はどそんのつぶやき2021-2

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12月23日 「ねぼけ署長」
 NHKの第一放送でやってる「朗読」を、「らじるらじる」の聴き逃しサービスで聴きながら茶碗洗いをしている。スマホで。AirPodsのイヤホンで。
「半七捕物帳」は えんえん30回続いた。「紀ノ川」は途中で投げたが、これは全巻聴いた。初めてかもしれない。まあ、短編集だからね。読んだ章もあるはずなのに忘れているほうが多く、2度目の楽しみになった。終わってしまって残念だ。ぽっかり。
 と思ってたら、次に始まったのが山本周五郎の「寝ぼけ著長」という小説だった。どこか地方の警察署長(警視庁にもいたことがある)が、事件を事件にしないで穏便に解決していく話を秘書役の署員が語り手になっている、短編仕立て。これもいい。謎ときとか名探偵ぶりよりも人情味あふれるオチが気持ちがいい。今までは貯めて聴いていたのに、今は毎日その日の放送を夜に聴いている。長く続くと言いな。
 わたし、子育て時代、この作家の「日本婦道記」をなんども読んでいた、そして心を支えてもらっていた。がまんがまんの武士の妻の話・短編集。
今から思えば そんな美徳はくそくらえ、だけどね。



12月20日 皮膚科ばなし
 シミ取りジェルを塗っているが、日に日にヒリヒリしてきた。日に日に赤くなってきた。
一日中痛みが続く。なんだか不安になって医院に電話した。
看護師さんが電話口に出て、
ジェルが効いている証拠です。塗る前にオイルフリーの化粧水をたっぷりつけ、両方のジェルを塗った後は日焼け止めを塗っておくと良いという。
 使っている化粧水に油の成分はかかれていないが気になって近くのドラッグストアへ行った。
化粧品売り場をウロウロしていると店員さんが、何をお探しですか?と聞いてきた。
油成分のない化粧水を探していると言ったら、いっしょにさがしてくれた。資生堂や有名化粧品をいろいろ見てくれたが、お肌にいいというのは みな肌にしっとり来る。しっとり系は油分があるサッパリ系がいいと看護師が言っていたことを話すと、化粧品の成分は少量の場合は書かれないこともある。ヒマシ油と書いてなくとも入っていることもあると説明してくれて、オイルフリーと書かれたハトムギ化粧水を探し出してくれた。
 これをたっぷりつけて乾かしてそれからジェル2種を5分間隔あけて塗る。
シミのほかの部分には、今まで使っていた乳液・クリームを塗って寝る。日の照ってる日は、ガーゼとテープでシミ部分を隠している(半分はマスクの中に入る)
 そうしてから、ヒリヒリは少し治まってきた。皮膚は硬くなってきた。あ、レーザー治療の時のように皮膚を剝がしているのか。な?
 目が悪くなったからよくわからなかったが10倍鏡で見るとシミは他にもあちこちある。
それがまた手をつないで円になりそうだ、そのうち円の中までシミになっていくのか。
なんだか、この治療は無駄になりそうな気がしてきた。すなおに老化をうけいれるべきだったかな。


12月15日 はずれ その3になるか 皮膚科
 皮膚科にまだ通っている。直径4センチの巨大シミがレーザー治療で消えるはずが、1週間たって焼けた表皮が剥がれても、まだシミが残っている。薄くはなった。しかし・・
今度は漂白効果のあるジェル(医薬品ではない)を1か月分処方され、朝晩塗っていた。しかしほぼ効果はない。説明書には人によって完治に3~12か月かかると書いてある。
う~ん。もう少し強い薬にしますか、と女医さんは言って、別種のジェル(医薬品ではない)を処方した。さあ、これが効くか?効かなきゃ、もう止めよう。なにせ保険のきかない自由診療だからね。
おチビも嫌がらなくなったしね。



12月某日 はずれ その2 眼科
 夏に白内障の手術を受けた。もう片方の。
今年は免許更新もあるし、夜の車のライトがまぶしいし、左右の視力の差が大きい。しおどきだと思って眼科へ行った。前の手術をした眼科と別な眼科へである。
 数年前の眼科では、私が老後寝たきりになっても本が読めるように近いところに焦点が合うよう意思表示をしたのを、”それでいいんですか、考え直したらどうですか”と変更を促し廊下に出された。
それで、もう一度考え直し、大地震でもあったらメガネがないと困るなと考え直し、中程度レンズをたのんだ。
ところがどっこい、術後、1週間目でもよく見えない。これ、以前書いた気がするけど、医師はそのとき「あなたが近くを見たいというから80cmに焦点を合わせておきました」だってえ!!ええ~!
2メートル先のテレビも見えないし、本も読めない。なんじゃこれ(怒)!!
 というわけで、今回は別な眼科にかかった。6月の話。今度の医師は(度を)近くに合わせました。というが焦点は50センチ。右と左が合わない。しかも、「あなたの左目は眼鏡で矯正しても0.7しかでません。」だって!始めに言えよ!
しかも、1週間たっても2週間たっても、ときどきの目の鈍い痛み、目の下のほうに半月系にきらきら光る現象がときどき起こる。それを医師に話しても、「そんなことはない。手術は良好で問題ありません。」と言い続けている。それはないだろ!君が経験したことは無かったかもしれないが患者はそう訴えているのだ。ここであたしの気持ちは折れた。
半年たって、痛みはない。しかし、たまに光りが出現する。眼球とレンズの間にすき間があるのかと素人の私は思うが、それもわからん。来週は文句を言ってこよう。
 とにかく、老眼鏡と近視用の遠近レンズのメガネを二つ用意していないとならん。それも眼科で検眼して作ってもらったメガネは遠距離運転の時はぼやけるので、デパートのメガネ屋で検眼し直してまた作った。
運転中のまぶしい光はイヤだということで薄い紫色の偏光レンズを入れたが、室内では目の周りが薄黒く見えてやな感じ。カンカン照り専用。
 苦労したのに、運転免許の視力検査は、メガネをかけて3つの C の向きを答えるだけだった。
夜の車のライトは、前よりまぶしい。手術なんかしていないツレもそういう。
車のライトがみなLEDの強力なものになって光りが強くなったようだ。
信号も、月もぼやけて見えて、あんまりいいことは無い。
 よほど、悪くならなければ、白内障手術は受けないほうがいいと思うよ。



12月某日 はずれ
 東京の友達や長岡の友達はお医者様に恵まれているらしいけど、わたしはハズレばっかりだ。
まず、整形外科。
去年秋。 もともと腰と股間節が痛い、いまは肩が痛い、と言って受診。
レントゲンほか検査を撮って、すべて背骨が元凶だといって腰痛リハビリのプログラムを作った院長。
(医者が診察した上で理学療法士の運動指導を受けるというもの)
それからは、医者の診察なんか「どうですか}と聞くだけで1分未満で終わる。それを受けるまでに1時間近く待合室で待つ。理学療法の先生は丁寧で親切で、腹横筋・多裂筋(インナーマッスル)を強化する運動だけでなく手も上げられない左肩関節をユックリ伸ばすリハビリ療法も教えてくれて、ずいぶんよくなった。

しばらくすぎて(2か月後)、医師は背骨全体の写真を見せて、変形性脊柱側弯症だ(背骨が横に曲がってる)という。それからは、それに即した運動もメニューに入った。
股関節が痛いのが一番つらいとリハの先生に言うと、また新しい運動も教えてくれた。
  そうして、骨密度が低いというデータを見せて注射を勧めた。これ以上悪くならないようにと。
股関節は95才並みだと言われれば、いやだけど、受けた。(ツレは、そんなものは効かないというが)
 腰痛外来というところに回されて、3か月のリハビリが終わった。そういう厚労省の制度になっていて、それ以上は続けられないのだって。リハビリだけ受けたいと言ってもそういうシステムはない。医師はいらないんだけどね。

