はどそんのつぶやき2011

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12月某日 今月の読書
『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎×大澤真幸)
 そう簡単に読みこなせないが、講談社の新書なので持ち歩いている。なんか読む物ないかなあと言っていたら子どもが推薦してくれた。interest !
迫害に迫害を受け、さすらっていた民から生まれた宗教だ。私は死海文書も好き。日本語の字面を追っている「エホバの証人」なんかの話をまともに聞けるものか。
読み終わらずに年を越す。
『聖☆おにいさん』(中村光)も、この流れ(ノリ?)で読んでいる。



12月某日 フェルメールのすごさ
ラジオ情報。ラビスラズリは純金と同じくらい高価だった。フェルメールの青はそのラビスラズリを使っているのだと。オランダ市民の財力はすごかったのだねえ。



12月某日 しまむらではらまきを買う
これは、良い。 ¥780。



12月某日 貼ってはいけない貼るカイロ
整骨医にかかっているとき、カイロを貼ると生体の快復力をなくしてしまうから貼ってはいけませんといわれた。でも、寒い時は重宝するよね。
というわけで、冷えて冷えて困る昨今、お尻のえくぼ(ここが冷たいのよね)に小さいのを二つ貼って親の入院している病院に通っていた。うん、足がスムーズに動く。
ところが翌日、この箇所が猛烈に痛い。そして腰が痛い。足も上がらない。
このことか・・・・・と、N整骨医先生の言っていたことが体感された。



12月某日 おとなだから
感情のおもむくままに言えば良いというものではない、と
精神科医から言われました。
胸にしまい込んでいることもあります。



12月某日 ラジオで聞いた白血病の話
 風邪だと思って、近くの医者にかかっていた。気管支炎から肺炎になって、なかなか治らない。大きな病院を紹介されて検査をしたら白血病だった。私は医者に助けられたのでなく骨髄移植でドナーに助けられた、と語る女性は福島で被災し、埼玉だかに避難中の人。
同じ病気を経た人と結婚し、子どもを授かっている。
そんな経過だったのかな、友人の子どもがいま闘病中だ。
こういう幸せな結末になって欲しいと切に願っている。 



12月某日 はしご
 義母の介護をしていたKさん、
「気晴らしにレストランにいったりしてたわ」
  (そうだそうだ)
「でも、もったいないから、続かない」
  (そうだそうだ)
「それで、スーパーのはしごをするの」
  (そうだそうだ!)



12月某日 共感が大事だとおもいます。
 よくやっていると思いますよ、
と、一年近く経って、ツレから言葉をかけられた。
うれしい。そういう言葉は早く言ってほしいよね。
無意味に生きてる老人が日本の医療を破壊してる、といわれyて小さくなっていた。

実母を介護していたUさん、
子どもと違っていつまでがないのが辛いのよね、と。私をはげましてくれる。
99才まで母親を介護していた彼女から比べると、
私の苦労は屁でもない。まだ親は87才。



12月某日 好きでない
犬。 
日中、足の爪を噛むほかにすることはない。
世話はする。可愛がる。
でも、その生き方は辛い。
吠えるクセは直らず怒ってばかりいるが
一日吠えないと心配になる。体中を調べた。
なんともないが、医者に行こうか。
郵便屋さんが来たら吠えた。安心した。
いま 犬は足元に寄り添って寝ている。
嫌われているわけではなさそうだ。




12月某日 老人たち2
点滴だけで生きている人もいる。
逆境に強い人間なのかな、元々が。



12月某日 老人たち
昼ご飯から帰ってくると、夕飯はまだかねえと言っている人。
ばあちゃん元気らかねと見舞いの身内が来ると、オレがうちに帰っても嫁に迷惑をかけるどうしょうと嘆くばあちゃんに、ばあちゃん自分で歩けるようになればめいわくはかけねえからがんばれやと声をかけられる人。
夏の炎天下に5時間も連れ回され60万の布団を買わされて倒れたんです、私は断れなくてね、息子が金は取り戻してくれたんですが、と話かけていくる話し下手で友達がいないという人。
 母はリハビリ病棟の4人部屋に移った。車椅子3人、歩行器1人。
めんどうがって話をしない母。結局、行ってやらないとぐったりしている。
 先週、整形外科ではもうすることはありません退院もできますよといわれて、フーッと気が抜けて一日寝込んだ。なんと回復の早いことか。
そういわれてもまだ歩けないので、整形外科の病棟からリハビリ専門病棟への移動もできるが、という話に乗った。母はリハビリの厳しさを聞いていてびびっていたが、はじまってみると元気な青年療法士が午前午後ついてくれて、日課は厳しいが指導は優しく丁寧で、メリハリのある暮らしが続いている。
 こちらは精気をぬかれっぱなしで、ご姉妹ですかなんて言われている。
自分の状態を検査するために他の病院にかかりはじめたが、その待合時間で腰痛を起こし、このところ見舞いもツレの運転に頼っている。
歩く姿も私はりっぱな老人だ。



12月某日 でてこい車のキー
以上

いえ、右手の手袋 二種も。
鼈甲ふうのピン。母に貸していたを取り返したのにどこへやったか。
ほかにも見つからないものいくつか。



12月某日 いい友
メールを打つと、同時にメールが来てる。気の合うメル友。
ハガキをポストに入れて帰ってくると、手紙が届いている。気の合うフミ友。
『図書』の「セキレキ荘だより」を読みあっている。佐伯泰英の(一時、私は、はまってましたが)小説はあまり好かない、けれども、岩波茂雄の残した熱海の別荘セキレキ荘(これを佐伯さんが買い取って修復した経緯を書いている)は気になるというところも気が合っている。



12月某日 雪ジンクス
雪が降る。 雪掻き一日目=腰痛再来日。イタッ。



12月某日 ジンクス守られる。
 失せ物発見です!半月も探していた手袋のことです。
洋服ダンス、衣装ケース、下駄箱。大事にしていたので、ちゃんと仕舞っているはずと、あるべき場所を3度も探した。押し入れ、洗濯機周り、帽子ケース・・・ない。
 春先は母の心不全の入院が続いていて、日々ボーッとしていたからゴミに混ざって捨てたかな、とあきらめかけていた。
 これまた、ある日、ハッと気がついたのです。財布・通帳を入れている小引き出しに、ここなら、いつも見ているからと仕舞ったではないか。その整理を半年していなかったなあ。
はたして、その一番奥に、つまりあるべくしてある場所に手袋は鎮座ましましていた。それを私が忘れていた。う〜ん。
大いに喜びながら、シュンとする。
錆びついて油の切れたギシギシあかない引き出しの奥の私の記憶。
そんな脳、NO〜!



12月某日 本町市場を歩く
 月曜の話。スーパーのバーゲンでは、98円やら68円のサンマをみるが、たまには高くても脂の乗った大きなのが食べたい。柳ガレイも、唐揚げ用のちびたのではなく、身の厚いのも、たまには食べたい。無性に食べたくなる。
祖母からのれんを引き継いだ片三鮮魚店の姉さんが、くも膜下出血で倒れて店じまいしてから、旨い魚が食べられなくなって久しい。あーあ、と嘆いていて、ハッとひらめいた、そうだ、新潟へ行けば本町市場があるじゃないか。
 そう閃いて、何年かぶり(十何年ぶりかも)に、本町市場へいった。商店街のアーケードの下、露天の八百屋も元気にある。古道具屋まであった。塩物屋も菓子屋も衣料品店も昔のままだった。

 お目当てのその公衆市場は、廃業した店もあって空きスペースもあるが、うれしいことに、鮮魚店はまだ3軒あった。そして、なつかしい、元おとなりさんだったこともあるS田さんの店もあった。(家に電話がない頃、呼び出しして取り次いでもらったこともあったっけ) 
そこで、出来たてのシメサバを切ってもらい、佐渡の寒ブリ(当然天然物)の刺身も買う。スタッフは見知らぬ顔の50代くらいの男女だった。そうだねえ、私の知ってるおばあちゃんは生きていれば100才を超えているわけで・・・。
でも、なんだか生魚は少なめだった。
 他の店に行って、1枚焼きのできるような中ぶりの柳ガレイも買う。
なじみ客(一切れ600円の山伏ガレイを買っていた元・芸者さんかな)と店主が話している。今日はなにがいいの、魚がないねえ?山伏が安いよ、年末になると高くなるからね、今のうちだ(これで安いの!?) 佐渡からは(魚が)来るから寒ブリも南蛮海老もあるけどねえ、月曜は新潟の漁師は休むんさ。
そうか、日曜は問屋が休みでセリもないのは知っていたけれど、夜中・早朝に出る漁も休みなんだね。月曜は新潟漁港の魚はないのか。今度は火曜日に来よう。
 塩物屋で時鮭を買う。切り身が、ばかでかい。肉屋で、手製のチキンロールを買う。これ、幼い子どもたちの大好物だった。家に帰り、30年も昔の好物をみせると、子は覚えていた。ツレは覚えがなかた(そうさ、その頃は家で夕飯を食べたことなんかなかったからね。仕事か飲み屋かそれとも、だから。)
骨もなく脂臭さもなく、甘いタレが美味しくて、なつかしい味にまた病みつきに戻りそう。

 これで、今週分の主菜が決まりだ。車はデパートの駐車場に入れ、市内共通商品券を買って、無料駐車券をもらう。友人から聞いた生活の知恵、近くのスーパーで使えるから。
 片三閉店の話がなくっても、私がここに買い物に来れるなんて、そんな足腰に戻れるなんて、驚くべきことです。母のおかげで、気は張っているし体もしゃんとしているわけで、何が幸いするか、・・・一寸先は闇ではなく光のこともあるのだ、わからないものですね。



12某日 でてこい手袋
アブラカダブラ・・・・
ビビデバビデブ・・・
スーパーカリフラジリス・・・なんでもいいけれど、
ここに失せ物を書くと出てくるジンクスにかけて。
     「でてこい手袋!」



12月某日 ひとのふりみてわがふり・・・言葉遣い
「○ムラさ〜ん、おむつかえますよ〜」
  ・・・・・
  ・・・・・
「きれいになったよ〜ん」 
看護師の声がカーテンの向こうから聞こえた。

 母が入院している部屋は二人部屋。当初は高校生の女の子がいた。足膝の半月板手術だった。ベッドのテーブルは試験問題集の山(すごい)にしてはいるが、当人はずっとイヤホーン使いでテレビを見ていた。
 女の子は退院して、今は施設から移送されてきた人が寝ている。いつも寝ている。看護師さんが声をかけても返事をしない。意識がないのかな。誤飲するから食べさせちゃダメだよと看護師同士の会話がもれきこえた。「禁飲食」の札が付いていて、点滴だけで生きている。
家族らしい人をみなかったが、週末に、上品なご夫婦が「こんにちは、○夫です。○子です。きょうはとってもおめでたいことがあるんですよ。91才のお誕生日おめでとうございます」といって尋ねてきた。「元気でいてくださいね」と、患者の声もカーテン越しに聞こえてきた。同じことを繰り返し言っているが、意識がないわけではなかった。
 さて、何が言いたいかというと、はじめの20代の看護師の言葉「きれいになったよ〜ん」は親近感のある言い方だが、聞いていて違和感があったのだ。私が患者なら、そういう不遇の身になっても、丁寧に「きれいになりましたよ」と言ってほしいと思った。思ってから思った。私もこれだわ。
 母との会話は「あのサ、そいでサ」。「いいですか」でなく「いーい?」。「そうですね」でなく「そーだね」。
若さゆえ可愛い〜と見逃されても、歳をとっては通用しないのだと、我が身を恥じた。いつまでも、フランクな話し方しかできないのは、「がさつ」「品がない」と疎まれても仕方がない。ダサイ(これも死語かしら)。
「人の振り見て我が振り直せ」と反省させられたカーテン一幕でした。



12月某 ファッショナブルに
 病院では、二人部屋の廊下側ベッドに滞在している母、空も山も見えないけれど、行き交う人々を眺めるほうが楽しいらしい。見舞客がファッショナブルだという。
 先の入院先は高齢者が多い病院だったが、ここは総合病院の整形外科・泌尿器科病棟なので、けがをしたスポーツ選手や事故った若者も、壮年の男性もみかける。そりゃあ、痴呆症なのか車椅子のまま、ナースステーションに置かれている老人もいる、けれど松葉杖を器用に使って私より速く歩いている人もいるんである。
見舞客も老人ばかりではない。田舎なれども県庁所在地。小都会だから、さすが、田んぼから上がってきたばかりで長靴姿という人もいない、家族もたしかにおしゃれ。
「(女性も)パッツリしたズボンを穿いていて(それ、スパッツよ)、ファッショナブルなのよ」。
そういえば、2年前の入院以来、若い人に出会う場へは行っていなかった母である。
 看護婦さんの美しさにも驚いている。「忙しいのにみんなキチンとお化粧しているのよ、採用は美人が条件なのかねえ」いえいえ、若い看護婦さんが多いってことですよ。
それから、矛先がかわって「あんたも少しはファッショナブルにしなさい」
・・・・・・・
(そんなオシャレをしてられないのは、誰のせいですか、 ピキッ)。



