はどそんのつぶやき2010

いかり・くどき・おもにぼやき・どきり・かんどー・しったかぶり・かくしごとあり・ほらハなし
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12月31日 年越しの日はテレビ三昧
 風邪ひきさんとげりぴいさんはこたつに潜り込んで、恒例「NHK紅白歌合戦」を見ていた。ことしはBSの副音声で,おちゃらけ実況中継をやっていて、そっちを見た。すごくおもしろい。
 話しているのはテリー伊藤に関根マリとアナウンサー。新人にも詳しくて、この子はいい子だよ、とか解説をしたり、ときどき出場者がコメントの仲間入りをする。北島三郎が八王子つながりでFunky monkey babyを応援したり、細川たかしがコブクロの高音はいいねえといいながらしゃべりっぱなしだったり。2階席の隅から中継しているらしく、後ろのおばちゃんの氷川きよしへの声援がすごい、とか言ってる。
 ことしもサブちゃんの鼻に紙吹雪は入るかな、桑田のシモネタは、あれはライブでは普通です、と言ったり、ばか話が多くて退屈しない。それもみんな歌っている最中に、なのよ。「トイレの神様」とか、「天城越え」など、すごみのある歌になるとしーんとして、黙って聞いているところが、をかし、でした。
 そのあとも、さだまさしの生番組を見ていた私・・・。
第九をききながら年を越した,優雅な高貴な日はいつのことだったか。
ずっと、ベッドで読書寝していた人もありました。
とにかく、一年、越せて よかった〜。



12月某日 クランボン殺人事件
クラリネットのことをクランボンともいう、とラジオで小耳に挟んだ。うん?あの宮沢賢治の『やまなし』のクランボン?ちがうね。
でも、それから気になってクランボンが頭から離れないのでネット検索して遊んでいた。クランボンはなにか?魅力的な童話なのだが、不可解な謎が残る。
すると「笑って、死んで、殺されて・・・・クランボン=人」、クランボン殺人事件なのだという説に出会った。
あんまり素直な解釈で、あんまり理にかなっている。えっ!だから、小学校の教科書では、謎のままにしておきましょう、と言っているのか!



12月某日 言葉も大事だよ
 「同情するなら金おくれ」というTVドラマの名言があったけれど、同情もほしい! 
 風邪を引いてゴホゴボ寝込んでいても、いつもツレは知らん顔している。大丈夫?とか、どう?とかきいてほしい。なんか言ってよ、というと
「同情して治るなら医者はいらん」と、これまた名言を吐く奴。温かい言葉は病気を耐える気持ちをフォローしてくれるんだけどねえ。
 腰が痛いー。コタツに入って長い間座っていられないー。食事が終わると、すぐ、横になっている私です。腰掛けているならいいんだけど、座位はにがてです。奴は、ちらとも見ないで知らん顔してる。
それが、たのみもしてないのに、ロキソニンという定番の鎮痛剤の貼り薬タイプを探してきてくれた。黙って机に出してある。おいおい、一言も言葉がないところはーおぬしの主義は変わらないのだねえ。



12月某日 クリスマスあけ  
雨ーぼたん雪ー雨ー
どっちやねん。
 宅急便のお兄ちゃんはいそがしい。私も便利なんで、再配達やお届け確認だけでなく、集荷も最近はネットで依頼する。
配達員は届けたり、集めたり、途中で、指示が変更になること多々。先日のこと。”たいへんねえ、仕事増やしてわるいわね。仕事量と給料は関係する?”と、取りに来てくれた顔なじみのKさんに聞いた。”はい、集荷の加算があります”って。よかった、働き損じゃないのね。じゃあ、これからもお願いしますね。
 ずいぶん前にヤマトでアルバイトしてたAくん、外で荷物の整理をしている自分たち男子と(しかもそれは新米の頃で重労働でした)、内勤でぬくぬくと伝票だけ書いている女子とおなじ時給なのはおかしいと抗議をしたけど聞き入れてもらえなくて辞めちゃったわね。あの頃は女子は職場の花がわりだったのかもね。今は元気なおばちゃんばっかです。
 まだまだ年末まで忙しいらしく、営業所に11時前に持って行ったのに、年内は当日便は受けられませんだって。
おかあさ〜ん、玄関の松飾りは明日届くからね〜。



12月某日 Whiteクリスマスならぬ
Windクリスマスでした。
風が強くて前へ歩けないほど。
軽自動車では、信号待ちのたびに、ゆさゆさ揺れる。
海に向かう、田んぼのまっただなかの道で、自転車をこいでいる少年ひとり。耳も鼻も真っ赤、こいでもこいでも進みが遅い。
荷台には真っ赤な〒の箱。ずいぶん先に制服のアノラックを着たオジサンが同じ自転車を止めて待っている。さすが本職、風にも歳にも負けない。年賀状配達の見習い中なのね、がんばれよ〜高校生。



12月某日 ガラス越しのメリークリスマス
 今年いちばん心あたたまったいい話がこれ。テレビのニュース番組での紹介でした。
 ある病院の感染症の子どもの病棟に、某大学(聞き逃した)の園芸科の学生たちが、クリスマスリースを作って、ガラス窓の外側から貼ってまわった。ガラス越しのメリークリスマス。
感染を恐れて子どもは外に出られない。物も中に持ち込めない。家族以外は面会も禁止の隔離状態の子どもたちへ、何かしてやれないだろうかと考えてのことだそうだ。
 ベランダ側から貼っていると、まず、おかあさんが気づいて子どもに教える、子どもが顔を向ける、そうすると学生はおずおずと手を振る。紙にメッセージを書いて見せる(二重ガラスで音が聞こえないから)。反応がわからず、これもおずおずと。
 それが、それまで苦痛に顔をゆがめて寝ていた子どもが、ほほえむのだ。にっこり笑う子もいる、リースとおにいさん、おねえさんを見て。それに学生のほうが驚く。子どもが手を振りかえしてくる。おかあさんに抱かれてガラス越しに手を合わせてきたりする。子どもからも「ありがとう」と紙に書いてみせてくる。学生たちはだんだんと、さわやかな笑顔になっていく。自信を持ってきたのがテレビをみていて伝わってくる。その変化をテレビカメラはしっかり撮っていた。病気に苦しんでいても楽しいことが子どもに喜びと力を与える話。それとともに学生の成長の話でもある。とっても清々しいドキュメンタリーを見られた。うれしいねえ。きっと来年は、学生たち、赤い帽子でもかぶって行くんだわね、堂々と。

 私も小学生のとき、広尾の赤十字病院に入院していたことがある。小児病棟は,赤ちゃんから高校生までつながった大部屋だった。(重症者の個室は他にあったのだろうけれどね。覚えがない)
その頃は庭に、空襲のあとなのか瓦礫が残る時代、娯楽設備なんかないし、淋しくて布団をかぶって泣いていた。それに退屈で退屈で仕方なかった。感染症ではないので、出入りは自由でも、親だって一日中ついていてくれるでなし、遊び回れるほど元気なわけでもない。
 そんなとき一番うれしかったのは学生のセツルメントの慰問だった。何をしてくれたのかは覚えていないのに、うれしかったという感情だけは覚えている。
 たのしませてもらう、お互いに。これが私の、ボランティアに対する気持ちの原点かもしれない。



12月22日 はどそんの冒険
 「きょうは冬至です。カボチャを食べましょう、ゆず湯には入りましょう」と朝から夕方まで、ワイドショウで吠えている。
それで、そうか、冬至か、と知るわけであります。カボチャはある。ゆずはー冷凍庫に切れっ端があるだけだわ。買いに行くかな。
 でも、今日は、車がない。私のアコードちゃんは去年廃車にして、借り車暮らしをしていたけれど、今年は家人たちのを拝借すればすむだろう、と冬場は自分用自家用車のない暮らしを始めていた。きょうは、みな出払っている。
 歩いて行くか、ってここに住んでから、かつて一度しか、スーパーへ歩いて行っていない。行きはよいよい帰りは怖い。大荷物をぶら下げて帰ってこりごりして,それ以来車でしか買い物に行っていない。うーむ。
 ゆず一つだから、大丈夫だよね〜、と出かけてみた。一番近いスーパーへ。免許証や手帳など重くなる物は皆出して、買い物篭を軽くして、ゆるゆると歩いて行った。ふー。
 家からスーパーの入り口まで5分でした。あまりの近さに,あなた、驚いたでしょ。友人から、あきれられているんですよ。歩かないから腰を悪くするのよ、って。でも、もう悪いんだもん。
 ちょうど売っていたクリスマスカードなんかも軽いから、と買っちゃって、自販機のホット・キリマンジャロを120円で出してラウンジで一休みして、またゆるゆると傘を杖代わりにして歩いて無事に帰ってきました。わたしには、大冒険〜! 
ほら、子どもの「はじめてのおつかい」なみ。



12月某日 ♪いちばんきれいなわたしを〜
「いちばあん きれいな わたしをー だいたーのは あなたーでしょ♪」という、女性歌手の歌うフレーズがTVから流れてきたときは、どきっとした。
この歌手は(名前も、顔も、歌の題も知らないけど)、当てつけに言ってるだけでしょ。絶対、きれいな人でしょうね。
 年をとればとるほど、この歌の哀切はわかるのよ。シワもシミもできて、今はきれいじゃないと、わかっている、鏡も見たくないほどね。でも、このぶさいくな私にも、今よりは若く今よりはきれいな時代があったのよ。
長年連れ添ったツレアイにぞんざいにされると、ばあさんには、この歌詞が、身にしみますです。くやしい〜!バカだったわ、私、と。



12月某日 マイケルをウィキペディアで読む
 『マイケル裁判』を読了。527ページ。
なんとなく、落ち着かなくて,ウィキペディアを読む。登場人物を本と照らしながら読むこと1時間。長い。
 本の作者同様、私も認識を改めなくてはならない。
2009年6月25日死亡後の検死においても、マイケルは尋常性白斑症と診断された。黒人なのに白人になりたくて漂白して白くなったという偏向的な報道・中傷記事に、私も毒されていた。すみません。
 アメリカはこういう報道が自由なのだそうだ。おもしろければ売れる、だからメディアはマイケルの幼児虐待裁判に対しても有罪を期待していた。
そこで「正式な裁判記録に基づいて綴られたこの著書は、マイケル側に立った本ということで当時は出版してくれる出版社が見つからず、自費出版に至ったという。マイケルの弁護を担当したトーマス・メゼロウ弁護士も「メディアはマイケルが有罪になることを望んでいた、有罪になり刑務所に入りでもすれば世界的に有名なスターの栄光と堕落ということで映画・TV・書籍などのあらゆる媒体でネタにでき、そうなれば何十億ドルにもなる莫大な収益が見込めたから」という内容の序文を寄せている。」(ウィキペディアによる)
 ウィキの信憑性を疑うにしても、事実は「裁判は無罪」だったのだ。13人の陪審員によって、原告の訴えの信憑性のなさを判定されていたのである。金儲けのためのでっち上げであると。
原告親子は、子どもが小児癌で死にそうだ医療費がないと言って、慈善に熱心な有名人に泣きついて、多額の金品をねだっていた。広大な邸宅に招かれ、楽をしていたのだ。マイケル以外の人にも。
(子どもは今も死んでいない。かつて母親はスーパーの万引で捕まったとき警備員に性的暴行を受けたと子ども共々陳述して莫大な示談金をせしめていた。その成功歴は裁判で明らかにされた)
 マイケルの母親は「エホバの証人」の信者で、クリスチャンの一派。マイケルも、またと書かれている。ならば、慈善の志も高かったろう。「しあわせな子ども時代を、すべてのこどもたちに」という純粋すぎる思いに、原告は乗じていた、とりいっていたが、たかりの真実に気づかれそうになったとたん、この裁判を起こした。(いぜんに同じような訴えをして、儲けた親子のまねをして)多額の賠償金をせしめようとした。
検事は検事で、この裁判によって有名になろうとしていたのが真相らしい。
あくまで、らしい、なのだが、証明されているのは、こちらなのだ。

私は、マイケルファンでもないので、そんなに興味もなく、この本は家族から借りて1年ほったらかしていた。寝込んで読む本が無くなって手に取った。
はじめは著者の立ち位置に怒り、次に、マイケルを食い物にする周囲の人、および原告に怒り、視聴率をとり金になれば何でもいいという欧米のマスコミに怒り、それに乗っかってる日本のメディアに怒り、そういう風聞に踊らされていた自分を恥じて怒り。
最後に残った思いは、栄光を得た者の孤独と悲しさと、取り巻きしかいないなかで自分を律することのむずかしさだった。黙祷。



12月某日 音楽は楽しくなくちゃ
腰痛治療に,スポーツジムのウン十万円のマッサージ器をかけにいった。誰もいなかったので勝手にテレビをつけたら、教育テレビで、ちょうど日本音楽コンクールの本選会のスナップ風景をやっていた。おや、これはおもしろいと見入っていた。ヴァイオリンとオーボエの部分を。
恥ずかしげな人や、努力の塊のような人、最高の師をもって自信満々な人、苦労を思い出して泣いてしまう人など、様々な人間模様がおもしろかった。
そのなかで、中学生の男の子が同級生とサッカーをしている絵が流れた。その仲間から、いい奴ですよ、とか言われていて、本人も本選会をたのしんできます、なんて言ってる。指は長そうだが、ひょろんとした普通の感じの男の子。リラックスしている。
そして本選会の舞台で、ほんとにたのしそうに、むちゃくちゃ難しそうなショスタコービチのバイオリン協奏曲を弾いている。終わるとコンマスが握手を求めて、にこにこ他の人たちとも握手して退場していった。舞台の袖で、カメラを回していたNHKの人に、「楽しかった!」と言っている。ただものではないぞ、と発表も見ていたら、その横浜市立中学生の山根一仁くん(15)が優勝した。きっと、すごい大物になるよ。
のだめみたいに、楽しくってやっているんだもの。聞いている見ているほうも楽しくなってくる。それが「音楽」だよね。
そうそう、中学生が一位になるのは20何年ぶりとか言っていた。帰宅してから,魔法の小箱で探した。おやまあ諏訪内明子さんではないか!!我が家の弦楽奏者のあこがれの人だ。



12月某日 『マイケル裁判』を読む
陪審制のもと、無罪判決をうけたマイケル・ジャクソンの無実を裁判を世に喧伝する立場から書いているが、この著者は、裁判初期は有罪を確信していた人なのだ。
 はじめ、マイケルは有罪に決まっていると思って行動していた(裁判の傍聴をしてその傍聴記を書く契約で、ずっと傍聴席にいられた)。しかし途中から宗旨替えして、無罪を世間に広める伝道者になって、やっぱり当初の計画通り、大稼ぎをしている。真実を知って悔い改めるのに遅すぎるということはないが、そのアメリカ的な処世術は嫌いだ。恥じて黙ってすっこんでろと言うのが日本流だ。
この本を読まなければ、たしかに私は、マスコミに宣伝されたマイケル=幼児性愛者のイメージを持っていた、裁判が無実の判決を出していても、持っていたような気がする。
けれど、この著者が必死で書けば書くほど、客観的な視点、公平な視点からずれていって、やっぱり提灯持ちめと思ってしまうのだ。たとえば、ダイアナ妃とのインタビューを物にしてアメリカのニュースショウのキャスターにのしあがり、マイケルのドキュメンタリーも意図的に改悪していった仲間(某ジャーナリスト)を悪く言えば言うほど自分をおとしめているのがわからないのかなあ。
どうも、(リーダースダイジェストを読んでいた)昔から引っかかるのだ、アメリカンのノンフィクションは。
事実を知らしめる役の著者がいつも前面に出てくるんだから。あんたは、主役じゃないのよ、黒子でしょ。どうでもいいの。へんでしょう?『 Itと呼ばれた子』もそうだったねえ。

