2025-2
いかり・くどき・おもにぼやき・どきり・かんどー・しったかぶり・かくしごとあり・ほらハなし
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11月12日 以下「入院記」 10月28日から11月8日まで、大学病院に入院していた。以下その間の備忘録である。 11月8日 退院。 水曜日には、退院許可が出ていたが、迎えに来れる人がいないので、 土曜日の退院をお願いした。そして、午前に退院した。ちょっと寂しい。 鈍痛の痛みで夜中に薬をもらったこともあったが、ほぼ苦しまずに入院生活が送れた。 11月7日 海ばかり見ている 今日も晴れて、部屋の中は快適だが、遠くの海は白波を立て 堤防では水しぶきを上げている。寒そう。 行きかう船も・・・毎日眺めていると、同じ船を何度か見かける。 ということは、定時運航している佐渡との連絡船ではないか? しかも、信濃川の入り口には長い堤防があって、佐渡航路の大きな船カーフェリーは その出入りが、湊へ着くまで、まるで防砂林の上を走り、 町の屋根の上を走っているかのように見えるのだ。 (私は海岸沿いの道路から信濃川の下を走るトンネルに入ろうとするとき、まさに、 カーフェリーがトンネルの上を悠々と動いていくのをビックリしながら何回か見ている。 町のほうが川より低いのだろうか。) で、今日は時刻表を調べて新潟からの出発時刻、両津からの便の到着時刻を、 チェックして見張っていた。 カーフェリーは三階建てかな、大きい。車が入る口が大きいから。 ジェットホイルは小さい。浮き上がって走るから後方に白波が長く尾を引いている。 それを目当てに、何回か見つけた。たのしい。 でも佐渡汽船の時刻表にあってない! 11月6日 クリームあんみつ 夕方、Kちゃんが来たので、一緒に食堂へ行った。最上階12階にある。 入り口から入ると突き当りの壁面はすべてガラス窓で、なんとも眺めがよい。 私の部屋より、海が広々見える。 ひさしぶりにクリームあんみつを食べた。美味しかったが半分食べて満腹。 十六夜の月 今日こそは、とスマホを用意して窓辺の椅子に座っていた。 17:53 部屋の窓から、明るい月がしっかり見えた。部屋の電気を消して写真を撮る。 月の明るさで、NEXT21付近のビルの窓の灯りもしっかり写っていた。うれしい。 11月5日 月見をのがす 中秋の名月だった。気がついたのは6時半。どこかから観れないかな、と あちこちの窓や廊下の端っこまで行ってみるが、どこにもない・・・・ ということはないはず、晴天なのに。 と、廊下の端でしゃがんでみたら、ずいぶん高いところに月が見えた。 しめた! とスマホで写真を取るが廊下の内側の機材が映って月はおぼろ、残念。 11月4日 図書館へ行く 食堂の隣り、ここも12階なので、奥の壁面は天井までずっと窓。 なんて眺めがいいのだろう。 年配の司書さんは秋田も見えるんですよ、というけど、? 山形県との境の山並みじゃないかな。とにかく居心地はいい。 室内の本棚は手が届きやすいようにあまり高くない。窓辺の本棚は低い。 子どもの本の前はカーペットが敷かれていて ハイハイする子もここで本をたのしめる。大人用の椅子もらくらく座れる。 高橋幸枝『100歳の精神科医が見つけた こころの匙加減』と 赤川次郎『三毛猫ホームズ』シリーズを一冊 を借りてきた。 夜遊び 古くからの友達が、ここと海の間に住んでいる。「ここからそっちの病院が見えるよ」 と言う。 では、夜になったら灯りをつけたり消したりしたら、私の居る部屋がわかるかな? そちらの家も同じようにやったら、こちらでも分かるかな? …ということで やってみましたよ。暗くなってから。 私の部屋の灯りはいったん消して、付けたり消したり。・・・よく見えたそうです。 10階だものね。 彼女の家は3階。わずかに見えたけど。周りの木々のため、 はっきり位置はわからなかった。 子ども心をおおいにたのしんだ。 11月3日 ドレーン(血液や体液を外へ出すチューブ)と点滴をはずす。 ドレーンを抜いた後をホッチキスでパチンパチンと止めていた音がした。 鏡で見ると、脇の少し下に10センチほどの縦線のところ。 あと2か所小さなテープがついている。 