11月某日 本に心を逃がす
 待つしかない時間。ドキドキしている時間。じっとしているしかない時間。そんなとき心を他の事に逃がすには、読書。
 母の手術を待つ時間、枕元で見守る時間。<「オール読物」9月号・直木賞発表!>なんて雑誌を持っていった。図書館の返却コーナーでたまたま手に取ったもの。何十年ぶりだろう。若い頃は、時流に遅れまいと芥川賞・直木賞の発表と書評は目を通していたものだった。
その本命の「下町ロケット」(池井戸潤)は、ちらとしか見ないで終わった。選考委員の寸評のほうが断然おもしろかった。
 80歳になった曽野綾子がエッセイを書いていた。「夕飯までの幸せ」。数年前まで老体をものともせず、というか、カトリック信者の曽野さん、日本財団から資金を出させて、アフリカの難民救済病院建設に動き回っていた。ゆるぎないものがある人はうらやましい。
「・・・・まず最初に理想を希望として登録しておいて、決めるのは運命、・・・・最悪のケースまで考えておけば、自然に運命に沿うことができるような気がします。・・・・」こんな文章に出会うと、諦観ばかりしている自分は励まされた気になった。
 雑誌は、連載ものであっても基本は短編集。贔屓の佐藤雅美、平岩弓枝(「御宿かわせみ」は明治時代になっていた)、マンガ付きの「はじめての餃子の王将」体験記もおもしろく時間を忘れた。そのほか、時代小説特集のなかの「寛太の羊羹」(田牧大和)で、
「「すればよかった」の悔いはいつまでも取れずに疼く棘のようだけれど、「しなければよかった」の悔いは、ぱっくりと口を開けた傷に似ている」、なる文に出会うと、そうだそうだこんな感じだと日本語表現を学べるところ、もやもやした感情を受け止めてくれるところが、(内容はどうってことなくても)日本の小説では好きだったのだと思い出すのだ。



11月某日 新潟大停電の話から
 あの大停電のときはどうしてた?
早朝の社会奉仕の集まりでそんな話になった。寒い朝だった。数年前の真冬、高圧電線が凍って新潟市中が停電になったことがあるのだ。中越地震も東日本大地震も寒い時だ。
やっぱり石油ストーブだよね。ガスだけのストーブもいいわ。湯たんぽも用意しておくといいわ。ことしは石油ストーブは売り切れよ。そんな話をしてから、仲間をひとり送ろうと車に戻った。
 石油ストーブを積んでるの?と彼女が聞く。ううん、あれは犬のゲージよ。
でも、なんだか石油臭い。送りついでに銀行へ寄り、野菜の買い出しもして家に帰る。やっぱり油臭い。降りてタイヤの周りを嗅ぎ回る。臭い。屈んで車の下を覗いてみる。
あれ、ぽたんぽたん、なにかしずくが垂れている。ギョッ。ガソリン?
 そういえば、出かけるとき、道路との段差にかけてある鉄板に引っかかって、車が動かなくなって、バックして出直したんだっけ。あのとき、どこか引っかけたか?
 すぐ、車屋さんに電話する。パイプがずれたかもしれませんね。う〜ん、では車は動かさないほうがいいかしら。そうですね。じゃあ、留守にしますけど、取りに来てください。
ぽたぽた垂れるガソリンも気になる。車の下に猫のトイレシートをあてがって、車にキーをつけて私たちは出かけた。
 このとき、母が転倒して動けないでいるという電話が来ていた。留守番をしていた娘は、帰りの遅い私を捜して、行きそうな所を探し回っていた。こんな日に限って、ケータイはマナーモードのままだったのだ。ごめん。
 娘と急いで母宅へ駆けつける。「あら、動かなければ痛くないのよ」という母を制して、動けないのだからと119番に電話をかけ、救急車に来てもらう。救急隊のリーダーさんは、足首が外側をむいているのを見て、骨折してるな、と経験値から判断。救急病院へ搬送。
 大腿骨頸部骨折と診断が付いても、部屋が空くまで救急外来に居続け、やっと病室に入院させてもらったのは、午後も遅い時間だった。
 一息ついてから、車屋さんに電話すると、連絡が付かなかったのを焦って言った。事故った様子もないのに、ガソリンタンクに穴が空いてガソリンがこぼれてたんですよ。

 車は、しばらく代車を借りて、病院へ行き来していた。ガソリンタンクを新品に付け替えて、ついでにタイヤも冬用に換えて、車は戻って来た。
 母は、(若い医者は心不全肺不全を物ともせず、手術をしなければ寝たきりになり今の病気も悪くなるだけ、すれば翌日から歩けますよ、と言って手術をした。)歩けば歩けるのだろう。翌日から車椅子に乗り降りできている。当分、病院暮らしに戻ることになった。

「おおごと」が二つ重なると、それぞれの重さは少し軽くなる。



11月某日 おさななじみ
 実家の前に立っていたとき、「○○ちゃん?○○ちゃんだよね!」と男性に声をかけられた。しばらく誰だかわからなかったが、ああ、四捨五入すれば幼なじみの近所の人。
20年か30年会っていなかったのだが、面影はお互い残っている。他の場所で会っていたら気がつかなかっただろうけれどね。そんな風な呼ばれ方は久しぶり。ウキウキ。
 話していたら、彼の奥さんは、うちの近所に勤めに来ていることがわかった。高速が有料になってたいへんねといったらきょとんとしてる。なんと、バスと電車とを乗り継いで(さらに徒歩20分付きで)朝夕通勤しているのだとか。マイカーでの実家通いがたいへんなんて、ぼやいてられなかった。ヤレヤレ。



11月某日  アナログ頭
テレビなんか見ないからいりません。
アナログからデジタルに変換になった頃、そう広言していたY氏。
そうは言っても、私は見たい。そこで、密かに台所のテレビだけはデジタルに変えていた。
さて、変換になった日から居間のテレビはBSしか映らなくなった。しばらくだまされていたが、気がついたら台所でいっしょにNHK総合を見ている。なあんだ、やっぱり見るじゃない。
しかも、文句ばかり言って、金を払うなといっていたNHKだけを。
これでは困ると電気屋さんを呼んだが、意地でもデジタルテレビには変えたくない。そこでチューナーを買って、それ経由でアナログテレビに地上波デジタルを映していた。
しかし、リモコン二つでめんどうくさい、操作がようわからん。覚えない。チャンネル切り替えができない。DOS-Vの頃からのコンピューター人間だったのに。
電気屋さん曰く、「アナログ頭だったぁ!?」 
うん? アナログ頭にデジタル頭があるの?
その区別、私には ようわからん。



11月某日 願わなければかなわない
Dreams come true. 夢はかなう。
願えばかなう=願わなければかなわない。
I さん、商売屋がイヤでサラリーマン家庭がいいと言っていた。だんなさんが魚屋を辞めて勤め人になった。夢が叶ったといっていたっけ。
Mさんは学生時代から朝寝坊の宵っ張り。毎朝勤めにでるのがイヤだったが、夜勤専門の仕事を見つけた。
Kさんは座っていられる事務の仕事がしたかった。今は電話番仕事。
老後は家政婦を雇って一人暮らしをしたいと言っていた母、結局そのとおりになった。
では、私は何を願っていたんだろう・・・



11月某日 殿様商売の銀行
 我が家のメーンバンク(なに、給料振込み銀行なだけですが)H銀行のATMは、引き出し手数料が、何時に行っても無料である。県内でNO、2の地銀で、そうなのだから、当然NO、1のD銀行もそうだと思っていた。昔の(給料振込みの)メインバンクはこっちで、たまに使うことがあるが、時間外の引き出しでは、まだしっかり105円取るんである。土日祝日もそうなのだ。自分の口座からお金を出して手数料を取られるのには納得いかない。敵なしの殿様商売なのだねえ。今の頭取は同級生なんだが、口をきいたことがない地味な男の子だった。その子に105円とられるのは、ちょっとしゃくである。



11月某日 落ち葉ふき
 落ち葉はき、の間違いではありません。「落ち葉吹き」です。
白山神社前の歩道でのこと。肩掛け式電気掃除機のようなものを持った人が、そのパイプの先から空気を吹き出して落ち葉を吹っ飛ばして動かしているんです。まず塀沿いに集めて、そして、移動させて1カ所に集めてます。きっと、それを大きなちりとり(ミ)ですくってて袋詰めするんでしょうね。
その脇を車で通りながら感心して見てました。これ、いいアイデアですねえ。
箒で掃くのも、けっこう力がいる仕事。わたしは腰が痛むときはできませんが、これならやれるわ。道路清掃員の労力も軽減です。



11月某日 消えた泡ジョイ その後
 「泡ジョイ」は食器洗剤です。「ジョイ君」のTV・CMはよくみかけるでしょう。
わたしは、その昔、主婦湿疹とよばれる食器洗い洗剤による手荒れに悩まされました。指輪をして洗い物をすると痕が痒くなってボロボロ皮がはげました。それで、外して洗うので結婚指輪をなくしたんでしたっけ。あの頃は、ゴム手袋をして茶碗洗いをしていたもんでした。
 この頃は、洗剤がずいぶん良くなり、そういうことはなくなりましたが、それでもガサガサになります。最近まで愛用していた泡ジョイは洗剤の原液でなく、泡で出てくるので、手にも優しく、割高だけど、薬代と思って使っていました。デザインも好きで。
ところが、彼はどの店からも姿を消してしまったのです。近辺を探し回って隣の市まで行っていましたが、次に行った時はもう売り場がありませんでした。
スーパーやドラッグストアでも、商品の種類が減っています。売れ筋、安いものが主流になり、マイナーなもの、割高な付加価値のあるものは、いつのまにか見かけなくなって困ってます。紀文の「たまねぎシャキット」や関本の「やきそば」とかも・・・。それでかなあ。
 仕方がないので、他の洗剤を泡ジョイの容器に入れて使いますが、もちろん、泡の出は悪くてイライラしてました。実家で洗い物をすると、ここは普通の洗剤なので、この頃は手がカサカサしてます。尿素入りハンドクリームが手離せません。

 それがね、
 今日ね、
 スーパー原信に 二本だけあったの!
 買い占めてきましたサ。

地震のせいで生産がストップしていたのかな、そうならいいけれどね。



11月某日 花柄ばあちゃんとチェックばあちゃん
 いつぞやのこと、小学校の講演会を聞きに行った。たまにはやさしげに装おうかと、花柄のカットソーを着ていったら、老人会で来ていたおばあちゃまがたが全員花柄を着ていてゾーッとなったことがあった。
デパートのミス、ミセス向きの売り場に全く花柄がない年でも、市の屋台や、老女向き衣料店ではかならず小花柄があったっけ。
 かと思うと、若い頃からスッキリシンプル、チェックのシャツを着続けていて、老境を迎えている人もいる。先生稼業のような、まじめな人に多いかな。
 若い頃から、ベージュやグレーなどの無彩色ばかり着ている友人がいたが、この人はシックごのみ。ハッと気がつくと私もはっきりした色を着なくなっている。黒じゃなくてホワイトグレー、赤じゃなくてベージュ。顔が色に負けるのだ。明度の高いくすんだ色を選んでいる。たまに負けるもんかいとピンクを着る。そして、花柄ばんちゃんとチェックばんちゃんの間をいったりきたりしている。
 あなたは?・・・・・・・・ああ、無地派ね。



11月某日 甲状腺腫 原発事故 ジョセン
 また首が膨らんでいるから検査に行ったらどうか、と言われていたのは半年以上前。母の容態が落ち着いたらと先延ばしにしてきた。急激なヤセもそれが原因かもしれないのだが、余裕がなかった。これも、やっと目途が立って、紹介状を書いてもらって、大病院に予約を入れたら、あーあ、一ト月も先ですわ。

 私は全く関係ありませんが、甲状腺のガンと言えば、放射能汚染で、まず心配される病気です。福島の研修医は原発爆発からすぐにヨード予防をしていたそうです。
では、住んでいる人たちは?  ??
 放射能汚染地域のジョセンのニュースも、なんだか変です。
屋根のジョセン(水を撒いて洗い流す、苔やゴミをとる)、庭のジョセン(表土をはぎとる)などで、放射能の危険はなくなるかのようにいいますが、その水はどこへ行くの?水は流れて大河に注ぎ海に入れば薄まる?途中でどこかに濃縮されない?太平洋は汚染がすすまない?庭以外の山野、道、あぜの放射能はどうなるの???
ボランティアでがんばっている人たちの報道もあるけれど、ほんとにその労力は有効なのか?
 新聞テレビでは言わないけれど、『女性自身』ではストロンチウム90が発生していたことを書いていた。セシウムの半減期なんてものじゃないよ、これは。
先日の新聞では、チェルノブイリへ調査に行った人の話で、ジョセンはかえって土地を痩せさせるから悪いとの談話が出ていた。そうだろうな。
 先祖伝来の土地に住みたい気持ちはわかるが、そこは危険だ。そこには30年は住めないよ、子ども・成人は移住しろ、疎開先を作る、と言う日本のリーダーはいないのか。



11月某日 話を聞けよ
 顎関節症の治療で通っている歯科。実家の母の介護通いで、しばらく休んでいたが、このところ痛みがあるし、指二本も口が開かない。うどんも箸で押し込んで食べている。時間を見つけて行ってきた。
「するめでも食べましたか」と聞かれたので、柿の種とピーナッツを食べたときは痛かったと答えたら、硬いものは食べないようにと。
 そこで、やっと股関節症に腰部椎間板症の既往症の話をすると、「ああ、そりゃあ、みんな一緒ですね、膝はどうですか、膝がいちばんやられるんですがね」「ステロイドの長期投与はダメですねえ」なんて。いやあ、それはないです。
 ともかく、顎関節症もまた全身の関節の軟骨の減少・すりへりの一環らしい。
あの〜、何も聞かないで二週間で治るとおっしゃったのは誰ぞや。
 帰り際に、”先生、心労も痛みと関係ありますか”と尋ねると、「関係ありますね。腰痛もそうですねえ。するめは食べないように」と再度おしゃられましたが、スルメなんか食べてないよってば。
がっかりだなあ、すべて、老化が原因なんだよね。全身の関節が鳴る私です。



11月某日
おじさんと小犬
むだな円高介入
消えた泡ジョイ
おかしなジョセン
ほめあいブログがバカを作る
アナログ頭
おとなはイヤダを隠す
比例・方程式・足し算
殿様商売の銀行
ストロンチウム90
 ぼやきたいこと数々・・そのうち整理



