比べると、主人公はむしろ没個性。それが採用(オーストラリアの無名に近い俳優)基準だったかと思うほど、見終わっても、印象が薄い。これが、ヒーローとして傑出した主人公を描くのでなく、わけもわからないまま抗争に巻き込まれていく一般人、未来に夢もなかった負傷兵の不安、物語の進行にじゃまにならない役、というのがポイントなら、当たっていたのでしょう(勝手に推測)。
そして、かっこいい女性たち。ヒロインの原住民の娘ネイティリ(のモデル)は、バレエダンサーだった女優が演じています。しなやかで、ほっそり、かつ敏捷な容姿はすばらしく、強く毅然とした役柄もいい。
シガニー・ウィーパーはアバター研究の生物学者を演じています。『エイリアン』でもみせたりりしさを監督はまだ買っているのですねえ。
ネイティリの母、族長の妻もやはり、りりしい。
ヘリの女性操縦士も、命令を遂行するだけでなく自分で考えて判断して、さいごは主人公に味方する。どの女性もきちんと自分を生きていて、キャーキャー騒ぐ女々しいだけのハリウッド的な女が出てこないのはうれしかったな。
昔、映画は唯一の映像娯楽だった時代がありましたね。丁稚さんは、やっともらえた休暇に映画館へ行って「鞍馬天狗」や「青い山脈」をみて、気晴らしをしていたのでしょう。浅草の映画館がにぎわったのはそういう時代なんでしょう。今は、各家庭にテレビがあり、DVDがあり、ネット配信であらゆる映像を見ることができるのだから、映画館もすたれるわけです。ならば、わざわざ映画館へ行く楽しみは?
小さくまとまってしまっている日本映画、金はかけても二番煎じばかりのハリウッド映画、お子ちゃま向けアニメ全盛のなか、この映画が数週間で興行成績トップになったのは、まずは、3Dみたさ、ものめずらしさでしょう。わたしのようなミーハーの。いいじゃないですか。
家庭では味わえないような壮大なスペクタクル(大きさと音も楽しいと思う)、あるいは見たこともないものへの好奇心(正常な反応だ)。恋人、友達、家族とのたのしい共通体験のため(あるいは一人で見てネットで感想を言い合ったり)。老後のひまつぶし(白髪の男性の多かったこと)でもいいじゃないか。平日に満員になるなんてすごいですよ。
これが最良のものと思うわけではないですが、新しい時代が切り開かれているなあと感じました。
p・s
『タイタニック』より、よほど、いいよね。
「あれはキャメロン監督が船が真っ二つに折れる場面を撮りたかっただけ だよ」の声あり。
2月某日 買いたいものがない
先日、老舗の食器専門店からバーゲンのお知らせが届いた。以前なら、この日を楽しみにして、小鉢や鍋を買いに行ったものだ。今は、これといって欲しいものがない。そうなのだ。一通りそろうと日用雑貨などというものは、そう補充するものはなくなってしまうのだ。若い子をまねて、緑のザル、オレンジのまな板にでも手を出さなければ。
デパートへ行っても、ほしいものがない。ファッションも、これっというものにめったに出会わない。だから買わない、買わなくても困りはしない。厳密に言えば、ほしいものはある。買えないから買わない。12万円のカシミアのセーターとか、37万円の外国製バッグとかは、すてきだなと思う、思うだけ。それが買えないなら、ユニクロか、生協宅配のでいいやと思う。そして買う。
足が悪くて出かけられないやせがまんのようだが、ほかにも仲間がいて安堵した。
今日届いた友の便りは、一人ぼっちの休日で、なんだか淋しくて用もないのに伊勢丹にいってみたけれど・・・欲しいものもなく、ますますさびしくなったと嘆いていた。わかるわかる。一人ぼっちの孤独感、ひとごみのなかの孤独感、物からも見放された孤独感。わたしもそんなときがあって、伊勢丹の地下にいって普段は絶対買わない1個500円の高級グレープフルーツ1個買って帰ったことがあったっけ。こんなときはぜいたくしましょう。
2月某日 3D映画『アバター』観賞記
書くつもりですが、まだ、頭痛が治っていないので、しばし、のちほど。
2月某日 北森鴻またまた