これだけなの?手術のあとは。 夜、シャワー開始。 11月2日 車椅子で看護師さんに連れられて1階のレントゲン室に行く。 歩くのはまだ室内でトイレにいくだけ。看護師さんからシャンプーをしてもらう。 さっぱりした。 夕方、主任先生が来て ガンは全部取ったが、抗酸菌はまだいる、とおっしゃる。ギャー! 11月1日 ベッド上でレントゲン検査を受ける。半身ベッド上に起きて 背中にレントゲンの板を入れて、車の付いたレントゲン機で写していった。痛くはない。 10月31日 尿管が取れて、室内のトイレへ歩いていく。(これは4人部屋にも付いていた) 10月30日のこと 手術の日。夫と娘が見送りに来て、手術室から帰る時も来てくれた。 手術は成功、問題はないそうだ。手術台に寝転んでからは何も覚えていない。 10月29日 ドクターヘリ 今日も、いい天気。4人部屋の窓際。空が青くて、いい気持ちの朝。 外でブルンブルンとヘリコプターの音がする。 なにかの取材かな、と外をみると、目のまえにドクターヘリがいる。 少し下の階の出張った階の屋上がヘリポートになっていた。 そこへ、ドクターヘリが到着した。 テレビでは見たことがあるが本物は初めて。かっこいい。 患者の搬送かな、と見ていたが誰も降りてこなかった。 しばらくして、また見たら、給油していた。 隣のベッドの人も見ていて、「ドクターヘリを頼むとお金がかかるんだそうね」と、 言う。え!そうなの! びっくりして、あとからChatGPTに聞いてみたら、ここは 「往診料はいただくが‥運航使用料・着陸料の請求はありません」だと教えてくれた。 よかった。 私は大部屋のほうが好き。人との触れ合いがある。その人は心臓の病気で 何回か入院しているそうで落ち着いて話をしてくれる。 ほかの二人は苦しそうで、どちらも「高齢で手術はできないのでカテーテルにします」 と話している医師らしき人の声がする。 一人は外来から直接、病棟に連れられてきたらしく、 「荷物は何もないんですね」と看護師に言われていたが、 あとから娘さんが飛んできた様子だった。 野次馬的ですが、ふだんがひっそり誰ともしゃべらない生活(夜は寡黙な亭主はいるが) なので人の声はほっこりする。 それからすぐに「早くに個室が開きましたから」と看護師が迎えに来て、 大荷物をキャスターに積んで、歩いて付いていった。 真ん中のナースステーションを挟んで反対側の棟だった。 窓の真正面はすぐ下は研究棟、民家の屋根、学校、マンション、繁華街のビル、 その後ろに日本海が青々と広がっていた。 これは夫の意向だが、ちょっと寂しい。 10月28日 入院する 10階の病室だった。空は、窓の8/10を占め、 弥彦山と角田山が見え、日本海も右端のまどから見えた。、 昼は日が入ってきて暑かった。最近は20度いかない寒い日が続いていたので 毛糸のカーディガンや、綿のタイツ、冬の靴下などを用意してきた。 (電器アンカまで、持ってきた。家ではもう、常用しているのだ) 寝る時用のポリエステルのカーディガンを羽織っていたら、暑かった。 夕暮れて、夕日が雲に沈むのも見えた。美しかった。 日が沈むと―このへんは住宅地だがー10階以上ありそうな 高層マンションの灯りも10棟以上みえる。 信号機や街灯の灯りも見え、いい眺めだ。 こんなにぼんやりしている時間はうれしい。 (ここからはネットが通じてないので、退院してからの送信になります) 10月某日 いそがしい。 足腰悪くて、歩くのも、車で出るのも難儀。午前中はだるくて寝てる。 重い物を持つと股関節が痛い・・・・そんな夏だった。 掃除も片付けもいい加減だったが、ここにきて、そうも言えない。 けっこう働いてる。 ☆夏物をしまって冬ものの準備をする。 まず、Tシャツ・半袖ブラウスはポリ袋に投げ込み、スペースをあける。 冬秋物をコンテナから出して、ハンガーにかける。 あいたコンテナに夏物をしまう。これが一仕事。 ☆ 9月某日 物価上昇で、なんでも高くなる 高くはならなくても変化のあるものがある。 ☆ちいさくなったもの☆ えご(半分の大きさになった)和菓子。 最中の中身が少なくなった。ホウレンソウの束が小さくなった。 ☆不味くなったもの☆ 豆腐、きゅうり、トマト、キャベツ、ブロッコリー(野菜は天候不純のせいか) ☆水っぽくなったもの☆ チューブのわさび、こうじ漬のもと、味噌 (追伸)ブルガリアヨーグルトは148円→168円が、10月には→198円になった。 デパートでは春から200円越えだったが、今はいくらなんだろう。 9月26日 ブログの引っ越し ひとまず、完了。10月には、閉まります。 まだ、デザインや色、活字、写真の取り込みなどがよくわからない。 2代目のツレのお古のパソコン・レノボは、 画像の取りこみ・変更ができない。 古いパソコン・デルの画像処理のコーラル・ペイントショップは 勝手に更新してしまって扱い方がわからなくなってしまった。 これから、勉強のし直しだわ。 お友達よ、10月からは、そちらにコンタクトしてください。 もう営業してますが、使い勝手も、見るのも gooブログより、めんどうです。CMもたくさん入ってますが、 小さいCMは上手に避けて 大きなCMは4隅のどこかに closeか✕が付いてます。 それをクリックして消してください 9月某日老眼鏡シニアグラスを買う 今までも、使ってなかったわけではない。 百均の店で、100円のメガネを買っていた。 紀伊國屋書店でも売っているが、これらのメガネは、 度数が1.0とか1.5とか両眼のレンズは同じである。 それが、私の見えにくさの原因だった。 どうも右と左は差があるらしい。 そこで、眼科で近距離視力検査をしてもらった (MAC症薬の副作用が、あるかないかの検査が主で、ついでに、である。) なるほど、右+2.25で左+1.5だった。 なるべく安くしようと隣町(12km先)のメガネ屋へ行った。 2か月ぶりの遠出である。 本を読むのは寝る前に布団にもぐってから、が多いので、 丈夫で捜しやすいのを選ぶ。虎皮もようのプラスチック枠。 ただ、ツルが長く、先っぽが外側に跳ねている。 それで、ツルの先が内側になるようにと直してもらう。 でも、寝る時、横になって「ローマ人の物語」を読むが、 ツルの先が布団に刺さって、耳は、やっぱり痛い。 数日我慢したが、やっぱりしんどい。もっと曲げてもらおう。 店に行って、もっと曲げてください、と言って再度直してもらったが、 これ以上は曲げられませんと言われた。やっぱり痛い。 こまるなあ、なんとかならないの、と苦情を言っていたら 製品に問題ありということにして、 他のフレームに替えてもらえることになった。私には大きすぎるのだ。 店員よ、始めからそういってよ! そこの売り場には「小顔に見える大きなメガネ」と書いてあった! あれこれ捜してくれて、耳の後ろがぴったり収まったのに決めた。 薄いフレームで軽い、ツルが短い、・・・つまり 子ども用のフレームだったのだ。(レンズは前のが使えた) そうだよね、先月までは10歳の孫と体重は同じだね、と言っていたが、 今は負けている。病院で測ると33㎏だった。トホホ。 9月15日 カエサル暗殺される。 13巻読了。なんと、聡明な、未来を見据えた人だったのだろう。 戦争では、焦らず好機を粘り強く待ち、周到な作戦をもって勝利する。 何万人も殺すけど。 人には寛容。敗軍の将・兵士・住民を皆殺しに殺戮して その種族を滅ぼすのではなく、反抗をやめれば属州として、 ローマ人に加えていく。 退役したローマ軍兵士は、それらの土地に散っていって住み、 町を農地を作っていく。そうして、ローマ帝国は広がっていったらしい。 この辺を読んでいると、 今のイスラエルのやっているガザ攻撃の無残さは、 パレスチナ人の撲滅を目指す戦争としての常道なのか、と唖然とした。 本質的にはカエサルは人道主義者だったのか。 ローマ軍の兵士には、常には、軍事訓練とともに道路を作らせていた。 戦いの端緒には、橋をかけ、道を作り、櫓を建て、砦を作っていく。 兵士は、大工で建築屋で工事人だった。 そして、平和になれば、そこに新しい町作りもしていく。すごいなあ。 カエサルの2代目は寛容ではなく復讐・偽善もできる若者だった。 これもおもしろそう。 9月9日 朝ドラ「アンパン」が佳境 やなせたかしのアンパンマン。 初出が デブな きたなげなオジサンなんだってねえ。 かわいくなくて びっくりだ。 私は、かわいいこども顔の「それいけアンパンマン」が初版だと思って ずっと持っていた。