今年になって、膝まで痛くなったので、また病院に行ったが(腰痛以外にはリハビリのシステムはないらしく)「(自分で)運動してください」というだけで、骨密度向上の注射を打ってお終い。
最初の院長も,後記の大学講師医師も専門は脊髄。
最近の整形外科医は脊髄、膝、首 手とか部分部分のスペシャリストになってしまい、ほかのことはわからないようになってしまっているとか。
ほかの科でもそうらしい。
レントゲンも骨密度検査も、その日のうちにわかるはずなのに・・・ずるずる長引かせて、通院料を稼いでいるな!!!
  (膝の痛みは 膝の専門医の医師に罹った友達のアドバイスで、ずいぶんよくなったが、
  歳だから完治はむりだねえ。
  「転ばないように」の厳重注意なのに、転んだ友がいたよ。涙)



12月某日 テレビドラマでマスクはここだけ?
 「和田家の男たち」のドラマでは、みなマスクをしている。それも、可愛いのやしっかりしたのや、いろいろ。マスクを選ぶ目安にもなるかな。家の中では、外してるけどね。最後まで、みなマスクをしてた。
 三世代男家族の主人公の相場君は料理係。作る家庭料理があんまりしっかりしてて、美味しそうで、見続けてしまった。
途中からサスペンスっぽくなって、現職の大臣は汚職・死んだ秘書に責任を押し付け、さらに昔バイク事故で4人殺し、それらを取材していた相場君の母親も殺したという話になってきた。それを摘発しようとしたが、でも結末は・・・・。
美味しいご飯も終わってしまった。
最後はマグロと鮭の刺身と肉じゃがだった。
続編が出ると言いな。



12月某日 ぱそこん・すまほのおかげ
 心が折れて、生きてるのがしんどい時、ホームページをすすめてくれたのが長女だっけ。
NTTのホームページ製作教室に行って、ホームページを立ち上げた。
そのころは次女も「スラムダンク」のHPを作っていたので、困ったときは教えてくれた。
 そうやって、しんどいときは、ここで愚痴ったぼやいた。
ののしったり、いかったり、小さな喜びをかいたり、うれしいニュースをながしたり。
容量が大きくなりすぎたのでブログに移動したけど、文句が来ないのでここも続けてる。
あちこちに手を出しすぎて、更新しないでいたら閉じられたブログもある。
知らない人とのコメント交換に疲れて閉じたブログもある。
まじめに家事をしてると、書き込んでる暇がなく
(頭が悪くなって言葉が出てこないで時間がかかる)
とびとびになったりしてはいるが、これがあるから、
ひとりぼっちでも、なんとか、やってます。
(注・夜は食う風呂寝るの人がいますが)


12月某日 「意味への意志」か
 「scripta」の秋号で安田登が"・・・フランクルがアウシュヴィッツの強制収容所の中で、人間が生きていくための根本動機は「意味への意志」だと気づき・・・"と書いている。
安田は周の武王、平清盛がある現象(舟に魚が飛び込んできた)に、まったく異なった意味づけをし、戦を鼓舞したことを続けて書いている。
確かに逆境にある時、それに意味を持たせて、耐える、乗り越えるというのは人の生き方として正しく優れていると思う。
 だが待てよ、この人たちのような聡明な人でない人も、なんで生き続けていくのか。
アフガニスタンやシリアなど、中東の戦乱の中、家も食べるものもない放浪の人たち、キャンプに押し込められてその日の生命を維持するのも困難な状況になっても人は生きているのか、こんな状況にあっても生きているのか、なんで死んでしまったほうがいいと生をあきらめない、放棄しないのか・・・
なんで苦しみに耐えているのか・・
 さいきん思うのは、私たち動物は生きて子孫を残すことが遺伝子に組み込まれている。私たちは生きていくのは自分の個人的な意志ではない、そう作られている。それを途中で放棄するのは異常事態であり、遺伝子の意図するものに違反 イレギュラーである。
自我が大きくなってしまった人間に対しては、それを防ぐために宗教ができていったのではないか、ということ。キリスト教カトリック派は自死は罪としている。
とか、思うこの頃。



12月某日 クリスマスソング
 ビング・クロスビーやシナトラのアメリカのクリスマスソングを聴いている。
パソコン(またはスマホ)のGoogleで「YouTube クリスマスソング シナトラ」と検索すると、YouTubeで発信している懐かしい音楽が聴ける。(有料のCMが入らないバージョンもあるがケチな私は無料でオペラやフォークソングも聞いている)
アメリカは豊かな国だなあと思っていた。(戦前の映画の、「南太平洋」でティッシュペーパーなんてものを初めて見たよ)、白人だけの社会であったような仕合せ映画を見て育った私には(裏には黒人を人間と思わないような過酷な人種差別があったことも知らず)、ルイ・アームストロングはみんなと仲がいいなあと、のんきな気分でジャズも聞いていた。
 いえ、ほんとはクリスマス讃美歌・ミサ曲を探していたのだが、この古いヒットメドレーを聴いていると、いつかフルブライト奨学生になってアメリカに行きたいなあなんておもってた中学時代を思い出してたのしいのだ。もちろん、努力は伴わなかったから、そんな夢は消えたが・・・歌は楽しい気持ちだけを思い出させてくれる。
なあんていって、歌詞はほとんど知らずにいたのよ。

昔々、駒場に住んでいた時、一時、隣の家の洋館建てのところに外人一家が住んでいた。ある日、小学生くらいの男の子が二階の窓から見ていた。私はたぶん弟とキャッチボールを道路でしていた。英語も日本語もお互い話せないふたりだから、ゼスチャーで<あなたもやる?><うん、やる>と言う意志が通じたんだろう。
彼は外に出てきて、いっしょに、しばらくキャッチボールをやった。それっきり。たった一回だけど。
 そのあと、しばらくして、その一家は引越していった。トラックの荷造りをボーっと眺めていたら「乗るかい?またもどってくるよ」とトラックの運転手は言った。「うん」
ほんのちょっとの時間なんだろうと、親にも言わず荷台に乗って私も引っ越し荷物について出て行った。荷台には幕がかかっていたので、どんな道を通っているのか、どこまで行くのかわからず、だんだん不安になった。
着いて荷台の幕を開けると、そこには広々と芝生が広がり、ポツンポツンと淡い色の平屋の家が並んでいた。芝生と道の境は低い白い三角の垣根が並んでいた。夢のような世界だった。そこでは、トラックのおじさんのほか誰にも会わなかった、青い目の男の子にも。
後で、それがワシントンハイツと呼ばれる米軍軍人の居留地(米国領地!?)だと知った。
その後、1964年の東京オリンピックの選手宿舎になって、今は代々木公園になっている。

アメリカって素敵な国なんだなあ、と思ったのは小中学生のころ。
高大学生のころは「米軍は日本から出て行け~」
ジョーン・バエズに はまって「ベトナムに平和を」の学生運動にも参加した
でも、上位下達で動かされる党組織にも不信感。
まずは破壊だという三派のあんちゃんたちの方針にも同調できず、
活動家に惚れられて断られたら睡眠薬を飲むと迫られ、そっちの活動からもいち抜~けた!
だれもどれも信じられなかった。
烏合の衆のデモ行進でなく、なにかしら正義・個人を助ける力を持てる勉強をめざし
本気で学んでいたが・・・それも人間関係でつぶされて脱落。

