はどそんのつぶやき2013

いかり・くどき・おもにぼやき・どきり・かんどー・しったかぶり・かくしごとあり・ほらハなし
☆支店トップへ☆
つぶやき2003    つぶやき2004   つぶやき2005   つぶやき2006 
つぶやき2007-1  つぶやき2007-2  つぶやき2008-1  つぶやき2008-2 つぶやき2009-1
  つぶやき2009-2  つぶやき2010-1  つぶやき2010-2  つぶやき2011-1  つぶやき2011-2
つぶやき2012-1  つぶやき2012-2

 

6月某日 感情は他人です
ラジオからこんな発想を聞いた。イライラしてたり、怒りや悲しみにとらわれたりするのは、自分じゃないと。面白い考え方だなあと、半分なっとく。

別な日、ラジオで平野敬一郎が「分人主義」の話をしていた。アイデンティティや自分探しなどに囚われるから辛い。いろんな場面でいろんな自分が出るのは当然なのだ、そうすれば苦しくない、と自身の子供(生後6か月)を例に挙げていた。
親に向ける顔、保母さんに向ける表情、カメラ目線、皆違うと。
そして、だんだん、たのしい面に集約していけばいいと。たしかに職場と家庭では言葉も顔つきも違う。違って当然。いつも「自分」でいようなんて思うから辛くなる。これは本当の自分じゃないと思って。
でも、半分の納得。



6月某日 買い物メモ
冷蔵庫に 買い物のメモを貼っている。ポストイットで。
きょうは 「タラコ、油」
いつぞやは「もやし」、また「カミソリ替刃」、「みそ、しょうゆ、いずみ」「ラップ」「土、コスモス種」
書くと覚えるか、メモを持って行けば忘れないか、持って行くのを忘れるか、持って行っても忘れるか、その日その日でいろいろ。
「用を足すための人生」と宇江佐真理が言ってるように、用を足すために私がいる、とつましく自己肯定できる日もある。



6月某日 親の目でみている
 知り合いの親戚筋の人が亡くなった。一種の高齢者の孤独死だった。
親子の折り合いが悪くて、こどもたちは世話をしなかったと聞く。
今までだったら、それは仕方ないね、と専横だった親をうらむ子どもの立場で考えただろう。
 だが、その話を聞いたとき、親は子どものことを愛していなかったのだろうか、伝わらなかっただけなのではないだろうか、と親の目で考えてしまった。
二世代前の親は、ごはんを食べさせてやるだけでも子育て、親の責務(愛情?)だと思っていなかったか、その親の価値観を受け継いでしまった戦中生まれは、高等学歴を受けさせるだけでも十二分の愛情だと思っていなかったか。
 私の同期生で、一緒に受験勉強していた友人は、親が高校教師だったのだが学費を出せないといわれて泣く泣く生命保険会社に就職した。おなじく、親は名門の出自だったが、母子家庭で親から蓄えはないと受験期にいわれしかたなく就職した友人もいた。
その頃は、自立をめざしていた私だったので、ふん、奨学金をもらってバイトすれば地元の大学くらい行けるのに、伯父さんから借りればいいのに、彼女らは甘い、と非難の目で見ていたが、それではすまない困窮があったのかもしれない。私も甘かったから。
(近年の日本の児童文学は世界は子ども中心で、大人は子どものために何でもしてくれるように書かれているが、そんなものを読んでいると大間違いだ、せめてシビアな外国ものを読んでほしいと思う。)
 うちの父親のように、老後の世話をしてもらうため養子にもらわれてきた子もいた。商家に大学などいらないと高校までしか出してもらえなかった。子どもの望みなど親は考えの外だった。と親が恨んでいた養祖父母のことは孫の私もおなじように考えを刷り込まれていた。
だが、港町から競馬町まで自転車に乗せて競馬を見につれていってくれたお祖父さん、リューマチでお勝手仕事をしなかったというがおんぶしてあやしてくれたお祖母さんをふっと思い出すことがある。孫にはストレートに愛情を出してくれていたのではないだろうか。
 日々暮らしていくのはたいへんなのだ。東京の大学に出してやっただけでも、親は十分なことをしてやったのだし、してやったと思っていたのではないかな。家庭内で専制君主だったり横暴だったりがあったとしても。真相はわからないけれどね。

 松居直が云うように、「親は子供を愛するだけでは足りない、愛していることを伝えなければいけない」が、これがむずかしい。
伝わっていなかったのだな。そんな風に、親の目でみてしまう、
戦後生まれで、休日は親子で動物園に行くのがフツウと思って育った私でも。

 身内のことでも、いろいろあるけれど、自分を削ってでも助けたいと思うのは、ツレアイと子どもだけです。あ、それも、自分が倒れるほどは削っちゃいけない。倒れたらかえって迷惑をかける。わが身を食べさせてやるアンパンマンだって、半分になったら、まっすぐ飛べなくなるでしょ。



6月某日 竜に飲み込まれた白鳥
レイ・ブラッドベリィ作『たんぽぽのお酒』より
 「鱗と皺ばかし」の「年老いて見る影もない竜の中に閉じこめられている」きよらかで美しい「白鳥は内にまだ生きている」もしくは
「わたしは、出口のない、ぼろぼろに崩れた塔のなかに幽閉された王女さまで<魅惑の王子様>を待っている・・」と、95才のミス・ヘレン・ルーミスは、自分の若い時の写真に熱狂的崇拝をささげる、31歳の青年に語る。そして愉しい語らいの数週間後を経て老嬢は亡くなる。
 「ばば皮」という昔話がある。若い娘が突然の苦難を受けるとき、身を守るために老人の皮衣・風体をさせられる。そして誘惑やら横恋慕をのがれて幸せをつかむというお話。
年を取っても心の成長のない私は、むしろ ばば皮をかぶせられているのだろうかと思う。
 主人公ダグラスの祖父は言う「おまえたちもいずれわかるが、年をとるにつれて、日々は、いささかぼーっとなってな・・・・一つ一つ区別できんのだよ・・・・」
まったく。メモを残さないと昨日感じていたことも忘れてる。
 72才のヘレン・ベントレー夫人に、アイスクリームをおごてもらった10才の少女たちは言う「ほんとうに10歳だったことはないんでしょう」
わたしも少女だったことがある、結婚していたことがあると言っても、うそだといいかえす。写真を見せても「だれだってこんな写真は手に入るわ」と。指輪も櫛も「だれか小さい女の子のもの」を盗んだと非難する。じぶんのおかあさんは全然変わらない!ときっぱり。老夫人は亡き夫の忠告に従い、子どもたちと親交をきづく。自分の過去へのこだわりを捨てて。
そうだ、わたしのおばあちゃんははじめからおばあちゃんで、おかあさんはおかあさんだった、10歳の頃には。若い時があったなんて考えたこともなかったね。
 死を身近に感じていた12歳の少年と老人たちとのひと夏の物語なのだが、老体には残酷なエピソードが多かった。

