はどそんのつぶやき2012

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6月某日 掃除をたのむと
実家の母はヘルパーさんを頼むと、片付けなくちゃとか掃除をしなくちゃあといっては私に笑われていた。掃除を頼むのに掃除をするの? 
はい、そうなんです。掃除してもらうには、余計な物をどかして、掃除できるようにするまでがたいへんなのです。
今月、我が家の庭の草刈り・剪定をたのんでました。私がやれる一日10分では、雑草の生長に追いつかないのです。毎年、黙っているとコスモスも斑入りドクダミもみんな刈られてしまうので、白い縄で輪を作って名札を付けました。大事なススキも囲む。盆栽鉢から地植えした背の低いボケにも札を付ける。それらの作業のために周りの草を刈る。これも何日かかけて。草刈りのための草刈り。なんだか、おかしいね。



6月某日 宮部みゆきにはまる
 紅楼夢を返しおわって、図書館の返却本棚から宮部みゆきの『名もなき毒』を借りたら、一気に読めてしまった。たった1000万円の生命保険のための殺人があるのか、そんな設定にどきどき。
それから『おそろし』『日暮らし』で江戸時代物、『人質カノン』『楽園』の現代物、みんな分厚い本。複線が最後に生きる小説家の旨さに酔う。不調の時の読書浸りをした。ひさしぶり。

 本を捨てなくちゃと思っていた。ツレのツンドク本は床の間を占拠して高さを増すばかり。それが止まっている最近は体の不調の表している。人に言う前にまず自分の本を整理もしなくちゃ。
 母の残した黄ばんだ書籍を手に持つだけで咳き込む。古い本は体に毒だ。人生の終末と引越も考えて処分しよう。
まず、一人勝手に盛り上がってきた児童書は捨てなきゃ。ノートや講演会記録は何箱かザックリ捨てた。稼げもしない年金も付かない無駄なことをしてきたな。
 本は寄贈しよう。と、まず寄贈先に決意表明。だが作業にかかれない気鬱症はつづいていた。やっと手をつけたが、どれも小汚くなっているのに驚く。ほこりまみれ。シミがある。赤茶けている。そりゃあそうだ。子育てをはじめたのは39年も前からで20年は経っているものが多いのだ。わりときれいな本だけ選んでリストを作る。
いちおう遠くの子どもにもリストを送る。すると、意外な本をとっておいてくれと注文が入った。私が衝撃を受けた本を、同じ感動を持ってくれていたのがうれしい。その本を選んだことで学業が苦しかったのもわかったし、本が助けてくれていたのもわかった。こども二人が同じ本をとっておいてくれというのもうれしい。「我が家のガールズトークは読んだ本の感想でしたね」と末っ子。ウルウル。無駄をしていたんじゃなかった・・・共有していたのね。



6月某日 掃除の理由
鍋を磨く。ポトフを煮ていたのに忘れて草むしりをしていて真っ黒に焦がしてしまったから。
一日ひとしごと、で終わらなかった。

一日出かけると次の日は寝てる。



6月某日 掃除の理由
換気扇のフィルター替えをした。ガスレンジ周りをマジックリンそうじをした。
「おそうじ本舗」のチラシを読んだせいだ。
柴田理恵が笑顔で「お家のおそうじおまかせください!!」と言っているチラシ。
なになに、キッチン一式¥15750。換気扇分解洗浄\12600。浴室一式¥12600。トイレ¥6300。在宅まるごとクリーニング¥69300〜。
まあ、これはプロの仕事だろうけれど、主婦の仕事はこんなに高額な価値のあることをやっているのだと思うと、やりがいがある。というか「おそうじ本舗」にまかす金はない、なら、自分でしなくちゃあね。
とはいえ、一日一善いえ一日一仕事。



6月某日 掃除の理由
 洗濯槽そうじをした。洗濯槽クリーナーを入れて撹拌しただけだが。
ブログ「イギリス毒舌日記」を読んだせいだ。
イギリス人と結婚してイギリスに住みデパート(?)に勤めている日本人女性の日記。イギリス人の自己主張の強さやグータラさが書かれていて笑えておもしろい。そこに、自分はこまめに洗濯機の掃除をしているが、オーストラリア人の兄嫁は全くしたことがない、と驚きをもって書かれていて、ハッとした。私もここ数年やってないわ。
 戸棚を探すと生協の「洗濯槽クリーナー」3個入りのが1個残っていた。何年前のか知らないが、まあいいや。粉を入れて「洗い」を押して三時間放置。でも、意外と水は汚れてない。そこで、またハッと気がついた。最近の道具類はみな抗菌仕様なのだ。風呂の洗面器もだが、それで雑菌もカビも付かない、のか、なあ。



6月某日 雑草
 外に出ると、雑草の花が目につく。うつむいて歩いているのだ。こめつぶつめくさ、こなすび、ぶたな、どくだみ・・。
タンポポもスミレもカラスノエンドウもヒメオドリコソウも、もういない。春から初夏へと季節が変わっている。
したたかにおとなしく、自分の番が来るのを待っている土の下の雑草の種たち。時を待つ、ということを教えられている。



