はどそんのつぶやき2024

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 4月某日 オーバーヒート
 車を走らせはじめたら、ピーっと車が鳴った、2度。そしてディスプレイに「エンジン冷却水高温 安全な場所に停車し運転を停止してください」とメッセージが出た!!何事だぁ。近くの駐車場に止めて、使用説明書を開けた。が、意味が分からない。
とにかく、いつも利用している すぐ近くのガソリンスタンドに車を移動して、スタンドの店員さんに相談した。ここの人は車に詳しい(会計の女の子しかいないスタンドもあるのだ)。  
 「いや、エンジン冷却水は、減っているけれど、満タンとゼロの中間に入ってますよ、まだ大丈夫ですけど 漏れているのかもしれないから、ディラーに行ってください」との判定。
かかりつけの自動車屋さんに行くには15キロくらい走らなければ行けない。心配だから水を足してもらった。緊急時はそうするように説明書にあったから。
 いったん帰宅して電話をかけた。「車の下が濡れてませんか」を修理の人に言われたが、そんな気配はない。漏れてはいないということだ。購入してから追加したことはないらしい。そのせい?まあ、すぐにかけつけなくても良いようだから、来週行こう。



4月某日 読書 
 2月末以来、体調が悪い。夜は短時間しか眠れない。昼、ベッドに横になっても眠いのに眠れない。
そんなときは、深刻に心が揺さぶられることのないような本を読んでいた。
 赤川次郎の鼠小僧シリーズは「。」がつくと行を変えて書く。字は大きいし空間がある。中身は薄くなるが。
霊感のつよいバスガイドが主人公の<スズメバス>シリーズも数冊読んだ。『神隠し三人娘』など。途中でざわついて辞めた。赤川次郎さん本人は、まったくまっとうな思想な持ち主でラジオで聞いていると共感することが多い。
 ツレの蔵書から池波正太郎の『剣客商売』(ケンカクショウバイと読む)。これはテレビドラマに付き合っているので、想像が付けやすい。ふむふむと頭の中に画像が出てくるわけだ。彼は池波正太郎の江戸切絵図散歩も持っていて地理感覚も付けられた。読んでみるとテレビ(主役は藤田まこと)より、小説本のほうがゆかしい。
江戸時代の市井物は距離感があっていい。そんな雑誌の連載小説集が気に行ってる。
 ツレの郷里出身の藤沢周平の『橋ものがたり』を読む。お江戸の大川にかかる橋を題名にして繰り広げられる小編。男の書いた本だなあ、と思う。女を見る目が助平だ。花や木、空、着物の描写が少ないのは物足りない。それは、つながりのある(かなり前に愛読していた)宇江佐真理と比較するからだろう。季節感のある描写が多くて私は好きだ。
 また宇江佐真理にもどって、髪結い伊三次捕物余話シリーズを図書館で借りてきている。
ことしの高校入試の数学はちっともできない。国語は漢字だけはパーフェクトにできてホッツ。古文はめんどうくさくてできない。記憶力、読解力がなくなっているなあ。長編は読めない。



4月某日 新潟駅の商店街
駅ビルの中に、お菓子や海産物などの売り場が、誕生。
営業を始めたと仰々しくテレビニュースで取り上げられている。
映し出された白々した売り場は、現実感が薄い。品があるとかの感想は持てない。
なんとなく行きたいと思う気持ちにはならなかった。が、その予感は当たってた。
友達が、なにかのついでで立ち寄ったのだが、匂いのせいか、気持ち悪くなって出てきた、という。
突貫工事のプラスチック素材・塗料のせいか、揚げ菓子やバニラ等の香料のある菓子・アイス、食べ物のせいか。
ここの売り子になれる人はそうとう丈夫な人だろうね。



4月某日 廃業
 私のすきな豆腐は地元の豆腐屋さんの絹ごし豆腐。ほかにないさわやかな味だ。
そして絹厚揚げも大好き。ネギを挟んで焼いて醤油をかけるのが朝食の定番料理。
近くのスーパーなど3軒に出品していた。
が、最近、どこででも見かけなくなった。夕方買いに行くせいか。
どこも売り切れなんて変だなあ。
産直市場の主任さんに聞いてみた。そしたら廃業したんだって。
いつか本店に行こうと思ってて行きそびれてしまった。残念だ。
  高齢化のせいかなあ、営業収益減少のせいかなあ。
魚屋や酒屋、薬屋、洋服に写真屋・・まあまだある。
この20年、駅前のメインストリートから廃業していった商店の多いこと。
こうやって個人経営の店がアパートに変わったり、シャッター閉めっぱなしの店になっていって、
スーパーやドラッグストアは増えていった。街は寂しくなった。
 そうそう、手芸品店は廃業してなかった。
通りすがりに店が開いてるのを発見して糸とフエルトを買いに行った。
休みは定期的でないそうだ。よかった。
店先近くの明るいところで編み物をしている人がいる。
なんだかほっとした。