・・・
2.Why do the birds  Go on singing
Why do the stars  Glow above
Don't they know  It's the end of the world
It ended when I lost  Your Love
・・・
「The end of the world」の曲が、この本を読んでいるとき、とうとつに頭のなかで流れた。失恋したら世界が終わったのに、どうしてみんなわからないの?という歌。甘美な自己中の世界に10代前半は共感していたのだろう。今なら、津波が来ようと戦争が起ころうと、世界は終わらない、人類は生き残らなくちゃいけないのを知っている。
歌詞がすっかり戻ってはこないので魔法の小箱に手伝ってもらったが、メロディはしっかり覚えていた。
 若い時の思い出はまだらに残っていても、昨日食べた味噌汁はよく忘れてる。
(ちなみに、この曲でdoと doesの違い、theの読みの違い(ザとズィ)を覚えたような。)



6月某日 平野政吉美術館の閉館!
 秋田の繁華街の脇のお堀のなかにそれはあった。
長女がよちよち歩いていた頃、夫の短期出張で秋田市の土崎港に数か月住んだ。すぐ近くの図書館分館の前にプロレタリア文学雑誌「種まく人」の石碑があった。
暇で、退屈で、ひとけのないその分館児童室を二人で独占していたが、遊びあきると、電車に乗ってよく街まで出た。駅前の市場ではハタハタが箱で売られていたけれど買わなかった。目抜き通りの路上でムーミンの人形を150円で買ったり、本屋で毎回!「ぐりとぐら」を買ったりしていた。
 藤田嗣治の絵が好きだったので、お堀の中にあるその美術館へ行った。
ここはフジタのためにつくったんだよ、中に入るとおじいさんが親しげに話しかけてきた。バギーから降りて歩いている娘の頭をニコニコなでて、飴をくれた。子どもを連れてきたことを喜んでいた、平野さん。
圧倒的な大きさの印象的なフジタの絵と、すてきな丸窓。飴をくれたおじいさんが、ずっと心の奥に残った。
 秋田の人のブログを見て、平野が秋田の子どもに真の芸術を見せたいと美術館を造ったこと、それがこの6月末に閉館になることを知って、がっかりしていた。いつかまたあの空間に行ってみたいと、かなわぬ夢を持っていたのに。
  平野政吉美術館は県立美術館になっていて、200メートル離れた新館に移行するとネット検索して知る。平野政吉は「秋田藩主 佐竹公と共に水戸から秋田に移住した家来の子孫で秋田一の破天荒な大富豪で」あって、芸術家フジタの有力なパトロンだった。大作「秋田の行事」は畳26畳の大きさでこの施設のために描かれたもの、フジタの意向をくんで造られた美術館だった。
移転は、理不尽なもので、一般市民・藤田ファンからは猛反対があることも知る。もちろん。わたしも反対だ。元市長・現知事の佐竹氏の先祖の「佐竹史料館」が後にできる話もある、恥ずかしくないのかな。



6月某日 雨は上がるが
 「・・・阿賀野川水害警報が発令されました・・・・大隊本部を設置します・・・」
緊急連絡が、ちかくの消防署から聞こえてくる。
戸外で訓練している隊員への通報なのですが、風の向きによっては我が家にも届いてくる。
雨は上がったが、上流ではまだ降っているのかな、昨日までに降った大量の雨水がこれから、この河口地域に押し寄せるのかな。空はどんよりしている。
西日本では昨日から未曾有の大雨になっている。堤防が決壊しなければいいが。
 
その後、
「○○町の火災は、鍋の空焚きが原因でした」というアナウンスも聞こえてきた。
気を付けよう。



6月某日 おばさんに失礼だわ
「私、おばさんなのね」 とうとつにAさんが言う。専業主婦で「人と付き合いがなかったから気がつかなかったけれど、人から見たら、おばさんなのね。今、気がついたわ」と。
私より数年若い人で、私が60才になったとき、60になったら終わりよね、と言った人である。キィー。
賢明なBさんは黙して語らず。つっこみやの私は「あら違うわよ、おばあさんよ、わたしたち(孫がいなくても)」、と、また言ってしまった。
 子どもが小学生になったら、なになにちゃんちのおばさんって言われたでしょ。そういう付き合いもなかった??おばさんってそういう年代の人です。
うちの娘は大学生になったら隣家の小学生におばさんと言われてショックを受けた。若い人は残酷である。
あ、私も歳のくせに残酷ね。



6月某日 梅雨寒
 雨が続いている。寒い。急に5~8度も下がると体がきつい。
長袖のTシャツを着て長袖のチェックシャツを着て、長袖のカーディガンを着て、その上に長袖のレインコート風チュニックを着て、友人の海外旅行みやげのストールを小粋になびかせて、スーパーへ行く。
さすがにちょっと暑い。
 Bスーパーのバイトの青年は半袖だった。若いなあ、お主。
Uスーパーの中年女性は長袖のカーディガンを羽織っていた。そうだよね。
 ツレは冷える冷えると言って帰宅した。温まるからと風呂に二回も入った。それでも体温が35度だ。あの~、寒ければ半袖シャツなんか着てないで長袖を着てくださいね。綿のカーディガンもありますよ。厚手のパジャマを着てください。毛布を出しましょう。洗ってしまってあった電気毛布も出しましょう。ビールを飲めば冷えますよ。熱いお茶をどうぞ。
娘はいつも低体温だったのですが、その頃フン!と相手にしなかった人がいましたね。辛かったんですよ。
(ちなみにわたし低血圧でいつも90くらいしかなかったですが、そんなでは死なないと無視されてました。自分が90台になるとあわててる人がいますが、しんどいのがお分かりになったかな)
知力のあるお方のようですが、若さと生活の知恵はありませぬ。腰痛持ち何十年のキャリアの古女房は8月までコタツは仕舞いません。夏でも長袖です。 



6月某日 布団乾燥機を買う 
 NHKのテレビを見ていたら、開封したお好み焼き粉にダニが巣食っている、布団にダニがいる、ダニが死んでもアレルギーが起きるという、こわ~い話をしていた。ギャ~である。
食物は冷蔵庫に入れれば良い。冷やすとダニは死ぬ。布団は布団乾燥機で50度以上で熱風を送れば死去するという。枕元は汗・ふけのせいでダニが多いと。
 最近、じっとり暑くなってから、ベッドに寝るとムズムズかゆい、これか!
ベッドの上に布団を敷いているよ。奴らの最適温度は30度。
 すぐ、電気屋さんに言って、P社の布団乾燥機を取り寄せた。
少し暑さがおさまった日、朝から熱風を送り込んで、裏返して熱風を送り込んで、掃除機をかける。死骸も悪さをするんである。ハウスダスト感知装置がついている電気掃除機なので、じっくり駆ける。寝てばかりいるツレのベッドはハウスダストが多かった。
これで半日。疲れはてて横になりたいが、布団はまだ、暖かでとても寝れない。暑い。ふ~。
 それで、夜は熟睡したか、解決したかというと、だめであった。
キャー、これは、もしや、母が悩んでいた老人性のかゆみ症かい!?
寝ていなくても頭はかゆい、体もかゆい。顔もかゆい!