この本からすると、世紀の大スター、マイケル・ジャクソンは、全くの善人だと書かれている。幼少時代は父親の厳しい折檻を受け、成長して成功してからも、頼れる人も信頼できる人もいず、食い物にされ続けた、とても孤独な,それにもかかわらず心根の優しい人だったと描いている。
あれだけ非黒人化整形手術を繰り返していた人に対して、なんの検証もなく皮膚の白化は病気だと著者は言い切っているが、その辺が提灯だと思うところだ。
私には,どうであれ、マイケルはかわいそうな人、とみえた。
才能と富と名声だけでは人は幸せになれないのね。



12月某日  V・I・ウォーショースキー
サラ・バレツキーの新刊『ミッドナイト・ララバイ』を読んでいる。この弁護士資格を投げて捨て、女だてらにひとりで探偵家業をしている主人公のシリーズは、いつも心をひりひりさせられる。孤独なつっぱりやさんは私の琴線に触れるのだ。
 大統領がバラク・オバマなので、ライブの話なのに気がつくが、探してほしいと依頼を受けた男が行方不明になったのは40年前だった。そのシカゴの街を、キング牧師を先頭に公民権運動のデモ行進をする作者や登場人物たちの時代が通奏低音で描かれ、それを私もテレビで見ていたのだと思いいたって、虚実の境目がおぼつかなくなる。素晴らしい構成だ。
そして、黒人蔑視が消えていないことも、さらりと書かれている。
『ブラッディ・カンザス』は70年代を書いた小説だが、私は明治時代のことかと思って読んでいた。私らの知っているアメリカ合衆国はほんの上っつらだけだね。



12月16日 白木屋の火事
 ラジオの「今日はなんの日」の時間に「昭和7年 白木屋デパートで火事のあった日です」と、話していた。
本郷に住んでいた頃、日曜に家族で、チンチン電車の乗って、出かけていったのが日本橋の白木屋。今は無い。当時は高島屋よりファッショナブルだったような気がする。懐かしい名前。 
 その火事が有名なのは、上階に逃げた女性がたくさん焼け死んだからだ。着物を着ていた人が多い時代で、腰巻きだけでパンツをはいていなかったから、着物がはだけるのを恥じて飛び降りなかった、それ以来、女性はブルマーを掃くようになったと聞いたことがある。命より恥を重んじる、慎み深い大和撫子の時代だった。そんなことは、ちっとも知らずにお子様ランチを食べていたのだ私は。
 それから、ずっと後になって、友人の、画家でいらしたおじいさまが、その日に、白木屋で生涯に描いてきた全作品を集めて個展を開いていて、すべて灰になってしまったと、聞いた。こちらの話のほうが、想像しやすく、白木屋の火事と聞くと、紅蓮の炎が油絵を焼きとかす様が目に浮かぶようになった。どちらも痛ましい話です。



12月某日 寄りかからず
 
寄りかからず
うつむかず
しゃがみこまず
ふりかえらず
遠く 前を向いて 
ゆっくりゆっくり 歩いて行く

 なあんて言うと、
 茨木のり子の詩みたいだけれど、
 実情は・・・・・

寄りかかれず
うつむけず
しゃがみこめず
ふりかえれず
寝返りも打てず
くしゃみとせきは大敵で
ゆるゆると壁を伝って
歩くしかできないのよ
腰痛の私!

あーあ、早く治りますように。



12月某日 自己肯定感のない日
 私なんか生きていても何の意味もない と気落ちしたとき、ー今まで何度もそういうときがあったからー、脱出法も、心得ている。
考えこまず、単純作業で手足を動かすのが一番なんだよ。
 鍋を磨く、庭の草取りをする。風呂掃除をする。靴下の穴を繕う。などなど。
飯を作るとか洗濯をするとかの日常とちょっと違う家事をすると、よくやったね私、と私は私をほめてやれる。
きょうは浴用タオルと二つに切って切った端をまつり縫いして
テーブル拭き作りをした。よしよし、つつましいね私。



12月某日 ひいらぎの花
 今頃、ひいらぎの花が咲くのね。
そして、涼やかな芳香を漂わせるのねえ。
誰のためなんだろう。



12月某日 テレビ番組の横並び
地方に民放局が3つも、いらない。
それも、ニュースの時間は、どの局もニュース。
バラエティの時間は、どこもバラエティ。
スポーツニュースの時間は、どこも・・・。
芸がなさすぎだ。ばらけていれば、おもしろいのにね。



12月某日 新潟市の大問題
 まじめに新聞・地元ニュースを見ないから、どういう問題なのか、わからなかった。11月の半ば、たまたま通った新潟市のど真ん中で右翼の街宣車がずらりと並び、警察隊が日本銀行の前に集結、いや小路のあちこちにも・・・、そんな光景を見ても何事が起こっているのかわからなかった。が、あとから、尖閣諸島事件がらみと知って驚いた。
 新潟市の信濃川河畔のビルに入っていた中国領事館が新潟中央署・日本銀行近くのマンションに引っ越してきたので、そこに向けての示威行動だった。近くの洋服屋は、さっき小競り合いがあったんですよ、と言っていた。マスコミらしいカメラマンはいたが、その日のニュースにも翌日の新聞でも何も書かれなかった。誰もケガをせず逮捕者もいなかったのだろう。報道したくないネタなんだな。
 本質的問題は中国総領事館建設用地を市が売る事になっていて、それを右翼、並びに地元住民が反対していることだった。廃校になった旧万代小学校跡地5000坪を中国に売るばかりでなく、閉店になった大和デパート跡地に中華街を作ることに、市長も県知事も賛同しているというのだ。ということを家のポストに入っていたチラシで知った。
 チラシには民族派の旗手櫻井よしこ氏の文章(週刊新潮掲載)と「中国領事館問題を考える会」のメッセージが書かれていた。
総領事館というのは治外法権の土地で、沖縄に計画されたがそれを外務省は蹴った(自民党時代に)。それが、新潟に、は今年、問題視されていないらしい。新潟市の中心地に外国ができるのだ。中国は善人の国ではないのが今回の事件で証明された。有事の危険も考えるべきだ。そして、領事館と中華街を足がかりに大量の中国人の流入が考えられ、(外国の例を挙げて)市民生活が破壊される恐れを主張している。
ほう〜、そんな話なのかとビックリ。
広大な遊休市有地が売れて、街の活性化にもよい一石二鳥の名案だと、安直に考えてよい問題ではなさそうだ。
 


12月某日 モチ戦争
 スーパーなどで売っている切り餅の特許権で、裁判があった、そうな。
被告は「サトウの切り餅」新潟市の企業、全国一のシェアだそうな。へえ〜。
かたや、原告は「越後製菓」業界2位だそうだが、長岡のヤマザキ君ちだ。Mちゃん、高校時代バイトに行っていたよね。
 モチの切り込みの入れ方で、サトウ君がまねをしているとヤマザキ君が訴えたのだが、裁判所は訴えを却下。
上告しなくてもいいよ、ヤマザキ君。
 NHKの全国ニュースでも取りあげられ、民放のワイドショーでも、朝日新聞でも、図解しながら、その切り込みの差を説明され、へえ〜そんな風な工夫があったのかと日本国中、知ることになった。そのPR効果はどちらの社にも、何十億円分にもなったはず。
どちらも、がんばれ、米の消費拡大に向けて。



12月1日 小春日和また
きぜわしく、落ち葉掃きをする。
おとなりさんは旦那さんが
ドブ掃除をしている、出勤前に。
お向かいさんは・・・
もう勤めに出ていて、誰もいない。



11月某日 話題
10年ほど前、同僚が「友達とウオーキングしながら話すのは年金の話よ」、といっていたが、私の年代も、その話をすると盛り上がるようになった。それも話したあとで、身の引き締まる厳しい未来を見せられるわけで、しーんとなってしまう。
こんな21世紀を予想していなかったわねえ、
美人薄命で20世紀でおしまいと思っていたのに。
チッ、美人じゃなかった証明ができちゃった。



11月27日 広州アジア大会マラソン
 昼食後、男子マラソンを、途中からなんとなく見ていた。トップ集団に日本人がいてガンバっていた。先頭のケニア人でカタール国籍のシャミ君のしきりぶりがおかしかったのと、沿道の美しさ(車を全く止めた大学がたちならぶ最新国威高揚地域)に、最後の韓国選手の独走まで、たのしんでしまった。北岡君、銀メダルおめでとう。
 そして、役員を乗せている乗用車にはHのマーク。あれっ、ホンダかな?大きいからレジェンドかな。それともヒュンダイ?ばったもんの中国車?
 そんな疑問を持つ人は他にもいるとみえて、この魔法の小箱をあけると、Yahooの知恵袋で、質問と答えがあった。
今回のアジア大会には、ホンダだけでなく日本企業は一社も協賛していません、とある。あら、ちがったのねえ。
ただし、ホンダは中国企業と合弁会社を作っていて、そのGAC GROUP(広汽集団)が協賛会社だから、そこの車を使っているでしょうとの解答。
 ホンダだったのね!アコードかしら!やっぱり、ハイブリッドでしょうね。
ながらくホンダの車に乗っていたので私は愛着があるの。うれしかったわ。



11月某日 谷川俊太郎を読む
『ぼくはこうやって詩を書いてきた』を読んでいる。佐野洋子の死を話していたとき、この本に佐野洋子のことが書かれていると教えてくれたのは誰だっただろう。三人くらいしか候補者はいないけれど思い出せない。最初の奥さんが岸田衿子だと教えてくれたのも誰だったか・・・。とにかく話題を共有できる人がいるのはうれしい。エヘン。
 予約して、図書館から借りたはいいけど、その重いこと。735ページ、厚い!これはお気に入りの編集者との対談集。詩とともに、その背景の実生活も、語り合っているので、興味津々で読みはじめている、まず佐野洋子の出てきたところから。



11月某日 「ひま」のつづき
美しいなあと思ったことも、
すてきだなあと感じたことも、
心の内にしまっておいても、
次の日には消えてしまう。
私は抜け殻になって、ここにいる。
だから書き留めておく。ことに
その感動に共感し相づちをうってくれる
相棒がいないから。

苦手で嫌いだった飯炊きしか役目はなく
考え果てては失敗し、たまには
成功しても喜ばれもせず、その努力は
次の日には消えてしまう。
私は抜け殻になって、どこにもいなくなる。
だから書き留めておく。ことに
そんなことは意味がないといいはなつ
相棒がいるから。
   (谷川俊太郎を読んだ日に)


11月某日 不仕合わせが似合う性格
 インディアンサマーが続いた。暖かに晴れて、洗濯や庭仕事をせっつかれるようで疲れた。ほんとうはたいして働いてはいないのだから。
 雨になって、ホッとしている。私は不仕合わせが似合う、と思っていると、おおかたのことに耐えられる。



11月某日 ひま
「ブログをやる時間がよくあるわね」
「だって、ひまだもの」
「え〜!?」
「ひまでしょ?」
「ひまなんかないわよ、忙しいわよ」
「なにしてるの?」
「午前中は、買い出しに行くでしょ」
「え! 午前中に買い物に行くの?」
「そうよ、パソコンなんてするひまなんかないわよ」
「・・・・」
彼女とは家族構成も年齢も専業主婦なのも共通しているのだけど、いいなあ、充実しているんだわ。
パソコン辞めたら、わたし何していたらいいんだろう。



11月某日 同級会
 親の介護と病気自慢でもりあがる。街の行く末には、景気のいい話はない。二次会はなく、じゃあまた来年ね、と三々五々解散。飲まなくなったのか飲めなくなったのか。私はしらふ。
 そこへ店員さんがあわてて駆けてくる。幹事が支払いを忘れて出てきたのだ。ウン万円。
私たち食い逃げだったの〜!今日一番の大笑い。たのしかったね。



11月某日 校正したくなる
「 秋の深まりとともに紅葉の名所は錦秋に染まり、人々はどことなく時の移ろいの華やぎを愛でつつも、近づく厳しい冬を頭の隅に考え始めていた。
 世間の営みとは別に吉原はなんの異変もない穏やかな日々が繰り返されていた。
 神森幹次郎は・・・・」

これは佐伯泰英の『吉原裏同心八 炎上』の冒頭出だしである。彼の文章はときどき、スムーズに入ってこない。あれっと立ち止まってしまって物語に浸りきれない。
 たとえば、「どことなく」は、ここにいらないんじゃないか。
叙情にうったえる雅趣から入っているのだから、「に考え始めて」は硬すぎて「で思いはじめて」じゃないのか。
「始める」は和風でない、ひらがなのほうが情緒があるぞ。
第二段の冒頭には、接続詞が欲しいぞ。「しかし」とか「けれども」とか「とはいえ」とか。前段からつながらない反対の様相を解説しているのだから・・。
話の展開のおもしろさが、大衆小説の醍醐味だからいいけどひっかかる。
岩波書店の校正係がついていればねえ。いや、そんな暇はないのかな?書きまくりすぎで?



11月某日 グッドデザイン大賞と100円ライター
ことしのグッドデザイン大賞が決まった。ダイソン社の扇風機だ。羽根がないのに風が出る。むちゃくちゃ革命的だ。20世紀に「2001年宇宙の旅」を見ていたような気分。コレは未来だ。乳幼児がいれば、すぐに買うところだわ。
 もちろん、うちの子が小さい頃は、羽根がくるくる回る扇風機しかなかった。あぶないから網のカバーをつけて、それでも子どもに目を離さず、指をはさまないように気をつけていたものだ。そして、子どもには、危ないから手を出してダメよと口を酸っぱくして教えたものだった。
 危険を子どもに教えるのも親の役目だと思う。
それなのに、さいきん、100円ライター、使い捨てライターが禁止になった。幼児がいじって焼死事件が続いたからだが、変だと思いませんか。
幼児の手の届くところにライターを置きっぱなしにしている親に問題があるのではないでしょうか。もっと昔、どの家にもマッチがあり、危険だからといって、マッチが禁止になったかな?危険だからこそ、子どもの手の届かないところへ、親はちゃんとしまっていたのですよね。
こんにゃくゼリー、然り。危ないものは
危険は自分で回避できる子にしなければ!



11月某日 グッドデザイン賞
私が毎日使っている大好きなクレラップが入賞した。
うれしい。オシャレだったのだ。


11月某日 はやぶさ と言えば
探査船「はやぶさ」が小惑星イトカワの岩石(0.01ミクロン?)を持ち帰っていたことがわかった。それを発表する記者会見でチーフ教授は「・・夢のような成果・・・夢を越えたことはどう表現していいかわからない、感慨で胸がいっぱい・・」と語った。
明るい話題のない昨今に、希望の灯が灯ったようで、うれしい話だ。
しかし、
「はやぶさといえばカトーハヤブサセントータイだろ!」という戦中派が、うちにいる。困ったものだ。
若い人は知らないでしょ?私だって知らないわ、なにそれ。
今ウイキペディアで調べたわよ。加藤隼戦闘隊、戦時中の飛行部隊なのね。
東北新幹線の新車両も、はやぶさですね。間違えるとしても、そっちよね。



11月某日 死刑判決
 裁判員裁判ではじめて死刑判決が出た。検事をして「コレを死刑にしなければ死刑に値する犯罪はない」とまでいわしめた、金のため覚醒剤売買のため、生きながら被害者の首を切断し、ばらばらにして死体を捨てたというおぞましい事件であった。
裁判長は、控訴を勧めるという異例の忠告(説諭)をした。これは、まずいのではないですか?裁判員の心の負担を外すためか、との推測が流れているが、そんなことなら裁判員制度自体がおかしいわけで、下した判決に責任を持てないような判決を裁判官は出すべきでない、と思う。



11月某日 また保育園へ
 先日は、ボランティアで丘の上の。今回は別な場所。市長選挙投票所なのだ。
会場が保育園なのは楽しい。つい教室をのぞき見してウキウキしている。
 さて、選挙だが、オール与党の元新潟日報論説員だかの現職(62才)に、共産党がゆうかんにも候補者(60才)を出している。(そうでなければ無投票選挙だ!)
やる前から、結果がわかっている選挙なので、盛り上がっていない。街角の共産党推薦候補の聴衆はご老体ばかりで淋しい、候補者も老人にみえる。
 今、通っている隣の市の歯科医院で、先生と患者が、新潟市は投票率は30%切るだろうなあ、うちの町は接戦だなあと噂をして笑っている。(中村真衣をゲストによんで後援会をするポスターが外に貼ってあった。平屋建ての駅舎を豊栄駅のように立体化するやいなやが争点らしい!?)
 笑われたのが悔しくて選挙に行った。学校で習った政治学の講義では、現職首長に重大な非がなければ2期継続が原則、だった。私はそれにならった。(あれ?三期目だったわ)
 その翌日、新聞休刊日だったが、新潟日報の号外が配達され、それには投票31.04%と書いてあった。よし!!



