はどそんのつぶやき2013-2

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2月某日 『信ぜざる者コブナント』読了
 すごく苦しい思いをしながら読んでいた、大長編。でも最後まで読まずにいられない。
(誰も読まないと思うので、ここでネタバレ)
コブナントは自分を信じた。現実の世界の、蛇にかまれそうな女の子を助けることを、異界の王国を魔王から救うことより優先させた。そして、ほとんど自分の命をなくしかけた。
それからまた異界に召喚されても敵を殺したがらない。姿の醜い邪悪な者たちに自分を重ねてもいるし、どんな世界であっても殺しはいやだった。魔王とも戦おうとはしない。そして選んだことはすべての元凶の呪いの石の破壊、忌まわしい生き物を殺傷するのではなく。
戻った現実の世界で、すこし光明が差していた。
 そこまで読んで、信念をつらぬくこと、自分の考えを持ち続けることのつらさと、やっぱりそれしかないよなあ、という安堵感を覚えた。ホッ。
 よし、次は『エイラ 地上の旅人』(挿画が嫌いで読まずにいたが)最終巻にいどむ。これは文章はハツラツとして前向きでゆるぎないから長編でもラクだろう。



12月某日 ことば
原先生がインタビューで言葉が大事だと話していた。そうなのです。ことば。
子どもは感じていても、それを表現する言葉がなくて、説明できないのです。
私も、こんな年になって、やっと、あのときのあのことが、こういう意味だったのだとわかることがあります。そのために、こんなに長く生かしてもらえたのかもしれません。
 先生は、教育とは知識を詰め込むことでなく、自分の考えを表現できるような人間を育てることだと思っている。謙虚にも、どんぐり文庫は老後の愉しみなんておっしゃってますが、ほんとうにはやり残した仕事をしてらしたのだ。表現するには言葉が大事で、こどもたちがそれを貯めるためには、お話を聞くこと本を読んでもらうこと、そして本を読むことから得られるものと。
先生と巡り合った頃は、そんな深い意味も分からず、ただ、みんなで楽しんでいたし、それでよかったと今は思ってます。



12月27日 アマゾンのギフト券
 今年の誕生日にアマゾンのギフト券3000円をもらった。
有効期限が一年(汗)。何にしようか、せっかくなので記念になるものを、と考えた。
断捨離して、本は買わないことにしていたが、『星の王子さま』かな、これはハタチの頃に夢中になった本。買う前に伝記めいたものを読んでいたら、作者は独りよがりで悲しいなとテグジュベリが好きでなくなった。
じゃあ、ふりだしに戻って、小学生の時、はじめてときめいた本。今の価値判断では必ずしもよくはない『ドリトル先生アフリカゆき』。児童文学にめりこんだきっかけです。
それと『コタンの口笛』。この本のおかげで、年端もいかぬうちに差別、貧困、独立自尊、そしてアイヌ文化を学んでいた。学んで世の中にお返しする仕事ちょっぴりはできたかな。 この本は原先生の「どんぐり文庫」にもあったなあ・・。
今日アマゾンから届いた本を見て感慨にふけっていたら、同日に、児童文学の恩師の故・原豊一郎先生の息子さんのお嫁さんからどんぐり文庫のDVDが届いた。なんだかつながっている。あとひとりの文通友達からも便りが届いた。・・・つながってる・・・うれしい。



12月26日 BGM
 スーパーのBGMが、今日からベートーベンの第九になった。
昨日までは山下達郎や真っ赤なお鼻の~♪、だったのに。
季節の変わり目はスーパーで教えてもらっている。・・・失せ物は出てこない。
 いちにち暖かで良く晴れていた、ボーナスのような日。その日差しを浴びていると、体内エネルギーが充填されたような感じがする。体を動かすのが苦でない。
そうか、「マメコ」がくるのは日光エネルギーが満タンになった時なのか?やれやれ、裏日本では冬はむずかしいね。
苦なのは、おおがんばったね私、と自画自賛しても、そーんなことはツレには「どうでもいいこと」で、聞く耳ももたないこっちゃ。



1
12月某日  でてこい失せ物
じっちゃんのジンクスの名にかけて
 3か月もお会いしていないデジカメのカバー。でてこい!
さいきんはスマホのカメラで外出先の写真は足りてしまうので、
さっぱり外へ連れ出していなかったのを、ひがんで隠れたのか、おーい!



12月某日 「OL進化論35」で
 とても共感した4コママンガあり
医者に「心配しなくても大丈夫・・すぐに良くなりますよ」と言われてホッツ。
マッサージ師は
「これは・・・すごいな・・ひどい・・
つらかったでしょう」と言われて
肩こりをもみほぐし。 
 ・・・そうかこれだわ、私の感激。

 おなじく「OL進化論35」で
中学生?の息子に「脱いだ服は片付けて」・・などと、
文句ばかり言っていた母、
そういうことはやめよう、と決意。すると
(文句を言う以外に話すことがないことに気づいてしまった)と独白。
同じ理由で、私もツレに話すことがない。
「少し運動をしたらどうなのよ」を封印したら。



12月某日 トイレ
 瞬間暖房便座にかえて、これは大失敗でした。
瞬間といっていたけれど、トイレに入場してセンサーが人間を感知してから、便座が完全に温まるのに6秒かかる。6秒というのは一瞬かと思いきや、長い!
座ってヒヤッとしておしりを浮かすことがある。なるべく奥に座るようにしたり、ゆっくり座るようにしていますが、急いでいるときはそうもいっていられません。
 待機電力をけちって賢い主婦の気分でいましたが、なんのことはない、夏は暖房を切っておけばよかったのね、トホホ。



12月某日 日本のトイレが人気?
今年は外国人旅行者が1000万人を超えそうだ、との発表をテレビで見てる。中国人観光客も増加だという。
お土産として温水洗浄暖房便座が急増しているそうな。ふむふむ。
滞日外国人から見て日本のトイレは驚異的に素晴らしいのだそうな。
1、音の出るトイレ(うちにはないけれど)、
2、温水洗浄便座(これ、平均的家庭にも通常設備になっているね)、
3、トイレットペーパーのやわらかさ(あちらの国のは硬い?)
 日本に来て、この心地よさを体感すると、やみつきになるわけですね。
がんばれ輸出産業。



12月某日 読書中毒
また読みだしてしまってしまったと思いながらもやめられない。
4巻目の『信ぜざる者コブナント』。信じるということは、むずかしい。
この主人公は、唐突にファンタジーな異界へ連れてこられて、古代の英雄の再来ともてはやされる。しかし彼は、これは夢・幻だと信じない。大王の位も受けない。戦いにも積極的にならない。それはしっかり覚えていたが、この世ではらい病患者だったことを忘れていた私。彼は妻子から捨てられ町の人からも排斥されていて、すばらしい異界にのめりこんでもよいはずなのに。
 昔、赤木かん子が薦めていて読んだ。不信の塊だった私は、共感していた。これがほんとうだなあと。
 もっと昔、日曜学校で牧師さんに、どうしたら神を信じることができるのでしょうと聞いたら、まず信じなさいといわれた。こんなパラドクスをどうして受け入れられよう。しかし、親も信者だった友人は素直に洗礼を受けた。礼拝式では皆の前でパンと葡萄酒が貰う行列を、私はひとり疎外感をもってうらやましく見ていた。信じる確固たるものがある人は幸せである。しかし、疑問符をいつも持っていた私だった。
Tちゃんは6巻ぜんぶ読んだでしょというが、私は覚えていないので1から読んでる。
 訳文は直訳的で「かれは・・かれらに・・」と出てきてときどき人物を見失う。そうそう、昔は私も英文和訳のような話し方だったっけ。雄弁な自説、自分語り、推量・・・それでいいのだったなあ。
 3巻目以降は全く記憶が出てこない。完読したのはTちゃんだけだったかも。



12月某日 医者嫌いなのに
 市民病院の定期検診も行かなくちゃだったし、耳鼻科も行かなくちゃになって、このひと月に5件もはしごしている。行きつけると、老人がいそいそと医者に通う気持ちがわかったわ。居心地のいい病院・医院もあるもの。「いやだいやだ気が重い」、から気晴らしになった(ところもある)。



12月某日 歯医者のあとで
 虫歯のこと。穴が大きくて麻酔をかけて神経を殺した。タカが口腔内の麻酔なのだけれど、ぼーっとなった。そのせいにしよう、事故ったのは。ぼけたんじゃなくて。
あわててあせってぼーっとなった。大勢の人に助けられた。目の前の商店の人は熱いお茶を出してくれた。初雪の寒い日だった。おまわりさんは車が動くか確かめてくれた。保険屋さんはあとでゆっくりと、と言ってくれた。相手方もケガがなく、よかった。