10月某日 ほめる
赤の他人をほめるのは、かんたん。
身近な人をほめるのは、むずかしい。
いちばん、近くにいる人をほめるのは、いちばんむずかしい。
 やらなきゃ。



10月某日 会いたい会いたくない
 二昔も前のこと。行ったり来たりしていた友は、同じく専業主婦だったが、仕事を持っていた共通の友とは会いたくないと言っていた。こんなに(よれよれに)なっちゃったから、と。私からみると、彼女は普段着でもすっぴんでも充分に綺麗で可愛かったのだが。
 この頃、すごくすごくわかる。かつての自分はもっとシャキッとしていて、美しかったわけだ。娘さんが小さい頃に、おかあさんはいつも綺麗なお洋服を着ていると言っていたそうだ。誰と比べているのではない自分と比べてのこと。情けなく感じていたのかな。
ああ、それも、今は昔。
 老いた我が母親を見ると、私もあんなになるのかと おぞましくおもった頃もあって、早くに母を亡くした友人たちがうらやましかった。ところが今、病気の母の方が、頬がふっくらしていて、私ほどこけていない。口元のシワも少ない。あちらが骨太な分、体は痩せてみえるが、体重は数キロしか違わない。今は老けを越えてしまった。こんなもの乗り越えてどうする私。
 友達に、会いたい、会いたくない、会いたい、会いたくない。



10月某日 さくら紅葉
 図書館前の道に数本の桜の木がある。図書館を設計した安藤忠雄が、選りすぐって、異なる品種の桜を植えたと聞いている。この季節、木によって彩り、紅葉の熟し度がちがって、赤く散り始めているもの、黄色いもの、まだまだあおいものがある。なるほど、趣があって美しい。紅葉した葉もそんじょそこらの染井吉野より美しい。落ち葉を拾わずに通り過ぎられないでいる。
建物も美しい。けれど、使い勝手は、二の次にされている。
 図書館児童室の換気の悪さは、前からくどいているが、その後に設計された中学校校舎も、二階は吹き抜け部分があり、冬は困る。だけでなく、その体育館も使いずらいらしい。あすの全校合唱大会は、歩いて10分ほどの文化会館でおこなわれる。狭くてバスケの大会ができないとか、換気が悪くて酸欠になりそうだとかの中坊のぼやきも聞こえてる。木組み柱で円形に作られていて、かっこいいんですけどね。



10月某日 工事予約
 また母の話。入院前の冬のこと。小屋根の雨漏りが気になって、外壁修繕工事を頼んでいた母。これから入院というときになっても、懇意の工務店に、見積もりはどうしたの、いつからやるかなどと電話をしていた。ちょっと待ってください、いまそれどころではないからと断りの電話を入れてそのまま半年経った。
 退院するやいなや、母はあの店に電話してくれ、という。入院中も、家の中まで雨がしみこんでいないかどうかと、やきもきしていた。家での生活が落ち着いてきてから、その業者に電話をした。
すると、奥さんが電話口にでて、あるじが病気で商売を廃業した、他を当たってくれとのこと。死にそうだった人が助かって、元気だった(らしい)若い人が死にそうだ。世の中はわからないものでびっくりしている。
 困ってしまって、私は隣家の人にどうしたものかと相談した。たまたま、その道のプロなのだ。見なければ何とも言えないといい、見に行ってくれた。
 そして、建てた大工が工法を間違っていたことが判明。小屋根を、雨水が家の壁の方に溜まる付け方をしていたのだ。その工務店、建築後まもなく倒産している。他の業者と契約ができていたのに、300万も違約金を払ってまで、しかも値を下げて仕事をとっていたから、私は怪しいよと止めていたのだが、安さに母は弱い。今更どうしようもない。外壁のあちこちがめくれたり波打ったりしているのは、製品の欠陥。それに築後14年も経っているから、ペンキやパテがはげたているのは寿命なんだそうな。家なんか持つと、そのメンテナンスもたいへんなのだ。
 雨漏りは、応急処置ですぐに治してくれた。母は胸をなで下ろしている。
我が家の隣近所の外壁修繕工事は、ほとんど、この隣家の人がやっている。ということは信頼できる工事をする店で、料金も善良だということかな。
母は、たまたま夏に我が家に一時帰宅の途中に立ち寄ったとき、その人が近くの古家の修繕をしているのを見ていた。今は3軒先の外壁工事を請け負っていて、私はまじめな仕事ぶりを毎日見ている。地震後、材料が途絶えて仕事が滞ったのを一気に片付けている様子。
 そこで、この人ならと、冬場、予約の仕事が一段落した時期に、外壁メンテナンス一式を、格安でやってもらうことに母は決めた。これで、ますます安堵している。
  「私は家に代々伝わる龍の判子をもっている。弟が返せと言ってきたが、おまえにやるといって父からもらったものだ。運のいい人はますます運が強くなるという判子で、おまえが持っていろと言われた。私は運がいいんだねえ」と、母は喜んでいる。そう、運の強い、生命力の旺盛な母なのだ。
おじいさんは親類の借金の保証人になって身上をなくした不運の人だった。長年、中風を患い、ごうごういびきをかいて死んでいった。弟(叔父)の家に行くと、勲なん等だかの賞状が飾られているが、叔父も、もうこの世にはいない。



10月某日 やせ薬
 一月あまりで2キロ太った母。良かったね、なんて喜んでいたら、むくみだろうと主治医は利尿剤を増やした。あれ、ほんと、靴下の痕が足に残っている。むくみがでていた。呼吸の苦しさも出て、在宅酸素を使いはじめた。こんどは、本人の意識も確かなので、苦しくなると自主的に酸素を付けている。
今では、むくみもとれて、収支は1キロ増で落ち着いた。
 私は太り薬がほしいです。こちらはあいかわらずマイナスが続いてしんどいです。



10月某日 「ためしてガッテン」
NHKテレビの「ためしてガッテン」が健康問題をやっているときは、見せてもらえたためしがない。こんなインチキは、と言ってチャンネルを変える人がいるからだ。糖尿病の新薬なんてときも、高血圧をウオーキングで治すなんてときも。
 それが、めずらしく「感動!禁煙がこんなに超簡単なんて!」という特集で、チャンネルを変えないでいた。病院の禁煙外来で処方してもらう薬(たばこがまずくなる、向精神薬の一種らしい)の話だった。もちろん文句はタラタラ。こんなのを保険適応して医者が点数を稼いでいるから医療費が増えるだの、製薬会社が儲けてるだの、言いながらだが、ご興味はあるらしい。よきかなよきかな。
 そばで、たばこを吸われたから副流煙で肺がんになったと騒いでいた人もいたが、吸っている本人の方が確率は高い。そんな悠長な話でなく、私はそばで、吸われると咳が止まらなくなる。外で吸ってきてそばへ寄られてもむせる。そんなアレルギー体質に最近なった。愛妻家なら、キッパリタバコを止めているよね。
 それはさておき、ご本人のためにも、止められるに こしたことはないですね。



10月某日 眠い
 不眠症だったのに、眠い。一日中眠い。
夕飯を食べているうちに、コックリしはじめることもある。夜の茶碗洗いができなくて、バタッと横になる。1,2時間すると目が覚めるのは不眠症。それから、また眠剤で寝る。
寝れば体を休められるかな。少しは ましになるかな。
 母は病気だから寝るのが商売。朝飯を食べて寝て、おやつを食べて寝て、昼食を食べて寝て・・合間合間に片付けをさせたり、庭仕事の号令をだしたり、いそがしい。誰もいなければ自分で書類整理をしている(全部ゴミにしてもいいものなんだけれど)。
ヒマで退屈と言っていた入院中とは様変わりで、活き活きしてる。(体はシャキッとしているわけではないが)退院してから2キロ太った。今がいちばん仕合わせと言う。あやかりたいものだ。



10月某日 70キロ制限
 バイパスの速度制限が変わった。いままで60と書いてあった丸い立て札に白いシールが貼られていたのでどうしたのかと不思議がっていたら、きょうは、70と書かれていた。
 夕方ニュースで、この区間だけ最高速度の変更が行われたことを伝えていた。
ふだんも、60キロで走っている車などいない。いて、行列を作っていればそれは先頭にパトカーがいるということ。罰金と減点をとられるからお上には逆らえないが、パトカー白バイがいなければ、60キロはむしろ危険で、流れは70〜90キロ、(空いていれば100キロでも)、適当な車間距離を保って安全に走っているのだ。
 民主党の迷走政治のため、平行に走る高速道路が、無料化実験から有料に戻って、バイパスの通行量が増え、事故が増えていた。スピードに慣れてしまうと減速できないせいもあるのだろう。実態に合わせた法改正は正解だし、必要なことだと思う。
  
 昔々、刑法に尊属殺という条項があった。親殺しは他の殺人罪より重い刑罰に処するというものだった。おかしいよ、子殺しより親殺しが重い刑罰だなんてへんだ、自分で産んだ子に対して親が持つ責任の方が大きいはず、それに人間は平等なはず、と私は疑問を持っていた。そのうちに、この条項はなくなっていた。当然だと思っていた。
 さいきん、介護保険の手続きなどをして、否応なしに介護制度や年金問題、さらに生活保護制度などを考えていると、気がついた。
いや待てよ、昔は、親の世話は、働けず動けなくなった老親の世話も、一身に子が担っていたわけだ。展望も希望もない介護を、経済的精神的に抱えきれなくなって、子が親を殺してしまうことが多かったのだろうか。それを食い止めるために、修身の教科書だけでは足らず、こういう条項を置いていたのだろうか。国の老人保護制度ができてやっと廃止できたのだろうか。  などと思ったりしている。



10月某日 こっそりこてんにいく
 昔、世話になった人が個展を開くと案内状が来た。行かねば義理が廃る。
とはいえ、あちらは大活躍中。こちらは、くたくたよれよれ。
疲れたときの常で顔に湿疹がひろがり薬と保湿剤しか塗れない。化粧でシワも隠せない。みっともないカッコウで会いたくはないが、それでも末日に意を決して出かけた。当人は郷里での同級会に帰っていて留守だった。ホッとするようなさびしいような。
 「少しでも元気な自分をとり戻すために絵筆をとりました。」とハガキに添え書きがあった。ときおりテレビで見かけるときは、美しく華やかに見えるのだが、この人も元気そうにしている人なのだなあ。作品にも、その凛とした気の張りが見えた。



10月某日 フライパンで煮魚
 実家に来る家政婦さんたちに感心するのは、訪問先の家の道具ですべて用を足すこと。母の家は、I Hレンジにしてから、鍋は20センチの両手鍋が一つ、16センチの片手鍋が二つあるだけ。大きなイワシを丸ごと煮れる鍋はない。すると家政婦さんは、昔使っていた古い26センチの鉄のフライパンを出してきて、これに魚を寝せて並べ、アルミホイルでフタをして煮た。道具がなければないで工夫して料理をする。蒸し器もないのに茶碗蒸しを作る人もいる。とろりととろけるような茶碗蒸し、作り方を聞きたいものだ。
 老人病人食も得意。秋ナスの皮は剥いで煮る。きゅうりも皮を剥いで煮る。野菜は一口大に切る。肉は叩いてそぼろにする。
道具・材料に凝るのでなく、あるものをよりよく使う技は、いま私のためにもなっている。
 なるほど、ヘルパー・家政婦を雇って病人の世話をしてもらっていた人が、病人が亡くなってからあるいは施設に入れてから、見ていたノウハウを生かして、家政婦になっていく道順が(そういう経歴の人がいたのだ)、よくわかる気がする。
タフだったら、私もそうしたいものだが・・・・ムリムリ。



10月某日 なぎの海あれた海
 病院へは約10キロ、母の家には約20キロ、通勤距離は伸びた。高速道路を通っても街なかを抜けるのに渋滞にひっかかる。バイパスを通っても朝晩のラッシュと高速無料化の後遺症で事故ばかりおきて大渋滞になっている。それで、海沿いの細い道を通って行き来している。
 稲田のなかを突っ切り、阿賀野川河口近くの長い橋をわたり、信濃川の川底をトンネルでくぐり、顔を出すと海っぱた。海は、のたりのたりとのどかな日もあり、水しぶき砂ふぶきの舞う日もあり、その風景がそれぞれにたのしみで、疲れを癒してくれている。ハマナスは花が終わり赤い実を付けている。オオハンゴウソウの黄色い花も終わったが、ススキは花盛り。ハマグミの実も熟れている。
 やっと、来週から母は介護保険が適応になる。要介護1。
1.5時間×5回の生活支援ヘルパーが入る。それだけでは、母の生活を支えられない。
それで、他の時間は、今までどおり家政婦さんに入ってもらうが、穴埋めには、私が家政婦に行く(続く限りだが)。
気にくわない家政婦は辞めさせたが、気に入った人はどこでも気に入られて重宝されているのだろう、時間的に今以上には入ってもらえなかったからだ。入れ変わり立ち替わり人が変わるのも不安らしい。今までも手続きやら業者やらの応対で結局は毎日通っていたから、これからはずいぶん(わたしは)楽になるはず。
  夜は一人で、過ごしている。まだ、それができる。他人がそばにずっといるのは苦痛だという。それが家族であっても。
40年以上も一人暮らしをしてきているので、自分の部屋に、人が入ってくるのは落ち着かないらしい。私が、さよなら、と言って玄関の方へ行くと、耳が悪くなっている母はすぐさま最大音量にしてテレビを鑑賞しはじめる、振り向きもせず、誰に気兼ねもなく。来るのを楽しみにしてくれるが、帰っていくのも楽しみにしている。
 自分で店の開け閉めができる間は、商売も続けていくことになった。それが、彼女の人生のハリであり、質の高い生活でもある。
ただ、長く生きながらえるより、自分らしく仕合わせに生き終わってほしい。
 よたよたしているが「がんばらなくっちゃ」と、一日にモロゾフのチョコレートを10個も食べている。「これを食べると元気が出るのよ」と言いながら。
(わたしまけましたわ)



10月某日 ありがとう小型トラック
前をのろのろ小型トラックが走っている。急いでいるのに、とイライラしながら、一車線の道を車で走っていた。ハッ!ねずみとり!
それも、去年引っかかった場所。海に向かってジェットコースターのように砂丘をひとつ越え、曲がって飛行場の滑走路と平行になる直線道路。自然とスピードが出てしまうところなのです。
警官が隠れたところを過ぎても、ゆるゆる走っている小型トラック、今日はありがとう。



10月某日 お肉が欲しい
 35.4s。あなたのお肉が欲しいわ。しわはあげるけど、いらない?