6月某日 画本紅楼夢 読了
 岩波文庫の『紅楼夢』おもしろくて、続きは図書館で借りて読んでいた。良家の子女が「チッ、」と意地を張って見せたり、めそめそと泣いてばかりなのだが、語り口は「・・そのことははぶく。」とか「ギィッと院の扉がひらく音がして、出てきたのはそもそもだれであったろうか?詳しきことを知りたい方は、次回の話を聞きたまえ。」とか、かろやかで『怪盗二十面相』を読んでいたときのようなわくわく感があった。(曹 雪芹・原作 松枝茂夫・訳)
 図書館で調べていると『画本紅楼夢』というのがあった。(こちらも松枝茂夫・訳/中央公論社))
一ページに2枚の挿絵ばっちり付きのダイジェスト本、まあ大人のマンガ本。読みやすくて、途中からこちらへ転向。
 大富豪のわがまま坊ちゃんが主人公で、なにかあると めそめそ、さめざめ泣き、勉学もせず、相思相愛のはずの相手に思いを打ち明けられず、身内どうしのあいさつにあけくれる暮らしぶりに、現実を全く忘れさせてくれた。物語というのはそういう役目なのだと読みながら思った。
 そして、この主人公宝玉の父(高給役人)以外の一族の男どもはまともに働かず、私利私欲・色欲のみ。あんのんと富を使い尽くしてゆく。女たちも、召使いにかしずかれて、挨拶に行き来し、お茶を飲み、集う。刺繍をし、詩を詠む。誕生会やら葬式やらは派手派手しく、王妃にだした娘の宿下がりに大邸宅を建てるなど豪華絢爛をおしまない。家計を預かる女も私欲に走る。このだらしなさいいかげんさで、最後は没落していく。結末まで本来の著者は書いていないので、いろいろな作者による 異なった結末がある、続編もたくさんあるという解説も、おもしろかった。
 だいたいが、神仙世界の一岩石が紅塵のちまたを経験したいと言って人間の姿になって離合悲歓を経験し、そしてまた天界に戻って体験談を岩に文章を刻む。それを伝え聞いた著者が書いているという趣向で、浮世離れしてて当然なわけだ。
 毛沢東も愛読していたというが、どのへんをだろうか。働かざる者食うべからず没落は当然という結末か、それとも女子に囲まれての富貴豪奢な美少年の暮らしぶりを愉しんでいたのか、こっちかな。



6月某日 不調ですが
パソコンにはむかえます。 ふみとどまっている感じ。



6月某日 だるい
 最低限しなければいけない事では動ける。頂き物のサギ草の鉢に水をやる、夕飯の魚を買いに行く、銀行に請求書を払いに行く、業者に電話する(何日かかかってやっと)。予定をこなすのはなんとかできる。
自由行動ができない。だるくて出かけられなくなる。うちにいても体が動かない。
 不手際がつづくと落ち込む。書類をなくす。文句を言いすぎた。いじわる人になろうと決心しても成りきれない。
寝ていても眠れない。ああ冬物をしまわなくちゃ、雑草取りをしなきゃ、これからどうやっていこうかと気はあせる。どうにも動けない、考えがまとまらないから、しかたがないから寝ちゃう。朝寝て(=横になって)昼寝て夜も寝る。
「明日できることは明日しよう」「まず、休もう」
眉の上の湿疹がかゆくなり、咳が出て痰が絡んできたのは、無理だよ信号。
すなおに体の言うことを聴いて、家事はパートタイマーになってサボっている。

一日ひとしごと
木曜日 自販機のペットボトルを洗う(60分)
金曜日 マイカーを洗う(20分)
土曜日 洗濯機が洗ったハーフ毛布を干す(2分)
日曜日 雑草を刈る(30分)
月曜日 メールを書く(3時間)
火曜日 木の刈り込み(10分)草・枝を袋につめる(10分)
       上出来


5月某日 眠りたい病
眠れずに困っていたのだが、今は眠くて困る。いつも眠い。口は開いたが目が開かない。細く開くだけ。(長時間眠れるわけではないのだ)
鏡を見て気がついた。目が細くしか開かず、垂れているのも老人の特徴的な顔つきだ。但し、元気で活力ある老人(自分を老人と思っていない人)の目は、ぱっちり不気味に開いている。母もそうだった。



5月某日 Uus
ウンウンセプチウムを知っているなら、あなたは理系ね。ジョークのような名の元素。
TOKYO ELECTRONの新聞広告で知ったが、2010年発見の新人元素だそうな。へぇ〜。
「水兵リーベ僕の船なまがるシップスクラークか・・・」と、高校で、元素記号の暗記に精を出していたのは、はるか昔のことです。
ちなみに化学の初めてのテストは28点でした(100点満点で)。



5月某日 歯医者に行く
定期検診のお知らせハガキが来た。行かねば。
顎関節症で、通いはじめたのが昨年の7月だった。10月まで進展が無く、母の骨折入院騒ぎ以来、休んでいた。
12月末、気がつくと顎の痛みは消えて口が開くようになっていたが、医者へ行く暇・気持ちの余裕がないまま、日を暮らしてしまっていた。半年ぶりに、快癒の成果を見せに行くと、先生も喜んでくれた。まだ指が3本しか入りませんが、というと、それだけ開けば充分ですと言われる。ゲンコツが入る近藤勇は特殊人物。
マウスピースは、まだ着用するように、とのこと。はいはい。あの痛みが戻ってこないためなら。
これで、奥歯の治療も再開できる。



5月某日 みばがわるい
これを「見栄」というのだろうか。
庭の草をぼうぼうにしていれば、みばがわるい。
髪ぼうぼうで散歩に出れば、みばがわるい。
人目を気にし過ぎと、おっしゃるが、
ゴミの分別をちゃんとやる。家の周りをきれいにする、
なりふりをかまう、これ、社会人の常識じゃないか。
ちゃんとできる気力と体力がないから 、めげているんじゃないの。