12月某日 歯がかけて
氷砂糖を噛んでいたら、歯がかけた。と思ったら虫歯のかぶせ物が取れてガリガリ噛んで食べてしまっていた。舌で調べると大きな穴が開いている。いや~ん、歯医者に行かなきゃ。



12月某日 映画かぐや姫
ジブリだから観に行った。描かれているアニメは水墨画のようで余白を残したおっとりした絵で、きれいだった。竹から生まれて寝返りができハイハイができ立ちあがって歩く赤子の姿をとても時間をかけて描いている。ああ、この頃が子育てのいちばん楽しみなときだったなあ、じーん。
テーマは重く、けっこうずしりとこたえた。
喜びと悲しみがあるのが人の世(と高畑監督は描きたかったのかなあ)。高貴富裕はなくとも、その泣き笑い怒り思いやりが人の世の幸せと。何もかも忘れて、かぐや姫は月=あの世に帰っていく。そうでなければ、やはり悲しみが重くのしかかった、という終わりが、辛い。
解脱して悩みを超越したおしゃかさまが、ちゃかぼこちゃかぽこ登場したのは、おもしろくも意味深くもあり・・・深かったぞ。



12月某日 メガネのこと
 メガネのレンズを変えた。度数が下がったことは話していたよね。高いレンズに変えたけれど、結局、パソコンをはっきり見るために遠くはよく見えないという選択をした。遠近両用レンズでは、どちらかは捨てなければいけないのだ。それも最近の細めなメガネだと、なお遠方が見える範囲は狭い。運転中はメガネを下におろさない道路表示が見えない。
 結果、20年前の太めなメガネのほうがよく見える。にじんでみえるヘッドライトの件も改善はされない。なーんだ、がっかりだ。
 その後、ショッピングセンターに行ったら、今はやりのロイドのセルロイドめがねがレンズ付き5000円で売っていた。チッ。どうせまた度数が変わるならこれでよかったのだわ。



12月某日 めげてるとき
めげてるときは、人の優しい言葉が、とてもうれしい。
気遣い、味方、慰め、言葉、そういうものが元気をくれる。

落ち着くと、違う考えもできるようになった。
友人の知り合いに心優しい夫を持つ女性がいた。夫は失業したがそれを妻に言い出せず、サラ金からお金を借りて給料と言って渡していた。それは続くわけはなく、夫婦は破たんした。無口で家事をせず優しくない夫でもきちんと給料を家に入れてくれる夫と、いつも優しい言葉をかける夫と、どちらを取るかと言ったら、まあ決まりですね。そう思って自分を慰めたりして這い上がってます。



11月某日 白内障のこと
 友人が白内障の手術をした。家の中の汚れが気になる。しわが気になる、なんて言っていたが、近視も治って、ばっちりよく見えるようになったそうな。
 そういえば、わたしも新しい眼鏡がぼやけて見える。夜道の対向車のヘッドライトがまぶしい。閃輝暗点はショッチュウ起こる。しかも半分になった。目の隅に盲点がある。飛蚊症が大きくなって水たまりがみえる・・・恐ろしくなってエイッと眼科へ行ったのは、話したっけ?
始めに行ったところは週一回大学からの出張医。すいているかと思いきや、めったやたらj混んでいて、次の受診は2週先。その間に看護師?の視力検査アリ。まってよ、もし、病気があれば眼鏡の視力測定なんかしても意味ないじゃない!?時間が決まっていても、待合は長い。完璧に老人病院化していて、ずっといると気がめいる。
 次の受信までの間に、左目が痛くなった。瞼が空かない。これは、待っていられない、と最近開業した医院に行った。ついでに、眼鏡の検査も頼んだ。
ここでも眼鏡検査が先だった。眼科医が目を見る。しかし、「目薬を差して2,3週間様子を見てください」としか言わない。
「あのー、白内障はどうでしょうか?」と聞くと
「ああ、有りますよ、歳相応にね。(!)
でも、まだ手術をするほどではありません」で、おしまい。
歳なんだって・・・・あ~あ。

家に帰って、家人に話すと、「40歳から白内障と言われてます」とぼそっと言う。
糖尿病のため、年に一回は検診を受けている、その後、悪化はないらしい。
自分に汚点なことは話さないやっちゃなあ。
さてさて、人生はじたばたせずに、あきらめながら生きていくしかありまへんなあ。
 メガネは度数を下げた。近視が良くなっている、いや、これも老化らしいよ!?



11月水曜日 「リーガルハイ」
 気が付けば、この時間は家族皆がテレビの前にいる。ワイン片手に眼鏡をかけないで観てない(ふりの)人もいるが。
バカバカしくて(でも心底はまっすぐで)笑えるドラマは貴重です。
 


11月某日 老人漂流社会
 きのうからNHKテレビで認知症老人特集を放送している。昨日は3000日母の介護をした元NHKプロデューサーの実録。陽気な息子で笑い飛ばしながら暮らしていたのはすごいが限界だった。今日は認知症妻をひとりで世話する夫、ゴミの中に暮らす老女5000万円株勧誘で無くした老男は一人暮らし。いつかは、私ももっと呆けるんだろうないつまでも生きていたくないなあ。人生にも定年があってもいいなあ。と見終わって思う。
 ガリバー漂流記のラグナグ王国のように。これは、またこんど。



11月某日 米からはじまって
 米が不味いの硬いのからはじまって、気が付けば、亭主が話す言葉はモンクだけ。食事の時はし~ん。気にくわないときは臭い顔をしてぶすっと下を見てる。ダメだしは食後にボソリ。いちいち言い返していたら、まったくのカンモクジになった。
会話をしようとすると質問文になってしまう。これが優しいご亭主だと「質問は一つだけ」「夢の話は一つだけ」になるのだろう。そうでない家では返答も帰ってこない。
 憤懣だらけのところを、娘が来年の家計簿を買ったというから、私も買に行った。ついでにいつから付けていたんだっけと、古いのを掘り出してみた。引越しの際の段ボール箱にまだ入っている。(そういえば、アルバムの類は押し入れから出したこともなかった)。子どもが生まれてから、ずっと同じ家計簿をつけていて、自分でもびっくりした。新婚当時はノートに付けていたような気がしていたが。
そういうのー家事育児ーは苦手な私だったのに、努力していた自分に泣けてきた。備忘欄を見ていくと、なつかしい場面と憤りの塊の場面とを掘り出してしまって、落ち込んでしまった。
もうちょっと呆けたら捨てよう。



11月某日 『百歳』より
淋しいと思えば淋しくなってくる だから元気なふりしてる

今にして母を思えばあの時は きっと淋しく辛かったろう
                      (柴田 トヨ)
詩の暖かさも好き。この短歌の淋しさも好き。
貧しくても笑いの絶えない家庭だったという、働くことに一生懸命だった生き方も好き。
70才から日本舞踊を習ったという前向きな楽天性も好き。
一人息子と詩を作りあい、丁々発止とやりあったり、おこられたりどなられたりしても、いたわりあっている老後の生き方も好き。死ぬまで母親を慕っていたのは、うらやましい。



11月某日 米に文句あり
 「コメが美味しいと思わなくなった、不味い。」と夏からツレが文句を言っていた。もうすぐ新米が出るから辛抱ですよ、となだめてきた。激ヤセしていた頃。
けれど、いつもの新発田の山すそのコシヒカリの新米が届いても、美味しくないと文句がやまない。艶々と光って柔らかなのだが、コシヒカリ特有の甘みが薄い。食欲不振に陥っているツレの体調のせい、だけではないようだ。
 夏に他県の品種を食べ比べた。少量多品種の頂き物をしたのだ。
あきたこまち、ひとめぼれ(岩手)、ゆめぴりか(北海道)、はえぬき(山形)、さがびより。などなど。けれど、結局は新潟コシヒカリが一番おいしいねえ、私たち幸せだねえ、ということになっていたのだが。
 だいたい、新潟県は、BLコシヒカリ(交配によっていもち病に強い品種改良された稲)になってから味が落ちたと思うんですが、いかが?
来年から、もっと不味くなるのかな。こまめな手入れを抜いた大規模農家だけを優遇する政策になると。  こまるね。
 それに、テレビで見たのだが、60kgの米を作るのに16000円の経費が掛かると大潟村の農家さんが話していた。なんて薄利なんだろう。関税が撤廃されたら太刀打ちできないなあ。米は当分、死守するとしても、野菜は、どうなる?