11月某日 咳が出る
先週のことだ。風の強い日だった。保育園へ行ったら、咳が出てきた。どの子かが風邪を引いているのかな。そんなときは必ずもらって帰る流行に敏感な私なのだ。いそいで、家に帰ってうがいをした。でも、喉が痛いわけでなし、扁桃腺も腫れてこない。夕方までコンコン空咳が出て、うがいをしては飴をなめていた。
夜、テレビで新潟にも季節外れの黄砂が飛んできたと報道していた。黄砂にはバイ菌や汚染物質も含まれているとも。これだよ!犯人は。
中国の環境汚染は私を汚染している。
何とかしてくださいよ、胡錦濤さん。



11月某日 都会へ出た長男の勘違い
 昔の親は、学校を出たら、あるいは一仕事をおえたら故郷に帰ってくるものだと息子に強要したようだが、今の親はそうでもないのだ。(親=私の世代からみた親、おもに80代)
 遠くにいて、うまくやっていれば、それでよし。
そして自分の今の安楽を捨ててまで、息子を助けようとは思わない。なにがなんでもの帰郷は望んでいないのだ。
 しかし、息子たちはまだ、昔の、つまり戦前の価値観を田舎の親はもっていると勘違いしている。
地方中核都市だって、オール電化の生活をしているのに、都会人は、いまだに「田舎」だと思っているのだ。
 だから、息子自身が困って帰郷するしかないときも「帰ってやってもいいよ」という言い方になる。それをあのハイカラ80代たちはカチンときて、「帰ってこなくても結構」ということになるのだ。老人介護法の弊害でもある。

 しかも、財産は跡取りたる長男がまるまる相続すると勘違いしているものもいる。(戦後の民法では兄弟平等が原則で、婚家先では少しばかりを全く平等に分けたのだが)親のめんどうも見ず、死後の恩恵だけを受けても(葬式を仕切ったり、家屋敷を相続したりを)当然とする長男の話も聞く。
 地元に残った姉妹が、親の介護や看取りをしていても、近くにいないからと、たまに顔を出すだけだった。そんな状況になった友人は、どろどろしたくないから仕方がないの、というが、う〜ん。なにかへん。

 長生きをすると、親子も兄弟も情の世界だけですまなくなって、ぎくしゃくしてくる。長生きはしたくないねえ。

 ただ、親の世代でも、いろいろな価値観の家庭がある。たとえばHさん、越路町から都の西北にいって都市銀行員になり、全国をめぐり定年を迎えたが、いま首都圏に住んでいる。最近、そのうち国に帰ろうかと思っていると話していた。農家だった彼の父親は、昔、竈の灰まで息子に残すのだといって若い嫁さんを戦々恐々とさせていたから、親も歓迎しているだろう。さて、その嫁さんは付いてくるのかな。


11月某日 夢では生きていた
 先月、死亡広告が新聞に出ていた高校の同級生は、高2のとき一番身近な友人だったMさん。長年疎遠になっていたので葬儀も死亡の経過も知らなかった。近親者ですませて事後のお知らせだけの広告だった。
たまたま帰省してその人に会いに行こうと電話をした友人Kさん(Kさんとも10年のブランクがあった)は、電話口で、おつれあいから、食道癌と判明して三ヶ月で亡くなったことをきいて、愕然としたと、私に電話をくれた。
 その彼女が、夢のなかでは、古町の街角でKさんと談笑していて、私が近づく前に去っていったので、”ねえ、Mちゃんしんだんじゃなかったの?”と言うとKさんは”そういうことにでもしないと休めないのよ”と言った。そうだったのか、と夢の中で私は納得していた。
 ”あのおしゃれさんだったMちゃんが、ユニクロより安そうな服を着て、ガナガナに痩せて、美容院へ行く暇もないほどだったようよ”、弔問に行ったKさんは話した。写真と、家族の方の話から、いたいたしいほどの働きをしていたのを知ったらしい。

 新潟地震の時、電車が止まって高校に通いきれなくて、うちに下宿してたっけ。
それで夜を徹して政治討論をしたり、いっしょに平和行進に行ったりしたっけ。
自衛隊新発田駐屯地に反戦ビラを撒きに行ったっけ。
 ずっと、信念を通して生きていたんだね、Mちゃん。

Kさんと、たっぷりMちゃんの話をして、追悼をした。
こんなことがなければ、Kさんとも話すことがなかったし、高校時代を思い出すこともなかった、のだろうね。



11月某日 『木崎騒動と攻防の人々』
「木崎争議」という言葉は、ご存じか?
私は高校の頃、日本史教科書で知った。下段の詳細説明欄でひとこと出てきただけだったが、小作農民が反乱を起こしたのじゃなかったかな。
 こちらに引っ越してきて、その木崎は隣りの隣りの集落なのを知った。道路際に「無産農民学校跡地→」などという案内板があったりして、いつか調べてみようでと思いながら、数年経ってしまった。(近年、木崎は、相撲のしごき事件で亡くなった少年相撲取りの出身地として、再度、全国区のマスコミに出た)
 まだ、読みかけだが、この本は、のちに当地の警察署長になる田舎の文才のある警察官によって昭和30年代に書かれている(出版は50年代)。中央の活動家やルポライターによるものでないのに興味を引かれて読んでいる。時代がかったオーバーな表現が、めんどくさいがおもしろい。小作人側に同情し、頑固な地主の人格的な潔癖さにも一目も二目もおいて、間で調整役を押しつけられる警察官のつらさも端々にぼやき、大正11年からはじまる小作と地主と攻防戦で、学校まで自主的に作っているらしい。それは、まだこの先のページ。

 ただ、地元の人の間では、まだ喋々するをはばかる話らしい。ビックリ。



11月9日 救急の日
あ、そうか、119だからね。
昼間は行事で忙しかったのだろうが、
夜も、カンカンと鐘とサイレンを鳴らし、消防車が出動していた。ごくろうさま。(第一陣の出動ですんだようなので、まずは、大事に至らなかった模様)



11月某日 国会中継(衆院の予算審議を聞いている)
 菅さんの生彩がない。好きな人ではなかったが自民党の石破茂議員の質問はわかりやすくて理路整然としていて、ウトウトしながらも聞き入ってしまった。石破ゼミといわれているらしい。
 去年まで、鋭く質問追求していた野党民主党の勢いは、いまの政府閣僚にない。自民党内閣と同じように、聞かれたことを答えていない。とても情けない。誰がやっても同じなのか。長期保守独占政治を改めたいと、清新な反自民党を押してきたが、ここにきて、うーん、と考え込んでいる。
 小澤問題はぶっとぶし、鳩山は辞めないし、尖閣湾事件もユーチューブの些末な漏洩問題に矮小化され、本来の予算審議、日本国の800兆を超える赤字対策は、どうなるのだろう。

菅総理大臣は、スリーピィ菅、粗大ゴミ、うそつき、有言実行しないかく、と、議場でも言われ放題だ。しかも当たっているのも情けない。



11月某日 髪を切る
 初夏にロングヘア(ほったらかしにしていたということ)に、パーマをかけた。20年ぶりかな。
 パーマをかけなかったのは、傷みやすい髪だったせいもある。切れ毛裂け毛になって森下皮膚科医院へいったら、すっぴんの女医さんにパーマなんかかけなければいいじゃないですかと言われた、正論ではある。
先週、”子どもの教育費・仕送りがはじまってから倹約していたのよ”、と言ったら、体操教室の先生に、”まあご冗談を”と笑われた。でも、これもほんとうである。
 心機一転、白髪染めしてパーマをかけてスタイリング剤も買ったたら2万円だった。(きゃー!)キャリアウーマンだった友人はそんなものよと平然。
 ふところもきついし、半日がかりで腰も痛い。髪の毛を引っ張られて頭も痛くてたまらなかった。2度目に行ったときは、きつくロットを巻いたままシャンプーをした。首が痛くて、こんな拷問は二度といやだと思った。
 パーマをかけて、なおさら髪の毛は細くなった。風が吹くと山奥の山姥のごとくザンバラ髪になる。それでも気分は軽くなっていたが、とうとう切れ毛裂け毛がでてきた。こめかみは禿げてきた。
やっぱりだめだ、とあきらめて、お気に入りのイケメン美容師に、どうにかしてくださいと泣きついた。(このパーマは傷みませんよ、と言っていたのは彼なので少し恨んでいるが)

 いま、耳の下の長さのボブ。けれどパーマっ気が残っていて、外に跳ねる、まのびしたワカメちゃんカットだ。それもバサバサの。
美容師さんは「若返りましたね」というが、    どう?と聞くと
家人は「ダメです。年相応にしてください」と二度とこちらを見ない。(ま、これはいつものこと)
私も、不満だけど、しょうがないのよ!



11月某日 裁判員制度について
耳かき店員殺害事件で裁判員死刑適用せずのニュースを見て

@死刑判決なんて一般市民には下せません。
「日本にも陪審制度を!」の運動は、昔からありましたが、いったいどこから量刑まで下す裁判員制度なんかがでてきたのでしょう。

こんなことをするより、司法試験制度を再度、見直して、
社会的な一般常識をもった裁判官、検事を大増員して、
迅速かつ旧弊な判例にとらわれない裁判をどんどん、やっていくほうが、まっとうな気がしませんか。

私は、裁判員の通知が来ても、信条に反するといって拒否するつもりです。


Aこの事件では死刑判決が出てもいいと思います。でも、一般市民たる裁判員に死刑を宣告させるという制度は間違っているとおもいます。

裁判に一般市民の参加は重要ですが、アメリカでも陪審制度までです。
一般市民は市民感情つまり情、思いを捨てきれないのですし、その後の自分の人生にその判断(重さ)を引きずるわけですから、人を殺す決定を下すのは、ずいぶんと無理、無体な要求だと、思うのです。
だから、どうしても軽い刑になるのでは。

若い頃、殺人犯の裁判を傍聴しました。元恋人の家族5人を、仲を裂かれたと逆恨みして、深夜、便所くみ取り口から侵入し、ナタでメッタ切りにして殺害、その後、元恋人を連れ出し露天で強姦した青年の裁判でした。
検事は死刑を求刑していました。
こんなに短絡的激情的極悪非道な被告であっても、そのとき私は自分が裁く立場にいなくて良かったと思いました。死刑判決を出すには、プロフェッショナルとして、自己の感情を押さえるトレーニングのできている職務の人でなければできないと。
人に罰を与えるほど、人に死の宣告をするほど、自分は正しく生きているかと考えると、・・他の方はともかく、私はダメ。

裁判官は任務として、六法全書と判例に照らして、冷静に処断するから死刑判決を出せるのだと思います。

一般市民の裁判への参加は賛成です。
けれど、今のやり方には納得がいかないのです。     (趣味人倶楽部に投稿)




11月某日 秋を飛ばして冬
 八王子は遠いが、二王子は近い。二王子岳は、ここから見える高山。その奥の飯豊山は真っ白で、二王子岳も、もっと近い五頭連峰も山頂近くの谷間は白い。その周辺は赤くみえる。山裾は針葉樹林なのか緑が濃い。
 悪天候が続いて、気がつかなかいでいたが、晴れ間がきて、空が青い日、スーパーの広々とした駐車場に立つと、かなたにみえる山脈には、秋を飛ばして、冬が来ていた。



11月某日 佐伯泰英から
『吉原裏同心6 遣手』に
「幕府の直轄領八王子は、八王子横山十五宿と呼ばれ、甲州街道と鎌倉街道が交わる要衝、また古くから機織り物の産地として江戸に知られていた。宿の西には江戸の西の護りを固める八王子千人同心の宿営があった。武田氏の威信を中心に組織された千人同心は、徳川幕政の仲でも変わった存在で、ふだんは農耕に従事し筒、日頃から武芸の鍛錬に励み、一旦事が起きると幕府直属の郷士団として働いた。」とあった。
以前、八王子の「千人同心」なるお菓子をもらって、なんで八王子に同心が?と不思議に思っていた疑問が氷解。
ま、「魔法の小箱」で調べればわかるのだけど、さぼっていた。物語のなかで答えに出くわすと、うれしい。

 時代小説は、こんな風に歴史をわかりやすく伝えてくれるところがいい。
剣道部だったTちゃんなら、殺気だの上段の構えだのがわかって、おもしろいのだろうが、竹刀の素振りしかやったことのない私は、やっとうもちゃんばらもあまり好きでないので、色街吉原を描いたこのシリーズがたのしい。真剣勝負の場面は飛ばし読みしている。

さいきん図書館から借りてくる本も『ビジュアルBOOK江戸時代』とか『一目でわかる江戸時代』とかの図版が多い。重いのが難。
吉原の町割の地図や花魁の衣装に見入っている。佐伯の本の中では、非道な部分は出てこないが、まあ、いいか、娯楽本だもの。

彼が、「図書」に連載している「惜櫟荘だより」をたのしむ友もできて、うれしい。佐伯の日本語を「文章が書き飛ばしているようで」と不満を持っているところも、同じで、我が意を得たりだ。
私はときどき(いや、たいてい)上質な本より、気晴らしあるいは新規な本に飛びつく傾向があって、へんに薦めてご迷惑を掛けるが、ああまたかと許して欲しい。



10月31日 『哲夫の春休み』読了
斉藤敦夫さんが26日に新刊をやっと出すんですよ、と図書館司書がにこにこ話す。この図書館でもなんどか招いているのだ。当日、新潟駅裏のジュンク堂に、わざわざ行った。ところがない。
 店員に聞いたら、パソコンを検索してーそれがアマゾンのHPをみてー発売は27日です。明日か明後日入荷するはずです、と言う。また来れるかどうか怪しい私。
帰宅してアマゾンに注文する。
29日、本が到着。パラパラと見て、読み進める勇気が失せる。
まず長岡市の地図が乗っていて、蒼紫神社、長生橋、長岡赤十字病院(古い方)は、わかるが、ホテルニューオータニ、長岡高校、新潟大学付属小・中学校(新しい方と、最初の方)が乗ってるところで、あれ、児童文学でなく自分の懐古談か。
長岡を書く信濃川を書くといっていた長岡出身作家で、それから26年も経ったが、子どもにかづけて回顧録を書いているのか・・・・。
期待もしていたが、あまり長くまたされて、恐れも大きい。

それから、旧友の突然の訃報が次々に入って、寝床にもぐって、佐伯泰英も読み切ってしまって、この本に逃げた。

318ページまで来て、彼がこの本を書いたわけがわかって涙が浮かんだ。あとがきを読んで、書けたわけもわかった。贖罪の記でもあるとても個人的な本だ。そう感想を持って納得した。
昔の長岡を懐かしむ人は、図書館で予約してみてね。買うには高すぎます。(こどもが買える本じゃない)



10月某日 白鳥の声
家の上を、白鳥がカウカウと鳴きながら飛んでいく、そんな季節が来た。
私の幸せの一つ。



10月某日 公園のどんぐり
今年はちっとも落ちてない。栃の実もあまり落ちてない。上を見上げても、ない。去年はどちらも鈴なりだったのに。熊が人里まで降りてくるわけだわ。