な~んてことを思い出しながら、
幸せな気分で昔々の音楽を聴きながら、
茶碗を洗ってる ただのばばあです。



12月2日 そり!
スーパーの店頭に、子ども用のソリ、スキー、プラスチックの雪かきシャベルが並んだ。
雪が近いんだね。



12月2日 そり・・・
 NHKのアニメ「ピアノの森」のピアノの音が素敵で、私はそりたきょうへい(反田恭平)に はまっていた。
ドラマ主役の一ノ瀬海の恩師となる阿字野先生のピアノを担当しているのが、このソリタ君だと分かって、YouTubeで彼の演奏を聴きまくっていた。公表はされてないが主人公が大きくなってショパンコンクールに出るときのピアノはこの人だというウワサだ。
そのアニメドラマのピアノを担当している若手ピアニストたちが半端でない経歴と実力の持ち主で、すてきな音楽時間だった。いい歳をしてアニメにはまるのは照れ臭いが、このテレビは聴いていて楽しかった。私が観たのは真夜中なので、ポツリポツリだけだが。
 そうしたら、彼が、なんと今年のショパンコンクールで第2位になっていた!
NHKでも特番をやっていて見入っていた。
生い立ち・経歴もすごいなあ。父親は音楽の道に進むのに反対で、賞を取ったら許すと(冗談で?)言ったら、彼はそれをクリアしていって桐朋高校の音楽科、大学へ進学、ロシア留学等をコンクールの賞金・コンサート収入でまかない、今もショパン音楽大学で勉強をしていた。コンクールに出られて楽しいと語り、のびのびとたのしそうな演奏は見ているほうもたのしい。
カットゥーンもコンクールに出ていてびっくりもした。
 T子が帰ってきたので彼女も加わって、YouTubeを探し、じゃあ誰が1位だったんだろうと検索。
中国系カナダ人のブルース・リウだと分かって、彼の演奏も鑑賞していたら、これもすごい。
反田さんなんてもんじゃないくらい、すごい。反田さんの演奏がうまいねえ、というとすると リウのは美しいねえ。
と二人でショパンのピアコンに夢中になっていた。うちは小学6年までは強制的にピアノを習わせていたが、それ以上は好きにさせていた。覚えていなかったがT子はその後自分で先生を選んでショパンまでやっていたという。へぇ~。
 夜になって、家人が帰ってきて、また話が弾んだ。かれも反田恭平、牛牛のCDも持っている。
YouTubeを大画面のテレビに飛ばして、ピアノコンチェルト1番の聴き比べをした。彼はアルゲリッチやキーシンがいいとか何とか言い始めて夜が更けてしまった。私は若い人が好きだけどね。
茶碗洗いはまた、日を超えてしまった。


12月1日 咳が止まらない。
咳き込む回数が少し減った。時間がかかるねえ。


   
11月某日 咳が止まらない。
埃だらけの部屋を掃除したせいだと思う。天気が悪いので窓は締め切って、マスクはしていなかった。夜になって盛大なクシャミ連発。それが全身震わせるような爆発だとオシッコももらす。クシャミから咳に代わって、うがいをしたりするが、なかなか治まらない。四五日たつと、声がガラガラ音の低音になった。焼き魚の煙り、タバコを吸う人のそば、部屋にふきこむ強い風、布団に入る時、なんだかわかなない拍子にも咳き込むときもある。熱は出てこないし、気怠いだけで、ほかの症状もない。コロナでも風邪でもないが人中に出るのは気が引けて、(いつものように)夕方遅く日暮れがたに買い物に出る。
抗生剤を飲んでもダメ、咳止めを飲んでもダメ、林望先生おすすめの鼻洗浄(塩湯で鼻をうがいする)も遅すぎでダメ。
抵抗力の弱まりだねえ。情けない。



11月25日 気が早いスーパー
 大きなスーパーの入り口には先週から空のル・レクチャの箱が並んでいて贈答用に予約販売が始まっていた。やっと、箱入りも、二個パックの小売りも始まった。ル・レクチェの季節だ。
そして、クリスマスのお菓子を詰めた銀色の長靴も並んでいた。
ケーキの予約は11月初めからチラシが出ていた。
 ところが今日は、鏡餅が最前面に並んでいた。まあ真空パックで保存は大丈夫とはいえ、季節の先取りは年々早くなるようだ。うちでは極小さな鏡餅しか買わないが、気がせかれるよね。
 小さなスーパーでは、まだ、その日の安売りのしめじ、長芋、ブロッコリーなどが並んでいる。こっちではぎりぎりにならないと始まらないので、ほっとする。



11月25日 半七捕物帖
 今週は 月火水と、大風が吹いたりピタッと止まったり、大雨が降ったり晴れたりと目まぐるしく変わる天気が続いた。今日は朝から大雨警報やら洪水警報が出た。やれやれ、もっと悪い天気になりそうだ。で、晴れてるうちにと午前中に買い物に出た。いつもグータラ朝寝をしてぼんやり過ごしているので、私としてはえらい。昼を過ぎると雨になった。
 際限のない家事のなかでも急ぎ仕事が溜まってる。花壇にチューリップを植えなければいけないし、夏物の服がポリ袋に入れっぱなしになってるのをコンテナに仕舞わなくちゃいけない。窓も洗わなくちゃいけない、スダレをしまわなくちゃいけない。もう師走が近い。焦る。
 外には出れないから、夏物整理をしよう。スマホでNHKの「らじるらじる」を聴きながら仕事をしよう。おや、「聞き逃しサービス」で、なんと今は「半七捕物帖」をやっているではないか。
今年の前半は、岡本綺堂の小説に熱中していた。それを篠田三郎が読んでいる。この人も好きだ。セリフ読みがうまくてさすが民芸だ。若いころの徳川無声もかくや。
解説でも、この小説がシャーロックホームズの日本版を書いたのだ、そして野村胡堂の「銭形平次捕物控」、横溝正史の「人形佐七捕物帳」は、これに続いて日本の推理小説が始まったとも。 ああ、仕事がたのしく弾みました。まだ、続きそうで、うれしいです。
なぜだか、結局、大雨はまだ降ってきません。
さて、夕飯支度にとりかかろうかな。



11月某日 国民栄誉賞辞退
 大谷翔平がアメリカのプロ野球界の今年度のMVPに選ばれた。すごいね。
野球選手としての技術のすごさはもちろんだが、いつもチームメンバーとなごやかだし、彼の幼く見えるほどの明るい笑顔は、見ていても気持ちがいい。今、一番すばらしく、たのしい人だ。
 それに対し、岸田政権は国民栄誉賞を与えようと打診した。
大谷君は辞退した。これには喝采だ。
別に政府にお世話になったわけでなしーオリンピック金メダルだとそうはいかないだろうけどねー、これが花道になるほど歳を取ってもいないし、なによりこういう賞は、いかがなものか。まだ早いというのが辞退の理由と言うが、こんなものもらってうれしいかな。
 地方でも、県民栄誉賞とか市民栄誉賞とか、その地方出身のスポーツで優勝した若者などに出している。県知事や市長が、自分は何もしていないのに、仰々しく賞を与える報道を見ると、首長が画面に出たいからやってるように見えて不愉快なことが多い。こんな賞を欲しくて戦ったわけではなかろうと、私はいつも思って観ている。



11月某日 BS民放テレビ
 宵っ張りなので、深夜放送をよく観る。NHKのドキュメンタリーの興味深いものが多くてついつい見入ってしまって、また夜更かしをする。「911ペンタゴンでの真実」「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」「天安門事件30年」とか「8億年前の地球大異変」とかね。まともな時間にもやってるはずだけど、見逃してるのだ。「空からクルージング」など、BGMにちょうどよいものは録画してる。前に揚げた番組もそのくち。
 たまに、深夜番組を探しているとき民放サイトを開けてしまう時があるが、、、なにこれ??
全部の局が通信販売の番組だ!びっくりした。
宝石だったり、ジャケットだったり、栄養食品だったり・・でも一番多いのは
まやかし薬品っぽいもの。膝の痛みがよくなった、腰の痛みが消えた、の類が多い。
医薬品ではないから「効く」とは言えないで体験者といわれる人の話だけが証拠。それも長く飲むと良いという。・・・そんなの自然と良くなるのと違いははっきりせんでしょ。
たまに第3類医薬品もある。それが抜群に効くなら、医師が処方箋で出すよ。
 流す番組がないのなら、BS民放局なんかいらなかったんじゃないか? 
昼も再放送番組か韓流か華流が多いみたいだし。 なんだか情けない。



11月某日 空子さん
 「終の棲家の・・」の空子さんのブログは、おしゃれで、優雅で、さりげなく、日々に楽しみと美を見つけている素敵な暮らしぶりを描いている。写真も綺麗。ときたま発する世相評論も、そうだそうだと共感する。数年前までは女友達とパリでアパートを借りて数日の休暇をたのしんでいらしたハイソな方。
 その住まい方おしゃれな服装は同じにはできないが、参考にしている。スリッポンの靴はこのブログで知って、素敵!と同じような靴を買ったが一日で腰痛を起こしたっけ。レベルが違ったのね。
 あこがれの人だが、数日前のブログで「年が明けると74歳になる。」と書き(え!同い年)、出来ないことが増え、疲れやすく、気力も低下・・・、とぼやいていた。あら、この方も!!と、より共感を深めた。
 その後、彼女は草笛光子の映画を観て、前向きな生き方を自分に言い聞かせていた。
私も見に行こうかな「老後の資金金がありません」(小説はつまらなかったけど、草笛光子は観たい)。