11月6日 植え替え2
 ホームセンターで、一番安い培養土を買ってきて、アメリカンブルーにかけた。もうちょっと、生きのびてくれるといいな。
 ミニチューリップの「おやゆびひめ」などの球根を植える。来年の春に会えるね。一期一会とはいえ、また会えればそれは僥倖。生きていることを感謝して愉しまなければ、
なんて言ってみる。



11月5日 植え替え
 アメリカンブルーをついに引っこ抜く。まだ花は咲いているが、花壇を明け渡してもらわないと春咲き球根が植えられない。捨てがたいので、小鳥の水飲み場の岩陰に根っこの出ているのを置いてみる。



11月某日 冬の星座が
良く晴れた夜は、星がきれいだ。視力が落ちて眼科通いをしているが、それでも、きらきら瞬いている明るい星はわかる。秋の空は澄んでいるのだ。 と思っていたら、
隣の屋根の上にオリオン座を見つけた。オリオン座の四角とその中に斜めに並ぶ三ツ星は見える。冬が来るんだなあ。
スバルは見えない。やっぱりメガネを変えよう。
(遠近両用メガネでは遠くは鮮明には見れません、近視だけの眼鏡でいいんじゃないですか、なんて医師は言う・・・他へ行こうか)



11月某日 川上逝去の報を聞き
 一度だけ、巨人戦を見たことがある。川上、広岡、長嶋、与那嶺、もうひとり外国人。あとの選手は憶えていない。そのときの対戦チームも投手も。
別所投手の子は駒場小学校に通っていた、おなじ学区。
長嶋はデビューしたてで、やけに色が白かった。まだ家にテレビのないころで、プロ野球のナイターは印象深かった。(パリーグの昼の試合は駒沢球場の外野席がただで、学校の先生と行ったことがあったっけ)
 後楽園球場のナイターは満員だった。7回の裏あたりで私ら家族は電車に乗って帰った。最後まで見ていては電車が混むからとの親心。駅のホームから球場が見え、歓声が聞こえて、残念な気持ちだった。
 いま、ネットで検索すると、その選手らが出ていた年は一年だけで昭和33年だった。翌年には川上は現役ではないし、王が入団している。もう一人はハワイ出身の宮本でした。
小学5年の初夏。夏には一緒に行った父はなくなっている。インパクトのある年だったなあ、となつかしんでいる。
 川上さんの偉大さを顕彰するのは、ほかの人にお任せして。(川上哲治氏10月28日逝去)



10月31日 ハロウィンだね。
 ランドセルを担いだ小学生男子たちが歩いていた、学校帰りだ。
手に手に、綺麗な色の三角帽子(魔女がかぶるような、とんがったつば付帽子)をもっている。
ボール紙で作った、飾りがたくさんついているのを。学校行事にもハロウィンが入ってきたんだね。秋のお楽しみ行事かな。カボチャのランタンを飾るってわけだから、秋の収穫祭として、新嘗祭より、こどもにはちょうどいいお祭りだ。
ほんとは、カボチャじゃなくてカブなんだと株屋さんはいっているけど、そうかい?



10月某日 恥ずかしい話
 学生時代、「もとる」という言葉を「おとる」の意味だと思って使っていたら、先生から「わかっているのかい?」と聞かれて、赤面した。
私は、もの知らずである。なのに知ったかぶりっ子であった。
「もとる」の意味は「正しい在り方に反する(by新 明解)」です。



10月某日 恥ずかしい話
 末っ子が小学生の頃、友人宅で新聞の書評欄の話だったかをしていた時、ああそれ知っているという感じで話に入ったら、その表題の読み方が違いますよ、と同席していた男性教師に指摘された。まったく勘違いして覚えていたのだ。なんだったっけな?恥ずかしかったことだけを覚えている。いまだに。
「赤裸々」を「あからら」と言ったのだったのだっけな。そういうようなことです。
 麻生元総理が、「未曾有」の読みを間違えて、マスコミから笑い者にされていたことがあるが、他人事ではなかった。
 昔の講談社少年小説は総ルビだった。昔の新聞も。それ、正解だよね。



10月某日 けっこうはまった「安堂ロイド」
 「アンドウアサヒは死ぬことを禁じられている」恋人を殺されて、もう死んでしまいたいと落ち込んでいるアサヒを敵から守る100年先から送られたアンドロイドのお話。
木村拓哉が演じていて共演者もトレンディな若い人。演技も脚本も未熟な感じで、ネットでも週刊誌(新聞広告)でもひどい極評をあびている。
SF小説は好きだったが、最近の「ターミネーター」や「 なまえがでてこない、えーと」など激しいCGのSF映画は神経が持たない私には、物静かなSFテレビドラマで、いい。
この決めセリフはけっこう好き。
 「リーガル・ハイ」はハチャメチャな弁護士の物語だが、滑舌がよければ、早口でも内容はよく伝わるという、勉強になっている。
生米生麦生卵、ゆっくりしゃべればいいってもんじゃないんだよ。
この秋の録画テレビドラマです。「笑点」より、ばかばかしくっていいのです。



10月23日 中越地震の日
 地元の新聞には大見出しで毎年出る。それで、忘れないでいる。
がんばったね。9年です。
その後も、中越沖地震とか、あの東日本大震災があり、水害だって、あちこちに。その前は阪神大震災、新潟地震も。災害は絶えずあって、終わりはないのだね。
ただ、忘れるなといわれても関わり合いのない地域では、記憶の底に寝かされているだろうね。
新聞は、がんばってる人の活動・成果しか伝えないが、どうなんだろう。今は長岡市になった山古志村には美麗な記念館ができたが、人口は減っているとテレビでは言っているよ。



10月某日 防虫剤
  衣装ケースから出して冬服を着るとき、陰干しにして風をとおしてから着ましょう。
隣りを通ると臭いから。そして、咳が出て痰が詰まるのです私。
 最近は匂いのないものが出回っている。わたしもそれを買っている。しかあし、
その防虫剤からも揮発性の何かしらが出ているわけで、・・・
わけのわからない咳き込みは、そういう物のせいかしらん。



10月某日 6秒が待てない
 我が家のトイレ。瞬間暖房便座になった。待機電力なし。エコよしよし。
瞬間、といっても温まるのに6秒かかる。
夏の間は気にならなかったが、最近は急いで座ると、きゃあー冷たい!となる。
トイレは早めに訪れよっと。



10月某日 「孫の日」だって?
 聞いたことある?10月20日は「孫の日」だって?
スーパーのチラシ、2軒のスーパーでそういうふれこみで、焼肉やら刺身、すし材料の特売の大見出しが載っていた。ええ?そんなのいつから?と思って日めくり暦を見るが、皇后誕生日、リサイクルの日としか書かれていない。
 これも、恵方巻みたいに、売らんかなモードの企みだろうね。
孫のいない私はいじけるぞ。
孫がいたって、だからって、孫に何かしてやるなんて日を、正月、誕生日以外に作ってもらっちゃ困るぃ。
 しかし、今日の格言は「短気は損気」でした。



10月14日  白鳥くる
 夕方、空からコウコウと声が聞こえた。
みあげると、白鳥の連隊が潟をめざして飛んでいる。2羽、7羽。
夜になっても声が聞こえていた。お帰りなさい。
冬をつれて、やってきたんだね。今日から涼しくなるんだ。コタツを入れよう。

 雁の声は9月に聞こえた。早いよ!?聞きまちがえかなと思っていた。
ところが、福島潟の資料館の掲示板に9月27日に初飛来と書いてあったから、着ていたんだね、オオヒシクイも。
冬鳥たちで空がにぎやかになる。



10月某日 庭仕事
 10月とは思えない暑い日が続いて、雨が降って、草が萌えている。
そろそろ、春咲きのチューリップなどを植えなくちゃいけないのに、真夏の花アメリカンブルーは今ぞ盛り、と咲いている。う~、少し刈り込まないと植えられないな。
 そこで、ちょっと、通路にはみだした草を刈る。腰が痛いからちょっとだけ。
窓辺から、犬が吠えている。
 まだ、ギブスをつけているが、ホームズは、久しぶりにきのう帰宅。定位置の夫の書斎(今は物置)のハウスから、外を見ている。声のないワンワンも、聞こえるよ。
ちょっと、ひなたぼっこに出ようか。