10月某日 産直売店のあやうさ
ちょっと前に、食用キノコと間違えて、毒きのこを売っていた話が、にぎわっていた。採集した地元民が持ち込んだ物でだ。地方の老人を信用してはいけない。昔のように、よく知っている年寄りに付いていって伝授されていないトウシロウの山人が、いかにも訳知り顔でもちこんでも、それを鑑定する人はいないということなのだね。
 ちょっと、違うかもしれないけれど、安さ、新鮮さにひかれて産直市場を利用している私でも、アレッと思うことがあった。
農協(=JA)では、規格品を厳しくチェックして出荷しているらしい。だから、農家の人は農協には出せないから、と産直市場に持ち込むこともある。そう言っていた農家の人がいた。曲がりきゅうり、Sサイズ品、割れトマトなど、格安にして美味なので私は喜んで買っていた。
しかし、産直市場で買った小さなキャベツが苦いことがあった。
 キャベツ、菜っ葉などは、収穫前2週間以内には農薬散布をしてはいけないと家庭菜園をしているとき薬の能書きで知った。農薬が野菜に残留するからである。小さいキャベツを出荷するとき、これに引っかかっていないかな。散布後、すぐに、売りに出しているとか?
農協は、農薬散布もチェックしてくれているのかもしれない。この頃、キャベツ、ほうれん草は、全国区の産地のたっぷり大きいのを買うことにしている。(産直で大きな物があれば、もちろん、そっちに飛びついている)



10月某日 痛い話
 先週、皮むき器でニンジンだけでなく、左手の親指を削った。救急バンを貼ったが、血が止まらず、ぽたぽたまな板に落ちて困るので、薄手のゴム手袋をして家事をしていた。
 今週、キャベツスライサーで、キャベツだけでなく、右手親指を擂った。やっと、ゴム手袋を外せたのに、こんどは右手に、はめていた。
やっと、救急バンだけでよくなったが、ケータイを打つのは、不便だね。



10月某日 はげ
 小学生に「はげ!」といわれた。パーマを掛けてから抜け毛が激しい。こめかみがはげ上がって、ひっつめると地肌が見える。本人も気にしているがしかたがない。言われても聞こえてないふりをした。
 話は変わるが、4か月、集会に出ていなかったメンバーが久しぶりに出てきたとき、「こんなに会わないでいると、シワやシミが増えていて会いにくいのだけど」、と言った。聞いている私も、ぎくっとした。フォローせず、スルーした。



10月某日 佐伯泰英、「惜櫟荘」を買う
 「図書」に、岩波書店の別荘「惜櫟荘」を買うことになった経緯を、春から書いているので、気になる方は、お読みください。
 NHKが彼の「居眠り磐音」をテレビドラマ化した番組宣伝に、佐伯が熱海の別荘地に家を買ってからの仕事風景、犬を連れて海辺を散歩している風景などを、ドキュメンタリーで放送していた。
 そこで見た佐伯泰英は、今どきの作家に珍しく、(清貧なわけはないが)凛として静謐にみえた。脂ぎってもいない。短髪でマスコミ受け狙いの装いもない。にやけてもいない、ふつうのおじさんに映っていた。私は好感を持った。
 スペインが好きで闘牛小説を書いていたが売れなくなった。編集者から、次は官能小説か時代物をと提案され、食うために時代小説に取り組んだそうな。
初手から、サラリーマンが小遣いで買えるようにと、文庫にこだわっているのも、好感が持てた。それを図書館で借りて買わない私である、ごめん佐伯さん。
 上から目線でなく、時代考証も緻密に書いて、なおかつ剣豪小説でも純愛小説でもあって、善男善女に支持されるわけだ。それで、当代一の人気作家になって岩波書店の熱海の寮も買い取れたのですよね。
 彼は、自宅と地続きの「惜櫟荘」が売りに出ていて、業者が取り壊してマンションにでもなりそうだというのを聞いて、買い取った。老朽化した建物を、解体、完全復元しようとしている。11月号が楽しみだ。その経緯を岩波が書かせているのも、をかし。
 岩波書店の凋落と見るか、新旧交代で良き主を得たと見るか、私は後者と思いたい。
 10月号では、ついに双葉社が、こんな好機を逃すまじ、と、このエッセイのページの隅に、ちゃっかり自社出版の「居眠り磐音」のCMを入れている。これも、をかし。

 一晩に一冊読み上げて『吉原裏同心』は六巻目。かくして、せっしゃは図書館通いを続けておる。『古着屋』は誰ぞが借り出しておるようで、とんと見かけなくなってしもうた。

とはいえ、量産のせいか、黙読で朗読をしていると、文として読みにくいところもあり。周五郎、正太郎の日本語とはちがうね。



10月某日 また佐伯泰英
『古着屋』シリーズと『吉原裏同心』シリーズにかぶれて、毎夜一冊読み終わらないと寝れない。寝不足が続いている。いる。
 しばらく前には『居眠り磐音』シリーズに、はまっていた。江戸時代に興味を持ち、佐藤雅美にこって図書館がよいをしてたころ、新聞の広告欄を半分つかって大宣伝していたのがこのシリーズ。ついでに図書館で借り始めて夢中になった。ところが、テレビドラマになって、あんまり好きじゃない山本耕二(なまめかしさが嫌い)が主人公をやっていたので、ゲンナリして読むのを辞めていた。
 今回のマイブームは岩波の小冊子「図書」のせいだ。(つづく)



10月某日 元気の素は外づらのあるなし?
 歳をとっても、社会的な活動をしている人は元気である。目的意識がある。外出をする。身なりをかまう。しゃべる。社会的な地位というのも、認められている自信と、責任感が、気持ちも毅然とさせるのかもしれない。病みついている人は引退しているわけだ。
 遠方にいる叔母にテレビで会った。老人倶楽部の代表で大会に出ていた。まあ、元気そうだこと。内にこもっている私よりは、そうとう若々しく見えた。一回り以上人生の先輩だが。



10月某日 米の小売のインチキ
 米が不作で、新潟県のコシヒカリは一等米が16%(例年は80%以上)といわれている。同じ、コシヒカリでも出来のいいのと悪いのとがある、というのはニュースで知った。どこも不作なのかと思っていたら、新潟県だけ突出しているらしい。新潟県が推奨しているいもち病に強いBL米のせいではないと、やっきで言っているが、農協が販売する苗がすべてBL米に変わってしまって、まずくなったと思っている私は、これも無関係ではないと推量している。
 それはさておき、スーパーの売り場に並んだ米袋には、新潟産コシヒカリとか、新潟産コシヒカリとかの品種名。岩船産、佐渡産、魚沼産とかの地域名。または有機特別栽培米などの表示はあるが、等級なんかどこにも書いてないのである。一等米、二等米・・・三等もあり?この米袋に入っているのがどれなのか、消費者には知りようがない。へんだ。
 私は、おいしさ優先で、知り合いの農家から直接に玄米を買うようになったからいいが、米の小売に関しては、ますます怪しい気配を感じる。
 近所の人が話しているのを聞いていたら、どこそこの店のコシイブキはうまい、どこそこのスーパーのコシイブキはまずい、と情報交換をしていた。消費者は自分の舌しか、見極める手立てがないのか。それは、おかしいねえ。



10月某日 「味覇」その後
味覇(ウェイパァー)とは、関西の家庭には必ずあるといわれている(ほんまかいな?)、万能中華調味料である。
スーパー原信に、やっと入荷していた。780円。よし、買おう!、と手にとって見ると、あれっ?軽い、小さい、なんだか変だわ、と思って、買わずに、スーパーウオロクヘ行く。
ここのは980円だ。だが重い、大きい。それもそのはず500g。
原信のは、250gでした。
うーん、としばらく考えて、こっちが割安だよねえと、大きいパックを買った。数年もっちゃうだろうから、安い買い物か高い買い物になるか、なんともいえないね。ともかく、半分は冷凍しよう。開封後は冷蔵庫保存だって。



10月某日 包丁研ぎ
気落ちして、めげてる日は、包丁を研ぐ。
荒砥と仕上げ砥を使って、あの木屋のプロフェッショナルの仕上がりを思い出しながら。・・・・・そして、ぴかぴか光ってくると、おお、私もやるじゃん、と気力にも光がさしてくる。
たまに、気落ちがないと・・・包丁が光らんところは、やっぱりグッド・ハウスキーパーではないな、私。



10月某日 専業主婦または産直市場
 あるブログでネギが1本98円だといっていた。びっくりして、原信で見たら、1本90円だった。高いねえ。不作なんだってねえ。
それを横目に素通りして産直市場で3本180円のネギ一束を買う、三本入り。少し細いので、重さで量れば同じかな。それでも、少しでも安いものを・・・と思ってしまうのは専業主婦。
 だから例の中華料理調味料「ウエイパー」、原信では780円の札が出ているけどいつ行っても売り切れ状態。他のスーパーでは980円。次の仕入れを待って、まだ買っていない。


10月某日 特売または専業主婦
ドラッグストアのチラシに丸を付ける。はさみで切る。財布に入れる。
1日目バスクリン詰め替え用が89円。お一人様2個まで。
2日目クレラップが98円お一人様2本まで(フダンハ138〜158円ナノダ!)。
3日目白髪染め剤が、ふだんより300円も安い!
行かねばなるまい。   
といって、3日間、1日2回も通った。
えらいぞ私。
昔はいつも、こうしていたのだよなあ。
ただ、それだけを買って帰る図々しさ(=賢さ)を、いまだに持てず(そういうことはおじいちゃん方が得意のようにみうけられる)、トイレットペーパーやシャンプー、救急ばんそうこう、DHCなんか不急のものも買ってきてしまう。策に陥れられた。



10月某日 ブログなんかやる奴なんて
ホームページやブログを作る人なんて、仕事のアピールか、さもなくば、自己顕示欲の塊よね。
と、思っていた。でも、人間は、誰かに認めてもらいたいのサ。自己満足でもいいじゃないサと居直って、すごく淋しい頃に、私もはじめた。
それで、元気になるんだけれど、あくまでネット上のカラ元気。現実を変えていけたわけじゃないね。むしろ、そっぽを向いてパソコンにだけ向き合って暮らしている。
それに気づいて、パソコンを開けられなくなる日もあるサ。



9月某日 米
ニュースで、ことしの新潟県のコシヒカリの一等米は16%だといっている。例年だと80%以上なのに。JAでは、二等米になってしまった農家への前渡し金を増やすことにした。したって、最終金額は去年より減る農家が多いだろうから、たいへんな難儀な年になる。
今日も雨。まだ一枚残ってるんだよ、と半農半電気屋さんが言う。雨の日は稲刈りができない。だから来てくれる。これで、また等級が下がるのかしら、と云うと、夏でもうダメになったのさ、とあきらめ顔。
ご近所の田んぼでも、水たまりに浸かっているような稲が残っている。
スーパーに、まだ魚沼米は出てこないが、あっちはどうなんだろうね。



9月某日 髪の秋
なでてやると毛が抜ける、猫。
ブラッシングしてやるとふわふわ毛がゴソッと抜ける、犬。
手で梳いていて、ばさばさ抜けてビックリする、私。その毛の細くなったこと。中学生の頃はインディアンの少女のような、ぶっといおさげが、うっとおしかったのに、今はなつかしい。「赤いサラファン♪」の心境の秋。鬱の秋だねえ。(と、毎年書いている?)



9月某日 肌の秋2
気温20℃を切る。暖房を入れる。コタツを付ける。毛布を出す。腹巻きをする。ズボンの下にユニクロタイツをはく。頬もお尻も冷たい。
顔の肌も寒がって縮んでいるらしい。つっぱるだけでなく、シワが痛い。



9月某日 加島屋の「さけ茶漬」が1位
日本経済新聞の土曜版の一面は、「何でもランキング」。
毎週いろいろなランキングがでますが、今週は「お代わりしたくなる「ご飯のお供」です。その1位に輝いたのが、新潟市の加島屋の「さけ茶漬」でした!
さいきん、もらい物もしなくなって、食べていないけど、なつかしい〜。高いから自分ではめったに買わない高級品です。
本店はおばあさま方で、にぎわっているらしいけれど、デパートでは、以前はお菓子売り場の一等地を占めていたのが、さいきんは隅に押しやられています。パン食好みの若い人からはそっぽを向かれたかと、危惧していましたが、なんだか、うれしいね。そういえば、東京のデパートでも買えるんでしたね。



9月某日 雨
 東京は、またしても真夏日、練馬で35℃とテレビは言っているが、裏日本のこちら側は、先々週の雨以来、ぐずついた天気とさわやかな秋の空が交互に訪れ、すっかり涼しく(わたし的には寒く)なった。
きょうも大雨警報発令中だ。
 先週から、当地では本格的な稲刈りが始まったが、稲穂は雨風でほとんど倒れている。それでも、高機能コンバインは倒れた稲も起こして刈り取っている。日本の技術力はすごい。
倒れた稲はなんとかなるが、この雨で水田に水がたまっていて、浸かってしまった稲は食味が落ちるし、キャタピラがみんな泥に埋まってしまって、コンバインは身動きできなくなって仕事にならんて、と昨日やってきた半農半電気屋さんは、こぼしていた。
 そういえば、この辺は元々が「潟」だったし、湿田だったのだ。それを排水機場を作って、放水路を作って、見事な水田地帯にしたのだが、バケツをひっくり返したような雨には、かなわなかった。洪水にならなかっただけでもよかった、と思うしかない。
今月初め、地元の秋祭りがあったが、昔の人は真剣に祈りを捧げていたんだろうね。今も神仏に祈るしかないことも、まだまだあるわ。



9月某日  競馬場と機動隊
 我が町の競馬場は土日しかやっていない。どこの競馬場もそうだろうけどね。だから平日は、ひっそり、広い広い駐車場もがらんとしている。
それがさいきん、平日に脇を通ったら、警察車両がびっしる停まっている。ガサイレ?そんなわけないよね。
 青いバスやら、装甲車やら、赤いランプを屋根にくっつけた黒い普通乗用車やら。人影がないのは、どこかに集まっている?
 一週間くらい経って、テレビでAPECの警備訓練風景として、見覚えのある風景が出ていた。ああ、これだったのね。
なんども、訓練しているのね。ごくろうさま。
たしかに、平日は空いているのだから、いい場所です。



9月某日 『旧怪談(ふるいかいだん)』を読む
 「Uさんは、私(根岸)の遠縁にあたる、謹厳実直な・・」とはじまるから、あれっ、星新一みたいとおもっていると、その後は「武士である。」と続く。あれっ。
 図書館の児童書返却コーナーに京極夏彦があったので、間違いじゃないかと手に取ったが、ラベルはたしかにヤングアダルト分類だった。表紙に小さく「耳袋より」とあった。その原著は江戸時代に旗本・根岸鎮衛が怪しい話奇妙な話を集めた本だ。
 「Hさんは小日向に住む旗本で・・・おかあさんは、近頃少しばかり高齢者性認知症の兆候が・・」「U家家臣のJという男が・・・「個人情報に関する質問に答える義務はないッ」・・・」「Y家出入りの医者、Gさんの話。・・・薬草を採取しに出掛けた。化学合成薬品などない時代だから・・・」
なんとまあ、読みやすい現代語訳だこと。当然、意訳。
漢字は総ルビだし、一話ごとに原文も書かれていて、対比しながら読むのも、おもしろかった。江戸時代の都市伝説のような感じで、怖いというより、原作者の真摯な好奇心に惹かれた。
子どもに古典の糸口をくれますね、京極さん、いい仕事をしています。大人の私も愉しめました。
 平行して金原瑞人編のホラー短編集『八月の暑さのなかで』(岩波少年文庫)も、読んでいたが、耳袋のほうが、おもしろかった。