5月某日 NHK大河「平清盛」
 私は観ているが、平家物語大好きのはずのツレは観ない。暗い。汚い。わけがわからん。そう思う高齢者も多いらしく視聴率が低迷している。
たしかに暗い、高感度カメラに頼りすぎている。
汚い。ボロ服を着てる清盛。平屋敷も汚い庭に鶏がいる。忠盛は金持ちだったはずだがな。都もほこりまみれだ。
最後に描きたい平家の栄耀栄華・豪華絢爛との対比として、始めは庶民的なの薄汚れた暮らしぶりを描きたいのだろう、史実的には今までの王朝絵巻風はウソでこちらが本物だろうと、私は好意的に観てきた。だけど、清盛が朝廷に出仕してからは、もう少し髪を整えろよと言いたいね、無礼な装束で、やりすぎだ。
 ドラマとしては、「遊びをせんとや生まれこむ」、「おもしろい世にしたい」というテーマは、ステキに心に響く。つまんないことだらけの今の世、この閉塞感を破ってくれぇ〜!
ここまで天皇家の愛欲どろどろや上級貴族の同性愛を描いていいのかと心配なほどの描写がある。天皇家、上級貴族の豪奢な衣装とお歯黒の異様さ、武士の地位の低さ汚さ、平民の衣類の粗末、漁民は裸同然。つまり身なりで位がすぐわかる世の中だったと知れる。その身分をぶっこわして世の中を変えるおもしろくする、という清盛は、昨今の夢のない政治経済のなかでは、きらりと光るじゃないか。
(まあ、ホントの所は密貿易で裕福になった平家の金の力が天下取りを実現させたのだとツレは説明してくれているが、これはドラマだからね。昔、故中村勘三郎のやっていた大河より歴史考証は確かだよ)
誰も観ないのはもったいないね。



5月某日 あっちこっちの庭仕事
 天気がいいと調子に乗る私。
無人になっている実家のプラスチックゴミ(植木鉢、プランターの処分)を、ゴミの日なのでゴミステーションに出しに行って、庭の真ん中に、いつのまにか松が数本、数十センチに伸びているのを発見。実生から大きくなったのだろうね。放っておくとたいへんなことになるのは、今の家で経験済みなので、あわてて、切る。まだ、はさみで切れた。
ドングリを植えたのも、今や2メートルを超える大木(先は切ってある)。ここから落ちる実生の幼木があちこちに生えている。椿、紅葉や見知らぬ木のも。笹も生い茂ってツツジを隠している。はさみを出したついでにあちこちの刈り込みをはじめた。
 家族に言えば、放っておけばいいのにといわれるので黙っているが、気になるのだ。それで、気がついた。この屋敷の木は、椿も紅葉もツツジもびわも夏椿も山吹も、薔薇も、みな南町の木。広い庭だったので空いているスペースに自分の好きな木を植えてもらって、引越の時に実家に植え替えた木だからなのだ。長岡では冬は雪囲い春は雪囲い払いと庭師さんが出入りして、きれいに刈り込んでいてくれた。母は庭園など知らずに育った人で、かつケチな人だったから長岡の庭師が来なくなってからは、ほったらかしだった。高枝切りばさみは持っていたけどね。椿は、私がときどき見よう見まねの剪定をしていた。みんな好きな木だったから。無駄だと知りつつ、ほおっておけない。でも腰が痛くなる前には止める。
 そして家に帰ってくれば、ああ、ここも雑草が気になる、生け垣が気になる・・・。



5月某日 買いっぱなし
 犬の歯ブラシ。指にはめて、こすってやるタイプ。歯茎から血が出ていたことがあってペットショップで買った。その後、歯磨きガムを与えたら出血しなくなった。そういえば買いっぱなしで使ってない。
 ツレは、シューズやウエアに五万円もかけて入会したスポーツジムに、結局説明を受けに一度行っただけだが(数年会費を払いっぱなしだった)、文句は言えない。ランニングマシーンも居間にデンと置かれて数年、まだ5回も使っていないが文句は言えない(と、文句を言っている私)。
 掃除用具もそうですねえ。買えば綺麗になった気がしているが、使っていない重曹、クエン酸、鍋の錆び落としの「サビヤケクリーン」「ヤケ落ちくん」、金属みがきの「ボンスター」、「排水管の一発洗浄」(一粒入れるだけなのに)、アルコール除菌スプレー・・・
使わなければ綺麗にならないで・・・今に至る。



5月某日 異議あり1 天皇の訪英
 「各国との王族との交流」が主目的なら、日本皇室の次世代を担う皇太子夫妻(とくに外国でならノビノビできる奥さん)を行かせるべきではないか。ご自身もエリザベス女王の戴冠式は天皇の名代として出席していたはず。老人の我執にみえる。胸に水がたまっているのに。(個人の充実した生き方としてはいいけどね)なんか違う気がする。

異議あり2 沖縄基地返還
 知事は県外移設をと言ってはいるが、本当に米軍基地がなくなったら、困るのでは?
辺野古の市長さん、辺野古に基地新設は反対しているが、今ある基地の撤退には反対してるよね。
そこの自治会長さんはテレビで、基地使用の代償とし年に3800万円だかの費用が支払われていて、それが無くなったら困ると言っていた。どっちなんや。
「おきなわをかえせ〜♪」なんてシュプレヒコールを叫んでいたうちらの学生時代はアホみたい。

異議あり3 古シーツいらないって
 数年前、当地の福祉施設では古シーツ、古タオルを集めていた。ウエスとかいっていたが、自動車のあぶらとり?
そのつもりで、古シーツをとっておいたが、気が落ち込んでいてそういう善意っぽいことをなかなかできなんだ。
うちの中の「物」を少なくしよう、そういう気になって、やっと勇気を持って出かけたら、「今は古い物は取り扱っていないんです」と申し訳なさそうに言われた。汚い物を平気で持ち込んでいたやからがいたんだろうか、時代が変わって不用になったのだろうか。どっちにしろ「チッ」だ。
明日、45円のゴミ袋に入れて燃えるゴミに出そう。 チッ。