 母がね。ヘルパーさんを始めてたのむとき、片付けしなくちゃいけないから、と嫌がっていた。掃除をしてもらうのに、あまり散らかっているのは、恥ずかしいからだ。よろよろ起きて片付けていたっけ。
私も庭木の剪定をたのむと、その前には草刈やら、掃除やらをしてる、やっぱり。
あす庭師さんに来てもらうと言っていた友人も今頃、庭の片づけをしているかな。
涼しくて日が照って、いい天気です。



10月某日 新しい建物
 近所に家具屋さんがあった。うちのベッドはそこから買っている。
数年前に店をたたんで、ずっと更地になっていた。
ことし、平屋のような建物が建築されていた。駐車場は広々している。何ができるのだろうと見ていたら、なんと葬儀場だった。なんと、と驚いたのは100メートルも離れていないところに、すでに一軒あるのだ、私らが引っ越してきてから建ったのが。
 うそこきアベノミクス景気が去ったら、年金も減って、医療給付も減って、介護施設から追い出されて、老人は次々に死ねるのかな、それを見越しているのかな、と、うがった見方をしてしまう私である。



10月某日 いい話
 ラジオで、日本財団の笹川陽平会長が、東日本大震災の際、被災者ひとりずつに、5万円の見舞金を配った、という話をしていた。
そういえば、20年前、アメリカの赤十字を視察に行った人から、あちらでは災害があると現金10万円ほどを配るという話を聞いたことがある。その時は、アメリカの被災者救援って現金だなあ、まったくと、びっくりした。
津波で何もかもなくなった人たちには、お金がいるだろうな。私たちが町内会や日赤に寄付をしたお金は、一年たっても被災者には届かなかったんではなかったか。こういう慈善団体も必要なのかもしれない。
 日本財団というのは笹川良一が設立。一族運営しているボートレースの収益金で活動している慈善団体だ。かつての日本船舶振興会。2代目は曽野綾子。今は三男が継いでいる。それがいいかどうかは別として。
名簿だけをたよりに、避難所に配り歩いたので2重どり3重どりを覚悟だったが、一件も、そういうことはなかった。日本人は美徳の民族だ。別な避難所でそれぞれがもらってしまった家族は返してきた。そこに感動していると話す。 わたしもこの話は感動した。うるうる。
 応募してきたNPO団体にも100万円を限度に振込み、被災地のボランティア活動を援助した。651団体にだしたが、収支報告がなく連絡の取れないところが7件あった。
残念だけれど、これでいいほうだし、やってよかったという旨の話もあった。ふむふむ。



10月某日 いい歌
 ラジオから流れてきた ♪
「♪・・・・・
どんな うんめいなのか・・・
かがやきは もどらない
わたしが いま しんでも」
 声はユーミンかな。
そう、若い日は帰らない。人生の歯車は戻らない。
ならば、覚悟して突き進むだけよ、ってサバサバ感がいい。



10月某日 リーガル・ハイ
半沢直樹の次の見ものTV。堺雅人主演。「やられたら倍返しだ、やられてなくても・・」と名文句あり。弁護士ものだけど、まるでマンガだね。今度は笑って見ていられる。



10月某日 失せもの
なくして探し回ってる、クリーニング屋から貰った洗濯物入れの袋。
いつも、これをもってクリーニング屋へ行く。
うち中探してもわからない、イライラ数日。
あッと気がついて車を探す。あった。トランクに押し込めていたのだ。
あるべき場所におく。で、これで解決のはずが
気持ちの中では、まだ探し回っている。棚や部屋の隅に視線が飛んでいる。見つかったというのに、その認識が頭に定着するのに時間がかかっている。



10月某日 わぉ、NHKで「半沢直樹」
クローズアップ現代で、民放の『半沢直樹』をやっていて驚いた。
正義感あふれる銀行員のお話。「やられたら倍返しだ」、「土下座して謝れ」が名場面。
巷でも土下座がふえているという。S村でクレーマーお客が店員を土下座させてネットで映像を流し社会問題になっている。
なぜ、謝罪の方法として土下座が増えているのか・・・
どうでもいいけれど、NHKが民放で40%も瞬間視聴率を取った番組をネタとして流していることのほうが、ビッグニュースだわ。



10月某日 最悪の職場を最高にする
 『督促OL修行日記』を借りた。図書館の返本コーナーにあって気になったから。
4コマ漫画付き、実体験の報告・対処法。
大学新卒で信販会社に就職したら督促部署に配属された。キャッシングの督促電話を掛けると逆切れした客に罵倒される毎日。身心ぼろぼろになったが逆転の発想で跳ね返し優秀な成績を上げている榎本まみ著(文藝春秋・刊)の本。
 ふつうの人にも生きる知恵がつまっていた。心をこめて謝る。相手に心が伝わる話し方がある。ゆっくりした動作・しゃべりは自信につながる。
 悪口系だめんずの人は、自分の自信のなさを補うために相手に悪口を言う。(督促をされて怒鳴るのは根っこにやましい気持ちがある、返さなきゃという罪悪感がある。)
正攻法では歯が立たないときは意外と裏道がある。弱者には弱者の戦い方があってもいい。(歯が立たない客は、かかえこまないで得意な人に任す。)
上手に仕事をこなしている人がどうやっているか、見る真似る。先輩からワザを盗め。
 すごくタメになりました。私も、このマイナスな職場(家庭)を変えていきたい。



10月某日 暑い
10月になったのに、また暑くなる。クローズアップ現代の国谷さんも半袖だ。
衣替えだというのに。仕舞うつもりで洗った夏物、また着ている。



10月某日 金木犀が咲く
 9月末に金木犀が少し咲いた。そして散った。これっきり?
8月に大々的刈込をしてしまったからだなあ。残念だ。
 と、ぼやいていたのに、あれ?また咲いている。こんどはびっしりと。
雨の上がった翌日のこと。そうか、日が照って雨が降って、また日が照ると、植物はぐぐぐ~んと次のステージに行くんだね。

 金木犀の花は中年過ぎてから知った。それまではトイレの消臭剤の香りでしか知らなかった。これも逆行した認識が頭に入った。絵本で知ってから実際の風景を観て感動した(『雲の信号』)ように。
それで、鋏で切ってきてトイレに飾った。(と、毎年かいているかも)

ぐぐぐ~ん、つながりかな、友人が、その近所で(ペットで)飼われていたチビ豚が、(何年かぶりで知った真実)すごくおおきな豚になっていたという話を届けてくれた。庭で綱を張って、リードを動かせるようにして飼っているそうだ、そんな風に飼っている巨大犬を知っていたので、それを首輪をつけた豚がしているところを想像するとおもしろかった。
アーノルド・ローベル『どろんここぶた』とか・・・・。



10月はじめ 犬たちの近況
 ホームズは、8月8日に骨折した。そろそろひと月になる再入院をしている。予後が悪い。
すねの骨を二本とも折っていて、一本は手術してボルトでつないだ。ゆっくりだが、これはつながりかけている。
もう一本の細いほうは複雑骨折していてつなげない。自然治癒にまかせている。最悪、太いほうがつながれば歩けるという。しかし、ギブスの間から浸出液が出ている。
動きまわるのがよくない、にじみ出るたびに包帯を変える、毎日様子を見られるようにと、動物病院の狭いオリに入院させられた。
先生は若い獣医師らしく、ほかの獣医師仲間と相談しながら治療しているというが、それは不安材料。まかせて大丈夫か。1泊3000円も不安材料。

 ブリは1才の元気な犬だ。その元気が命を救った。
海岸で、うちすてられていたフグを食べた。何でも食べる子だ。30分後から吐き続けたので、ホームズ入院中の動物病院にかつぎ込む。薬を飲ませ吐かせ点滴をした。
なにしろフグだ。一時はぐったりして危ぶまれたが、翌日には退院した。翌々日には散歩に行った、という。若いね。いや、パワフルな犬なのだ。(飼い主のおくさんは、この病院付き添いで、ぎっくり腰が悪化して寝込んでいる、かわいそうに)


10月はじめ 人の近況
 アスレチック・ジムに入会した人は先月2回も行った。数年前に入会した時はオリエンテーションだけ行って、あと1年以上会費を払うだけで一度も行かなかったから、今回はすごい!(と、ほめておこう、チッ。)
そのときウン万円でそろえた一式が役に立っている。
 自転車も、日曜日や早く目が覚めた時、たま~に行ってる、片手で数えられるくらい。行くからすごい!(ということにしておこう)
大学病院まで行って痛み止めの薬が増えた。薬の量は膨大だが、効いてないらしい。不味いものは食べない嫌いなものは食べない食事は食事療法とは言えないし、毎日の運動ストレッチなんかどこ吹く風だが、去年のようには生きている。すごい!
 