4月某日 なくしもの
 2月末のこと、娘から預かっていたノートパソコン代。
自分の楽天?カードから注文ができないので家族共通のカード会社から発注。私が現金を預かることになって、
D銀行の封筒に入れて引き出しに入れておいた、はず。
それは去年のこと。そろそろ引き落としだな、銀行に入金してこなくっちゃあ、と引き出しを探すが見あたらない。
あれ、まだ受け取ってなかったんだっけ。と彼女に電話で確認を取ったら、やってあるよ、という返事。
数日前に、引き出しの整理をして、T銀行やらN銀行やらD銀行やらの使い古しの封筒類は捨てたんだっけ! ぎょ!
また、やっちゃったかな(数十年前前科あり)。けっこうな大金だった。
気分的には ゾーっとなったのだが、なぜか平然としている私。とにかくポケットマネーからお金を出してATMで入金してきた。
私、注意力散漫だなあ、と自己嫌悪はある。
 これが、体調不良、股関節症悪化、記憶力減退、嗜眠症、不眠症、高血圧、動悸、不整脈、幻聴、の発端だったような気がする。
鍋を焦がす、ストーブ朝までつけっぱなし、、、。
 そして、近日、実は12月30日に入金をすませていたいたことが、数ページ通帳をめくりもどしたら発見されたのである。
ほっ ほっ ほっ
で、解決したかというと 諸症状は、徐々なる老化現象として、認知症をめざしているようなのだ。
果たして、運転免許更新の高齢者テストに合格できるのだろうか。
 ま、これからの生活基地のことを考えると動悸がはげしくなる日々なんである。
と自嘲を述べて、押しとどめていこう。



2月26日 ひとりぐらしの叔母
 今年91歳になる叔母は、叔父が亡くなって一人暮らしをしていたが、それ20年もたっていたんだって。
そんなに時がたっていたっけ。えらいなあ。
私、一人暮らしはしたことがないので、そんなことできるかなあ。
 本人は いたって元気なんである。
子どもたちは心配して医者に行くのはタクシーを使えと言ってたが、
行きは地域バスでクリニックへ、、帰りは歩いて、薬局へ行って、パンを買って、帰って来れる状態だった。
私より、脚が強いのだ。
 そんな叔母だったが去年の11月に、とうとう老人ホームへ入居した。
去年、一人暮らしをしていた叔母の東京の兄90代と、同じく一人暮らしをしていたN市の妹80代が相次いで、自宅で孤独死をした。
どちらも仕事を持っていて、それなりに働いていたので、連絡がないのを不審に思った関係者が、連絡をくれて
数日~数週間後?に発見したのだそうだ。
ビックリもしたが、その後の処理は叔母には無理。 叔母の娘たち・甥っ子たちがたいへんだったそうだ。
葬式、家の整理、マンションの明け渡し、事務処理、相続手続き、銀行処理・・・・。
それで、叔母も迷惑をかけたくない、ボケてはいないがガス火の始末をまちがえて火事を出しても迷惑だろう、と
数年前から、娘たちが勧めていた老人ホームに入る決心を決めたのだった。
すごく嫌がっていたけれど子ども思いなんだなあ。
でも、4人の子どもらが経費を出し合ってめんどうを見てくれているのだ、それはうらやましい限り。
 暖かくなったら帰ってみましょうね、と声をかけていたが、もう、そんなことはどうでもよいようになったらしい。(つづく)



2月24日 財布の入ったバッグがない。
 お昼に、おチビ達も来るというのでバタバタとスーパーのはしごをしてあたふたと帰ってきた。
戸口に、荷物を下ろすと、あれっ、財布の入ったバッグがない。車の隅々まで探すが 無い。
スーパーのカートに引っ掛けていて、車のドアを開けるとき下に置いたかな。

まだあるかな!うまくいったらカウンターに届けられてるかな!誰かにもっていかれたかな!
どうしよう、あれに全部のカードが入ってるし、現金も1万6千円は入ってる・・・
とにかく、家にも入らず、最後のスーパーに とんぼ返り。駐車場には無い。
あ~絶望かな。カウンターにかけつける。
 「すみませ~ん、財布の入った緑のバッグ駐車場に落としてきたみたいなんですが届いてませんでしたか」
ああ、カートにかかっていたのを従業員が届けてきたのがありますが、とお返事がかえってきた。
「あ、それですそれです。財布の中に免許証が入っていて、私は〇〇〇〇〇子です。」
現金が入っているので、一応名前を書いていって下さい。 「はい!」  ほー。