11月某日 ぼやき
 10月、皮膚科に行った。おチビ1号に嫌われていたイボとシミを取るためである。
それは、予想に反して完治していないので、また(ぼやきになります)



11月某日 ぼやき
1月、大雪かきのあと、膝が痛くなった。左だけだったのが、そのうち右も痛くなって、座卓から立ち上がるのがスムーズにいかなくなった。(と、以前にもぼやいているね)
居間をテーブル・イスの生活にすればいいのだろうが、ごろんと寝転べないのは・・と躊躇してる。
朝の寝起き時、手の指がかたまって準備運動をしないと開かない動かないってのは何月からだっただろう。
10月、足の甲の外側の真ん中ヘンの骨が痛い。動くと痛い。簡単靴を履いて外へ出るととくに痛い。なんだろう。ネット検索するとジョーンズ骨折に行き当たった。
触っても痛くはないので整形外科に行ってもどうしようもないんだろう。
やれやれ、歳をとるって、やっかいなもんだ。



10月某日 右肩が痛いと困ること
 去年、左肩が痛くて医者に行った。治らん。
ことしの夏からは右肩が痛くなった。車のシートベルトを付けるのに右手を後ろに伸ばすのが辛い。
肩を回すとゴリゴリ音がする。左も右も。



10月某日 トレンディドラマのうそ
 もうコロナ禍になってから2年目だ。おそるおそるはじまったトレンディドラマだが、ドラマの中ではコロナについてはまったく語られていない。とぼやいていたら、
コロナであたふた、という番組が始まった。
 ”わたし失敗しないので”の決めセリフが好きで見ている「ドクターX~外科医・大門未知子」
主人公はコロナ最悪期にニューヨークで医療に携わり帰国。古巣の大学病院ではコロナ病床の稼ぎが多くて内科がいばっていて外科は分院に追いやられているという設定。皆、マスクをしているし、外を歩く人もマスクをしている。
再開第一話はコロナがずいぶん大きなウエイトを持っていて、ある意味、今の医者の世界の状況も描いている。(一般手術が延期になったり、できなかったりだったからね。)
 でも、二話からは、あまりコロナを描くことは無くなった感じ。ラッサ熱がでてきたり。ヒューマニティもあり、おちゃらけ脇役もいるし、悪役タレントが大物(野村萬斎)(西田敏行)だったりの、お楽しみ番組に戻った感じ。通りがかりにちらっとTVを見た専門家は、「手術の時に術者が心臓側に立つことは無い」「、一人で心臓の手術なんかできるか」とめちゃくちゃ文句をつけていた。



10月某日  やっと読了
ことしの単行本(文庫版)の読書はこれだけである。
 「半七捕物帖」岡本綺堂(明治5年生まれ1872年ー1939年没) 大正6年から連載。
1~7巻まである。小編の話なので、寝る前に一遍ずつ(途中で寝ることもあり)、
ちびりちびりと読んでいた。全編読み終わるのに半年以上10か月もかかっている。
江戸時代の岡っ引き老人の昔語りを若い新聞記者の主人公が聞き書きをしている体である。
そこで江戸時代の地名と大正時代(?)の地名も違いや江戸の暮らしぶりの説明がたのしい。。
 加賀藩邸近くの東京の下町で暮らしたこともあるものとしては、なんとなく懐かしい地名もあり、
殺しがでてきても無残な描写はなく、ストーリーで心かき乱されるような話はない。
で一話完結するとホッとして眠れる。
 作者はシャーロックホームズ日本版をめざして書いていて、
舞台は違うが、ひらめきと推量で解決していく趣きが近い。
 つぎは「銭形平次捕物控」野村胡堂(明治5年1882年―1963年没 昭和6年より連載)に。
こちらは子分が「がらっ八」というように、文章も会話もくだけていて、「怪人二十面相」のような少年ものを読んでるみたいだ。
 新作ものの、どろどろやながながに付いていけなくなった私。
本を読めなくなった。目が悪くなったから。白内障手術してからはなお。
いや、めんどくさがりになったから。それは老化現象??
(これらの本、みんなツレアイの本棚からお借りしている。)



10月某日 うれしいこと
 良く晴れて爽やかな日。公園でまた小さな子供たちの声がする。
紫の帽子、緑の帽子、みんなリュックを背負っている。
あ、お弁当を持っての保育園の遠足だ。
どこの園だろう、海のほうから来てるから、もしかしたら、あそこかな。
 ちょっと、公園にでてみた。
そしたら、紫の帽子の子たちが、駆け寄ってきて
「えほんのせんせぇ~」と声をかけてきた。
え?覚えていてくれたの? じゃあ、K保育園の年長さんだね。
去年今年とずーっと会っていなかったのに(マスクをしていても)
覚えていてくれたのか。じわ~。
主任先生は今年の着任だといったが、子どもたちの声で気がつき、
前任者から聞いてます、コロナがおさまったらまた来てください、と
声をかけてくれた。
なんだか、とっても。うれしかった。



10月某日 エアコン洗浄
 エアコン洗浄をしてもらった。
さいきん、テレビでエアコンのカビ・汚れがアレルギーの元だという放送があって、
どす黒い水が出てくる洗浄風景が流れた。
アトピー・アレルギーっ子である孫のアレルギー検査では、
ことしはハウスダスト・ダニが第一位だった(去年は猫・犬・卵の白身だった)。
それで気になったママさんは、なじみの電気屋さんに洗浄を頼んだ。
 私も気管支が弱い(肺に白い影がぼつぼつある)ので、
うちでもやってもらった。
居間と寝室を頼んだが、意外や寝室のほうに黒カビがあった。
これは北東向きの部屋と南西向きの部屋の日あたり・湿気の違いか、
滞在時間(使用時間)の差か。
実は、台所をのほうが油汚れがひどくて目詰まりしている、
洗浄したほうが効きがよくなるとのアドバイス。
では、これは近日中に。
 元メーカーの修理専門家さんが定年になって、
独立してエアコン洗浄をやってる人が同行してやってくれた。
基盤に水が入らないよう慎重にやることが大事で、
機種によってやり方が違う。安直にやるとこわしてしまうそうだ。
テレビなどは大げさに騒いでいるが、
ふつう、そんなに気にしなくてもいいんだと言っていたが、
疾病のある人には効き目アリです。



10月某日 洗濯袋
 洗濯機で洗濯すると衣類が絡まる。それを防ぐのに、スーパーで
トゲトゲのあるボールを買った。
ふつうは三つ、大量の時は五つ、と使ってみた。いいね。
だが、しばらくするとトゲトゲがすれてきて効き目がなくなった。
やっぱりからまる。
 そこで、小物を入れる小さな洗濯袋をいくつか使って、1,2枚ずつ入れて洗濯した。
袖の長いTシャツや薄手のズボンなど互いに絡まって団子になることはなくなった。
なあんだ、これでいいだ。



10月某日 なんかヘン  政府のコロナ対策と医療費
 先の首相はワクチンを打てばそれで防備は硬いようなことを会見のたびに語り、
最近の新規患者数が少なくなったのをワクチンを
政府が積極的に広めたからのように自慢して去った。
が、ちがうだろ。
 アメリカ・イギリス・フランスのようにワクチンを積極的に進めていた先進国でも
日本ほどの患者減にはなっていない。
私は国民性の違いだと思う。
日本では、ほとんどの人は規制が解除されてもマスクをし、
スーパーの入り口ではアルコール消毒を欠かさずやっている
(私の見てる範囲ではね)。
 そしてそして、ゴミはゴミ箱に入れる、食事の前には手を洗う、
トイレへ入ったら汚物を流し手を洗う、日々洗濯をし、掃除をし、・・・
この習慣が彼らの国には欠損している人々がいることを、
海外在住日本人のブログを見ていると教えられた。
 学校で生徒が掃除をすることは無い、家に入る時は靴を脱ぐことも無い。
親しい人とはハグをする。
これらの習慣が、コロナ蔓延にそうとうな影響があるとブログを書いている人たちは言う。
私もまったくその通りだと思います。
 