9月某日 免停(4) 講評
長岡の白バイ隊員だった先生からの講評。
「考え方を変えましょう。
仕事や家庭では、我慢して暮らしていますね。私もですよ。車の運転は、そういう制約から自由なんですよね。それで、スピードを出して、スカっとしたくなるんですね。
でも、安全運転をしないと大事故になって、とんでもないことになるんですよ。それからでは遅いんです。
我慢ですよ、我慢。生活も。運転もです。
 皆さんは初犯で、事故を起こしていない優秀な人たちなんです。大事故を起こした人は免停が3ヶ月とか1年とか、免許取り消しなんですよ。そうなってからでは遅いですよ、仕事になりません。仕事もなくします。
これから1年は、気をつけて運転してください。あと2点で免許停止。あと4点で取り消しになります。
 保険に入っているから事故を起こしても大丈夫というのは、間違いです。事故を起こしても相手側のミスと過失相殺され全額は出ません。差額は裁判沙汰になって請求されます。
酒飲み運転で死亡事故を起こしたときは保険は出ません。たいへんですよ。
 交通違反は、日頃の運転のあらわれなんです。警察官がいつも、見張っているわけではないですからね。たまたま見つかった、運が悪かったのではなく、ふだんもスピードを出していたことが多いのではないですか。
我慢ですよ、生活も、運転も。
車の運転は心理面のコントロールーイライラ、うきうきーが現れるというのが心理学の定説です。それを自覚して焦らないように、事故を起こさないようにしましょう。」

そして、講師の体験談。
「中越地震のときは、高速道路に置きっぱなしの車にてこずりました。地震の時は、エンジンを切って鍵は付けたまま避難してくださいね。」
「私が遭遇した事故で一番悲惨だったのは関越高速道の石打トンネル内での事故。ワンボックスカーがスピンし、壁に激突、後部座席の人はシートベルトをしていなかった。その人は窓からすっ飛んで3分割になった。下半身は室内に、首は(工事の人用の一段高い)歩道の柵に引っかかってちぎれて歩道に、体は路上に、だった。」

 つけたしの体験談、怖かったです。さらりと語っていたけれどもね。
身の引き締まるお話でした。(授業を受けている気で、メモっていた私はエライ。でなければ、とっくに忘れている。そして講評どおり安全運転を実行できれば、なおエライ。)

しかし、実際に路上に出て、法定速度で運転するのは至難の業です。まず後ろが渋滞します。バイパスを法定の60キロで走っているのは自動車学校と日通くらいです。法改正の必要も感じますね。
ここらのたんぼ道で40キロ制限の札があっても、ハッと気がつくと70キロ。自制心との戦いです。がまんがまん。(おしまい)



9月某日 『コメほど汚い世界はない』
ナイトキャップに読んでいる。あまりの内容に目が冴えてきて困る。(吾妻博勝著、宝島社、2009年刊)
 1995年、食管法が廃止された。私たちが子どもの頃は米の配給手帳があって、かってに米は買えなかった。その後も、米は政府管理の下、取扱業者は専門家で、等級検査があり、厳しく管理されていた。
 それが小泉構造改革の一環で規制緩和が進み、食管法も改正された。そして、許認可制から届け出制に変わった。誰でも自由に販売ができるようになり、不動産屋、土建屋、暴力団、宗教団体もコメ販売に手を出していった。儲かればいい、儲けられる、の放任状態だから、見つかりさえしなければ、古米・古々米を新米に混ぜるのはもちろん、事故米、カドミウム米の混入、はたまた産地偽装はむしろ当たり前のように行われるようになった。そこで、帯には「収穫量の30倍が流通する魚沼産コシヒカリの謎!!」と書かれていたのだ。
 農家の産直米さえ、等級検査もなく、自己申告でなの、信用できないものもあるという。有機栽培米と銘打っても、保管の際に、猛毒農薬で燻蒸しているものすらあるという。
スーパーの特売で、あまり安い物は要注意と、呼びかけているほどだ。

 ホラー小説より、ぞくぞくしてきて、今夜もまた眠れない(昨日は3時まで読みふけってしまった)。



9月某日 『ツバメ号とアマゾン号』について
イギリスのこどもが、一夏を湖畔の別荘で過ごす。不在の父のヨットを、「ノロマでなければ」自由に使って良いと言われ、4人兄弟(男女男女)は、それぞれ船長役、航海士、船員、ボーイになって、湖を探検して廻るお話。児童文学の名作です。
新しい文庫が復刊したばかりで、折り目もない新本を図書館で見つけて借りてきたのだ。

 「ごっこ遊び」のゆったりとした世界で、自分で考え、判断し、行動していく、それはそれは夢のような豊かな世界だ。昔、読んだときは、”フン、私はそんな裕福じゃないもん”と少しいじけて読んだ。それで、どこかしっくりこなかった。
 今回は、裁判所で延々と審判を待ち続けるソファで上巻を、下巻は、4時間半に及ぶ難行苦行(もう行かないぞ)の美容院の椅子で、それこそ、夢中でこの世界に逃げていた。愉しかった。心穏やかでいられた。

 下巻の巻末に、上橋菜穂子(平行して読んでいた『獣の奏者』の作者)が、あとがきを書いていて、このぴったり合った偶然に驚きと運命を感じた。おおげさだけどね。
この本は10代の上橋さんの愛読書で(他に、サトクリフの歴史物語、『指輪物語』をあげていた)、受験期に、この本に「逃避」していた、と書いていてまた、ビックリした。そして
「逃避」にはマイナスイメージがあるが、ある状況から逃がしてくれ、追い詰められた心をほぐして救ってくれるもの、として、「逃避」を積極的に評価している。
「イギリスの湖水地方の、かぐわしい大気を胸いっぱいに吸い込んで、本の中でたっぷり「休暇」を楽しんで、もどったときには、「さあて、ひと仕事かたづけるか」という気分になれた」という述懐には、なるほど、あの気持ちを言語化すると、こうなるね、と作家の言葉の力に甲を脱いだ。



9月某日 水害風害
 スーパーの産直コーナーで、ナスの袋を並べているおばさんに話しかけられる。
「これB級品だけど、買わない?風でこすれて、皮が傷んだけど中味は変わらないんさ。ピーマンもね、ねじれたり、つぶれたりで農協に出せないけど。」
「ピーマンはキレイだけど、ダメなの?」
「肉詰めピーマンに出来ないから、ダメなんさ。味はいーんだよ」
「雨風だったものね。稲も倒れたままだわ」
「そういんさ、まだ水に浸かっててね」
「えっ?」
「高い低いがあってさ、田んぼにも。ひーくい田んぼはまだ水が引かないんさ」
「じゃあ、腐るかもなのねえ、たいへんねえ。これ、もらうわ、ピーマンとナス。」
「ありーがと」
レジに行って精算を済ませる。

 そして、さっきの農家のおばさんの姿が見えなくなったのを確認して、産直コーナーへ戻る。B級品でない、皮がキレイに紫に光っているナスの袋を手にとって、もう一度レジへ行く。きょうは人に送る野菜を探しに来たのだ。やっぱり見た目も大事。家用には、いつもB級品でも。



9月某日 肌秋
夏中つかっていた化粧水のしみこみが急にわるくなる。いつものクリームを塗っても朝には口元が引きつる。肌が秋を感じている。
化粧品を変えなきゃ。冬用に。
(後日談)
 栄養価の高い、値段も高い化粧品に換えた。換えたとたんに かゆい。眉に巣くっていた湿疹が生きかえった。かゆい。皮膚が赤い。白く禿げる。唇もがびがびになる。
栄養は、私に入る前に、湿疹にまず届いたらしい。しかたなく、もとの薬用化粧水に戻す。 医者へ行こうかなあ。医者のくれた副腎皮質軟膏つけているんだけどなあ。



9月某日 免停(3) 実技
 さて、お次は車の運転をしてみせる実技。免許を取ったときの試験コースを走るのだ。事前にコレは点数に入らないと聞いているので、お気楽な私。
 でもねえ、コースの説明を教室で受け、先生が運転してみせ、このとおりに、と言われてもコースを覚えられない。記憶力の減退は顕著です。かの試験の時のように、生徒が3人一緒に車に乗るのだが、私が不運にも一番目。
ここは曲がるんですか?
障害物ではウインカーを出すんですか?
外周を回るときはウインカーは出さなくていいんですね?と、いちいち聞く。これ年の功だね。

 運転はすんなり出来たつもりだった。終わって車から出て、他の人は待たせたまま講評があった。試験は優でしたよ、実車もよかったですよと先生。
(ワーイワーイ /^)
 それにお誉めの言葉も。左右の確認が身についている。いいですねえ。止まっている車に近づかないで走れたこと(急にドアが開くことがあるから)、いいですね。(でも白状しますが、これはキープレフトができていなかっただけです)。
いくつになっても誉められるのはうれしい。
"でも、これが試験だったらダメでしたよ”
(エエッ!?)
キープレフトができていない、一時停止が遅い、止まっている車をよけて前に出るとき飛び出しの確認が出来ていなかった、と注意あり。(アチャー)
でもね、合格がわかってて、誉められたあとだったので、ダメージは少ない。教育者はかくあるべしだ。欠点を素直に認める気になった。

 それから、ボックス型ゲーム機のような運転シミュレーション機で反応テスト。
 道を走っていて脇から子どもが出たらブレーキを踏むテスト。
これは最初はフライング続きで×、反応早すぎなのだ。注意深くすると反応遅すぎで×。適応性が衰えていると自覚させられたテストだ。
 くねくね道をハンドル操作するテスト。速度が30キロからはじまって40,50と上がると、道路からはそれはしないが、キープレフトができなくなった。反応の悪さは歳のせいかねぇ。
 このテストで、気持ちが悪くなったといって途中からパスしていた女の子は白根から来ていた。通勤で新潟へ車で行っているので落ちたらどうしようと不安がっていたが、試験は合格してホッとしていた。
 でも、燕ちゃんは、実技の時、何も言われていかったというので、私らの結果は伏せてある。かなり心配だ。



9月某日 酷暑の夏も
「クーラーは嫌いだから、うちはないの。扇風機があるからいいんさ。でもあせもができてねえ、窓を開けっ放しで寝てたわ」
ええ!?よく死なないでこの夏をお過ごしなされましたねえ。すると、もうひとりが
「私も嫌い、だから使わない。網戸にしても虫が入ってくるから、窓を閉めて扇風機をつけていたわ。」ご近所での会話。 
すごい!
お二方とも同年配なんですが、クーラーなしで、この暑さを耐えぬいたなんて、 体力あり!ですねえ。



9月某日 免停(3) 講習&試験
 午前いっぱいの講義なんて、腰がもつかなと心配していたが、40分授業に10分の休憩、休憩のたびにトイレへ行く、廊下へ行ってケータイをいじる、おしゃべりをするなどの運動・気晴らしがあったので、どうにか、持ちこたえた。ショールは小さくたたんで座布団にしてお尻の冷えを防いだ。

 たくさんは覚えられないだろうから試験に出ることだけ言いますよ。ここは重要ですよ。この数字を覚えていてください、引っかけが出ますよ。講義の中から問題が出ますから我慢して聞いてください、と言いながら、現役か元警察官の講師が話すので、みな必死に聞いている、1名以外は。学校の授業もこんな指導法だったら、まじめに聞いていたんだろうねえ。
 そして、一夜漬けどころか昼休みの30分漬けで、試験に臨む。何年ぶりだろう、試験なんて。学校でてからウン十年。子どもと一緒に英検を受けてからも十ナン年。
 燕ちゃんは、キンチョーするキンチョーするどうしよぉどうしよぉと言って振り返る。娘より若い子だ。大丈夫よ、先生が話したことしか出ないから、読み直そうね。ほら、ここ私ハナマル付けてるでしょ、ここは出ますよと2度も言ったところよ、と言いながら、テキストを見直しさせる、母親気分。
・・・・でもワタシモキンチョウシテオリマシタ。

ドウキンチョウシテイタカトイウト・・・、
問題が配られ、用意はじめ、といわれて、私がまずしたことは、それまで必死に頭に詰め込んだ数字を解答用紙の隅っこに書き出したこと(問題用紙は繰り返し使うためファイリングされていた)。
40ー動体視力は40代後半から下がり始める。
50,60,516,31ー時速50キロで走っている車を時速60キロで追い越すには516メートル31秒が必要。
2ー衝突力、遠心力は速度の2乗。
160,200,35ー視野は160度、両眼で200度、しかしはっきり見えるのは35度。
・・・と書いて、よし数字の記憶はこれでOKと、いったんはホッとしたのだが、
まずいっ!と気がついた。この解答用紙、朝からここにあったのだ。カンニングと思われるかも!?
慌てて、消す私、といっても筆記用具はボールペン限定だった。うーん、すごく、まずいかも。どうして考えが浅はかなんだろう私。ドキンドキンと、パニックになりながら、とにかく解答。

講義で話されたことだけ出題された、パーフェクトの自信あり。でも、いちおう読み直すと、「疲れたときは気分転換にスピードを上げて爽快な気分に・・」なんてのに、○をくれていて、あわてて、二本の縦棒で消して横に×をつける。他も真剣に見直したが、うん、今度こそパーフェクト。半日は記憶を維持できる能力まだ健在。よかったあ。でも・・・

 隅っこの落書き、ええぃ、ままよっと、花を描いたり、蝶を描いたり、家計簿の集計を書いてみたり、ぐちゃぐちゃにしておく。
これが原因で落とされたら、私のアホのせいだからあきらめよう、温情で再試をしてもらえれば満点を証明できるし、数字(いまだに)暗唱できるし、よし運を天にまかそう〜。
相変わらず、ドジだねえ私。



9月8日 台風一過
日本海の台風は福井から上陸し本州を横断し太平洋へ出た。東海・関東は大雨だったが、新潟は進路からそれて、雨も風もなかった。真夏の暑さはぶりかえさず、夜はクーラーなしで過ごした。虫の音が透きとおって聴こえる。



9月某日 免停(2) 運転免許停止処分者講習
 適性検査、午前3時間の講習、午後試験、実技、シミュレーション反応検査で、朝8時40分から4時30分、まるまる1日です。

何が怖いって、冷房の冷えが怖い私。 腹巻き、お尻パット、カーディガン2枚、膝掛け用ストール、ホッカイロ、熱い番茶を用意して長ズボンで出かけていく。この防備で何とか乗り切りましたが、寒かった。

 前回で懲りて、こんどは早々8時過ぎに云ったのに、定刻からの受付。そうだよね、講習会なんだから早い者勝ちもないもんだわね。

 受講者26名中、女性は6名。私の他はみな20代とみた。まじめタイプ3名、どピンクハイヒール、チョーミニのおしゃれさん2名。
男性もごくまじめな学生風多し。全体でも、わたしゃ最高齢だわ。
ひとり際だって、シャギーな茶髪、ピアスのイケメン兄ちゃんがいたが、講習中ずっと、つっぷしていて、先生が具合が悪いですかと心配されていたけど、眠かっただけらしい。(態度が悪い割に、試験はすんなり通ってた)

 裁判所に行ったときは『ツバメ号とアマゾン号』上巻を持って行った。ドキドキ不安を、この本はしっかり助けていてくれた。そこで、今回は下巻を持って行ったが、読む暇はなかった。講義は必死で聴いていたし、休憩時間は、前の席の女の子が、この子も不安いっぱい症で、ずっと話しかけてきたから。
燕から汽車にバスに乗り継いできたので、出かけたのは5時だという。たいへんだねえ。福島へ旅行したとき80キロ制限の高速道路で捕まった。違反で捕まったことはお父さんには内緒、怒られるから。夜勤仕事なので、運転できないと困る・・・生活がかかっているねえ。後でおしゃべりした女の子も白根からだと言っていた。私は隣町だから近くてラッキーな方だね。

 心配していた実技の車種の件、ほとんどの人がオートマ車を希望した。ちなみに、マニュアル車しか乗れない人1名、どちらでも乗れる人7名、時代の流れはオートマなんだね。



9月某日 免停(1)
交通違反を犯すと、刑事処分と行政処分がある。
刑事処分が裁判所出頭、ただし軽微なときは省略。
行政処分の管轄が警察で、運転免許センターに出頭し免許停止や取り消しの処分を受けに行くのだ、わざわざ。それを受けるまでは、運転はOKなのだが。
その免停通知ハガキが来た。免許停止30日、ただし受講料13800円の講習(実技付き)を受け、成績優秀なら免停は1日で済む。
どうしよう、またお金がいるんだねえ。

そういえば、裁判所の支払窓口の中で、罰金を払えないと言っている若い男の子と係の人が話し合っていた。若い子には大金だものねえ。体で払うのかなあ、懲役とか・・。

講習を希望しない人は連絡するようにと書いてある。受けて落ちたらもったいないから、電話をしてみる。
あのー、私は普通免許なんですが、免許を取ってからこの方オートマ車しか乗っていないんです。試験の時のようにマニュアル車の運転をさせられても、もう出来ないと思うので受講しません、どうなんでしょう?と聞くと、電話口の女性は折り返し電話するので少しお待ちくださいという。はい、と切って待っていると、しばらくして、好きな車を運転できますよ、実技は採点しません、との返事が来る。それでも不安な私は、免許試験の時のような問題なんですか、予習は必要ですか、と聞くと、講義で話した範囲からしか問題は出ないので予習しなくても大丈夫です、と。
では、受けますか〜。(じつは緊張、何年ぶりの試験か)
(しかも丸1日、こっちも不安!)