10月某日 ふう〜
 つぶやくゆとりがない。



9月某日 ほっと、かなぁ
 検査結果は、手術するほどではないと診断されたツレ。翌日退院となった。しかし、痛みが治ったわけでなく、鎮痛剤を飲み続ける毎日である。
苦虫を噛みつぶしたような顔をしているので、常時シビレと痛みがあるのはお辛かろう、と気を使ってはいるが、時々は、こちとらだって、と爆発して言い争いになる。「子はかすがい」、仲裁に借りだされる子も御苦労なことだ。
 さて、実家の母の方は痛みがあるわけでもなく、暖かい日は咳もなく、長起きすると息が荒くなるだけで、安楽に暮らしているようにみえるが、一緒にいる人と波長が合わなくて、疲れていた。
本日、母は家政婦をふたり首にした。
初日にカギをなくしたと騒いだり(自分のバッグから帰宅後でてきた)、炊飯器のスイッチを入れ忘れたり(これは全員)、薬を飲ませ忘れたり(これも何人も)、かってに超勤したり、夜半デンワしてきたり、言われたとおりにしなかったりでも、見ていたはずのことを知らないといったりでも、慣れぬうちはしかたがないよと、なだめていた。
 けれど、個人差は大きくなる。この人とは相性が悪いから、との名目で断ったが、仕事と親切心の押し売り(つまり、おしゃべり)を勘違いしている人もいるようだ。
母が我慢して、ニコニコと自慢話・家庭話を聞いていたとは思いも寄らぬだろうから、首にされた人は首をかしげているだろう。



9月某日 おっとっと
 自宅に帰った母、本人はしごくおだやかに暮らしている。けれど、何がどこにあるやら、はじめて台所に入った(交代で来る)家政婦さんたちは分けがわからない。説明したり、探したり、人が変われば置き場が変わったり、その応対で疲れたりしている。
おまけに2年は順調だったリクライニングベッドの部品がポキンと折れること、2回。多事多難だ。
 それでも、やっと安心したツレは、今週検査入院。落ち着くのを待っていてくれたのだ。即、手術になるかもしれないが、それで足の痛みから解放され、切断の危機を逃れられれば、幸いである。



9月某日 夜更かし
テレビで、ウイーンフィルが楽友協会ホールでベートーベンをやっているのを観ていて、つい夜更かししてしまった。交響曲の5番と6番。え!?こんな曲だったっけ?というおもしろさ、新鮮さがあった。力みのない装飾音(こぶし)、PPの丁寧さ、演奏者の笑顔。
とくに6番。N響を聞きに行ったときはつまらなくて寝ていた私でした。その冗長で退屈な曲が、なんだか小気味よく聞こえた。野良の田んぼ道じゃなく、羊のいる広々とした田園風景がみえた。指揮はクリスティアン・ティーレマン。50肩で手を上げられないかのような指揮。これ、自分のためのメモ。もう午前3時。おやすみ〜。



9月某日 でんぶ?
 消防署のスピーカーは屋外で訓練中の署員が聞こえるよう、かなりの大きな音で、市中の各署の出動の様子を知らせている。我が家の外に出ただけでも、けっこう聞こえるときがある。
 先日、「○○区に出動!」、と聞こえてきた。火事かなと耳をそばだてると、
「・・・そっこうにでんぶがはまり・・・じんりきできゅうじょ・・・じょせいはぶじ・・・いじょうです・・」
「でんぶ」って臀部?
ドブにおばちゃんのお尻がはまって、消防車が出動して署員が引っこ抜いてやったってこと!?



9月某日 マウスピースの行方不明
 朝起きて、マウスピースを外そうとしたら、ついていなかった。 あれ?
ベッドを探したが、ない。 いやだわ、くっちまったのかしら。
そんなことをおもっていると朝ご飯を食べても胸がつかえるような気がしてくる。
 母が入れ歯をなくしたときは、いくらなんでも飲み込みはしまい、と思っていたが、マウスピースはやわらかで小さいから、もしや、ほんとに飲んでしまったかな。半日、うっとおしい気持ちでいた。
たべちまった?ーそんなことはないのです。数時間後、枕の下に、張り付いているのを見つけました。
スポンと抜けるくらいゆるくなったということは、歯列矯正がだいぶ効いてきたのかな、はい、指が三本やっとこ、入るようになりました。
まあ、これはよかったよかったということにしておきましょう。

 さて、退院して自宅に帰った母は、家政婦さんに食事を作ってもらうようになりました。
病院の給食の煮物が柔らかで美味しいといって退院直前は自宅へ帰るのを(それを理由に)不安がっていましたが、いろいろ不手際はあるものの、食べたいものを言えば作ってもらえるので夕飯はこんなメニューで食べていました。
 鯵の刺身、ガラ汁、ナスの煮しめ ほか。
 豚肉と玉ねぎの炒め煮、おひたし ほか。
 ブリの刺身、サバの塩焼き、ほか。
 サバの味噌煮 キャベツとジャガイモの味噌汁ほか。
 豚肉炒め、かぼちゃ煮 ほか。
 イワシの梅干し煮、煮キャベツの酢の物 ほか。
 鶏酒蒸しのホワイトソースかけ、かまぼこ入り煮しめ、他。
 南蛮エビの刺身、カレイの塩焼き キャベツのおひたし 他。 
朝も残り物に、また一品と味噌汁を作ってもらい、 
昼はおかゆや、パンにシチューや、温かソーメンなどなど。
病院では出なかった青魚や刺身などに大喜びしていますから
これも、よかったよかったということにしておきましょう。



9月某日 中秋の名月
美しかった。見事だったが 暑かった。 いつもの年はもう肌寒いのに。



9月某日 ない、と書くと出る不思議
 エプロンが出てきた。二階から降りてきた人がつけていた。
うん?
あ、着ていったままだった。 ゴメン。
  (なあんだ、スッキリ。)
あまり思い悩まないようにしよう。なるようになる。成らぬものは成らぬ。
 母のケア・マネージャーが決まった。介護度は未定のままだが、当分この人が相談相手となる。ケア・マネや支援センターなど、介護関係の人たちは30代の若い人が多いが、目を見ながらゆっくりやさしく話し、老人の話も辛抱強く聞いてくれる。仕事だから、とも思うがありがたい。
 ヘルパーと家政婦の派遣を両方やっている事業所のチーフは、私より年長者らしいが、実生活でも両親ともに要介護者だそうだ。薬はどうやって飲ませたらいいかなど生活上の工夫の達人。具体的な相談に乗ってくれて、たのもしい。苦労を仕事に生かしきっている。
 病院で心電図の検査があった。1時間近く検査室で上衣を脱いでいて、胸元がひやひやして寒かった、咳が出た、痰が出たと母は言う。
この夏は咳とも痰とも無縁だったのに。
秋が来ている。暖かいうちに家に帰してやりたい。
 


9月某日 失せもの また
 エプロンがない。いちばん最近買った黒いシンプルなのが。
町内の祭りの手伝いに行くのに、シミのないエプロンがなかったので、買って来たばかりのもの。きっと、どこかに仕舞ったのだろう、この私が。
肝心な時には、見つからないで、古いのをひっかけて、公民館のまかない手伝いに行った。どこだろうね、とあなたに聞いても仕方がないね。
 入院中の母の所へ介護保険認定の調査員が来た。立つ座る手を広げるなどの動作ができるかを見てから、名前、生年月日、それから今日は何日ですかと聞いた。母はすらすら答えた。
これ、突然聞かれると私はいつもわからない。銀行の窓口などでは行員にいつも聞いている。何日?どころか、何年でしたっけ?なんて。私の方が、要介護か。



8月某日 風邪 流行ってる?
 スーパーのレジの脇の棚に、熱さまシートとマスクが並んでいる。
どのスーパーも。 今ごろ、風邪が流行っているのかな。



8月某日 交通事故か?
 バイパスで、渋滞があった。ノロノロ進んでいくとパトカーが2台止まっているのが見えてきた。ああ、事故なのか、と思いながら脇を通っていくが他に車はない。
脇で赤いTシャツに赤い短パンの白髪のマッチョな男性が警官二人に囲まれている。日に焼けて赤黒い肌が見える。そして、その先に、その先に、チャリがある。長旅用の装備を積んでいる自転車が・・・。
違反なんだよね。バイパス=自動車専用道路を自転車が通行するのは。もしかして、高速道路からずっとだったのかな?
 S医師の話で、患者である.爺っちゃんが長岡から新潟まで高速道路を通って行ったら近かったと自慢していた、なんて話があったっけ。
 ありうるね。



8月某日 米がない
 米屋さんが言う。問屋から去年の8割しか入ってこないと。
スーパーに、午後に行くと、米が・・・・ない。
三軒行ったが、新潟米は全くなかった。
米相場なんか止めてもらいたいね、こんな時期に。



8月某日 ジョブズ氏の言葉
 「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい」
このほど、米アップル社の経営トップを退いた氏が数年前、大学を卒業する学生に贈った言葉だ。膵臓癌に侵され、死を強く意識していた頃のこと。
やっておきたいことをやり、愛している人には愛していると伝え、嫌いなことを無理してやらない。悔いのない一日を送ると言うことは、簡単そうでむずかしい。
ある意味では、刹那的であり、先の展望を考えない生き方かもしれないが、かくありたしとおもう。
 この言葉にであったとき、じーんと心に染みたのは、この半年、母に対してはこう思ってつきあってきたなあと共感が沸いたからだろう。明日のない人なのだから、私の明日もないかもしれないのだから、今日は充実させて、充実して過ごしたいと。
そう考えてしまうと、理不尽やわがままに対する憤りや恩讐は彼方に消え、疲労はあっても、いらだちもいさかいもなかった。怒らせれば死んでしまうのだ。戦わない生き方もあると、この歳になって知った。(不満がないと言うことではない)



8月某日 決意
太るぞ、と決意。
37sを割った。何をやっても疲れる。
防虫剤を入れ替えて、虫をやっちける前に、人間の自分がやられて胸が苦しい
ダウンしている。私は虫よりケチな存在らしい。
タバコを吸う人は私から離れていてくれ〜苦しいよ〜
赤い痰が出る

失せものはでてきた。あるべき場所から。。。
そう、母の家計簿、母の遺言書だから、母の家から。
もういいやと、しまっていた?それを私が忘れてたか。
ぼけてますな、もう。



8月某日 失せもの
 毎日、なにか失態をやらかしてオロオロしている。きょうはお預かりしている母の家計簿を探している。母が入院してからは、入院費から雑費まで書き込んであり、あとで引き継げるようにと商売上の支払いの領収書も、遺言書も貼り付けてある。他に記帳してあるものはなにもないのだ。手元にあるはずが、どこを探してもない。
母に渡したのだろうか。伝言して、尋ねてもわからないと言っている。
 今日は資源ゴミの日だった。町内のコンテナが集積場で週1回鍵が開いていて、そこに古新聞や、段ボール箱をくくって、放り込むことになっている。そして、放り込みに行ってもらったのだった。
夕方、そこへ探しに行った。古新聞に紛れ込んでいたかもしれないと思ったのだ。コンテナには今日一日で、ずいぶんの古新聞の束が集まっていて、途方に暮れた。けれど、我が家の新聞はわかった。三重に紐をかけているのはうちだけだった。ずっと奥にあった。どの家にもそれぞれの縛り方がある(ガムテープで縛ってある家、袋に入れてある家、一重はふつうで、たまに二重縛りの家・・)。ホッとして、解体したのはいいが、やっぱりない。
 あす、もういちど、家の中を探索するか、病院にいる母の荷物を探すか・・・毎日、失態と心痛ばかりで、疲れている。夕飯が済むやベッドに倒れ込んでしまって、今、着替えに起き出した。(はい、今は薄明かりの4時です)



8月某日 虫、また
 米びつを入れてあるガスレンジ下の棚から、米につく虫が飛んで出てきた。おかしいな、唐辛子を入れてあるのに。中のものを全部だし、漂白剤を吹きかけて拭く。アルコールで拭く。
 どこからきたのだろう、と米びつを開けると、ここにもいる。防虫効果のあるという唐辛子をいれてあるのに。
おかしいなと思いながら、唐辛子を入れてあるゴミネットを出してみると、その中に巣くっていた。ええ?唐辛子をエサに育ったの?・・・・
何袋かある、唐辛子袋、良く乾燥してあるのには付いていないが、産直市場で食用に売っていた、柔らかい半生状態のものに、付いていた。ゾ〜。ザワザワ。
 いそいで、これを捨てて、スーパーに行って米びつ用防虫剤・エステー社の「米唐番」498円を買う。原材料はおなじく唐辛子だ。産直市場で買った唐辛子は100円だった。けちった結果がこうだ。
ついでに、衣料用防虫剤の予備も買い足した。