 そして、いったいいくらファイザーにモデルナにワクチン代を払ったのでしょう。
この膨大な金額、予備費から出すと政府は言っていたが、
それは、これからも増大していくわけで・・・。
ワクチン注射を打つほうの医療機関・医師にも、どんどん礼金を上げていった。
多く打てばより多額の、休日夜間は割増しの礼金を払うことになっていった。
これがなければ、コロナの収縮もなかったとはいえ、
それ以前の公衆衛生(保健所をつぶしていった)、
感染症対策(ワクチンの開発に予算をしぶっていた)に対する政府のケチぶりが
この混乱を招いていると言えないこともないですよね。

 そして、コロナ患者のために、公的病院・私立中小病院に、コロナ病床・病棟を確保し、
病床確保にたいしての補助金を出している(莫大な)。
それは入院患者がいなくてもである。
重症患者ならばICUの確保も必要だし、
そのため一般の重症患者・手術予定の患者も待機させられた。
感染を危惧して受診しないため癌が増えたとのニュースもあった。
医療は大混乱で、そのため医療収入は激減しているところもある。
それを補助金が補てんして余りあることになると計算している関東の病院があった。
 コロナ蔓延期、特効薬もなく、医療関係者の努力苦心は何度も報じられている。
まったく医は仁術でありがたいと思います。
しかし、国は、このツケをどこにもっていくのだろう。
この補助金、いまだ支払われていないという話もあるのだ。??
 今度の選挙、野党も与党も、ばらまきや医療拡充のノロシを上げているが、
それを日本経済が支えられるのだろうか。
私はそれも心配です(心配してもしょうがないけど)。

私の試案 ①株売買の税金を一律でなく億単位からは3倍額にするとか。
       ②昔あった、高額商品の税率だけを上げるとか。
          (プリウスはいいけどレクサスは上げるとか)
       ③へんな私立大学をつぶして税金をばらまかないとか。
          (ただし国公立大学授業料は無料にする)
       ④ う~ん、あと思いつかない。 

    (注)10月某日の  アメリカ、新規感染者37,317人
               イギリス、新規感染者39,413人
               フランス、新規感染者 3,991人(罰金政策のせい?) 



10月某日 近頃ヘンだと思うこと 
 気晴らしにトレンディドラマをよく観るようになった。
去年は再放送などが多かったのに、今年は新しいドラマが4旬にどんどん出ている。
観ていて、あれっと感じるのはドラマの中では
コロナなんかコロナなんか ないことになっている
こと。
たしかに登場人物たちは微妙に離れてはいるが、誰もマスクはしていない。
集団で寄り集まることは無い。大合戦の場面はない。公共交通機関の映像はない。
町を歩くエキストラも、自転車で通り過ぎる人も、スーパーの客も、
誰もマスクをしていない。
ストーリーの中ではコロナの字も出てこない。
 そりゃあ、製作中のスタッフやキャストは映らないところではマスクをしているだろう。
しかし、ドラマの中では仕事が終われば皆で居酒屋へ行き、
人と会えば喫茶店へ行きしている。
私たちのイライラ願望をつのらせてくれる。代って楽しんでくれている?
なんか、ヘン。そして、危なくないの?



9月某日 寒さと暑さが極端な秋
 新潟は地梅雨時にはあまり雨が降らないで秋に長雨が降ることが多かったのに、
この秋は雨が少なく、稲刈りも順調。
ただ暑い日寒い日、夜はぐっと冷え込む日が多くて、体調も不純でした。


9月29日 自民党の
総裁選挙の日。NHKは結果がでて一連の儀式が終わるまで予
定の放送を変更して流しっぱなしだった。
 私は、布団を干したり、茶碗を洗ったり、今年初めての食堂の窓を洗ったり、
ちらちら見ながら家事をしていた。なあんだ、誰もがそうなるだろうな、という結果になった。
 一次選挙では過半数を取る候補がいなくて二次投票になった。
これも織り込み済みか。NHKの時間の取り方を見るとね。
安倍前首相のモリカケや桜の問題も再調査はしないと断言していた岸田候補が当選した。
まあ、ほかの人もだけど。
その安倍の後押しの高市候補は落ちた、やっぱりね、みんな陰ではモリカケ桜は禁忌なのだ。
野田さんは好きだけれど野党から出てもいいようなことしか言わないから
自民党内では少数派。忖度の政治が続くわけだ。
党員票・地方票を最多で獲得した河野候補でさえ、
安倍総理問題を追及すると言っていた前言を立候補してからはひっこめていた。
長老、党の権力者に逆らえないことを露呈していたのだから、
自民党体制は誰がなってもかわらないわけだ。
 次の大臣になりたい・地位がほしい既得権益を重視の国会議員たちの
最終投票では、中枢部に近い人が選ばれる・選ばれた。
はxxxxxxxxっぁ。
 情けないね。日本は



9月28日 通院
整形外科の病院へ行く。
 去年の9月3日に肩が痛いと言って通い始めた病院である。股関節、腰も痛いというと各部位のレントゲンと骨密度を測った。
肩の骨は異常なし。股関節の摩耗も大したことは無い(手術するほどではないという意味)、すべては脊髄からそれらの痛みは来ていると診断し、3か月間 理学療法士によるリハビリ指導を受けた。この指導はとても助かった。厚労省の診療規則で医者の指示がなければ行えず、それは3か月で終了となる。(今は少しさぼり気味だが自分でやっている。)
 それが終わる頃になって骨密度検査結果を見せて股関節は95才並みという。ギョ!(検査当日にわかるのに、なぜ今頃言うか!!)
私は甲状腺手術で副甲状腺も除去されているため骨の生育が悪いということで、
内分泌科の医者からビタミンD剤が処方されている。今まで検査でカルシウム不足と言われたことは無かったので驚いた。
そこで、医師の勧める骨粗しょう症治療剤プラリアの注射を受けた。

 今回はその後の変化確認の再検査である。
大腿骨骨密度の数値が少し上がった。そして注射をまた受けた。
(私が喜んでいると、Y氏は誤差の範囲という。データは注文すると渡してくれる。)
腰椎は数値が下がっている。
腰椎変形側弯症は治っていなかった。

 「先生、去年は左肩の痛み、股関節の痛みで受診したのですが、冬の雪かきのあと左膝が痛みます。春には右膝も痛みはじめ、立ち上がるのが辛いです。最近は右側を向いて寝ると肩が痛いです。これはみな関節ですか?骨とは関係ないですか?」と聞くと「そうですね」。
ベッドに横にならせて、膝をさわって「水は溜まってませんね」診察はこれだけ。
「(歳を取ると)みんなこうですよ」「手を回すとか運動をしてください」と言って終わりである。脊髄専門医だからねえ、ほかの部位は・・・手術するほどではなければ・・
興味ないのだろうね。整形「外科」医だからなあ。

3時半に予約をしていたから3時15分に行った。外へ出たのは6時だ。
腰痛になった。


9月某日
頭が悪くなった。覚えられない、直前のことが。



9月某日 化粧
 マスクのおかげで化粧をしなくなった。顔が乾燥しない程度に化粧水とオールインワンのクリームを塗るだけ。
友達は日焼け止めクリームを塗ってるという。それいいね、と真似をし始めた。これならマスクに色がつかない。ケチな私は使ったマスクに除菌アルコールスプレーをしっかりかけて陰干しし、また使ってる、近所に行くときは。
去年は洗剤で洗って漂白剤で洗ってという手間をかけていたが、そんな手数はいらないらしい。だいたい無生物にくっついて長生きしないものだそうなコロナウイルスは。(去年の学説に反している)。
 眉は薄くなってきて まばらな生え方をするので、ハサミではみ出したのを切ってグレーのアイブロウで眉を描く。これはKちゃんに「髪が白くなった人はグレーがいいと言われてるよ」とのアドバイスで探したもの。大手の化粧品にはなくてドラッグストアの400円台のものを見つけそれを使ってる。
ちまたでは、マスクに付かない口紅というのも売ってるが(唇が渇くという悪評もある)、人前でマスクを外す生活もしていないので不要。 
 化粧品業界もこのコロナで貧窮しているんだろうね。飲食店や旅館業だけでなく。