6月12日 夏?
 上越市で34度のニュース。空は青く澄みきって、遠くの山も青い。
扇風機を出す。うちの中には、まだストーブが出ているのに。
 晴れの日が続いて、田んぼは干からびているとか。
庭にも朝夕に水撒きをしている。草花に水をかけてやらなきゃといういい人になる幸せ、水撒きをする元気のある幸せ。
(訂正:上越市 35,9度まで上がりましたて)



6月某日 よその、なんでも反論夫
 女房殿は日々忠告しているそうである。相手の言うことをまず認めて聞いてやるようにしないと、いやがられるし、仕事にも差し支えるわよ、と。
そうなのねえ。自分は我慢できても外に行って恥をかくんじゃないかと、一所懸命、説得するのが内助の功と思っていたことも私もあった。(今はしない。嫌われるだけで、損をしてきた)
で、その友人に、効き目は?と聞くと、
変わらないわ、との返答あり。やっぱり。



6月某日 なんでも反論
 なんにでも反論する人がいた。素直に「そうだねえ」ということが知性のなさを示すとでも思っているのか、「いやいや…」「それはちがう…」という接頭語を付けて話を返すのがくせになっていた。
だから例えば、木曜日に「今日は木曜ですね」と話しかけても「いやいや、」といってから、あれっと言葉が続かなくなるようなこともあった。
 さいきんは、話しかけても、返事もなければ、合いの手も当然ない。そりゃあ、黙っていれば賢人風・紳士風にみえるか。つまらぬことは関心がないということか。
 いやいや、と私は反論したい。
いまどきの小学生にもあるコメント力がない、都会人らしい軽妙洒脱さがない、まずは相手を認める心理学的理解力の欠如だけだわ、と。
 暖簾に腕押しでは会話もなくなる。まあ、いいや。私にはパソコンがある。
それでも、生きているし、暮らしていける怪。ちゃらんぽらんが秘訣。



5月某日 晴れときどきマメコ
 晴れた日は心もさわやか、体も軽い。目が外に向き、庭の花壇の雑草が気になる。垣根のどうだんつつじの新芽が伸びすぎているのが気になる。そろそろグリーンカーテンを作りましょうとホームセンターの入り口で売っているゴーヤの苗が気になる。
で、今日はマメコが来たらしい。
 常にやらないのに今日やったことを書いてみよう。
洗濯物を外に干す。廃油を近くのステーションに持っていく(ペットボトル8本ことし初めて)。空き缶・トレー・プラボトルをスーパーの収集場に持っていく(1か月分)、ゴミステーションにガラス瓶を出す(3か月分)、強力接着剤を買う(犬に壊された星の王子様鉢を直す)、プランター用の土を買う(雑草の種が入っていないので良い)。そしてプランターの古い土を出してプランターを洗う(ダンゴムシよサラバ)。古い土を庭の山奥に運ぶ(重いのでポリ袋に小分けにして直線で10メートルを三往復)。庭の雑草を刈りはじめる(こと止まらなくなって1時間)、生け垣のニョキニョキも脚立を出して剪定(注意深く脚立をロックする。S君の父君はこれが外れて落下、骨折、リハビリ中!痛いだろうね)。台所のゴミ箱にアルコールを噴霧して拭く(カビ・ダニ・水虫のTVを見て)。その周りに掃除機をかける。
 吾ながら、たいしたもんだ。えらいぞ私。家人は誰も気がつかないけど。食事時とじぇじぇじぇを見てるとき以外は動いていたよ。
そのほか3食作って洗ってたでしょ、クリーニングを取ってきたでしょ、洗濯した物を・・・たたんでない!・・・とりこまなきゃ!(汗)



5月某日 レイ・ブラッドベリィ
 「いいかな、人生はわしらにすべてを与えてくれる。そしてつぎにそのすべてを取り去る。若さ、愛、幸福、友人。闇が最後にそのすべてをもっていく。わしらのそれをー生命をー他人に遺贈できるのだと知るだけの分別がなかった。あんたの容貌、あんたの若さ、それは次にまわすのだよ。やってしまうのさ。ほんのしばらくのあいだわしらに貸しあたえられているだけのものなのだからな。それを使ったら、泣いたりせずに手放すのだ。」(北山克彦訳)
 ドキッ。こんなの、われら(=老境に向かう見た目じじばば)への警句だ。
『たんぽぽのお酒』の続編にあたるこの『さよなら僕の夏』は2006年に出版(日本版は2007年)1920年生まれの著者の80代後半の作、前作は30代後半。
 少年の、ひと夏の思い出、季節の移ろいの味わい、生命のゆらぎ、成長への忌避、老醜の嫌悪、死というものへの恐れを書いてきているが、前作にくらべ、若き頃の思い出より熟成され老成した著者の目が前面に出ている。
だから主人公は、14歳の、感性が鋭く反抗心旺盛なダグラス少年ではなく、物わかりのいいそのおじいさんでもなく、依怙地な独り者の老人(前出の警告を友人から受けている老人)のような気がする。それは著者を反映しているかのよう。あきらめを受け入れることから希望が生まれる、と。オチなんか、まさに、それ。
 それにしても、このSF作家は詩人だねえ。なつかしい。



5月26日 大相撲を 聞いて 見て
 千秋楽、ラジオを聴きながら台所仕事をしていた。きのうの稀勢の里は残念でしたねえ。そろそろ日本人横綱が出てくれないかしらと愛国主義者にここ数日なっている。
さて、結びの一番の一つ前、稀勢の里の取り組みになったのでテレビをつけて音声はラジオを聞いていた。制限時間いっぱい、「立ち上がりました、当たった」とラジオは言っているのに、テレビの画面では、まだにらみ合っている。あれっ!テレビは遅れてる?
白鳳が優勝してインタビューを受けた。1秒半ほどテレビは遅かった。
 「デジタルだからじゃないの」と家族は言う。そうだったんだ!!



5月某日 カレー粉の賞味期限
 ツレが激ヤセしてきた。本人と医師は糖尿病薬が効いてきたと喜んでいるのだが、おかしいでしょ?筋肉まで落ちているんですよ。
食欲がないといって、あまり食べない。そうはいっても好き嫌いが激しくなったようにしか、私には見えない。まあ、好きなものなら食べられるということなので、ひそかに糖質UP食にしている。
 納豆や生卵をそえて、ごはんが進むようにする。ご飯は少量しか盛っているようにみせている、真ん中にぎゅっぎゅっと固めて集めて。
 よし、明日の昼はカレーにしよう。と前夜、仕込みに入った。野菜・肉を煮込んで、いよいよカレールウを入れるばかりとなったが、はっと思って賞味期限を見た。2011年と書いてある。う~ん、胃潰瘍・高血圧症のせいもあって、しばらく作っていなかったなあ。刺激物で胃が痛む、動悸がする、汗をかく・・・。
あわてて、12時まで開いているスーパーウオロクに走った。
 肉の煮込み料理は胃腸の弱い私は苦手なんである。これで賞味期限切れの食品の傷みで、おなかをくだしてはまずい。便秘薬常用のツレは少しはお腹をこわして通じがよくなったほうがよろしいのだが。