寝込んだときの北森鴻。銀座の花師(花を生ける人)と闇の絵画修復士の2面をもつ佐月恭壱のシリーズ『深淵のガランス』、『虚栄の肖像』、読了。ガランスの意味がとうとうわからなくて、ネット検索。村山槐多が好んで用いた茜色の絵の具と判明。ふむふむ。未発見の洞窟遺跡の壁画あり、藤田 嗣治の秘蔵絵画あり、フェルメールの贋作の話あり、古備前あり。私の趣味のアンテナに共振している。その方面のうんちくもたのしい。
2月某日 大雪
大雪が続いています。それも、豪雪地帯の信濃川中流域にはあまり降らず、上流の十日町やいつも降らない下流・海岸地区に集中して降っているようですね。ここ海岸地区は消雪パイプなどの備えがないので、道路や駐車場はどこもたいへんなことになって、交通網はズタズタです。
おととい・きのうは向かいの高校生は学校を休んでいました。列車も止まっていましたからね。今日は、うちでも出勤を取りやめた人がいます。
夜のニュースで、地吹雪に、雪の吹き溜まりのためにで、車が立ち往生しているとか、列車も動けなくなって乗客は線路上を歩いて脱出なんていう話(ほんのご近所です!)も、放送していました。出かけないで賢明でしたね。もちろん、こんな日は私も外出せず、昼飯も夕飯も冷凍庫をひっかきまわして、食べていましたよ。
2月某日 横綱引退
朝青龍が引退した。みずから引退を申し出たというが、それは形式的に見える。辞めざるを得なかったのだろう。ここまできたら本人は潔かった。
それより、「親方」という人のふがいなさが目立つ。指導するはずの立場なのに、モンゴルに行っても温泉が良かったの、虹がきれいだったのとくだらない話しかできず、身辺の事情もいつも知らなかった。家庭が崩壊して、マンション暮らしで、どこにも安らぎがなかった異国人のさびしさも、ふびんに感じられてならない。土俵での態度の悪さは嫌いでしたが。
2月某日 民主党政権
米谷ふみ子が新聞で「オバマ大統領になって1年、アメリカ全体が消沈している」と書いている。教育も経済も福祉もほとんど何も変わっていない、アメリカに50年住んでいて、これほど何も実行しない大統領は見たことがない、腰抜けだと失望を吐露している。
それに遅れること半年、わが国の民主党政権も大きな期待をかけられて発足はしたが、何もできずに立ち往生している。
というか、アメリカを後追いしているようにみえる。つぶさないと労組に約束したGMをつぶしたように、JALもつぶした。優待目的で株を買っていた友は資産を失った。支持率低下も、然り。アフガン終結が進展しないのに、出口の見えない普天間問題は似ている。
唯一、日本が先行しているのは、首脳陣の不祥事。まず舵取りの黒幕のインチキ会計。検察は証拠不十分で不起訴としたが、白ではない。そして、自身の政治資金管理は人まかせだから、自分は潔白だと言い張る国権のトップ。
こういうとき、仕事のできるワルと仕事のできない善人とどちらがいいかとよく言われるが、常軌を逸している場合は、論外だと、一国民の私は思う。
2月某日 小春日和
外は雪です。寒さが足からお尻、腰にはいあがってきて、エイっと動く元気が出ない日です。こたつにずっぽりもぐっています。
うちは、さんざんな家庭だと思っていますが、外から見れば、裕福で安逸な家にみえるでしょうね。そうでもなくても。
年月を重ねてきて、めでたしめでたしと幸せに暮らしている友・係累は、いるのだろうかとみまわすと、どこにもいません。失業、生活保護、自己破産あり、先細るであろう年金暮らしあり、脳梗塞、癌の闘病、その再発の不安、重度軽度のさまざまな病気あり、子女の行く末の不安あり、家庭不和あり、はた目からしあわせそうにみえる家でも、ちょっと内情を知ると、どこにも、なにかしらの不安材料があります。では、どなた様もみな同じ。なんとか生きていければ、それも小春日和のうち。 さ、コタツから抜け出して老体に鞭打って働きましょうか。
2月某日 天気雪
天気雨という言い方はありますね。日が照っているのに雨が降ってくる。
ならば、日が差しているのに、はらはらと小雪が降る天気を、天気雪といってもいいでしょうか。
とても、美しい、優雅な風景です。
1月某日 首相の施政方針演説余談
「いのちをまもりたい」といったとき「小沢のか!」とやじがとんだと、ケータイのニュースサイトに出ていました。
古舘一郎は、そのとき傍聴席にいたが、野次で半分以上聞こえなかった、首相の声だけひろっているNHKはえらい、とテレビのニュースステーションで言っていました。