9月20日 月
 大きな月が出た 満月!いや明日が満月
明日も晴れるといいな。



9月某日 ウリハムシとの闘いは続いている
 (あとで)



9月17日 葛の花
ついに葛の花を見つける。なんと葉の陰に隠れて咲いていた。



9月16日、コントレール
 夕方、スーパーへ行った。駐車場に車を止めると、空に、また飛行機雲がたくさん見えた。スーッと線を描いたようなのからブワブワふくらんで雲をいうにふさわしいのや薄れているのに濃い線のや・・数えると7本は見えた。日没予定時間17:48の2分前。
そうか、この時間ラッシュアワーなのだな。もう少し前の時間に来てみよう。飛行機が何機も見られそうだね。



9月11日 「カーテン」を観る(録画テレビ)
 アガサ・クリスティ―の推理小説。ポアロが主人公の。初版の単行本を買った覚えがある。
クリスティーが死後発表を、と言っていたのを出版社がごり押しで発行されたといういわく付きだったっけ。わくわく読んで最後に<え~~こんなのありなの!?>と驚嘆した(ガックリ)ものだった。
 そのころは本でしかロケーションを想像できなかったが、今回はじめて映像で見て、古びれた貴族の館、古びた調度・家具。なによりポアロとヘイスティングの老けっぷりに物語の意味合いを知った、気がついた。出てくる人の感情表現、そう、その細やかなまなざしや各人の漂わせる雰囲気・・・それが物語を作っていた。
納得。


9月9日 扇風機とストーブ
 20度いかない日に30℃もある日が隣り合わせのこの頃、
朝は寒くて昼は暑くて夜は寒いこの頃。
食堂には扇風機と電気ストーブが並んでいる。
居間はエアコンが暖房になったり冷房になったり・・・。
前日と気温差が10度もあると体調もおかしくなってる。


9月7日 寝てから働く
朝ご飯 朝寝 庭でウリハムシ退治  草刈りの後始末、どぶさらい。
午後、録画テレビ観る 寝る 出かける 精米する ガソリン入れる ベルト修理依頼断られる  図書館喫茶室のシフォンケーキを買う 銀行で記帳 魚屋でマグロを買う クリーニング取りに行く わくわくファームでナスを買う。
  まず食べる休む寝る そうすると働けるまだ


9月1日 寒い
 すごく寒い。上は厚手の長袖Tシャツにチェックの長袖シャツブラウス、下は厚手ジャージーのパンツ(ズボン)。それでも寒くてその上に、
(ここで ことばが詰まる、)えーと、なんて言ったっけあれ、キルティングの長いスカート、広げると長四角の布になる、それを腰の周りにくるっとまわしてパチンとスナップで止めてスカートになる、いつも冬に使っている・・・なんて言うんだっけ・・ずっと考えるが出てこない・・・
30分後、ふわっと「まきすかーと」というのだと、ひらめいたおもいだした口から出た。
あーあ、こんなことばっかりだ。
とにかく寒い。あたまもお寒い。
外に行くときは上にレインコート。下は厚手のジーンズ。
昼過ぎ、とうとう小さな電気ストーブを出して足元に温風を送らせた。
例年、9月も猛暑が続いていたのに、ことしはどうなってるんだろう。
最高気温は2220℃だった。



8月30日 蝉
 先週、ほとんどセミの鳴き声はしなくなっていた。
たまに昼鳴いてても、夜はまったく聞かなくなった。
午後に、部屋にいると ジーンジジジジジジジジジ~~ン 
なんだ? おじいちゃんのしわがれ声のようだが、蝉だ。
ジーンジジジジジジジジジ~~ン、苦しそうな精いっぱいの声のようだ。
5回鳴いてぱたりとやんだ。これが、蝉の季節の終わりを告げているんだろうか。



8月25日 涼しい
エアコンの冷房―私らはクーラーと言っていたねえ―を付けずに一日暮らした。
雨は降りそうで降らず、でも地面は乾いていない。
じっとしていれば汗はかかないが、動くと汗ばむ。
食べると汗ばむ。食べることも体の内部の運動だね。
午前は朝寝をして、おきていてもボーっとしている。午後におもむろに動き出す。
だから、家事が終わるのが深夜になる。
そんな繰り返しの夏。


8月某日 マットレスの賞味期限
もう10年以上前のこと。ベッドを買い替えた。
歩いて数分のところに家具屋さんがあった。市内で二番目に大きい店の支店だった。
格安の木製のベッドにフランスベッドのマットレスを付けて買った。
ダブルベッドからシングル二つ入れて、部屋は狭くなったが、楽々眠れて快適だった。
その店はとっくに撤退して今は葬儀場になっている。
大手の家具屋は郊外に移転し、下町にたくさんあった家具屋はほとんどなくなった。
どういうことなんだろう。作り付けの家具が増えたのだろうか。
 それはさておき、年月が経つとマットレスは身体の重みに沿って、へこんでくる。
一回マットレスだけ、買い替えたことがある。それも、もうだいぶ前のこと。
まんなかに沈みこむような感じになる。夏になってから、とくに感じるようになった。
暑苦しく感じるのだ。
ええい、がんばってみよう。
よいしょ、マットレスをひっくり返して、
よいしょ、足と頭の部分を反転させ、
これでどうだ! ひとまず。・・おお快適。



8月某日 四季の花
春は 桜。風が吹くと道の花びらが舞う
初夏は 紫陽花 壁のある狭い土面に主に青い花が咲いている
盛夏は 合歓の花  ゆっくり見ていたいが 一瞬で遠のく
晩夏は そう、もうススキの原 花は咲いていない赤みをおびた穂が風に揺れている
 花はここで終わり。あとは紅葉した落葉樹の彩り。そして冬は白い雪の花。
高速道路ののり面は、けっこうなごむ。

 

8月17日 寒い
 しとしと雨が降っている。水害の起きている街に比べれば平和だが、寒い。
温度計は24℃だが、ぞくぞくする。
ブラ付きランニングシャツを着て、長袖Tシャツを着て、長袖ブラウスを着る。下は薄手の長ズボンの上に長いスカート裏地付きを履いてレッグウオーマーを履いている。一昨日の夜なんか19℃で冬の布団を出した。
38℃になったり19℃になったり、カンカン照りが続いたり大雨が続いたり、当地も変な夏です。
が、変な夏ではすまされない。
 日本中がおかしい、今までにないことが起こり続けている。世界でも、異常現象が続いている。
カナダでは気温が47,5℃、イタリアでは山火事。ドイツでは大洪水のニュース。トランプさんだって今大統領なら、パリ協定に賛同するんではないか。しないか。いまだに共和党はワクチンに反対してるもんなあ。



8月某日 ワクチン2回打っても
 当市の子どもの合唱団でクラスターが発生した。報道によると指導者が東京からきてウイルスを持ち込んだようである。
どういう練習形態だったかはわからないが、子どもがコロナに罹った。PCR検査がはじまったのだろう、その数は日増しに増えていった。そして、濃厚接触者つまり家族が罹っていった。ワクチンを先々月に2回打っているA氏も陽性者になった。さあ、たいへんだ、とその職場の全員(ワクチン済み)もPCR検査をして、結果が出るまで自宅待機になった。この同僚たちは全員陰性とわかり職場に復帰した。しかし、1週間後にまた検査をすることになっている(これは身近な人の話だ)
こんな風に、コロナは今、いままでにないほど、広がっている。
菅のいう、ワクチンさえ打てば「安心安全」などはどこにもない。

  コロナ防御対
接触感染はない。(机、ドアノブの拭き掃除は意味がない)皮膚感染もない。
飛沫とくにエアロゾルで感染する、というのが近々の学説だという。
布マスク・ウレタンのマスクはエアロゾルには効き目がない(これはNHKのCMでもやってる)。
アクリル板、フェースガードだけでは無意味(医療従事者にはこのガードはいる)。
目、鼻、口に手を触れないなら、入り口でのアルコール消毒は不必要。