50代でも一回やったことがある。そのときもカウンターで預かってくれていた。
私のはおっちょこちょいだよ。
ただ、こんなとき、しょうがないな、なんにもなくなってもしょうがないなあ、っていう
諦観してる自分がいるようになった。 年の功だね。


 

2月某日 『お別れホスピタル』
人気のあるTVドラマでないけれど、気になって見てる。生きて退院する人は少ないとナレーションが入る。
入院患者は年寄りばっかりで、その年寄り役(患者家族も)が木野花、泉ピン子、樫山文枝、根岸季衣、高橋惠子、とか
昔は主役を張ってた人達が老女としてでてくる。あ、あの人がこんなに老けたんだぁ。その活躍がおもしろい。
 男性役は名前はわからないけれど、気管挿管してる人や、わがままを言って看護師を困らせる人もいる。
眠るばかりの少女が一人。
死に向かう不安でいらだって暴れる人、見舞客も来ない孤独で荒れる人、ああ。こういうのが真実なんだろうな。
もちろん、撮影だから新しいきれいな病院だったけど、現実の老人病院などでは臭い・古びれたところもあるよね。
ここでは看護師も若い医師も死を考えている。どういうふうにドラマは終わるのかな。



2月3週 洗濯事情
火曜日、よく晴れて一日中青空だった。この時を逃しては、とシーツを洗って外に干した。
パジャマも枕カバーも外に干した。朝10時に干して午後2時半には取りこんだ、すっかり乾いていた。(最高気温13℃)
水曜日、陽はあまり照らないが晴れている。では毛布も洗おう、しっかり乾いた(16.5℃)
木曜日、薄曇りだけど暖かい。出かけていたので洗濯は無し(14.5℃)夜は雨・風
金曜日、雲は多いが晴れている。ツレの肌着と厚手シャツブラウスは外干しする。
公称では最高5℃だが、窓を開けている縁側は10℃もあった。
今年はどうしたことか、来週の予報では20℃の日がある。
本格的に温暖化現象が恒常的になっていくのかな、怖いね。
 先週までは、毎日洗濯を・・洗濯機にしてもらっていた。ツレの冬用の下着が(上も下も)2枚しかないからである。
暖かいポリウレタン入りの肌着は3年目になるとダラリと伸びて体に合わなくなる。トランクスのゴムは伸びてしまう。
それに懲りて木綿にこだわってきた。それでも乾燥機にかけると縮むことがあるので
ハンガーにかけてちゃんと干さなくてはいけない。だから晴れていれば外に干し、
雨か雪の日はストーブを付けた部屋に天井から吊るして干している。
先週末、ツレの下着を買ってきた。今は二日に一回の洗濯ですむようになった。(手間の節約、水の節約です)



2月某日 閉店つづき
 黒糸を買おうと、近くの駅前通りの手芸品店に行ったら、閉まっていた。ここも廃業か。
スーパーにも糸は売っているが、先年買ったらボソボソした糸だった、信じられない。
店先で数人集まって編み物をしている手芸教室?もあって、なごみのある店だった。
ゴムや糸を買いに行っていたが・・・これからどうしよう。
 そういえば、旧市内の古町の横場精良堂も閉店すると聞いた。今、私の知る唯一の文房具店だ。
昔は、学校の前には文房具店が必ずと言っていいほどあって、子どもたちも自分で学用品や小さなおもちゃを買いに行ってたものだ。そういう文化は無くなってしまった。
横場には、鳩居堂の絵はがき・便箋や、誕生日カードや、国産優良なボールペンなどを買いに行ってた。
大きなスーパーやショッピングセンターにも文具はあるが、いいものに出会えない。田舎町になってきた。
近くのデパートもみんな撤退して、古町通は繁華街でなくなっていた。
私が古町へ出る用は、ここに行くだけになっていいたのに。困った。
 今は下町庶民の盛り場は本町になっていたのに、その核になっていたイトーヨーカドー丸大も、どこかのスーパーに身売りするそうだ。
ますます新潟島は寂しくなる。



2月某日 ラジオを聴いている
NHKラジオで、「佐藤二朗とオヤジの時間」がおもしろい。
3人のオヤジのおしゃべりタイム。
オヤジの定義が45~75才だという。へえ~。
この前は舞の海(45才)が参加していた。
まず、残尿、頻尿、尿もれの話で盛り上がるのは、男ならでは。
女性同志のおしゃべり番組もあるが、ここまでさらけ出しては話さない。
「高橋源一郎の飛ぶ教室」もおもしろいが、ため口の常連さんはちょっとしんどくなった。
「おしゃべりな古典教室」「古典講読(加賀美さんの声が聴ける)」「国語辞典サーフィン」も
”らじるらじる”の聴きのがしサービスをスマホで聞きながらキッチン仕事をしている日々である。。