どの子にも届けられる、いいお話で、 先週も1年生に、この紙芝居を読んできた。 みんな、悪役のバイキンマン、ドキンちゃんたちが好きだけど、 悪役さえ可愛い。 最初の絵本では「ぽっちゃりまんまる子ども顔のアンパンマンが 死ぬほどひもじい子ザルに自分の顔を食べさせてやる、 顔がなくなったら、ジャムおじさんのパン工場で、直してもらいに帰る」 わが身を削って人を助ける、その精神が、誰にでもひびく。 朝ドラを見ているとジーンとする場面がある。 テレビの主人公は、「逆転しない正義」を貫こうとしている。 たのしませる、心やすらぐ物を作ろうと 可愛い物(サンリオがモデル)やマンガや絵本や映画を作っていくのが、 描かれていて、心和む。手塚治虫がモデルのマンガ家も出てくる。 (前回の朝ドラはギャルに何を求めているのかわからず、数回でなげた) ヤナセさんは長岡の図書館に公演に来たことがある。 何の話だったかは忘れたが、シルクハットの天井を 紐で引っ張ってパカパカ開けてみせ、 みんな(大人)を笑わせたサービス精神、 誰もをたのしませる心は暖かかった。 さて、あのかわいいアンパンマンは明日には登場するかな。 9月8日 N大病院に行く 肺のかげりで、4月に紹介状を出しているのに返事がないと、 きょうの診察にはツレも同道。 MAC症の診断がついて薬を飲んでいたが、 本人的には良くなってはいない(まあ1年はかかると言われている) CTを見て、短期間に病原が進展しているのはおかしい、と意見は一致。 で、内科はさらな検査を、外科医は切ってしまえば決着するとの意見。 ”だるいの、食欲不振、体重減少、動悸がする、 パルスオキシメーターが88,92になったりする”などの患者の主訴には、 しばらく投薬を休むとなる。 病院に9時10分に着いて、出てきたのは15時58分だ。ああ、しんど。 結局また、検査が増えて、こんどはアイソトープだと。 9月1日 カエサル ルビコン川を渡る 『ローマ人の物語』の文庫10巻、読了。昔はシーザーだったねえ、映画も。 映画『クレオパトラ』も長すぎて、3時間でギブアップ。 本も、乗って読みふける日と、全然読めない日とあって、結局のろのろ。 11巻はスラスラ、戦闘場面の隊列の組方をおもしろがって飛ばし読み、 12巻で「来た、見た、勝った」にたどり着く。 読んだらすぐに前のことは忘れていくので、頭の中には残っていない。 いつになったら、ルシウスの庇護者の 14代皇帝ハドリアヌスに辿り着くのだろう。 8月某日 こんどは脚に痛み ぎっくり腰が、少しずつ軽くなってきたので、 足踏み機ステッパーを30回やった。この日はこれが限度。 翌日はがんばって40回やった。腰が痛くなった、やりすぎ。 それからは止めた。無理しないように、寝転んで足上げ。 足曲げ、右左に膝から倒す・・昔のテキストどおりにやってる。 そしたら、腰じゃなくて、太腿の裏側がビリビリ痛んできた。 長く歩くと下肢も痛む。長く立っていても痛む。 重いものは持って歩けない。 スーパーのハシゴが私の運動だったのに、できなくなった。 途中でくたびれるし、歩幅は狭くなって、 足が上がらなくなった。なんなんだろう。 週末はツレに買い出しを付き合ってもらい、運転もしてもらってる。 歳なのかなあ。 8月18日 物品税 主に、高級品に15%かけられていた税金(と私は思ってた話)。 きょうのラジオで、田中星児おにいさん(77才!)が 「みんなのうた」や「おかあさんといっしょ」の話をしていて、 なつかしくて聞いていた。「ヤンチャニカ」「北風小僧の寒太郎」など、 子どもと一緒に聞いて、私も楽しんでいたなあ。 それから、「およげたいやきくん」の話が出て、 レコードの販売会社と税務署と争っていたのだと、へえ~。 子ども用なら無税、大人向けの歌謡曲なら15%、1億円規模の税金。 結局、こども用ということで無税になった、と聞いていたはずだけど、 とんと忘れていた。 私の記憶では、高級車や高いピアノなどに高級品税が掛けられていて、 庶民とは関係ないと思っていたが、 ネット検索すると、1989年に消費税が導入され物品税が廃止されることに。 それまで、貴金属・毛皮など。自動車・テレビ・冷蔵庫など。 マッチ(!)・清涼飲料水(!)