8月某日 親孝行
 自分が結婚する頃には、子が幸福になるのが親孝行だと思っていた。反対されても自分の決めた道に進み、独立していくのが、結局は、親孝行になる、そう信じてきた。
 私の子育ての目標は、子どものしあわせな独立・自立であり、幼子のあどけない美しさ、かわいさを楽しませてもらう喜びが苦労を消し飛ばしてくれた。
自分の子どもたちにも、我が道を行けと自由にしてきたつもりだった。親に反対されようが自分自身がしたいことがあれば突き進んでいくだろうと思っていた。だが、親が強い場合、良い子であればあるほど、なかなか、こうはいかないことも、今はわかった。
 そして、親が老境をむかえた今は、自分の考えに反していても、親の願いをなるべくかなえてやることが親孝行だと思っている。病院で過ごしている母親は、ここは天国だといいながら、やっぱり、自宅へ帰ることを望んでいる。



8月某日 虫食い
 ある日、めかして娘と出かけたツレアイ、ズボンに雨が当たったかと思って見たら、穴が空いていたそうな。
ツレアイのズボン、夏物の。う?クリーニングに出していなかった?
そういえば、去年の夏も秋もボーッと過ごし家事全般をおろそかにしていた。
掃除はしない、重い物は持たない。つれないツレアイのものはほったらかす。足が痛い。無理はしない、運転もできない。もう何もできないと人生をあきらめていた。そして居直っていた。
 ふだん、彼は綿パンばかり穿いていたので、これは水洗い付きでクリーニングに出していたのだけれど、あまり着なかったサマーウールのものには気がまわらなかった。
穴なんかあいたって直しに出せばいいわ、と軽く考えていた私だが、白糸でマークを付けはじめて驚いた。1,2カ所どころでない。膝も、腿も、右も左も、尻も。ここに来て、ハッとする。夏物ウールズボンを全部出してみた。 
ことごとくが、虫に食われていた。同じ場所につるしっぱなしだったものみんな。ぞー。
 かけはぎ屋に持って行って、入ろうとしたら「一度着た服は洗ってから出してください」と張り紙があった。入らずに家に戻る。
 懇意のクリーニング屋に持って行って相談する。
「洗うと穴が広がりますよ。このまま下請けに出してみましょう。虫食いが多いズボンは買い換えた方がいいでしょう。」と。
「虫だって美味しいものから食べるんですよ。これは繊維も細いし美味しいのでしょう、」そういえば、牡孔雀であるツレアイのものばかりがやられる。私のユニクロのは食べられない。美食家の虫め。
 事件の発端のズボンは、去年買ったまだ新しいものだった。シクシク。
もしかして形落ちでバーゲン品として残っていないかと、買った店に行ってみた。定番品なので定価でお取り寄せになりますといわれ、スゴスゴ戻って来た。
 ごめんなさい。
ケンカすると、何様だっていうから奥様よっ、と言い返してきたが、お主婦様よっ、と威張れなくなった。
あーあ、落ち込みの材料が増えた。



8月某日 「不安」の対処法
 たまには、新潟日報も読むところがある。こんな記事が出ていた。
人が日常抱く不安に対処する方法は三つ、
1「和らげる」2「やり過ごす」3「直面する」と。
私はどちらかというと3、真正面から対応していたタイプだった。
 でも、ここでは、まず「和らげる」が大事、と書かれている。
緊張をほぐすように、ゆっくり息を吐いたり手足を動かす。その上で、友人・家族に不安な気持ちを打ち明けて共有してもらうことを推奨している(書いているのは中井あづみ明治学院大准教授)
そうだね、受け止めてくれる人がいるとホッとする。
 次は「やり過ごす」。
趣味や遊びで一息つく。「まあどうにかなる」と思ったり、自分でできることをやったら寝てしまうのも、不安との上手な付き合い方だといっている。私は、それは逃げだと思いながらやっていたのだが、それでいいのだ〜♪なのだね。写真を撮ったり、音楽を聞いたり、パソコンをしたり、これもいいのだね。
 「直面する」のは最後でいいと言われると少し安心した。 あ、不安が薄れている。



8月某日 心労
私だって、この半年、精神安定剤を飲み続けていますよ!



8月某日 車谷長吉は
料理屋の下働きをしながら作家を目指していた慶大出の変人だけれど「人の一生は生まれた瞬間から刻々、死に向かって行進しているのである。何のために生きているかと言えば、死ぬために生きているのである」と言い切っているところは共感できる。(『阿呆者』より)
人間だけがそれを知っているというけれど、そうかな。植物だって動物だってその境遇から生き急いだり、死に場所にゆくものもあるけれどなあ。まあ、それを不幸と自覚しているのは人間だけなのは確か。「自覚せずに、うかうか生きている人間も多い」と言っているのにも共感。ほんとに、生にしがみついて人生を送っている人の多いことよ。
メメント・モリ!



8月某日 買ったはずが
スーパーでいろいろ買って、袋が二つになった。帰宅して、魚・野菜は冷蔵庫に、トイレットペーパーはトイレにと、ちゃんと片付けた。次の日、そうそう、テープが古くなって落っこちたエアコンのリモコンを壁に付けなおそうと両面テープも買って来たはず、と探すけれど、ない。棚にも、冷蔵庫にも、トイレにもない。家中を探し回るがない。空袋にも残っていない。??
レシートをみると確かに買っている。でも、ない。もしや・・・・とスーパーへ。
そして、サービスカウンターに直行。「あのー、きのう両面テープを買ったんですが、みあたらないので、籠に残していたかもしれないんです。こちらに忘れ物として届いていませんか?」
係の人は、ちょっとお待ちください、といってノートを調べ、それから引き出しから出してきて「これですか」。わたしの出したレシートと品物を照らし合わせて、渡してくれた。
こんな恥は・・・よくやるよくある(汗)。
(庶民的で人の良さそうなお客さんの多いスーパーウオロクでのできごとでした。)



8月某日 インターネット不通
 メールを出そうにも、回線が繋がらない。デンプチしても、だめだった。思いあまって、うちのしょにたのんだ。またいやな顔をされる。そこへネットができないと二階の住人が降りてきた。デンプチ(電源を一旦切る)したよ、というと、戻っていって”あ、繋がってる。でも、このパソコンはダメだね。ワイアレスが接続されていないといってるよ。”
え? あ、またOFFになっていたんでした。SDカードの出し入れの時、さわってしまったんだわね。おさわがせしました。よくあるよくやる(汗)。



8月某日 母の一日(午後編)
 病院にいれば、朝食は8時、昼食は12時、夕食は6時にきちんと出てくる。あたりまえのようだけれど、自宅ではなかなか、こうはいかない。先日、一時帰宅の外泊をしたときは、昼食は1時をすぎ、夕食は7時半をすぎてしまった。病院にいると、5分遅れても遅いと文句を言っていたが、家ではさすがに黙っていてくれた。
 午後も、折り紙をしたり、テレビの探偵ものを見たりしている。そう、午後は古い探偵ものがあるから。一週間分テレビガイドの載っている新聞は、大事にベッドに置いている。
 それから、一日の排泄の記録をつけたり、給食の料理の献立を書いたり、目に止まった新聞記事の切り抜きをノートに貼ったり、まるで「仕事」のようにキチンキチンとやっている。そんなことは、看護師が排泄記録は付けているし、給食のメニューは廊下に張り出されているから、何かに役立つわけではない。
 そういえば、母の父も、中風を病んで仕事を離れてブラブラしていた頃、二階の踊り場の屋根に出ては、今日は朝顔の花がいくつ咲いたかとか、今日の風力はいくつだとかをノートに記録していた。そんなことをして何になるのだろうと小学生の私は不思議に思っていたが、やっぱり何になるわけではなく、それを自分の「仕事」にしていたのだろうな。ひとつの存在確認として。ひまつぶしとして。 
まあ、世の中的にはどうでもいいもの=私のホームページ作り も、そうですな。
 そして、楽しみにしているのが3時のティータイム。モロゾフのプリン、大和屋の最中、わらび屋のロールケーキ。両口屋のどら焼き、アンパン、スイカ、好物は数々。なにを持って行こうか迷う毎日だというと、食べたいものがあって食べれるうちが花、と忠告してくれる友アリ。
さて、きょうのおやつは何にしましょう。おやつとおしゃべりをなによりの楽しみにしているので、行かねばなりまするまい。 では、出動です。
         


8月某日 沖縄に台風
 24時間暴風雨が続いたそうです。たいへんですねえ。そんな日は、こちらはフェーン現象の快晴。
空はどこまでも青く、山もくっきり青く。田は緑ますます濃く。
たくさんの真っ白な入道雲が横並びに山なみの背に覆いかかり、ミケランジェロの天地創造の絵に出てきそうな勢いで、盛り上がっています。公称気温34度。車の外気温表示は44度でした。ふう〜。
 顎関節症の治療をはじめて3週。毎晩マウスピースを付けて寝れば一週間で治りますよと、にこやかに言った歯科医。いっこう改善しない口の開き具合に、今日は「痛くなってすぐ来れば治りも早いですが、長年痛みがあった顎関節症は、治るのに時間がかかります、気長にやりましょう」と言う。おいおい、初日に言ったじゃない、もう何年も痛むし口が開かないと。おぬし、患者の話を全然聞いてないな。



7月某日 百日紅
 よそのお宅の庭先に、紅色の鮮やかな花を見るようになった。そうだ、これは真夏のあいだ100日も咲きつづける花だったわね、と、百日紅の文字が浮かんだ。
で、なんと読むんだったかしら、それは思い浮かばない。一日考え続けた。思い出そうとイメージを膨らませた。
初めてこの木を見たのは小石川植物園。つるつるなめらかな美しい幹を指しながら、先生は、猿もこの木からは滑り落ちるのだよ、と言ったっけ。そうだ、サルスベリ。
という作業を、ことし、もう何度かしている。つっかえる言葉は、いつもつっかえる。私の脳の老化は、はなはだしい。
 雨の合間をぬって、銀行へ行く。着いたときになって財布を忘れたことに気がついて家にUターン。どしゃぶりのなか再び、銀行について気がついた。財布がなくても、ATMカードはバッグに入っていたのだったと。そして、引き落しだけして、もう一件の用事、たのまれていた送金をすっかり忘れていた。夕方、ハッと気がついて駆けつけても、明日の入金になりますの表示が出た。私が悪い。
素直に謝れなくて、きゅうに請求する方が悪いと言って、夜ケンカになった。脳の老化と、意地っ張りなおばかさんのせいだ。



7月某日 『今日より よい明日はない』
著者、玉村豊男は、ずいぶん病気をしてきたようだ。交通事故にあったり、吐血したり下血したり輸血後肝炎になったり、糖尿病になったり、絶食中に痛風になったり。
そうして、得た長生きの秘訣は「生まれつき強い人だけが元気に長生きする」だそうです。なるほどね。
単なる美食家、グルメ評論家が老後、長野にぶどう園を作って優雅に暮らしているかと思っていましたが、東大仏文科卒の知性のある人でしたわ。
 首をまわすと頭の中で砂利の擦れる音がするというのですが、私もなのです。細かいところで共感。ほんと
歳をとったら・・・・・今日よりよい明日はないわね。



7月某日 胃炎
 トマトジュースを飲んで胃炎になった。産直市場の地元産なのに。地元産だから、品質が良くて強精効果が強かったのかな。ニンニクもとんがらしも最近は山芋も(ちょっぴりならいいけれど)ダメな私なのだ。まだ、胃がドクドクしている。
 毎夜、確定申告と取り組んでいる。本日も午前2時半。まあ、その無理が効いている。何を今ごろとお思いか。我が家のは3月15日までに出しました。これは入院中の母の分。
 3月、税理士さんは、退院してからで良いですよ、といい、いずれ落ち着いたらと、ほおっておいた昨年度分。しかし、引き継ぐにも、分けがわからない状態では、任された人もわかるまい。赤字が大きければ廃業を考えるべきだ。去年の通帳もない。家計簿もない。どこへ紛れているのか。
 数年前、”3月になってバタバタすることないでしょ、毎月ちゃんと帳簿を付けなさいよ〜”と苦言を入れたら、隠すようになった。個別の計算は手伝っていたが全体がどうなっているか、私にも分からなかった。というか、驚いたことに本人もわかっていなかった。どんぶり勘定。計算書は作るがその後は税理士任せで、税務署に出された結果も見ていない。税金が安ければ、それは税理士さんのおかげと喜んでいたが、ほんとに利益が少ないからなんだってば!
前期は帳簿をちゃんと付けてある。後半は、字の乱れもあり、記帳も月日が抜けていたりしていて、意味不明のが多い。この頃から体調が悪かったのがみてとれる。気力だけで、意地を張って生きてきたんだわ。えらいねえ、かあさん。