9月某日 裁判所(3)
 さんざん待たせて、番号を呼ばれて、部屋に入る。3人同時進行の取り調べ(?)だ、さて、なんと言おうか・・・。
椅子に座って、机の向こうは中年男性。現場で機械がチェックしたスピードの確認と、そのとき警察官が聞いたワケ(スピードを出してしまった理由)を読み上げ、この通りで間違いないですか、ハイ。で終わり。
拍子抜けした私は、ずいぶん待たされるんですね、いつもこんななんですか、と聞いてみる。
男性(検事?)は、今日は特別なんですよ、お盆休みがあったので。すみませんでしたね、と。
取調官を謝らせた私もすごいが、お盆は休むのか!!
(この呼び出しは月に2回、1日と15日)

「この調書に従って、即決裁判で確定しますから廊下で待っていてください。」それから待つこと20分。Yシャツ姿の若い男性が廊下に出てきて、番号をよみあげて、懲罰及没収金○○○○円と書いた紙をくれ、窓口で支払ってくださいという。廊下の突き当たりにその窓口はあって、お金を払って、おしまい。これが判決?拍子抜け。
というだけなのに、何時間!
みんな、罪を犯した引け目があるので黙って辛抱しているが、このシステムなんとかならんかね。

(現場の警察官が、これくらい用意していけ、といった金額よりは4万円安くて、ホッ!)
2度と来たくはない。これが原因で腰痛がぶり返した。




9月7日 雨
午前11時 気温24,3度 湿度78%
ひさしぶりに、ひといき ついてます。
大雨洪水警報が出ていますが、とにかく、ひといき。
いろいろ、ひといき。



9月某日 新聞チラシで
「モノグラム、ダミエお断りしません!」と買い取りチェーン店のチラシに書かれていた。あのルイ・ヴィトンの有名品を買い取らない店が出てきたということなのね。
そういえば、パリ旅行した友人が、パリのルイヴィトン本店は中国人客ばかりだと言っていたっけ。
栄枯盛衰、時代が一つ終わったのかしら。



9月某日 裁判所に出頭(2)
 おまわりさんは、車で行ってもいいですよ、と言っていたが、ピンクの告知書には車で来ないでください、と書かれている。運転免許はまだ有効だが、駐車場が無いからということなのだろう。書面に素直に従って、実家に車を置いて、タクシーで行く。
ごく近距離なので、すまなく思い、悪いですねえ、こういうわけで、と運転手さんにいいわけ。すると、ああそうですか、運が悪かったですね、と慰めてくれる。
帰りのタクシーでも、私も若い頃はやんちゃでしょっちゅう捕まっていましたよと運転手さん。この道に入ってからは安全運転ですよ、でも、いちどだけやりましたよ。国鉄の運転手に、運転する汽車に間に合わないから飛ばしてくれと言われてスピード出して、捕まりましたが、(書類は?)後にしてくれと行って急ぎましたよ。という愉しい話も聞かせてくれた。

 そう、今回は慰めてくれる人がいて、すごくは凹まないですんだ。
体操教室の先生はメールで、「気を落ち着けてゆっくりと」とすぐ、エールをくれた。
教室の仲間は、たいへんだったねえ、みんなも経験済みよ、と共感と励ましをくれた。
家人は・・・家人は非難しないという形で支えてくれたかな(コレは疑問)。
 公務員だった友は、上司と一緒に本庁へあやまりに行くレベルよ、と。そういえば校長をしていた叔父は単身赴任で月曜に遠方に戻る早朝、分水の土手をぶっ飛ばしていたが、見つかれば免職かな、と言っていたっけ(、今は昔で不問にしてください)。
 頼りになったのは、おつれあいが大学の先生をしている友、たぶん30日の免停で講習を受ければ1日ですむようよとの情報をくれた。
はたして、その通りだった。さすが若者とのつきあいが多いのだね、よくご存じだ。

 裁判所に行ったら、呼び出された者は若者が多かった。ピアス4連発君、ずり落ちズボン君・・・、やっぱりね。意外なのがヤーサンがいなかったこと。
これから出勤途上の会社員もいる、ケータイで、まだいます、と言っている。中年自営業風も多かったが、白髪は2名禿げ1名。女性では、私がたぶん最高齢だ!
最終的に総勢115名はいた。

 裁判所奥の別棟に交通違反専門の警察窓口と検察庁がくっついていて、訳知りのタクシーの運転手はそちらの入り口に車をつけてくれた。足の悪い私は助かった。
 それにしても、9時出頭と書かれているのに、9時には、受付番号はもう80番を越えていた。病院のような広い待合室のソファーベンチにはびっしり人が座っていて、廊下に立っている人やしゃがんでいる人もいる。
いったい何時から受付をしていたのか。ペテンだぁ、と怒る私。
9時を過ぎると、ぱたりと受付に来る人は減るが、10時、11時に悠然と来る人もいる。おいおい、慣れた人はそうするのか。

 立っているのも辛抱できないので、ずうずうしく空きをさがしてベンチに座る。放送があって、奥の「検察庁」と書かれた部屋に番号で次々に呼ばれていく。そうして、ベンチに空きができると、私の隣に若い女性が他の席から移ってきた。
そのときは本を読んでいたので、気にならなかったのだが、何しろ、待ち時間が、1時間を越え、2時間を越えると、腰も痛いし足も痛い。足を組み替えたり、腰を回したり私は体を動かしていた。
が、隣の女性は微動だもしない。微動だもせず、手を膝に置き、背筋をのばし、足をそろえてまっすぐ前を向いて座っている。肩胛骨が浮き出た細面の30才くらいの人、白いノースリーブのサマーセーターに花柄のスカート。髪は黒くセミロングで上半分をゴムで縛っている。微動だもせず2時間よ。すごい。
そばでは、くたくたとベンチにもたれて寝ている20才くらいのヤンキーな女の子もいたが、こっちの方が自然に見えた。
きまじめなのか、緊張しているからなのか、同僚にいたら面倒そうね。

 10時を過ぎれば、受付の警察窓口さんらは、ぼーっと座っているだけ。ぽつんぽつん人が来たり、告知書を無くしたという人も来たりで、そのときは動き回っているが、9人の男たち(警察官?バイト?)は机にほおづえをついている。事業仕分けしろ、こんな手際の悪さはなんとかしろ、と心で怒る私。イライラ。
けれど、罰金が多くなりたくないから黙って、ひたすら順番を待っている。「検察庁」と書かれた部屋に呼ばれるから、犯罪の確認かな・・・、
「はいお役人様、スピード違反をしましただ。お調べのとおりでございますだ、申すわけありません」と言って、署名をしてくるんだろうな。
「悪いこととは知りながら・・・」かな、「気がつきませんで、つい・・」かな、どう話したら罰金安くなるんだろうか、と考えている私。

 時間のかかっている人、ごねているのかなあ。はたまた、すぐ出てくる人もいる。くだんの女性はあっという間に出てきた。今日のは、みんなスピード違反なのかなあ。それにしても2時間半過ぎた。(つづく)



9月某日 TGC
 「東京ガールズコレクション」の中継テレビをボーッと終わりまで見てしまった。たのしかった。
 だからといって、コレかわいい〜!と着ることはない歳だけど、この秋は、花柄の半袖ドレスにミリタリーコートにファーのボレロとブーツがトレンドよ。チェックもまだ流行りそうね。若いときは流行遅れの服なんか着なかったわ。
 パリコレもすてきだけれど、大人服で、高くて手が出ない。これなら、等身大で、若い子でも買える金額なんでしょうね。
景気は悪いけど、この元気な女の子たちの消費活動が日本を救うかな。
そして、世界に発信して、円を稼いで・・・
がんばれ Cool Japan !



9月某日 虚弱体質
 爪にマニュキアをした。今までも、たまに塗ることはあったが、茶碗洗いをすればいっぺんで禿げる。
けれど、同い年の友人が、いまどきの模様入りの綺麗なたマニュキアをしていたので、すごい、と驚くと、行きつけの美容院がサービスでやってくれるという。でも洗い物したらとれちゃうでしょ?ううん、ベースコートとトップコートを塗ると禿げないわよ、というので、さっそく買いに行く私。
 カネボウのベースコートとマニュキアとトップコートを、ちゃんと塗ってみた。
わあ〜、ほんとに禿げないわ。お湯で茶碗を洗っても、お風呂に入っても禿げない。はげないはげないルンルン。と、そのまま放置していた。すると、
爪がはげてきた。爪は一枚板ではなく、ベニヤ板のように何層にもなっていて、ぼろぼろとはげてきたのだ。
きゃー。
 縦のしわが入ることもあったし、艶もなかったけれど・・・
軟骨も弱ければ、爪も弱いのねえ、私。



9月1日 和解
あんたは、どっちの家にも初孫だったから、おじいちゃん、おばあちゃんにかわいがられてた。
(同居の婚家先の)おじいちゃんおばあちゃんがいつも連れ歩いていて、おむつか、おっぱいか、泣いて手こずったときしか、わたしのところへよこさなかった。取りあげられたみたいに

おじいちゃんの自転車で競馬場へ行った記憶があるわ。
へえー、そうだったかしら。競馬なんてねぇ。相場はやってたけど。
おばあちゃんは神経痛で手がしびれると言っていたけど、よくあんたをおんぶしてたわ。

そういう写真があったね。近所の天理教のてんつくてんてんつくつくという団扇太鼓の音をおばあちゃんの背中で聞いたの覚えてるわ。
おじいちゃんは気に入らないことがあるとおばあちゃんをたたいたり殴ったりしていたけど、人に嫁にはそういうことをしてはいけないと言われて、私には手を上げなかった。でも、ご飯が決めた時間にできないと怒ったり、気むずかしい人だった
私も怖い人だと思ってた。
へえー、あんたはかわいがられていたのにねえ。
人が怒られているのだって怖いよ。
あんたは赤ちゃん言葉をはじめっから話さなかったからかわいくなかったわ。

ええ?そうなの?
おとなびたしゃべり方をして、批判めいたことばかり言ってた。そこへいくと下のOちゃんはいつも私にくっついていて、よだれは垂らすし、しゃべりは遅いし、手がかかってかわいかったわ。
賢いのはわるいのかしら。
あんたはしょっちゅう障子に穴をあけて、いっくら注意しても聞かないから、よく手をはたいた、それでも、またやるのよ。
ちょっと、申し上げますが、現代の幼児心理学から言えば、それって母親にかまってもらいたかったんじゃないの?
うーん、そうでもして手を触ってもらいたかったのかしらね。
乳離れしてすぐに弟が生まれて、いつも母親は赤ちゃんを抱っこしてたから、大人にしていたんじゃないかな。おじいちゃんおばあちゃんにかわいがられても、自分だって母親に抱っこしてもらいたかったんじゃない?
そうね、わるかったね。
(半世紀以上経って・・・)



8月某日 裁判所に出頭(1)
8月初旬、スピード違反のねずみ取りにひっかかった。そこで、呼び込まれた警察のワゴン車で計測器を見せられた、かなりのスピードオーバーだった。ピンクの告知書を渡された。それには裁判所へ出頭とかかれていた。
その時点で、茫然としてしまって、しどろもどろに話をきいてたのが、あとの失敗のもとだった。
いつがいいですか、裁判所に出頭するのは?ときかれ、(月に2回招集するらしい)早いほうがいいと9月の初めを希望した。そこには出頭時刻午前9時。裁判所へは車で出頭することはできません、と書かれていた。

急いでいたから、つい、
高速道路を走ったあとだったから、つい、
でかい車だったから、つい、
ワケはいろいろあっても、言い訳で、放免になるわけもなく、殊勝に、すみませんでした、と引きさがるが、
なんで、こんなところで張っているのぉ、
やっと体操教室へ復帰しようとはりきっている日なのにぃ、と涙が(悔し涙?)にじんだ。



8月某日 秋の気配
空に刷毛で掃いたような筋雲がでていた。

高速道路の傍にススキが咲いた。

スイカを買いに行ったら、産直市場には、もうなかった。スーパーへ行ったら、1/6で498円だった。それって1個3000円!? どこの?

車に乗っていて、なつかしい匂いを嗅いだ。ああ、これは稲を刈ったときの草の匂い。

いつまでも、暑いが、秋は近づいている。
リンドウの鉢を買った、これも498円。



8月某日 深夜のテレビ
また、たまたま「今夜も生でさだまさし」を見てます。
今夜は大阪から。ファンのハガキを読んだり、ギターを弾いたり、まるで、ラジオのような、ほのぼのした番組です。8月29日は焼き肉の日ですって。よし、献立 決まり!



8月某日 夜空
 犬の就寝前のおしっこに、外に出る。12時。
月がまんまるで、煌々と輝いている。星もちらちら見える。星がきれいだ。そして、天の川を見上げていた頃を思い出し、死ぬまでに、もう一度天の川を肉眼で見たいなあと思った。
はじめて見たのは駒場小学校3年の頃。学校の隣のT大の丘で、真夜中に弟の先生とその生徒たちといっしょに見たのだ。あの頃は先生が教えてくれた星座もみんな覚えたのに、今ではすっかり忘れている。もう、東京では見えないだろうな。

 以前、<死ぬまでにやりたい10のこと>?という本が、流行ったことがある。病み上がりの頃、おまえは何がしたいんだと聞かれて、何も思いつかなかった。
ノートに書き出そうとしたが、映画に行く、海外旅行にいく、住みやすい家を建てる、と書き連ねてはみたが、線を引いて消した。そういうことじゃなくて、私がほんとに望んでいたのは、夫婦、家族が和気藹々と暮らしたいのだと気がついたからだ。皆には、強引でわがままに見えたらしいが私が思っていたことは自分自身の個人的な願望ではなかったし、一人の思い込みでなしうるものでもなかった。外面と反対に、個というものがなくなっていたことに自分で驚いた。そして、希望を捨てた。

 それでも、この頃、夏の底抜けの青空を見ていたら、死ぬまでに、もう一度海で泳ぎたいなあと思った。

昔の私は、生き生きと生きていたのだなあ。願いはみんなもう一度・・・だもの。



8月某日 熱中症の心配
 Aさんが「夜、夫に電話するの、生きてるか確かめるため」と言うから、びっくりした。
50代のAさんのツレアイは単身赴任で大都会にいる。ワンルームマンションに一人暮らし。エアコンなし。
 「え?いまどきエアコンがないの?付ければ?」と聞くと、「私もそう言ってるんだけど、ケチなの、付けないのよ、」とAさん。
 このところの熱中症ニュースは老人だけでなく若い人の死亡も伝えている。20代男性ワンルームマンション冷房なし就寝中に熱中症で死亡などと。それで、人ごとじゃなく心配で、毎夜電話をするのだという。・・・この夏は笑えません。
 このAさん、8月初旬に会ったとき、「もったいなくて一人の時はエアコン付けないの、暑いわねえ」、と言うので、そのときは、私もよ、と返事していたが、こんな酷暑になって、私はさっさと宗旨替えしていた。
ご亭主がそういう人だから、自分も遠慮しているのかな、専業主婦の鏡でいらっしゃる!