などに掛けられていたんだって。 8月某日 らじおネタ 世界の造船業は、中国が1/2、韓国が1/4、日本はその次だって。 中国・韓国・日本の3ヵ国で90%を占めているのだそうな ヨーロッパ、アメリカはあまり造ってないのは、ちょっとびっくり。 中国がダントツ1位なのには、もう、 そういう時代なのか、とショックあり。 8月某日 それ以来 無理は禁物。と言うより 無理はできない。 食も進まず、足元もふらふら。 8月7日 掃除をしたら そろそろ大丈夫かな、何しろ、ぎっくり腰を起こしてから、 掃除してなかったから、と、雨模様の涼しい日(29,6度)、 やや軽い充電式のマキタ掃除機で、掃除を始めた…爽快。 ついつい全室に掃除機をかけた。爽快。 でも、その夜から、また腰が痛い。 (マメコは危険な神!) 8月6日 午前0時57分 やっと、本格的な雨がきた! 1時間はどしゃぶりしてる。うれしい。 家計簿も付け終わったし、寝よう。 7月31日 きょうも晴れ 雨が来る予想も予報もない。 今日の新聞では6月30日から7月29日までの降水量が 新潟市は3.5ミリ、高田では1.0ミリ、相川では0.0ミリとある。 長岡は12.0ミリ。これでも足りないだろう。 干上がった田んぼは、このへんでも見かける。 チベット高気圧と太平洋高気圧が二重に日本の上空に居座っている。 ちっともうれしくない話だ。 昨日のカムチャッカ地震からくる津波警報注意報は 今日の午後まで続いていた。 空からも地の底からも危機が押し寄せる難儀な夏になってる。 7月29日 ひさびさのギックリ腰 シーツを変えようとマットレスを持ち上げた瞬間、ギクッときた。 何年ぶりだろう。なんども繰りかえしているが はじまったのは15才の時。トイレに這って行った。 一番近い整形外科は大学病院。 そのころは インターンによる予診があって、レントゲン検査があって また待合廊下に待たされて、やっと診察室。 学生を引き連れた教授は 「前屈してごらん」と言って、私ができると、 ああ、大丈夫だ、と言って、それで終わり。 その間2時間、つらかった。 (今週の月曜の大学病院も 結局2時間近く、寒い待合室に居た) じっとしていれば、痛くないので、・・もう ハリも整体も整形もいかない。 7月13日 満月まで 9日 まあ、お月さままんまるだわ、満月かしら、 寝室のカーテンを引こうとしたら、明るい月が正面に見えた。 遠くはぼやけて見えるので、月の満ち干が書いてある日めくりを 見ると、なあんだまだ十三夜だ。でも雲はなく明るい。 十五夜がたのしみだ。 10日 十四夜 きょうも雲がなく、明るい丸いお月さまだ。 11日 十五夜!満月 薄い雲が横切ったりしているがまんまるく明るい。 12日 十六夜 きょうも雲がない 13日 十七夜 きょうも丸い。 そろそろ雨が降ってもいいんだけど。 7月10日 アリ 9日も、またアリが出てきてる。 もう一度、前日の対策をくりかえす。ドブに通じているだろうから、 巣に薬剤はかけられない。 10日、アリが出てこなくなった。これで収まればいいな。 7月8日 風呂場にアリ ! 肋骨の痛みはだいぶ取れてきた。 シャワー温度を36度にしてゆるゆる風呂掃除をしてるのだが、 なんと洗い場・壁にアリがぞろぞろと いる。小さなアリだ。 台所の砂糖入れに這い上ってきたことはあるが、 なぜに 風呂場に?? 白アリではなさそうだけど。 どこから?…排水溝から登ってきてるよ。 そして、あちこち、ウロウロしていて、 タイル目地の割れ目の黒カビのところに大勢いる。 なんてこった。 とにかく、アリ退治の経験はあるので、 まず強力なゴキジェットプロ(ゴキブリ用)を大量に振りかける。 排水溝には「アリ退治シャワー」をどくどく流しておく。 ザワザワする。 7月1日 風呂場で胸を打つ。風呂掃除をしているとき、 湯船の向こう側を洗おうとして、縁を握っていた左手がすべって、 胸を角にぶつけてしまった。しばし悶絶。左ろっ骨が痛い。 なんとか動けるが、重いものは持てない。横を向くのも痛い。 その日は風呂掃除は中止。風呂も入らず。 心臓バイパス手術で、肋骨をきった経験のあるツレは 「骨が折れてても打撲でも、ほっておくしかないよ」という。 数日、家事は手抜きだね。