余談:その古舘一郎と、前に住んでいた家のとなりの奥さんとは小学校の同級生で、卒後ウン十年の同級会で会ったとき、いじめていてごめん好きだったから、とあやまられたけれど、全然記憶に残っていなかったと話していました。
余談その2:一郎は一郎でも、小沢の一郎のほうは、奥さんまで週刊誌であれこれいわれていますね。新聞の広告を見ているだけですが。そのご実家はうちの実家の、はすむかいなのです。奥ゆかしく表に出ない人と聞いていましたが、こういう事態になるとお気の毒です。田中角栄さんに、かってに結婚を決められてしまったのですから。
1月某日 なおらない言葉遣い
末っ子が3才の頃からの友人だから、もうウン十年来の友から、電話が来ました。何年も会っていないので、忘れられているかといつも不安だったので、うれしかったです。パソコンの調子が悪いからブログを見られなくてごめんなさいという電話、ありがとう、気にしてくれて。
話し出すと昔のように、取りとめなくしゃべってしまいます。 最近、身内にご不幸があって、慰めなくてはいけないのに、ついつい自分の悩みをくどいてしまって「ねえ、私、がさつで、品がないといわれて、言葉も雑だといわれてサ、この歳でよ。そういわれれば、そのとおりと自分でも気が付いたんだけどサ、・・・・」と言って、あらら、「あのサ」を「あのね」に変換するはずだったのに・・・と、がっくり。治ってません。無理でしょうか、、、。
ちなみにその友人は昔から、言葉遣いがとても丁寧で、やさしい人でした。そして、話の中で会話のヒントをもらいました。
姉も正しいことをいうのだけれど、まっすぐに話すから、指図されるのを嫌う父とぶつかるの、だから、やさしく言う。どうしてもこうしてほしいとおもうときは、聞いてもらえなければもうなにもしてあげないと宣言して言うことだけは言う、そのときは尊厳にかかわるから無視されるけれど、耳には残っていて、後で動いてくれるわ、と。ウンウン。
1月某日 校長先生と院長先生
近くの小学校の校長先生は、朝、校門に立って登校してくる子供に「おはよう!」と声をかけている。学校では、あいさつ運動をしているのだ。それにしても、何度か見かけるので、そこの小学校の男の子に、校長先生は毎日立っているの?ときくと、ハイ、雨の日は傘を差しています、と答えた。
偉い先生です。なかなかやれるものじゃないですね。
一方、ある病院の院長先生は、廊下にごみが落ちているのに職員は気がつかない、と怒っていらしたそうです。気が付いたご自分が拾えばいいんじゃないかと思うのですが、俺がごみを拾うか!自分は係りじゃないとおっしゃるそうです。それでは、どなたもー掃除婦さん以外ー看護婦さんも事務長さんも、係りじゃないと言って気が付いても拾わないのじゃないでしょうか。なんとなく違和感を覚える話でした。
ただ、前記の校長先生の学校の子らが、みなハキハキと挨拶をするようになるかというとそうでもなく、後者の院長先生が本業で力量がないかといえばそうでもなく、私の考えが通用しない世の中でもあります。
1月某日 「いのちをまもりたい」
首相の施政方針演説の開口一番のことば。
「人のいのちをまもりたい。」などと、いうと、頭の中のコンピューターは、いのちをまもる? そなたは国権のトップ、今守ってやったのは?石川議員の命か・・・・?。
地球の生命体、絶滅種を救い温暖化を阻止する・・というところに話はいったのだが。
・・・不審を抱かせるような、きれいごとからはじめんでほしい。
ガンジーの、なんとかのなんかじょう、を引用しているのだが、「労働なき富」って、あんたはんのことやないの。!? つっこみどころがありすぎる。
(追記:ガンジーの「七つの大罪」のことだそうです)
はなくそをほじっている議員、隣りと笑顔でおしゃべりしている議員、じっと目をつぶって腕組みしている小沢議員、NHKのカメラマンは、なかなかしたたかに写している。いまいちばんおもしろく、かつバカバカしいテレビ番組は、国会中継。そして、子供に見せたくない番組のNO,1でもある。
1月某日 「いやいや」と「そうそう」
相手の話に、かならず「いやいや」とNOを唱える人、いますけど
「そうそう」とあいずちを打ってくれる人と、 どちらがいい?