不織布マスクをしっかり付ける、
人込みを避ける、
手洗い・うがい口ゆすぎ  この3点が大事だそうだ。
そういえば、知り合いの女医さんは、人と話した後は水を飲む、買い物は手袋をしている(薄手のゴム手?)と言っていたっけ。
感染していて無症状の人も、人に感染させるのだそうだ。
気を付けようね。



8月12日 雨漏り
 9日深夜、暴風雨になった。今年の夏は異常だ。九州や熱海、青森とあちらこちらで集中豪雨になって被害が増えている。それも一点集中のような降り方。
こちらもか、と身を引き締めていたら、翌日は雨は降らず暑い曇りの日になった。
 10日、客間(今は本置き場兼子どもの遊び場)の片隅みに置いてある子供の作った電車(段ボール箱)の中が濡れている。あれ?と、上を見ると天井が濡れている、雨漏りだ!!
どのへんかなと二階から屋根に出てみる(えらいぞ私)が、その部分は回り込めないところだった。
 前に、ほかの部分の雨漏りでみてもらった板金屋さん(近所)に相談すると、
この家は築40年以上だから、もう張り替えないと壁も屋根も老朽化してダメになっている。何百万円か何千万円かかかるよ。応急処置してもすぐ雨漏りは起こる。と。 おおごとだ。
 11日、ここは借家なので、まず不動産屋に連絡を取った。
そしたら大工さんをすぐに派遣してくれた。大工は屋根にに登ったが、これは瓦屋が見ないとわからないから瓦屋を呼びますと電話してくれた。
 12日、瓦屋さんが来てくれた。裏口のほうから屋根に上がると、ここの瓦が二枚壊れています、とまずそれを直した。凍結といって冬の寒さで凍ったところからヒビが入って割れるのだという。車に余分の瓦があって良かった。
そして、雨漏りする箇所を調べた。瓦の下のコバという薄い板が劣化してパウダー化している。その下のヒロゴマ(板)が瓦の重みでゆがんでいる。瓦は鉄線で縛ってあるが隙間ができて雨が漏る。雨漏りしてる西側全面の下地を取り換える、安田瓦はまだ使える。との調査報告あり。隣のS市の城跡の三層櫓修復の瓦を受け持った人だそうな。さあ、どうなるか。願わくば、大風大雨の降りませんように。 (つづく)



8月某日 オリンピック閉会式をテレビで観た(8/8)
 やっぱりダサかったね。
オリンピック参加を歌った男の人(女だと思ってたら違ってた)がすごかった。
ソプラニスタという男性なのに天性のソプラノが出る人なんだって。岡本知高さん
体も声もボリュウームがあって、ほれぼれ聞いた。
 花火もダサかった、国産じゃなかったんだって。ギェッ!



8月10日 涼しい
朝起きると、ひんやりする。風が強い、雨は横殴り。わぁ~。
気温26度、風速11m、大雨注意報。
冷房をかけないで、過ごせるのは何日ぶりだろう、うれしい。

なんとなくテレビをつけていて甲子園の開会式を観た。
古関裕而の「栄冠は君に輝く」の歌が流れた。誰だろう、
朗々と歌ってる。白シャツに黒いズボン。高校生じゃないだろうけど
さわやかだ。すてきだ。後で調べたらNHKの朝ドラで
古関裕而が主人公だった「エール」のなかで、この歌を歌っていた人だった。
ミュージカル歌手の山崎育三郎。

雨はすぐにあがった。



8月某日 暑さしのぎの日々
 3日は三条市で全国一の39.1℃という猛暑になった。こちらも37℃。
日当たりのいい居間は、外気温が30℃でも35℃になる。とてもいられない。
反対側の食堂に逃げてエアコンと扇風機で過ごすことが多い。
これだと、体がなまるので、一番熱いころに庭に出て草刈をする。
電動なのでしゃがまなくていい。充電は20分で切れる。それ以上は出来ない。
辛い日は10分で止める。なぜって汗が流れて目に入る。しみる。目に悪そう。
そこで目と顔を洗って、シャワーを浴びて、エアコンのきいた食堂で、髪を乾かし、
テレビを見ながら昼食をとって、昼寝をする。
これができる日は、私の極楽。

賢い主婦は午前中に買い物をするが、
ずぼら怠惰な私は夕日が落ちるころ買い物に出る。
たしかに夕風が吹いて心地よいね。買い損ねるものも多いがまあしかたない。
(朝寝も常習だし)



8月3日 専門家会議
 昨日の発表はコロナ専門家の分科会?の尾身会長にも、知らさずに出している。
政治家が勝手に判断しているのか。尾身会長だって現場の人間ではないから、今まではずいぶんと政府のポチだった。それを排除してまで こんな決断を出した政府と言うものが、全く信じられない。
本当に指揮をとれるリーダーが日本には不在だ。



8月2日 コロナ、「重症者以外は自宅療養」 ??
 病床がひっ迫しているので、軽い症状の人は入院させずに自宅待機を、という発表を菅首相はした。むちゃくちゃだ。
コロナ感染したといっても、その時点では自覚症状がなくてもこれから体内で増殖する恐れは多いにある。急変することもある。症状がかわったら担当に連絡をといっても電話は通じない。これまでもそうだった。(ワクチンの副反応について苦しくなっても電話はとうとう通じなかった経験が身近にある)
 自宅待機させ、訪問診療だ、派遣看護師だなどと言ってるが絵にかいた餅だ。なんの準備も今はない。
現在のコロナ診療に加えてオリンピック要員に駆り出されている医療関係者のほかに、どこにそんな暇な医者がいるだろうか、それも循環器に詳しく肺炎症状がわかるような医者がブラブラひまにしているだろうか。CTで検査する機能のない開業医に、なにができるか。いやCTを見てもわからないような専門外の医者では。彼らを駆り出して、うまくいくと思っているんだろうか。
 病床が、まだある、といっても高機能病院でないところが多数登録されているだけで、急に悪化した患者を治療できるところは、実際には大変少ないのだ。
政府の考えていることは、行き当たりばっかりで、全く納得できない。



7月23日 オリンピック開会式
 ツレはばかばかしいと言って、見なかった。私は後世への記録であるし、批評するにも観ておかなければ、と入場行進などは途中省いたが、あらかた、見ていた。
やるやらないでも揉めたが、無観客の式典自体がなんだか、情けない。

  開会式が無事に終わった時、観客席の向こうの空に満月が浮かんだ。綺麗だった。これを意図していたなら素敵だなあ。一番よかったなあ。(14夜の月だけどね)
  空に浮かぶドローンの地球はびっくりだったね。
これが見世物としては二番だ。すごかった。
すごいなあ、日本の科学技術は!と感動してたらインテルの出品だったなんて、がっくりだ
  日本は木工文化だといいたいのか(会場設計者におもねっているのか)、大工まがいの人たちが張りぼての木の箱を動かしたり叩いたりのパフォーマンス(日本の伝統的木造建築は出てこない)。つまらない。中国やアメリカのように壮大な歴史展開はない。
  市民の普通の生活の表現しているという路上パフォーマーが、あちこちでバラバラに踊る。ふつうすぎて、ダサい。画像をアップしたテレビを見ている私たちがいいけれど、会場に観客がいたら、何をやってるかわからない小さな表現・所作だ。
  間隔をとってというが、ダラダラと長時間かかった入場行進。
  聖火リレー。王貞治に支えられた長嶋茂雄を引っ張り出しても、世界的には脳梗塞の元スポーツマンとしかみえず、
どこからともなく現れた聖火台は、大会中はどこへ行くのだろう。
  IOCのバッハ会長は何を言ってたのだろうダラダラと。長い演説は校長訓話だと、あとで揶揄されていた。
開会宣言をした天皇はえらい。短い言葉でそれとなく批判をしていた。
ミーシャの国歌斉唱はよかった。(口パクだというが)。
でも、ほかの歌ーイマジンーは何なんだろう。日本人は全く出てこない。外国の歌手たちが歌いつないでいく、大画面の映像だけ。会場では何をしていたんだろうね。
  毎回思うんだけど、日本選手団の制服のセンスの悪いこと、前の東京五輪の上下反対にしただけのダサさ。素材は良くなってるだろうけど、もっと他の色とか、せめて色調を上品にできないものか知らん。
  森山未來のパフォーマンスだけが、東日本大災害、原発被害、そして始めの競技場設計者サハさんへの鎮魂の踊りだけが、本来のオリンピックを開催する名目・意味のある出し物だった。