5月23日 冬物クリーニング出す
 コート、セーター、スーツなど冬物を全部クリーニングに出した、自分で洗えるもの以外はみんなだ。毎年最後のクリーニング出しは7月だった。近年になく早いのは2年続けて虫食いの被害にあい、去年は8万円以上の繕い代がかかったから。寒さがぶり返したとき用に、出さないでおいた薄いウールの被害が大きかった。
そこで、今年はきっぱりと、ウールの類いはクリーニングに出した。もし、寒波がまた来たらユニクロのフリースでしのごうと思う。
 法事にしか着なかった黒のカシミアのコートも、一度も着ていない冬のスーツも、チェーン店でなく町のクリーニング屋さんに出した。値段は倍以上するが、買い直しや織物メーカーにまで送って穴直しをする代金に比べれば安いものと、ことしは太っ腹である。
 かわって夏物スーツを出す。衣装ダンスに入れておいても虫食いの被害を受けていたので、去年は薄いプラスチック透明ケースにスーツは3着、防虫剤は2個ずつ入れてしまっておいた。広げると袖や見ごろにしわができている。霧吹きをかけて戸外で陰干しにした。ほぼ、しわは取れた。私の顔も霧を吹きかけたらなんとかなるかしらん?なるわけないね。



5月某日 いやなことはたんと
 ブログでは楽しいことを探して書いているけど、毎日たのしく暮らしているかと言えばそうではありませぬ。
居間のテレビは、優れ者の電気屋さんのおかげで修理中です。部品があれば直るそうです。しかし、当分はテレビなし。
足の痛みで仏頂面の亭主と、無言で食す夕飯の不味いこと。
 雑草抜き、冬物整理、布団干し、・・・たまにマメコが来て働き者になると、指に居ついたへバーデン結節が腫れあがって痛む。そんなことはお構いなしの亭主の足マッサージ要望にも、頭にきて応じないときもある。痛みに耐え作った夕飯を食欲がないといって気に入らないもの(たいてい野菜)を残すときは。



5月某日 しっぺがえし
 私が学生のころ、母親の手伝いはほとんどしていない。洗濯も洗濯干しも、自分の部屋以外の掃除も、ごはんの支度も、茶わん洗いも。
学校に行くのが私の仕事。文句は言われなかった。
たまに茶わん洗いをしても、自分のだけを洗って、洗ってやったと思っていた。そばに鍋があろうと、流しにゴミがたまっていようと、それは私の仕事じゃない、母親という役目の人の仕事だ、と平然としていた。
 今、その報いを子どもから受けている。自分の茶碗を洗って、そばの鍋、ザルはそのままの子を見て、私もこうだったが母はそれはうれしかったわけはなかったのだと気がつく。

 私が中年を過ぎたころ、母が話す話題はこちらの生活とは関係がないことばかりになってまったく興味がなかった。町内のこと、隣人のこと、家の修理のこと、庭のこと、友達のこと・・・。(そんなことどうでもいいじゃないの、ということばかり。あなたがどう思って暮らしていようと好きにすればいいじゃないの。)
だいたい親身になって相談に乗っても結局は自分のしたいように決めてアドバイスなんか無視ばかりしていたのだから。
それも脈絡もなく話しはじめるので、いつのこと?この話の主語は?目的語は?突っ込みをいれないと話がわからなくてイライラした。
 そして今、子どもに私が話すことは・・・おなじ。子どもが興味はないことなのはわかっているが、私の気持ちをわかってほしい、うちの状況はわかっていてほしいと話しはじめるが、「ちょっとまった、だれが? なにを?」と返される。



5月某日 全国放送でも
 ラジオ(NHK第一放送)を聞いていて「0時20分です」と言われ、ええっ!とびっくりした。もう、そんな時間になった?
壁の時計を見上げた。時計は11時20分。あれ、止まっちゃったかな。
テレビの下の電波時計をみた。これも11時20分。
アナウンサーの間違い?そう、「失礼しました。11時20分です」と訂正が、ちょっとの間をおいて、ありました。地方放送だけでなく全国放送のベテランでも間違うのね。ふふふ。
 さて、やっとラジオ深夜便がはじまります。80歳の叔母は、この時間からが愉しみ、けたたましい昼のラジオ第一は聞いていられないと言って話が合いました。第二放送では加賀美さんの朗読が聴けるという情報ももらいました。ほっつほっつ愉しみ愉しみ。
 夜もラジオを聞いていたのは、またテレビがいかれたからである。今度こそダメかな。赤いランプが7回ずつ点滅している。メーカーさんに言えば、どこの不具合かわかるはず。あす電気屋さんに頼んでみよう。



5月某日 たのしみな話
回覧板が回ってきた。
「石油および天然ガスを対象にした地下構造調査の実施について」というお知らせであった。
数年前、田んぼの真ん中で、大規模な試掘があって石油高騰の折で大いに期待されたが、はずれだった。
残念。今回は
「バイブレーター車を使用して地下に振動を送り
地層から跳ね返ってきた振動波を地面に設置した受振器で測定する作業」
だそうだ。幹線道路沿いに行うので地面を掘り返したりはしない。
手軽に、車で調査ができるような科学技術が進化したのだろうか。
海に近い国道沿いには天然ガス採掘ポンプの並んでいる地区だから、
また期待してみましょう



5月某日 進まない読書
ベッドで寝っ転がって本を読んでいる、といったら、あきれられたが、それが私の読書法だった。
そんなかっこうで夢中で読んでいた宇江佐真理だったが、ときどき字がかすむ。
近眼の長所で、読書にはメガネ不用なのだが、焦点が合わなくなる。
本を斜めにして読んでいるときがある。
そんなだから、中身がこめんどうくさかったり、つまんなかったら、進まない。
それでも、先を読みたいものだけ読んでいる。



5月某日 声を出して読むと
お気に入りの作家の本でも、気になる文があっておやっと立ち止まることがある。
「土間口の横には木戸があって、そこを抜ければ庭に続いている。庭にはつつじが満開だった。」
にわ・・・にわ・・・にわにわ・・  続きすぎ。
瀬田貞二や山本周五郎や開高健では、こういう立ち止まりがなかったなあ。
安心して読めたなあと開高健をちょっと読む。う~ん。
そういえば、はじめっから、この人の文はひっかかりがあったっけ。でも面白い。



5月某日 さいきんのラジオ
 「八十代万歳!」さんのブログでも、批判がにぎわっていたが、4月からのNHK第一ラジオはずいぶん変わった。
トーク番組のキャスターが一新され、毎日、若い子持ちタレントがメインになった。
若やいでいいなぁとおもったのは体調にいい時まで。
車に乗っている時とか。
 体調が悪くぐったりしているとき、ベッドの脇でラジオをつけて、人の声を静かに聞きたいときは、彼女の甲高いけたたましい笑い声がたまらなく苦痛。
「うんうん」とうなずき声や嬌声をあげるが、親しみをこめてというより粗雑に聞こえる。
これでは民放と変わりがない。(民放の社長になったカメちゃんがNHKラジオにもどっているが、これはいい)
正統派で、おだやかに上品に、というNHKモードは、かなぐり捨てている。
人の静かな声のぬくもりが恋しくて聞いてきたラジオファンを捨てている。
年配のファンを捨てている。(60代の人が年寄ですがといって投書しているが違うよ、80代の人も多かったのに)
せめて彼女の時間は週一回にしてほしい。毎日は苦痛だ。
だから聞かなくなるが、ラジオの視聴率なんかどこも調査していないだろうね。
 そういえば朝のテレビ司会者の元アイドルの笑い声もけたたましい。
そこをフォローするはずの、NHK女子アナの声もふてくされている。