いぜん、児童心理学だか、カウンセリングだかの本を読んでいたとき、相手の話は、まず、あいづちをうって受けとめることが大事と書かれていた。話を聞くだけでよくて、答えを示してやる必要はない。話しているうちに話し手が自分で気づいていくから、とあった。
それを読んで、自分の今までの間違いに気が付いた。会話をしているとき、この話題の問題点、最良の策はなんだろうと考えていて、なにかしらもっともらしいいいことをいわなくちゃと、「努力」してきた。それが聡明なんだと「努力」してきた。逆効果な苦労をしていたみたい。
話しかけて、そうね、といってもらえると、私はうれしい。その人に信頼感を持てる。なら、自分がいやなことは人にもしない、うれしいことは人にもしたい。
それからは極力、まず「そうそう」、とか「へぇ〜そうなの」と、きりだして、納得できないときは、それから「でもね」「そうなのだけど」とつづけるように努力している。
いまでも、かならず「いやいや」で、合いの手を入れ始める人がいて、どうしてと聞くと、他人に迎合したくない、と言います。自分独自の見解を大事にし、烏合の衆にはなりたくない知識人なのですね。まあ、相手の気持ちまでは考えていないのでしょう。 でもね、同調するしかない話のときでも、そう言う?
「今日はいい天気ですね」とまっさおな快晴の日にいわれたら?
それでも「いやいや、明日は雨でしょう」と、くるんですねえ。
好きくない(これ、うちの子の子供言葉でした)。
1月某日 『孔雀狂想曲』を買う
北森さんを追悼して、ブックオフで300円の文庫本を買ってきて、読んでいる。残念ながら100円コーナーの本は完読していた。(少しは歩けるようになった)
これは若い骨董屋の話(短編)なので、たのしい。ずっと、たのしい本を書き続けていてほしかったなあ。
この人いいなあ、と注目すると、すぐ亡くなってしまうことが続いている。ショック。
かがくいひろし、然り。絵本『だるまさんが』を見て、この人、かこさとしの再来かとうれしかったのに。子供目線のある人だった。(注・かこさんはまだ生きていますが、もう子供目線でなく科学者として子供を訓導している。かがくいさんは説教くさいのがいやになったか教師を辞めて絵本作家になった)
ずいぶん前だが、東君平も、そうだった。子供目線。人間目線。
亡きオジの意志をついで、なあんていって文壇デビューした辻仁成。君、全然ちがうよ。中山美穂主演の映画をワイドショーで取り上げていて、おもいだしてしまった。お間違いの夫婦だねえ。
1月25日 読書 北森鴻また
腰が痛くて、まだ真っ直ぐに立てないでいる。起きてもいられなくて、ベッドで横になって『なぜ絵版師に頼まなかったのか』という北森鴻の推理小説を読んでいた。
明治初期のお雇い外人ベルツと、その書生トウマを中心に物語は進む。ベルツは東京大学教授の病理学者でツツガムシ病を発見した人物である。そのほかにも、(ナウマン象の)ナウマン、(大森貝塚の)モース、(刑法草案の)ボアソナード、(ポンチ絵の)ビゴーなど、聞きおぼえのあるなつかしい名前が登場する。昔習った近代史をなぞるようで、それでいて、ユーモア短編小説なので、おもしろかった。
とくに「紅葉夢」で、脚気の病因を陸軍と海軍が争っていたことをもじって、戦争推進派の大臣の脚気をわざと治さないでおいたエピソードは(真贋は別として)おもしろかった。
この人は歴史科卒なので、難しいものも多いが、そういうのは敬遠している。軽いお話は病床にはもってこいだ、と感想を書こうと思い、辞書にないコウという名をコピーするのにネット検索していたら、ヤフーのニュースに、なんと驚いたことに、こんな記事が・・・・