と、よわい、古希すぎのばあちゃんは思ったが、はじめてオリンピック開会式を観た孫のMちゃんは、感動していたという。う~ん、比較するものがないからだよね。



7月某日 スピリチュアルな靴屋さん
★絶対信じられないこと。
〇目をつぶって靴ひもをえらぶ。好きな色の紐だと持っている手は押されても下がらない。好きでないほうの紐だと手は下がる。
以前やったときは目で見ているときの反応で、まさに当たっていた。潜在する意識が好みを決めているのはわかる。でも、目をつぶっていて、誰が私の潜在意識を探り当てられる??
「細胞と言うのは色を判別する力を持っているといわれています」・・・・???
「(自分の気持ちの)相性があわない色を置かれると体が緊張する。違和感が緊張させる。リラックスしてると踏ん張り続けられるのです」・・・???
〇東洋医学は昔からの日本の医学
西洋医学は、戦争に負けて強制的に入れられたもの・・・???森鴎外は??

☆納得できること
靴の履き方・・かかとにしっかり足が合うこと。足首をしっかりおさえる。
歩き方・・股関節・腰の悪い人は、それをねじらないようには 歩幅を狭く。
足をほめること・・自分を好きになること。足をほめる好きだよといってやる
立ち上がり方・・・前かがみで息を吐きながら立つ
          「よいしょ!」というのは息を吐いているから良い。
歩く時の目線・・・目線を下げない。前、上を見る。猫背にならないため。
冷えは血流が悪いから→血流の悪いのは姿勢・骨盤に問題
足の指はバランスをとるためのもの。足の指を広げて足全体で踏ん張って立つように。指が重なったり横に寝たりしないように開く運動を。
ふくらはぎは第二の心臓。ふくらはぎの運動を。
  
 だから、体操ぼちぼちですががんばって、茶碗を洗いながらつまさき立ちしたり、お風呂に入る時は足の指を広げて「いい足になったね」と褒めてやってます。


7月某日 熱海の災害
 熱海で土砂災害があった。最近は線状降水帯だけでなく一点集中的な降り方をしては一地区のみの豪雨が襲うから、皆、またかと思いながら気の毒な光景を見ていた。
しかし調査が進むと、その土砂は盛り土だったということがあきらかになった。
 その画面を見ていた時、私は長岡の東山へ行った時のことを思い出した。牧場から下ってくる道筋の見晴らしのいいところに友達とピクニックに行ったことがある。おにぎりでも持って行ったんだっけ。のどかな山の中腹。そこから少し下っていくと、谷間に公営のゴミ捨て場があって、不燃物かなポリ容器かな、とにかく焼却場で燃やせないものが、持ち込まれているところがあってびっくりした。運搬車は見たことは無く、ひっそりとしていた。この谷間が満杯になったら土をかぶせてならしてしまうのだろうと思っていたよ、とツレに話していた。
 数日後、まさにその災害を起こした盛り土の下には廃棄物が隠されていたことが分かった。
産業廃棄物だろうか、とにかくその谷間はゴミと不要な土で埋め立てられていたのだった。それが大雨で流れ落ちてきたということらしい。
平坦な土地にして道路まで通し販売していた。だから現在の土地所有者は、その事実は全く知らないと言っている。
 やっぱしね。 これは人災だね。廃棄したい物を有料で請負い谷間に捨て、廃棄する土砂を有料で請負い谷間に捨て、優良な山間の土地として売っていたあくどいヤカラがこの災害を起こしたのだ。
 その数日後、土砂崩れを起こした山の上空からの航空撮影画面を見て驚いた、隣の山の峰、そのてっぺんは均され太陽光発電のパネルがずら~と並んでいた。山を削って根の張った木々がなくなって、、、次の土砂崩れに元凶になりはしないか?!


7月某日 合歓の花
高速道路ののり面に合歓の花が咲いている。ああ、いいね。
うっとり、眠くなる。
実家にあったのに、切られちゃった。残念。


7月某日 ワクチンの副作用のこと
 「副反応」なんていう、誰も知らない言い方で、政府はおどろおどろしさを隠し、正確な情報を出さないでいた。熱・だるさが出ても翌日にはおさまる、コロナ感染よりはいいと。そりゃあそうだろうけど。
最近になって、NHKなどが雑多な症状を解説し始めた。確かの厚労省のHPには、いろいろ書かれてはいるが。
 病院では、ワクチン予約者がキャンセルしたり、保健所がオーパーした量のワクチンを届けてきたりで、医療者の家族も受けられることがあった。そのワクに、うちの娘夫婦が恩恵を受けられることになった。
 K子が一回目ワクチンの夜、急激な胃痛を起こした。夜も眠れないほど。夕飯に刺身を食べたので、これはアニサキスにやられたのだろうと、朝になって胃カメラの専門クリニックへいった。
以前にその夫君が急激な胃の痛みで救急外来に行った。胃薬を出されただけで帰され、、翌日に検査するも原因不明。痛みは治まらず数日たって、胃カメラを撮ってもらって、やっと 原因が寄生虫のアニサキスが胃壁を噛んでいるためと、わかったという顛末があったからだ。
しかし、胃に炎症もなくきれいだ、と医師は不思議がり、思い当たることは無いか?アイスクリームを三つも食べたか?と聞く。前日にワクチンを受けてきたというと、それだ!と言う。 え!そんな副作用があるの!
みんなでびっくりした。炎症もなく痛むだけ?胃薬を処方されたが、数日間は間欠的な痛みは続き、おかゆだけを食べて寝込んだ。彼氏は無事だった。
 そして、2回目おそるおそる接種。K子は無事だった。しかし彼氏は熱が出て、ワクチンを打った左わきの下が腫れあがった。リンパ節だ。痛みもある。対処法はない。2日間、仕事を休んだ。
 個人的に聞いた話だが、看護師で腹痛がひどかったという人もいたし、某市の消防士の集団接種では翌日に1/3が欠勤したともいう。
若い人は反応が激しい。報道されるニュースでは何ともないという人ばかりだったが、それは老人だからだろうとも思う。
なんだかんだといっても、ワクチンを受けたほうがいいけれど、覚悟はしていたほうがいいよ、歳をとっていても。



7月某日 ガラス戸を洗う。
去年から窓ガラス拭きも洗いもしてなかった。
S子さんと電話しているときに、その話になった。彼女は、いっぺんにやろうと思ってもできない、一日一枚か二枚と決めて拭く、がんばりすぎないでいると言う。彼女はほんとに病弱なのだ。
そうなんだよね、やり始めるとどうしても欲張って働いてあとでへたばるから・・・と理由を付けて私は手を出さないでいた。やる気もない。だれも文句は言わない。気を遣う来客もないので。これでいいとは思わないが・・・。
よし、一枚! と、外へ出てホースで水をかけ始めた。そうなると、その一面はしなくちゃってことになって、掃き出し窓のガラス4枚。天窓も4枚。やっちまった。
そこで、エネルギーは途絶え、その後、どこもやってない。



7月某日 パソコンが不調
 なかなか立ち上がらない。まだ新しいのに。それに
小さく軽くなったのはいいけれど、文字が小さい。
目の調子が悪いのに、見にくいったらない。それで更新も面倒で。
メモ書きで残しているのを溜め込んでは、UPしてる。
もっと便利になると思っていたのに、かえって、使いづらい。
 6月7月の境目は、実生活でも不調なことが重なった。
パソコンに向かいあうのが、なかなかできなかった。
そろそろ、決着がつきそうなので、自分の記憶のために、書いていこうと思う。
とくにワクチンの副作用(死んでいる人が356人いると週刊誌は言っている)。
そして私の白内障手術への不満。やっとあきらめがついてきた。