7月某日 母の一日(午前編)
 5時頃には目が覚めているという。6時にはカンパンを食べる。なにか食べないと8時の朝食まで、力がでないから。地震の時、家から持ってきた非常食のカンパン。給食が滞った時用だったのだが。
8時に朝食がベッドに運ばれてくる。その前にトイレへ行って入歯を入れる。夜は危険だからと外されているのだ。夜はポータブルトイレをベッド脇に置いているが日中は個室の洗面所付きトイレへ行く。その洗面台で前屈みになって顔を洗うのが苦しい、三回水をかけるのがやっとだと言う。肺が悪いのでしかたがない。もっと具合の悪いときは熱いタオルをもらって顔を拭いていた。
 食事は、おかゆと軟食=やわらかいお総菜。冷蔵庫から海苔の佃煮をとってもらう。そしてNHKの朝の連ドラを見ながら食べる。耳が遠いがイヤホーンをつけているので、迷惑をかけることはない。家では、いたたまれないほど大きな音でテレビを見ていた。
おかずが気にくわないとき(魚はまずい、冷凍だからだろう)、菜っ葉が硬いとき以外は完食している。食欲旺盛なのだ。おなかをこわしたこともない元気な消化器をもっている。
 母はトイレに行く他はベッドに横たわっている。
主治医の回診は10時頃。この頃はぐたっと寝ていることが多い。看護婦さんは、お年寄りは午前中はぐったりしていて午後活性化するものですというのだが、生身の老人には、うとい医師は、心配して、家族に来るようにということが何度かあった。
 10時半頃にリハビリの先生(理学療法士)がきて、運動指導がある。その前にモロゾフのチョコを食べ、メリーのリンゴチョコを食べ、ネスカフェのゴールドブレンドコーヒーを飲むのが習慣。力を付けなくちゃ、と言って。家では、コーヒー豆を引いていたが、病院ではインスタントでもしかたがない。これも看護婦さんにとってもらう。
 リハビリは、ベッドに座っての足の上げ下げ、もも上げなど。たまに私もつきあったが、こちらが腰痛でダウンしても、母が音を上げたことはない。具合の良いときは歩行器で廊下を歩行する。リハビリの先生が、気の良い若い男子であるのも薬だ。
寝たきりにならないためにするのだが、チョー退屈な病院生活にメリハリを付けてくれて母には大きな励みである。こんなことをしても無駄だ、とうそぶきながら指示を出してくださったのは主治医。よくわからん主治医である。



7月某日 ブックオフ&オフハウス
引っ越してきたとき、一番近い店がここだった。砂煙の舞う空き地にぽつんと建っていた。それから9年、たくさん店ができて、にぎやかになった。
きょうは綿麻のズボンを1本、売りに行った。高級品なのに100円だった。チッ。でも、誰も履かないのだから、捨てるよりはましか。
105円の本を買ってきた。お店は5円の儲け。本の題名は『まかせとけ』。



7月某日 ホームズの脱走、また
エアコンは無事設置終了。炎天下3時間の悪戦苦闘でした。ありがとう電気屋さん。
 話は、これと前後しますが、愛犬ホームズがまた脱走しました。
洗濯を終えて、玄関から庭に干しに出ようかとすると、ドアの脇のガラスの向こうに、ウロウロする犬影あり。
えぇ!? なんで、 ホームズが外にいるの?
ドアを開けてみると、間違いなくホームズでした。家に入りたくて、でもドアが開かなくて悪戦苦闘していました。
どこから脱走したんだろう?とホームズの部屋(元・書斎)に入ってみると、ハウスの戸が開いていて網戸が切れていました。さっき、くろねこヤマトさんが来たとき、ワンワン吠えて戸を開けたのかな。体ごと網戸に突進して突き破ったのかな?
 それにしても、車を追いかけて、どこかへ行くでナシ、玄関前をウロウロなんて、数年前の大脱走と同じです。留守中の昼間、裏口から抜け出したはいいけれど、家に戻りたくて玄関前に座り込んでいたのでした。あのとき、お向かいの人が発見して夫の勤め先に電話、まだ車の運転免許のなかった彼はタクシーを飛ばして帰宅。私はその頃、長岡にいて高速を飛ばして帰宅したんでしたけ。
散歩は好きだけれど、ほんとはおうちが大好き。ほんとに、臆病な、いい子です。



7月某日 言霊(ことだま)
 実家の隣のアパートで、エアコンが3台たて続けに故障して、電気屋さんが奮闘している。聞くと、どの人も震災後の節電に協力して、今まで付けないでいたらしい。それが、この33度34度の暑さ続きで、我慢の限界が来てONにした。
二つのクーラーは設置時期が同じなので、同じように不具合(賞味期限切れ?)が発生したというわけらしい。それは応急処置でなんとか動いている。もう一台はもっと古く部品がない、それで新品と取り替え工事になった。この暑さで、エアコンの在庫も、品薄らしい。
 ほんとに、この暑さのなかで電気屋さんはご苦労なことね、老朽化はいっせいに始まるのねぇ、と話していたら、、、話していたら、我が家のクーラーが、2週間以上前から使っているのだが、突然止まった。付けなおしても、かすかな生ぬるい風がくるだけ。
デンプチしてみる(電源を切って入れ直すこと)。内蔵のマイコンをリセットするだけで治ることもあるのだ。でも、だめだった。
 急きょ、翌朝、かの電気屋さんに電話を入れる。みてもらっても原因不明、また出直してもらって、メーカーの故障診断マニュアルテストをしてくれて、修理しても回復の見込みがないことが判明。
 エアコンなしにこの夏が過ごせようか、いえ過ごせない、一日たりとも(と言うあるじがいる)。
電気屋さんがメーカーに在庫確認をするも品薄なので、機種の選択の余地無し。アパート用最安値のエアコンを一台なんとか確保できただけでも、ありがたい。

 口に出して言ってしまった。老化だと。
うちのクーラーに聞かれてしまって、気を悪くされたか。
(あのアパートの不具合ありエアコンと、うちのエアコン、同い年なんです。)
 日本の神道では、言葉には命が宿っているとか。
余計なことは口にするものではないね。



7月某日 「老化のせい」といわれ
 みんなあきらめていた。第4,5脊椎の椎間板がなくなっているのも、股関節が磨り減っているのも、歩くたびに膝がパキンパキンいうのも、顎があかないのも。痰と縁が切れないのも。
それでも、「抵抗」してみようかと、動き始めた。半年ハラハラ親の世話で過ぎて、それどころでもなかったし。
 理学療法士の先生に股関節症の運動プログラムを作ってもらった。無理をしない、痛くなったらやめる、少しずつ量を増やす、の注意をされて、はじめた。はじめたら筋肉痛で足が痛い。
二回り年上の母が毎日リハビリに励んでいる指導の先生です。こちとらもよろしく。
 
 ツレの歯周病治療をしている歯科医にいって、顎関節症の相談をする。そして治療用のマウスピースを作ってもらうことになった。これで、岩塚製菓のおせんべい、わくわく広場のたくわんが食べられるようになるといいな。大口を開けてあくびができるといいな。
一回り年上の叔母が去年まで顎関節症の治療に大学病院へ通っていて、治ったのが引き金。
 
 肺が徐々に陰っていくのは、親の後を追っている。なにがしかの菌をうつされたと思うが、母の主治医は体型的に遺伝ですなあんていう。
それでも、帰宅時は明治製菓のイソジンでうがいをし、薬用ソープで手洗いをして、「抵抗」している(この言葉は母の辞書より)。気落ちすると痰が出るのって、不思議だな。これもストレスが要因なのだなあ。
 長く眠れない不眠症は、薬に頼ればいいさ。
あきらめというもののない自分を可愛がる生き方、生への執着・・・
     先人に学ぼう、ペシミストの私はふてぶてしい生き方に負けているのだ。



7月11日 あれから4ヶ月
大地震から4ヶ月もたった。けれども、新潟県には避難民が、まだ7547人もいる。その多くは、アパートや旅館などに分散しているが、新潟市体育館には、今なお70人が暮らしている。8月までだとか。それからどうするのだろう。
不動産屋は、無料アパート斡旋をはじめた。大家に、1年契約の敷金礼金無しの条件で協力を呼びかけた。しかし、ひそかに1ヶ月分家賃の半額をバックしてくれるように言っている。商売っ気は、しっかりしてるな。



7月某日 迷ったときは
「寝る」と、山田五郎が言っていておかしかった。
こうしたほうがいいと思うよ、と私が思っても、他の人はそう思わない。それぞれが自分の主張を繰り返し、相手の意見を聞かない。こんなときはどうにも、動けない。いらいらしても、身動きが取れない。
寝れる人はいいな。私は眠れなくなる。
理屈やあるべき態度より、好き嫌いの感情の方が優先。
好き嫌いより、経済が最優先。
全く、そうでない人もありで。



7月2日 半夏生
 網戸を洗う。裂けた網は、張り替える。
笹、スギナ、露草を抜く。道を作らなくては。これで半日仕事になった。午後は母の見舞いの病院通いだ。
あるじにいわせれば、「どうでもいいこと」で私の一日はおわる。
 やれやれ、めげずに、夕飯用のタコを買いに行きましょう。
きょうは半夏生(はんげしょう)。この日に関西ではタコを食べる習慣ありとスーパーウオロクのチラシに書いてある。タコの足のように、稲がしっかり根をはりめぐらしてくれるように祈って、だそうな。
関西生活10年の人に聞いたが知らないという。これも「ヴァレンタインチョコはメリーチョコレート社のしかけ」や、近年流行ってきた恵方巻のようなものか。
まあ、献立を考える手間が、はぶけるというもの。
 ・・・と、書いてから、私は以前にもこんなこと言っていたような気がしてHPを読み返すと・・書いてましたねえ。同じネタで何度も楽しんでいる(?)老後になった私です。このHPは自分のための備忘録ですわ。



7月1日 夏仕度
カレンダーを換える。これは毎月のこと。
玄関マットを赤から緑に換える。
のれんを茶色から浅黄色に換える。
座布団カバーも薄青い麻に換える。
床の間の軸「小諸なる古城のほとり」をしまう。
換えのお軸はない。扇面の書を買っておけばよかったわ。
三浦さんの絵を、朱い油絵から最上川の水彩画に換える。
 でも、まだコタツはしまわない。
壁を飾っている師匠の写真もまだ、赤い花。
熱帯夜になると、この赤が耐えられなくなって白に換える。
夜、25度。 夏はまだまだ。



6月30日 ちのわくぐり
半年の罪穢れを祓う大祓式の日。急きょ呼び出されて、叔母たちのお供で神社に参る。茅の輪をくぐったので、私の罪科もゆるされたかな。
しかし、夜、足が動かない。



6月某日 逮捕を目撃(終章)
 スーパーで買い物をすませ、法事の集合写真をたのんだデジカメプリントができるまで、外のベンチで腰掛けようと(立っているのも歩き回るのも疲れて)入口にさしかかると、先ほどの警備員と店員(幹部らしい人)が入ってくる。「あの人、よくみかけますよ」「ふーん」と話が聞こえてきた。常連客なんだねえ。何を盗んだんだろう。
 店の外にあるベンチで休もうとすると、そばに警官がまだいる。
こんどはテレビでよく見る鑑識係の制服警官(生でははじめて見ました)が5、6人、ジュラルミンのいかにも鑑識らしいボックスをさげているが何もしていない。例の女の人がまだいる。丸くなって立ったまま何か話している。(興味シンシンだが、ケータイをいじくりながらさりげなく座っていた。そのうち、一人が携帯だか無線機だかで、本部に報告をしている。おおよそ、こんな内容だった。
たまたま非番のマルヒ(?、あの女の人のことかな?)がスーパーで買い物しようと現場に来ていた。そこで容疑者を見た。ひとけのない通路へ行って(スーパーの)籠から自分の黒いトートバッグに、あげしゅうまいとあいすくりーむを入れた。そのまま外へ出たので、通報した。
大声で明瞭な発音で話していたから、間違いはないと思う。「揚げシュウマイとアイスクリーム」??
牛乳はレジを通しているのに?揚げシュウマイは万引きするか?
なんなのだろうね。些細な金額で逮捕・手錠付きになった。
 家で、もう一人の家人に、むりやり話を聞いてもらう。「精神の病気だね」
と憮然としていた。そうか、自分でも止められないのか。



6月某日 逮捕を目撃(つづき)
 遠くで見たときは、また交通事故だと、思ったのだ。パトカー、近くのスーパーの駐車場にパトカー、警官がいたから。いぜん、車が横転していたこともあったし、私もこの出口付近で事故にあったし。
 車で駐車場に入っていくと、パトカーが止まっていて、空いている駐車スペースにおまわりさんが数人、うずくまっている人を囲んでいた。道行く人は皆そちらを見ていく。その近くの、空きスペースに車を止めて外へ出ると、「いやだいやだ」と高い声がする。店の方へ歩きながらながめていた。小柄な男性は下を向いて座っている。そばに、憮然として立っている女の人がいる。彼女は白いシャツに黒いズボン。よく見かけるスーパーの警備員、店員もいる。うん?なんだろう、事件なんだな。引ったくり?暴行傷害?
「立て、立ちなさい、これ以上抵抗すると公務執行妨害で逮捕するぞ。・・」
「ぎゃー、いやだいやだ」
「13分、これが限度だ。逮捕します」  ガチャ。
ほー、ほんとうの手錠をはじめて見ました。両手の間隔は肩幅くらいあるのねぇ。
それでも、座っている人は立たないので、おまわりさんが腰のズボンをつかんで立たせて、二人がかりで手をひっぱり引きずるように、パトカーへ連れて行く。あ、女の人なんだ。
 スーパーの外側の店に私は用があってきたのだ。ここからなら見えていたはず。「なにがあったの?」と店員さんに聞くと、「万引きらしいですよ」と。
そうなの!?パトカー2台に警官4人がかりでしたよ。
警官は、その人の持ち物らしい、大きなバッグと1Lの牛乳2本は確実に入っているこのスーパーの袋も、パトカーに運んでいた。ふ〜ん?