異議あり4 母の遺品整理
 まだそんな気にはならないでいる。だが、冬服はクリーニングに出さねばならない。着なかった服も防虫剤を入れなおさなければならない。その臭気でいつもぜんそくを起こす私は母の妹たちにお願いして使える物は持っていってもらうようたのんだ。冬服を。でも夏服も持って行かれてしまった。チッ。母は五年後は十年後は、といつまでも生きている気でいた。さすが、母の姉妹だ、年をとっても物欲は枯れていない。
 そのおかげでふっきれた。いつまでも母の気持ちにとらわれていないで整理できる物は整理しよう。私の体の動くうちに。趣味で撮り集めた写真もゴミ。母校の会誌もゴミ。新聞の切り抜きもゴミ。誰かが使える物だけが有用品。そのうちガレージセールをしよう。町内の人にオープンにしてもらってもらい、残ったものをゴミ袋に入れよう。
 その叔母に母は逝去前々日に電話をしていて、あとは娘に任すと言っていたんだそうな。では、そうしよう。



5月某日 読書
 今年に入ってから、本が読めなくなっていた。読む気力がない。読みたい本がない。字がぼやけてみえる。
そんなとき出会ったのが『田中慎弥の掌劇場』(2012年4月、毎日新聞社刊)
「もらっといてやる」発言で芥川賞をにぎわせた作家。受賞作はバイオレンスらしいから避けていたけれど、おもしろそうな人だと思っていたので、この短編集を手に取った。おもしろかった。本の世界に入り込めた。SF的、星新一的。そして昨年の地震災害についての小品がいい。きれいごとでなく、作家なんてたいそうなことなんかできないのだと自覚してるところがいい。
 この本から読書のおもしろさに戻れた。今はこちらも、いいかげんで、どうってことがないおもしろさ満載の『紅楼夢』に、はまってる。2巻目。



5月某日 ガン・ガーン(2)
 友が、ツレアイが大腸癌と判明したのに、仕事が詰まっていて手術を受けないでいると嘆いていた。妻の懇願が効いたか急きょ手術を受けたというのは、実家の葬式が済んでしばらくしてから聞いた。よかったね。病院で粗雑に扱われたと怒っていたが、それは医療関係者的には、それでも予後がよかったほうだから、なのだろう、と善意に解釈してあげたい。
 叔母が胃がんの手術をした。ずっと大部屋でイヤだった、管をつっこまれた後遺症で声が出ないと嘆いていたが、死にそうになれば個室に移されるのだから、よかったね、なのだ。声もだんだんには出てきている、よかったね。
友の姉は甲状腺癌の手術をした。術後さっさと退院させられたが、・・・よかったね。
生還おめでとう、生きていてよかった。
誰も癌手術など好きではないだろうけれど、間に合ううちは受けよう。
治せないといわれる前に。



5月某日 ガン・ガーン(1)
 私の友人の約半数は癌患者だった、多くは手術後は良好で日常的な生活を送っている。それでも、告知されたときはショックだったろうし、今も再発の不安を隠して穏やかにふるまっているのだろう、えらいな。
ということはふだんは忘れ去っていた。良い経過ならではのこと。我が身に降りかかりでもしないとね。
 ここからは私事。去年の暮の話です。
体がしんどかった。体重は激減する、だるい、喉がつまる、などの症状が、たんに母の看病疲れだけとは思えず、首の(前回は良性の)甲状腺腫瘍が二十年の歳月を経てあばれだしたか、ホルモン機能変調が原因かと、専門病院を受診した。足腰痛はこうなると後回しだ。
 医師は言う「ガンの疑いを否定できません。レベル3のニュウトウ癌です。ふつうはすぐ手術でとってしまうのですが、あなたには手術をオススメできません。前回の右側の摘出手術でハンカイ神経を傷つけている可能性があります。今回の左側の腫瘍も広がって神経にへばり付いている可能性があり、手術をするともう片方の神経も切るかもしれません。片方が残っていればよいのですが両方なくなると、体が動かせなくなり、自発呼吸ができずソウカンしてジンコウコキュウキを付けることになり、寝たきりになります。ほおっておいても腫瘍が広がり、声帯や気管を圧迫して声がでなくなるでしょう。家族でよく考えてきてください。 」
 医師があまりに淡々と話すので、医学用語のわからない私はハアハアと答えるだけだったが、病院をでたら世界が遠ざかって見えた。

 なんだかすごいことを言われたのかな。帰り道、遠回りして白鳥のいる田んぼへいって、かわいそうな私、と少し泣いた。
これで老後老醜を考えなくてよくなったのかな。正しい病名でちゃんと死ねるのはうれしいかも、と安堵感も持てた。
 そして、私より早く逝って欲しいと母の死を願った。私が倒れたら、母の面倒を見る人がいなくなる。弟夫婦が帰郷して母と同居する話もあったのに、直前で母は拒否して、こじれたまま音信が途絶えていた。親身な世話は期待できない。
 家人は、その医者を信用せず、そんなものはガンモドキで癌ではないと私の感傷をいっさい無視していたが、これからはほんとの一期一会だと思った。帰省してきた遠方の子らと私は大事に正月を迎えた。

 一月、母は逝去した。見送ってやれてよかった。なかばホッとしてもいた。親類一同とも再会できた。その時点で、私の再検査結果は出ていなかった。

 二月、再検査をする。別な位置での細胞診ではレベルが低かった。石灰化もなかった。 説明時には家人が同行してくれ、前回の手術での神経切断はありえないと談判。医者は先回の恐怖的な説明などなかったかのように、この乳頭癌は進行も遅いので、なにもせずにいたほうがよい、 定期的に検査を受けて下さいといって、次回の検査日を七月とした。
 カード精算機で受診料210円を払って、喫茶ルームでコーヒーを飲んでケーキを食べて、病院を出た。検査は何千円もかかるのにお医者様の診断は210円というのは、機械が人間より偉いようで変だなといつも思う。
それに、なにかキツネにバカされたような気がした。腑に落ちない。しかも罪悪感を引きずっている。
よかったな、とコーヒーを飲みながら家人が言ってくれた。そうだ、よかった、なのだ。