 もう一人は、朝の犬散歩から解放されて、ゆっくり寝ている。ほおっておけば4時5時まで寝ていることもある。完全に夜型人間だが、頭脳労働の仕事が夜なので、これはこれでいいのかもしれない。猫には猫なで声で話せる。猫が癒し役。

 書いている私はといえば、7月、9月と二回、鍼治療に行った。
行った日から3日は爽快な気分でいられた。肩こりがなくなって、ふだん頭に黒雲がかかっていたのだと気がついた。足も動く。毎日通えば、完治するかもしれない。それだけで安心した。
 ハリは洗脳だよ、と言う人もいるが、先生のトークは私を癒してくれた。
”あなたのいろいろな症状は旦那さんの病気の心配が素、あなたが心配してもよくなるわけではないから、人のことはほおっておきなさい。
自分が元気になることだけを考えなさい。
冷やさないようにして、靴下をはいてコタツに入ってなさい。
主婦の仕事はいくらやってもあたりまえで、できなかったことだけ文句を言われるんです。
優等生になろうとしないで、できることだけしていなさい。
この体で、一日起きているだけでもたいへんでしょう。
半日動いて半日寝てる人もくるが、それで生きていられるんだから、それでいいじゃないですか。”

全盲の先生の診断方法は、腕と足首をにぎっただけ。
この細さの辛さをわかってくれる人に出会えた。うれしかった。
二回目に、ハリを打っても痛く感じませんね、ときくと、それは私が上手だからですと、あっけらかんという。
 とても遠くなのだ。そこへ夫を連れて行ってやりたいと思って、初回は偵察に行ったのだ。
股関節症のせいか足に力が入らない。アクセルを押しつづけられなくて手で膝を押しながら行った。帰りはそれが必要なかった。
私には、効いた。
もちろん、夫は、そんなものは俺は認めないと断固拒否し続けている。
もう、わたしも彼には何も言わないでいる。



9月某日 おきにいり本の変遷
 寝込んでいたとき、(読む本がなくて)夫の書斎から『完訳ハックルベリー・フィンの冒険』(加島祥造訳)をもちだして読んだ。おもしろくって一気読みをした。
大人向けだがE・W・ケンブルの挿絵がふんだんに入っていて、たのしい。
 完訳だからおもしろいのか、と、動けるようになってから図書館へ行って探した。近所の館には子供向けしかなかった。とりあえず、岩波少年文庫を借りてきたが、あんまり
読み進んでいない。
というか、キャラクターとして、トムよりハックがおもしろい?



9月某日 タオルを変える季節
 オレンジ色のフェイスタオルがほしい、と数年来、冬になると思っていた。ちょっと元気な時、街に出て探したことがある。意外と、無い。某ブランド品で、あったはあったが、値段の高さに比例して厚い。一回使っては洗濯機に放り込む我が家の使い方では、薄手が良し。
 生協で5色20枚(一色4枚)のセットにオレンジ色が入っていた。2年くらい考えていたが他に見あたらないので注文した。
届いてみると、めずらしく予想どおり薄手で色合いも穏やか。よし!と次の回にも頼んで、オレンジ色計8枚になった。寒い冬には暖かな色で顔を拭きたいよね。
 ところが、そろった頃には、桜もツツジも散っていて、暖色は暑苦しくなってお蔵入りになっていた。
重陽の節句が過ぎて、でもまた暑かった。お彼岸が過ぎても、また暑かった。
子どもが泊まりに帰ってくることになって、タオル大量入用。やっと日の目を見ることになった。足りないかな、と藤色も出した。この色だけでは法事の引き出物だが、オレンジ色と一緒なら暖色系。良し良し。



9月某日 本のマイブーム
 『ビブリア古書堂の事件手帖』をテレビで見終わって、しばらくして、図書館で原作本を見つけた。シリーズを予約して順番に読んでいる。原作者は三上延。YA向けライトノベルの作家さんだと思っていたら、さすが作家、本好き、うんちくが豊富でたのしい。このシリーズで取り上げられてブームになったり復刻になった本もある。夏目漱石を紐解きなおしたり。そして古書店にくわしい。
 小学生時代を本郷正門前と駒場に暮らしていたことがあったので、古書店がなつかしい。同級生の家が古書店だったり、本郷通の赤煉瓦の塀の向かい側には古本屋がたくさんあった。ドラマの舞台は鎌倉ですけどね。田舎町の新潟にはない、「古さが美しい街並み」もTVドラマではすてきだった。この話、前半期に書いていたかも、あやしい私である。
ことし一番に、夢中になった本だったかな。まあ、そのときどきで、本に助けられている。
 シリーズ4は、予約が124名だった。数か月たって、今は70名。あと何か月だろう私。待ってます江戸川乱歩のうんちく。



9月某日 半沢直樹 え?これで終わり?
 最終回を録画していて、一人ごはんの昼にゆっくり見ていた。
観ていて、え?録画の失敗?
と、あわてて、22日の新聞テレビ欄を見直した。ああ、これでラストなんだ。
意外な、しかし、現実にはこうだろうな、と納得のラストシーン。
 教養あふれるわが友たちは観ておられないだろうが、「やられたら倍返しだ!」の決めセリフを持つ、上司の言いなりにはならない熱血ひら銀行員の半沢直樹の大活躍を描いたマンガのようなストーリー。と思ってみていたのだが、原作はちゃんとあって、地味な中小企業ものを書いている池井戸潤の作(『下町ロケット』は中途挫折した)。
だが、現実は厳しい。一介のサラリーマンは、会社に貢献しても、目障りすぎては左遷される。原作はまだ続いているようだから、課長島耕作が社長になったように、半沢直樹のその後も、ちょっとたのしみです。

今月は「あまちゃん」もおわってしまう。あーあ、つまんなくなるな。


9月23日 わからないくせに
「神の数式」を観てる。テレビ。「半沢直樹」は録画して。
宇宙はなぜ生まれたのか・・・・超弦理論がでてきたころの新書あたりまでは、わくわくして読んでいた。ただし、数式はまったくわからなかった。はい、今もなお。
異次元はミクロにある、しかも11次元ですと。
我々はなぜ生きているのかなぜ存在しているのか・・・わくわくしないわけにいかない、物理学(=数式)がなにもわからなくても。



9月某日 「一つだけ」の謎
 仲のいいご夫婦のはずである。それが、ご主人が「質問は一つだけ」というのよと奥さんがはなしていたことがあって、へえ~、へんなの、と不思議がっていた。もうずいぶん前のこと。
 これは、さいきんのこと。ずば抜けて仲の良いご夫婦なのだが、夢の話は一つだけって(主人が)いうの、と奥さんがぼやく。へえ~。
夜見る夢には、いろんな場面が唐突に出てきて展開し、目覚めてから自分も不思議でその脈絡を解きたくてご亭主に話しているのだろうに。人付き合いもいい(奥さんの知人の私にも気さくに話す方だ)、二人でよく旅もする仲の良いご夫婦なのだが、アレっ?
話したがらない男の子、と話したいが聞きたがりでない男の子?
(すみません、どちらも今はじゅうぶんなお歳です)
共通するのは「一つだけ」という言葉なのだが、なにか引っかかって、謎だ。



9月某日 昼間は30℃
朝晩は涼しい(寒い!)のに、日中は暑い。昨日は30℃、今日は31℃。
朝、着替えた服のままでは、日中はすごせない。Tシャツ一枚の昼の服では夜はさむい。
お天気お姉さんが「暑さ寒さは彼岸まで」と言うておられるから、あと数日はこんな陽気か。
好天気のおかげで、満月もみごとだった。村雲がよぎる十六夜も美しかった。
ここ近辺の田んぼの稲刈りは、今が最盛期。



9月某日 台風一過
 あちこちの風水害の大被害を残して、晴天が続いている。
朝おきると、さむい。パジャマの上に、ユニクロの赤いチェックのフリースを羽織り、ボア付巻きスカートをつけて、靴下をはいて動き出す。だって、さむいんだもの。
それでも新鮮な空気を入れたくて、窓を開け放つ。温度計は21度。
 東京のテレビのお天気お姉さんは、半袖姿で青空をバックに今日は一日晴天ですとニコニコ顔で言っている。
ツレは夏のペラペラ綿パジャマのまま、朝食をとっている。寒くない?うん。
ツレも激ヤセしてるのだが、まだ肉布団は私の負けかな。(私1㎝につき0.234g。ツレ1㎝につき0.335g)あなたは?