「北森鴻さん48歳(きたもり・こう<本名・新道研治=しんどう・けんじ>ミステリー作家)25日、心不全のため死去。葬儀は26日午前11時、山口県宇部市中野開作403のやすらぎ会館。」 とある。
ご冥福をお祈りします。
1月某日 がさつ また
自分では気が付かないでいることが、身近な人がやっていると、はっと気が付くこともある。
たとえば、手首の輪ゴム。若いときから、ツレにみっともないから止めろと言われていたが、なんでえ?といい返してきた。先日、老いた母が、しわしわの手首に輪ゴムがあるのを見たとき、見苦しいと思った。水仕事をするときセーターが濡れないように摺りあげるためなのか、そのへんに落ちていたのを手にはめていたのか、とにかく、これは作業中の姿なのだ、人に向き合っている、お客人をもてなす姿ではないのだ。はずしたほうが良かったのだ。美しくはなかった。働き者であることの押し売りだった。
たとえば、娘が足で障子を開ける。両手にお盆を持っているからだけれども、これも見苦しい。ついつい、やりつけていると、誰かがいてもやってしまう。いかん。
靴のかかとを踏んで履く、小学校のころから親に注意されていたがいまだに、つい、やってしまう。優雅ではない。
人のふりみてわがふりなおそう。
1月某日 言葉遣い また
あるブログサイトの入り口にあった、言葉美人というキーワードで選ばれたブログの「だとわ」を読んで、やっぱり言葉は丁寧で美しくなければ、との思いを新たにしましたわ。
「そうだね」より 「そうね」がいいね・・・・だ抜き
「うれしいね」より 「うれしいわね」がいいわ・・・わ入れ
これだけで、女らしい柔らかで上品な感じがしますね。
若いときは、親しみをこめて、意識してラフな言葉を使っていたのですが、歳をとると、がさつにしか聞こえないですし、気持ちをこめて、が抜けて品がないだけになっていました。男兄弟だったから、も、ウン十年前のこと、いいわけですね。
ブロガーさんは、通りすがりの老婦人の美しい言葉遣いにギクリとした、そのとき母親と一緒で、二人でそう思ったと、書いていました。
私は自他とも許す「がさつ」者なのですが、もう80を過ぎたうちの老母も「それでさ、」「あのさ」などというので、がっかりします。残念ながら、その言葉遣いがもう顔に似合わなくなっているのに彼女はまったく気が付いていません。それをみると、反面教師で、私はハッとします。
思い立ったが吉日。できるだけ改めていきましょう。
私はいつでも、Change OKですよ。誰かみたいに、この歳でいまさら変えられるか!、なんて言いません。
ただ、実行はむずかしいです。ついつい、いつものように・・・
1月某日 がさつ
「がさつで、言葉がらんぼうで、食い方が下品で、だらしなくて、家が汚くて・・・こざかしい 」と、新年早々言われた。
「だって、」と言いかえすと、
「そうやってすぐいいわけをする」、とまた言われた。
・・・・・・
・・・・・・
しごく、ごもっとも、省みすれば。
1月某日 ほったらかし
あちこちの文章がほったらかしですが、ごかんべんを。
頭が明瞭ならず。
1月某日 「千枚皮」の語りを聞く
婆皮だのうば皮だの言っていたが、グリムの「千枚皮」の素語りを聞く機会があった。若い姫が父の求婚から逃げて、千匹の獣の皮をつなぎあわせた皮をかぶってよその王宮のはした女になる話である。偶然なのだが、気にしていることは、どこかでつながるものなのだなあ。