5月某日 夢だった
喉が渇いた。いくら水を飲んでも乾きが消えない。声が出ない。叫んでも声にならない。その前の展開は覚えていないのだが、幼稚園児の下の子が哺乳瓶をくわえていて、その上の小学生の子もカラになったb哺乳瓶をくわえてひっくりかえっていた。私はいっしょうけんめい叫んでいた。「ごめんね」「ほおっておいてごめんね。」そしてツレアイに「無視しないで」「愛してると言ってあげて」と叫んでいた。息が苦しい。そのとき、キュルルルとふしぎな音がして覚醒させられた。隣にいたツレの腹の音だった。知らん顔で本を読んでいた。



5月某日 「クイール」を観る
 テレビを付けたら、映画「クイール」をやっていた。友人の飼っているボーイとおなじ、ゴールデンリトリバー種の盲導犬の話で、犬が可愛いなあと見とれていた。が、途中から涙がわきでてきた。飼い主の盲人小林薫は若い頃の無茶で盲目になった。原因は糖尿病。そして、人工透析を受けるようになって、何度かの入退院をくりかえし、そして死んだ。
 クイールは盲導犬教習所から、はじめの(生まれて一年間預かっていた)飼い主香川照之と寺島しのぶ夫婦のもとに戻って、老犬として息を引き取る(まで、つきっきりで看取られる)。
 私には前者の死がきつかった。



5月某日 いんちき
私はインチキ主婦。まいにち掃除はしないし、窓の敷居は真っ黒。
飯は作るが、あと片付けは中途半端で、水切り籠に茶わんはおきっぱなし。
あなたもインチキ。どーもどーもですませて、利にならないことには返事もしない。
あなたもインチキ。言われたとおりには意地でもしたくない。
あなたもインチキ。やまいにかこつけて、寝てばかり。
業者は金になる時は頻繁に来るが、金にならないときは来ない。
みんなインチキ。たよりになる人も相談相手もいない。



4月末日 フリをする
きのうは高速道路をドライブしましたよ。
きょうは、近くの菜の花畑を観光しましたよ。
と、たのしそうに書いてみる、
全然楽しくなくても。
連休を愉しんでいるフリを書いてみる。
いっときツマンナイ自分を忘れられる。
何もしないより、何かしているほうがまし。
どっちみち痛みが消えないなら。



4月某日 慰められて
うちの女房も親を3ヶ月、つきそって看取ってたいへんでしたよ。そのあとの相続やら手続きやら、なにもしない弟妹も、もらえるものはと、一人が主張し始めるとほかの弟妹も言い出す。私は口を出しませんでしたよ。外部が口を出したらもっともめますから。どうしよう、とどうにもならないこと言っても相手にしませんでしたよ。
奥さんに、たいへんだねえ、と慰めてやらなかったの?とたずねると、それは女の甘えです。とキッパリ言われました。
どこもそんなものなのか、と、慰められたら、ばったりのびてしまった。
(後日談:慰めではなかったですね。男には理解できない共感のなさに絶望したのだわね)



4月某日 水道のパッキン
蛇口を閉めてもぽたぽた水が止まらない。古くからの知り合いの電気屋さん(!)に、たのんで修理してもらう。
なかのゴム製のパッキンが古くなると劣化してそうなるのだ、アパート修理などでよくやっていたと前に話してくれていたからお手の物だそうな。。
何せ、ここは築30数年の古家なので、ネジも怪しいくなっていて慎重にはずした。それでも古いタイプは部品も安いが、今式のお湯と水が一つのコックで出るのは部品交換だけでも2万円以上だと聞いて、古家もいいところもある、と納得したり、久しぶりに普通の会話をした。
あとで、どっと疲れた。人がいないときはぼーっとしている。



4月某日 はらまき
NHKの天気予報のお姉さん、明日は気温が10度ほど下がるので暖かい服装を、といって「私は腹巻きで対策します」なんて20代のかたが。ホウホウ、腹巻きも市民権を持ったものだわ。
 かくいう私も、ワコールでなく、しまむらの腹巻きを愛用していたのだが、この頃行方不明。またゴミに捨ててしまったかな。とあきらめて、天気予報のお姉さんを見習って、買いに走る。急激な冷えは腰の大敵だ。 よかった、まだあった。780円が280円に値下がりしていた。今期最後の品。ホッツ。痩せてからはウエストサイズキープの働きもあるので、必需品だ。
と喜んでいたのは一日。クリーニング屋へ、コートを出しに行ったらその袋の中から腹巻きが出てきた。あら、恥ずかしい。



4月某日 まだスノータイヤ
自動車屋さんから連絡が来るはずなのに、来ない。見放されいる。
「春真昼ここの、港に寄りもせず岬を過ぎてゆく船のあり」てな気分。

バイパスを走ると「働く叔父さん」の:車がたくさん行き過ぎる。「働きのないおばさん」はl肩身が狭い。
家にいても、掃除の効のないほど、なに人も訪れない。働くのが好きでないくせに働きがないと言われるのはいやだし、認める人もないのはいやだという、わがままなインチキ性格だ。
何もかも、1人で背負っていて、誰かにぼやきたいのに我が家は全員鬱だ。そして鬱てんでんこ。

せっかく友人が万代橋の袂まで来たのに会いに行けず、残念だったなあ。



4月某日 『なのはな』をよむ
萩尾望都の最新刊をよむ。重くて読み進めない。
原発に悩んできたが、これを書いてスッキリしたというが、それは彼女のカタルシス。ストーリーとしては予定調和になってしまっている。重い。重すぎて個人レベルで解決をしてしまってはだめだ。原発事故が終息していない避難民にとって、今の生活苦が解決されないではまず終わらない。菜の花を植えようとひまわりを植えようと。
今夜のテレビ、三春の滝桜は人々に守られ支えられて千年の年月を重ねた。やれむり原発と関連づけているが、地震がこようが、原発が爆発しようが、桜は咲いていたのだ。浪江町の桜並木だって誰もいない無人の町で咲いていた。花は花で咲いている、人のためではない。