9月某日 「なんちゃって岩手弁」
朝ドラの「あまちゃん」の主人公は東京生まれ東京育ちなのに、岩手弁で話している。
ラジオでどこかの大学の先生が、これを分析していた。彼女は地味でいじめられっ子で、岩手の祖母の家に来て、やっとアイデンティティを獲得したから、そのまま岩手弁で自己表現をしているのだという意味のことを話す。ふむふむ。奥深いねえ、このドラマ。
「なんちゃって」、なんてのも、なつかしい言葉。
おりしも私は「なんちゃって真珠」をご愛用だ。ミキモトでは20万円といわれてびびって買わなかった大きな真珠のイヤリング。どうせ、そういうものはすぐ落とすジンクス。(いえこれは大枚2万円のイヤリングのことですが、ちょーくやしかった)
大きな真珠もどきのプラスチックイヤリング。雑貨屋で700円で見つけ、ふだん使いして楽しんでいる。



9月某日 今週のこと
 月曜日ハリ医に行って、すこぶる爽快になって帰ってきた。
それから、火・水・木と、出ずっぱりのスケジュールを快適に過ごした。
そうよ、昔は当たり前のこと。
毎日お買い物に出て、毎日そうじをし、毎日お風呂に入った・・ものだったねえ。

ややっ、私は治ったのかな。しばらくぶりの好調感にうきうきした  が、
 木曜日せんき性暗点がでて、金曜日には、力が出なくてダウンしている。こっちのほうが、最近はなじんだ体調だ。
週末はゲリピーから膀胱炎になり、抗生剤を飲んでるところ。悪くなったらいやだなあとおもっていてもしっかり悪くなる。いやはや、歳だね。



9月10日 四捨五入
毎日観ているNHK朝の連ドラ「あまちゃん」。意表を突く名言が毎日ある。
夏バッパ(宮本信子えんじるところの祖母)に向かって、主人公のアキが
「67才、四捨五入したら、100才だ」!
ウワッ、私も四捨五入したら100才だよね! じぇじぇじぇ。


9月某日 美容部員を信じるな
 K社の美白化粧品が問題になっている。
被害にあって白斑症になっている人のコメントで、美容部員に勧められて4種類を使っていた、とあった。会社では2種類の併用しかテストしていなかった。会社は悪い。参考文献を書いた専門医はK社の思惑と反対の結果を論文にしていたのに。
営業部員の売り方も悪いし、消費者も無防備だ。
 この人は顔だけでなく首や手にも塗っていたようで、そこも白斑症になっていた。ツラの皮は、ほかの肌より厚い。欲の出しすぎ、やりすぎだ。
 私はP社の高級栄養クリームを試したことがある。もう10何年も前、寄る年波を感じた時、肌がきれいになるならと手を出そうとした。あまりに高いので試供品をまず、もらって試してみた。付けたら顔がほてって赤くなった。それで、断ったら、慣れれば大丈夫ですよ、なあんてセールスレディ(おばはん)は言う。そんなわけないだろ。
テレビで大宣伝しているドモ・・・・・・・で有名なS製薬の試供品も頼んでみた。ただだから。
これも、かゆくなった。電話のセールスには、それをいってキッチリ断った。やはり、使い続ければよくなると言っていたが、そんなわけないだろ。
 おフランスのS社の栄養クリーム、体調のいい時は全く問題がなかったが、体調が崩れると、かゆみが出てきて、止めた。栄養過多なのか刺激が強すぎるのか、韓国料理も四川料理もダメな私である。
このデパートの売り場の美容部員は新聞広告でしょちゅう募集していた。美容部員はいろいろ講釈はするが、どれほどの化学知識があるか?ないサ。客のカードの割引率がいいのをうらやましがっている程度のお姉ちゃんだ。高校の化学で赤点を取っていた私のほうが、ましかもしれないゾ。
 そうやって、なにごとも疑いの目で見ている。信じるのは自分の体の発する言葉。
そして、専門医の助言。今は大学病院の推薦している化粧品を使っている。それでも、ひりひりするときは、病院がだす、たんなる医薬品の保湿クリームを塗って顔の皮のシワがちぢむ痛さを抑えている。痛いのよ。



9月某日 ベニシアさんの力の源
 「私の周りには実は色々な問題があります。例えば娘が統合失調症になった事。悲しくて自分を励ますために、新聞にエッセーを書き始めました。書いていると夢中になり、そのうちに問題は何とかなるように思えるから。」
テレビに見たいものがないとぼやいていたツレが夕飯時に少し前まで見ていたのが、NHKの「猫のしっぽ、カエルの手」。
京都大原の、ベニシアさんという京都市内で英語学校を主宰している英国人が日本古民家で英国田舎風暮らしをする日々を映す番組。
自作の詩を語る英語が美しくて魅かれていたが、住まいは不便、寒そう、庭は雑然。私の周りにはこの人の住まい方を憧れている人もいるけれど、どういうものか、と疑問符と違和感をもって見ていた。
  先日、朝の番組に出演して、娘さんが出産後発病したことを語っていた。
庭作りや随筆、手仕事が、彼女自身の癒しになっていたのだなあと、つくづく思った。
心をこめて打ち込んで裏切られないものをもたないと、人はへこんでしまうものね。
 若いころの大江健三郎の講演会を聞いたことがある。どもっていて、とてつもなくヘタだった。ただし、講演料は当時でさえ、何十万円といわれていた。彼もまた、先天性の病気の息子のために必死で稼いでいた父親だったのだと、カミングアウトをしてから、その苦境を理解できた。そして、息子を受け入れる小説に作風が変わった。私は昔の小説のほうが好きだったが、父親としては、これでいいのだと思っている。べにしあさん、稼いでください。
 


9月某日 夫のめざめ
 9月になってスポーツジムに入った。8月末にシティサイクルを買って乗り始めた。
チッ、私が言ってたのがやっとわかったの?と口に出しては言わないでやっている。自分で気がついたかのようだから。
 そうなってから、私は眠りが深くなった。木沢先生が言うように体調不良の元はコヤツだったか、やっぱり。



9月某日 めざせ森下洋子
 バレリーナの森下洋子は1948年生まれである。今もバレエダンサーとして活躍、かつ後輩の指導をしている65才だ。テレビで素顔を見た時は、あまりの痩せ姿、あまりのシワ顔にびっくりした。けれども踊りはじめると、しなやかなきびきびした動きは若い時と変わらなかった。美しい。年をとっても年寄でなくバレリーナだ。
ああ、これでいいのだ、と私は目覚めた。
 背筋を伸ばす。指先に力を入れて、ひじを曲げずにのばす。顎を上げて目線を決める。血管が浮き出ていても、筋張っていても、美しい立ち居ふる舞いはできる。
もちろん森下洋子は何十年の蓄積のボディとプロの自信があってのこと。若い時からずっと38kgだという。共通項が二つもあるのだから、みならっていこう。ふとれなくいことにいじけていたが、姿勢をまっすぐにすることは、まだできた。セボンコにだけはならないようにしよう。
 リハビリに通っている体操教室の先生は15歳以上も人生の先輩だが、バレリーナなので、踊りはじめると生き生きと美しい動きをなさる。生徒も、先生より高齢の方がいて、1時間も動き続けている。踊っているとは言いがたくても。歩けるだけでもすごいのだから。
 ながらく、教室を休んでいたが、できることだけでも見習って自分をキープしていきたい。目覚めただけで、実行は・・・いかに?