 上野千鶴子がエッセイで、一日中ラジオ・テレビをつけっぱなしにしている人をこきおろしている。そうしていないと淋しい孤独な人の存在なんて、彼女は気にもしていないエリートなんだろうな、ケッと思いながら読んだ。
 ウーマンリブ盛んなころ、女性の自立・従属的な専業主婦の自立を声高に叫んでいた。それに共感した主婦が離婚して夫からの自立を図ってはみたものの経済的に成り立たなくて、「どうしてくれる!?」と上野に迫っていたTVを見たことがある。もちろん、そんなのんは自己責任よとばかり知らん顔していた上野の顔も覚えている。あーあ。

 久しぶりでFMを聞いたが、ここでも若い声優さんがオペラの解説なんかをオペラ歌手とやっていた。しっとりクラッシックだけを聞ける番組もなくなったのだろうか。
テレビもラジオもつけないツレの気(私より歳)も、わかるというもの。



5月某日 従心でなく従体
「吾十有五而志於學 三十而立 四十而不惑
 五十而知天命 六十而耳順 七十而從心所欲 不踰矩」
(子曰く、吾れ十有五にして学に志す。
 三十にして立つ。四十にして惑わず。
 五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。
 七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。)
と孔子さまは言ってはる。

きょうハタと思ったのだが、
従心でなく従体がまず、先だと。
体が無理だと言ったら しない行かない食べない。
良い人を演じようとして、この体の声を無視すれば
体調は確実に悪くなる。吐く、倒れる。熱を出す。
それしかできなくなった私は実年齢は70か
その体の声を心と言い換えれば、同じことかと

(何があっても)不惑、(人の言うことに)耳順 というのは、ちとむずかしい。
これは人格修業がないと、なあ。



5月5日 マメコが来る
私にマメコが来ました。
まめまめしく働き者になる気もちのこと。
ケルヒャーをだして、窓を洗う。敷石を洗う。
ヒメオドリコソウを抜く。庭を掃く。
子犬と走る!引きずられて転ぶけど。
高気圧と気温(23℃)のおかげだと思います。



5月某日 なにもしない。
なにもしないことは、なんでもするより辛い。
体は楽だけれど、気持ちは沈む。



4月某日 見栄
 ファミレス「ガスト」に行った。勝手がわからない。
コーヒーをたのんだ。
チョコレートケーキをたのんだ。
家に帰って、下痢をした。
見栄を張るもんじゃないよ私。



4月某日 激ヤセどおし
 4月も半ばになって、なじみの車修理工場に、タイヤを替えに行った。冬用から普通タイヤへ、だ。
応接コーナーでコーヒーを飲みながら、持参していった佐藤雅美を読んで待っていた。他にもタイヤ交換に来ている客もいて、ホッ、今頃来るのは私だけじゃないと安心したりしていた。
他にも客がいた。修理に来ている中年の女性客が、親しげに話していた男性は、60才くらいの細身で、切れ長の目、渋い声で、ソファーにふんぞり返っていた。会話からうかがうと、この会社の人らしい。態度から見ると社長?
 いや、社長なら知っている。もっと、でっぷりしていて丸い目で、ハキハキとよく通る声。会えばいつも、あちらから「奥さん、どうもどうも」と愛想よく声をかけてくるのだが、この人は目を合わせても何の反応もない。
どういう人だろう。見たこともない人だ。社長の身内で、共同経営者でもいたのだろうか。
 ふしぎな気分で家に帰った。
夜、帰宅した夫に話すと「社長だろ。糖尿病で激ヤセした」と云う。
そういえば1年ほどお会いしていなかった。
 でも、向こうからこちらがわからないのか?・・・・・・
夫に「ねえ、私も激ヤセした?」。 夫「うん」
なるほど、激ヤセどうしは お互いがわからない。



4月某日 
きょう心が感じたことを
あした頭が考える。



4月某日 不調の程度
 ストレスの程度、自分がいっぱいいっぱいなのは、体が教えてくれるようになった。というか耳順というか、心が上げる信号・悲鳴をキャッチできるようになった。
まずは胃腸の痛み・下痢、次に腰痛、そして顔の湿疹。たいていこの順番にくる。
 目の周りがかゆい今日この頃。
私、がんばってるのね、と頭はそこから察知する。
 何をのんきなことを言って、と小ばかにしている私もいるが、きばらしきばらし。


4月某日 できる電気屋さん
 テレビが付かない。リモコンのONのボタンを押してもかってにオフタイマーがかかって切れてしまう。主電源を入れても同じになる。もう10年以上前の90kgの巨体のテレビだ。寿命かな。
 いつもの電気屋さんに電話をして来てもらう。なんだかわからないまま、2・3回押したら治ってしまった。それでも、また故障した時はオフタイマーの点滅が何回あったか覚えておくと原因がわかりますから気を付けてみていてくださいと、よそのメーカーの電気屋に電話で確認して、帰って行った。彼はパナソニック。テレビはソニー。無料。
先だっては19年物の洗濯機のモーターの軸を取り換えて直してくれた。部品代のみ。
先々だっては、天井からぶら下がる照明が壁のスイッチを押しても付かないので見てもらったら、点滅紐が効かなくなっているのを、ちゃっちゃと付け替えて直していった。
良心的で仕事のできる人なので、新品ももう大型店からは買わないでいる。いつも値引きをしてくれるので値段も大差はない。まったく信頼しているが、お金にならない仕事ばかりさせていて申し訳ない気がする。
 これが、量販店のお兄ちゃんを呼んだら、もう寿命ですねと言って新品を売るのだろうな。パソコンショップのお姉ちゃんにプリンターは5年で寿命ですと平然と言われ、新品を買った覚えがある。
できる電気屋はもうけが少ない。できない電気屋はもうけが大きい。
なんだか矛盾するね。
 残業代を稼いでいるのは仕事の遅い事務員で、仕事の早い事務員は定時に帰る、と怒っていた人もした。これもへんな話だ。



4月某日 永六輔の
『妻の大往生』を読んでいる。2002年、妻の昌子さんが末期がんで逝去、それを近所に住む子持ち娘二人と在宅診療の医師と開業ナースのスタッフが支えて看取った10日後の家族座談会からはじまって、ラジオ出演、対談などなど。
 在宅の大変さはあまり書かれていないが、最末期の3か月、家族全員が激ヤセし、診療にきた医師に注射を打ってもらったりしている。明日からはヘルパーもたのもうかという日に亡くなったというから、在宅介護はたいへんなのだ。
私の知り合いで、老父の在宅介護をしている人がなんだか痩せてきたとこぼしていたが、皆そうなのよ。
 永六輔も(娘も)、誠実な医師と看護婦さんたちに会えなくなることが心細くて呆然としてしまった、と書いている。
そうなんだ、私も母が亡くなって、気の良いヘルパーさんに会えなくなって、淋しかった。見習うことも多かった。
 家族が仲が良くて、気持ちよく看取ってやっているのを読むと、なかなかこうはいかないなあ、と思うけど安らぐね。