6月某日 逮捕を目撃
「ね、ね、私、きょう逮捕される現場見ちゃった!」
「・・・」
「聞きたい?」
「いいです。聞きたくありません」
(しゅん)
テレビの刑事物ではみるけど、本物の手錠をガチャッと、かける瞬間に遭遇して興奮していたのに、我が家では、だあれも、興味なし。
その後、バタバタして、書く気力失せ〜。



6月某日 今週のお言葉
「菅さんのしぶとさを見習って」
ほんとに。理屈も人目も考えずに、自分の言うことを押し通すすごさ。



6月某日 『中国は、いま』がナイトキャップ
岩波新書です。これも図書館で返却コーナーからみつけてきたもの。
中国は共産主義の国だから、少なくとも制度上は、国民すべて平等を思いきや、農民と非農民の2階級があると、書かれていて驚きだった。
開けている広州で、この頃大規模な暴動やデモがあるが、これも、都市市民権のない出稼ぎ農民たちの起こしているもの(それに、職のない学卒者たちが合流しているらしい)。この人たちには都市へ来ても、子の教育の権利もなく、差別があるらしいのだ。へえー。



6月某日 梅仕事
 梅干し作り、梅酒作りをこういうらしいです。
ことしはしっかり梅干しを作ろうと思います。期待してくれる人が、東京と新発田に二人居ますし、おなかをこわした自分の薬ですからね。
 紀州の南高梅を一箱買ってきました。塩をかけて重しをしたのですが、なかなか水が上がらず、心配しました。水が上がれば、紫蘇を入れなくてはなのに頭が回らず、やっと水が上がってきてホッとしてから2,3日たって、ハッとして塩もみをしたパック入り紫蘇をスーパーで買ってきて大急ぎで入れました。気分だけは盛り上げたくてそれから、刈りたての紫蘇も、ひと束買ってきました。雨の晴れ間をまって、裏口で葉をもいで、もみました。こういう季節季節の家事をしていると、ああ、ちゃんと私も仕事をしているなあ、日本の伝統を受け継いでいるなあと自分に自信がでてきます。
これで、梅仕事第二段階完了。次は土用干し。それまで、腰がもっていてくれますように。(この数年、梅の瓶をもつのがつらくてサボっていたのです)



6月某日 99歳の詩人は
 90歳デビューの詩人、柴田トヨさん。『くじけないで』をはじめ、あざとさのない素直な善意の詩が好評だ。あの朗読の声を聴いていると、私でさえ、心が洗われる。
ときどき、テレビで、一人暮らし(近くに住む66歳の息子が世話をしているらしい)の情景が放映されて、いまどき、なごみの話題になっている。
若い女性レポーターは、おばあさん扱いしている。そう、見かけは腰の曲がったおばあさんだ。けれど、ちがうよ。心は若い。手元にはいつも鏡を置いている!身だしなみをキチンと、と言ってはいるが、自分の顔を見るのに、抵抗はないのだ。それは驚きだ。自己肯定の人なのだ。つつましくても。いいなあ。私はしわの増えた自分の顔を見るのは嫌だ。見るたびに嫌だ。
たぶん、薄くなっているのだろう頭にはキャップをかぶって、お手製のこざっぱりした服を着ている。おしゃれな女性なのだ。きっと、心は20代。
 そのトヨさん、「今がいちばんしあわせ」と言っていた。 詩作があるからと。なにかつかみたいと。
うちの入院中の母も「今がいちばんしあわせ」と、よく言う。どこが痛いわけでなく、三食寝たまま温かいご飯が食べられて、ブザーを押せば看護師さんがとんできて用を足し、この派出婦が用を足し、日々なんの不安もない。でも、「退屈だ」と・・・・
ねえ、かあさん、90歳になったら詩人になろうか。
入院しても、手鏡を持ってこい、なんていうところは似ているね。



6月某日 くじけないで
くじけないで、
まけないで、・・・・ 
こういう詩は、作者が自分に言いきかせているように聞こえる。
まけないで、わたし。



6月某日 コロイド状絆創膏の怖さ
 遠方の子孫が、足の爪のささくれをひっぱがし、血が出たので消毒薬を付け絆創膏を貼った。痛みが取れないので、コロイド状絆創膏を貼った。最近流行りの治るまで貼りっぱなしにするタイプのもの。
いつまでも痛みが消えず、青ざめ、吐き気までするので剥がしてみたら肉が真っ赤に盛り上がっている。そこで、救急外来の外科に行った。重症で、手術ですといわれて、麻酔をして爪を剥がされた。
 ちなみに家にあるバンドエイドのキズパワーパッドにはこう書いてある。
○キズは水道水でよく洗う
○ケガをしたらすぐ使う
○消毒剤やクリームと一緒に使わない、  と。
そして、「正しく使わないとキズがわるくなる場合があります」とも、書かれている。
つまり、これは自然治癒力にまかせる療法なのに、消毒薬を使ったため自分自身の回復力・細胞再生力まで殺してしまい、雑菌が繁殖してしまったのだ。
危ないところだった。

夜の電話に、救急外来を薦めたときには言えなかったけれど、切断の危機だったのです。こちらも青ざめました。



6月某日 田舎の高速道無料化おわる
 おわったのを忘れて、高速道に入ってしまいました。しまった。
車は少ないです。とくに軽自動車は・・1台見かけただけでした。
帰りは、並行して走っている国道(バイパス)を通りましたが、とても混んでいました。以前のとおりに。
そうですよね、平民は近距離通勤にお金を払っていられませんものね。
中条から産直市場に通勤していた人が無料化を喜んでいたけれど、どうしたかな。
 私は、ことしの8月までに、交通違反をすると免停なので、高速道を使っていましたが、混んでいてスピードを出せないならバイパスにします。空いていると、ついスピード出しちゃうんですわ。
その点、田舎の高速道は、一車線なので追い越しができずスピードを出せない代わりに、パトカーや白バイに追いかけられることもなく、違反の心配はないので、愛用していたんです。ただだし。
 「土日どこまで行っても1000円」は全く利用しないまま終わりました。足腰が悪くて遠出できないままだったのです、残念。
  なんだったんでしょうね、このばかばかしい試験期間は。



6月某日 モズが青葉の中で
カタカタカタカタ、戸を叩くような声で鳴いてます。モズは枯れ木で鳴くものじゃないの?私は歌で冬鳥だと思い込んでいました。友が写真を見て、これはモズ、と教えてくれました。うちには初お目見えです。けっこううるさい。



6月某日 ディスプレイ
三度目の正直で、母やっと一時帰宅となる。ゆっくりおうちご飯を食べて昼寝をして、仕事にかかる。
作り貯めた折り紙を、さらに壁に追加して、6月のお店をにぎやかにしたのだ。
(追記)今日も、寝ながら、母はアジサイを折っている。病室には明るい色が良いとピンクを入れて。さあ、来月は何を折ろう?



6月某日 イソップ
「371 蜥蜴と蛇
 蜥蜴が蛇と同じ長さになろうとして、背中の真中で破裂したとさ。自分より遙かに秀でた者を真似ても、我が身を損なうだけで、何の益もありはしない」(岩波文庫 『イソップ寓話集』(中務哲郎訳)より)
寝込んだときは、(重さが)軽くて、(話の)短いものが良い。これ、一番短い話、ショートショートの原型ね。
最近、絵本でもイソップがブームになっているが、紀元前からの教訓は、まだ生きているからだろう。甘ったるいヨイショより、人としての誠実さ、身の程を知ること、厳しい世間を生きていく知恵は、子どもたちにも伝えねば。今でも身につまされる私です。



6月某日 本を買っていない
 地震被災地の書店復興のため古本を送る運動に、友人が共鳴して、呼びかけてきた。なるべく新しい本を、とのこと。
さて、と探したら、ここ一年に買った(ふつうの)本は、    なかった。
 藤木先生の中世学の本や、古事記・神道の本や、ブックオフで100円買いしていた推理小説、仕事で使う絵本以外の、まともな新刊本、小説本は買っていなかったことに気づいた。そういえば、書店に行っていない。アマゾンでネット注文するだけだった。
 ミーハーな『RURIKO』(林真理子著)も、小林旭と浅丘ルリ子は親密だったのよ、と話したら、へぇ〜と返してきた人に押しつけていて、手元には残してない。
ごめんね〜。



6月某日 お疲れです
 体重が4キロ減った、といっても、私にとっては喜ぶ話じゃない、限界ラインを割っている。ジムも四カ月、休んでいる、退会しようか。水中ウオークもランニングもする体力気力がない。薬を飲んでも眠られない。食欲はあっても脂を食べれば、げりってる。 そして胃炎を起こして寝込むのくりかえし。とうとう、病院の見舞いを二日休んだ。今週は、それで母の一時帰宅ができなかった。
むりしなくていいよ、なんて手紙が来ると、行かねばなるまい。あちらも、がっくりするらしいから。


6月某日 政治
鳩山さんに「ペテン師」と言わせたくないよね。
沖縄の基地を県外に、と言ったのはどなた?
国連でCO2を25%削減と宣言したのはどなた?
退任後は引退と言ったのはどなた?
政治家は高潔な人物というだけでは務まらないとはいうが、ペテン師では困る。尊敬できるところがなくては、総理大臣はやってほしくないね。

『鳩山一族その金脈と血脈』(佐野眞一著)を読んでからは、私も情け容赦ないよ。(と、鳩山由紀夫を読み誤っていた私は反省)
この本を読んで感じたこと:代々、えんぷく家の夫に裏切られた妻たちは、女子教育事業(共立女子大)とか息子の教育成功に、命(つまりお金)をかけたのねえ、という悲しさ。



6月某日 誰かのために
 と楽天の野球選手がテレビで言っている。
誰かのために、だと、力が出ると。
何かのために、だと、力が出るね。
きょうは、負けたが、がんばれ楽天。

 それよりなにより、何もすることがないのが切ないと、母は言う。
病人なのだから寝ていればいいのよ、と言っても慰めにならなかった。
 今、母は仕事に復帰している。友人の折り紙を参考に、まずカブトをたくさん折った。それから魚。それから紫陽花。それらを、自分の店に飾ってもらって、ディスプレイとしている。今月は壁面をたくさんのスイミーたちが泳いでいる。別な壁面は紫陽花の花盛りだ。
以前は、その友人が作ってくれた物を飾っていたのだ。折り紙なんかに凝って閑人だねえ、と、働きずくめだった母は笑っていたが、今なら自分もヒマはいっぱいあるのだ。これなら、寝ながらでもできる。
本を見ながら、次は何を作ろうか、と考えている。考えることがないとボケるのよ、手先を使っているとボケなくていいわ、と母は言う。
どの紙をつかおうか、どの色にしようか、赤色は元気が出るねえ、チョコレートの包装紙がきらきら光って綺麗だから使おう、伊勢丹の袋のチェックもいいねえ、と次々に思いがけない発想をしている。
 友人は大事だね、ハリのある人生も・・・。



6月1日 カッコウ
 君はカレンダーかい?と聞きたいほどだ。
6月になると、朝、キッチンの外の電柱に訪れる。君の声で、ああ6月だと感知する私。”カッコウカッコウ、茶碗洗いはすんだかい? 衣替えは済んだかい?”と、見回りしているように。はいはい、わかりましたよ。
でもね、今週は寒さが戻って、ストーブ炊いて、毛糸のカーディガンを着ているの、冬物の洗濯は、もう少し待ってね。



5月某日 春だというのに
 高速道路には、木の葉が舞い散っている。松葉やユズリハの茶色の葉より、クヌギやケヤキの若緑色の青葉が多い。それほどの、強風なのだ。ニセアカシアの満開の花も吹き飛ばされて、路肩に溜まっている。
 夕方のラジオでは、佐渡航路の朝第一便の船が新潟港を出航したはいいが、対岸の両津港は強風と荒波で着岸できず、沖合で待機すること6時間、やっと第一便が接岸できた、乗客で具合の悪くなった人も出たとニュースで言っていた。想像するだに船酔いになりそう。それほどなら、戻ればいいのにね、と言ったら、第一便は新聞や物資の輸送でなにがなんでも届けなければならないからだろうなと家人は言う。ああ、佐渡島は離島なんだね。
 台風2号が低気圧に変わっても風と雨は日本全土を吹き荒れていた。地震被災地では、水害になっていた。ひどい一日だった。
 私は、主治医からの電話で、長入院している母がぐったりして、はじめて食事をとらない!動悸がしているからすぐ来るように、と言われて、急いで車を飛ばしていた。こんな事は冬からもう何度目だろう。先週は元気に自宅へ一時外出するほどになっていたのに。
美味しい物を食べれば元気になるかもしれない、と思って、わらび屋へ寄って、好物のどら焼き(ドラえもんみたいだね)と、いちばん柔らかいですよと勧められた杏仁豆腐を買って、向かっていた。
このところ、母は心配事を抱えてしょんぼりしていたし、昨日はあなたの言い方も悪いのよ、と叱ってしまったので、きっとそのせいだと思った。年寄りは気位が高いから、精神的に追い詰めてはいけないのに、ついやってしまった、とはげしく後悔。 
 病室に行くと母は、点滴をして、導尿の準備をされていた。朝のご飯も食べなかったと言うが、本人は後でチョコとコーヒーを飲もうと思っていたのに、という。よし、食欲がないわけではないのね。まず杏仁豆腐をスプーンで食べさせた。ぺろりと食べた。ああ、大丈夫だ。
それからは、気持ちのゆとりができ、熱いお湯をもらってきて、インスタントコーヒーをいれ、どら焼きを食べさせた。ああ、大丈夫だわ。ほんとに胃腸は丈夫な人なのだ。
お昼のおかゆも海苔の佃煮をのっけて少しは食べた。全部食べるゆとりは胃にはもうなかろう。
 後から、主治医に、肺炎を起こしていたのだから、心労がどうのということではないと、怒られた。そう、だんだん弱ってくるのだろう。
けれど、気の持ちようで元気不元気もあるし、今日は前日より10度も気温が下がっていたのに本人は気づかず、夜中に目覚めてボーッと椅子に座っていたなんてことは影響があったにちがいない。
 全快快癒の見込みが全くなくっても、病気をみつければ治そうとするのが医師の仕事だし、家族は老人が心穏やかに過ごせるよう励まし支えていくしかない。周りの皆もやっていることだから、と私は私を励ましている。