8月某日 ミーハーだから
「あまちゃん」と「半沢直樹」は録画している。
堺雅人は殺陣も上手い。新選組だったからね。
現実が厳しくても、夢を見ていられる時間があるのは、うれしい。
あまちゃんも、大震災を切り抜けるだろう。



8月某日 夏疲れか
近所で葬式が続いている。80代、90代の方々だ。猛暑は乗り切ったのに。
乗り切れたのは空調設備の整った部屋と家族がいたからだろうが、暑さとの戦いで力を出し尽くしたのだろうか。お疲れさまでした。



8月某日 秋は8月25日から
私の秋は25日からはじまっている。髪を洗うとやけに抜ける。
極暑の間も、平然としていた頭髪たちも、毎年8月末に、力尽きてか、季節を感じてか、
こうなるのだ。



8月某日 目が悪くなって
 本を読むのがしんどい。細かい字が読めない。肩の凝らない本ばかり読んでいる。
江戸古地図の本を借りてきたら、地図に書かれた地名が読みとれない。拡大鏡を使っても判読できない。数年前に借りたことのある本で、その時は苦も無く読めたのに。
 文庫は新しくて活字の大きいのを読む。昔の文庫は字がこまかくて読めない。最近の新聞は字を大きくしてくれている。なんでかわからなかったが、自分が歳をとるとありがたい、と納得する。
 一番新しいメガネが合わない。遠近両用なのだが近のほうは、まったく焦点が合わない。遠のほうも、ぼやけて見える。視力が変化したというより、これは目の表面を動き回るみずたまりのような影のせいかな。腰がよくなったら眼科へ行こうか、まあ飛蚊症のせいなら直しようがないのよね。



8月某日 寒い
最高気温が35℃のあとの30℃は、しのぎやすい。
それが25℃になると、わたしゃ寒いよ。
スーパーに行くと 半袖、ノースリーブのおねえちゃん、おばはん、おばあさまもいるが、わたしゃ、長袖二枚がさね。ズボンの下には長ズボン下をはき、腹巻をし、ホッカイロを張っている。
歳だからとは言わない。冷え性なんです。
ほら、やせてくるとそうなるのよ、元デブさん、自覚なさいませ。



8月某日 新しいタオル
 洗面の時に使うタオル、古くなるとごわごわする。気になりはじめて数か月、ちょうど良いのが無くていたが、百円均一のダイソーで、み~つけ。まず一枚買う。臭いので洗濯機で洗ってから使う。やわらか~い。
次の日ありったけを買い占めてきた。といっても8枚。この色は人気でいつも無いのだ。晴れわたった青空のようなきれいな空色。
 最近は、晴れていれば洗濯したものを庭に干す。雨続きの頃は乾燥機を使っていたから気にならなかったのだろうが、急に、ツレからバスタオルが硬い!と文句が出た。
これは・・・5年以上使っていたかな。スポーツクラブに入会した時の水泳用。説明を受けに行ったっきりプールには行かなかったけれど、お風呂で使っていました。限界タオルですね。はいはい、140×80の大判です。探してるんですが、まだ見つからないんです。
 キッチンで使っている濃青色のタオルは、10年以上前に大手通りの呉服屋で買ったものだ。フワフワはしていないものの型崩れしていない。十枚ほどある。これも100円だったが、国産品かなあ。まだまだ使う気です。



8月某日 まど・みちおの詩
「   くち
いわなかったことは
いったことの
たいがい いつも
なんばいかだ

それに
いったことは
たいがい いつも
いうまでもなかったことだ

で くちも
くちで ありうるわけだが
こんなにして
ぐちる ときだけは
くちらしい くちで    」
  (工藤直子さん選 『せんねん まんねん』より)

「せんねん まんねん」も好きだけれど
この詩が妙にしんみりする日は多い



8月某日 高温注意報
 甲子園大会のテレビを見ていると、カギ型の枠が出て高温注意情報を流している。
このところショッチュウ。
大阪も、35度とか、37度とか言っているのに、誰も倒れず戦っている声援しているのは、すごいね。
 半径車で5分の生活をしている私だが、きのうは頭痛がした。
陸橋のたもとで36度の表示が出ていた。車の中の百均の温度計は50度を振り切っていた。40度に達した地方もあったようだ。
スーパーの駐車場や道路工事の誘導係はそんな気温でも仕事をしていたのだろうか、頭が下がる。
 それでも、冷房の室内に一日居るのも、体がだるくなる。
庭があってよかった。むぎわら帽子をかぶって、水撒きしたり、草取りをしたり、夏を味わう。ちょっとならいいもんだ。
 お盆休暇のツレは、ベッドにいるか、食べているかで時を過ごしている。やせても、お腹は引っ込まない。
そうさ、腹筋を使うことは何もしていないし、いちにち4回もおやつ(甘いもの)を食べているもの。



8月某日 静脈
体の表面に静脈が走っている。うねうねと。
太っている人にはわからない。若い人にはわからない。
歳を食って、痩せた人だけの特権。いや、みっともなさ。気味の悪さ。血管の人体模型。
「みっともないから人前に出るときは長袖を着てなさいよ」と、私は母に言っていた。
いま、私は母の娘ほどの歳でしかないに(娘だからね)、静脈隠しに夏でも長袖を着ている。
おかあさんとおんなじ。
ことしはあんまり暑いので、首にタオルを巻いて、肌着とパンツの中にもタオルを挟んでおく。
あ、これも、おかあさんがやっていたことだわ。



8月某日 おじいちゃんとおなじだ
男は出されたものを黙って食べる。なんでも食べる。
そういっていたはずなのに、いつのまにか変わった。
こんなものは食えるか。二番茶なんか飲めるか。
これはダメです。食ったことのない料理はダメです。
肉はダメです。トビウオなんか下魚、食えるか。
大根おろしは子どもの頃それをおかずに飯を食わされたから見たくもない。
硬い。まずい。味がない。
野菜なんか食ってカロリーが増えるか。
・・文句は後からいう。
気にいらなければ食べ残し、ときには箸もつけず黙って席を立つ。

ゴミ箱が定位置に無ければ文句が来る。
夜、窓が開けっ放しだと文句が来る。
風呂ができていないときに限って早く入りたがって、
なんでできていないとぶすっと言う。
そんなの自分でやってよといったら、カンモクジになった。
なんでちゃんとできないんだ。なんで完璧にできないんだ。
口を開くのは文句を言う時だけ。あとは仏頂面。
(当人も体調が悪いが、嫁も体調が悪くて半日寝ているのは知らん顔でいうか。)
どうなってしまったんだろう、まてよ、
こんなことがずっと昔にあったような気がする。
・・・・
あ、そうだ、おじいちゃんとおんなじだ。
中風を患ってから仕事をせず、ブラブラしていた祖父。
神経痛だと言っていた。おばあちゃんは暗くなるまで外で働いていた。
それでも家の中のことは祖母まかせで何もせず、
文句ばかりいっていた。ニコニコ話すのは客とだけ。家族にはしかめっつら。
もう片方のおじいちゃんも青筋を立てて怒った。
なにをやっても文句ばかり言われたと、そこの家の嫁だった母は言っていた。
 ああ、おじいさんになったんだ。明治の男め。  だれのことだか。



8月某日 ラジオ体操
公園で、雨の日のほかは、毎日ラジオ体操をやっている。
夏休みだ。子どもが20人前後あつまる。大人はお父さんふたり。ラジオ係かな。
 数年前までは高齢者の数のほうが子どもより多かった。子どもは数人で。
若い世代がふえたのだろう。いいね。
 その音を聞きながら、私も家の中でラジオ体操をする時がある。関節という関節がボキボキと音を立てる。
きけんきけん。



8月某日 青井くん
ラジオのNHK第一を聞いていた。「・・・午後5時のニュースをお知らせしました」といわれて、えっ、と時計を見たら4時、ちょっとの間をおいて「失礼しました、午後4時の・・・」と訂正があった。顔は見えないけれど、全国放送だよ青井くん。



8月某日 休火山
夏休みなので、NHK第一放送の午前中は「子ども科学電話相談」をやっている。定番がお休みになったのがちょっと残念。春からの番組再編は、文句たらたらだったが、それしかないからだけど、おもしろがってけっこう聞いていた。
 子ども相談室は、子どもの対応に、毎年飽きることなく丁寧ないい先生もいるが、だんだん横柄になってくる年寄の先生がいたりする。アナウンサーはいい人ぞろいで、「うんじゃなくてはいでしょ」とか「ありがとう、は」とこどもに礼儀を教えている。そろそろ飽きてきたが、まだまだ知恵をもらっている。
 今は休火山という分類はないんだってねえ。富士山は活火山なのですって。聞いてきた子どもは「親が休火山といっているがほんとはどうなんだ?」私らは休火山と習ったぞ。
いつか噴火する可能性があるからと何十年前かに改定になったのを私は知らんかった。
古い知識をふりまわしてはいかんな。



8月某日 かぼちゃと竹の子
テレビの時代劇を見ていた。江戸に野菜を売りに来る農村の娘がでてくる。ニンジン、ゴボウはいいが、カボチャと竹の子を一緒に売るか。春なのか夏なのか?ありえないんじゃないの。

当地ではカボチャの季節。トマトもナスもなりがわるいようですが、カボチャは元気らしい。
坊ちゃんカボチャは小さいのがおいしいのね、こぶし二つくらいの。
ことしはロロンとかほっこり姫とか新種もみかけます。



8月某日 遺伝子
 「結婚相手には違う遺伝子を求める」といわれているのだって。
相方と気が合わないわけだ。私は自由意志というより遺伝子に支配されていたのか。
では、これで生命維持としては、良し、ということなのですな。