8月某日  『獣の奏者』読了
2巻目を図書館で借りて、そのままソファーに座って読み上げてしまう。3巻4巻をもって帰るが、だんだん、読みが遅くなる。読み終わるのがもったいないので、手を出したくないのと、話が獣の世話から、国の起源の秘密、内紛、外交、戦争と深くなってきたのだ(文章は平明ながら)。
それでも、ベッドに入って読み始めると眠剤を飲んでいるにもかかわらず3時まで読んでしまう。目覚めて続きを読む。読了。

いつかちゃんと感想をまとめるだろうけれど、今の私にはこの本のテーマが今年読んだ『古事記』(坂田安弘著)の「修理固執」ー治してよくしていく、これで完成と言うことはないーに通じる様に思えた。
疑問を持つ、考える、工夫する、治す、解決の道をたどる。もちろん苦しみつつだが前進している。そこに、魔法・魔術はなく、戦争忌避でも賛美でもなく、押し寄せる敵には対峙するが打ち負かすのでなくアウフヘーベンを考えている。さわやかだった。日本国もかくあるべし。(小学生も読めるYA本として☆5つ)



8月某日 秋
ホームセンターの入り口に「新潟米」と書かれた米袋(紙製、30kg入り)が平置きで売り出しはじめた。
夜のNHkニュースで柏崎での稲刈りを報じていた。例年より早いという。暑さのおかげ?
涼しい秋よ、早く来い。



8月某日 『獣の奏者』に はまる
 図書館の返却コーナーにあったので、上橋菜穂子、あまり好きではないけれど、まあ読まずに返すかもと思いながら借りてきた。それが、・・はまった。一気に読んだ。読まされている感じ。青少年向けのYA本です。
ときどき、こういう、ストンと心が入り込む本に出会うのです、『ゲド戦記』『大地の子エイラ』『空色曲玉』など・・・。
これは、もう少し軽いレベルで。病んでえさを食べなくなった聖なる恐竜を世話する少女が主人公なのだけど、日常の生活はこれ工夫の連続である主婦感覚に、訴えるものがあるのです。
 2巻目を読みたくて、また図書館へ行ったが借り出されていて、ない。ツタヤに行ったら全巻そろっていた。買うまでもないと思っているので、立ち読みしていたら、あらら、どのくらい時間がたっていたのでしょう150頁ほど読んでしまった。ちょっと、みっともなかったかな。
 帰って、遠くの図書館に予約を入れた。あさってには読めるはず。



8月某日 雨
お盆の季節に、迎え雨。室内の湿度は80%。
カビ臭い。



8月某日 暑い
尋常ならざる高温が続く。ふ〜。



8月某日 『アサッテの人』を読む
怖かった。あちら側へ行ってしまいそうになる。
諏訪哲史著。芥川賞・群像新人賞W受賞作の帯につられて。




8月某日 米原万里の本から
『打ちのめされるようなすごい本』で取り上げられている本は読みたくなる。そこで推奨している『魏志倭人伝の考古学』に興味を引かれて、アマゾンで即、注文をする。
翌日には到着。便利な世の中になりました。
佐原真著、これも絶筆の本。弥生時代の考古学者の大家で、長岡に講演に来られたとき、『少年少女マンガ日本史 1』にサインをねだったのは私です。



8月某日 米原万里の本から
 本業はロシア語同時通訳。読書家でもあり、本業エッセイとならんで、書評も多く、現役の女性の書評本では新潟出身の斉藤美奈子と並んで、愛読してきた。
 このところ読んでいたのは『打ちのめされるようなすごい本』。1995-2006年の全書評と、自身の壮絶なガン闘病記である。
 「癌治療本を我が身を持って検証」してやろうという記録であり、体力気力が戻ったら『お笑いガン治療』という本をまとめたかったというほどの悲喜劇を体験。
2年前に卵巣癌手術、1年前にリンパに転移、2006年逝去した。
無念だが、いいかげんな温熱リンパ球療法、血液浄化療法、免疫療法の本が、本屋では、今もまかりとおっているのである。怒り、ふつふつ。

 とりわけ最後の免疫療法は新潟大学の(やっと退官した)安保徹教授の提唱。実際に施術しているのは関東の私大出の医師が多いようで、治療は自由診療で高額。米原が、見せられたビデオに、これは肉体内か実験室かとか、人の細胞か否か、と質問攻めにすると「いちいち、こちらの治療にいちゃもんをつける患者ははじめてだ、治療費を全額返すからもう来るな」と言われた。
『奇跡が起こる爪もみ療法』『免疫革命実践編』などは、いまも紀伊國屋書店新潟店では平積みになっている。
おいおい、本県医師は、(福田稔医師の他)誰もが無視している臨床実験も確定していない(動物実験レベル)の一学説・まゆつば療法なのですぞ。

近藤誠医師の至言「いかがわしいものであればあるほど、大金を支払わされている」
皆さん、怪しげなものにとらわれないように、ご用心。
前向きに、かつ、諦観もまた、かんじんです。



8月某日 暑さ、中休み
日本海を台風が北上中です。
どんなに酷い雨風になるかと戦々恐々していましたが、雨もしめやかに降り、風も強くなく、飛行機のフライトにも関係なく、ただただ、ひさしぶりの涼しさを満喫しています。33℃、34℃、36℃という日が続いていましたので、28℃はうれしい気温です。
クーラーを付けず、窓を開け放っています。こんな昼間は何日ぶりでしょうね。



8月6日 暑い
 暑さで目が覚める。枕元のデジタルの時計兼温度計は五時半、31.5度を示している。
クーラーを付けて、汗をひっこめてうとうとし、起きて窓を開けるけれど、すがすがしい朝の香り、風、冷気はない。むっとする熱気が入り込んでくる。
 なんて日になるんだろう、とうんざり。岐阜や群馬は38℃だ39℃だといっているが、そんな中で、クーラーがなかったら、どうやって息をしているのだろうね。
今日一日、熱波の中に時を過ごすのかと思うと、ええい、いっそ暑さの中へ、と垣根の剪定を始めた。ふだんは汗をかかない私だって、びしょびしょとたらたらと汗が流れ、そのまま風呂場でシャワーを浴びた。うーん、爽快。



8月某日 ラジオはともだち
 往年のDJ亀ちゃんこと亀渕昭信もなぜかNHKに出ている。オールナイトニッポン以来、ラジオ局ニッポン放送の顔、最近まで社長じゃなかったっけ?ホリエモンの買い占め騒動の頃。
 今は退職してフリーになったそうだが、NHKで聞くことが出来るとは。深夜放送を聞きながら勉強をしていた我らが世代がターゲットだね。「いくつになってもロックンロール」火曜午後9時45分からです。



8月某日 ラジオはともだち
 先日、「生協の白石さん」が出ていた。NHKでどうどう生協の宣伝をしていてびっくりした。
「ダイエットしているのにアイスクリームが食べたくてしかたがない。そしてたべてしまう。世の中からアイスクリームを亡くしてください」という女子からの投稿に、白石さんは「それは無理です。アイスもどんどん食べていいです。それを消化するために運動をするといいでしょう」と答えていた。やさしくて、的確な白石さん。
 農大の生協で、組合員からの投書に答えていた頃(学生が作ったブログで有名になった)からの、ファンです。



8月某日 ラジオはともだち
 絶叫することなく、こびることなく、ふつうの話し声で、語りかけてくれるから、私はラジオが好き。

 今どきは、NHK「夏休み子ども電話相談室」がいちばん。
 「きゅうりはなんで大きくなるとまがるんですか?」の質問に、先生は「肥料と水不足。少なくとも2Lの水を」と答えていた。少年はプランターで育てているという。聞きながら、窓の外に目をやると、私のプランターの小さな胡瓜がくるんとまがってぶら下がっていた。あわてて、肥料をまきに行ったのはもちろんである。
私のような視聴者は多いらしく、電話は子どもからしか受け付けないが、メールやお便りは高齢者からのお礼が多いそうだ。そうだろうそうだろう。役にたってます。



7月末日 カラスの話
 春から夏は子育ての季節。家族単位で巣に暮らしています。それが、だんだん群れに入っていくのが夏から秋。冬には大集団で移動したりします。
夕暮れ時にねぐらの森に向かって、カラスが大勢で飛んでいるのを見るでしょう。春はああいうことはないのです。
 もう、子どもたちもずいぶん大きくなって、ちゃんと飛べるし、地面をつついて虫などを食べています。そして7月のはじめには、大勢で集会を開いていたのです。ああ、自立したんだなと思いました。
 ところが、今も、まぁだ家族で暮らしているようなのですよ。
近所のケヤキの大木の巣のあたりから、ときおりグルルグルルグルルと、子どもが親にエサをもらうときの声が聞こえてきますから。まあ、過保護だこと。
ほんとに、カラスは慎重な子育てをしているんですねえ。



7月某日 ラジオ体操
 夏休みに入って、公園で子どもたちのラジオ体操が始まっています。我が子たちの時代は、父親は誰一人参加せず、母親が交代で、ラジカセを持っていって放送を流してラジオ体操カードにはんこを押してあげたものでした。
今は、それはお父さんの仕事のようです。
よその地区のように老人はいなくて、男の子とお父さんが目立ちます。男性の子育てが当たり前になってきたのですね。いい時代になりました。



7月某日 木曜日
ゴミ出しのない日。ホッ。


  と書いたのは9時。
そして、悠然とパソコンなんかを始めていると、
あれっ!?外で、赤とんぼのオルゴールが聞こえる!
ゴミの収集車のメロディー。あああ、きょうは水曜日だわ!せめて、と生ゴミの袋を持って走る走る、あ、目があった、待っていてくれる、ありがとうー。
私、走れるんだわ、と喜ぶ。でも
ぼけてるんだわ。
朝、見に来た人には、はどそんのボケがバレバレですねえ。
はい、こんな日常です。めげながらも、よい効果もあって、人にやさしくなりました。人みな私よりマシ。



7月某日 ほんとに早い!
 朝の9時前、家の前を救急車がサイレンを鳴らして通る。あれ?道路工事が終わったから、こんなところを通らないはずなのに。
 サイレンの音が消えた、近くに来てる?
外に出てみると、公園の向かい側に止まって、ストレッチャーと毛布を持って救急隊員がアパートに入っていく。
消防署を出て、30秒。道路で一時停止していたとしても、1分。
 早いねえ、家の外で一軒先のおばあちゃんと立ち話をしながら見ていたが、なかなか誰も出てこない。また搬送先が決まらないのかなあ。
すぐ救急車が来てくれてありがたいですねえ、ここは、と話しながら、家に戻った。数年前ここのおじいちゃんは急死されているのだ。足が悪くてヨロヨロしているおばあちゃんを、一見 元気そうなおじいちゃんが車を運転して病院へ送り迎えしていたのに。
 
 それからサイレンの音もなく、救急車はいつのまにか、いなくなっていた。緊急に、搬送しなくてもよかったのね。新しいアパートだから、年寄りはいない。チビちゃんの誤飲だったかもしれないね、わかりませんが。

とにかく、近くに消防署があるのは、私としては心強いのです。



7月某日 車も熱中症?
 昨日のひるどき、家人の車の防犯ブザーが鳴った。本人は会社の車に乗って出勤しているので、これは駐車スペースの一番奥に置いてある。私が足の具合のいいときに、たまに借りるくらいで、ほとんどおきっぱなしの車である。
 とつぜん、ものすごいサイレンの音がするので、何事かとビックリして、家の中を音源を探して歩いたが、何もなく、外に出るとこの車から音が出ていたのだ。
周囲に誰も居ない。どうしたら止まってくれるかしらんとオロオロしている間に止まった。
 盗まれそうになった?いや、この車の前に軽自動車が置いてあるので、鍵をこじ開けても盗んではいけない。車内に一眼レフが置いてあるわけでもなく車上荒らしでもない。
 家人に、車屋さんに電話をして問い合わせてもらうと、バッテリー上がりかもしれないといわれ,、車は修理工場に入院。
 けれど、バッテリーは異常なし。他の検査もクリア。
なんだったんでしょうね原因不明です、コンピューターはそういうこともあるんです、と言われて退院してきた。
  おぬしも熱中症だった?



7月某日 熱中症
家で昼寝をしていて熱中症に。頭が痛い。

ソファで横になっていたらいつの間にかウトウト。クーラーも効いていたのですが、目覚めると、太陽が回ってきていて、窓から頭に強い日差しが刺している。頭が熱い。
ぼーっとして、立ち上がれない。水を飲んで起き上がるが、頭はズキズキ。こめかみに、首の付け根に、痛みが張り付く。吐き気もする。これはやばい。
日差しが入り込んでいるので、設定温度28度でも室内は30度以上。それも直射日光を1時間も浴びていたのだ・・・・。
頭に保冷剤を乗っけて、ごくごくと、ひたすら水を飲む。
夜になって家人が帰ってくると、痛みもさらに強くなる。?
鎮痛剤イヴを飲み早々に寝た。この薬に睡眠効果はないので、2時間もすると目が覚めたが、頭痛は消えていた。よかった。治った。でも、
その後、うつらうつら夜を過ごしたので、寝た気がしない。6時半の目覚ましで起き上がりはしたが、なんだか寝不足。それで、朝の仕事がひととおり済んで、ソファに横になる。とろとろ。いけないいけない、また昨日の悪夢が・・・。



7月某日 スイカとトウモロコシ
 おやつはスイカとトウモロコシ。スイカは新潟特産?「甘太郎」。種がない。糖度12.5度が売り。けれど、その後に食べたトウモロコシのほうが甘かったよ。 



7月某日 暑い暑い暑い
 ここまで暑いと、クーラーつけっぱなしの室内にいるしかない。テレビでも熱中症対策に冷房を付けるよう老人に勧めている。きょうは小学校に救急車が来ていた。熱中症かな。
 友人のツレアイが2階の自室が暑いので図書館に行ったのだって、そう話したら娘も、そう、2階には居られないの、とめずらしく1階でくつろいでいる。もちろん、どちらの部屋にもクーラーはあるのですが。
 マンションの最上階に暮らしたことがある。夕方あんまり暑くてクーラーが効かない。そこで屋上に水をまきにいった。コンクリートは触っていられないほど熱くなっていた。屋根瓦もだね。

 いっそ、外仕事をするほうが爽快と草取りをした。汗だくだくになるが、真っ昼間は蚊も出ない。かんかん照りのもと、びっしょりになって、顔を洗って着替えてクーラーのある部屋で涼むのも、心身とも爽快感あり。おお、おとなりさんも。 エッ、あなたも?