4月某日 いんちき読書
小説本が読めない。架空の世界に遊べない。さりとて、エッセイも信用できない。言わないことに真実を見つけようとしてしまう。
斎藤孝の『過剰な人』を拾い読みしている。表紙の下谷二助のイラストがおもしろくて借りただけ。中を見て、びっくり。これはドストエフスキー大好き孝のドストエフスキー全著の分析かつダイジェストだった。へえ〜。
いっとき、ツレがドストエフスキーに、はまっていたけれど長大な饒舌によくぞついていけるものだと感心していた。私なんぞ昔々、『罪と罰』のラスコーリニコフが金貸しのばあさんを殺すところでギブアップ、だって、それが何が悪いと若いときは感じたのだ。
この本がおもしろいから、ドストにいくか、というと、めんどうでいかないだろうな。



4月某日 幸福論
アラン(フランス)は、どうも性が合わないらしく、ギブアップ。
ショーペンハウエルの幸福論にくらがえする。こっちが性に合いそう。
さいきんは、全然、小説本を読めないでいる。

ショーペンハウエルの『幸福について』より。
「幸福論という言葉そのものがバナナの叩き売り式の美辞麗句にすぎない」「幸福は人間の一大妄想である。蜃気楼である。がそうは悟れない。この悟れない人間を悟れないままに、幸福の夢を追わせつつ救済しよう。」(というので、これは風刺的、ユーモア的に展開してゆく)
「人間の幸福の対する二大敵手が苦痛と退屈である。」(ああ、なにもすることがないと言うのがいちばんの苦痛だ)
「われわれを幸福にしてくれるのは心の朗らかさである。」(あれ、アランと同じことを言ってるわ)
「陰気な人間の長所は・・万時悲観的に最悪の場合を気づかっているから誤算が少ない」(よし、このタイプだけど損でもないか)
「・・むしろ、大きな財産の維持のために不可避的に生ずる数々の心労のために、かえって幸福感が損なわれるくらいである。」(はあ、まったくそのとおり)

セネカの言として「およそ愚かさは自己に対する嫌悪に悩む」こと。(自己中の人がうらやましい)

高1のとき、ショーペンハウエルにはまった。この辛らつさが小気味がいいのかも。
まだ数ページ。



4月某日 許せない
 この春、はじめての草刈りをした。右手は素手でカマをもち、左手はゴム手袋をして草を集める。ツクシ、出会った当初は可愛いと思う。春の証拠だからしばらくは許した。もう、却下、庭ではね。そして笹、彼らには秋のはずなのに根はのびつづけていて傍若無人にはびこっている。腰痛にならないよう、一区画だけやって切り上げた。もっとやっていたかった陽気だった。
なんだか右手がヒリヒリする。笹で切ったかな。よく見ると小さな黒いトゲが手の甲に。しまった、またあの毛虫にやられたのか。右手にもゴム手袋をするべきだった、不覚だ。
 毛抜きでトゲを抜く。自分でできないところは抜いてもらう。シャツを着ていたはずの腕も線になって腫れている。まいったな。にっくき毛虫め
 夜、入浴して、右手だけはそうっと泡洗いをして、他はふつうに洗った。出てから、なんだか体中がヒリヒリする。鏡で見ると、あちこち、肩や背や胸が発疹状態になっている。なにか違う原因かな。・・・・・後日談:毛虫アレルギーだったようです。
許せない私は、おいておいて。



4月某日 暖かで
久方ぶりに体操教室へ行った。最高齢者は九十才のバレエ教室なので、気は楽。でも、私は一時間も持たない。立ちくらみになって休んだ。皆さんは、毎週続けているから、すごいなあ。
 それで、体が楽になって、実家の庭仕事をしに行った。ほったらかしの植木鉢が庭にゴロゴロ。受け皿には水が溜まって、虫のわく素になるのが気になっていた。暖かで、庭にいるのはいい気持ち。調子に乗って2時間も30個の植木鉢、枯葉ととっくんでいた。通路を覆うツルバラの枝切りも。ああ、なんて働き者の私、と思ったとたん、ぶり返しましたよ、腰痛。
持病を忘れさせるほどの暖かな一日でした。いたたた。



4月某日 天上大風 地上も大風
尋常でない風が吹く春。今日もまた。風の音が怖い。海鳴りの音が怖い。
風の吹く日はすくんでいる。外は暖かなのに家の中は寒い。春は名のみ。



3月某日 帰ってきた車
 これをチャンスに新車に換えればいいじゃない!とアドバイスをもらった。そうか、そういうプラス思考もあるか。なにごとも悲観的だった私には、恵みの言葉だ。ありがとう。
でも、すぐにレモンさんは帰ってきてしまった。4箇所の雨漏りを治されて。屋根部分と側面のつなぎ目のパッキングがボロボロになっていた(そういえば、グレーのパテが塗ってあった)、以前の修理の時に内部を覆っているビニールが破れた・・・とかは、中古車では、よくあることと。
そうか、何回か修理した車だったのね、レモン殿は。病膏肓で手放されたのだね。
でも、すぐ治ってよかった、と思おう。安くすんだのだもの。
あ、やっぱり・・・
 「 「でも」と反論するのが悪いクセですよ」、と子孫に指摘されている。そうですね全く。 