8月某日 夏か
毎日、雨が続いていた。
朝晴れても夜に降る。朝降って夕方は夕日が出たり。
半月にもなるだろうか。梅雨が明けたと気象庁はいうが、また雨だ。
雨が降っていなくとも、湿気があってじめじめする。
気温は高くないので、真夏という感がないが、べったり汗をかく。
押し入れはかび臭い。それでかな、体調が悪いのは。



7月某日 時代小説
 気晴らしに読んでいるのが時代小説。
まったく違う社会構造なのが、現実離れしていていい。
それも、深刻でなく、スカッとできるもの。
スカッとするならと、佐伯泰英にもどっている。
 爺侍の「酔いどれ小籐次」シリーズを借りてくるが、テレビ放映が始まって人気が出て、図書館では貸し出し中のことが多い。仕方なく、最新刊は買っちまったぜ。(本は増やすまいと決意したのだが、これも惜櫟荘の維持の協力費ということで)
爺というが、50歳になったという設定。あれあれ、私は大婆ですわ。
ほかに古着屋総兵衛のシリーズ。100年にもわたる影の隠密で、密貿易もしているので薩摩とも遣りあう。今はベトナム生まれが跡取りだ。まあ、だんだんに、希有壮大になってくることよ。
 赤川次郎さんは『図書』で、いつも歯切れのいいエッセイ・政治批評をしていて、好感。時代物を書いているのを見つけて、読んだが、不満。鼠小僧の短編シリーズだが、あらすじを読んでいるような気になる。人情はあるが、江戸の風物や長屋の様子、四季のうつろいの描写とか季節感がないからだ。
 そこへ行くと女流作家宇江佐真理はきめこまやかで、草花や、季節ごとの風習にていねいだ。ほとんど読んじまったが、たまに突っ込みを入れたくなる文節があったり。
 そんなふうに、最近の時代物は違和感を感じることもあり、池波正太郎や柴田錬三郎を借りたりする。うまいねえ。そばの書棚で目についた『座頭市』(縄田一夫編)を借りてきた。
作者は子母澤寛。もともとは15枚の短編。そこから大映映画・勝新太郎のシリーズものができたのだって。
短い物語なのに、完璧だ。
あとがきで、一説に、モデルは実在の人物で、長岡藩牧野家へ行儀見習いにあがっていた津川の名主阿部常右衛門の娘の子とあった。おお、牧野さまのご落胤、と親近感を持った。中途失明して座頭になるまでは文武両道をみっちり仕込まれた。失明していなければ・・・・。



7月24日 いい話
 選挙が終わったというのに(私は棄権したが)、朝っぱらから拡声器の音がする。宗教の布教かゴミ回収か、なんじゃらほい、と裏口を開けて、外を見る。
すると曲がり角にパトカーがゆっくり止まって、静かな声で、言っている。
「こちら○○警察署です。2さいの女の子を預かっています。お心当たりの方はご連絡ください」静かに動いては角ごとに声を出している。
迷子なのかなあ、気になりながら朝ごはんを食べていた。
 しばらくして、また声がした。
「さきほど広報にあった2才の女の子にあっては無事に母親にひきわたしました。ご協力ありがとうございました。」
顔を出したら、運転していた婦警さん、マイクを握っていた巡査さんと目が合った。にっこりして頭を下げたら、あちらもにっこり微笑んで頭を下げた。
きょうは一日いいことがありそうだ。



7月13日 蝉が鳴く
 アブラゼミの初鳴きを聞いた。
ここでは、蝉の初鳴きは、ひぐらしが一日鳴き初めをし、それからアブラゼミが夏じゅう騒ぎ立て、秋また、ひぐらしが一日鳴いておしまいになることが多いのだけれど、今年は、すっとばされたもよう。う、聞きそびれたかな。
 つい最近まで、カッコウが親子3羽で近くの電柱に来ていた。カッコウカッコウと鳴く声に交じって、グルルルルゴルルルと、子が親から口移しに餌をもらう時の喉声も聞こえていた。
飛べるようになっても、父は母は、子の世話をしているのが(当たり前の習性なんだろうが)ほほえましかった。
 庭の花壇ではホタルブクロから桔梗に主役が交代している。
うかうかしてても、季節はすすんでいる。



7月某日 寿司
 回転寿司でなくちゃいやだという一人息子のいるAさん。家族では回転寿司にしか行けないとぼやく。
食べ盛りの4人息子がいたBさんは、回転寿司しかいけないわと言っていた。それもそうだなあ。

 あるとき新聞の投書欄を見て驚いた。デパートへ行って服を見ていると、すぐに店員が飛んできて、うるさくつきまとう。自由に探させてほしい。という苦情があったのだ。ええ?それが普通の接客だろうに。??
この人は、ふだん、スーパーやショッピングセンターで買い物をしているんだなあ。たしかに自由だ。店員は寄ってこない。自分でレジへ持って行くのだから。

 近くの大型スーパーで、出店ブースの旅行代理店とDPE写真店が撤退した。そのあとに、ファッションブティックが入った。はじめは若い子向き。次は若い子向けグッズ、それも撤退した。
今は中年向き衣料店2店になった。スーパーの衣類売り場とは違う風変わりな品もあるが、デパート級ではなくスーパー級ではある。
その店はレジのすぐ前で隣り合っているのだが、いつも人の入っている気配はない。おばはん店長は店の前につったって、レジに並ぶ人や行きかう人を凝視している。そのうち、この店長どうしが店の前で話しはじめた。そして、お互いの店の品を手に取ってしゃべりあっている。
 私は、ここの店長たちは商売を間違えていると思っている。
半額セールとポスターがあっても遠目で見ていいなと思う服がいくらなのかわからない。手に取って見るには、おばはん店長と言葉を交わさなければならない。そんな面倒なことはスーパーに来てまでしたくない、と私も思う。
こんなおばはんたちにつかまったら最後、店から出られなくなるだろう、自由に店内を見歩けないだろう、断って出たらこんどスーパーのレジに並ぶのが気まずくなるだろう、と深慮遠謀で、近づかないでいる私らおばさんおばあちゃんの繊細な気持ちはわかっていない。
そこで客をにらんで立っているなよ、おい、嫌がられているのがわからないのか、といつか言ってやりたい、いや言わないさ。
こういう店の店長は奥で本でも読んでいればいいのに。
 回転寿司を好む少年も、わずらわしい商売的な会話を厭う繊細な心を持っているのだろうね。



7月7日 七夕
雨でした。残念でしたね。



7月某日 一生のお願い
「○○を貸して。一生のお願い~」
「こんなことに一生をかけていいの?」
「一生に一度、なんて言ってないもん」
・・・・
こんな会話を聞きました。クスッ。



7月某日 文とも
 ふみ友。
旅をする友からの手紙。消印から10日過ぎて届くのは遠くだから。それも、たのしみ。
 旅をしない友からの手紙。それも、また ほっとする。



7月某日 庭とも
 にわ友=庭いじりを話し合える友だち。
花が咲いたとか、何を植えたとか、菜園では何が獲れたかとか、話せる友は、みな遠くに住む人なので、庭を覗きあいながらおしゃべりする相手はいなかった。
我が家の他の住人は土いじりが嫌い虫が嫌いな人たちばかりで、木がなんだろうと、何の花が咲こうと、話の種にはならなかった。チューリップがアプローチに咲いても金木犀が香っても。
さびしいもんだ。
 それが、さいきん、庭いじりをはじめた若い人と、木の手入れや庭に咲く花を話す機会ができた。
とてもうれしかった。向こうの庭もたのしみだし、我が家の庭の手入れにも気がはいった。
その人は、たぶん生まれて初めて庭いじり庭つくりプランター栽培、野菜栽培をするので、なんでも教えたくなる。
消石灰を蒔いて2週間たってから肥料の油粕を蒔いてそれから2週間たって苗を植えるのだとか、プランターには朝晩水を撒かないと枯れるとか、庭中にやたら生えている白い小さい花の草はそれはスズランだとか、etc。
あんまり言ったら、いやがられた。そりゃあそうだね。
私だって、誰にも聞かずに試行錯誤しながら何十年やってきての知識・体験だもの。自分で獲得していくものなんだろうね。でなければ「たのしみ」にならないわけだ。
 私も母親の庭話など相手にしなかった。かってにすればあ、と知らんぷりしていた。これもついつい最近、母が庭を薔薇園にしようとしていたなどと聞いてびっくりした。なにも聞いてやっていなかったのだ。