4月某日 歯ブラシその後
 そうっと、磨けば何とか使えます。
ふだん、ガサツな仕草だったことに気が付きました。



4月某日 きょうのチッ
 よりによって(選びに選んで)、歯ブラシを買った。
一時、細身のものが流行ったが、最近ふっとい 6列のものが出てきた。
これはいいゾ!磨く回数が少なくて済むのでは、と思って買ってきた。
それなのに、チッ、
かたちにかまけて、かためをかってしまった。(いつもは「ふつう」なのに)

あした、コメリへ替えに行って来ようと思っていたのに、キッチンに置いたのが悪かった。水に濡れてしまった。これじゃあ取り換えに行けない。
試しに使ってみたら、やっぱり歯茎が痛む。チッ。
(このチッという言葉は下品かなと思っていたが『紅楼夢』のなかで大富豪の奥様達が使っていたから、お品はいいのかな、チェッよりは。)



4月某日 きょうのホッ
 久しく音信のなかった友から、出した絵はがきの返事の電話があった。お互いよれよれはしているけれど、まずは息災。お家族も元気だった。ホッ。
Nさんが友情は努力だといっていたが、ほんと。便りを出さないと便りは来ない。不都合があれば返信はない、というのも大人の知恵。



4月某日 お江戸のお惣菜
メザシ、昆布と油揚の煮物、きんぴらごぼう、煮豆
ひじきの白あえ、切り干しの煮付け、わかめのぬた、
木の芽田楽、こんにゃくおでん、芝えびのからいり、
マグロのすきみ、たたみいわし、鰊の塩引き、いわしつみれ
、白瓜の三杯酢、鯨汁、芋とタコ、酢だこ、
サンマの干物、シラス干し、昆布巻、卵とじ。
これ、みんな江戸のお総菜・・・いつものうちのご飯じゃないの。
八杯豆腐、これだけは初耳、やってみよう
   宇江佐真理著『ウエザ・リポート』より石川英輔の研究による



4月某日 きょうのステキ
歯学部の石垣に、たんぽぽの花み~つけ。サクラソウも咲いている。

4月某日 きょうのステキ
「富士山」というナンバープレートの車に出会う。なんだかうれしい。

4月某日 ラジオで
「ねたみ、そねみ、ひがみからは逃れられないわよ」と
おかまのブルボンヌさんが言っていた。
言われてしまえば、なんだかホッとする。
逃れられないけど、そういうものだと振り切ってしまえばいいのですね。
新年度になって、はじけた番組が多くなったNHK。


4月某日 時代小説に凝ったのは
現代からの逃げ。


4月某日 『随筆 衣食住』
 15㎝×11㎝の小さなシリーズに(小型愛蔵本・三月書房刊)、志賀直哉があった。ナイトキャップに、と借りてきた。小さい本は軽くて可愛くていい。
学生時代も苦労したが、やっぱり楽しめない。
  しょっぱなの「蜻蛉(トンボ)」も客観視しながら、「・・・蜻蛉の幸福が察せられた。」「蜻蛉は・・暑さを楽しんでいる。」とかってに解釈しているのが腹が立った。なんて言ってたら、期末テストには赤点だっただろうな。若い時で、ものを知らないうちに学校を終えられてよかった。
 「太宰の死」は、あんまりにも可哀そうだが、的を得ていておかしい。
その中で太宰が書いた「伊太利亜館」にたいして、「頼まれて講演に来たことをいかにも冷淡な調子で書きながら、内心得意でいるようなところが素直でない感じがした」と言われている。表題は伊太利亜人がはじめた新潟の西洋料理屋というから今のイタリア軒ね。志賀直哉も一回行ったことがあるそうな。
巻末は「城崎にて」だった。昔から苦手。



3月某日 宇江佐真理
 ウエザーリポート(天気予報)をペンネームにした1949年函館生まれでずっと函館暮らしの、時代小説作家。
廻り髪結いの伊三次のシリーズ、泣き虫の十手持ち銀次など、深川界隈の下町に住む庶民が主人公の本に浸かっている。
「いっち、きれえ」「もうちっと辛抱しておくんなせエ」「てやんでぃ 唐変木め」と、なつかしい言葉もあれば「おきヤがれ」「滅法界だよ」など辞書を引かないとわからない江戸言葉もあった。作者が函館から出たことがない人というのがびっくりだ。
この人の著作を予約して、文庫本があれば文庫本を借りて読んでいた。
連続短編は読みやすいが、止められずずいぶん夜更かししてしまった。
 ほとんど読み終わって、佐藤雅美に戻っている。女流のこまやかな生活感・季節感の文章に慣れると男性作家の本は文献を読んでいるような気分になる。



3月某日 忘れ物  
 銀行へ行った。ATMでお金をおろす。
それから番号札をとって ソファーに座って よばれるまで週刊文春をよんでいた。
呼ばれて、窓口にいって税金を払う。札を新券に変えてもらう。
この間も けっこう待った。
 帰る途中、銀行からケータイに電話があった。
キャッシュカードをお忘れですって。
この「間(ま)」は、なんだったんだろう。というか、
この私のボケ方はなんだろう、と書いて反省しています。
というか、ATMでカードを使う必要は全然なかったね。頭が緩んでいるわい。



3月某日 聡明な人は
 「聡明な人は料理が上手い」という本が昔あった。
聡明な人は手仕事が上手。忙しい人は時間のやりくりが上手。
ぼーっとして一日を過ごす私は、どんどん、ぼーっとしている。
刑事もの探偵もののテレビが好きだった母の気持ちがわかってきた。
何もしていないくせに頭を使って仕事をしている気分になれる。



3月22日 ちょうちょう
 モンシロチョウがふらふらと飛んでいた。
あたたかな日差しに、冬眠から目覚めた蝶かしら。

   ここは、こんな風にやくたいもないことを つぶやく場所。
   そういうところがないと、息が詰まる。
   (茶飲み友達がいれば、すむことなのにね)



3月某日 慣れない
新しいことに挑戦するのは頭の体操ではありますが、イライラ。
ニュー・パソコンには手を焼いています。
もともとパソコン始動、ホームページ起動は家人に頼んでいましたが、今もお願いしてダウンロードをしています。
そこまでやってもらっても、中のソフトは皆、バージョンアップしているので面食らうばかり。
きょうはメールが送信できません。しくしく。 いつか世の中についていけなくなるんだわ。



3月某日 ホームページ開通
壊れたパソコンを買い替えて、
ホームページビルダーを買い換えて、
外付けハードディスクに残していたデータを入れて、
さて、再開できるかな?