3月某日 車の災難また
我が中古愛車レモンちゃん。後部座席の足元に置いていた買い物バッグがしめっている。おかしいな、と床を拭くとびっしょり。バスタオルで拭いても拭いてもびしょびしょ。変だな。水をこぼした記憶はない。天井はなんともない。
次の日、犬のゲージを入れようと、バックドアを開ける。もしや、と床板を剥ぐと、スペアタイヤが水没していた。
自動車屋さんに電話する。雨漏りでしょう、(中古車では)よくあることです、調べてみますと代車を持ってきた。
ああ、この車は災難続きだ。エンジンはガタガタだし、空耳音が聞こえるし、母が骨折した日はガソリンタンクが壊れてガソリンを撒き散らしてたし、大雪の通院日はタイヤが破れたまま走行してた。
疫病神が付いているのかも。(中古車なんか買うからだ、との声もする。)
夏の母の退院に備えて人に貸してもいいようにと急いで買った安い車(かわいいのですが)。
悪い日に災難が重なるジンクスがあるので、今日は何があるのだろうと、ヒヤヒヤすごした。ちょっとの手違いでまたパニクったけれど、まあまあ落ち着いた。
(ご心配かけました、愚痴れるようになりました)
震災から、そろそろ一年。テレビの震災関連ニュース、とりわけ津波の映像を見ていると、胸が苦しくなります。それに比べれば、自分のハラハラなんてちっぽけなのに、やっぱり押しつぶされそうになる。いけないね。



3月某日 あくあ
「あせらず
 くらべず
 あきらめず」
  と、ラジオから聞こえてきました。
このところ焦って慌ててばかりいます。猫がいないぞ!え、また逃げ出したか? あ、ベッドの下にいました。
こちらは苦労ばかりと人と比較してました。
これから体も悪くなるばかりとふさぎ込んでました。
  いけないね。

あせらず
くらべず
あきらめず

と、自分にいいきかせながら一日一日を送っています。
ほどなく梅も咲くでしょう。
 


2月某日 茶渋だらけの湯のみ
 そんな家の人のことを笑っていたこともあった昔。気がつけば、我が家の湯飲みはいつも茶渋だらけ。気がつけば、ほこりだらけ、油染みだらけ、かびだらけ。体のせいにしたり、人のせいにしたり、いいわけばっかり考えていて、まじめに主婦をしていなかったのに、気がついてしまいました。と、しょっちゅう言っている私ですね。そういいながらパソコンに逃げている・・・。



2月某日 日めくり暦
 台所の窓辺に日めくり暦が置いてあります。紙の下段に格言が書かれていて、「流れる水は腐らず」とか「待てば海路の日和あり」とか、ほんわか家事を励ましてくれる言葉が多いのですが、きのうは「嵐の前に静けさ」でした。
一日雨が降っていて雪がずんずん解けました。寒気の緩んだいい日だったのですが、それがなんだか怖かったです。でも、きょうも穏やかな曇り日。ホッ。



2月某日 ほほえみ
「・・・・不幸とは心が受け身の状態にあることだという、・・・では、どうすれば能動的になれるか・・・強い意志で、などと無理なことを言わない・・・ほほえみを作ればよい、なぜなら微笑みをえらべば渋面は退散せざるを得ないから。このちょっとした身体動作が、よどんだ情念を澄んだ能動的な意志に変えるというのです。ここから礼儀作法の大切さが説かれることになります。・・・」
と、『図書 1月号』の「こぼればなし」に、アランの『幸福論』を読んだ編集部の人がまとめていた。しみじみ心に感じるものがあって、『幸福論』をとりよせてみたのですが、
その文章はどこにあるのか、いまだ行き着けてません。
にこやかさ、ほほえみも努力目標です。



2月2日 毎日、げんきかなと訪れてくださる数少ない大事なお友達へ。
 先月、母が急逝しまして、気持ちも生活も慌ただしくしておりました。
よれよれしてはいますが、去年の暮れよりは足腰の痛みも感じず動き回っています。ほかにすることもない身ですから、おいおい、更新させてもらいます。

 きょうは目の前の信号機が見えないほどの猛吹雪で、出かけるのを断念し、家に戻りました。寒さも雪も今日がピークとか。
 皆様も、お大事にお過ごしください。



1月某日 二年越し掃除
 食器棚の食器の下に敷いている白い紙(カレンダーの裏)を取り替える。年末になると、やらなくちゃあと思いながら、これでぎっくり腰を起こしたらおしまいだ、そうなっちゃまずいと、やらずに済ませて二年。
 今日はゆっくり休養をとっていたので、夕食の後片付けついでに手を出した。やり始めると何のことはない、大皿も数枚ずつ、分けて出せば、重くないじゃない。どんどん、仕事が進んで、普段使わない皿の戸棚の紙も入れ替えた。抜き取った古いカレンダーは2006年のだった。あれあれ。
きのうは、ガスレンジの換気扇フィルターを張り替えた。これも二年越し。
昼には、二年ぶりに車に乗らず歩いてポストまで行った、年賀状を出しに。えらいぞ私、まだ抽選前だ。
ちょっとずつ、物事はすすんでいる。これで、よしとしよう。



1月某日 ラジオで「気ままにクラシック」を聴いていて
 そうだ、オルガンを聴きに行こう。(実現性はどうであれ)
リュートピアのパイプオルガンの音は荒っぽい。D女子大の音は割れて汚い。澄んだ美しい響きのパイプオルガンの音、生の音が聴きたい。
わたしの音楽好きの原点はオルガンだったような気がする。保育園の、小学校の教室の、日曜学校の、教会の、オルガン。ちいさな足踏みオルガンの呼吸するような息遣いの音。ハモニカに出会うよりもっと前に聴いた生の楽器の音色はオルガンだった。あの頃、ピアノなんか身近でなかった。コンサートへ行くような家庭でもなかった。(もちろん、同級生でピアノやヴァイオリンを習っている人もいましたけれどね) 体に刷り込まれているのは、懐かしく思うのは、オルガンの音色。
今日聴いたマリ・クレール・アランのバッハを、まずは買おう。
 それにしても、今の子どもたちは嘉門達夫の「ちゃら〜ん、鼻から牛乳〜♪」で「トッカータとフーガニ短調」を身近に感じているのが、おもしろいね。