2月某日 廃刊
 5日の新潟日報の朝刊で 夕刊の廃刊が告げられた。
夕刊でなく「おとなプラス」という題名で夕方に配られている新聞である。
一面から三面は造り酒屋やら、ラーメン屋やら、宣伝費をもらっているんじゃないか、と思うような記事や、新潟関連の作家の話やら、前々から取材しているような記事。
新聞らしい”ニュース”は十二面あるうち、終わりのほうにちょっと。これ、新聞じゃないよ。
 この企画に代わる時、販売店の人がティッシュペーパー5箱持って継続を頼みに来たから、続けていたが、もう止めようかと思っていたところ。ご近所で購読している家はない(配達の車は、見てる限り他の家は素通りしていく)。ニュースはネットでも見れる時代。ヒマネタは朝刊だけで済むということだね。購読数が少なかったのだろう。
 一日で、他人と会話するのが夕刊「おとなプラス」配達の女性だけの日もあったっけ。
スーパーにいっても無言ですんでしまう昨今である。ちょっと寂しい。



1月30日 新潟市も被害が大きかった
 私の家、娘の家は無事であった。友達の家も無事だった、水が出ない時間帯は少しあったという。
だから、遠くの地震だと(ごめんなさい)ホッとして、なんともなかったよ、と心配して電話をくれた人には言っていた。
 能登地震の初期は能登半島の被害の大きさに比べて、新潟では地区が限られていたので報道は少なかった。
しかし、だんだん身近な被害報道がふえてきていた。避難所もつくられている。水がまだ出ない、家の周りも泥だらけと。
車が泥に埋まったり、家がかしがったり、ひび割れしてる。地元ニュースは毎日報じている。
 きょうは市内の中学校の校舎を取り壊して立て直すというニュースが出た。ひび割れ、傾きが大きく解体するしかないという。
今でも学校が使えなくてオンライン授業をしているところもあった。
市内で、全壊の家屋は78棟、罹災証明書の申請は1万件を超えるという。知らなかった。
 そういえば、新潟地震(1964年)のときも、液状化現象のせいで鉄筋コンクリートの県営アパートが横倒しにかしがった。
高校へ行く道の向こう側(信濃川に近い低地)は泥だらけになった。あのときも水道は止まった。
新潟市は潟の名があるように古くは潟が多かった。信濃川も氾濫を繰り返していたから昔は流路だったところもある。
やや高台にある実家も庭は砂地だった。
 今回の被害も、砂丘地のすそ野だったところ、流路だったところに被害は集中している。
砂地でもあったから地下水がしみ込んだ地盤は地震で揺れると 砂が液状化して陥没などがおこるのだという。
じつは、たいへんな土地でもある。そういえば、市内どこにでも海抜何メートルという表示が電柱に巻き付いている。
海抜0メートルのところはここの近くにもある。津波に備えているのか。
 佐渡沖の西に、能登半島から続く活断層がある、ここは、まだ動いてないという。直下型地震が来ないといいが。



1月某日 悲しくてなのか
 能登地震は、日を追うごとに、悲惨な状況がテレビで写されている。
このHPのつぶやきも、やっと書き出そうとしたら、まったくUPができない状態になった。
パソコンも悲しんでるのか。
直せなくて、放置していた。ここは私の愚痴のはきどころ。
まったく別なサイトを作って構築したらUPができた。前のを削除して、再投稿したら、復活できた。
「あきらめない」を私もみならおう。



1月3日 不安な一日
 禍いで明けた新年、きょうは何が起こるのだろう、と不安はつづく。
秋葉原で女が刃物を振り回す・・・夜には北九州市で火災・・・。
能登では、まだ余震がおさまらない。大火災、家の全壊、倒壊、土砂崩れ、そして津波の被害も判明してきた。
家屋倒壊の下敷きになって亡くなった人、まだ救出されてない人、行方も不明な人、あまりに悲惨だ。
唯一、心休まる話題は、箱根駅伝で青学が総合優勝したことだった。



1月2日 羽田空港で海上保安庁の飛行機とJALの飛行機が 衝突する?!
JALの乗客ら全員が助かったのは奇跡のようなできごとでもあった。ほぼライブで見ていた。
なにか、納得のできない事件だ。海保の機長だけの責任か?



1月1日 能登半島に巨大地震 
なんという、年の明けだ
ことしの