若い男の人の静かな語りだった。へたをするとグロくなる話らしいが、父王の純な気持ちや若い王の恋心が痛いほど伝わった。そしてクライマックスで、千枚皮の間からきらきら輝く星のドレスがみえたと語ったときは、空想の中でも、きらりと光って見えた。おはなしのおもしろさって、これなのかと、私もいたく感じいった。
また、おもしろいことに、姫の気持ちは伝わってこないのは、語り手が男性だったせいなのかな、ドレスにあこがれる気持ちはわからないそうだ。
1月某日 初夢
10日過ぎに初夢を見た。その前に見ていても覚えていないのかもしれない。
場所はデパートのまっさらな催事場。ふれあい動物園を催すと言う。私はバイトの一人。まず、象が出てきた、大きい象に小さい象。あれあれ、鎖も檻もなしでいいのかなあと思ってみている。つづいてライオン数匹が出てくる。え!?なにこれ、こわいよ。次に、ひょう、とら、のそのそ歩いている。
「ダメだよ、こんなのやってられないよ、仕事やめようよ!」と私は叫ぶ。
そういってくれてよかった、と仲間が言う。なんかそのへんに森繁さんがいる。いるなあ、と認識している私。ダメなものはダメというのがよいのだ、と夢の中の私は思った。
(ツマランネタだが、誰でも持っているネタだね、夢ばなし)
1月某日 古きをたずねて新しきを知る
幕末何するものぞ、というわけではないけれど、私は『古事記(坂田安弘著)』を読んでいます。
この『古事記』は「心のお話」「神話は古人から今を生きる私たちへのメッセージ」という視点で書かれているので、日本人の精神構造がどう形成されているかが氷解して、清々しい気持ちになりました。
日本の神々は、イザナギイザナミをはじめとして一度目は失敗する、その失敗を素直に受け止めて自己反省し、原点に立ち返ってやり直して二度と失敗しないで成功する、「過ちては改める」神々。(だから一度は失敗してもいいのだね)
イザナギは妻の死を受け入れられずその原因になった火の神を殺し、後を追います。スサノオも亡き母を慕って泣き喚いて国を統治せず、はては高天原で乱暴の限りを尽くし、食べ物をくれたオオゲツヒメ神をもあやしんで殺します。大国主命しかり、ヤマトタケル然り。
疑心にさいなまれたとき過激な行動に出るのであるが、そのように日本人には激しやすい過剰に敏感な精神性、ストレスに弱い精神性がある。
良い方向に出れば察し会う能力に秀でるのだが、これが日本人の優れていて、かつ最大の弱点だと指摘しています。
現代のウツ、引きこもりも、天岩戸神話からつづく日本人の特異な過敏な精神性からきている。そして、そこからの復活は「笑い」にある、と。
国作りはつねに完成することはない。完成したら滅びに向かう。日本神話に終末思想はない。1000人死んでも1500人生まれると黄泉の比良坂で言い交わして以来、この世は3:2で永遠に発展を遂げると信じるネアカで陽気な民族性がある。
天から使わされた神々、ひいては末裔のわたしたちがなすべきことは「修理固成」(漂える国を修め、理(ツク)り固め成せ)という天命の遂行である。などなど・・・。
とてもわかりやすくて、こんな解説なら学校の勉強もたのしかっただろうなあ。といっても、まだ中段。(この項 つづく)
1月某日 いまどき
酔っ払うと、俺は士族、おまえは町人、という方が おいででありまする。
あれあれ、それは19世紀の話で、今は21世紀でござりまするに。
幕末・明治維新本の読みすぎでござりまするぞ、先生。
1月某日 昔話の真実
また一つ歳をとった。老人であると自覚しなければいけないのに、いつまでも、娘っこのように愛と夢を求めた性根が捨てきれないでいる。