1月某日 前へ
未来、永遠、希望、どれも明日へつながる美しい言葉だと
今ごろ気がついて、励まされている。
前へ進もう。後ろを向いて、泣いていないで。



1月某日 もとは一つの多病
腰が痛い、股関節が痛い、顎が痛い。
きょうは、母の病院行きを休む。外は吹雪いている。
この痛みたちの原因はみな、軟骨の減少。肩の痛いのは、まだMRIに出てこないが時間の問題だろうな。人間の知覚の方が優れている。だって、腰は45年、股関節は5年、データに出るのに年月がかかっているのだから。そのうち医学の進歩で人工椎間板ができるかな。待ってるよ。



1月某日 反対の反対
「存在することで周囲を腐らせるような人間もいるが、彼女はその反対で・・・」とは某ブログでの話。
存在するだけで周りを腐らせる人、いるいる。ああ、的確な表現です。



1月某日 一期一会
お会いするのもこれが最後という気持ちでお茶のひとときを愉しむ、これが茶道の心。きらびやかでなく、雑踏の中でなく、そんなお茶会に出たいものですね。(友の初釜を聞き)



1月某日 ばあちゃんばあちゃん(改訂版・メモ発見で))
 母の病室のおとなりさん。娘さんとおぼしき60代の女性が毎日見舞いに来る。
「まいんち わーりぃね」
「ばあちゃんばあちゃん 毎日毎日くんのが、仕事らて。
 あたしも、ばあちゃんとこ いぐの たのしみにしてるがね。
 ばあちゃんは寝るのが仕事らっけね」
「つかーれたろ ありーがとね」
「ばあちゃんばあちゃん、またあした、くるっけね」
「うん」

 母は、この「ばあちゃんばあちゃん」さんの元気な明るい声を聞くのをたのしみにしている。自分も励まされたような気分になるらしい。大部屋が気に入って個室にしてもらいたいといわなくなった。
えらいねえ、見舞い人。こんな励ましの声かけがなかなかできない。やっていることは同じでも、私はもっと陰気だ。この頃は自分の体がしんどくて通うのが辛い。母が全快するわけもなく、明るい言葉がかけられない。
 賀状に「私は命を支える偉業をなんとかやっております」と親と夫の介護に走り回っているのを、あっけらかんと書いていた友がいた、エライ。命を支える偉業とは、よくぞ言った。ほんとだ。偉いねえ、なんにでも前向きな人だ。
 さて、このばあちゃんばあちゃんさん、この頃は、風のように来て風のように去っていく。滞在時間数分。近くの人なのか。このやり方も賢いかも。
もう一つ、「ばあちゃん」はうちの母とそう、歳は違わないだろう。ちゃんと、おばあさんと呼んでおくべきだった、自覚を促すためにも。それも苦労の種。
もう一つ、正調新潟弁が私もなつかしい。



1月3日 初ボケ三連発?
 母の病院へ急ぐ。ボーッとしていたのか、高速道路に入って気がつくと風景がいつもと違う。反対方向の路線に入っていた。しかたなく次のインターまで乗って、いったん料金所を出てもういちど、入り直した。
昔々ののどかな頃、こんな間違いをして、中央車線から折り返したこともあった・・・ああ、あのころからボケていた?(今はできないように敷居ができています)

 病院を出て、病院駐車場の料金所でお金を払おうと思ったら財布がない。(あ、車はETCをつけました)病室で落としてきたかな?戻ってみたが、なかった。とりあえず、テレビカード代分くらいは持ち込んでいる母から千円借りる。
メールを送って、懸賞金付きで家で探してもらった。これはすぐにパソコンデスク上で見つかった。
でも、年末の車の鍵はでてこないし、見つかった手袋の片手は、もう行方不明。どこで落としたか、わからない。失せ物落とし物で、いつもオロオロしてるなあ。

 子どもにお年玉をやろうかどうしようか思案していた、正月になってやっぱりやろうということになった。ポチ袋の予備がなかったので、普通の封筒に入れて、ツレのベッドサイドテーブルに置いた。ここに置いておくからね、と言った。言ったよね。昨日のこと。
さて、今日になって、ツレがやろうとしたのに、封筒がない。何も聞いていないし、見ていないという。ええっ!
私、それからどこかに仕舞ったか?うちでは大金だし、うちじゅうを探す。お金を仕舞いそうな所すべて。引き出し、冷蔵庫、洋服ダンス、でも、まったく記憶がない。こうボケがつづくと頭を抱えて座りこんでしまう。 
 やるとツレが決めたので、他の財布から調達して、あり物の封筒に入れて手渡す。そして、埋蔵金捜索懸賞金一割付きを命じる。
正月早々、気が沈んで、帰京した家族がいてひっそりをした家がなお、ひっそり。
そして、うろうろ昨日からの行動記憶をたどって、うちの中を歩く。それが思い出せない。
あーあ、歳はとりたくないねえ。
正月が来て誕生日が来て、めでたいと浮かれていたら、真実はこれかい!?
自分に自信がもてないのは、いちばんこたえます。

そういえば、昨日は家族写真を撮ったっけ?カメラバッグに仕舞ったなんてことをしてるかな、とバッグ、カメラ置き場、部品置き場とさがすと、・・・あったんです。
ただ、記憶は全くない。
夜になって、ツレが俺が仕舞ったのかも・・、と。ぽつり。

真相は闇の中。どちらも記憶力低下中。



1月1日 元旦
あけましておめでとうございます。
ことしも、ぐだぐだグチにおつきあいください。