ちょいと遡りやすが、
貯めていた愚痴を吐き出して体に溜め込んだゴミ箱 空にしよう。



3月某日 時代小説に凝っている
何度目かなマイブーム。
 はじめは、ご幼少のみぎりの剣豪物漫画、岩見重太郎、荒木又右エ門、猿飛佐助?・・・
漫画の知識で、私の半分はできていた。小4で知能テストを受けた時、源氏物語の作者を答えてびっくりされたが何のことはない、漫画の知識なのだ。
 2度目は小学5年から貸本屋本、「オール読物」など。叔母が小学校の前で貸本屋をしていたので店番をしながら読んでいた。時代物は挿絵がきれえだった。
中学に入ってからは近所の貸本屋で、柴田錬三郎のカッパブックス。おもしろかった。松本清張もここで読んでいた。学校で習う国語の文章のつまらないこと、なんにも事件がおこらないのだから。
それからは外国文学にズレていった。
 所帯を持ってから山本周五郎『日本婦道記』はバイブルだった。つつましく献身的な妻女もので、これを読むと涙がでて、ああ、私はまだ我慢がたりないと謙虚になれた。だが、あるときからバカバカしくて読みやめた。献身される意味のない人に献身をささげてどうする、それは男のご都合主義だと看破したのだ。 
 数年前の佐藤雅美の全巻読み、これはおもしろくて江戸文化をおさらいした。『大君の通貨』などは小難しかったが、今の為替がなんたらという経済を理解する手立てになった。十手持ちの日常、奉行所の内勤の役人、関八州のお役人、牢屋を任されている人、そういう人たちの日常生活、家庭が見えて江戸の庶民・武家の姿がようやくはっきりわかってきたのがなによりおもしろかった。
 ついでに佐伯泰英(居眠り磐音シリーズ。 テレビ放映になって役者が生ちょろくていやになって読み止まった)
小説より「図書」に連載している随筆の、岩波書店の熱海の別荘を買いとった話「惜櫟荘(せきれきそう)だより」のほうがおもしろい。
端々に自分の経歴を書いているのが目障りだったが、この買い物もその後の多作も自身の癌治療と相まって、後世にこの建物を残そうという大イベントだとわかってからは、休載しては体調が案じられてならなかった。ストイックな生きざまも好きだ。
 そして今回は梶よう子からはじまって、宇江佐真理。
もちろん、図書館で借りて。
集中力のおかげか、10年前の本を借りても、くしゃみと咳はおさまっている。



2月某日 着古している
気が付くと、私も20年も前に買った服を着ている。教室に先輩が穴の開いたセーターで出かけてきたのでびっくりした。気が付かなかったらしい。
昔のいい服は縫製も生地もよかった。丁寧に着ていればほつれないし、毛玉もできない。形はシンプルで、はやりすたりのないセーターやカーディガンがあった。
今、そういうものを探しても手にはいらなくて、古着を着ている。
なんの装飾もないカシミアのアンサンブル、ツイードのズボン、そういうアガサクリスティの映画に出てくる貴族夫人の庭仕事着がほしい。
デパートのブティックでも、今年しか着られないような服、パツンパツンの服ばかりだ。



2月某日 無い物さがし
失せもの探しはこの冬も、さんざんしていた。
 手袋の2回目の紛失は、友人にぼやいた。一週間後、前週に使っていた体操着入れのバックにちゃんと入っていた。暖かくなって、帰りははめないで帰ってきたのだろう。していったのも忘れ、しまったのも忘れ、そこを探すもの思いつかず、でもあるべき場所にあった。ここで愚痴る誰かに愚痴ると出てくるジンクスは生きている。
 24年度の帳簿を探していた。あるべき場所は限られているのに、ない。どこかに挟まっているか、机の裏に落ちているか、これもさんざん探した。母の商売を引き継いで、税理士に帳簿をだし税務署への申告は、やってもらっている、はっ!
税理士に提出して、まだ帰ってきていないのだと 数日たって気が付いた。
無い物を探している。出てくるわけはない。この記憶の喪失は老化現象だね。まいったまいった。



2月某日 ポジ出し
「「ダメ出し」でなく「ポジ出し」を」、とラジオでいってました。えーと誰だっけ。
その人がこの言葉を使い出したとか。いいね。
ダメダメばかりいっていないで、これはいいね、こうすればよくなるね、という提案をしていこうと。
ほんと。そうですね。
いいところをみつける。
自分を肯定する。むずかしいけどがんばろう。



2月某日 パソコン不調
まだ不調つづき。
立ち上がってはいるのですが、薄暗い画面がでていることはそばの電気スタンドのライティングでわかったので、
うっすら見える画面で、なんどか再起動をかけると、パッと画面が出ることが・・・・ある。
ない日もある。
サポートセンターに電話する元気はなし。
修理にもちこんでしまうと帰ってくるのがいつか、長引いても困る。今は困る。税金の申告書作成中。
パソコンのおきげんを伺いながらの、吊り橋を渡ってます。
VAIOさん、がんば!



2月某日 まず休む
昔は、まず仕事をやっつけてしまおう、と思っていた。
でも終わったら休もう、なんて思っていると、バタバタ過ごして、一息入れたいという時間はもう、夕飯支度の時間が迫っていたりして。気力も体力も夕方には消えている。
だから、朝のうちに二度寝したり、
昼ご飯のあとは、横になったり、
だれもいないときにサボっている。
休んでからは、力が戻って来て忙しい時間に動き回れる。
私の体は老化した蓄電池か?
パソコンのバッテリーのように。



2月某日 パソコン不調
 この数日、パソコンが立ち上がらなかったり、画面が出なかったり、四苦八苦しています。
こういう時にパソコンに詳しい家人がいるのが心強いです。バッテリーを注文してくれました。
それが、優しい物言いをしてくれればもっとうれしいですが、何もわからないでパソコンをいじっているのを揶揄しながらなので、ありがとう、が怒鳴り声になり、言われているパソコン用語がわからなかったりで、けんか腰にものを頼むことになってしまいます。
助けてもらっているのに、和気藹々の反対になってしまうのは悲しいことです。大人になりきれない私です。

 立ち上がっているこの合間にUPしてしまいましょう。ありがとう。
もし、my ソニーVAIOノートパソコンがダメになるとこのホームページもおしまいです。!!
がんばれ、ソニー。



2月某日 失せものジンクス健在

①工事の領収書  最後の手段、工務店に聞いてみた。再発行がたのめるか?
ないですよ、領収書は出してないですよ。 !?
そういえば、銀行振り込み書があれば、税務署の申告もそれでいいんです。あらためての領収書は出しません。と言われていたんだった。ないものを探していた私。
すっかり忘れてる、それも問題だ。 

②一周忌の写真  テレビの裏に落ちていた。
10年以上だから、今は昔、こちらへ引っ越してきた時の段ボール箱の整理をツレアイがはじめた。本や書類、ノート、ビデオ、カセットが詰まっているままだった。子どもたちを手伝わせて、自分では重い物は持たないし動かさない。古いベータのビデオが出てきたので、なつかしんだツレはソニーのβデッキで見ようかと配線をしなおすのに90kgのテレビを動かさせた。その裏から写真は出てきた。あるべき場所にあったのだ。いつも眺めているテレビの上の一等地に。後ろに蹴落とした犯人はたぶん猫。
ちなみに、木製の枠が古式ゆかしいソニービデオデッキは起動しなかった。