7月某日 消防署論議 1
 消防署が近くになって、救急車がすぐ来てくれるから安心だわと言ったら、家人は怒った。その話を聞いた息子も、そうだと相づちを打つ。
あとから、娘にくどいたら、倒れるのを待っているように聞こえるんじゃないのと諭された。
でも・・・・、夜中にしょっちゅう無呼吸になる人がいるのよ、急に心停止とか脳卒中とか起きても、救急車がすぐ飛んできてくれれば、まずは助かるでしょ。救急車が出払っていても消防車には全部AEDを備え付けてあるんですって。設備のいい総合病院へも高速道路を使えば10分以内で行けるし、私には心強いのよ、と解説すると、納得してくれたが、私、口べたかな。



7月18日 蝉の声
 夕方、公園でアブラゼミの声がしました。ジージージーと。ことしの初鳴きです。
庭のオカトラノオの葉に蝉の殻が付いていました。この子かな。夏です。
 きのう梅雨が明けました。とたんに34℃の猛暑です。
この夏は冷夏冷害という予報もありましたが、どうなるのでしょうね。



7月某日 消防署
近くに消防署が出来て私は喜んだが、家人は、反対で、消防署なんかうるさいだけだ、それを喜ぶおまえは変だと怒る。たしかに、にぎやか・・だが、と話すと長くなるので、これはまたあとで。

さっき、消防車が出て行く音がした。2台ほどなので、ボヤかな。

先日、4台も続々出て行った。あんまりにぎやかなので、外に出て消防車を見ていた。トラックのようなのや、工作車もいる。火事じゃなくて交通事故かな、なんて考えていた。
夜、テレビニュースで、1才の幼児が家の前の川でおぼれて水死、と報道していた。すぐ近くの川でした。それだったのか。



7月某日 弁護士受難時代に怒る
 新聞の折り込みチラシに、東京の弁護士事務所の地方出張相談会の開催を伝えるものが、このところ、ひんぱんだ。
さすが、県庁所在地N市では、弁護士事務所も多数あって、弁護士会もちゃんと活動している。けれど、周辺地区には、つまり田舎には弁護士はいない。そこをつけ込まれている。

 司法試験制度が変わったのだ。改正ではない。改悪としか言えない。
腹が立つほど試験は甘くなり、大勢合格させておいて、裁判官・検事採用は増やさない。アメリカのごり押しで弁護士を増やすためと漏れ聞いている。
本来、裁判の迅速化を目指すなら、裁判官・検事枠を増やすべきなのだ。それを行政改革という名の改悪のため、裁判員制度なんかが導入され、現役の仕事量はむしろ増えている。じっくり審議したり、調査している余裕は減っているはずだ。まったく矛盾している。
そして、まともな弁護士事務所では、急には、初心者を増やせない。マンツーマンで見習いをさせて一人前にしていたのだ。弁護士会でのマニュアルや養成システムなど、まだないのだろう。
 だから、資格だけ与えられ、放り出された若い弁護士見習は職がない。

 しかたなく、新興のあやしい事務所ー多重債務処理をテレビ宣伝し、折り込みチラシ宣伝を出す事務所ー依頼人保護というより依頼人を食い物にすることもある危ない仕事に手を染めている。染めざるを得ないほど、仕事がないのだ。
 昔は、何年も浪人してやっと、弁護士になった人はめずらしくない。(正義を重んじる志から受験する若者が多かったが、弱者、労働者の味方をしていても、それなりには食っていけた。)しかし、新しくなった法科大学院制度は、ここを卒業しなければ司法試験の受験資格を与えない。しかも、法科大学院は乱立し、聞いたこともないような私立田舎大学に併設されていたりして、当然、合格者はでない。お取りつぶしになる大学院もでてきた。入学者は授業料の取られ損で、人生を棒に振る。前よりももっと悪い。
 しかも、2年間の研修中の司法修習生には給与が出なくなる。なんてことだ。返還の要のある奨学金が出るという。なんと、世に出るときはローンを背負って出ることになる。学費の重荷の他にだ。そうなれば、私立医大の卒業生のように儲かる楽な仕事に向かうようになるじゃないか。なんてこった。
 昔、無給医だった研修医も給与が出るようになった(しかもアルバイトで稼ぐ手立てもある)。国の根幹を守る海上保安大学校だって、自衛隊看護学校だって、学生に給与がでるのに。日本は三権分立をつぶす気か。

 あんまりだと思ったのは、同級生からきた手紙をみてだ。
彼は苦節何年のすえ弁護士になり、成功して、同期の星だったはずの男子からだ。年賀状だけのやりとりはあった。
それが、この還暦を過ぎた頃になって、はじめての営業案内ーお知り合いにご推薦願いますーという、ダイレクトメールが来た。ここまでしなくてはいけないほど、乱立し、切迫しているのか。ああ。



7月某日 求人チラシ
新聞の折り込みチラシで、新聞社の子会社がやっている求人チラシ。求人の数が減って、半分は解説欄になってしまっている。数少なくなった求人の1/3は看護師、介護士募集だ。市立病院の看護師がチラシで応募などするものかは。
景気が良くなっているってほんとう?
そうとは思えない。

消費税を上げると言って民主党は惨敗した。やっぱり。




7月某日 MRIに行って
 5月、首が痛いと病院へ行った。シビレがないなら神経は大丈夫です、と言われた。だから痛みがなくなるか、なくなりゃしない。
ご希望があればMRIをしますが。ハイ、希望します。では、7月に。え〜!
 股関節の件も聞きたかったのに、専門外。去年診てくれた先生(教授戦には敗れたが県下では第一人者)が診断されたならその通りです、だって。持参した写真も見てくれない。

 15才でぎっくり腰を発症。それ以来、テニスのサーブをしたり、出産をしたり、ビール箱を持ったりで 再発、そして、病院でレントゲンを撮っても異常なし、ぎっくり腰ですねといわれ、鎮痛剤を出されて終わりだった。
病院の診察待ちの苦しみ痛みのほうが強くて、その後はただただ自宅安静でやりすごしてきた。

 おととし、はじめてMRIで椎間板が磨り減っていますといわれ、これは老化だから治りません、と宣告を受けた。
 去年、股関節に激痛が走って動けず、しばらくしてMRI検査に行って股関節の軟骨が磨り減っていると判明、これも老化のせい。鎮痛剤しか治療はナシだった。
 そして、近々の首の痛さ。動かすとゴキゴキいうのは、これも軟骨減少のせいか。ひざもパキパキいう。あごも開かない。
体中の軟骨がなくなっていったら私はどうなるのだろう、そんな不安が広がっていたのだ。

 というわけで、7月になって病院へ行った。暖かくなってきて痛みはもうずいぶん楽になっていたけれど。
20分、MRIのゴトゴトガーガー言う機械の中に入って身動きせず辛抱。その後、待合室で待つこと40分、診察は3分弱。

異常ありません。猫背ですね。姿勢を良くして、時々首を伸ばしてそったり、体操をするといいですよ。

ぎゃふん!!
胸を張って歩けるような気分が、ずっとなかったからだねえ。
Aさん、ご心配かけました。
でも、何年か後に、西洋医学の検査にやっとこ引っかかるのだろうね。それは、もっと悪くなったときだね。
とにかく体操だ〜。



7月某日 選挙
誰に、いやどの政党にいれよう、いれたい政党がない。
そう言ったら、家人は白紙で出せばいい、と言う。なるほど。
けれど、ささやかな抵抗の意思表示にはなるが、それでは国政を動かせない。

何で、この期に及んで菅首相は消費税に言及しているのだろう。不利になるのは目に見えているのに。
財務省からせっつかれているのさ、と家人は言うが、それだけかな。
普天間、小沢・鳩山の政治資金を、つつかれないためではないかな。

昔からの野党のように、庶民のため法人税引き下げ反対・消費税引き上げ反対とだけ言ってても、財政がタチ行かないのもわかる。
法人税は、他国に比べて高いので、もうけているファンド会社は、すでにシンガポールなど税金の安い国へ本社を移している。今のままでは、大型企業もそうなるだろうね。
消費税は、基本反対だが、他に道がないなら食料費を抜いて増税もやむナシか。
いまだって取るだけ取って国に治めていない小売業者が居るし、大企業だって抜け道がある。

おそまつとはいえ、旧政権に復帰させるのはまだ、早いようにも思うのだが・・・・。うーん、まじめに悩んでいる。



7月某日 ゆうパックが届く
配達の人に声をかけずにいられない。「たいへんね、ごくろうさま」
郵便局の民営化のときも窓口は大混乱していた。さっさとやれ!と言って窓口の職員に殴りかかっているじいさんを私は見た。
今回のペリカン便との合併も、シミュレーションもなくては、現場の人たちは困っただろう。コンピューターが違えば手順も違う。しかも配達は時給いくらのパートさんたち。机上の計算だけで人は動けるものか。



7月某日 大相撲
野球賭博が問題になっているけど、本質は「相撲賭博=八百長=暴力団がらみ」ではないのかな。大相撲は興行だから、地方の勧進元は昔は親分衆だったのではないかな。腐れ縁もあるだろう。
相撲協会そのものも、金で年寄株だの親方株だのをやりとりしているではないか、横綱でもない力士は、どこからその巨額な金を用意するのだろうと不思議だった。
テレビ・新聞ではその核心を言わないねえ。あ、この前二宮清順だけが口にしていたね。
元相撲記者とか元力士の評論家は皆口をつぐんでいるけれど、あやつらも、あやしいぞ。貴乃花を理事に推挙した一派だけがやり玉に挙げられているが派閥争いなんじゃないか、と変に思っていたが、当たり。
原信で立ち読みした週刊誌には、ちゃんと書いてあったぞ。



7月某日 暖房を切る
トイレの暖房便座のスイッチを切った。
ひんやり感が気持ちいい。



7月某日 テレビ見てる
 ボッーと見ていたり、つけっぱなしにしていたり。
歳をとるとそうなのよね、なんていわれたり。
だから日本人はばかになる、なんていわれたりする。

 「歌うコンシェルジュ」で半径5メートルを歌う「まいこの時間」に共感してる。やっぱりNHKだわ。
「みんなの体操」も見てやってるよ。
「ゲゲゲの女房」も調布市案内とたのしみにみているが、おわるとすぐにチャンネルを変える。「あさイチ!」の女性アナウンサーが嫌い、でしゃばりで、昼のインタビューでも目障りだった。NHKらしい格調も見識もなくなって久しい。この時間帯は鈴木健二さんからはじまっていい番組が続いていたのになあ。

 午前午後のワイドショウをつけっぱなしにしていることも多い。だいだいだいっきらいな司会者の「DON!」も、なんとなく、見てしまって、しまったと思う。
上から目線のみのもんたも下ろされ、司会者もゲストも年が若くなるのはいいけれど、時代に迎合するだけのカメラ写りのいいタレント、芸人ばかりなのも、情けない。
という私ら老境世代なんぞターゲットにしていないのだろう。若い人は軽いノリが好きなバカなのか、バカにされているのかどっちかだ。
(ワイドショウをみているのは、内職の関係で、突発事件災害のニュースが早く知り得るからなのですがね)

ドラマも見ていない。見るに堪えないもの多し。たまに良ければ重すぎる。
夜はチャンネル権を家人に独占されているので、NBLバスケットボールか、野球か、サッカーを静粛に見ている。ドラマもお馬鹿タレントクイズもえせ医学情報番組も、見るに耐えん、そうな。ニュース番組も、半分はこんなもの(選挙中の党首の食事風景など)を取り上げるな撮させるなと文句を言いつつ、いやそれはさあ、などと言わないように心がけて見ている。

だから深夜ひとりで、「デスパレートな妻たち」、「モンク」、「ER」や歌舞伎浄瑠璃を見ている。

そうそう、ラジオではまだ「話の泉」や浪曲をやっていてびっくりした。



7月某日 誰のことよ
「みっともないかかあはそとにだすな」

 テレビで管首相が海外へ出発する飛行機のタラップの映像が流れていた。そばに夫人が和服で立っている。
それが気に入らないと家人が口にした言葉。ちゃんと洋装で行けと言う。
 彼流には、着物なんか海外で通用しない、みっともないという見解(あら、扇千景は和服で参議院議長をしてたわよ、晩餐会でも和服が正装よ。)
国内だけだ。海外では通用しないぞ。ちゃんとしたかっこうで行け。(そうかなあ。)
いままで、こんな着物を着てチャラチャラ出て行った女房はいないだろう。なんで付いていくんだ、出しゃばりすぎだ。(今までも皆さん、夫人同伴ですよ)
亭主はあれでいいと思っているのか。それでは管もダメだ。  (といいつのって、この言葉)
 だがしかぁし、いつもそっぼをむいて口をきく方が、その言葉を言うときだけ、こっちを向いてやけに滑舌よく話していない?



7月7日 七夕なのに
曇ってる。天の川が、ことしも見られないで残念です。



7月某日 高速道路無料化の余波
 もよりの高速道路が無料化された。
今までそれを利用して通勤していた知人は高速道路を使うのを止めた。
 なにしろ一車線の対面交通である。
慣れない、あるいは法令遵守の良き民は時速70qを守って走行する。そういう近距離利用の軽自動車が増えて、一気に速度が落ちて不愉快だという。それまでは空いた道路を皆さんぶっ飛ばしていたのですね。
事故があれば身動きできなくなる恐れもあるとかで。

 無料化されて、はじめての日曜日、高速道路の先端まで買い物に行くのに私も同乗してその様相を体験した。日本海沿岸縦断道路のはずが県北で途切れている。それゆえ利用も少なく、それゆえ無料化された。
 そして道路は、予想どおり混んでいた。対面の車も途切れない。自然渋滞になってはブレーキを踏んでハザードランプを点けている。ちょっと怖い。帰りは高速を使わず、一般道路を通って帰った。
 翌日、利用統計がでて78%増だったそうだ。ただより安いものはないが、いいのかなあ。

私は、高速道路は全線オール半額が良いと思っている。



7月某日 梅原猛と出雲、ひと月。
 図書館から借りた今年刊行された『葬られた王朝ー古代出雲の謎を解く』を読んでいた。貸出期間は2週間なのに・・・。
考古学・古代史大好きの私、しかも最近はまった「古事記」がらみなので、たのしくて終わりたくないのと、
梅原さんの話は歴史の検証を飛び越して、想像妄想独断に走ることが多く、どこまで史実にあうのかと考えながら読んでいるので進まなかった。
 さあ、頭を下げて返してこよう。

 梅原猛は40年前『神々の流竄』という本の中で、記紀の語る出雲神話は全くのフィクションであると書いていた。
その後、荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡などの発見で銅剣、銅鐸などが出土、出雲大社に巨大建造物のあとが確認され、出雲に大王国が存在したことが揺るぎなくなって、自説は木っ端みじんに粉砕された。
ところがどっこい、この人は、きれいに自己批判して、自説を引っ込め新たに書き直したのである。これは考古学学者歴史学者には出来ない芸当ですな。 ということで、おもしろかったです。

 記紀に書かれているように、スサノオが出雲王国の礎を築き、その子孫のオオクニヌシノミコトが、数多い兄弟の末弟(しかも母の身分は低い)ながら、王位を獲得、その当時大きな勢力を持っていた越(新潟県ですぞ)のヌナガワ姫をめとり(つまり越を征服したということ。ヤマタノオロチは古事記では「高志の八俣のをろち」と書かれていて、これこそ、北陸の豪族勢力の征服。風土記ではこれは大国主命の偉業とある)、大和政権樹立まで、日本のおもな地域を治めていた、と書き直している。
 スサノオ自体が新羅から来たという一説も紹介、出雲の国引き伝説の、新羅と越を出雲に引っ張ってきたというのも勢力下に置いていたことと解釈。
 スサノオのみならず、皇祖もまた朝鮮からの渡来人とと考えている私めには、そこは断定せず書かれているものの興味深いものがありました。

 藤原不比等が、自分が表に出ないよう上手に隠して、古くから伝わる神話の皇祖降臨の功績に自分の祖先をうまく押し込んだ記紀を編纂させたとか
天皇親政ではなく、すべて太政官を通す律令を作り、その後1000年の藤原氏栄華の礎を築いたとか、
「竹取物語」のくらもちの皇子は不比等をモデルに書かれた痛烈な風刺小説であるとか・・・
それでも彼は偉大な政治家だったと総括しているのは、今の政治を考える種としても、おもしろかったです。
 それにしても、後半で、本居宣長説、津田左右吉説を批判しているのですが、彼らとて、現代の発掘成果を知らずに、もっぱら、文献学から記紀を論じていたのですから、間違ってはいても著者に同じくで、目くそ鼻くそを・・といっても過言ではないのでしょうか。

なんていってる私めは、タカミムスビだオムスビだとかいう名前が覚えられなくて苦労でした。
 


7月1日 夏か
 クーラーの試運転をする。コタツに入りながら。もちろん電気は切ってあるが、足もとは冷える。
 カレンダーを剥ぐ。田植え、琵琶の実、青い富士山から金魚、入道雲、朝顔に替わった。
 東京の子供から、お盆はどうするの、とメールが入る。こちらはいつもどおりよ、休みが取れたらお出で、と返事をした。産直広場では盆花の予約が始まった。
プランターの朝顔が咲いている。
世の中はもう夏だ。