グリムの昔話に「ババ皮」とか「うば皮」とかいう話がある。若い美しい娘が婆さんの皮とか、ぼろぼろの着物を重ねてまとうかして、老女のふりをして苦境を乗り越える話である。
誰にも見向きもされない汚い姿で、処女性を守り、時を待つ。そして、美しい裕福な王子が現れて結婚して幸せになる。老女には何も価値はない。それを受け入れることが、謙虚さと忍耐の一つの試練である、と捉えていた。
あるいは、「ハウルの動く城」の主人公のように、魔法で老女にさせられた若い娘の話も気になっていた、こちらは容貌にひけめをもっていたのが、老女の姿になってかえって堂々と渡り合えるようになっている。
今までは若い娘の立場で読んでいた。どの本でもそう解釈している。
けれど今年、反対の解釈も成り立つのでは、と考えた。
この(私のような)婆の姿は(事実なのだが)仮のもので、ほんとうは若くはつらつとしていた姿が真実(本質)だ、と考えている人、思いたい人の伝えてきた話なのじゃないか。歳をとってよぼよぼになってみえても精神は若いままなのだよ、老人と対するときはそれをふまえておけと伝えている話だと。
宮崎駿映画「ハウル....」では、うら若い主人公ソフィーの声優が倍賞千恵子だったことに、ずっと違和感をもっていた。若い娘の役をやっていても、もたらもたらとしていて若さが感じられない声なのだ。老女役は決まっているけれど。何でこんな起用をしたのだろう。と長年首をかしげていたのだが、きのう,謎が解けたのだ。自分なりにだけれどね。
食道がんで休養に入る小澤征爾が、宮崎駿映画音楽も振りたいなどというからだ。
私たち若くない者が宮崎映画に惹かれるのは、なぜなのだろう。
そのどこかに自分を投影しているものがある・・・?
では、作者も同じように、自分を描いているのでは・・・・?
では、キムタクの相手役に、あえて親の世代以上の歳の倍賞をもってきたのは意味があるのでは・・・、英語版は老若ふたりに分けているのに。
見た目は老婆でも心は19歳の娘なのだよ、心は気持ちは見ためとは違うのだよ(僕もそうだよ)、言いたかったのではないだろうか。だって・・・。
(そのうち推敲)
1月某日 政治
昨年は選挙で民主党が大躍進し、腐敗沈滞した政治も維新一新するだろう、庶民の暮らしはこれでよい方向に向かうだろうと、皆が期待した、だろう、私も、誰に、ということではなく、政権交代はいいことだ、と喜んで受け止めていた(過去形)。
ところが、民主党の指導者も、(もともとは自民党出身だから仕方ないともいえるが)まったく自民党的だったね。
一郎君秘書問題しかり。
鳩さんときたら、何億のお小遣いを母からもらっていて知らぬ存ぜぬが通るとしたら、あまりのお坊ちゃま君。もう庶民の味方とは言えない。秘書の犯罪は議員の犯罪と言って自民党を批判してきたその刀で返り討ちに切られても然り。言った事には責任を持つならばね。
今年は大波乱というより、絶望的だ。
おまけに、きょうのニュースときたら・・・・
老財務大臣も逃げてしまうのか、ドクターストップをだして。
(あいかわらず、怒っていると元気なハドソンです)
1月某日 なまえ
お年始に行った。そこのご夫婦は学生時代からの知り合いなので、私のことを○○ちゃん、と当時呼ばれていたように呼ぶ。お互いもう白髪の老境に達しているのだが。
でも、うれしい。目の前に鏡はないので、その当時に戻った気になって話ができた。ことしはそこに、たまたま中学の同級生まで同席した。いっきに時をさかのぼり若やいだ気持ちになった一日だった。
○○ちゃん、昔そう呼んでくれていたつれあいは、子供が大きくなってからはもう、そうは呼ばなくなった。そして、どうとも呼ばなくなった。ななしになってから久しい。