③運転用手袋は。 ありそうな場所はわかっている。寒いから未調査。

 だいぶ気持ちはスッキリしました。ここに書いておいてよかった。(?)
すると、待っていたかのように次の難題が降りかかってくるのは、人生が続いているからでしょう。



2月某日 苦しいと感じたときは
 「苦しいと感じたときは頂上はすぐそこにある。もうひとふんばりするんだね。」困難にぶつかって弱音を吐いたとき、父親にそういわれて、気を取り直して頑張り困難を切り抜けたと高野悦子は『私のシネマライフ』で語っていました。
そういう父親がいたらどんなに素敵だろう。いない私はこういう話からも力をもらえます。これも本の楽しみ。



2月某日 暦
カレンダーを換えなくちゃ
日めくり暦も一週間ほったらかしだ。
ホームページの表紙も変えなくちゃ。
やれやれ、やることがあるゾ。



2月某日 なにもない
すすんでしたいこと ない
どうしてもしなければいけないこと  ない
いかなければいけないところ  ない
かわなければならないもの ない 
このそんざいに いみが もてない 日もある
うきよのしがらみが たすけになることもある 
それがくだったのに



1月某日 でてこい失せ物
いつものことですが、
○工事の領収書:当然あると思っていた場所にない。では、どこへ?全然思い出せない。
○一周忌の写真:あっちの部屋、こっちの部屋と持って回っていて、どこにやったか思い出せない。
○体温計:これも、あっちへ持っていったりこっちへ持ってきたりしてて、・・・移動するときはどこに入れるだろう・・
エプロンのポケット?ハンドバッグ?・・・ああ、ここにありました。
○運転用手袋:これは、ずっとあきらめていたのが、体操教室用のバッグから片一方が出てきた。開けっ放しだったバッグ。置いていた物置にもう片一方もあるのだろう。そのバッグ、突っ込むだけで整理していなかったなあ。
   書くと出てくる幸運ジンクスよ、再び起これ!
ほぼ一ヶ月風邪ッピキから、微熱とけだるさを引きずった一月だった。そういうときに物も失せる。
そういうときは鍋も焦がす。タイマー付きでないとガスコンロは危険かも。



1月某日 社会的義憤が元気をくれているかも。
○竹中平蔵が政府の審議会にいる。財政縮小の小泉内閣の旗振り役(今の失われた20年の元凶ではないか)が、ばらまきインフレ赤字国債をふやそうという安倍政権に、なんでいるの?

○教員駆け込み退職
退職金が減らされるからと駆け込み退職願を出す教師、警察官。ほかにもいるだろうけど、この職種が新聞種になるのは、どこかで聖職と思われている教師と権威の象徴である警察だからかな。
それにしても、担任が、我が身大事と100万円だかの金のために卒業式を見届けないで辞めちまう学校を卒業していく生徒はどんな大人になるか怖い。
というより、こんな法律だか条例を作ったほうがおかしいよ。年度末を期限にすればいいじゃないか。あるいは、年度末までは非常勤講師で担任を続けてもらえばいいんじゃないかい?

○新潟県議会 原発存続か廃止かの住民投票案を却下した。自民党が多いからそうなるか。
知事も市長も現世利益が大事、本庁の顔色が大事。
安全性が全然信用できなかったのにねえ。
安倍政権は原発廃止なんてこと考えてないね。温暖化防止の二酸化炭素20%削減策も外すらしいね。
経済を潤すといったって、韓国の二の舞。大手企業を肥やすだけではないかい。地場産業はつぶれて、農業自給率は下がるか。株が上がったからといって、国民の暮らしは良くなるように思えないが。

○ジョセン
放射能のジョセンなんて、やっても無駄なのは、わかっていたことではないのか。
違法業者が悪いという前に。金になるから群がってきただろうけど、
屋根に水をかけてその水はどこへ行く。川へだ。下流へだ。海へだ。
土をほじくり返してその土はどこへおく。置く場所がなければ動かすな。
とりあえず、で終末処理場も決めずにはじめた政策がおかしい。(原発も同じ理論だ)
汚染地区は10年~20年、子どもたちは住めないときっぱり政策を出すべきだ。
外で遊ぶなとか屋内運動場を作るなどという中途半端をするな。
 ボランティアだとか、住民の願いとかの美名で隠すな。
大手の土建屋・建築業者を潤すだけの施設は作るな。

○東京にオリンピックをですって?
福島の原発事故を終息させてからにしてください。

○尖閣諸島問題
これも、石原元知事が企んだものか。なにか裏があっての騒がせ方か。突つかなければ寝ていたものを。
ゆがんだ愛国主義風潮をあおっている。

○と、つぶやきながら、なにもしないでゴロゴロ寝てる私である。自分の問題を棚上げするのに、やつあたりの矛先を政治に向けているだけ・・・。



1月某日 ラジオが友
 読書も体を疲れさすよと娘から禁止されてからは、枕元にラジオを置いて一日ぼーっと聞いていた。
ある日、正午過ぎのNHK地方版ニュースのはじめに、アナウンサーが「こんばんは」といった。彼も言ってから、回りのスタッフに注意されたのか「あ、   こんにちは」と言い直した。
若いプロも、こんなミスをするのかとおかしかった。いやあ、ビックリしたよ真面目が背広を着ているようなヤマザキ君。



1月某日 風邪のおかげで
 寝てるしかないので、たくさん本が読めた。著者「森なにがし」をモリモリ読んで読み尽くし、うちの書棚の森鴎外全集に手を出した(結局、文学としては鴎外が一番うまいと思ったし、鴎外さんも日常の苦労・憂さを書くことで昇華していたのをひしひしと感じた)。その読書が、また病気を長引かせた原因になった。
古い本はカビ臭い。咳が止まらなくなる。布団の綿埃も苦しい。マスクをして寝るようになった。



1月12日 風邪は指関節の腫れからはじまった
ヘバーデン結節から始まっていたのだ。水仕事が妙にしんどい、と思っていたら熱があった。翌日からは38.5度をうろうろ、それが長引いていた。ただの風邪のはず(咳と熱だけ)が、だんだん家族も案じてくれて、点滴や投薬を受けて少し、治まってきたのが今日昨日、だけど、力が出ない。歳だねえ。



1月3日 へバーデン結節
前から、時々、指の第一関節が腫れて痛くなった。リウマチ?と問うと、それは第二関節、と答える。
なんだろう?わかりません!で終わっていた問答。
この正月も痛い。とくに左の薬指中指。ネットで検索してみると簡単にわかった。
ヘバーデン結節。整形外科学会が解説している。
そうわるいものではない。指を酷使しないでいればいいみたい。40以上の女性、水仕事をする人に多いとある。
正月は手も荒れるほど洗い物をしてるよ、そのせいか。
そういえば、母も第一関節がこぶのようになっていた。遺伝性もあるらしい。



1月3日 風・凍・雪 消防署のガレージのシャッターが昼から閉まっている
1月2日 雨・風  傘がおちょこになった
1月1日 雪    雪だるまを作っている人がいる