5月某日 愛しているだけでは足りない
「親は、子を愛しているだけでは足りない。愛していることが伝わるようにしなければならない(それも親の義務だ)」と松井直は講演会で話した。児童書の大家、福音館書店の会長さんだ。
「遅く帰ってきた子を、なんでこんなに遅くなったのか心配させるなと怒る前に、無事に帰ってきてくれてよかったうれしいと抱きしめるほうが先、そうでなくては、愛情は伝わらない」というような意味のことを話した。その時、私はまだ子育て時代だった。自分のことを言われたようでハッとさせられた。まにあった、と思った。
その話を聞いていなかったら、私は悪い例としてあげた親をし続けていただろう。でも意識していないときはやっぱりダメ母の地が出ていただろうなと思う。松井直の見識に異論を持つ点もあるが、これに関しては大感謝している。
 いまごろ、こんなことを思い出すのは、親が子を、でなく、子が親を、の場合も同じだなあと思うからだ。
親孝行をしたいと思っていたとしても、それが伝わるような思いやりのある言葉、態度、交流がなくては、やっぱり伝わらないのだ。



5月某日 『なきすぎてはいけない』
内田麟太郎の絵本です。
年老いた祖父から孫の男の子へ残していく言葉。
こんなふうに、しかられる絵本は少ないね。 地震のあとによむと、子どもたちより年寄り(私)のほうが、じわーっときてしまいます。



5月某日 「大丈夫じゃないと言いなさい〜♪」
 ある日、ラジオトークで、このドリカムの「大丈夫じゃないと言いなさい」の歌詞が、震災後の気持ちをフォローしてくれると投書があった話をしていました。
 ガンバレでもなく大丈夫でもなく、とても新鮮に思えて、ググってみました。そしたら『TRUE, BABY TRUE.』という歌の中で「家族の前で泣きなさい/大事な人に 大丈夫じゃないと言いなさい/それを言えない時がいちばん 実はつらいから 素直になって/・・」のフレーズがあるのがわかりました。
ますます、じ〜んときました。
 みんな、いっぱいいっぱいで、がんばっていて、これ以上は無理、というところにふんばっているのだものね。
歌もききたくて、アマゾンを検索していたら、この歌が入っているシングルCDが285円送料無料とあるので、さっそく注文。

「友達の前で 泣きなさい/思い切り 何度でも 泣かせてもらいなさい/心配かけるとかは この際関係ないから 気が済むまで」
「必ず変わる ましな日はくる」
「明けない夜がないことを しあわせだと感じるまで」
「何かを失うのは また何かを得るというサイン」
と、辛い体験を乗り越えていく歌なのに、メロディーもリズムも、軽やかに明るくのびやかで、笑い飛ばしているドリカム調。美和ちゃんも伴侶を失って悲嘆にくれていたけれど、そんなあとに作った歌なのかしらね。



5月某日 竹の秋
「いかにせん心の鬼を竹の秋」車谷長吉   しみじみ。
 我が家では、枯れゆく竹を背景に、紫陽花の新芽が伸びている。季節はすさんでばかりいない。自然天然に心も沿わせよう。



5月某日 白い夕日
 夕日は赤いものだが、きょうは白い。びっくりだ。咳が出る痰が出る。
西の空は黄ばんでいる。
そうなのだ、犯人は中国の黄砂なのだ。
越後でこうなら、九州はもっとひどい?
韓国では歩く人みなマスクをしている、健康被害も出ている黄砂問題を、テレビでも取りあげていたが、年々、悪くなるねえ。当地でもだ。
 焼き肉チェーン店のユッケ事件も、体力のあるなしで、死んでしまう人食べても何ともない人に分かれたが、黄砂だって、トラックの排気ガスだって、平気な人は平気なのだろう。
今週は、肺の悪い母も調子が悪い。心的ストレスのせいもあったが、軽症の私だって黄砂がひびくのだから、重症の母が苦しいのは当然だ。
 広漠としてしまった中国の荒野は、どうすればいいのだろう。ほったらかしの中国政府を恨んでいたが、原発事故は日本発の世界中に放射能をまき散らす大公害になった。
東電はやっとメルトダウンを認めた。ますます信用を失っていく企業と政府であることよ。困ったね。



5月某日 車がない
 先週のこと、H社のディーラーの店が休みだった日。前の国道を通っていて、なにか変、と思う。ふとバックミラーで見ると、屋内の展示場にはあったが、外の展示場、駐車場に一台も車がなかったのだ。(休日だからといって、車がなかったことなどないのに)一台も!
 隣のS市に、ほぼ毎日通勤している。病院へ続くその国道は郊外のディーラー通り。
翌日には、Hの駐車場にはちゃんと売り物や試乗の車が並んでいた。あれはなんだったのだろう。しかし、少ない。
 その日以来、奇異に思って見ていると、N社の店も、車が少ない。しかし、この変化は2メーカーだけで、MaもMiもDもSも、あのT社も、屋外はたくさんの車で埋め尽くされている。どうなっているのだろう、どうでもいいけど。
 うちの車を修理に出している工場の社長さんは、地震後、新車の納車は2ヶ月以上先、中古車も品薄、高値だと言っていた。
けれど、このあたりの中古車屋には、車はいっぱいある。高くなっているかどうかは、私にはわからない。
外国人向けの中古車屋さんには、救急車だけでなく、消防車も置いてあった。ちょっと、欲しかったりして。(買って、どうする?)



5月某日 年寄りのウソ
「年寄りは平気で嘘を言う」とツレはよく言っていた。戦争に行っているはずはない歳なのに、行ったという、とか。自己正当化しているといつのまにか、ほんとうに自分自身も信じ込んでしまっているらしい。
朝令暮改。前言を翻すのも、平然とする。自分の理屈の中では正当化されているのだ。世の中の正義はカレの正義ではない。自分が大事。そういうものだと、覚悟を決めてつきあわないと、暮らしていけない。
そろそろ我々自身も老人組、他山の石として、自戒せねば。

母の部屋の向かいの病室でケンカがあった。
腰の曲がった小さなおばあちゃんが、廊下をウロウロしていた。あちこちの部屋を出たり入ったり。そこへ車椅子を自分で回しながら入って来た大柄なおばあさんが、「あんた!なんで人の部屋に入ってくるの?出ていきなさいよ」と怒鳴った。
小「そこは私の場所だった」
大「今は違うでしょ、そこは私のベッドだよ、どきなさいよ」
小「でも、前はそこにいたんだから」     ワイワイギャアギャア。
押し問答は続いて、結局、看護婦さんがきて、おばあちゃんを連れて出ていった。
婆「どこへ行ったらいいんだろう、みんなのいる場所に行かないと」
看「ここは病院だから、自分のベッドで静かにしていてね」
 あの人は認知症かねえ、でも入院してから部屋を移ったりすれば、たくさん並んでいる病室のどこが自分の部屋か、私も分からなくなりそうだね、と母は話す。
前にそこにいたから、と主張するおばあちゃんの理屈のたて方が、老人だなあと思って私は聞いていた。おかしいけれど、それが彼女の理屈なのだ。



5月某日 義援金
中越地震の義援金が今ごろ配られたという(第何次の?)。今ごろもらってもと、それを東日本地震の義援金にまわしたという、すごく、さだかではない話。ニュースでチラと聞いたのだが、「魔法の小箱」でも確認はとれず。
今ごろねえ。あきれた話だよね。ほんとかな、あなた、もらった?



5月某日 浜岡原発の全面停止
 総理大臣が重大発表、との前置きで、カーラジオから菅さんの声がして、すわなにごとかとビックリした。
防潮堤ができるまで、浜岡のすべての原子炉を停止するように中部電力に要請したとのこと。地元や中部電力との折衝なしで決められたようだ。この原発は静岡県御前崎にある発電所で、東海地震の想定震源域の、ど真ん中にある。
ラジオで聞いていると、30年以内に起こる東海地震の確率が87%だというから、それは、すごく危険が差し迫っているように聞こえ、住民の不安をあおっているように思えた。
危険地域にある原発停止の判断自体は、間違っていないと思う。だが、民主党のやり方は、いつも唐突だ。根まわしというか、事前相談があってもいいのではないか。地元自治体や住民は驚いたことだろう。
 こんな大きな政治的判断でなく、私ら庶民の日常の生活の小さな決めごとでも、独断で決められると、感情的に納得できないことも多々あるように思う。それが合理的な判断であっても、僭越だという不信感のもとにもなっていく。
 先月のこと、うちの町内会が属している団体長名で震災寄付をつのる文書が、各家庭の配布物に入ってきた。氏名・金額を書いて町内会役員が集めるか、あるいは町内会自体が寄付してもよい、というような文面だったが、町内会長には、相談も事前打診もなく、事後報告だった。
失礼な話だ、無視しようか、匿名でいいのではないか、寄付は自主的なものだ、と批判意見が続出したが、結局は町内会で一括払おう、うちの町だけしないわけにはいくまいとの穏便な結論に落ち着いた。
でも、これはトップの専横だね。自分が長をする団体が寄付をしたという事実作りの。後味は悪かった。



5月某日 『スッキリ』より
「考えてもしょうがないことは、ポジティブに祈る」
「起きたこともポジティブに受け止めよう」
    by 上大岡トメ
コツは「中途半端じゃなく、真剣に心の底から祈る」のだって。「好きな曲をかけ、お香を焚いて、手を合わせ」・・・「曲が終わったら、さらっと忘れて、他のことをはじめる」 フムフム、思い悩むなということかな。
 


5月某日 連休といっても
 成人病が原因とみられる足の痛みに鎮痛剤を飲み続けているツレアイに、病院仲間ではこれも薬が一番多いヤミアガラズに、車椅子を押せば股関節が熱を持って寝込むワタシ、というこの一家には、行楽も旅行も無縁。
三島由紀夫に、アシモフに、と長編小説をごろ寝通読している人たちと、スーパーと病院と近場の花見に行くだけの私とで、我が家はのんびり休養モードでした。
昔から、家業のせいで、連休だからいって遠出したことはないから、あいかわらず、というところです。
家族で海外旅行に行く友人をうらやましく思ったこともあるけれど、混雑嫌い渋滞嫌い行列大嫌いなので、それに辛抱できないのでは、どこへも行けないね。
連休だから、と都会から帰ってくる子どもたちや親類縁者がいないのも、台所を預かる主婦には楽でした。(淋しいけどね。)



5月某日 『ドラえもん』考
 『ドラえもん』はうちの子供たちの愛読書でした。長女が幼稚園年長組で出会って以来、新刊が出ると買い続けていました。
 先日、友人から、「アメリカではドラえもんの評判はよくないらしく翻訳されていない」と聞きました。ヘエー!意外ですね。
その理由が「のび太君がドラえもんに頼りきりなのが良くない」からだそうです。それを聞いて思い出しました。そうそう、私もそう思っていたのです、出会ったときは。
(でも、本を買うときは、親が読ませたい本一つ、子の好みの本一つと決めていたので、はじめは母親好みでなかった『ドラえもん』も、全巻あります。)
娘は、なにかにつけて、(たいくつなときや宿題がでたときなど)「あーあ、ドラえもんがいたらなあ」と、ため息をついていました。私は、自助努力しないで依存性が強い子になるのを心配していました、ほんとうに。
 で、結果は? ドラえもんに助けられていたと思います。
ドラえもんは夢なんです。あこがれなんです。大人の都合で勝手に決められている子どもの生活の、息抜きの場、逃げ場、ネバーランドだったのです。
 徹底的に子どもの味方で、なんでもかなえてくれる、おしみない愛情を注いでくれる、それは実は、幼児に対する「母」の役割なんですよね。
のび太のおかあさんは、いつも怒ってばかりでしょ、やさしさはドラえもんが代わって与えていましたよね。娘がドラえもんをほしがるわけですわ。私も、あれせいこれせいいそげいそげだめだめ、ばかり言っているのび太君のおかあさんでしたから。
 松井直も佐々木正美も、子どもを叱責する前にまず愛情を伝えよ、と言っていますが、ドラえもんこそ、「かくあるべし」の条件をつけず子どもを丸ごと認める存在なのだなあ、と、きのうテレビで『ネバーランド』を観ていて、ハッと気がつきました。
 ドラえもんのファンの子どもたちは、なんでもかなえてもらえる幸せな子ども時代というのをファンタジーの世界で満喫し、次はどんなおたすけ道具がいいか、わがことのように真剣に考え想像力を鍛え、中・高校生になってもアニメを観て映画を観て、今回の出来はどうのこうの、と、ちゃんと評論力もつけて大人になっていったのではないかしら。

 ここで、我が家のマンガ博士にたずねてみると、ちょっと違った答えが出ました。原作とアニメではずいぶん違うと。
原作のマンガでは、のびた君がドラえもんのポケットを頼りすぎると必ずしっぺがえしがあり、結局は自分で努力することになる。
たとえば、読書感想文を書かなくてはならないとき、本を読むのが面倒で、ドラえもんマジックでデキスギ君に音読してもらう、デキスギ君が疲れたからといってやめると、その先が知りたくて,寝食も忘れて読みふけったのが『十五少年漂流記』だったというエピソードを教えてくれました。
  フムフム。
マンガ夜話でも「ドラえもん=母親」という解釈が出たが、マンガでは、のびた君はママにまったく甘えている。アニメでは怖いママ、溺愛のドラえもんになっている。
アメリカで受け入れられないのは、日本の住宅構造が理解できないからではないか、小さい家、靴を脱ぐ、ふすまを開けるという生活が皆目わからないだろうし、まず、「ドラ焼き」がわかんないんじゃないの、と。
   ハハハ、マッタク。
ドラゴンボール、ピカチューなどが大人気で、これ以上、日本文化に席捲されたくないのじゃないか、とも。
  ハハハ、カモネ。